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「アンソン (戦艦)」の版間の差分

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==艦歴==
==艦歴==
アンソンは[[ウォールズエンド]]の[[スワン・ハンター]]造船所で1937年7月20日に起工し、1940年2月24日に進水した。当初は[[ジョン・ジェリコー]]提督に因んで'''ジェリコー'''('''Jellicoe''')と命名される予定であったが、1940年2月にアンソンと改名された。
アンソンは[[ウォールズエンド]]の[[スワン・ハンター]]造船所で1937年7月20日に起工し、1940年2月24日に[[進水]]した。当初は[[ジョン・ジェリコー]]提督に因んで'''ジェリコー'''('''Jellicoe''')と命名される予定であったが、1940年2月にアンソンと改名された。 1942年6月22日竣工。


===第二次世界大戦===
アンソンは[[第二次世界大戦]]に参戦したものの、同級戦艦の中で唯一敵に砲撃を行わなかった。1943年10月、[[リーダー作戦]]に参加。1945年には[[イギリス太平洋艦隊]]第1戦隊の[[旗艦]]であった。1946年には[[ヘンリー (グロスター公)|グロスター公ヘンリー]]と[[アリス (グロスター公爵夫人)|夫人]]を乗せ[[シドニー]]から[[ホバート]]を往復した。
就役後、アンソンは本国艦隊の大半とともに北極海へと派遣され、ソ連との間で行き来する船団の護衛に従事した。1942年9月12日、アンソンは戦艦[[デューク・オブ・ヨーク (戦艦)|デューク・オブ・ヨーク]]や軽巡洋艦[[ジャマイカ (軽巡洋艦)|ジャマイカ]]、駆逐艦[[ケッペル (駆逐艦)|ケッペル]]、[[マッケイ (駆逐艦)|マッケイ]]、[[モントローズ (駆逐艦)|モントローズ]]、[[ブラハム (駆逐艦)|ブラハム]]とともに[[QP14船団]]の遠距離護衛部隊に属していた<ref>Rowher p. 195</ref>。12月29日、アンソンは重巡洋艦[[カンバーランド (重巡洋艦)|カンバーランド]]や駆逐艦[[フォレスター (駆逐艦)|フォレスター]]、[[イカルス (駆逐艦)|イカルス]]、[[インパルシヴ (駆逐艦)|インパルシヴ]]とともに[[JW51B船団]]の遠距離護衛を務めていた<ref>Rohwer p. 219 </ref>。1943年1月23、24日にはアンソンは軽巡洋艦[[シェフィールド (軽巡洋艦)|シェフィールド]]、駆逐艦[[エコー (駆逐艦)|エコー]]、[[エクリプス (駆逐艦)|エクリプス]]、[[フォルクナー (駆逐艦)|フォルクナー]]、[[イングルフィールド (駆逐艦)|イングルフィールド]]、モントローズ、[[クイーンボロ (駆逐艦)|クイーンボロ]]、[[レイダー (駆逐艦)|レイダー]]、[[オルカン (駆逐艦)|オルカン]]とともに[[JW52船団]]の遠距離護衛を務めた。1月29日に[[RA52船団]]が[[コラ湾]]から出発すると、アンソンは軽巡洋艦シェフィールド、駆逐艦イングルフィールド、[[オリビ (駆逐艦)|オリビ]]、[[オビディアント (駆逐艦)|オビディアント]]、オルカンとともに1月30日からその遠距離護衛を行った<ref>Rohwer p. 226 </ref>。


1943年7月、アンソンは[[ハスキー作戦]]の準備から敵の目をそらすための作戦に参加。10月、戦艦デューク・オブ・ヨークやアメリカ重巡洋艦[[タスカルーサ (重巡洋艦)|タスカルーサ]]とともに[[リーダー作戦]]に参加。この作戦ではアメリカ空母[[レンジャー (CV-4)|レンジャー]]の搭載機が[[ノルウェー]]沿岸でドイツ船舶に対する攻撃を行った。1944年2月、[[ベイリーフ作戦]]に参加しフランス戦艦[[リシュリュー (戦艦)|リシュリュー]]や巡洋艦、駆逐艦とともにノルウェーの目標を攻撃する空母[[フューリアス (空母)|フューリアス]]を護衛した。4月3日、[[タングステン作戦]](ドイツ戦艦[[ティルピッツ (戦艦)|ティルピッツ]]に対する航空攻撃)に参加<ref name=C15>Chesneau (2004) p. 15</ref>。この作戦ではアンソンは[[ヘンリー・ムーア]]中将の旗艦であった<ref>Rohwer p. 314</ref>。
アンソンは1957年に、姉妹艦3隻と共に解体された。


1944年6月にアンソンは改装のため退役し、1945年3月まで艦隊には戻らなかった。復帰するとアンソンは[[太平洋艦隊 (イギリス)|太平洋艦隊]]に編入された。しかし、アンソンが到着するころには戦争は終結していた。8月15日、[[香港]]の日本軍の降伏を受けるためアンソンはイギリス艦隊とともに[[シドニー]]から香港へ向け出港した。また、アメリカ戦艦ミズーリ艦上での日本の降伏文書調印の際の東京湾在泊艦艇の1隻である<ref name=C15/>
==関連項目==

*[[イギリス海軍艦艇一覧]]
<!--アンソンは[[第二次世界大戦]]に参戦したものの、同級戦艦の中で唯一敵に砲撃を行わなかった。-->
=== 戦後 ===
アンソンは太平洋艦隊の第1戦艦戦隊旗艦を務め、香港再占領を援護した。短期間の修理の後、1946年2月に[[ヘンリー (グロスター公)|グロスター公爵]]と[[アリス (グロスター公爵夫人)|公爵夫人]]を乗せるためアンソンはシドニーから[[ホバート]]へ移動し、二人をシドニーまで運んだ<ref>Raven and Roberts p. 405</ref>。

1946年7月29日にアンソンはイギリスに戻った。1949年に予備艦となり、1951年にGare Lochへと曳航された<ref>Chesneau (2004) pp. 15-16 </ref>。1957年12月17日、スクラップとして売却<ref>Garzke p. 223 </ref>。
==脚注==
{{Reflist}}

==参考文献==
* {{cite book|last=Rohwer|first=Jürgen|title=Chronology of the War at Sea 1939-1945: The Naval History of World War Two|publisher=Naval Institute Press|location=Annapolis, Maryland|year=2005|edition=Third Revised|isbn=1-59114-119-2}}
* {{cite book|title=King George V Battleships|last=Chesneau|first=Roger|publisher=Chatham Publishing|year=2004|isbn=1-86176-211-9|series=ShipCraft|volume=2|location=London}}
* {{cite book|last=Raven|first=Alan|coauthors=Roberts, John|title=British Battleships of World War Two: The Development and Technical History of the Royal Navy's Battleship and Battlecruisers from 1911 to 1946|publisher=Naval Institute Press|location=Annapolis, MD|date=1976|isbn=0-87021-817-4}}
* {{cite book|last1=Garzke|first1=William H., Jr.|last2=Dulin|first2=Robert O., Jr.|title=British, Soviet, French, and Dutch Battleships of World War II|year=1980|publisher=Jane's|location=London|isbn=1-7106-0078-X}}


==外部リンク==
==外部リンク==

2011年3月27日 (日) 13:57時点における版

艦歴
発注
起工 1937年7月20日
進水 1940年2月24日
就役 1942年6月22日
退役 1951年11月
その後 1957年5月18日に廃棄処分
除籍
性能諸元
排水量 基準:36,727 トン
満載:42,076 トン
全長 227.1 m
全幅 31.4 m
吃水 10.5 m
機関 蒸気タービン4基4軸 110,000馬力
最大速 29.5ノット (54 km/h)
航続距離 6,000カイリ(14ノット時)
乗員 平時:1,553 - 1,558名
戦時:1,900名
兵装 35.6cm4連装砲塔2基、連装砲塔1基
13.3cm連装両用砲8基
2ポンド対空砲32基
40mmボフォース対空機銃14基
20mmエリコン機銃65基
艦載機 ウォーラス2機
モットー Nil desperandum - One mustn't give up hope

アンソン (HMS Anson, 79) は、イギリス海軍キング・ジョージ5世級戦艦。艦名はジョージ・アンソン提督に因む。

艦歴

アンソンはウォールズエンドスワン・ハンター造船所で1937年7月20日に起工し、1940年2月24日に進水した。当初はジョン・ジェリコー提督に因んでジェリコー(Jellicoe)と命名される予定であったが、1940年2月にアンソンと改名された。 1942年6月22日竣工。

第二次世界大戦

就役後、アンソンは本国艦隊の大半とともに北極海へと派遣され、ソ連との間で行き来する船団の護衛に従事した。1942年9月12日、アンソンは戦艦デューク・オブ・ヨークや軽巡洋艦ジャマイカ、駆逐艦ケッペルマッケイモントローズブラハムとともにQP14船団の遠距離護衛部隊に属していた[1]。12月29日、アンソンは重巡洋艦カンバーランドや駆逐艦フォレスターイカルスインパルシヴとともにJW51B船団の遠距離護衛を務めていた[2]。1943年1月23、24日にはアンソンは軽巡洋艦シェフィールド、駆逐艦エコーエクリプスフォルクナーイングルフィールド、モントローズ、クイーンボロレイダーオルカンとともにJW52船団の遠距離護衛を務めた。1月29日にRA52船団コラ湾から出発すると、アンソンは軽巡洋艦シェフィールド、駆逐艦イングルフィールド、オリビオビディアント、オルカンとともに1月30日からその遠距離護衛を行った[3]

1943年7月、アンソンはハスキー作戦の準備から敵の目をそらすための作戦に参加。10月、戦艦デューク・オブ・ヨークやアメリカ重巡洋艦タスカルーサとともにリーダー作戦に参加。この作戦ではアメリカ空母レンジャーの搭載機がノルウェー沿岸でドイツ船舶に対する攻撃を行った。1944年2月、ベイリーフ作戦に参加しフランス戦艦リシュリューや巡洋艦、駆逐艦とともにノルウェーの目標を攻撃する空母フューリアスを護衛した。4月3日、タングステン作戦(ドイツ戦艦ティルピッツに対する航空攻撃)に参加[4]。この作戦ではアンソンはヘンリー・ムーア中将の旗艦であった[5]

1944年6月にアンソンは改装のため退役し、1945年3月まで艦隊には戻らなかった。復帰するとアンソンは太平洋艦隊に編入された。しかし、アンソンが到着するころには戦争は終結していた。8月15日、香港の日本軍の降伏を受けるためアンソンはイギリス艦隊とともにシドニーから香港へ向け出港した。また、アメリカ戦艦ミズーリ艦上での日本の降伏文書調印の際の東京湾在泊艦艇の1隻である[4]

戦後

アンソンは太平洋艦隊の第1戦艦戦隊旗艦を務め、香港再占領を援護した。短期間の修理の後、1946年2月にグロスター公爵公爵夫人を乗せるためアンソンはシドニーからホバートへ移動し、二人をシドニーまで運んだ[6]

1946年7月29日にアンソンはイギリスに戻った。1949年に予備艦となり、1951年にGare Lochへと曳航された[7]。1957年12月17日、スクラップとして売却[8]

脚注

  1. ^ Rowher p. 195
  2. ^ Rohwer p. 219
  3. ^ Rohwer p. 226
  4. ^ a b Chesneau (2004) p. 15
  5. ^ Rohwer p. 314
  6. ^ Raven and Roberts p. 405
  7. ^ Chesneau (2004) pp. 15-16
  8. ^ Garzke p. 223

参考文献

  • Rohwer, Jürgen (2005). Chronology of the War at Sea 1939-1945: The Naval History of World War Two (Third Revised ed.). Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 1-59114-119-2 
  • Chesneau, Roger (2004). King George V Battleships. ShipCraft. 2. London: Chatham Publishing. ISBN 1-86176-211-9 
  • Raven, Alan; Roberts, John (1976). British Battleships of World War Two: The Development and Technical History of the Royal Navy's Battleship and Battlecruisers from 1911 to 1946. Annapolis, MD: Naval Institute Press. ISBN 0-87021-817-4 
  • Garzke, William H., Jr.; Dulin, Robert O., Jr. (1980). British, Soviet, French, and Dutch Battleships of World War II. London: Jane's. ISBN 1-7106-0078-X{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。 

外部リンク