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新庄城

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新庄城
山形県
別名 沼田城、鵜沼城
城郭構造 輪郭式平城
天守構造 なし
築城主 戸澤政盛
築城年 1356年寛永二年)
主な改修者 戸澤政盛
主な城主 戸澤氏
廃城年 1871年
遺構 土塁、堀、本丸門石垣
指定文化財 なし
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新庄城しんじょうじょう)は、現在の山形県新庄市堀端町に城址を残す城である。別名で沼田城ぬまたじょう)、鵜沼城うぬまじょう)と呼ばれる。

概要

新庄城は、本丸、二の丸が並列状に配置され、その外側(西側を除く)を囲むように配置された平城である。 最上氏改易後に入封した戸澤政盛は当初清水城に入城したが、手狭であることと、山城のための不便さから幕府に願い出て新たに築城した城である。 戸澤氏入封後は江戸時代一貫して新庄藩の政庁が置かれていた。

現在は、そのほとんどが失われ、本丸址が戸澤神社と天満神社が鎮座しており、本丸跡、二の丸跡を含めて最上公園として市民に開放されている。最上公園は春のかど焼き大会の会場となり、また、夏は戸澤神社の縁の祭りの新庄祭が開催される。

歴史

  • 1356年寛永二年)、戸澤政盛により築城される。


城郭

本丸には御殿(天守はなし)、三の丸にはの政庁が置かれた。

本丸

  • 設備:御殿、土塁、濠

二の丸

  • 設備:土塁、濠

三の丸

城下

城下町は、羽州街道に沿って商家が集まり、城下各地に職人町が作られた。羽州街道は元々城域から少々離れていたが、築城を機に城下を通るように引かれた。現在も城下町当時の町割が残る地域があり、よく見られるような曲がり道や丁字路の多い複雑な地域がある。

  • 定期市が立つ町
    • 五日町
  • 馬市が立つ町
    • 馬喰町(馬口労町)
  • 職人町
    • 鍛冶町
  • その他
    • 鉄砲町、茶屋町、横町、万場町
  • 街道
    • 羽州街道

歴代城主

関連項目

外部リンク