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'''トサミドリ'''は、[[日本]]の[[競走馬]]。1940年代後半から1950年代初頭にかけて活躍した。競走成績・[[種牡馬]]成績が認められ、[[1984年]]には[[顕彰馬]]に選出されている
'''トサミドリ'''(1946年5月20日 - 1970年8月8日)は、[[日本]]の[[競走馬]][[種牡馬]]。


1948年に[[国営競馬]]でデビュー。翌1949年春に[[皐月賞]]に優勝、[[東京優駿|東京優駿(日本ダービー)]]でも大本命に推されたが7着と敗れ、19番人気の[[タチカゼ]]優勝という空前の大波乱を招く一因となった。その後は[[菊花賞]]を含む11連勝を遂げるなどした。通算成績はレコード勝利10回を含む31戦21勝。1952年より種牡馬となり、7頭の[[八大競走]]優勝馬を含む数々の重賞勝利馬を輩出。産駒が中央競馬で挙げた1135勝は2011年に更新されるまで国産種牡馬による最多記録であった。1984年、[[JRA顕彰馬]]に選出。
兄弟も極めて優秀で半兄にタイホウ(繁殖名[[大鵬 (競走馬)|大鵬]]、[[帝室御賞典]]、[[目黒記念]]、[[オールカマー]]。父[[シアンモア]])・[[セントライト]](日本競馬史上初の[[三冠 (競馬)|三冠馬]]。顕彰馬。父[[ダイオライト]])・[[クリヒカリ]](旧名アルバイト、[[皐月賞]]・[[天皇賞|天皇賞(秋)]]。父シアンモア)の3頭のGI級優勝馬がいる。母[[フリッパンシー]]の最後の産駒である。


== 歴 ==
== 歴 ==
=== 生い立ち ===
* [[馬齢|年齢]]は旧表記(数え年齢)に統一する。
[[太平洋戦争]]終結翌年の1946年、[[青森県]][[七戸町]]の[[盛田牧場]]に生まれる。この秋には戦争中に休止されていたが競馬が再開されるという時勢の最中であった。父[[プリメロ]]は1934年に[[アイリッシュダービー]]と[[アイリッシュセントレジャー]]に優勝、1935年に[[小岩井農場]]により当時6万円という高額をもって種牡馬として導入され、この翌年に産駒が五大クラシックの完全制覇を達するなど名種牡馬として知られていた。母[[フリッパンシー]]も小岩井農場による輸入馬で、[[帝室御賞典]]優勝馬タイホウ、日本競馬史上初の三冠馬[[セントライト]]、[[八大競走]]2勝の[[クリヒカリ]](アルバイト<ref group="注">アルバイトの名で横浜農林省賞典四歳呼馬を勝ったのち、別馬主に譲渡されクリヒカリと改名された。</ref>)らを輩出する優秀な成績を残していたが、小岩井農場の馬産からの撤退に伴い<ref>{{Cite web |url=http://jra.jp/150th/rp/14.html |title=希代の名馬 トサミドリ |author= |publisher=日本中央競馬会 |accessdate=2015年6月3日 |date=}}</ref>、前年秋に本馬を受胎した状態で盛田牧場へ売却されていた<ref name="meiba5">『日本の名馬』pp.112-114</ref>。

2歳春に[[札幌競馬場]](国営競馬)所属の調教師・望月与一郎に購買され、のち北海道で[[デンプン]]製造業を営む斎藤健二郎の所有馬となった<ref name="maru">『丸』2巻5号、pp.20-22</ref>。2歳秋からは北海道静内町の静内牧場で馴致・育成され、競走年齢の3歳に達した1948年春、望月の管理下へ入った<ref name="maru" />。


=== 競走馬時代 ===
=== 競走馬時代 ===
1948年9月、札幌開催で初出走を迎えたトサミドリは5頭立て3番人気という評価であったが、スタートからの逃げきり、レコードタイムでの初戦勝利を挙げた<ref name="meiba">『日本の名馬』p.100</ref>。続く優勝戦では前走退けたキャプテンオーにクビ差負けて2着となったが、12月の東京開催では初日に勝利を挙げたのち、当時の3歳王者戦と見なされていた3歳ステークスに出走。中団の位置から最終コーナーで一度後退しながらも、最後の直線で追い込み、初戦に続くレコードタイムで優勝を果たした<ref name="meiba" />。
[[1948年]][[9月11日]]のデビュー戦をレコードで制したトサミドリは、3歳を4戦3勝2着(クビ差)1回という好成績で終えた。翌[[1949年]]、緒戦こそハナ差の2着に終わったものの、その後は連勝し通算8戦6勝2着2回で皐月賞に挑んだ。1番人気に押されたトサミドリは2馬身差で快勝。次走のオープン戦を61kgの斤量で制し、[[東京優駿|優駿競走]](日本ダービー)に大本命として臨んだ。だが、裂蹄気味で調整が上手くいかず、さらにレースでは人気薄の先行馬達に競り掛けられて暴走し、トサミドリは19番人気[[タチカゼ]]の7着に敗れた。しかし次走の4歳特別をレコード勝ちすると再び連勝を始め、[[菊花賞]]、[[セントライト記念]]を含む9連勝で4歳シーズンを終えた。なお、この年の最終戦は71kgの斤量を背負ってのレコード勝ちであった。

翌1949年、トサミドリは[[中央競馬クラシック三冠|クラシック競走]]を控え、3月の東京開催から復帰。ここから騎手は[[浅野武志]]が務める。初戦はミナミホープにハナ差敗れたが、以降レコード勝ちひとつを含む3連勝を挙げ、5月1日にクラシック初戦・皐月賞を迎えた。単勝1.5倍の1番人気に支持されたトサミドリは、先行争いを経て残り800メートル地点で先頭に立つと、ミナミホープに2馬身差を付けて優勝した<ref name="yushun">『日本の名馬』p.101</ref>。なお、この競走はこれ以降定着する[[中山競馬場|中山開催]]での最初の皐月賞であったが、施行距離は1950メートルという変則的なものだった<ref name="yushun" />。皐月賞優勝は兄セントライト、クリヒカリに続くもので、3兄弟での同一クラシック競走制覇は史上唯一の例である。

続くオープン戦にも勝利し連勝を5と伸ばしたのち、6月5日に日本ダービーを迎える。トサミドリは単勝支持率55.78パーセント、オッズは1.4倍の1番人気に支持された。浅野トサミドリはスタートから逃げを打ち、向正面では後続に大きな差を付けて先頭を保っていたが、第3コーナー手前から脚が鈍りはじめ、最後の直線では完全に失速して7着と敗れた<ref name="meiba2">『日本の名馬』pp.102-103</ref>。勝ったのは19番人気、単勝オッズ554.3倍の[[タチカゼ]]で、ダービー史上最高の大波乱となった<ref>『優駿』2001年6月号、p.103</ref>。また第3コーナーではミネノマツが落馬、その煽りを受けた[[桜花賞]]馬[[ヤシマドオター]]が内ラチを飛び越えて競走を中止し、さらにコマオーも落馬するという事故もあった<ref name="meiba2" />。

引き上げてきた浅野は、担当厩務員の伊藤英雄に「あまりにも惨めな負け方で申し訳ない」と落涙しながら詫びたといわれる<ref name="fujino">藤野(1992)p.28</ref>。浅野は競走内容について「先行したのは作戦だった。しかし、第1コーナーで内からテツオー、外からカネフブキに競り掛けられたとき、馬がいきり立ってどうにも抑えることができなくなった」と「大逃げ」の理由を説明した<ref name="fujino" />。また裂蹄気味で調教が思うように進んでいなかったトサミドリは、競走2日前に朝と昼の2回調教を掛けられており、結果としてそれがオーバーワークになっていたともされる<ref name="fujino" />。

ダービー翌週、3歳時に騎乗した[[田中康三]]を背に4歳特別をレコード勝ちしたトサミドリは、再び連勝を始める。8月の[[函館競馬場|函館開催]]からは騎手が浅野に戻り、66キログラムの[[負担重量|斤量]]を負ってレコードで勝利、10月にはクラシック三冠最終戦・菊花賞に備えて西下し、前哨戦の特ハンでは2着に5馬身差を付けて勝利。11月3日に迎えた菊花賞では1番人気の支持を受けると、スタートからの逃げきりで2着キングライトに2馬身差をつけてクラシック二冠を制した<ref name="meiba3">『日本の名馬』pp.106-108</ref>。またこれは皐月賞に続きセントライトとの兄弟制覇となった。


2週間後には兄の名を冠した[[セントライト記念]]に勝利、さらに12月の阪神開催からは、それぞれ69kg、71kg、62kgという斤量を負いながら3戦連続のレコード勝利を挙げた。翌1950年4月のオープン戦勝利をもって、[[クリフジ]]に並ぶ11連勝を達成。しかし同月16日に出走した京都記念では75kgという斤量を負い、5着と敗れた。このとき次点の斤量を負わされた馬とは10kgの差があり、勝ったニシタップとは21kg差があった<ref name="meiba3" />。続くオープン戦でも同斤量を負わされ、64kgのタチカゼにクビ差敗れ連敗する<ref name="meiba3" />。
古馬となった[[1950年]]、勝ち鞍を2つ加え11連勝としたトサミドリの連勝は、75kgの斤量を背負った[[京都記念|京都記念(春)]]5着敗退で止まった。次走も[[タチカゼ]]に惜敗を喫したトサミドリは、[[天皇賞|天皇賞(春)]]には向かわず休養に入る。


その後、9月に札幌記念を制したのち11月3日に天皇賞(秋)へ出走。1番人気に支持された。レースでは4~5番手を進んで最後の直線に入ったが、残り150メートル地点で急激に斜行してきたエゾテツザンに押圧され、転倒、競走中止という結果に終わった<ref name="meiba3" />。2位入線のエゾテツザンは失格となった<ref name="meiba3" />。この秋はさらに[[毎日王冠]]と[[目黒記念]]に出走したが、最終コーナーで好位につけては直線で失速するという内容を繰り返し、勝利を挙げることはなかった<ref name="meiba3" />。
休養明けの札幌記念<ref>現在の[[札幌記念]]とは施行馬場、距離ともに異なる。</ref>を勝利したトサミドリは、その勢いのまま1番人気で天皇賞(秋)を迎えた。ところが、優勝確実と思われた矢先、外側にいたエゾテツザンの斜行を受けて落馬競走中止<ref>エゾテツザンは2着入線したものの、この行為が咎められ失格となっている。</ref>。優勝したのは前年のダービーを波乱のなか競走中止で終えた[[ヤシマドオター (競走馬)|ヤシマドオター]]であった。


天皇賞後[[東京新聞杯|東京]]をレコード勝ち以外に勝ち鞍を挙げられず、東京杯の後に出走した天皇賞は2着、引退レースとなったの天皇賞では最下位の5着に終わり、競走馬を引退た。
6歳となった1951年には、望月厩舎から[[稗田敏男]]厩舎へと移籍し、天皇賞制覇を目指して現役を続行する<ref name="meiba3" />。移籍緒戦の[[東京新聞杯|東京盃]]では[[ハタカゼ]]を退けて通算10回目のレコード勝を挙げる。4月に天皇賞(春)に出走し、ハタカゼに次ぐ2番人気となっが、[[タカクラヤマ]]に3馬身差をつけられての2着に終わった。そ後、11月に天皇賞(秋)へ直接出走したが、5頭立ての最下位に終わり、これを最後に競走生活から退た。


=== 種牡馬時代 ===
=== 種牡馬時代 ===
トサミドリは種牡馬として北海道静内町の稗田牧場で繋養された<ref name="meiba3" />。セントライトの弟ということもあり当初から期待は高く、馬運車がなかった当時にあって遠方からも交配希望者が訪れ、トサミドリが相手先へ送られ出張交配を行うこともあった<ref name="kikan">『季刊・名馬』1995年秋号、pp.20-21</ref>。
種牡馬となったトサミドリは、ダービー馬1頭([[コマツヒカリ]])、天皇賞馬3頭([[キタノオー]]、[[トサオー]]、[[ガーネツト]])を含む[[八大競走]]優勝馬7頭輩出という、内国産馬として歴史に残る成功を収めた。最終的に産駒は通算1135勝を挙げ、[[2011年]][[5月7日]]に[[フジキセキ]]に抜かれるまで、内国産種牡馬の最多勝記録を保持していた<ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/news/entry-201745.html フジキセキ産駒、JRA勝利数7位&内国産種牡馬1位に | News | 競馬実況web | ラジオNIKKEI] 2011-05-07閲覧</ref>。


初年度産駒から[[キタノオー]]とトサモアーが東西の3歳王者となり、3歳種牡馬ランキングの1位を獲得<ref name="meiba4">『日本の名馬』pp.109-111</ref>。1956年には両馬が菊花賞で1、2着を占めるなどし、総合ランキング6位に付けた<ref name="meiba4" />。1955年には1年のみ故郷・盛田牧場で繋養されたが、ここで生まれた[[コマツヒカリ]]はトサミドリが勝てなかった日本ダービーを制した<ref name="meiba4" />。ほか1959年には[[ガーネツト|ガーネット]]が牝馬ながら天皇賞(秋)と[[有馬記念]]を制覇した。
== 主な産駒 ==

* [[コマツヒカリ]](東京優駿(日本ダービー))
1950年代には戦後禁止されていた繁殖馬の輸入が解禁されており、[[ライジングフレーム]]、[[ヒンドスタン]]といった外国産種牡馬が続々と導入されたが、トサミドリはこれらに互して活躍馬を出し<ref name="kikan" />、リーディングサイアー獲得はならなかったものの、1958年、1959年の2位を最高として、1956年から1965年までベストテンの位置を保ち続けた<ref name="meiba4" />。長距離血統として知られる[[ブランドフォード系]]、母の父フラムボヤントも長距離競走の[[ドンカスターカップ]]や[[グッドウッドカップ]]の優勝馬という重厚な血統背景を持っていたにもかかわらず、トサミドリ自身がそうであったように産駒は3歳戦から活躍し、優れたスピードとスタミナを兼備していた<ref name="kikan" />。トサミドリは遺伝力が非常に強く、どんな牝馬と交配しても自身に似た子を出し、産駒はその姿がトサミドリに似ていれば似ているほど活躍したという<ref name="kikan" />。[[障害競走]]にも強く、5頭の[[中山大障害]]優勝馬を輩出、また[[ダート]]でも[[地方競馬]]の[[南関東公営競馬|南関東]]や[[ホッカイドウ競馬|北海道]]で活躍馬が続出した<ref name="kikan" />。[[ブルードメアサイアー]](母の父)としても5頭のクラシック優勝馬と1頭の天皇賞馬を輩出している<ref name="kikan" />。1960年代後半以降、輸入種牡馬に押されて内国産種牡馬が冷遇されていくなかで後継種牡馬は育たなかったが、母系にその血を残した<ref name="kikan" />。
* [[キタノオー]](菊花賞・天皇賞(春)・朝日杯3歳ステークス)

* [[トサオー]](天皇賞(春))
1970年初頭よりトサミドリは老衰の兆しがみえはじめ、この年6頭への種付けを行ったのが種牡馬として最後の活動となった<ref name="meiba5" />。同年8月8日、稗田牧場で老衰により死亡。25歳没。産駒が中央競馬で挙げた通算1135勝は、2011年5月に[[フジキセキ]]に更新されるまで内国産種牡馬の最多勝利記録であった<ref>{{Cite web |url=http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2011/05/08/kiji/K20110508000778540.html |title=フジキセキ産駒JRA通算勝利数単独7位に |author= |publisher=Sponichi Annex |accessdate=2015年5月30日 |date=2011-5-8}}</ref>。1984年、JRA顕彰馬制度が発足し、トサミドリは兄セントライトら9頭と共に中央競馬の殿堂に加えられた。
* [[ガーネツト]](天皇賞(秋)・有馬記念)

* [[キタノオーザ]](菊花賞)
なお、稗田牧場で生涯トサミドリの世話を続けた稗田実は、その姿を写真で記録し続けながら相馬眼を培った。その見識に基いて稗田が日本へ導入した種牡馬には、[[ハードバージ]]や[[ビクトリアクラウン]]らの父[[ファバージ]]、[[オグリキャップ]]の父[[ダンシングキャップ]]、[[スーパークリーク]]の父[[ノーアテンション]]らがいる<ref>『優駿』1990年7月号、p.51</ref>。
* [[ホマレボシ]](有馬記念)

* [[ヒロキミ]](菊花賞)
== 競走成績 ==
* [[メイジミドリ]](阪神3歳ステークス・京都記念(秋))
{| style="font-size: 100%; text-align: center; border-collapse: collapse;"
* [[トサモアー]](阪神3歳ステークス・神戸杯)
|-
* [[キタノヒカリ]](朝日杯3歳ステークス)
|align="center" colspan="3"|年月日
* [[マツカゼオー]](朝日杯3歳ステークス)
|
* [[オータジマ]](中山大障害(春)・東京障害特別(秋))
|レース名
* トサキング(中山大障害(秋)・京都大障害(春))
|頭数
* ハルボー(中山大障害(秋))
|人気
* フエニツクス(中山大障害(春))
|着順
* ライトリア(中山大障害(秋))
|距離([[馬場状態|状態]])
* [[イチカントー]](東京大賞典・川崎記念)
|タイム
* オリオンホース(東京大賞典)
|[[騎手]]
* アシヤフジ(東京大賞典)
|[[斤量]]
|勝ち馬/(2着馬)
|-
|1948
|9.
|11
|[[札幌競馬場|札幌]]
|初出走
|5
|3
|{{color|darkred|1着}}
|1000[[メートル|m]](良)
|{{color|darkred|R1:03.2}}
|小溝秋義
|51
|(キャプテンオー)
|-
|
|9
|26
|札幌
|三歳受賞馬
|8
|2
|2着
|1200m(稍)
|
|小溝秋義
|51.5
|キャプテンオー
|-
|
|12.
|4
|[[東京競馬場|東京]]
|三歳
|5
|2
|{{color|darkred|1着}}
|1200m(稍)
|1:16.2
|[[田中康三]]
|51
|(トサノボル)
|-
|
|12.
|19
|東京
|三歳ステークス
|10
|1
|{{color|darkred|1着}}
|1200m(稍)
|{{color|darkred|R1:14.4}}
|田中康三
|51
|(トサノボル)
|-
|1949
|3.
|12
|東京
|四歳新馬
|3
|1
|2着
|1600m(良)
|
|浅野武志
|55
|ミナミホープ
|-
|
|3.
|15
|東京
|四歳新馬
|6
|1
|{{color|darkred|1着}}
|1200m(重)
|1:17.2
|浅野武志
|55
|(キタヒカリ)
|-
|
|3.
|27
|東京
|四歳特別
|7
|1
|{{color|darkred|1着}}
|1600m(良)
|{{color|darkred|R1:40.2}}
|浅野武志
|57
|(トサノボル)
|-
|
|5.
|1
|[[中山競馬場|中山]]
|四歳
|4
|1
|{{color|darkred|1着}}
|1800m(良)
|1:59.3
|浅野武志
|57
|(ニューファンター)
|-
|
|5.
|3
|中山
|'''[[皐月賞]]'''
|11
|1
|{{color|darkred|1着}}
|1950m(良)
|2:05.0
|浅野武志
|57
|(ミナミホープ)
|-
|
|5.
|15
|東京
|四歳
|5
|1
|{{color|darkred|1着}}
|2000m(良)
|2:07.4
|浅野武志
|61
|(テツオー)
|-
|
|6.
|5
|東京
|'''[[東京優駿]]'''
|23
|1
|7着
|2400m(良)
|
|浅野武志
|57
|[[タチカゼ]]
|-
|
|6.
|12
|東京
|四歳特別
|7
|1
|{{color|darkred|1着}}
|1800m(良)
|1:52.1
|田中康三
|54
|(テツオー)
|-
|
|7.
|17
|札幌
|四歳
|7
|1
|{{color|darkred|1着}}
|1800m(良)
|{{color|darkred|R1:55.3}}
|[[野平祐二]]
|63
|(モノポリー)
|-
|
|8.
|27
|[[函館競馬場|函館]]
|特ハン
|9
|2
|{{color|darkred|1着}}
|1980m(良)
|{{color|darkred|R2:06.2}}
|浅野武志
|66
|(ヒロノボリ)
|-
|
|9.
|4
|函館
|優勝四歳以上
|6
|1
|{{color|darkred|1着}}
|2200m(良)
|2:28.1
|浅野武志
|65
|(ヒロノボリ)
|-
|
|10.
|15
|[[京都競馬場|京都]]
|特ハン
|6
|1
|{{color|darkred|1着}}
|2200m(良)
|2:21.0
|浅野武志
|61
|(アスカヤマ)
|-
|
|11.
|3
|京都
|'''[[菊花賞]]'''
|6
|1
|{{color|darkred|1着}}
|3000m(良)
|3:14.3
|浅野武志
|57
|(キングライト)
|-
|
|11.
|20
|東京
|[[セントライト記念]]
|5
|1
|{{color|darkred|1着}}
|2400m(稍)
|2:37.4
|浅野武志
|61
|(コマオー)
|-
|
|12.
|4
|[[阪神競馬場|阪神]]
|四歳
|4
|1
|{{color|darkred|1着}}
|2000m(不)
|{{color|darkred|R2:21.0}}
|浅野武志
|69
|(トシヒカリ)
|-
|
|12.
|17
|阪神
|四歳特ハン
|6
|1
|{{color|darkred|1着}}
|2400m(稍)
|{{color|darkred|R2:44.2}}
|浅野武志
|71
|([[オーエンス (競走馬)|オーエンス]])
|-
|1950
|1.
|8
|中山
|金盃
|5
|1
|{{color|darkred|1着}}
|2400m(良)
|{{color|darkred|R2:47.4}}
|浅野武志
|62
|(エゾテツザン)
|-
|
|4.
|2
|京都
|五歳以上
|5
|1
|{{color|darkred|1着}}
|2000m(重)
|2:08.4
|浅野武志
|74
|(ホウシュウ)
|-
|
|4.
|16
|京都
|[[京都記念|京都記念(春)]]
|7
|1
|5着
|3000m(良)
|
|浅野武志
|75
|ニシタップ
|-
|
|4.
|29
|阪神
|五歳以上
|4
|2
|2着
|2000m(良)
|
|浅野武志
|75
|タチカゼ
|-
|
|9.
|3
|札幌
|札幌記念
|8
|1
|{{color|darkred|1着}}
|2400m(良)
|2:34.0
|浅野武志
|70
|(トーアノフジ)
|-
|
|11.
|3
|東京
|'''[[天皇賞|天皇賞(秋)]]'''
|10
|1
|落馬
|3200m(稍)
|-
|浅野武志
|58
|[[ヤシマドオター]]
|-
|
|11.
|12
|東京
|[[毎日王冠]]
|9
|1
|4着
|2500m(稍)
|
|田中康三
|58
|[[ハタカゼ]]
|-
|
|11.
|23
|東京
|[[目黒記念|目黒記念(秋)]]
|7
|3
|7着
|2500m(稍)
|
|田中康三
|68
|クニハタ
|-
|1951
|4.
|22
|東京
|[[東京新聞杯|東京盃]]
|5
|1
|{{color|darkred|1着}}
|2400m(稍)
|{{color|darkred|R2:30.2}}
|田中康三
|53
|(ハタカゼ)
|-
|
|5
|5
|京都
|'''天皇賞(春)'''
|7
|2
|2着
|3200m(良)
|
|田中康三
|60
|[[タカクラヤマ]]
|-
|
|11.
|11
|京都
|'''天皇賞(秋)'''
|5
|3
|5着
|3200m(良)
|
|[[大久保末吉]]
|60
|ハタカゼ
|}
#出典:『日本の名馬』、『日本の名馬・名勝負物語』。各競走名は前者に準じている。
#競走名太字は[[八大競走]]。
#タイム欄{{color|darkred|R}}はレコードタイムを表す。

== 種牡馬成績 ==
年度別成績は『日本の名馬』、産駒競走成績はJBISサーチ「トサミドリ」種牡馬情報ページより。
{|class="wikitable" style="text-align:right"
!rowspan="2"|年!!colspan="2"|勝利!!rowspan="2"|順位!!rowspan="2"|収得賞金
|-
!頭数!!回数
|-
||1955年||7||20||17||393万0000円
|-
||1956年||13||33||6||955万0000円
|-
||1957年||27||58||6||1437万0000円
|-
||1958年||34||108||2||2960万7000円
|-
||1959年||36||109||2||4149万0000円
|-
||1960年||37||94||3||3518万0000円
|-
||1961年||32||83||4||4293万0000円
|-
||1962年||35||94||3||6085万0000円
|-
||1963年||44||86||5||4655万0000円
|-
||1964年||38||68||7||3912万7700円
|-
||1965年||36||79||3||6176万5750円
|-
||1966年||27||52||19||4853万9850円
|-
||1967年||25||58||11||6720万0000円
|-
||1968年||28||48||18||1億2836万0000円
|-
||1969年||27||47||15||2億2131万0000円
|}

=== 主な産駒 ===
'''八大競走優勝馬'''
*[[キタノオー]](1956年菊花賞 1957年天皇賞・春など重賞7勝)
*[[トサオー]](1959年天皇賞・春など重賞3勝)
*[[コマツヒカリ]](1958年東京優駿など重賞2勝)
*[[ガーネツト|ガーネット]](1959年天皇賞・秋、[[有馬記念]])
*[[キタノオーザ]](1960年菊花賞など重賞2勝)
*[[ホマレボシ]](1961年有馬記念など重賞5勝)
*[[ヒロキミ]](1962年菊花賞)

'''その他中央競馬重賞優勝馬'''
*トサモアー(1955年[[阪神ジュベナイルフィリーズ|阪神3歳ステークス]] 1956年[[神戸新聞杯|神戸杯]])
*キタノヒカリ(1956年[[朝日杯フューチュリティステークス|朝日杯3歳ステークス]])
*エドヒメ(1956年[[目黒記念|目黒記念・秋]])
*カツトシ(1958年[[ラジオNIKKEI賞|中山4歳ステークス]])
*リンデン(1958年[[京都4歳特別]])
*ヤマニン(1958年[[阪急杯|宝塚杯]] 1959年[[金鯱賞]])
*[[オータジマ]](1958年[[東京障害特別|東京障碍特別・秋]] 1959年[[中山大障害|中山大障碍・春]])
*ハルボー(1959年中山大障害・秋)
*マツカゼオー(1959年朝日杯3歳ステークス 1960年[[弥生賞]])
*カムイダケ(1960年[[京都大障害|京都大障碍・春]])
*モンテカルロ(1961年[[京成杯]])
*トサキング(1961年京都大障碍・春、中山大障碍・秋)
*ゴウユウ(1962年[[東京記念 (中央競馬)|東京記念]])
*ライトリア(1962年中山大障碍・秋)
*モトイチ(1962年[[阪神大賞典]] 1963年[[京都記念|京都記念・春]])
*ミストヨペット(1963年[[クイーンステークス]])
*トキノパレード(1964年京成杯、弥生賞)
*イサミリュウ(1965年[[アルゼンチン共和国杯|アルゼンチンジョッキークラブカップ]])
*ショウゲツ(1965年[[CBC賞]])
*ショウグン(1966年[[スプリングステークス]])
*ヒシヤクシン(1967年[[七夕賞]] 1968年[[日経賞|日本経済賞]])
*グリーンエース(1967年CBC賞)
*フェアブァイタル(1970年京都大障害・春)

'''その他地方競馬重賞優勝馬'''
*カブト(1955年[[全日本2歳優駿|全日本3歳優駿]]・[[大井競馬場|大井]] 1956年ゴールデンウエーブ記念・[[ホッカイドウ競馬|北海道]])
*[[イチカントー]](1957年新春盃・大井、[[報知オールスターカップ|川崎記念]]・[[川崎競馬場|川崎]]、金盃・大井、[[東京大賞典|秋の鞍]]・大井 1958年新春盃・大井、[[川崎記念|開設八周年記念]]・川崎 1959年開設九周年記念・川崎、川崎記念・川崎 1960年川崎記念・川崎)
*マルミドリ(1956年ローレルハンデキャップ・川崎)
*ヤグチホープ(1961年[[羽田盃|大井盃]]・大井、[[東京ダービー (競馬)|春の鞍]]・大井)
*トサボシ(1961年[[日本テレビ盃|NTV盃]]・[[船橋競馬場|船橋]])
*ダイサンキヨサチ(1962年[[桜花賞 (浦和競馬)|桜花賞]]・[[浦和競馬場|浦和]]、[[ゴールドカップ (浦和競馬)|ゴールドカップ]]・浦和)
*サチノワカサ(1963年農林大臣賞・[[高崎競馬場|高崎]])
*トウカイ(1964年織姫賞・[[足利競馬場|足利]])
*[[オリオンホース]](1964年[[報知オールスターカップ]]・川崎、[[東京大賞典]]・大井 1965年報知オールスターカップ・川崎)
*ヒガシモア(1966年報知オールスターカップ・川崎)
*ヒデミドリ(1966年[[ダイオライト記念]]・船橋)
*キンホウ(1966年農林大臣賞典・北海道)
*ローレライ(1967年桜花賞・浦和、[[関東オークス]]・川崎 1968年[[クイーン賞]]・船橋 1969年[[エンプレス杯|キヨフジ記念]]・川崎)
*アシヤフジ(1968年開設記念・川崎 1969年東京大賞典・大井)
*キタノオーカン(1969年黄金賞典・[[盛岡競馬場|盛岡]]、組合結成五周年記念・盛岡)
*タカエミドリ(1968年黒曜賞・北海道、地方競馬全国協会賞・北海道、郭公賞・北海道、道新杯・北海道)
*フジズイコウ(1970年大井記念・大井)
*トサエンド(1972年[[平和賞 (船橋競馬)|平和賞]]・船橋)
*サチヒビキ(1972年[[東京記念|東京オリンピック記念]]・大井)
*メイジミドリ(1973年NTV盃・船橋)
*ケンハッピー(1974年[[東海菊花賞]]・[[名古屋競馬場|名古屋]])

=== 母の父としての主な産駒 ===
※八大競走優勝馬のみ記載する。
*[[アイテイオー]](1963年[[優駿牝馬]]。父[[ハロウェー]])
*[[ハツユキ]](1965年[[桜花賞]]など重賞2勝。父[[ソロナウェー]])
*[[タマミ]](1970年桜花賞など重賞5勝。父カリム)
*[[ダテテンリュウ]](1970年菊花賞など重賞2勝。父[[ウイルデイール]])
*[[オヤマテスコ]](1978年桜花賞。父[[テスコボーイ]])
*[[カシュウチカラ]](1979年天皇賞・春など重賞5勝。父[[カバーラップ二世]])


== 血統表 ==
== 血統表 ==
{{競走馬血統表
{{競走馬血統表
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|inf = ([[ブランドフォード系]] / White Eagle・Lesterlin 4×5=9.38%、St. Simon 5×4=9.38%、Melton 5×5=6.25%、[[ガロピン|Galopin]] 5×5=6.25%)
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|}}
|}}

== 関連項目 ==
*[[クリノハナ]]、[[ハクリヨウ|ハクリョウ]] - 同じプリメロ産駒の名種牡馬。トサミドリと共に「プリメロ御三家」と称された<ref name="kikan" />。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}

=== 出典 ===
{{Reflist}}
{{Reflist}}

== 参考文献 ==
*[[白井透]](編)『日本の名馬』(サラブレッド血統センター、1971年)
**草間好夫「トサミドリ」
*藤野広一郎『懐かしき名馬たち - ちょっと昔の名馬物語』(コスモヒルズ、1992年)ISBN 978-4877038090
*『[[丸 (雑誌)|丸]]』2巻5号([[潮書房]])
**泉壮一郎「名馬トサミドリ」
*『優駿』1990年7月号(日本中央競馬会)
**福田喜久男「名種牡馬を選ぶ眼 - 稗田実さん」
*『季刊名馬』1995年秋号(緑書房)
**河原千津子「花火のように散ったプリメロ系と、今も脈打つトサミドリの血」


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==

2015年6月6日 (土) 00:46時点における版

トサミドリ
トサミドリ(菊花賞優勝時)
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1946年5月20日
死没 1970年8月8日
(24歳没・旧25歳)
プリメロ
フリッパンシー
母の父 フラムボヤント
生国 日本の旗 日本青森県七戸町
生産者 盛田牧場
馬主 斎藤健二郎
調教師 望月与一郎(札幌
→稗田虎伊(札幌)
競走成績
生涯成績 31戦21勝
獲得賞金 549万4060円
テンプレートを表示

トサミドリ(1946年5月20日 - 1970年8月8日)は、日本競走馬種牡馬

1948年に国営競馬でデビュー。翌1949年春に皐月賞に優勝、東京優駿(日本ダービー)でも大本命に推されたが7着と敗れ、19番人気のタチカゼ優勝という空前の大波乱を招く一因となった。その後は菊花賞を含む11連勝を遂げるなどした。通算成績はレコード勝利10回を含む31戦21勝。1952年より種牡馬となり、7頭の八大競走優勝馬を含む数々の重賞勝利馬を輩出。産駒が中央競馬で挙げた1135勝は2011年に更新されるまで国産種牡馬による最多記録であった。1984年、JRA顕彰馬に選出。

経歴

生い立ち

太平洋戦争終結翌年の1946年、青森県七戸町盛田牧場に生まれる。この秋には戦争中に休止されていたが競馬が再開されるという時勢の最中であった。父プリメロは1934年にアイリッシュダービーアイリッシュセントレジャーに優勝、1935年に小岩井農場により当時6万円という高額をもって種牡馬として導入され、この翌年に産駒が五大クラシックの完全制覇を達するなど名種牡馬として知られていた。母フリッパンシーも小岩井農場による輸入馬で、帝室御賞典優勝馬タイホウ、日本競馬史上初の三冠馬セントライト八大競走2勝のクリヒカリ(アルバイト[注 1])らを輩出する優秀な成績を残していたが、小岩井農場の馬産からの撤退に伴い[1]、前年秋に本馬を受胎した状態で盛田牧場へ売却されていた[2]

2歳春に札幌競馬場(国営競馬)所属の調教師・望月与一郎に購買され、のち北海道でデンプン製造業を営む斎藤健二郎の所有馬となった[3]。2歳秋からは北海道静内町の静内牧場で馴致・育成され、競走年齢の3歳に達した1948年春、望月の管理下へ入った[3]

競走馬時代

1948年9月、札幌開催で初出走を迎えたトサミドリは5頭立て3番人気という評価であったが、スタートからの逃げきり、レコードタイムでの初戦勝利を挙げた[4]。続く優勝戦では前走退けたキャプテンオーにクビ差負けて2着となったが、12月の東京開催では初日に勝利を挙げたのち、当時の3歳王者戦と見なされていた3歳ステークスに出走。中団の位置から最終コーナーで一度後退しながらも、最後の直線で追い込み、初戦に続くレコードタイムで優勝を果たした[4]

翌1949年、トサミドリはクラシック競走を控え、3月の東京開催から復帰。ここから騎手は浅野武志が務める。初戦はミナミホープにハナ差敗れたが、以降レコード勝ちひとつを含む3連勝を挙げ、5月1日にクラシック初戦・皐月賞を迎えた。単勝1.5倍の1番人気に支持されたトサミドリは、先行争いを経て残り800メートル地点で先頭に立つと、ミナミホープに2馬身差を付けて優勝した[5]。なお、この競走はこれ以降定着する中山開催での最初の皐月賞であったが、施行距離は1950メートルという変則的なものだった[5]。皐月賞優勝は兄セントライト、クリヒカリに続くもので、3兄弟での同一クラシック競走制覇は史上唯一の例である。

続くオープン戦にも勝利し連勝を5と伸ばしたのち、6月5日に日本ダービーを迎える。トサミドリは単勝支持率55.78パーセント、オッズは1.4倍の1番人気に支持された。浅野トサミドリはスタートから逃げを打ち、向正面では後続に大きな差を付けて先頭を保っていたが、第3コーナー手前から脚が鈍りはじめ、最後の直線では完全に失速して7着と敗れた[6]。勝ったのは19番人気、単勝オッズ554.3倍のタチカゼで、ダービー史上最高の大波乱となった[7]。また第3コーナーではミネノマツが落馬、その煽りを受けた桜花賞ヤシマドオターが内ラチを飛び越えて競走を中止し、さらにコマオーも落馬するという事故もあった[6]

引き上げてきた浅野は、担当厩務員の伊藤英雄に「あまりにも惨めな負け方で申し訳ない」と落涙しながら詫びたといわれる[8]。浅野は競走内容について「先行したのは作戦だった。しかし、第1コーナーで内からテツオー、外からカネフブキに競り掛けられたとき、馬がいきり立ってどうにも抑えることができなくなった」と「大逃げ」の理由を説明した[8]。また裂蹄気味で調教が思うように進んでいなかったトサミドリは、競走2日前に朝と昼の2回調教を掛けられており、結果としてそれがオーバーワークになっていたともされる[8]

ダービー翌週、3歳時に騎乗した田中康三を背に4歳特別をレコード勝ちしたトサミドリは、再び連勝を始める。8月の函館開催からは騎手が浅野に戻り、66キログラムの斤量を負ってレコードで勝利、10月にはクラシック三冠最終戦・菊花賞に備えて西下し、前哨戦の特ハンでは2着に5馬身差を付けて勝利。11月3日に迎えた菊花賞では1番人気の支持を受けると、スタートからの逃げきりで2着キングライトに2馬身差をつけてクラシック二冠を制した[9]。またこれは皐月賞に続きセントライトとの兄弟制覇となった。

2週間後には兄の名を冠したセントライト記念に勝利、さらに12月の阪神開催からは、それぞれ69kg、71kg、62kgという斤量を負いながら3戦連続のレコード勝利を挙げた。翌1950年4月のオープン戦勝利をもって、クリフジに並ぶ11連勝を達成。しかし同月16日に出走した京都記念では75kgという斤量を負い、5着と敗れた。このとき次点の斤量を負わされた馬とは10kgの差があり、勝ったニシタップとは21kg差があった[9]。続くオープン戦でも同斤量を負わされ、64kgのタチカゼにクビ差敗れ連敗する[9]

その後、9月に札幌記念を制したのち11月3日に天皇賞(秋)へ出走。1番人気に支持された。レースでは4~5番手を進んで最後の直線に入ったが、残り150メートル地点で急激に斜行してきたエゾテツザンに押圧され、転倒、競走中止という結果に終わった[9]。2位入線のエゾテツザンは失格となった[9]。この秋はさらに毎日王冠目黒記念に出走したが、最終コーナーで好位につけては直線で失速するという内容を繰り返し、勝利を挙げることはなかった[9]

6歳となった1951年には、望月厩舎から稗田敏男厩舎へと移籍し、天皇賞制覇を目指して現役を続行する[9]。移籍後緒戦の東京盃ではハタカゼを退けて通算10回目のレコード勝利を挙げる。4月に天皇賞(春)に出走し、ハタカゼに次ぐ2番人気となったが、タカクラヤマに3馬身差をつけられての2着に終わった。その後、11月に天皇賞(秋)へ直接出走したが、5頭立ての最下位に終わり、これを最後に競走生活から退いた。

種牡馬時代

トサミドリは種牡馬として北海道静内町の稗田牧場で繋養された[9]。セントライトの弟ということもあり当初から期待は高く、馬運車がなかった当時にあって遠方からも交配希望者が訪れ、トサミドリが相手先へ送られ出張交配を行うこともあった[10]

初年度産駒からキタノオーとトサモアーが東西の3歳王者となり、3歳種牡馬ランキングの1位を獲得[11]。1956年には両馬が菊花賞で1、2着を占めるなどし、総合ランキング6位に付けた[11]。1955年には1年のみ故郷・盛田牧場で繋養されたが、ここで生まれたコマツヒカリはトサミドリが勝てなかった日本ダービーを制した[11]。ほか1959年にはガーネットが牝馬ながら天皇賞(秋)と有馬記念を制覇した。

1950年代には戦後禁止されていた繁殖馬の輸入が解禁されており、ライジングフレームヒンドスタンといった外国産種牡馬が続々と導入されたが、トサミドリはこれらに互して活躍馬を出し[10]、リーディングサイアー獲得はならなかったものの、1958年、1959年の2位を最高として、1956年から1965年までベストテンの位置を保ち続けた[11]。長距離血統として知られるブランドフォード系、母の父フラムボヤントも長距離競走のドンカスターカップグッドウッドカップの優勝馬という重厚な血統背景を持っていたにもかかわらず、トサミドリ自身がそうであったように産駒は3歳戦から活躍し、優れたスピードとスタミナを兼備していた[10]。トサミドリは遺伝力が非常に強く、どんな牝馬と交配しても自身に似た子を出し、産駒はその姿がトサミドリに似ていれば似ているほど活躍したという[10]障害競走にも強く、5頭の中山大障害優勝馬を輩出、またダートでも地方競馬南関東北海道で活躍馬が続出した[10]ブルードメアサイアー(母の父)としても5頭のクラシック優勝馬と1頭の天皇賞馬を輩出している[10]。1960年代後半以降、輸入種牡馬に押されて内国産種牡馬が冷遇されていくなかで後継種牡馬は育たなかったが、母系にその血を残した[10]

1970年初頭よりトサミドリは老衰の兆しがみえはじめ、この年6頭への種付けを行ったのが種牡馬として最後の活動となった[2]。同年8月8日、稗田牧場で老衰により死亡。25歳没。産駒が中央競馬で挙げた通算1135勝は、2011年5月にフジキセキに更新されるまで内国産種牡馬の最多勝利記録であった[12]。1984年、JRA顕彰馬制度が発足し、トサミドリは兄セントライトら9頭と共に中央競馬の殿堂に加えられた。

なお、稗田牧場で生涯トサミドリの世話を続けた稗田実は、その姿を写真で記録し続けながら相馬眼を培った。その見識に基いて稗田が日本へ導入した種牡馬には、ハードバージビクトリアクラウンらの父ファバージオグリキャップの父ダンシングキャップスーパークリークの父ノーアテンションらがいる[13]

競走成績

年月日 レース名 頭数 人気 着順 距離(状態 タイム 騎手 斤量 勝ち馬/(2着馬)
1948 9. 11 札幌 初出走 5 3 1着 1000m(良) R1:03.2 小溝秋義 51 (キャプテンオー)
9 26 札幌 三歳受賞馬 8 2 2着 1200m(稍) 小溝秋義 51.5 キャプテンオー
12. 4 東京 三歳 5 2 1着 1200m(稍) 1:16.2 田中康三 51 (トサノボル)
12. 19 東京 三歳ステークス 10 1 1着 1200m(稍) R1:14.4 田中康三 51 (トサノボル)
1949 3. 12 東京 四歳新馬 3 1 2着 1600m(良) 浅野武志 55 ミナミホープ
3. 15 東京 四歳新馬 6 1 1着 1200m(重) 1:17.2 浅野武志 55 (キタヒカリ)
3. 27 東京 四歳特別 7 1 1着 1600m(良) R1:40.2 浅野武志 57 (トサノボル)
5. 1 中山 四歳 4 1 1着 1800m(良) 1:59.3 浅野武志 57 (ニューファンター)
5. 3 中山 皐月賞 11 1 1着 1950m(良) 2:05.0 浅野武志 57 (ミナミホープ)
5. 15 東京 四歳 5 1 1着 2000m(良) 2:07.4 浅野武志 61 (テツオー)
6. 5 東京 東京優駿 23 1 7着 2400m(良) 浅野武志 57 タチカゼ
6. 12 東京 四歳特別 7 1 1着 1800m(良) 1:52.1 田中康三 54 (テツオー)
7. 17 札幌 四歳 7 1 1着 1800m(良) R1:55.3 野平祐二 63 (モノポリー)
8. 27 函館 特ハン 9 2 1着 1980m(良) R2:06.2 浅野武志 66 (ヒロノボリ)
9. 4 函館 優勝四歳以上 6 1 1着 2200m(良) 2:28.1 浅野武志 65 (ヒロノボリ)
10. 15 京都 特ハン 6 1 1着 2200m(良) 2:21.0 浅野武志 61 (アスカヤマ)
11. 3 京都 菊花賞 6 1 1着 3000m(良) 3:14.3 浅野武志 57 (キングライト)
11. 20 東京 セントライト記念 5 1 1着 2400m(稍) 2:37.4 浅野武志 61 (コマオー)
12. 4 阪神 四歳 4 1 1着 2000m(不) R2:21.0 浅野武志 69 (トシヒカリ)
12. 17 阪神 四歳特ハン 6 1 1着 2400m(稍) R2:44.2 浅野武志 71 オーエンス
1950 1. 8 中山 金盃 5 1 1着 2400m(良) R2:47.4 浅野武志 62 (エゾテツザン)
4. 2 京都 五歳以上 5 1 1着 2000m(重) 2:08.4 浅野武志 74 (ホウシュウ)
4. 16 京都 京都記念(春) 7 1 5着 3000m(良) 浅野武志 75 ニシタップ
4. 29 阪神 五歳以上 4 2 2着 2000m(良) 浅野武志 75 タチカゼ
9. 3 札幌 札幌記念 8 1 1着 2400m(良) 2:34.0 浅野武志 70 (トーアノフジ)
11. 3 東京 天皇賞(秋) 10 1 落馬 3200m(稍) 浅野武志 58 ヤシマドオター
11. 12 東京 毎日王冠 9 1 4着 2500m(稍) 田中康三 58 ハタカゼ
11. 23 東京 目黒記念(秋) 7 3 7着 2500m(稍) 田中康三 68 クニハタ
1951 4. 22 東京 東京盃 5 1 1着 2400m(稍) R2:30.2 田中康三 53 (ハタカゼ)
5 5 京都 天皇賞(春) 7 2 2着 3200m(良) 田中康三 60 タカクラヤマ
11. 11 京都 天皇賞(秋) 5 3 5着 3200m(良) 大久保末吉 60 ハタカゼ
  1. 出典:『日本の名馬』、『日本の名馬・名勝負物語』。各競走名は前者に準じている。
  2. 競走名太字は八大競走
  3. タイム欄Rはレコードタイムを表す。

種牡馬成績

年度別成績は『日本の名馬』、産駒競走成績はJBISサーチ「トサミドリ」種牡馬情報ページより。

勝利 順位 収得賞金
頭数 回数
1955年 7 20 17 393万0000円
1956年 13 33 6 955万0000円
1957年 27 58 6 1437万0000円
1958年 34 108 2 2960万7000円
1959年 36 109 2 4149万0000円
1960年 37 94 3 3518万0000円
1961年 32 83 4 4293万0000円
1962年 35 94 3 6085万0000円
1963年 44 86 5 4655万0000円
1964年 38 68 7 3912万7700円
1965年 36 79 3 6176万5750円
1966年 27 52 19 4853万9850円
1967年 25 58 11 6720万0000円
1968年 28 48 18 1億2836万0000円
1969年 27 47 15 2億2131万0000円

主な産駒

八大競走優勝馬

その他中央競馬重賞優勝馬

その他地方競馬重賞優勝馬

母の父としての主な産駒

※八大競走優勝馬のみ記載する。

血統表

トサミドリ血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ブランドフォード
[§ 2]

*プリメロ
Primero
1931 鹿毛
父の父
Blandford
1919 黒鹿毛
Swynford John o'Gaunt
Canterbury Pilgrim
Blanche White Eagle
Black Cherry
父の母
Athasi
1917 鹿毛
Farasi Desmond
Molly Morgan
Athgreany Galloping Simon
Fairyland

*フリッパンシー
Flippancy
1924 黒鹿毛
Flamboyant
1918 鹿毛
Tracery Rock Sand
Topiary
Simonath St.Simon
Philomath
母の母
Slip
1909 黒鹿毛
Robert Le Diable Ayrshire
Rose Bay
Snip Donovan
Isabel F-No.22-b
母系(F-No.) 22号族(FN:22-b) [§ 3]
5代内の近親交配 St.Simon 4×5、 Melton 5×5 [§ 4]
出典
  1. ^ JBISサーチ トサミドリ 5代血統表2015年5月30日閲覧。
  2. ^ netkeiba.com トサミドリ 5代血統表2015年5月30日閲覧。
  3. ^ JBISサーチ トサミドリ 5代血統表2015年5月30日閲覧。
  4. ^ JBISサーチ トサミドリ 5代血統表2015年5月30日閲覧。


関連項目

脚注

注釈

  1. ^ アルバイトの名で横浜農林省賞典四歳呼馬を勝ったのち、別馬主に譲渡されクリヒカリと改名された。

出典

  1. ^ 希代の名馬 トサミドリ”. 日本中央競馬会. 2015年6月3日閲覧。
  2. ^ a b 『日本の名馬』pp.112-114
  3. ^ a b 『丸』2巻5号、pp.20-22
  4. ^ a b 『日本の名馬』p.100
  5. ^ a b 『日本の名馬』p.101
  6. ^ a b 『日本の名馬』pp.102-103
  7. ^ 『優駿』2001年6月号、p.103
  8. ^ a b c 藤野(1992)p.28
  9. ^ a b c d e f g h 『日本の名馬』pp.106-108
  10. ^ a b c d e f g h 『季刊・名馬』1995年秋号、pp.20-21
  11. ^ a b c d 『日本の名馬』pp.109-111
  12. ^ フジキセキ産駒JRA通算勝利数単独7位に”. Sponichi Annex (2011年5月8日). 2015年5月30日閲覧。
  13. ^ 『優駿』1990年7月号、p.51

参考文献

  • 白井透(編)『日本の名馬』(サラブレッド血統センター、1971年)
    • 草間好夫「トサミドリ」
  • 藤野広一郎『懐かしき名馬たち - ちょっと昔の名馬物語』(コスモヒルズ、1992年)ISBN 978-4877038090
  • 』2巻5号(潮書房
    • 泉壮一郎「名馬トサミドリ」
  • 『優駿』1990年7月号(日本中央競馬会)
    • 福田喜久男「名種牡馬を選ぶ眼 - 稗田実さん」
  • 『季刊名馬』1995年秋号(緑書房)
    • 河原千津子「花火のように散ったプリメロ系と、今も脈打つトサミドリの血」

外部リンク