オパールオーキツト

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オパールオーキツト
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1950年10月23日
死没 1972年10月
マッカーサー
ブロンズオーキッド
母の父 ホールマーク
生国 オーストラリアの旗 オーストラリア
生産者 E・R・バーシュ夫人
馬主 都築寿雄
→三坂成行
調教師 不明
稲葉幸夫東京
→三坂博(大井
競走成績
生涯成績 75戦23勝
地方競馬66戦19勝)
中央競馬9戦4勝)
獲得賞金 不明
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オパールオーキツトOpal Orchid1950年10月23日 - 1972年10月)とは日本競走馬である。繁殖名はオパールオーキツド地方競馬出身で1954年天皇賞(秋)を制するなどの活躍を見せた。

戦績

1952年オーストラリアから輸入され、同年11月南関東公営競馬大井競馬場でデビュー。当時は馬産復興途上故に競走馬が不足しており、オパールオーキツトは競走馬確保の為に南関東公営競馬が纏めて買い上げ日本にやって来た一頭である。

58戦19勝の成績で中央競馬に移籍。中央競馬で天皇賞(秋)を含む9戦4勝の後、再び南関東公営競馬に戻り8戦0勝で引退し繁殖牝馬となった。ただし、同馬の天皇賞の勝利は、有力馬の出走取り止めと不良馬場に助けられたフロック勝ちとの見方が強く、評価は低かった。

この馬はオーストラリア産の外国産馬であるが、当時は外国産馬でも天皇賞への出走資格があった為、史上初めての「外国産馬による天皇賞優勝」を果たしている。因みに、南関東公営競馬が購入した豪サラによる天皇賞制覇は、オパールオーキツト以外に1956年の天皇賞(秋)勝ち馬・ミツドフアームがいる。その後、天皇賞は活馬輸入自由化(1971年)の影響から、その年の秋から1999年の秋まで外国産馬への門戸を閉ざす事となった。

引退後

1955年浦和記念(1980年に創設されたものではない)を最後に引退したオパールオーキツトは、繁殖牝馬となった。産駒には1960年ダイオライト記念を制したオパールオー、平和賞を制した後中央入りし優駿牝馬(オークス)3着のサンセイミドリ等がいる。仔出しはあまり良くなかったが、現在も細々ながら子孫は残っている。因みに、伯父フア (Hua) はVRCダービーの優勝馬である。

主な勝ち鞍

血統表

オパールオーキツト(繁殖名オパールオーキツド)血統ロックサンド系 / Tracery4×4=12.50%(父内)、St.simon5×5=6.25%(母内) (血統表の出典)

MacArthur
1940 鹿毛 オーストラリア
父の父
Marconigram
1925 青鹿毛 イギリス
Abbots Trace Tracery
Abbots Anne
Marcia Blanche Lemberg
Lindal
父の母
Modiste
1925 鹿毛 イギリス
Franklin Volta
Cambric
Vogue Tracery
Charmeuse

Bronze Orchid
1940 栗毛 オーストラリア
Hall Mark
1930 栗毛 オーストラリア
Heroic Valais
Chersonese
Herowinkie Cyklon
Deneb
母の母
Gladioli
1926 黒鹿毛 オーストラリア
Ethiopian Dark Ronald
Zobeide
Earsome Positano
Gladsome F-No.3-b


関連項目

外部リンク