小槻大社
小槻大社 | |
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本殿(国の重要文化財) | |
所在地 | 滋賀県栗東市下戸山1200 |
位置 | 北緯35度0分24.42秒 東経135度59分32.85秒 / 北緯35.0067833度 東経135.9924583度座標: 北緯35度0分24.42秒 東経135度59分32.85秒 / 北緯35.0067833度 東経135.9924583度 |
主祭神 |
於知別命 大己貴命 |
社格等 |
式内社(小) 旧郷社 |
創建 | 不詳 |
本殿の様式 | 一間社流造 |
別名 | 小杖社 |
例祭 | 5月5日(小杖祭り) |
主な神事 | 花傘踊り(5月5日) |
小槻大社(おつきたいしゃ[1][2]/おつぎたいしゃ[3]/おづきたいしゃ[4])は、滋賀県栗東市下戸山にある神社。式内社で、旧社格は郷社。神紋は「下り藤」・「真向の兎」[2]。
別称として「小杖社(おづえしゃ)」・「小杖宮」・「小杖大明神」とも。
祭神[編集]
祭神は次の2柱[5]。
『延喜式』神名帳の記載における祭神は1座。小槻大社では11世紀初頭の作とされる木造男神坐像2躯(伝落別命像・伝大巳貴命像)が伝えられており、この頃までには祭神は現在の2柱であった。
歴史[編集]
創建[編集]
社伝では、古代に栗太郡(現在の草津市・栗東市一帯)の豪族の小槻山君(小月山公)が、祖神として於知別命を祀ったのが創祀とする。
小槻山君は栗太郡の古代豪族で、朝廷に采女も献上したという。小槻大社内には小槻大社古墳群が残るほか、周辺には下戸山古墳・地山古墳・岡遺跡(栗太郡衙跡)が残り、これらは小槻山君の関係史跡とされる。これらから小槻山君は栗太郡郡司クラスの家柄であったと推測されている。小槻山君は貞観15年(873年)[原 1]に京に居を移し、のち小槻氏(官務家)として朝廷に仕えた。
概史[編集]
国史では「小杖神」・「小丈神」・「少杖神」などの神名で、貞観5年(863年)[原 2]に神階が従五位下、貞観7年(865年)[原 3]に従五位上、延喜11年(911年)[原 4]に従四位下に昇叙された旨が記されている[1]。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では近江国栗太郡に「小槻大社」と記載され、関係社の小槻神社(草津市青地町)とともに式内社に列している[1][6]。社名の読みは「ヲツキノオホヤシロ」と振られる[1]。また、平安時代の11世紀初頭の作になる木造男神坐像2躯(国の重要文化財)が現在に伝わっている。
小槻氏が中央に移ったのちは、付近に拠点を持つ青地氏の崇敬を受けて社頭が整備され、弘安4年(1281年)10月に青地基氏によって現在の本殿内陣の宮殿が新造されたほか、康永2年(1343年)4月には青地重頼によって四脚門が造営された(非現存:棟木のみ本殿の力棰に転用)[7]。『園太暦』[原 5]によれば、康永2年12月には青地重頼(源重頼)の申請によって正一位の極位が授けられている[7]。その後、永正16年(1519年)には青地元真により現在の本殿(国の重要文化財)が再建された[7]。しかし青地氏は、戦国時代に主家の佐々木氏(六角氏)の衰退とともに没落する[7]。
江戸時代には、慶長13年(1608年)に膳所藩主の戸田左門から田の寄進があり、以後も黒印により安堵された[7]。
明治維新後、明治9年(1876年)に近代社格制度において村社に列し、明治14年(1881年)に郷社に昇格した。
神階[編集]
境内[編集]
社殿[編集]
本殿は室町時代後期の再建。一間社流造で、屋根は檜皮葺。太い木割を使用して彫刻装飾が少なく、組物も古式の舟肘木にするなど、全体に簡素ながら雄健な建築になる。棟札写や棟木の墨書では永正16年(1519年)の青地元真による再建の旨が記され、様式上からもその頃のものとされる。本殿とともに棟札2枚も伝わっており、それぞれ享保8年(1723年)・文化12年(1815年)の屋根葺替を記す。本殿内陣には宮殿(くうでん)1基を置き、宮殿内に木造の男神坐像2躯(国の重要文化財)を安置する。宮殿は本殿より古い弘安4年(1281年)の墨書を有する。この本殿は、宮殿・棟札2枚(いずれも附指定)と合わせて国の重要文化財に指定されている[8][7][4]。
本殿前の幣殿は、昭和31年(1956年)の造営。屋根は檜皮葺である。拝殿は江戸時代の造営で、入母屋造、屋根は瓦葺である[7]。
境内入り口に立つ一の鳥居は、昭和5年(1930年)の造営。鳥居に関して、古くは延享2年(1745年)に現在の名神高速道路付近に建てられた記録があり、その礎石は御旅所に移築され現存する[9]。
御旅所(若宮社)は滋賀県栗東市岡に所在し、岡遺跡(栗太郡衙跡)に隣接する(北緯35度00分37.81秒 東経135度59分07.23秒 / 北緯35.0105028度 東経135.9853417度)。
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拝殿
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伝古墳石材(手前)と境内社の龍王社
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一の鳥居
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御旅所(若宮社)
小槻大社古墳群[編集]
境内には、「小槻大社古墳群」と称される古墳時代中期から後期(5世紀から6世紀)の円墳・方墳10数基が残る[10]。主な古墳は次の通り。
- 1号墳
- 10号墳
その他の古墳の詳細は明らかでない[10]。これら古墳群の被葬者は、小槻山君一族と推測されている[10]。
摂末社[編集]
境内社[編集]
- 八坂社(祇園社) - 本殿向かって右に鎮座。
- 日吉社(山王社) - 本殿向かって左に鎮座。
- 稲荷社 - 参道横に鎮座。
- 龍王社 - 小槻大社古墳上に鎮座。
境外社[編集]
- 十二将神社
- 鎮座地:栗東市下戸山(北緯35度00分17.43秒 東経135度59分28.81秒 / 北緯35.0048417度 東経135.9913361度) - 境内は楽音寺(覚音寺)の跡地と伝わる。
- 十二将神社境内社:弁天社、祇園社
- 八幡神社
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八坂社(祇園社)
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日吉社(山王社)
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稲荷社
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十二将神社(境外社)
主な祭事[編集]
5月5日に行われる例祭は「小杖祭り」と通称される。古くは卯月初卯日であったが、明治42年(1909年)から5月5日に斎行される[2]。祭りの主をなす花傘踊りは、現在では5地域の輪番制で担当されるが、永徳2年(1382年)の板札によれば古くは「榊本家」と称される有力な家筋が担ったとされる[11]。
祭りでは、岡遺跡(栗太郡衙跡)付近の御旅所まで神輿が行列とともに渡御し、小槻大社本殿前や御旅所など数ヶ所では特に花傘踊りを奉納する。この花傘踊りの中心はあでやかな衣装を着た子役で、これに傘鉾(花傘)を持った大人が続き、踊り歌を歌いながら華やかに舞う。これは太鼓踊りが風流化したものとされる。この小杖祭りでの祭礼は、1988年(昭和63年)に滋賀県の記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財(選択無形民俗文化財)に選択されたのち[11]、令和2年(2020年)には草津市内の祭礼と合わせて「近江湖南のサンヤレ踊り」として国の重要無形民俗文化財に指定されている[12][13]。
文化財[編集]
重要文化財(国指定)[編集]
- 本殿(附 宮殿1基、棟札2枚)(建造物)
- 室町時代後期の造営。1958年(昭和33年)5月14日指定[4]。
- 木造男神坐像 2躯(彫刻)
重要無形民俗文化財(国指定)[編集]
- 近江湖南のサンヤレ踊り - 小杖祭りのほか、草津市内の祭礼を包括。2020年(令和2年)3月16日指定[13]。
その他[編集]
現地情報[編集]
所在地
アクセス
周辺
脚注[編集]
原典
出典
- ^ a b c d e 小槻大社(平凡社) 1991.
- ^ a b c 小槻大社(滋賀県神社庁)。
- ^ 小槻大社・小槻神社(神々) 1986.
- ^ a b c 小槻大社本殿 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 境内説明板。
- ^ 社名「小槻大社」の「大社」は、小槻神社との区別のためと見られる(算博士小槻今雄について 2002)。
- ^ a b c d e f g 小槻大社(式内社) 1981.
- ^ 栗東の歴史 第4巻 1994, pp. 178–179.
- ^ 一の鳥居脇の石標より。
- ^ a b c d e f 小槻大社古墳群(続古墳) 2002.
- ^ a b c d 栗東の歴史 第4巻 1994, p. 281.
- ^ 文化審議会答申(重要有形民俗文化財の指定等)(文化庁報道発表、2020年1月17日)
- ^ a b 令和2年3月16日文部科学省告示第29号。
- ^ 木造男神坐像(伝落別命) - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 木造男神坐像(伝大巳貴命) - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 栗東の歴史 第4巻 1994, p. 315.
参考文献[編集]
- 境内説明板
- 地方自治体史
- 『栗東の歴史 第4巻 資料編1』栗東町、1994年。
- 事典類
- 「小槻大社」『日本歴史地名大系 25 滋賀県の地名』平凡社、1991年。ISBN 978-4582490251。
- 松村浩「小槻大社古墳群」『続 日本古墳大辞典』東京堂出版、2002年。ISBN 978-4490105995。
- 「小槻氏」『日本古代氏族人名辞典 普及版』吉川弘文館、2010年。ISBN 9784642014588。
- その他
- 明治神社誌料編纂所編 編「小槻大社」『府県郷社明治神社誌料』明治神社誌料編纂所、1912年。
- 『明治神社誌料 府県郷社 中』(国立国会図書館デジタルコレクション)85-86コマ参照。
- 宇野茂樹 著「小槻大社」、式内社研究会編 編『式内社調査報告 第12巻』皇學館大学出版部、1981年。
- 宇野日出生 著「小槻大社・小槻神社」、谷川健一編 編『日本の神々 -神社と聖地- 5 山城・近江』白水社、1986年。ISBN 4560022151。
- 田中延佳, 田村三郎, 吉田柳二「算博士小槻今雄について (数学史の研究)」『数理解析研究所講究録』第1257巻、京都大学数理解析研究所、2002年4月、181-185頁、CRID 1050282677273315968、hdl:2433/41936、ISSN 1880-2818。
- 明治神社誌料編纂所編 編「小槻大社」『府県郷社明治神社誌料』明治神社誌料編纂所、1912年。