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那智女子高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
那智女子高等学校
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人浦木学園[1]
設立年月日 1970年2月26日[1]
創立者 浦木清十郎[1]
閉校年月日 1979年3月 [2]
共学・別学 女子校[1]
課程 定時制課程[1]
設置学科 普通科[1]
所在地 649-5331
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町天満字駿田1378[1]
北緯33度37分45秒 東経135度56分06秒 / 北緯33.629216036218274度 東経135.9349644933974度 / 33.629216036218274; 135.9349644933974
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那智女子高等学校(なちじょしこうとうがっこう)は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町に所在した私立の定時制高等学校[1]

南紀勝浦温泉ホテル浦島(1966年創業[3])の創設者であった浦木清十郎が、社業発展に伴う人的資源の確保を目的として設立した[1]

解説[編集]

前身は、ホテル浦島に設立された、ホテルで働くメイド(女中)の学校である浦島女子専修学院である[2]。浦島女子専修学院は全寮制で、茶道、華道、洋裁、手芸、英語、音楽、料理等を学ぶ短大クラスの学校であった[4]。授業料はなく制服も食費も無料で、中卒学生には本科生として毎月9,000円、高卒学生には専攻科生として毎月13,000円が会社から1年間支給されていた[4]。ただし卒業後の2年間はホテル浦島で働くことが義務づけられていた[4]

さらに浦木は、地理的あるいは経済的な事情のため進学困難な女性向けに、ホテルのアルバイトをしながら学校で学ぶ定時制高等学校のシステムを構想し、那智女子高等学校を設立した[1]。通常の定時制学校は夜学であるが本校は昼間定時制で[1]、午前中に5時間学び、その後ホテルで5時間働くこととなっていた[1]。授業料はなく、7階建て[2]の生徒寮を完備し、アルバイト収入のみで生活できるように配慮されていた[1]

設置学科[編集]

沿革[編集]

  • 1964年4月 - 本校の前身となる浦島女子専修学院がホテル浦島に設立[2]
  • 1970年2月26日 - 和歌山県知事より学校法人浦木学園並びに那智女子高等学校設立の認可を得て、同年4月1日より本校が開校[1]
  • 1979年3月 - 石油ショック等による世情の変化により廃校[2]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 日本私立中学高等学校連合会 1977, p. 940.
  2. ^ a b c d e 那智勝浦町史 1980, pp. 442–443.
  3. ^ 山上館の歴史”. ホテル浦島 公式HP. 2024年6月7日閲覧。
  4. ^ a b c 矢代 1969, p. 111.

関連項目[編集]

出典[編集]

  • 矢代陽六『ホテル旅館経営 : 豊富な実例とアイディアの活用法』経営公論社、1969年、111頁。NDLJP:12021672/60 
  • 『私学の創立者とその学風 : 日本私立中学高等学校連合会三十年史』日本私立中学高等学校連合会、1977年、940頁。NDLJP:12249843/480 
  • 那智勝浦町史編さん委員会 編『那智勝浦町史 下』那智勝浦町、1980年、442-443頁。NDLJP:9574468/244