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{{混同|ゲーム研究}}
[[ファイル:Day 4- A chessboard (8433241361).jpg|サムネイル|右|[[チェス盤]]。ゲーム理論が誕生する遥か以前、経済学の祖[[アダム・スミス]]は主著『[[道徳情操論]]』([[1759年]])において人間社会を「偉大なチェス盤」に喩えていた(第6部「有徳の性格について」){{Sfn|岡田|2007a}}。]]
{{JEL code|C7}}
{{経済学のサイドバー}}
{{経済学のサイドバー}}
'''ゲーム理論'''(ゲームりろん、{{Lang-en-short|game theory}})とは、[[経済]]や[[社会]]における複数主体が関わる[[意思決定]]の問題や行動の相互依存的状況を数理的なモデルを用いて研究する学問である{{Sfn|岡田|2011|p=ii}}{{sfn|ギボンズ|1995|p=i}}{{Refnest|group="†"|[[アメリカ経済学会]]が出版する ''Journal of Economic Literature'' において採用されている[[JEL分類コード]]によれば、ゲーム理論は「[[交渉理論]]」({{lang-en-short|bargaining theory}})と並んで'''C7'''に分類されている<ref>外部リンク[https://www.aeaweb.org/jel/guide/jel.php JEL Classification Code Guide]。[[アメリカ経済学会]]による[[JEL分類コード]]の解説。</ref>。}}。[[数学者]][[ジョン・フォン・ノイマン]]と[[経済学者]][[オスカー・モルゲンシュテルン]]の共著書『ゲームの理論と経済行動』([[1944年]]) によって誕生した<!--
'''ゲーム理論'''(ゲームりろん、{{Lang-en-short|Game theory}})は[[意思決定|戦略的意思決定]]に関する理論であり、より一般的には「合理的な意思決定者間の紛争と協力の[[数理モデル]]」を研究する[[応用数学]]の一分野である<ref>[[ロジャー・マイヤーソン]] ''Game Theory: Analysis of Conflict'' Harvard University Press, p. [http://books.google.com/books?id=E8WQFRCsNr0C&printsec=find&pg=PA1 1]. Chapter-preview links, pp. [http://books.google.com/books?id=E8WQFRCsNr0C&printsec=find&pg=PR7 vii–xi].</ref><ref>[[ロバート・オーマン]] ''The New Palgrave Dictionary of Economics'', 2nd Edition. [http://www.dictionaryofeconomics.com/article?id=pde2008_G000007&q=game%20theory&topicid=&result_number=3 Abstract.]</ref>。
2011年から2013年頃までの間、「ゲーム理論は経済学とは無関係に数学者の手によって生まれた。ゲーム理論は数理経済学ではなく純粋数学である。」という旨の主張がIP利用者の方を中心によって繰り広げられて編集合戦が起きていたようなので、ゲーム理論の誕生年に関してやや詳しめに出典を付けております。出典の多さに見苦しさを感じられた方もおられるかもしれませんが、ご了承ください。
--><ref name="prize1994">外部リンク[http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/economic-sciences/laureates/1994/press.html The Prize in Economics 1994] (ノーベル経済学賞選考委員会によるナッシュ、ハルサニ、ゼルテンらの業績の紹介。2016年8月14日最終閲覧。)</ref>{{Sfn|岡田|2011|p=2}}{{Sfn|鈴木|2014|pp=83-84}}{{Sfn|武藤|2011|pp=1-2}}{{Sfn|Tadelis|2013|p=19}}{{Sfn|小原|2015}}<ref>外部リンク[http://plato.stanford.edu/entries/game-theory/ "Game Theory"](英語サイト)、[[スタンフォード哲学百科事典]]の「ゲーム理論」の項目。2016年9月1日最終閲覧。</ref>{{Refnest|group="†"|ただし、[[1928年]]にゲーム理論が誕生したとする見方もある{{Sfn|鈴木|1999|p=236}}。1928年は、フォン・ノイマンが論文「社会的ゲームについて({{lang-de-short|"Zur Theorie der Gesellschaftsspiele"}})」を発表し、モルゲンシュテルンが著書『経済予見ー仮定とその可能性についての考察({{lang-de-short|''Eine untersuchung ihre Voraussetzungen und Moglichkeiten''}})』を刊行した年である。}}。元来は主流派経済学([[新古典派経済学]])への批判を目的として生まれた理論であったが{{Sfn|岡田|2011|p=13}}、[[1980年代]]に[[非協力ゲーム理論]]が急速に発展したのを機に経済学者の間にも広く浸透し、以来[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の代表的大学院では[[ミクロ経済学]]の必修講義の半分をもゲーム理論の教育に充てられるまでに至った{{Sfn|神取|1994}}。


ゲーム理論の対象はあらゆる'''ゲーム的状況''' ({{lang-en-short|game situations}}) である{{Refnest|group="†"|「ゲーム的状況」とは、複数の意思決定主体または行動主体が存在し、それぞれの目的の実現を目指して相互に依存し合っている状況を意味する{{Sfn|岡田|2011|p=2}}。「戦略的環境({{lang-en-short|''strategic environment''}})」と呼ばれることもある{{sfn|奥野|2008|pp=188-189}}。}}。ゲーム的状況の問題構造は経済学ばかりでなく、[[政治学]]、[[経営学]]、[[社会学]]、[[哲学]]、[[心理学]]、[[生物学]]、[[工学]]、[[オペレーションズ・リサーチ]]、[[コンピュータ科学]]などのさまざまな学問分野に見出されるものであり、ゲーム理論はこれらの学問分野を横断する学際的で総合的な理論の一つである{{Sfn|岡田|2011|p=2}}。
== 概要 ==
ゲーム理論の始まりは[[エルンスト・ツェルメロ]]による集合論によるボードゲームの[[チェス]]の分析に始まる。さらに、[[エミール・ボレル]]も[[ジョン・フォン・ノイマン|フォン・ノイマン]]に先駆けて[[ゼロ和]]2人ゲームを研究していた。ゲーム理論の発展に最初の飛躍をもたらした[[ジョン・フォン・ノイマン|フォン・ノイマン]]はゲーム理論の枠組みを以下のように体系化し、さらにそれらについて[[Well-defined]]な数学的意味づけを与えた。


== 枠組み ==
* ゲームを支配するルール
=== 協力ゲームと非協力ゲーム ===
* ゲームにおける目的達成に向けた行動(戦略)の[[意思決定]]を行う主体(プレイヤー)
{{main|1=協力ゲーム|2=非協力ゲーム}}
* プレイヤーの選択可能な行動(戦略)
ゲーム理論は、複数のプレイヤーが拘束力のある合意を結ぶ状況を扱う[[協力ゲーム理論]]({{lang-en-short|''cooperative game theory''}})と個々のプレイヤーが独立に行動する状況を扱う[[非協力ゲーム理論]]({{lang-en-short|''noncooperative game theory''}})とに分けられる{{Sfn|小原|2015}}。両者の区別は以下の表によって要約される。
* プレイヤーの意思決定を左右する情報


{| class="wikitable"
以下は上記の体系化されたゲーム理論の数学的意味づけである(各要素は前述の4つの定義に対応している)。ゲーム理論で扱われる対象は現在でも以下意味付けがWell-definedであることを前提としていることが多い。
|+ 協力ゲームと非協力ゲーム{{Refnest|group="†"|{{Harvnb|岡田|1989|loc=表2.1}}を元に作成。}}
! !! [[協力ゲーム]] !! [[非協力ゲーム]]
|-
! style="white-space:nowrap" | ゲームの前提
| プレイヤー間で'''拘束力のある合意'''が可能 || プレイヤー間で拘束力のある合意が不可能
|-
! style="white-space:nowrap" | 分析対象の単位
| 複数のプレイヤーから成る'''提携''' || '''個々のプレイヤー'''による行動
|-
! style="white-space:nowrap" | 表現形式
| [[提携形ゲーム]]、[[戦略形ゲーム]] || [[展開形ゲーム]]、[[戦略形ゲーム]]
|-
! style="white-space:nowrap" | 解の概念
| [[安定集合]]、[[コア (ゲーム理論)|コア]]、[[交渉集合]]、[[仁(ゲーム理論)|仁]]、[[シャープレー値]]、[[カーネル (ゲーム理論)|カーネル]]など || [[ナッシュ均衡]]、[[支配戦略|支配戦略均衡]]、被支配戦略逐次排除均衡{{Sfn|芹澤|2007a}}、[[サブゲーム完全均衡]]、[[進化的に安定な戦略]]など
|}


協力ゲームと非協力ゲームの区別は[[ジョン・ナッシュ]]が[[1951年]]に発表した「非協力ゲーム{{Sfn|Nash|1951}}」という論文の中で初めて定義された{{Sfn|岡田|1989}}{{Sfn|武藤|2011|p=3}}。ナッシュの定義によれば、協力ゲームではプレイヤー間のコミュニケーションが可能でありその結果生じた合意が拘束力を持つのに対して、非協力ゲームではプレイヤーがコミュニケーションをとることが出来ず合意は拘束力を持たない{{Sfn|岡田|1989}}。このように当初は'''プレイヤー間のコミュニケーション'''と'''拘束力のある合意'''({{lang-en-short|''enforceable agreement''}})の有無によって協力ゲームと非協力ゲームとが区別されていたが、非協力ゲームの研究が進展するにつれてこのような区別は不十分なものとなった。すなわち、[[1970年代]]に非協力ゲームを「[[展開形ゲーム|展開形]]」で表現する理論が発達したことによって、非協力ゲームにおけるプレイヤー間のコミュニケーションが情報集合として記述・考察できるようになったため、コミュニケーションの有無が協力ゲーム・非協力ゲームの定義にとって重要ではなくなったのである{{sfn|岡田|1989}}。したがって、協力ゲームと非協力ゲームの区別で重要なのは拘束力のある合意が可能であるか否かであり、[[ジョン・ハルサニ]]と[[ラインハルト・ゼルテン]]{{Sfn|Harsanyi|Selten|1988}}による「非協力ゲームはその展開形表現の中に明示的に記述されているものを除いてはプレイヤー間で拘束力のある合意が可能でないゲームである。協力ゲームは展開形表現の中に記述されていなくてもプレイヤー間の拘束力のある合意が可能なゲームである。」という定義が一般的に受け入れられるようになった{{Sfn|岡田|1989}}。
* プレイヤーおよびゲーム全体の制約条件
* プレイヤーの[[集合]]
* 各プレイヤーのとりうる行動の集合
* 各プレイヤーの行動の関数となる利得集合


ただし、現実の相互依存的な戦略的状況そのものが協力ゲームと非協力ゲームとに分類可能な訳ではない。[[国際政治]]における国家間の相互依存関係を想起すれば容易に理解できるように、現実社会の多くの状況においてそれぞれの枠組みによる分析可能性が混在している{{Sfn|岡田|1989}}。また、「協力ゲームがプレイヤー間の協力や協調関係を分析し、非協力ゲームがプレイヤー間の対立や競争を分析する」という理解がしばしばなされるが誤りであり{{Sfn|岡田|2011|p=6}}、両者の違いは分析対象のプレイヤーの提携レベルか単位が個々のプレイヤーレベルかの違いである{{Sfn|岡田|2011|p=8}}。
例えば、[[チェス]]のようなゲームならば、対局する2名のプレイヤーがおり、各プレイヤーは盤上の駒がとることのできる全ての動きを計算可能で、かつ双方とも盤上の駒の配置情報を全て知ることが可能な環境にあり、偶発的な事象は起こりえない。以上がルールとして特徴付けられることになる。


このように両者の区別は決して明確ではなく、非協力ゲームの理論を用いて協力ゲームの問題を説明しようとする一群の研究([[ナッシュ・プログラム]])も存在する {{Sfn|岡田|2011|p=7}}。プレイヤー間の協力が実現するまでの交渉プロセスを展開形ゲームとして記述することによって非協力ゲームとして分析することが可能であり、非協力ゲームの枠組みを用いて協力の問題を分析することによって、単に協力の結果としてどのような状態が実現するかだけでなく協力が成立するためにどのような条件が必要か等といった問題も考察される{{Sfn|岡田|1989}}。このような意味において非協力ゲーム理論は協力ゲーム理論の基礎であるということができる{{Refnest|group="†"|ただし[[マルティン・オズボーン]]や[[アリエル・ルービンシュタイン]]のように、一方の理論がもう一方の理論よりも「基礎的」であるという考え方に対して否定的な見解を示しているゲーム理論家も存在する{{Sfn|Osborne|Rubinstein|1994|p=3}}。}}。
ゲーム理論の分析は、基本的にこのような戦略的な状況における未来の行動を予測したり、過去の行動を客観的に評価することを目的としている。つまりゲーム理論とは、あるルールのもとで各プレイヤーがとると考えられる最適な行動の[[組合せ]]の解を求めることである。


ただし、[[1980年代]]における非協力ゲーム理論の急激な進歩に伴って、協力ゲーム理論の経済分析における重要性は大きく低下し{{Sfn|神取|1994|p=25}}、「協力ゲームなど無意味だ」と主張する経済学者まで現れたと言われている{{Sfn|鈴木|2011|pp=201-203}}。
ゲーム理論の分析では、各プレイヤーの行動が相互の利害に影響することを考慮しなければならない。つまり、プレイヤーAはある行動を選択する前に、自分の利益を最大にするためには相手のプレイヤーBが敵対的な行動に出ることを考慮しなければならない。


=== ゲームの表現形式 ===
ゲーム理論にはいくつかの主要な分類があり、以下はその一例である。
{{main|1=標準形ゲーム|2=展開形ゲーム|3=提携形ゲーム}}
* プレイヤー間の関係を表現する用語として各プレイヤーが相談することなく自己決定のみによって行動する[[非協力ゲーム]](non-cooperative game)と互いに相談を通じて行動を規制しあう[[協力ゲーム]](cooperative game)
{| class="wikitable" style="float:right; margin-left:1em"
* プレイヤーが行動を一回だけ選択して終了する一段階ゲーム(one-stage game)と複数の段階にわたって選択がなされる多段階ゲーム(multi-stage game)
|- style="text-align:center"
* ゲームにおいて全ての一連の行動を戦略と呼ぶが、プレイヤーが採る戦略の数が有限である有限ゲームと戦略が有限とは言い切れない無限ゲーム
| style="background-color:#dcdcdc" | 分析単位
* 情報を参照することが可能である完全情報ゲーム、情報を参照することが可能とは言い切れない不完全情報ゲーム
| style="width:5em" colspan="2" | [[協力ゲーム]]
ゲーム理論はこのような表現方法でプレイヤー間の情報構造や意思決定、利害関係、協力関係を数学的に表現することを可能としている。また、伝統的なボードゲームや近年のボードゲーム、コンピュータゲーム等のいわゆる「ゲーム」を分類・研究するツールとしても有用であり、たとえば「チェスなど伝統的なボードゲームの多くが[[二人零和有限確定完全情報ゲーム]]である」といったように使われる。
| style="white-space:nowrap" colspan="2" | [[非協力ゲーム]]
|- style="text-align:center"
| style="background-color:#dcdcdc" | 表現形式
| style="width:3em" | [[提携形ゲーム|提携形]]
| style="width:3em" colspan="2" | [[戦略形ゲーム|戦略形]]
| style="width:3em" | [[展開形ゲーム|展開形]]
|}
ゲームの代表的な表現形式として、[[戦略形ゲーム|戦略形]]、[[展開形ゲーム|展開形]]、[[提携形ゲーム|提携形]]の3つが挙げられる。[[協力ゲーム]]は[[提携形ゲーム]]と[[戦略形ゲーム]]という2種類の表現形式によって定式化され、[[非協力ゲーム]]は[[戦略形ゲーム]]と[[展開形ゲーム]]という2種類の表現形式によって定式化される{{Sfn|岡田|2011|p=329}}{{Sfn|岡田|1989|loc=2.1}}。

'''戦略形ゲーム'''({{lang-en-short|''games in strategic form''}})は(1)'''プレイヤー'''の集合<math>N := \{1,..., n\} </math>、(2)各プレイヤー<math>i \in N</math>にとって選択可能な'''戦略'''の集合<math>S_i</math>、(3)各プレイヤーの'''利得関数'''<math>f_i\colon \times_{k\in N}S_k \to \mathbb{R}</math>{{Refnest|group="†"|name="relation"|利得関数の組<math>\{f_i\colon \times_{k\in N}S_k \to \mathbb{R}\}_{i\in N}</math>の代わりに[[選好関係]]の組<math>\{\succsim_i\}_{i\in N}\subseteq (\times_{k\in N} S_k)^2</math>を用いて戦略形ゲームを定義する場合もある{{Sfn|Osborne|Rubinstein|1994|p=11}}。選好関係について'''合理性'''({{lang-en-short|rationality}})などの適当な公理が仮定されるとき、その選好関係と等しい情報を持つ利得関数が存在するため、合理性などの標準的な仮定の下では利得関数と選好関係のどちらを用いて戦略形ゲームを定義しても本質的な違いはない{{Sfn|Osborne|Rubinstein|1994|p=4}}。}}、の組<math>G := (N, \{S_i\}_{i \in N}, \{f_i\}_{i\in N} )</math>によって定義される{{Sfn|岡田|2011|p=20}}{{Refnest|group="†"|戦略形ゲームは'''標準形ゲーム'''({{lang-en-short|''games in normal form''}})とも呼ばれる。この「標準形ゲーム」という用語法は{{Harvnb|von Neumann|Morgenstern|1944}}によるものとされている{{Sfn|Osborne|Rubinstein|1994|p=10}}。}}。なお、戦略集合の組<math>\{S_i\}_{i \in N}</math>にはプレイヤー集合<math>N</math>の情報が含まれているため、プレイヤー集合を明記せずに<math>G := (\{S_i\}_{i \in N}, \{f_i\}_{i\in N} )</math>によって戦略形ゲームを定義する場合がある{{Sfn|ギボンズ|1995|p=4}}。さらに戦略集合の組<math>\{S_i\}_{i \in N}</math>は[[定義域]]として利得関数の組<math>\{f_i\}_{i\in N}</math>にその情報が含まれているため、<math>G := \{f_i\}_{i\in N}</math>によって戦略形ゲームを定義する場合もある{{Sfn|宇井|2005}}。
{| class="wikitable" style="float:left; margin-right:1em"
|+ 双行列ゲーム{{Sfn|Osborne|Rubinstein|1994|p=13|loc=Figure 13.1}}
|- style="text-align:center"
| 1, 2 || Left || Right
|- style="text-align:center"
| Top || <math>w_1, w_2</math> || <math>x_1, x_2</math>
|- style="text-align:center"
| Bottom || <math>y_1, y_2</math> || <math>z_1,z_2</math>
|}
戦略集合が有限でなおかつプレイヤーが2人のみという特殊な場合においては、左に掲げたような'''双行列'''({{lang-en-short|''bimatrix''}})によって戦略形ゲームを表記することが可能である{{Sfn|Osborne|Rubinstein|1994|p=13}}{{Refnest|group="†"|このような双行列を'''利得行列'''、利得行列によって表すことの可能な2人戦略形有限ゲームを'''双行列ゲーム'''と呼ぶ場合もある{{Sfn|船木|2004|p=2}}。}}。この双行列の例ではプレイヤー集合が<math>N := \{1, 2\}</math>、戦略集合がそれぞれ<math>S_1 := \{\mathrm{Top, Bottom}\}</math>と<math>S_2 := \{\mathrm{Left, Right}\}</math>であり、利得は行列の各成分によって表されている。例えば(1, 1)成分の<math>w_1, w_2</math>は、両プレイヤーの利得関数がそれぞれ<math>f_1 (\mathrm{Top, Left}) = w_1</math>と<math>f_2 (\mathrm{Top, Left}) = w_2</math>を満たすことを表している。

'''展開形ゲーム'''({{lang-en-short|''games in extensive form''}})は標準形ゲームに情報構造を加えたものである{{Sfn|岡田|1989}}。情報構造の定式化の方法はさまざまであるが、情報構造を導入することによって(1)各プレイヤーにいつ手番が回ってくるか、(2)自分の手番が回って来たとき各プレイヤーは何を知っているか、を指定することができる{{Sfn|ギボンズ|1995|p=114}}{{Refnest|group="†"|例えば、同時手番ならば各プレイヤーが自分の手番が回ってきたときに他のプレイヤーの選択を知らないと仮定すればよく、逐次手番ならばあるプレイヤーが他のプレイヤーの選択を知った上で自分の戦略を選択すると仮定すればよい{{Sfn|Osborne|Rubinstein|1994|p=3}}。}}。

'''提携形ゲーム'''({{lang-en-short|''games in coalitional form''}})は(1)'''プレイヤー'''の集合<math>N := \{1,..., n\} </math>、(2)'''特性関数'''<math>v\colon 2^N \to \mathbb{R}</math>によって定義される{{Sfn|岡田|2011|pp=331-332}}{{Refnest|group="†"|「提携形ゲーム」は{{Harvnb|von Neumann|Morgenstern|1944}}によって定義・命名されたものである{{Sfn|岸本|2015}}。}}。プレイヤー集合の部分集合<math>S \subseteq N</math>は'''提携'''({{lang-en-short|''coalition''}})と呼ばれるが、特性関数の値は任意の提携が提携に参加したプレイヤーに齎す利得の総計として解釈される{{Sfn|岡田|2011|p=332}}。提携形ゲームは'''特性関数形ゲーム'''({{lang-en-short|''games in characteristic function form''}})とも呼ばれる{{Sfn|岡田|2011|p=332}}。

=== ゲームの構成要素 ===
ゲーム理論ではさまざまな現象や問題がゲームとして定式化されるが、ここでいうゲームとは1組のルール({{lang-en-short|a set of rules}})のことを指す{{Sfn|鈴木|1981|p=1}}。すべてのプレイヤーが他のすべてのプレイヤーもルールを完全に知っていることを相互に認識し合っているゲームを'''情報完備ゲーム'''{{Sfn|岡田|2011|p=4}}とか'''完備情報ゲーム'''{{Sfn|ギボンズ|1995|p=1}}({{lang-en-short|''game with complete information''}})といい、情報完備ゲームのルールを'''共有知識'''({{lang-en-short|''common knowledge''}})という{{Sfn|岡田|2011|p=4}}。他方、ルールがプレイヤー間で共有知識でないゲームを'''情報不完備ゲーム'''{{Sfn|岡田|2011|p=4}}とか'''不完備情報ゲーム'''{{Sfn|ギボンズ|1995|p=1}}({{lang-en-short|''game with incomplete information''}})という。本節ではゲームを定義するルールの代表的な構成要素であるプレイヤー、戦略集合、利得関数、情報構造、特性関数について解説する。
{|class="wikitable" style="float:right" style="text-align:center"
|+ ゲームの表現形式と構成要素
|- style="background-color:#dcdcdc"
| rowspan="2" | 表現形式
| colspan="5" style="text-align:center" | 構成要素
| colspan="2" style="text-align:center" | 表現可能なゲーム
|- style="background-color:#dcdcdc"
| [[プレイヤー]]
| [[戦略|戦略集合]]
| [[効用関数|利得関数]]
| [[情報集合|情報構造]]
| [[特性関数]]
| [[協力ゲーム]]
| [[非協力ゲーム]]
|-
| style="text-align:center"| [[提携形ゲーム]]
| style="background-color:#ddf" | '''○'''
| colspan="2" style="background-color:#fdd" | '''×'''
| style="background-color:#fdd" | '''×'''
| style="background-color:#ddf" | '''○'''
| style="background-color:#ddf" | '''○'''
| style="background-color:#fdd" | '''×'''
|-
| style="text-align:center"| [[戦略形ゲーム]]
| style="background-color:#ddf" | '''○'''
| colspan="2" style="background-color:#ddf" | '''○'''
| style="background-color:#fdd" | '''×'''
| style="background-color:#fdd" | '''×'''
| style="background-color:#ddf" | '''○'''
| style="background-color:#ddf" | '''○'''
|-
| style="text-align:center"| [[展開形ゲーム]]
| style="background-color:#ddf" | '''○'''
| colspan="2" style="background-color:#ddf" | '''○'''
| style="background-color:#ddf" | '''○'''
| style="background-color:#fdd" | '''×'''
| style="background-color:#fdd" | '''×'''
| style="background-color:#ddf" | '''○'''
|}
;プレイヤー
:ゲーム理論では分析の対象となる意思決定主体を'''プレイヤー'''({{lang-en-short|''player''}})と呼ぶ。プレイヤーは、あらゆるゲームのモデルに登場する基本的な構成要素であり{{Sfn|Osborne|Rubinstein|1994|p=2}}、プレイヤー集合はしばしば<math>N</math>によって表される{{Sfn|Osborne|Rubinstein|1994|p=11}}{{Sfn|岡田|2011|p=20}}。ゲーム理論におけるプレイヤーは[[労働者]]{{Sfn|Lazear|Rosen|1981}}、[[投資家]]{{Sfn|Diamond|Dybvig|1983}}、[[有権者|投票者]]{{Sfn|Hotelling|1929}}、[[官僚]]、[[テニス|テニス選手]]{{Sfn|Walker|Wooders|2001}}といった[[個人]]だけでなく、[[企業]]{{Sfn|岡田|2011|p=3}}、[[クラブ]]{{Sfn|岡田|2011|p=3}}、[[政党]]{{Sfn|岡田|2011|p=3}}といった組織、さらには[[国家]]、[[神]]{{Sfn|Brams|1980}}、[[シカ]]{{Sfn|岡田|2011|p=405}}、[[花]]{{Sfn|神取|2004|p=6}}などのような人間以外の意思決定主体にまで多岐に渡る。ゲーム理論においてはプレイヤーの人数が重要であり、ゲームを定義する際にはプレイヤーの人数を明示する必要がある{{Sfn|鈴木|1981|pp=1-2}}。プレイヤーの数に応じて2人ゲーム、3人ゲーム、 {{mvar|n}} 人ゲームなどと呼ぶが、時にはプレイヤーの人数が無限の場合も考えられる{{Sfn|岡田|2011|p=3}}{{Sfn|鈴木|1981|pp=1-2}}。
:ゲームの中に意思決定主体の選択によって影響されることのない不確実性がある場合、その偶然メカニズムは'''自然'''({{lang-en-short|''nature''}})と呼ばれるプレイヤーとして定式化され、自然が選択する手番は'''偶然手番'''({{lang-en-short|''chance move''}})と呼ばれる{{Sfn|岡田|2011|p=62}}。ここでいう自然の例としては、天気{{Sfn|鈴木|1981|p=89}}、スポーツの試合前に行われるコイントス{{Sfn|岡田|2011|p=63}}、企業の研究開発の成果{{Sfn|Tadelis|2012|p=16}}などが挙げられる。
;戦略集合
:[[戦略形ゲーム]]において'''戦略'''({{lang-en-short|''strategy''}})とは各プレイヤーがとり得る選択肢を意味し、'''行動'''({{lang-en-short|''action''}})と同義である{{Sfn|Osborne|Rubinstein|1994|p=11}}。プレイヤー {{mvar|i}} にとって選択可能な戦略の集合を {{mvar|i}} の'''戦略集合'''({{lang-en-short|''strategy set''}})とか'''戦略空間'''({{lang-en-short|''strategy space''}})と呼び<math>S_i</math>などによって表すが、一般に戦略集合はプレイヤーごとに異なるため、 {{mvar|n}} 人ゲームでは {{mvar|n}} 個の戦略集合の組<math>\{S_i\}_{i\in N}</math>を定義する必要がある{{Sfn|岡田|2011|p=20}}{{Sfn|ギボンズ|1995|p=3}}。戦略集合が有限であるようなゲームを'''有限ゲーム'''、そうでないゲームを'''無限ゲーム'''という{{Sfn|鈴木|1981|p=2}}。
{| class="wikitable" style="text-align:center" style="float:right"
|+ 2人[[じゃんけん]]ゲーム{{Sfn|芹澤|2007a|p=70|loc=表1-1}}
|-
! 1, 2 || グー || チョキ || パー
|-
! グー
| 0, 0
| 1, &minus;1
| &minus;1, 1
|-
! チョキ
| &minus;1, 1
| 0, 0
| 1, &minus;1
|-
! パー
| 1, &minus;1
| &minus;1, 1
| 0, 0
|}
:上記の意味における戦略には'''純戦略'''({{lang-en-short|''pure strategy''}})と'''混合戦略'''({{lang-en-short|''mixed strategy''}})とがある。前者は確定的にある一つの行動を選択する戦略であり、後者はある確率分布に従って選択を行う戦略である{{Sfn|岡田|2011|p=28}}。例えば、右に掲げた双行列が示す2人有限ゲームは[[じゃんけん]]を表しているが、この「2人じゃんけんゲーム」における各プレイヤーの純戦略とは、「戦略グー」、「戦略チョキ」、「戦略パー」である。他方、この「2人じゃんけんゲーム」における各プレイヤーの混合戦略とは、例えば「戦略グー、チョキ、パーをそれぞれ3分の1の等確率で選択する」といったものである。戦略集合<math>S_i</math>の混合拡大<math>Q_i</math>は<math>S_i</math>上の[[確率分布]]として定義される{{Sfn|岡田|2011|p=29}}。
:[[展開形ゲーム]]では戦略と行動とが厳しく区別され、ゲームの歴史から行動を指定する関数として戦略が定義される{{Sfn|Osborne|Rubinstein|1994|p=92}}。すなわち展開形ゲームにおける戦略とは、完全な行動計画のことであり、そのプレイヤーが行動を起こすことになるかもしれないそれぞれの事態でどの実行可能な行動をとるかをすべて漏れなく指定したものである{{Sfn|ギボンズ|1995|p=116}}。このように定義される展開形ゲームにおける戦略を'''行動戦略'''と呼び、他方、個々の手番における行動を'''局所戦略'''と呼ぶこともある{{Sfn|船木|2004|p=60}}。

;利得関数
:[[非協力ゲーム]]の重要な構成要素である'''利得関数'''({{lang-en-short|''payoff function''}})<ref group="†" name="relation"/>は戦略集合の直積を定義域とする実数値関数<math>f_i\colon \times_{k\in N}S_k \to \mathbb{R}</math>として定義される{{Refnest|group="†"|なお、戦略の組に対してではなく帰結に対して利得関数が定義される場合もある。例えば[[寡占市場]]を分析する際、プレイヤーは[[企業]]、戦略は[[価格]]であるが、企業にとっての利得は価格ベクトルではなく[[利潤]]と解釈するのが自然である{{Sfn|Osborne|Rubinstein|1994|p=12}}。このようなケースでは、戦略の組から帰結への関数<math>g\colon \times_{k\in N}S_k \to C</math>を定義し、帰結の集合<math>C</math>上の実数値関数として利得関数が定義される{{Sfn|Osborne|Rubinstein|1994|p=12}}。}}。一般に利得関数はプレイヤーごとに異なるため、 {{mvar|n}} 人ゲームでは {{mvar|n}} 個の利得関数の組<math>\{f_i\}_{i\in N}</math>を定義する必要がある。利得関数の値である'''利得'''({{lang-en-short|''payoffs''}})とは各プレイヤーが実行した戦略によって決定されたゲームの結果に対する評価値であり、したがって、利得関数は[[効用関数]]、評価関数、損失関数などと呼ぶこともある{{Sfn|鈴木|1981|p=3}}。ただし、ゲーム理論における利得関数は、従来の[[価格理論]]における効用関数とは異なり、定義域に自分の選択した戦略だけでなく他のプレイヤーが選択した戦略が含まれる。これは意思決定の相互依存的状況を重視するゲーム理論の本質的な側面を反映している{{Sfn|鈴木|1981|p=3}}。
:ゲームには偶然の要素がしばしば加わり、また相手の行動の予測が困難な場合も多いため、リスクや不確実性の下での意思決定の基準たり得る利得関数を考える必要がある{{Sfn|鈴木|1981|p=3}}。このような要請に応える理論的枠組みとして、[[ジョン・フォン・ノイマン|フォン・ノイマン]]と[[オスカー・モルゲンシュテルン|モルゲンシュテルン]]による[[期待効用|期待効用理論]]があり、ゲーム理論においても多く応用されている{{Sfn|フォン・ノイマン|モルゲンシュテルン|2014|loc=付録}}。彼らによって考案された'''期待利得関数'''({{lang-en-short|''expected utility function''}})は'''混合拡大'''({{lang-en-short|''mixed extension''}})された戦略集合の直積集合<math>Q := \times_{k \in N} Q_k</math>上の実数値関数であり、プレイヤー{{mvar|i}}の期待利得関数<math>F_i</math>は<math>F_i (q_1, ..., q_n) := \prod _{j\in N} \Sigma _{s_j \in S_j} \{\prod_{k \in N} q_k (s_k)\} f_i (s_1, ... , s_ n)</math>と定義される{{Sfn|岡田|2011|p=29}}。
:各プレイヤーがすべてのプレイヤーの利得関数を知っているかどうかは分析において大きな問題であり、予め知っている場合や経験によって次第に知る場合、何らかの推定値として知っている場合など、さまざまな場合が仮定される{{Sfn|鈴木|1981|p=4}}。

;特性関数
:プレイヤー集合<math>N</math>の部分集合の集合<math>2^N</math>上に定義される実数値関数を'''特性関数'''({{lang-en-short|''characteristic function''}})と呼ぶ{{Sfn|岸本|2015}}。各提携<math>S\subseteq N</math>に対して<math>v (S)</math>は提携<math>S</math>のメンバーが協力することによって得られる便益の総計を表している{{Sfn|岸本|2015}}。特性関数について仮定されることの多い性質として、'''優加法性'''({{lang-en-short|''super-additivity''}})や'''凸性'''などが挙げられる{{Sfn|中山|2012|pp=3-6}}。

=== ゲームの解概念 ===
ゲーム理論において'''解'''({{lang-en-short|''solution''}})とは特定の性質を持ったゲームにおいて現れる可能性のある結果を体系的に記述したものである{{Sfn|Osborne|Rubinstein|1994|p=2}}。現実の多様な状況を分析するためにさまざまな解の概念が考案されている{{Sfn|鈴木|1981|p=247}}。[[戦略形ゲーム|戦略形]]や[[展開形ゲーム|展開形]]の表現形式で定義されたゲームの解概念に対しては''evolutive''な解釈と''eductive''な解釈がなされる{{Refnest|group="†"|これらの用語は[[ケン・ビンモア]]によって造られたものである{{Sfn|Osborne|Rubinstein|1994|p=5}}。}}。前者は、ゲームの解が何らかの性質を持った状況において観察される規則性を説明するという解釈である{{Sfn|Osborne|Rubinstein|1994|p=5}}。後者は、ゲームの解が特定の状況におけるプレイヤーの行動を予測するという解釈である{{Sfn|Osborne|Rubinstein|1994|p=5}}。他方、[[提携形ゲーム|提携形]]の表現形式で定義されたゲームにおける解概念はプレイヤーが提携によって得た便益の分配方法を表すものである{{Sfn|岸本|2015}}。本節ではこれらの解の概念について解説する。

プレイヤー {{mvar|i}} にとって他のプレイヤーの全ての戦略の組に対してある戦略<math>s_i</math>が他の戦略<math>t_i</math>の与える利得よりも'''常に'''大きいとき戦略<math>s_i</math>は戦略<math>t_i</math>を'''強支配する'''と定義され、<math>s_i</math>が他の全ての戦略を強支配するとき<math>s_i</math>を'''強支配戦略'''と定義する{{Sfn|船木|2004|p=3}}。全てのプレイヤーが強支配戦略をとっているとき、そのような戦略の組を'''強支配戦略均衡'''と呼ぶ{{Sfn|2004|p=1}}。強支配戦略の定義は強い条件を課しており、強支配戦略均衡には非常に限られたタイプのゲームにしか存在しないという欠点がある{{Sfn|芹澤|2007a|p=72}}。強支配戦略均衡よりも戦略組が存在するケースが多い均衡概念として'''被支配戦略逐次排除均衡'''があるが、被支配戦略逐次排除均衡が実現するためにはすべてのプレイヤーの利得関数が共有知識であり、なおかつ各プレイヤーが無限の推論能力を持っている必要がある{{Sfn|芹澤|2007a|pp=77-78}}。さらに、すべての戦略組が被支配戦略逐次排除均衡の条件を満たすケースもあり、被支配戦略逐次排除均衡は多くのゲームにおいて予測の役に立たないという欠点がある{{Sfn|芹澤|2007a|pp=77-78}}。

== パラダイムとしてのゲーム理論 ==
=== ドイツ語圏ユダヤ人思想の影響 ===
[[ファイル:Georg-Simmel-1914.jpg|サムネイル|右|[[ゲオルク・ジンメル]]|150px]]
ゲーム理論を創始した[[ジョン・フォン・ノイマン]]や[[オスカー・モルゲンシュテルン]]の思想の背景には[[ゲオルク・ジンメル|ジンメル]]、[[カール・マルクス|マルクス]]、[[マックス・ウェーバー|ウェーバー]]、[[ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン|ウィトゲンシュタイン]]などのドイツ語圏ユダヤ人思想の潮流があると言われている{{Sfn|鈴木|1999|p=50}}{{Refnest|group="†"|[[1960年代]]に当時のゲーム理論研究の拠点であった[[プリンストン]]に留学しており草創期の多くのゲーム理論家と交流があった[[鈴木光男]]によれば、実際に初期のゲーム理論家のほとんどがユダヤ人であったという{{Sfn|鈴木|2014|p=188}}。}}。

特にフォン・ノイマンとモルゲンシュテルンの研究には[[ドイツ]]の[[哲学者]][[ゲオルク・ジンメル]]の影響が色濃く現れていることが指摘されている。''Gesellschsftsspiele''というドイツ語はフォン・ノイマンによる先駆的論文「社会的ゲームの理論について」([[1928年]])において用いられ「ゲーム理論」という名称の由来にもなった単語であるが、当時としては一般的な表現ではなかった{{Sfn|鈴木|1999|pp=36-38}}。しかしこの概念は、以下の引用に示されるように、ジンメルの著書『社会学の根本問題』([[1917年]])において主題のひとつとして既に論じられていた。なお引用文において翻訳者の[[清水幾太郎]]は''Gesellschaftsspiele''に「社会的遊戯」という訳語を充てている。
{{quotation|社会的遊戯({{lang-de-short|''Gesellschaftsspiele''}})という表現は深い意味において重要である。人間の間の一切の相互作用形式、社会化形式&mdash;例えば、勝利への意志、交換、党派の形成、略奪の意志、偶然との邂逅や別離のチャンス、敵対関係と協力関係との交替、落し穴や復讐&mdash;これらは何れも、油断のならぬ現実では目的内容に満たされているのに、遊戯となるとこれらの機能そのものの魅力だけを基礎として生きて行く。なぜなら遊戯が賞金目当ての場合でも、お金は他の色々な方法でも獲得できるものなので、それは遊戯の眼目ではなく、むしろ本当の遊戯者から見れば、遊戯の魅力は社会学的に重要な活動形式そのものの活気や僥倖にある。社会的遊戯には、更に深い二重の意味がある。すなわち、それが実質的な参加者たる社会のうちで行われるという意味だけでなく、加えて、それによって実際に「社会」が「遊戯」になるということである。|Simmel, G. (1917) Grundfragen der Soziologie{{Harv|清水幾太郎訳|1979|p=81}}
}}

日本におけるゲーム理論研究に先鞭をつけた[[鈴木光男]]は「社会化のゲーム形式」と呼ばれるジンメルの社会観は後にフォン・ノイマンとモルゲンシュテルンによって打ち立てられたゲーム理論そのものであると論じている{{Sfn|鈴木|1999|p=39}}。ゲーム理論における人間像は自己と他者との関係から成り立っており、それは社会存在としての「自我の自覚と他者の発見」という近代の市民社会の精神に基づいている。さらに、ゲーム理論は個人間の自由な関係を前提としているにもかかわらず、「[[レッセ・フェール]]({{lang-fr-short|''laissez-faire''}})」と呼ばれる古典的自由主義の楽観的人間像とも異なった社会像を与えている{{Sfn|鈴木|1973|p=33}}{{Sfn|鈴木|2014|p=92}}。

=== 新古典派経済学の代替理論としてのゲーム理論 ===
==== 異端の思想としてのゲーム理論 ====
[[ファイル:Paul Samuelson.gif|サムネイル|右|[[ポール・サミュエルソン]]。主著『経済分析の基礎』において[[新古典派経済学]]の方法論を完成させた。経済学のあらゆる分野で一流の業績を上げたことから「最後のジェネラリスト」と称される{{Sfn|依田|2013|p=15}}。]]
ゲーム理論が登場・普及する以前に「主流派」とか「正統派」と呼ばれる位置を占めていた{{Sfn|ハワード|2009}}[[新古典派経済学]]はゲーム理論と比較して次の2つの理論的特徴を有した{{Sfn|神取|1994|p=16}}。
:(1)'''合理性の仮定''' 経済主体は首尾一貫した行動基準の下で合理的に行動する。
:(2)'''プライステイカーの仮定''' [[完全競争]]的な市場において、[[需要]]と[[供給]]が一致するように[[価格]]が決定される。

経済学において合理性とは完備性({{lang-en-short|''completeness''}}){{Refnest|group="†"|ある経済主体が完備的であるとは、彼が任意の二つの選択肢 {{mvar|x}} と {{mvar|y}} に対して、「 {{mvar|x}} よりも {{mvar|y}} が好き」、「 {{mvar|y}} よりも {{mvar|x}} が好き」、「 {{mvar|x}} も {{mvar|y}} も同程度に好き」のいずれかの判断を下されることを意味する{{Sfn|神取|1994|p=17}}。}}と[[推移的関係|推移性]]({{lang-en-short|''transitivity''}}){{Refnest|group="†"|ある経済主体が推移的であるとは、彼が任意の三つの選択肢 {{mvar|x}} と {{mvar|y}} と {{mvar|z}} に対して、「 {{mvar|x}} が {{mvar|y}} と同程度以上に望ましく」かつ「 {{mvar|y}} が {{mvar|z}} と同程度以上に望ましい」とき必ず「 {{mvar|x}} が {{mvar|z}} と同程度以上に望ましい」ことを意味する{{Sfn|神取|1994|p=17}}。}}が同時に満たされることを意味しており、合理的な経済主体の行動は[[ラグランジュの未定乗数法|制約付き最適化問題]]として数学的に定式化することができる{{Sfn|神取|1994|p=17}}{{Refnest|group="†"|ただし選択肢が無限に存在する場合、完備性と推移性に加えて連続性({{lang-en-short|''continuity''}})と単調性({{lang-en-short|''monotonicity''}})が選好関係の公理として仮定される必要となる{{Sfn|奥野|鈴村|1985|pp=143-155}}。}}。プライステイカーの仮定は経済主体の選択が市場価格に一切の影響を与えないことを意味しており、意思決定の戦略的側面{{Refnest|group="†"|売り手と買い手が無数に存在する[[完全競争市場]]では各意思決定主体の市場への影響力が無視できるほど小さいため意思決定の戦略的な側面は問題にならなかったが、より現実的な[[不完全競争|不完全競争市場]]を考える際には意思決定者が市場を通じて他の主体に与える影響力が大きな役割を果たす{{Sfn|神取|1994|pp=17-20}}。}}や価格決定のプロセスそのもの{{Refnest|group="†"|新古典派のモデルには「一定とされる価格」を決定するルールが明示されていなかった。こうした新古典派モデルに対するひとつの解釈として「買い手と売り手が需要関数と供給関数を『競り人』に提出し、競り人が均衡価格を計算する」というものがある{{Sfn|神取|1994|p=41}}。'''オークション理論'''は新古典派モデルが捨象した均衡価格決定のプロセスを研究するものであるが、このオークション理論はゲーム理論の応用分野として発展している{{Sfn|Paarsch|Hong|2006|p=xv}}。}}を捨象している。これらの方法論は[[ポール・サミュエルソン]]([[1970年]]ノーベル賞受賞者)の主著『経済分析の基礎』によって体系化されるものであるが、これによって本来複雑極まりないはずの経済主体間の相互依存関係が「一定とされる市場価格」を媒介として各個人にとって個別の[[最適化問題]]に帰着することが可能となる{{Sfn|神取|1994|p=17}}。

経済主体同士の対面における戦略的利己的行動や具体的な経済主体が影響力を発揮する市場プロセスを重視していた[[オーストリア学派]]は上記の2つめの特徴をもつ新古典派経済学を早い段階から批判しており、このオーストリア学派の系譜からゲーム理論が誕生した{{Sfn|フォンセカ|アッシャー|2004}}。ゲーム理論は[[1980年]]以前は学界からも「異端の思想」として捉えられており、当時のゲーム理論の処遇や位置付けについて[[鈴木光男]]は[[1970年]]に公刊された編著書『競争社会のゲーム理論』の「はしがき」で次のように語っている。
{{quotation|ゲームの理論は異端の思想である。小麦を肩にかついで市場に現れ、神の見えざる手に導かれて予定の調和に達するという思想とは対立する基盤から生まれた。異端は常に覚めて地獄を見る。人間の理性を神の御心に従って調和に達するものとは見ない。理性は常に対立を生み、競争を生み、その結果として結託を生み、それらの克服としてのみ調和がありうると見る。克服なきとき、そこには抜き差しならぬ対立は依然として存在し、それに目をそらすことはしない。そして、その克服がいかに困難なことであるかを示している。人はしばしば合理的とか最適とかいう。合理的とか最適とかいう言葉は現代の呪文である。しからば合理的とか最適とかいうのは一体何であろうか。社会的行動における合理的なるものの意味を鋭く追及したのもゲームの理論である。異端は常に覚めて地獄を見なければならないのである。
|鈴木光男『競争社会のゲーム理論』、1970年}}

また、[[2005年]]に[[ノーベル経済学賞]]を受賞した[[トーマス・シェリング]]は、受賞の際に選考委員会から ''The "errant economist" (as Schelling has called himself) turned out to be a pre-eminent pathfinder.'' と紹介された。シェリングが ''errant economist'' を自称したのは当時支配的であった正統派経済学の道を歩まず異端派としての遍歴を重ねた実感からであり、同時にこれはシェリングのみならず多くの初期のゲーム理論家に共通する感情であった{{Sfn|鈴木|2007|p=279}}。

<table class="wikitable" style="float:right; margin-left:1em">
<caption>異端派と新古典派のパラダイムの対照{{Refnest|group="†"|{{Harvnb|ラヴォア|2008}}の表1. 1を元に作成。ただし、表内の一部項目の名称については前掲書の解説において用いられているより厳密なものを用いている。}}</caption>
<tr>
<th>前提条件{{Refnest|group="†"|'''前提条件'''({{lang-en-short|''presuppositions''}})とはモデル化や定式化ができない各学派の必須要素であり、それらから導かれる仮説や理論よりも先行するものである。「前提条件」と呼ばれる概念の研究は[[アクセル・レイヨンフーヴッド]]によって[[1976年]]に提唱された枠組みである{{sfn|ラヴォア|2008|pp=4-5}}。}}</th><th>異端派経済学</th><th>新古典派経済学</th>
</tr>
<tr>
<th>認識論</th><td>[[科学的実在論|現実主義]]{{Refnest|name="realism"|group="†"|「道具主義」に対置する概念としてのrealismは「現実主義」の他に「実在論」と訳されることもある{{Sfn|ブラウン|2009|p=345}}。}}</td><td>[[道具主義]]</td>
</tr>
<tr>
<th>合理性</th><td>[[限定合理性|手続き的合理性]]</td><td>[[完全合理性|独立的合理性]]</td>
</tr>
<tr>
<th>存在論</th><td>[[有機体論]]</td><td>[[方法論的個人主義]]</td>
<tr>
<th>政治的中心</th><td>[[国家]]の介入</td><td>[[完全競争|自由競争市場]]</td>
</tr>
<tr>
<th>分析の焦点</th><td>[[生産]]と[[成長]]</td><td>[[交換]]と[[希少性]]</td>
</tr>
</table>
なお、現在「異端派経済学」と言えば、[[制度派経済学]]や[[カール・マルクス]]の影響を受けて成立した'''[[ポストケインズ派経済学|ポスト・ケインズ派]]'''、'''[[レギュラシオン学派]]'''、'''[[ラディカル・エコノミックス|ラディカル派]]'''、'''[[マルクス経済学|マルクス派]]'''などといった新古典派経済学に対する反対勢力を指すが、彼らは'''[[ニューケインジアン]]'''などの新古典派に対して「異端派」を自称しており{{Sfn|ラヴォア|2008|pp=1-16}}、[[科学的実在論|現実主義]]<ref name="realism" group="†" />、[[限定合理性|手続き的合理性]]、[[有機体論]]、国家による市場介入の支持、生産と成長への関心といった特徴を持つと主張している(右に掲載された表を参照)。

[[ファイル:Joan Robinson (1973).jpg|サムネイル|左|[[ジョーン・ロビンソン]]。主著に『異端の経済学』([[1971年]])。彼女が「経済学の第二の危機」を宣言たことを契機として、[[1970年代]]半ばに「[[ポスト・ケインズ派経済学]]」という研究者集団が誕生した{{Sfn|鍋島|2015}}。]]
第1の前提条件である「認識論」に関して、現実主義<ref name="realism" group="†" />とは、現実世界を正しく記述することを理論の目的とみなす異端派の立場である{{Sfn|ラヴォア|2008|pp= 8-9}}。他方、道具主義とは、理論を正確な予測や計算といった分析の道具とみなし、その目的以上に仮説が現実的である必要はないとする新古典派の立場である{{Sfn|ラヴォア|2008|pp= 8-9}}。これらの点について、ゲーム理論は理論分析の道具として[[近代経済学]]に応用されるだけではなく、[[比較制度分析|比較歴史制度分析]]などの一部の[[制度派経済学|制度経済学]]において特定の時代・地域の制度や体制を精密に描写するための手法としても用いられている{{Sfn|松井|2002|p=16}}。また、[[1990年代]]にゲーム理論の応用分野として誕生した[[マーケットデザイン]]は具体的な個別の各問題を分析・解決することを目的とした「オーダーメイド」の理論を構築することを志向している{{Sfn|坂井|2013|p=75}}。

第2の前提条件である「合理性」に関して、新古典派は経済主体が所与の制約の中で最適な選択をするという強い仮定を課しているのに対して、異端派は[[ハーバート・サイモン]]によって提唱された限定的で制限された合理性を採用している{{Sfn|ラヴォア|2008|pp=12-13}}。ゲーム理論は成立当初は新古典派の合理性の仮定を踏襲していたが、[[1980年代]]から[[1990年代]]にかけて合理性を前提としないアプローチを採用することとなった。合理性を限定したゲーム理論の研究アプローチについては後述の「[[ゲーム理論#限定合理性アプローチ|#限定合理性アプローチ]]」の節を参照。

第3の前提条件である「存在論」の「[[方法論的個人主義]]」とは、新古典派において'''プライステイカーの仮定'''として定式化されていたものであり、彼らの想定する経済主体は他者からの影響を受けることなく制約付き最適化行動をとる{{Sfn|ラヴォア|2008|pp=10-11}}。他方、異端派が採用する[[有機体論]]において、個人は社会的存在とみなされ、[[マルクス経済学|マルクス経済学者]]によって強調されるように、文化や社会階層などを含む環境に影響される{{Refnest|group="†"|具体的には、異端派は[[非線形性]]と[[ストレンジ・アトラクタ]]を基礎にした[[カオス理論|カオス動学]]を用いたアプローチが用いられる{{Sfn|ラヴォア|2008|pp=10-11}}。}}。これらに対して、ゲーム理論は[[方法論的個人主義]]がその基礎にあるものの、他者との関係性によって個人が成立しているというオーストリア学派の人間像が反映されており、個人間の有機体的な相互依存関係を重視している{{Sfn|鈴木|2014|p=92}}。

[[File:Lionel Robbins.jpg|サムネイル|右|[[ライオネル・ロビンズ]]。[[1932年]]に出版された著書『経済学の本質と意義』において、経済学を「諸目的と代替的用途をもつ希少な諸手段とのあいだの関係としての人間行動を研究する学問」と定義した{{Sfn|堂目|2010|p=395}}。これは新古典派経済学の最も一般的な定義とされる{{Sfn|ラヴォア|2008|p=13}}。]]
第4の前提条件である「政治的中心」は追加的な項目である{{Sfn|ラヴォア|2008|p=7}}。新古典派の仮定の下では「[[パレート効率性|パレート非効率的]]な状態では(非効率性の定義より)全員の満足度を高めるような別の状態が必ず存在するから、当事者が合理的であれば全員に取ってより良い状態へ移行するはずである。したがって、合理的な個人の自由に任せておけば結果は必ず効率的になる。」という'''素朴な自由放任主義思想'''が成り立ち、実際にこうした考え方は新古典派経済学者の間で一時は大きな影響力を持っていた{{Sfn|神取|2014|pp= 272-273}}。彼らは[[長期と短期|短期的]]には何らかの不完全性や[[外部性]]が存在し、国家の介入が必要であることを認めているものの、長期的にはそれらに起因する非効率性が市場メカニズムによって解消されると信じていたのである{{Sfn|ラヴォア|2008|p=15}}{{Refnest|group="†"|これらの新古典派経済学の主張には「数々の非現実的な仮定の上に構築された信頼性の薄い主張」とか「パイの大きさが何パーセント変わるかという矮小な話よりもパイを公平に分配し社会的弱者を救済することこそが重要だ」といった批判があり、当時の[[ミクロ経済学]]は「おもちゃの豆鉄砲」と揶揄されていた{{Sfn|神取|2010|p=244}}。}}。他方、異端派は新古典派が採用した独立的合理性やパレート効率性に対してそもそも懐疑的であったため、国家による市場領域への介入の必要性を強く訴えていた{{Sfn|ラヴォア|2008|p=16}}。これらに対してゲーム理論は、「[[囚人のジレンマ]]」に代表されるような'''各個人が合理的であったとしても'''政府が介入しなければ効率的な配分が実現しない場合が存在することが明らかにし、政府が適切なインセンティブを与える制度設計をすることの必要性を主張した{{Sfn|神取|2014|pp= 333-335}}。

第5の前提条件である「分析の焦点」に関して、新古典派は希少な財がいかに配分されるか、という問題に関心を持っていた。他方、異端派は[[アダム・スミス]]や[[カール・マルクス]]といった[[限界革命]]以前の[[古典派経済学|古典派経済学者]]のように富と生産を拡大することに貢献する必要資源をつくることに基本的関心を持っている{{Sfn|ラヴォア|2008|p=14}}。両学派が分析の対象を交換や生産といった狭義の経済に限定しているのに対して、ゲーム理論は
市場や生産といった狭義の経済のみならずさまざまな分野に応用されている。その広範な分析対象については後述の「[[ゲーム理論#応用分野|#応用分野]]」の節を参照。

==== 静かな革命 ====
ゲーム理論は誕生当初には新古典派経済学と対立していたが<!--

上の記述に「要出典範囲」テンプレートが添付されていたので解説。この記述は、下で引用している岡田(2011、13頁19〜21行目)の「無数の経済主体が市場価格のみをシグナルとしてそれぞれ独立に可能な技術および予算制約の下で最適化を行い、経済主体は互いの行動の影響を考慮しないという新古典派的市場モデルへの批判として登場したゲーム理論」という記述に対応しております。ちなみに本記事導入部の「元来は主流派経済学(新古典派経済学)への批判を目的として生まれた理論であったが、」の部分もこの岡田(2011)を引用したものです。ただし、導入部の「主流派経済学」という部分は「新古典派=主流派」という(重要な)文脈を伝えるために私が足した情報であり、ここについては(かなり厳密な立場からは)「独自研究」に相当するかもしれません。

-->{{Sfn|岡田|2011|pp=13-14}}、[[1950年代]]には[[一般均衡理論]]の重要な未解決問題であった[[完全競争市場]]の存在証明に[[非協力ゲーム]]の枠組みが応用され{{Sfn|Arrow|Debreu|1954}}、さらに[[1960年代]]にはシュービックにより[[エッジワース]]交換経済モデルが[[協力ゲーム]]として一般化された{{Sfn|Debreu|Scarf|1963}}。これらの研究は両パラダイムが相反するものではなく、ゲーム理論が新古典派モデルの一般化であることを示しており、ゲーム理論のパワーの大きさを十分に示すものであった{{Sfn|岡田|2011|pp=13-14}}{{Sfn|鈴木|2007|pp=256-257}}。鈴木光男は1960年代における両パラダイムの関係を次のように述べている{{sfn|鈴木|1970|loc=はしがき}}。
{{quotation|経済学において正統的にして最も正統的なる完全競争の理論が、異端の思想であるゲームの理論によって初めて明確にされたことは、異端と正統との対立的展開の一つの象徴的事件である。このことによって、完全競争の神話は初めて理論となり得た。同時にそれが極めて特殊なものであることも明らかにされた。
|鈴木光男『競争社会のゲーム理論』、1970年}}

このような交流を経ても、[[1980年]]まで両パラダイムは微妙な対立関係を保っていた。なぜゲーム理論の基礎が開発された[[1950年代]]から20年以上もの間それが経済学の研究に広く認知されることがなかったかは「経済学説史上の大きな謎」とされている{{Sfn|神取|2010|p=245}}。しかし、[[1980年代]]に[[非協力ゲーム理論]]が急速に進展するとゲーム理論が一般の経済学者の間にも浸透してゆくこととなる。ゲーム理論は新古典派モデルの特徴のひとつである合理性の仮定を自然な形で継承・発展したものであったため、1980年代に実現したこのパラダイム転換は大きな不連続な変化として意識されないほどにスムーズであり、「'''ゲーム理論による経済学の静かな革命'''」とも評された{{Sfn|神取|1994|p=40}}。

研究動向の変化を示す代表的指標である「[[Econometric Society|エコノメトリックソサエティ]]」世界大会招待講演の内訳を見ると、[[1975年]]大会においてゲーム理論は皆無だったのに対して[[1980年]]大会ではミクロ経済学者による講演全体に占める約40パーセントが、[[1985年]]大会では80パーセント以上が「ゲーム理論と情報の経済学」となっている{{Sfn|神取|2010|p=246}}。このように進展したゲーム理論が経済学にもたらした成果として[[神取道宏]]は以下の2点を挙げている{{Sfn|神取|2010|p=246}}。まず第一に、完全競争市場以外の幅広い社会経済問題を合理的行動から統一的に捉える理論体系が出来たことである。これにより、理論分析の対象となりうる範囲が俄然拡大され、[[産業組織論]]、[[国際経済学]]、[[労働経済学]]、[[公共経済学]]、[[金融|金融論]]、[[経済史]]などの個別分野に大きな進展がもたらされた。第二の成果は、ひとたび完全競争市場の世界を離れると、各個人の利益追求は全体としては非効率な結果をもたらすことがむしろ普通であり、適切な[[インセンティブ]]を与える制度の設計が重要であるということが明確に理解されたことである。

21世紀現在では、ゲーム理論がかつて「異端の思想」であったことを信じない専門家がいる程度までにゲーム理論は普及しており{{sfn|鈴木|2007|pp=258-259}}、[[価格理論]]、[[契約理論]]と並んで「ミクロ経済学の三本柱」と称されるまでに至った{{Sfn|岩崎|2015}}。[[1990年代]]には[[アメリカ合衆国|米国]]の主要大学院におけるミクロ経済学の必修講義の半分がゲーム理論の教育に充てられるようになっている{{Sfn|神取|1994}}。

==== 完全合理性からの脱却 ====
''[[進化ゲーム理論]]については「[[ゲーム理論#応用分野#生物学|#応用分野#生物学]]」も参照''

ゲーム理論は当初は「社会における合理的行動の数学理論」として研究されていた{{Sfn|岡田|2011|p=446}}。1950年代に[[ハーバート・サイモン]]{{Sfn|Simon|1957}}が'''限定合理性'''({{lang-en-short|''bounded rationality''}})の概念を提示し「効用最大化」に代わる「満足化」の原理を採用すべきと主張し、限定合理性アプローチは多くの研究者にその重要性を認めらたものの、サイモンの主張の多くは分析的なレベルに達していなかったため研究の主流にはなりえなかった{{Refnest|group="†"|概念的に過ぎず分析的なレベルに達していなかったサイモンの枠組みは、経済学者やゲーム理論家にとって「定理なき理論」({{lang-en-short|''a theory without theorems''}}{{Sfn|Selten|1990}})であり満足できるものではなかった{{Sfn|岡田|2011|p=446}}。}}。しかし、[[1980年代]]後半から[[1990年代]]にかけて、経済学やゲーム理論は伝統的な合理性の仮定を緩和し現実の人間が持つ'''人間的な合理性'''({{lang-en-short|''human rationality''}})の研究を本格的に開始することとなる{{Sfn|岡田|2011|p=446}}。

新古典派経済学が「合理的で利己的な経済人([[経済人|ホモエコノミカス]])」としての人間行動を前提としていたのに対して、[[1990年]]以降、仮定をより現実的な人間像に近づけることによって理論の説明や予測の精度を高めようとする試みである、[[実験経済学]]と[[行動経済学]]が台頭した{{Sfn|神取|2010|pp=246-247}}。こうした学説史上の現象の一因として、経済学におけるゲーム理論の定着が挙げられる{{Sfn|神取|2010|pp=247-248}}。伝統的な経済学は大規模な市場に関する分析しかしていなかったため実験の利用可能性が大きく制限されていたのに対して、ゲーム理論は少数のプレイヤーが戦略的に行動する問題を分析していたため理論予測を実験で直接検証することが可能であった{{Refnest|group="†"|例えば「不況時における財政出動がどれほどの景気浮上効果を持つか」という[[マクロ経済学]]の問題に対して実験を行うことは不可能であり、実際に財政出動をした場合としなかった場合を[[統計学|統計学的]]に比較することによって決着がつけられる。また、冷戦時代に並存した[[資本主義|資本主義国]]と[[社会主義|社会主義国]]の比較のような大規模な自然実験は可能な機会が稀である上に膨大な社会的コストが必要となる{{Sfn|神取|2010|pp=247-248}}。}}。ゲーム理論の実験は[[1950年代]]にメリル・フラッドとメルヴィン・フィッシャー{{Sfn|Flood|1958}}の「[[囚人のジレンマ]]」の実験によって創始され、その後も「最後通牒ゲーム」の実験や「独裁者ゲーム」の実験などさまざまな研究が行われてきたが、フラッドらによる黎明期の実験から近年の実験まで一貫して理論的な均衡概念、つまり自己利得最大化と整合的理論形成を基礎とする個人の合理性だけでは説明できない実験結果が観察されている{{Sfn|下村|瀋|2016|pp=23-26}}{{Refnest|group="†"|特に一回限りの「囚人のジレンマ」の実験研究は一般的な構造を有しているため、[[経済学者]]だけでなく[[心理学者]]、[[社会学者]]、[[政治学者]]、[[教育学者]]も行われており、その事例数は膨大な数にのぼる{{Sfn|下村|瀋|2016|p=24}}。}}。こうして行われた教室実験によって蓄積された現実の人間行動と理論的予測の乖離を示すデータによって'''行動経済学'''({{lang-en-short|''behavioral economics''}})と呼ばれる分野が登場した{{Sfn|神取|2010|pp=247-248}}。

[[ファイル:John Maynard Smith.jpg|サムネイル|右|[[ジョン・メイナード・スミス]]。[[1973年]]、雑誌『[[ネイチャー]]』上に発表された[[ジョージ・プライス (科学者)|ジョージ・プライス]]との共著論文"The logic of animal conflict"によって[[進化ゲーム理論]]の嚆矢が放たれた{{Sfn|岡田|2011|p=405}}。]]
新古典派モデルの特徴であった合理性の仮定はゲーム理論においても長らく採用されていたが、[[1980年代]]に[[行動経済学]]や[[進化ゲーム理論]]と呼ばれる分野が誕生・発展したことにより、[[1990年代]]以降合理性を仮定しないアプローチによるゲーム理論の研究が進展している{{Sfn|岡田|2011|pp=445-456}}。行動経済学の観点から限定合理性の理論、学習理論、公平性や互恵性の理論を研究するゲーム理論の分野は'''行動ゲーム理論'''({{lang-en-short|''behavioral game theory''}})と呼ばれる{{Sfn|川越|2010|p=3}}。

[[数理生物学|数理生物学者]]の[[ジョン・メイナード・スミス]]らによって創始された'''進化ゲーム理論'''({{lang-en-short|''evolutionary game theory''}})は、合理的思考を持たない生物社会をゲーム理論の枠組みによって分析する。思考を持つはずのない植物ですらあたかも合理的計算をしているかのように進化や行動をしていることが確認されており{{Refnest|group="†"|例えば{{Harvnb|Van Dam|de Jong|Iwasa|Kubo|1996}}は、[[オランダ]]の砂丘に自生するある植物が虫除けのために分泌する[[アルカロイド]]という化学物質がさまざまな年齢の葉に対して最適に割り振られていることを明らかにしている{{Sfn|神取|2002|p=6}}。}}、限定合理性アプローチを志向する経済学者にも大きなインパクトを与えた。進化ゲームは生物学から経済学へと逆輸入され、プレイヤーの学習、模倣や世代間教育、文化継承などを表現するモデルとして経済学や社会学にも応用されている{{sfn|岡田|2011|pp=448-449}}。

=== 数理科学としてのゲーム理論 ===
[[新古典派経済学]]の理論モデルは[[物理量]]を[[ポテンシャル]]の最大化原理として記述する理論物理学を模倣し、[[数理最適化]]と呼ばれる既存の数学を応用することによって構築された{{Sfn|依田|2013|p=18}}。[[ポール・サミュエルソン|サミュエルソン]]によって完成されることとなるこの経済理論がいわば「物理学の借り物」であったのに対して、ゲーム理論は経済学の中から独自に生まれた唯一の数学理論である{{Sfn|依田|2013|p=154}}{{Sfn|塩沢|1994|p=245}}。ゲーム理論の誕生を機に、経済学が他の科学分野の理論的枠組みを輸入するだけの段階から、他の科学分野に理論的枠組みを提供する段階へと進展した。ゲーム理論の具体的な応用分野については[[ゲーム理論#ゲーム理論の応用分野|後述]]する。

==== 不動点アプローチ ====
[[ファイル:Fixed Point Graph.png|サムネイル|右|不動点。曲線 {{math|1=''y'' = ''f''(''x'')}} と直線 {{math|1=''y'' = ''x''}} の交点が関数 {{mvar|f}} の[[不動点]]を表している。この画像は[[一価関数]]のケースだが、ゲーム理論ではより一般的な[[多価関数]]が分析される。]]
[[数理科学]]としてのゲーム理論の特徴として、[[不動点定理]]の利用が挙げられる。ゲーム理論における主体(プレイヤー)が「社会」に向ける知見とは「自分自身を含む社会」に対する知見であり、そこには自分自身に対する観察が必然的に入り込むため、この「社会」に対する知見は、観察者主体を含んだ社会に関する彼自身によって認識された事実そのものが彼自身の観察したそのものに対して頑健であり、整合的である必要がある{{Sfn|浦井|吉町|2012|p=210}}。主体が社会に向けた観察と、その社会における彼自身の行為や選択の整合性こそが社会科学における'''均衡'''({{lang-en-short|''equilibrium''}})であり、その数学的対応物が'''不動点定理'''({{lang-en-short|''fixed point theorem''}})である{{Refnest|group="†"|一般に、[[集合]] {{mvar|X}} から {{mvar|X}} 自身への[[写像]] {{math|''f'': ''X'' &rarr; ''X''}} について {{math|1=''x'' = ''f''(''x'')}} を満たす {{math|''x'' &isin; ''X''}} を写像 {{mvar|f}} の'''[[不動点]]'''と呼び、特定の条件の下で不動点の存在を保証する定理を総称して不動点定理と呼ぶ{{Sfn|浦井|吉町|2012|p=210}}。したがって、最適反応関数が不動点定理の条件を満たすことは、均衡が存在することを意味する。}}。各主体(プレイヤー)が社会に向けた認識の組と彼らの行為や選択の組が一致するとき、そのような行為の組(戦略ベクトル)は'''ナッシュ均衡'''({{lang-en-short|''Nash equilibrium''}})と呼ばれ、それは認識と行為の対応関係(最適反応関数)の不動点に他ならない。このような不動点議論に基づいて均衡が実現するというプロセスは決して物理学的プロセスではなく、経済学の哲学的基礎が凝縮されたものである{{Sfn|浦井|吉町|2012|pp=211-212}}。

[[1937年]]に[[ジョン・フォン・ノイマン|フォン・ノイマン]]によって発表された論文「経済学の方程式体系とブラウワーの不動点定理の一般化」の中では[[ブラウワーの不動点定理]]が用いられていたが、[[1941年]]にミニマックス定理の補題としてフォン・ノイマンが部下の[[角谷静夫]]に一般化された不動点定理を証明させて以来、ゲーム理論にはこの[[角谷の不動点定理]]が広く用いられている{{Sfn|鈴木|2014|p=79}}。不動点アプローチはゲーム理論以外の「主流派」経済学の一部においても採用されており、[[1954年]]には[[ケネス・アロー]]と[[ジェラール・ドブルー]]がブラウワーの不動点定理を用いて、同年[[ライオネル・マッケンジー]]は角谷の不動点定理を用いて、それぞれ[[一般均衡]]の存在定理を証明している{{Sfn|林|1994|p=256}}。ゲーム理論を始めとする数理経済学において用いられる不動点定理としては、最も基本的な[[連続関数]]に対して適用される「ブラウワーの不動点定理」や連続関数一般化した「閉対応」に対して適用される「角谷の不動点定理」の他に{{Sfn|武隈|2001|pp=128-132}}、選択定理を利用した「[[ファン=ソネンシャインの不動点定理]]」{{Sfn|武隈|2001|pp=134-136}}や[[完備束]]上の関数に対して適用される「[[不動点定理#代数学および離散数学において|タルスキの不動点定理]]」{{Sfn|Fleiner|2003}}などが挙げられる。

==== 公理論的アプローチ ====
数理科学としてのゲーム理論のもうひとつの特徴として、公理論的アプローチが挙げられる。公理論的アプローチにおいては、分析対象の性質や均衡などをその対象が必ずしも意図せず持つような特性などから逆に特徴付けるような手法、すなわち'''公理的特徴付け'''({{lang-en-short|''axiomatic characterization''}})が採用される{{Sfn|浦井|吉町|2012|p=313}}。ここで用いられる[[公理系]]とは論理的な形で与えることのできる究極の形式的表現であり、理論の精密性を保証するために必要不可欠であった{{Sfn|鈴木|2007|pp=48-49}}。従来の[[経済学]]には'''原理'''({{lang-en-short|''principle''}})という言葉が多用されるものの'''公理'''({{lang-en-short|''axiom''}})という言葉は用いられなかった。これに対して、ゲーム理論は[[社会科学]]において初めて[[公理系]]と呼ばれる概念を用いて社会状況を表現してその解を導くことを試みた学問分野である{{Sfn|鈴木|2007|p=48}}。

[[ファイル:CarlMenger.png|サムネイル|左|[[カール・メンガー]]。公理主義的経済学の提唱者{{Sfn|鈴木|2007|p=30}}。[[ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズ]]や[[レオン・ワルラス]]と同時期に[[限界革命|限界効用説]]を打ち立てたことでも知られる。]]
[[オーストリア学派]]の中心的経済学者であった[[カール・メンガー]]が'''公理主義的経済学'''の構築を提案していた頃、[[ジョン・フォン・ノイマン]]は[[ダフィット・ヒルベルト]]と共同で[[数学]]や[[量子力学]]の公理化を進めていた{{Sfn|鈴木|2007|p=30}}。一方、[[オスカー・モルゲンシュテルン]]はメンガーらの影響を受け、公理論的基礎を持つ科学的言語の創造とそれに基づく社会科学と[[倫理学]]に再構築を構想していた{{Sfn|鈴木|2007|pp=30-31}}。ゲーム理論はこのフォン・ノイマンとモルゲンシュテルンが出会ったことによって誕生し、その当初から公理論的体系を具していた。彼らの共著書『ゲームの理論と経済行動』([[1944年]])において用いられた公理論的アプローチは、ナッシュの交渉問題、[[ナッシュ均衡]]、[[シャープレー値]]など後のゲーム理論研究において多用されることとなった。公理論的アプローチによって構築されたゲーム理論は、社会を構成する人間の理性的行動を明確に記述・分析する言葉として多様な分野で用いられ発展している{{Sfn|鈴木|2007|pp=49-50}}。

公理論的アプローチはゲーム理論以外にも[[価格理論]]などの主流派経済学にまで普及しているがその一方で、[[ポスト・ケインズ派経済学|ポスト・ケインズ派]]、[[制度派経済学|旧制度派]]、[[オーストリア学派]]、[[ラディカル・エコノミックス|ラディカル派]]、[[マルクス経済学|マルクス学派]]などの異端派経済学者からは批判を受けている。彼らが共有する'''批判的実在論'''({{lang-en-short|''critical realism''}})によれば、公理論アプローチを採用している主流派経済学は何かを説明する際に公理となる仮定や条件から演繹する必要があるが、この方法では[[社会科学]]が事象の規則ではなく深層の社会構造や経済主体に関心を持っていることを認識できないという{{Sfn|ブラウン|2009|p=347}}。すなわち、現実世界が社会構造と経済主体からなる「開放系」であるにも関わらず、システムを「閉鎖系」としてしか分析できない公理論的アプローチを用いている限り、理論・実証の双方とも不完全なままにとどまるであろう、という批判がなされている{{Sfn|ブラウン|2009|p=347}}。


== 研究史 ==
== 研究史 ==
=== 前史 ===
紛争や対立における戦略的局面を数学的に解析しようとする試みは、19世紀以前より行われていた。そして、それらの考えを体系的に整理した人物としては、当時の[[測度論]]の権威であった[[エミール・ボレル]]の名が知られている。[[ジョン・フォン・ノイマン|フォン・ノイマン]]は、それらの試みにさらなる理論的意味付けを与え、理論体系を構築し、[[1928年]]には『ゲーム理論(Zur Theorie der Gesellschaftsspiele)』を、また[[1937年]]には『均斉成長経路の定式化とブラウワーの定理の一般化(Über ein ökonomisches Gleichungssystem und eine Verallgemeinerung des Brouwerschen Fixpunksatzes)』発表した。これらの論文では、「対象モデルを[[コンパクト空間|コンパクト]][[凸集合]]として扱い、それに対して[[ライツェン・エヒベルトゥス・ヤン・ブラウワー|ブラウワーの不動点定理]]を適用する」という現在のゲーム理論における主流ともいえる手法がすでに用いられていた。1928年の『ゲーム理論』で[[ミニマックス法|ミニマックス定理]]の証明がなされたことで、ゲーム理論の応用数学としての枠組みが明確化されるようになった。しかし、これらの論文は、不動点定理を経済学の均衡問題に適用すると言う点で斬新ではあったものの、数学的には目新しい要素はなく、理論の適用対象となるモデルも限定されており、かつ用途も分かりにくいものであったため、大きく取り上げられることはなかった。
ゲーム理論が誕生する遥か昔からゲームに関する研究は連綿と行われていた。狩りや耕作の収穫を祈るために、古代社会においてはサイコロやクジを用いた占術が洋の東西を問わず広く行われており、それらに関する逸話は『[[旧約聖書]]』や『[[魏志倭人伝]]』にも見ることができる{{Sfn|鈴木|2014|pp=2-3}}。このような、他者の戦略が問題とされないようなゲームは「'''偶然ゲーム'''({{lang-en-short|''games of chance''}})」と呼ばれるが、偶然ゲームに関する研究は[[クラウディウス]] ([[紀元前10年|BC10]] - [[54年|AD54]]) の『サイコロで勝つ方法』や[[ガイウス・スエトニウス・トランクィッルス|スエトニュウス]] ([[69年|AD69]] - [[141年|AD141]])の『ローマ諸皇帝の生涯』にまで遡ることができる{{Sfn|鈴木|1999|p=54}}。


[[ファイル:Gottfried Wilhelm von Leibniz.jpg|サムネイル|右|[[ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ]]。[[1710年]]に出版された著書 ''Annortatio de quibusdam ludis'' において相互依存的なゲームを初めて論じた{{Sfn|鈴木|2014|p=7}}{{Sfn|鈴木|1999|p=237}}。]]
その後、ノイマンは、経済学者の[[オスカー・モルゲンシュテルン]]と共に、ゲーム理論を経済学の世界へと持ち込み、[[1944年]]に『ゲーム理論と経済行動(Theory of Games and Economic Behavior)』を共著で発表した。この論文では、経済的に紛争状態にある諸主体とその利害関係、不完全情報、合理的決定、偶然などの因子の存在についての分析から始まるものであり、実際的な情勢は理論的に定式化できるゲームにモデル化されている。この活動は、[[ジョン・ナッシュ]]、[[ラインハルト・ゼルテン]]、[[ジョン・ハーサニ]]、[[ロバート・オーマン]]、[[トーマス・シェリング]]、[[ロイド・シャープレー]]、[[ジョン・メイナード=スミス]]など、数学的慧眼を持つ若者達を引きつけ、ゲーム理論は学問の世界で次第に広がった。
ゲームの研究は[[確率論]]が誕生した[[17世紀]]に大きく進展した。17世紀には、[[ガリレオ・ガリレイ]]が著書『ダイス・ゲームに関する考察』(1613 - 1623) の中で効用概念について先駆的研究をしている{{Sfn|鈴木|1999|p=55}}。また、[[ブレーズ・パスカル]]は[[ピエール・ド・フェルマー]]との往復書簡 ([[1654年]]) の中で数学的期待値を最大化する戦略を論じている{{Sfn|鈴木|1999|p=55}}。これらはいずれも偶然ゲームの研究であり、他者の戦略は問題とされていなかった。[[17世紀]]後半になると、[[微分積分学]]の創始者としても知られる[[ドイツ]]の[[哲学者]][[ゴットフリート・ライプニッツ]]によって初めて確率のみに決定されないゲームが研究された{{Sfn|鈴木|1999|p=237}}。ライプニッツによって分析された、[[ボードゲーム]]のような相手の戦略が問題となるようなゲームは、偶然ゲームと区別して「'''技術のゲーム''' ({{lang-en-short|''games of skill''}})」と呼ばれる。[[確率論]]が偶然ゲームの考察から誕生したのに対して、ゲーム理論は技術のゲームから誕生したと言える{{Sfn|鈴木|1981|p=7}}。17世紀から18世紀にかけては、[[イギリス]]のJames Waldegrave (1684 - 1741) が[[フランス]]のPierre Remond de Montmort (1678 - 1719) への書簡の中で[[ゲーム理論#ゲームの構成要素|混合戦略]]と[[ミニマックス原理]]のアイデアを論じている{{Sfn|鈴木|1999|p=56}}{{Refnest|group="†"|Waldegraveによるこの論考は、"Minimax solution of a 2-person, zero-sum game, reported in a letter from P. de Montmort to N. Bernouilli, transl. and with comments by H. W. Kuhn" という名が付けられ、[[1968年]]に出版された論文集{{Sfn|Baumol|Goldfeld|1968}}に掲載されている<ref name="kuhn">{{Harvnb|フォン・ノイマン|モルゲンシュテルン|2014|pp=i–ix}}、[[ハロルド・クーン]]による「まえがき」。</ref>。}}。


[[18世紀]]には[[イギリス]]の哲学者[[デイヴィッド・ヒューム]]が著書『[[人間本性論|人性論]]』([[1739年]])において国民が私的な動機にしか反応しない場合に公的資源が過剰に使用されることを示唆している。このヒュームの思想は、[[1968年]]に[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[生物学者]][[ギャレット・ハーディン]]が雑誌『[[サイエンス]]』上に論文 "The Tragedy of the Commons" を発表したことにより広く認知されるようになり、ヒュームの指摘した現象は現代のゲーム理論では「[[共有地の悲劇]]」として定式化されている{{Sfn|ギボンズ|1995|pp=26-27}}。また18世紀中葉には、[[アダム・スミス]]が著書『[[道徳情操論]]』([[1759年]]) の中で人間社会を「偉大なるチェス盤」に喩え、「人間社会のゲーム ({{lang-en-short|the game of human society}})」が成功するための条件を論じている{{Sfn|岡田|2007a}}。
20世紀半ばのゲーム理論研究の中心地は、1948年に米空軍の研究機関として創設された[[ランド研究所]]であった。ランド研究所では、ゲーム理論に[[力学系]]や[[集合論]]、[[離散数学]]、[[組合せ最適化]]等の手法を取り入れる試みが行われ、これらによってゲーム理論は飛躍的な発展を遂げた。


[[ファイル:Antoine Augustin Cournot.jpg|サムネイル|左|[[アントワーヌ・オーギュスタン・クールノー]]。数学的モデルを用いた経済分析の先駆的研究により、「数理経済学の祖」と称される。]]
後に[[リーマン多様体]]の研究に関して大きな功績を残す数学者ジョン・ナッシュは、[[プリンストン大学]]の博士課程在学中に非ゼロ和ゲームについて研究を行った。ナッシュは、[[角谷静夫]]による[[角谷の不動点定理]]を一般化し、「n人有限ゲームには、最低でも一つの均衡点、つまりプレーヤーが相互に最適な戦略を取り合って手を変えない状態([[ナッシュ均衡]])が存在すること」を証明した。これは、非零和ゲームに均衡点が存在することを明らかにした意味で、画期的な発見であった。
[[19世紀]]には、[[フランス]]の[[経済学者]][[アントワーヌ・オーギュスタン・クールノー]]が[[1838年]]に発表した論文『富の理論の数学的原理に関する研究』({{lang-fr-short|''Recherches sur les principes mathématiques de la théorie des richesses''}})において寡占市場のナッシュ均衡を分析した{{Sfn|奥野|2008|p=235}}{{Refnest|group="†"|クールノーが生産量を「戦略」と解釈して寡占市場を分析したのに対し、{{仮リンク|ヨセフ・ベルトラン|en|Joseph Bertrand}}は[[1883年]]に発表された論文 "Théorie Mathématique de la Richesse Sociale" において価格が「戦略」であるモデルを分析している{{Sfn|ギボンズ|1995|p=16}}。クールノー・モデルとベルトラン・モデルの解は一般的にはそれぞれ異なるが、どちらも「ナッシュ均衡」として統一的に説明することが可能である{{Sfn|ギボンズ|1995|p=22}}。}}。この枠組みは今日では[[クールノー・ゲーム]]と呼ばれている。特殊な複占モデルであったとはいえ、クールノーはナッシュ均衡の定義をゲーム理論成立の一世紀以上前に先触れしており、このクールノーの業績はゲーム理論の古典の一つとして数えられ、また、[[産業組織論]]の一つの基石にもなっている{{Sfn|ギボンズ|1995|p=15}}。


[[20世紀]]初頭には、[[ドイツ]]の[[数学者]][[エルンスト・ツェルメロ]]が「チェスの理論への集合論の応用について」 ({{lang-de-short|''Uber eine Anwendung der Mengenlehre auf die Theorie des Schachspiels''}}) という論文を発表し、チェスのように単純なゲームを分析した ([[1913年]])。この論文においてツェルメロは(現在の言葉で言えば)完全情報を持つゼロ和二人ゲームに純戦略で最適戦略が存在することを証明している。この命題は今日では「ツェルメロの定理」と呼ばれている{{Sfn|鈴木|2014|p=26}}。[[1920年代]]には[[フランス]]の数学者[[エミール・ボレル]]が三つの論文{{Harvnb|Borel|1921}}、{{Harvnb|Borel|1924}}、{{Harvnb|Borel|1927}}の中でWaldegraveが200年以上前に論じていた混合戦略とミニマックス解を初めて厳密な数学的手法によって分析しようと試みた。ただしボレルは非常に単純なケースのみを分析しており、戦略集合が一般的なケースではミニマックス解が存在しないと予想していたが、この予想は後にフォン・ノイマンによって否定的に証明されている{{Sfn|鈴木|2014|p=27}}。
1950年代には、[[ハロルド・クーン]]らによって、完全情報や行動戦略などの概念が定義され、完全情報ゲームにおける均衡点の存在と完全情報ゲームでの行動戦略と混合戦略が同値であることが証明された。また、協力ゲームにおける安定集合の存在を踏まえ、ロイド・シャープレーによって、一般n人協力ゲームにおける代表的な解である[[シャープレイ値]]が明らかにされた。


=== 「社会的ゲームの理論について」(1928年) ===
1950年、アメリカ合衆国[[ランド研究所]]の[[メリル・フラッド]]は、人間の不合理性をゲーム理論の方法で解明する研究を進め、ナッシュの均衡理論に反するような不合理な行動に着目した。ナッシュ均衡点の解とは、後からゲームを振り返って、双方が自分の戦略に満足できる選択肢の組合せである。フラッドは、[[メルヴィン・ドレッシャー]]と共同して、現実の人間の行動を観察する実験研究を行った。そして、フラッド・ドレッシャー実験の結果から、「被験者がナッシュ均衡点である行動はむしろ稀である」ことを報告した。また、同じくランド研究所の顧問であった[[アルバート・タッカー]]は、この実験結果を紹介するために、よく知られている囚人のジレンマの物語を作り上げた。囚人のジレンマでは、全体の利得に反して、個々人の利得を最大化せざるをえないことを示唆していた。同時に、これは、ゲーム理論が単一のミニマックス、ナッシュ均衡に基づいて戦略を立案する合理的プレーヤーの存在について見直しを要請する結果でもあった。
[[ファイル:JohnvonNeumann-LosAlamos.gif|サムネイル|[[ハンガリー]]出身の数学者[[ジョン・フォン・ノイマン]]。[[数理経済学]]のみならず、数学、[[数理論理学|論理学]]、物理学、[[コンピュータ科学]]、[[気象学]]をはじめとするさまざまな分野で業績を上げた{{Sfn|塩沢|1994|pp=238-239}}。]]
ゲーム理論はフォン・ノイマンとモルゲンシュテルンの大著『ゲームの理論と経済行動』が[[1944年]]に出版されることによって誕生したとされるのが一般的であるが、その数学的基礎はフォン・ノイマンが[[1928年]]に発表した論文「社会的ゲームの理論について」({{lang-de-short|''Zur Theorie der Gesellschsftsspiele''}}{{Sfn|von Neumann|1928}}) から始まる{{Sfn|岡田|2007a}}。この論文では、ゼロ和2人ゲームのミニマックス定理が[[閉区間|区間]] [0,&nbsp;1] で定義された点対集合写像の不動点定理を用いて証明されるとともに、戦略形''n''人ゲームと戦略の定式化、提携とマックスミニ値を用いたゼロ和3人ゲームの分析など、ゲーム理論の基礎概念と分析方法が提示されている{{Refnest|group="†"|この論文においてフォン・ノイマンが用いた不動点定理は後に「[[角谷の不動点定理]]」{{Sfn|Kakutani|1941}}として一般化される{{Sfn|岡田|2007a}}。}}。


論文では戦略ゲームの例としてルーレットやチェス、じゃんけんなどの室内ゲームに言及しているだけであるが、最初の頁の脚注で「戦略ゲームは与えられた外生的条件の下で利己的なホモエコノミカスはいかに行動するかという古典経済学の主要問題である」と述べられており、「社会的ゲーム」という論文のタイトルとともにこの脚注で示されている問題意識は明らかにフォン・ノイマンがゲーム理論を単に室内ゲームの数学理論でなく経済行動の数学理論として認識していたことを示している{{Sfn|岡田|2007a}}{{Sfn|鈴木|1999|p=40}}。フォン・ノイマンのような一流の数学者が経済学的な問題意識に基づいた研究を行った背景としては、当時の[[ウィーン]]では[[オーストリア学派]]の[[カール・メンガー]]が主催する数学コロキアムを通じて数学者と経済学者の活発な交流が行われていたことが指摘されている{{Sfn|依田|2013|p=154}}。
== ゲーム理論の応用 ==
現在のゲーム理論は[[純粋数学]]としての解析的研究のみに留まらず、[[生物学]]([[進化的に安定な戦略]])や[[工学]]といった自然科学はもちろんのこと、[[経済学]]、[[経営学]]、[[心理学]]、[[社会学]]、[[政治学]]など[[社会科学]]への応用も多く見られ、特に経済学において大きな成功をおさめている。またボードゲームやコンピュータゲームなどのいわゆる「ゲーム」の研究にも利用されている。


=== 『ゲームの理論と経済行動』(1944年) ===
ゲーム理論を駆使して[[ノーベル経済学賞]]を受賞した学者は少なくない(1994年:[[ジョン・ナッシュ|ジョン・F・ナッシュ]]、[[ラインハルト・ゼルテン]]、[[ジョン・ハーサニ|ジョン・C・ハーサニー]]の3名、2005年:[[ロバート・オーマン]]と[[トーマス・シェリング]]の2名)。また、ゲーム理論に強い影響を受けた[[情報の非対称性]]をもつ市場分析によって、[[ジョージ・アカロフ]]、[[マイケル・スペンス]]、[[ジョセフ・スティグリッツ]]の3名が2001年に経済学賞を受賞した。2009年には、[[エリノア・オストロム]]がゲーム理論を用いた実験環境において、森や湖などの[[コモンズ|共有資源]]を効率的に管理できることを明らかにし、共有資源の管理を政府による規制や市場による民営化に委ねるべきだという従来の考え方に挑戦した業績で、経済学賞を受賞した<ref>[[岡田章]] [http://wakame.econ.hit-u.ac.jp/~aokada/kakengame/Dr.Elinor%20Ostrom_Nobel%20Prize%20in%20Economics.pdf 「エリノア・オストロム教授のノーベル経済学賞受賞の意義」] 2009年。</ref>。
[[ファイル:Nassau hall princeton university.jpg|サムネイル|右|[[プリンストン大学]]。フォン・ノイマンとモルゲンシュテルンはいつも学生用クラブハウスで一緒に朝食を食べながらゲーム理論の研究に関する議論をしていた。朝食後から夕方パーティが開かれる時刻まで執筆を続けることもしばしばあり、"endless meeting" と揶揄された{{sfn|鈴木|2014|pp=76–77}}。]]
[[オーストリア学派]]の経済学者[[オスカー・モルゲンシュテルン]]は[[1928年]]に刊行した著書『経済予測ー仮定とその可能性についての考察』においてフォン・ノイマンとは独立に、経済学におけるゲーム的状況の重要性を論じていた。この著書の中でモルゲンシュテルンは、経済主体が他の主体の決定を反映していない「死んだ」変数とそうでない「生きた」変数の二種類の変数に直面していることを明らかにし、現実の経済にとって後者がより重要であること、さらに従来の経済理論が「死んだ」変数しか扱えないことなどを指摘していた{{Sfn|フォン・ノイマン|モルゲンシュテルン|2014|p=952}}。さらに、モルゲンシュテルンは[[1935年]]に発表した論文「完全予見と経済均衡({{lang-de-short|"Volkkommence Voraussicht und Wirtschsftliches Gleichgewicht"}})」で当時の思想界から高い評価を受けたが、それを[[カール・メンガー]]の主催するコロキアムで報告した際に数学者チェクからモルゲンシュテルンの扱っている問題がフォン・ノイマンの「社会的ゲームについて」で扱われている問題と同じであることを教えてもらった{{Sfn|鈴木|2014|pp=48-49}}。当時、モルゲンシュテルンはウィーン景気循環研究所の所長であり、現実経済の研究で忙しくゲーム理論の研究には取り組めていなかったが{{Sfn|鈴木|2014|pp=48-49}}、[[1938年]]の[[ナチス]]侵攻が原因で研究所所長を解雇されるとモルゲンシュテルンはフォン・ノイマンとの共同研究を期待して[[プリンストン]]に移住した{{Sfn|鈴木|1999|p=242}}。モルゲンシュテルンは[[プリンストン大学]]に赴任した[[1939年]][[2月1日]]には同僚のフォン・ノイマンや[[ニールス・ボーア]]と数時間に渡ってゲームや実験に関する議論をした{{sfn|鈴木|2014|p=73}}{{Sfn|岡田|2011|pp=9-10}}。やがてモルゲンシュテルンは経済学への応用を念頭にゲーム理論を体系化した論文の草稿「ゲームの理論と経済行動」をフォン・ノイマンに見せるが、フォン・ノイマンは「短すぎてわかりにくい」とコメントし、「この論文を共同で書こう」と提案してきたという{{sfn|鈴木|2014|pp=75-76}}。[[1940年]]の秋頃、フォン・ノイマンはこの論文は雑誌論文としては長すぎるので分割して発表しようと提案したが、執筆する内にますます文量が増え、独立した100頁の書籍として出版することがプリンストン大学出版局との間で契約された{{Sfn|鈴木|2014|p=76}}。執筆途中にモルゲンシュテルンがボレルの編著『確率の計算とその応用』([[1938年]])に収められた[[ジェーン・ヴィル]]の論文「ゲームの一般理論とプレイヤーの技能について」を偶然読んだことが契機となり、[[ブラウワー]]の[[不動点定理]]ではなく凸集合の分離定理を用いること着想し、[[プリンストン高等研究所]]におけるフォン・ノイマンの部下であった[[角谷静夫]]に補題を証明させ、それを用いてミニマックス定理を証明した{{sfn|鈴木|2014|p=79}}。このとき角谷によって証明された補題は「[[角谷の不動点定理]]」として知られている。[[1942年]]の[[クリスマス]]にフォン・ノイマンが軍事出張の[[ワシントン]]からプリンストンに帰った際に最後の数頁が書き終わり、[[1943年]][[1月1日]]に序文が書かれ、予定の100頁をはるかに超える1200頁の大著『ゲームの理論と経済行動』({{lang-en-short|''Theory of Games and Economic Behavior''}}、略称: '''TGEB'''<ref name ="kuhn"/>)が完成した{{Sfn|鈴木|2014|p=81}}{{Sfn|岡田|2011|pp=10-11}}{{Refnest|group="†"|書名を ''General Theory of Rational Behavior'' にする案もあったが、モルゲンシュテルンの最初の草稿のタイトルである『ゲームの理論と経済行動』が採用された、という逸話がある{{Sfn|鈴木|1999|p=37}}。}}。この大著は角谷静夫の校正を経て[[1944年]][[1月18日]]に出版された{{Sfn|鈴木|2014|pp=81-82}}。フォン・ノイマンが著者名の掲載順を通例に従いアルファベット順にしようと提案していたが、モルゲンシュテルンはそれを拒否したため、von Neumann and Oskar Morgenstern という掲載順で出版に至った{{Sfn|鈴木|2014|p=82}}。


『ゲームの理論と経済行動』においてフォン・ノイマンとモルゲンシュテルンは、まず、2人ゼロ和ゲームを[[展開形ゲーム]]と[[戦略形ゲーム]]によって表現し、このゲームにおける2人のプレイヤーそれぞれの最適な行動である'''ミニマックス行動'''を与え、その存在を示した('''ミニマックス定理'''){{Sfn|武藤|2011|p=2}}。さらに、2人のプレイヤーの利害が完全には対立しない2人非ゼロ和ゲームを考え、3人以上のプレイヤーからなるゲームについてはプレイヤー間で話し合いが行われ協力行動が起こると考えその表現形式として[[提携形ゲーム]]を定義し、[[協力ゲーム]]の解概念である[[安定集合]]を定義・分析した{{Sfn|武藤|2011|p=2}}。本書後半では安定集合を用いた市場分析などの経済学へのゲーム理論の応用が論じられた{{Sfn|武藤|2011|p=2}}。
===経済学への影響===
現実の経済現象においては、たとえばライバル企業の動向が自社の利益を左右するように、自分の利得が他の経済主体の行動に影響を受けていると考えるのが自然である。このとき、自分の最適な行動は他者の行動によって変わり、他者にとって最適な行動は自分の行動により変わる。ゲーム理論は、このように最適な戦略が相互に依存し、相手の戦略を読み合う必要が生じるような状況を分析対象としている。


1944年に出版された『ゲームの理論と経済行動』に対する反響は大きく、以下のような書評が寄せられている<ref name="kuhn"/>。[[ハーバート・サイモン]]([[1978年]]ノーベル賞受賞)は「社会理論を数学的に扱うことの必要性を確信している社会科学者たちを&mdash;まだ考えを変えていないがその点に対する説得には耳を傾けようとしている社会科学者と同様に&mdash;『ゲームの理論と経済行動』を修得するという仕事にとりかかること」を勧めた{{Sfn|Simon|1945}}。サイモンは彼自身が構想していた研究をフォン・ノイマンとモルゲンシュテルンによって先んずられてしまうのではないかと不安であり、1944年のクリスマス休暇のほとんどを『ゲームの理論と経済行動』を読むことに費やしたという<ref name="kuhn"/>。[[レオニード・ハーヴィッツ]]([[2009年]][[ノーベル賞]]受賞)は「著者たちが経済学の問題の処理に用いた手法は十分な一般性を持っており、政治科学にも、社会学にも、また軍事戦略にも用いることができる」とし、「本書のようなすばらしい書が出版されることはめったにないことである」と賞賛した{{Sfn|Hurwics|1945}}{{Sfn|Hurwics|1953}}。[[ミシガン大学]]教授の数学者[[アーサー・コープランド]]は「後世の人々は、本書を20世紀前半における主要な業績として評価する」と称賛した{{sfn|Copeland|1945}}。[[シカゴ大学]]教授の[[ジャコブ・マルシャック]]は「この書の注意深く厳密な精神」を賞賛し、「このような書籍は10冊以上出るだろうし、経済学の進歩は確かである」と語った{{Sfn|Marschak|1946}}{{sfn|Marschak|1950}}。
最適な戦略が相互に依存し合う状況は多く見られる。そのため、ミクロ経済学だけではなく他の経済学の分野、さらには政治学や心理学、生物学においてもゲーム理論は応用されている。


[[1947年]]には第2版が出版され、初版の第3章では論文誌に発表すると予告されていた付録が加えられた{{Sfn|フォン・ノイマン|モルゲンシュテルン|2014|p=xii}}。この付録によって初めて[[フォン・ノイマン=モルゲンシュテルン効用関数]]が明確に定義され、'''期待効用理論'''が誕生した{{Sfn|岡田|2011|p=11}}{{Sfn|鈴木|2014|p=82}}。なお、第2版の付録には産業の[[立地論|立地理論]]への応用や4人以上のゲームの問題などに関する付録も予定されていたが、著者らの多忙により断念された{{Sfn|フォン・ノイマン|モルゲンシュテルン|2014|p=xii}}。[[1953年]]に出版された第3版と第2版との違いは誤植の訂正だけであり{{Sfn|フォン・ノイマン|モルゲンシュテルン|2014|p=xiv}}、現在では1947年に出版された第2版が定版とされている{{sfn|鈴木|1999|p=244}}。
{{節stub}}

[[ダニエル・ベルヌーイ|ベルヌーイ]]が[[1738年]]に提唱した期待効用原理は当初からさまざまな批判に遭い長らく受け入れられなかったが、フォン・ノイマンとモルゲンシュテルンがベルヌーイの思想を期待効用原理として公理化したことによって学界からも広く受け入れられることとなった{{Sfn|鈴木|2007|pp=29-30}}。『ゲームの理論と経済行動』はその構成からも分かるように{{Refnest|group="†"|以下に『ゲームの理論と経済行動』の第2版の目次を掲げる{{Sfn|フォン・ノイマン|モルゲンシュテルン|2014|pp=xix-xxxi}}。<br>
'''『ゲームの理論と経済行動』(第2版)目次'''
{{Hidden
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| header = 第1章 経済問題の定式化
| content =
:1. 経済学における数学的方法
::1.1 序言
::1.2 数学的方法の応用の困難さ
::1.3 対象の必要な限界
::1.4 結論としての注意
:2. 合理的行動の性質上の議論
::2.1 合理的行動の問題点
::2.2 「ロビンソン・クルーソー」経済と社会的交換経済
::2.3 変数の数と参加者の数
::2.4 変数が多数の場合:自由競争
::2.5 「ローザンヌ」学説
:3. 効用の概念
::3.1 選好と効用
::3.2 測定の原則:前置き
::3.3 確率と数量化された効用
::3.4 測定の原則:詳論
::3.5 数量化された効用の公理的扱いの概念的構造
::3.6 公理とその解釈
::3.7 公理に関する一般的な注意
::3;8 限界効用の概念と役割
:4. 理論の構築:解と行動基準
::4.1 1人の参加者についての最も簡単な解の概念
::4.2 すべての参加者への拡張
::4.3 配分の集合としての解
::4.4 「優越」または「支配」の非推移的な概念
::4.5 解の正確な定義
::4.6 「行動基準」からのわれわれの定義の解釈
::4.7 ゲームと社会組織
::4.8 結びにあたっての注意
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| header = 第2章 戦略ゲームの一般的・本格的な記述
| content =
:5 導入部
::5.1 経済学からゲームへの重点の移行
::5.2 分類と方法の一般原理
:6 ゲームの単純化された概念
::6.1 専門的用語の説明
::6.2 ゲームの要素
::6.3 情報と既知性
::6.4 既知性、推移性とシグナリング
:7 ゲームの完全な概念
::7.1 各手番の特徴の多様性
::7.2 一般的な記述
:8 集合と分割
::8.1 ゲームの集合論的な記述の望ましさ
::8.2 集合とその性質およびその図による説明
::8.3 分割とその性質およびその図による説明
::8.4 集合と分割の記号論理学的な説明
:9 ゲームの集合論的な記述
::9.1 ゲームを表す分割
::9.2 分割とその性質の議論
:10 公理論的な定式化
::10.1 公理とその説明
::10.2 公理の記号論理学的な議論
::10.3 公理に関する一般的注意
::10.4 図による表示
:11 戦略とゲームの記述の最終的な簡単化
::11.1 戦略の概念とその定式化
::11.2 ゲームの記述の最終的な簡単化
::11.3 簡単化されたゲームにおける戦略の役割
::11.4 ゼロ和制限の意味
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| header = 第3章 ゼロ和2人ゲーム:理論
| content =
:12 序論
::12.1 一般的な視点
::12.2 1人ゲーム
::12.3 偶然と確率
::12.4 次の目的
:13 関数解析
::13.1 基本的定義
::13.2 最大、最小の演算
::13.3 交換問題
::13.4 混合した場合、鞍点
::13.5 主要な事柄の証明
:14 厳密に決定されたゲーム
::14.1 問題の定式化
::14.2 劣関数ゲームと優関数ゲーム
::14.3 補助的なゲームの議論
::14.4 結論
::14.5 厳密な決定の分析
::14.6 プレイヤーの取り替え、対称性
::14.7 厳密には決定されないゲーム
::14.8 厳密な決定のくわしい分析のプログラム
:15 完全情報をもつゲーム
::15.1 目的の記述、帰納法
::15.2 正確な状態(第1のステップ)
::15.3 正確な条件(完全な帰納法)
::15.4 機能的ステップの正確な議論
::15.5 機能的ステップの正確な議論(続き)
::15.6 完全情報の場合の結果
::15.7 チェスへの応用
::15.8 代替的な言葉による議論
:16 線形性と凸性
::16.1 幾何学的な背景
::16.2 ベクトル演算
::16.3 支持超平面の定理
::16.4 行列に関する代替的な定理
:17 混合戦略、すべてのゲームの解
::17.1 2つの基本例についての議論
::17.2 この観点の一般か化
::17.3 個々のプレイに適用された場合のこの方法の正当性
::17.4 劣関数ゲームと優関数ゲーム(混合戦略に関して)
::17.5 一般的な厳密な決定
::17.6 主要定理の証明
::17.7 純戦略と混合戦略による取り扱いの比較
::17.8 一般的な厳密な決定の分析
::17.9 良い戦略のさらに深い特性
::17.10 失敗とその結果、不変最適性
::17.11 プレイヤーの取り替え、対称性
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| header = 第4章 ゼロ和2人ゲーム:例
| content =
:18 いくつかの基本的なゲーム
::18.1 最も簡単なゲーム
::18.2 これらのゲームの詳細な数量的な議論
::18.3 性質上の特徴
::18.4 いくつかの個々のゲームの議論(コイン合わせの一般形)
::18.5 いくつかのやや複雑なゲーム議論
::18.6 偶然と不完全情報
::18.7 以上の結果の説明
:19 ポーカーとハッタリ
::19.1 ポーカーの説明
::19.2 ハッタリ
::19.3 ポーカーの説明(続き)
::19.4 ルールの正確な定式化
::19.5 戦略の説明
::19.6 問題の記述
::19.7 離散的問題から連続的問題への移行
::19.8 解の数学的な決定
::19.9 解のくわしい分析
::19.10 解の説明
::19.11 ポーカーの一般的な形
::19.12 離散的な手札
::19.13 ''m''通りのビッドが可能な場合
::19.14 代替的なビッド
::19.15 すべての解が数学的な表現
::19.16 解の解釈、結論
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| header = 第5章 ゼロ和3人ゲーム
| content =
:20 予備的な解説
::20.1 一般的な観点
::20.2 提携
:21 3人の単純多数決ゲーム
::21.1 ゲームの記述
::21.2 ゲームの分析:「協定」の必要性
::21.3 ゲームの分析:提携、対称性の役割
:22 さらに詳しい例
::22.1 非対称的な分配、補償の必要性
::22.2 強さの異なる提携、議論
::22.3 不等式、公式
:23 一般的な場合
::23.1 徹底的な議論、非本質的ゲームと本質的ゲーム
::23.2 完全な公式
:24 反論についての議論
::24.1 完全情報の場合とその意義
::24.2 詳細な議論
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| header = 第6章 一般理論の定式化:ゼロ和''n''人ゲーム
| content =
:25 特性関数
::25.1 動機と定義
::25.2 概念の議論
::25.3 基本的な性質
::25.4 直接的な数学的結果
:26 与えられた特性関数をもつゲームの構築
::26.1 構築
::26.2 要約
:27 戦略上同等、非本質的ゲームと本質的ゲーム
::27.1 戦略上同等、節約形
::27.2 不等式、数量&gamma;
::27.3 非本質性と本質性
::27.4 種々の基準、非加法的効用
::27.5 本質的な場合における不等式
::27.6 特性関数についてのベクトル演算
:28 群、対称性および公平
::28.1 置換、その群とゲームに対する影響
::28.2 対称性と公平
:29 ゼロ和3人ゲームの再考
::29.1 性質上の議論
::29.2 数量的な議論
:30 一般的な定義の正確な形
::30.1 定義
::30.2 議論と要約
::30.3 飽和の概念
::30.4 3つに直接的な目標
:31 第1の結果
::31.1 凸性、平坦性および支配に関するいくつかの基準
::31.2 すべての配分の体系、1要素からなる解
::31.3 戦略上同等に対応する同形
:32 本質的ゼロ和3人ゲームのすべての解の決定
::32.1 数学的問題の定式化、図による表現
::32.2 すべての解の決定
:33 結論
::33.1 解の多様性、差別とその意味
::33.2 静学と動学
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| header = 第7章 ゼロ和4人ゲーム
| content =
:34 予備的な概論
::34.1 一般的な観点
::34.2 本質的ゼロ和4人ゲームの形式
::34.3 プレイヤーの置換
:35 立方体''Q''のいくつかの特別な点についての議論
::35.1 頂点''I''(および''V''、''VI''、''VII'')
::35.2 頂点''VIII''(および''II''、''III''、''IV'')、3人ゲームと「ダミー」
::35.3 ''Q''の内部に関してのいくつかの注意
:36 主対角線に関する議論
::36.1 頂点''VIII''の近傍:発見的な議論
::36.2 頂点''VIII''の近傍:厳密な議論
::36.3 対角線上の他の部分
:37 中心とその周辺
::37.1 中心の周囲の状況に関する最初の方向づけ
::37.2 2つの代替案と対称性の役割
::37.3 中心における最初の代替案
::37.4 中心における第2の代替案
::37.5 中心に2つの解の比較
::37.6 中心における非対称的な解
:38 中心の近傍の解と族
::38.1 中心における最初の代替案に属する解の変形
::38.2 厳密な議論
::38.3 解の解釈
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| header = 第8章 n&ge;5なる参加者の場合についてのいくつかの注意
| content =
:39 種々のクラスのゲームにおけるパラメーターの族
::39.1 ''n''=3, 4の場合
::39.2 ''n''&ge;3の場合のすべての状況
:40 対称5人ゲーム
::40.1 対称5人ゲームの定式化
::40.2 2つの極端な場合
::40.3 対称性5人ゲームと1, 2, 3-対称4人ゲームとの関連
}}{{Hidden
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| header = 第9章 ゲームの合成と分解
| content =
:41 合成と分解
::41.1 すべての解が決定されうる''n''人ゲームの探求
::41.2 第1のタイプ、合成と分類
::41.3 厳密な定義
::41.4 分解の分析
::41.5 修正の望ましさ
:42 理論と修正
::42.1 ゼロ和条件の一部放棄
::42.2 戦略上同等、定和ゲーム
::42.3 新理論における特性関数
::42.4 新理論における配分、支配、解
::42.5 新理論における本質性、非本質性、分解可能性
:43 分解分割
::43.1 分離集合、成分
::43.2 すべての分離集合の体系の特徴、分解分割
::43.3 すべての分離集合の体系の特徴、分解分割
::43.4 分解分割の性質
:44 分解可能なゲーム、理論のより一層な拡張
::44.1 (分解可能な)ゲームの解とその成分の解
::44.2 配分および配分の集合の合成と分解
::44.3 解の合成と分解、主要な可能性と推測
::44.4 理論の拡張、外部的要因
::44.5 超過量
::44.6 超過量に対する制約、新しい構成におけるゲームの非孤立的配分
::44.7 新しい装置''E (e_0)''、''F (e_0)''の議論
:45 超過量の限界、拡張された理論の構造
::45.1 超過量の下限
::45.2 超過量の上限、孤立的配分および完全孤立的配分
::45.3 2つの極限値&Gamma;1、&Gamma;2についての議論、その比率
::45.4 孤立的配分と種々の解、''E (e_0)''、''F (e_0)''に関する定理
::45.5 定理の証明
::45.6 要約と結論
:46 分解可能なゲームにおけるすべての解の決定
::46.1 分解の基本的な性質
::46.2 分解とその解との関連
::46.3 続き1
::46.4 続き2
::46.5 ''F(e_0)''における完全な結果
::46.6 ''E(e_0)''における完全な結果
::46.7 結果の一部の図上
::46.8 説明:正常な範囲、種々の性質の遺伝性
::46.9 ダミー
::46.10 ゲームの埋め込み
::46.11 正常な範囲の重要性
::46.12 譲渡現象の最初の発生:''n''=6の場合
:47 新理論における本質的3人ゲーム
::47.1 本議論の必要性
::47.2 予備的考察
::47.3 6つの場合の議論、ケースI-III
::47.4 ケースIV:第1の部分
::47.5 ケースIV:第2の部分
::47.6 ケースV
::47.7 ケースVI
::47.8 結果の解釈:解における曲線(1次元の部分)
::47.9 続き:解における領域(2次元の部分)
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| header = 第10章 単純ゲーム
| content =
:48 勝利提携、敗北提携とこれらがおこるゲーム
::48.1 41.1の第2のタイプ、提携による決定
::48.2 勝利提携と敗北提携
:49 単純ゲームの特徴づけ
::49.1 勝利提携と敗北提携の一般的概念
::49.2 1要素集合の特別な場合
::49.3 実際のゲームにおける''W''、''L''の特徴づけ
::49.4 単純性の厳密な定義
::49.5 単純性のいくつかの基本的な性質
::49.6 単純ゲームとその''W''、''L''、最小勝利提携
::49.7 単純ゲームの解
:50 多数決ゲームとその主要な解
::50.1 単純ゲームの例:多数決ゲーム
::50.2 同質性
::50.3 解を形成する際の配分の概念のより直接的な使用
::50.4 直接的な接近方法の議論
::50.5 一般理論との関連、厳密な定式化
::50.6 結果の再定式化
::50.7 結果の解釈
::50.8 同質性多数決ゲームとの関連
:51 あらゆる単純ゲームを数え上げる方法
::51.1 予備的な注意
::51.2 飽和性による方法:''W''による数え上げ
::51.3 ''W''から''W^m''へ移る理由:''W^m''を用いることの困難さ
::51.4 接近方法の変更、''W^m''を用いることの困難さ
::51.5 単純性と分解
::51.6 非本質性、単純性と合成、超過量の扱い
::51.7 ''W^m''による分解可能性の規準
:52 小さな''n''に関する単純ゲーム
::52.1 計画:''n''=1, 2は何の役割も果たさない、''n''=3の取り扱い
::52.2 ''n''&ge;4の場合の分析:2要素集合とその''W^m''の分類における役割
::52.3 ''C''の場合の分解可能性
::52.4 [1,..., 1, ''l''-2]の以外のダミーをもつ単純ゲーム
::52.5 ''n''=4, 5の処理
:53 ''n''&ge;6の場合の単純ゲームの新しい可能性
::53.1 ''n''<6の場合にみられた規則性
::53.2 6つの主要な反例(''n''=6, 7の場合)
:54 適当なゲームにおけるすべての解の決定
::54.1 単純ゲームにおいて主要解以外の解を考える理由
::54.2 すべての解が知られているゲームの列挙
::54.3 単純ゲーム[1, ..., 1, ''n''-2]を考える理由
:55 単純ゲーム
::55.1 予備的な注意
::55.2 支配、主要プレイヤー、ケースIとII
::55.3 ケースIの処理
::55.4 ケースII:Vの決定
::55.5 ケースII:Vの決定
::55.6 ケースII:''A''と''S''
::55.7 ケースII'とII"、ケースII'の処理
::55.8 ケースII":''A''とV'、支配
::55.9 ケースII":V'の決定
::55.10 ケースII"の処理
::55.11 完全な結果の定式化
::55.12 結果の解釈
}}{{Hidden
| bg1 = #F0 FF FF; font-size: 90%;
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| bg2 = #dcdcdc
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| header = 第11章 一般非ゼロ和ゲーム
| content =
:56 理論の拡張
::56.1 問題の定式化
::56.2 仮想プレイヤー、ゼロ和拡張&Gamma;
::56.3 &Gamma;の特質に関する問題
::56.4 &Gamma;の使用の限界
::56.5 2つの可能な方法
::56.6 差別解
::56.7 代替的な可能性
::56.8 新しい構成
::56.9 &Gamma;がゼロ和ゲームである場合の再考
::56.10 支配の概念の分析
::56.11 厳密な議論
::56.12 解の新しい定義
:57 特性関数と関連した問題
::57.1 特性関数:拡張された形と制限された形
::57.2 基本的性質
::57.3 すべての特性関数の決定
::57.4 プレイヤーの除去可能集合
::57.5 戦略上同等、ゼロ和ゲームと定和ゲーム
:58 特性関数の解釈
::58.1 定義についての分析
::58.2 利得を得る望み対損失に課す望み
::58.3 議論
:59 一般的な考察
::59.1 これからの議論の進め方について
::59.2 縮約形、不等式
::59.3 種々の話題
:60 ''n''&le;3なるあらゆる一般ゲームの解
::60.1 ''n''=1のケース
::60.2 ''n''=2のケース
::60.3 ''n''=3のケース
::60.4 ゼロ和ゲームとの比較
:61 ''n''=1, 2の結果の経済学的解釈
::61.1 ''n''=1のケース
::61.2 ''n''=2のケース、2人市場
::61.3 2人市場の議論とその特性関数
::61.4 58の立場の正当性
::61.5 分割可能性、「限界 ペア」
::61.6 価格、議論
:62 ''n''=3の結果の経済学的解釈:特殊なケース
::62.1 ''n''=3のケース、3人市場
::62.2 予備的な議論
::62.3 解:第1のケース
::62.4 解:一般形
::62.5 結果の代数的な形
::62.6 議論
:63 ''n''=3の結果の経済学的解釈:一般のケース
::63.1 分割可能財
::63.2 不等式の分析
::63.3 予備的な議論
::63.4 解
::63.5 結果の代数的な形
::63.6 議論
:64 一般の市場
::64.1 問題の定式化
::64.2 いくつかの特別な性質、売り手独占と買い手独占
}}{{Hidden
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| bg2 = #dcdcdc
| ta2 = left; color:black;
| header = 第12章 支配および解の概念の拡張
| content =
:65 拡張、特別な場合
::65.1 問題の定式化
::65.2 一般的な注意
::65.3 順序、推移性、非循環性
::65.4 解:対称的関係について、全循環性
::65.5 解:半順序について
::65.6 非循環性と狭義の非循環性
::65.7 解:非循環的関係について
::65.8 解の一意性、非循環性と狭義の非循環性
::65.9 ゲームに対する応用:離散性と連続性
:66 効用の概念の一般化
::66.1 一般化、理論的取り扱いの2つの側面
::66.2 第1の側面についての議論
::66.3 第2の側面についての議論
::66.4 2つの側面を統合する希望
:67 例についての議論
::67.1 例の記述
::67.2 解とその解釈
::67.3 一般化:異種の離散的効用尺度
::67.4 交渉に関する結論
}}{{Hidden
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| header = 付録
| content =
:A.1 問題の定式化
:A.2 公理からの誘導
:A.3 結びとしての注意
}}
}}
[[公理]]論的なアプローチを採用している。彼らは[[経済学]]に初めて公理論的なアプローチを取り入れたと言われており、その方法・構成・表現は後のゲーム理論研究の模範として踏襲されていった{{Sfn|鈴木|2007|pp=48-50}}。

=== 1950年代 ===
[[ファイル:John f nash 20061102 3.jpg|サムネイル|右|[[ジョン・ナッシュ]]。彼の波乱万丈な半生は[[ハリウッド映画]]『[[ビューティフル・マインド]]』のモデルにもなった{{sfn|依田|2013|pp=151-152}}。]]
[[第二次世界大戦]]終了後、[[ジョン・フォン・ノイマン]]がゲーム理論の講義を担当していた[[プリンストン大学]]には若い優秀な学生が集まっており、その一人が[[ジョン・ナッシュ]]([[1994年]]ノーベル賞受賞)であった。ナッシュは[[1950年]]に発表した論文の中で初めて[[非協力ゲーム]]を定義し、非協力''n''人ゲームの均衡点([[ナッシュ均衡]])の存在を証明した{{Sfn|Nash|1950}}。ただし、'''非協力ゲーム'''({{lang-en-short|''non-cooperative game''}})という言葉が登場したのはナッシュの博士論文でもある{{harvnb|Nash|1951}}が初めてであった。フォン・ノイマンは非協力ゲームよりも[[協力ゲーム]]の方が社会的に重要であると考えていたが、ナッシュ均衡が{{Harvnb|Cournot|1838}}によって分析された寡占市場均衡の一般化であることを理解して初めてナッシュ均衡の概念を受け入れたと言われている{{Sfn|鈴木|1999|p=181}}。

またナッシュはフォン・ノイマンらの『ゲームの理論と経済行動』において全く論じられていなかった「交渉と妥協点」の理論を構築した([[ナッシュの交渉解]]){{Harv|Nash|1953}}。このナッシュの研究手法は「公理論的アプローチ」と呼ばれる後のゲーム理論研究の手法の先駆けである{{Sfn|鈴木|1999|p=183}}。さらに{{Harvnb|Nash|1953}}の交渉理論は「非協力ゲームの状況からいかにしてプレイヤーが協力ゲームの状況へ移行するか」という問題を提起しており、この問題は「[[ナッシュ・プログラム]]」と呼ばれる重要テーマとして現在も研究が続いている{{Sfn|岡田|2011|p=7}}{{Sfn|鈴木|1999|p=183}}。

[[ファイル:Randcorporationsantamonica.JPG|左|サムネイル|サンタモニカのランド研究所。[[米国]][[空軍]]の援助によって[[1948年]]に設立された。RANDという名称は"Research and Development"に由来する{{Sfn|鈴木|2014|p=109}}。]]
[[1950年代]]には[[米国]][[サンタモニカ]]の[[ランド研究所]]がプリンストン大学と並ぶゲーム理論の国際的な研究拠点であった。当時のランド研究所にはフォン・ノイマン、モルゲンシュテルン、[[ロイド・シャープレイ|シャープレー]]、[[ジェームズ・ミルナー|ミルナー]]、ナッシュなどが在籍しており、様々な研究が行われていた。特に、[[囚人のジレンマ]]実験や協力ゲーム実験などの[[実験経済学]]の先駆的研究は有名である{{sfn|鈴木|2014|pp=109-110}}。なお、数学者ミルナーはランド研究所における実験がゲーム理論の結果に合わなかったことを理由にゲーム理論の研究を辞めてしまったと言われている{{Sfn|鈴木|2014|p=110}}。しかし、この「囚人のジレンマ」実験による理論の反証は「実験が同じ2人のプレイヤーの繰り返しによって行われるからであり、それは1回限りのゲームとは異なる状況である」と解釈され、1950年代末には「囚人のジレンマ」型ゲームでも無限回繰り返すことによって[[パレート効率的]]な均衡利得が実現することが知られるようになった。この定理は誰が最初に証明したのか定かでないため、「[[フォーク定理]](民間伝承定理)」と呼ばれている{{Sfn|鈴木|2014|p=185}}。[[1953年]]には「プリンストン赤本シリーズ」として『ゲーム理論論文集第2巻』が[[ハロルド・クーン]]と[[アルバート・タッカー]]によって編纂・刊行された。この論文集の中で、[[ロイド・シャープレー]]がフォン・ノイマンの1928年の研究を{{mvar|n}} 人協力ゲームに拡張し、[[シャープレー値]]と呼ばれる概念の存在を証明している。また、クーンはこの論文集の中で、[[ゲーム理論#ゲームの構成要素|行動戦略]]や[[展開型ゲーム#完全記憶ゲーム|完全記憶]]などの概念を導入し今日「[[展開型ゲーム]]」と呼ばれる理論の基礎を築いている。さらに、[[デイヴィッド・ゲール]]は戦略集合が無限の場合に「ツェルメロの定理」が成り立たないことを証明した{{Sfn|鈴木|1999|pp=186-187}}。

1953年にGilliesの学位論文の中で初めて登場した[[コア (ゲーム理論)|コア]]の概念はタッカーらの編著『ゲーム理論論文集第4巻』([[1959年]])の中で特集されて初めて学界に認められるようになった。この論文集の中で[[マーティン・シュービック]]が[[一般均衡理論]]における[[契約曲線]]が協力ゲームのコアであることを示しており、これ以来、経済学におけるコアの重要性が認識されるようになった{{Sfn|鈴木|1999|p=191}}。

教育界では[[1952年]]に MacKinsey が ''Introduction to the Theory of Games'' という教科書を出版しており、学生でも容易にゲーム理論を学習することのできる環境が整備された。ただしこの教科書の大部分はゼロ和二人ゲームであり、協力ゲームについての解説は少なく、非協力ゲームに関しては懐疑的な記述が見られる{{Sfn|鈴木|1999|p=185}}。日本においては[[興津洋一]]による翻訳が[[1961年]]に出版されている{{Sfn|鈴木|1999|p=186}}。

=== 1960年代 ===
[[ファイル:Herbert-Scarf-Yale.png|サムネイル|右|{{仮リンク|ハーバート・スカーフ|en|Herbert Scarf}}]]
[[1961年]][[10月4日]]から[[10月6日]]までの三日間、モルゲンシュテルンとタッカーを中心に[[プリンストン大学]]でゲーム理論のコンファレンスが行われた{{Sfn|鈴木|1999|p=195}}。このコンファレンスにおいてシャープレーと[[ハーバート・スカーフ|スカーフ]]がプレイヤー集合が無限の場合の研究報告したことが契機となり、コアに関する極限定理の研究が[[1960年代]]のゲーム理論の中心テーマとなった{{sfn|鈴木|1999|p=196}}。これは従来の経済学([[一般均衡理論]])とゲーム理論の関係性を巡る研究であり、[[ロバート・オーマン]]の[[1964年]]と[[1966年]]の論文により、協力ゲームにおいて経済主体が無限に存在すれば一般均衡理論における市場均衡が存在することが明らかとなった{{Sfn|鈴木|2014|p=141}}。ゲーム理論の研究が一般均衡理論に新たな展望をもたらし、その研究に大きな転換を招き、より具体的な要素を含む体系の考察を促し、従来の一般均衡理論がゲーム理論の特殊ケースと見なされるようになったことで、ゲーム理論は本格的に一般の経済学者からも受け入れられるようになった{{Sfn|鈴木|2014|p=142}}。

また、[[ロバート・オーマン]]([[2005年]]ノーベル賞受賞)とMaschlerは1961年のコンファレンスにおいて「交渉集合」という協力ゲームの新しい解概念を提案しており、{{Harvnb|Davis and Maschler|1965}}の「[[カーネル]]」や{{Harvnb|Schmeidler|1969}}による'''仁'''({{lang-en-short|''nucleolus''}})などの新しい解概念が生まれる契機となった{{Sfn|鈴木|1999|pp=196-197}}。このコンファレンスで出会った[[ジョン・ハーサニ]]と[[ラインハルト・ゼルテン]]によって交渉問題の研究は飛躍的に進歩し、それらの業績によりハーサニとゼルテンは[[1994年]]にノーベル賞を受賞している{{Sfn|鈴木|1999|p=146}}。

1960年代には[[ジェームズ・M・ブキャナン|ジェームズ・ブキャナン]]([[1986年]]ノーベル賞受賞)を中心とした[[シカゴ学派 (経済学)|シカゴ・ヴァージニア学派]]によって「[[公共選択論]]」と呼ばれる分野が誕生した。彼らはゲーム理論を基礎として[[政党]]、[[官僚]]、投票者などの政治的プレイヤーを分析した{{Sfn|鈴木|2014|p=233}}。

この他にも1960年代には米ソ間の軍縮交渉が行われていた時代背景から米国政府がモルゲンシュテルンが当時在籍していたMathematica研究所に関連研究を委託したため、動学ゲームの研究が急速に発展した。[[1966年]]から[[1968年]]の間、モルゲンシュテルンによってクーン、オーマン、マッシラー、スターンズ、ハルサニ、ゼルテン、デブリュー、スカーフ、メイベリらが招集され、不完備情報下における[[繰り返しゲーム]]が盛んに研究された{{Sfn|鈴木|2014|pp=185-186}}。また、繰り返しゲーム以外でも[[ルーファス・アイザックス]]の一連の研究によって「[[微分ゲーム]]」と呼ばれる新しい分野が誕生している(それら研究は{{Harvnb|Isaacs|1965}}にまとめられている)。微分ゲームは[[制御工学]]関連の人々を中心に盛んに研究されている{{Sfn|鈴木|2014|p=143}}。

=== 1970年代 ===
[[ファイル:George Akerlof.jpg|サムネイル|右|[[ジョージ・アカロフ]]]]
[[1970年代]]には[[ジョージ・アカロフ]]による中古車市場の[[逆選択]]の分析や[[マイケル・スペンス]]による労働市場における[[シグナリング]]の分析によって「情報の経済学」と呼ばれる分野が誕生した。当初これらのトピックはゲーム理論に直接結び付いたものではなかったが、ゲーム理論は情報の経済学に格好な言語を提供し、その発展の原動力となった。例えば、シグナリングゲームにおいて複数の均衡が存在することが知られているが、ゲーム理論は均衡選択の問題に本質的な役割を果たしている。情報の経済学は今日でも経済学の中心的話題のひとつであり、アカロフやスペンスらは[[2001年]]にノーベル賞を受賞している{{Sfn|小原|2015}}。

[[1971年]]にはモルゲンシュテルンの尽力によって初のゲーム理論専門誌 ''International Journal of Game Theory'' が発刊され、ゲーム理論が一つの専門分野として国際的に認知されるようになった{{Sfn|鈴木|1999|p=206}}。[[1970年代]]のゲーム理論研究は展開形[[非協力ゲーム]]への関心が高く、[[1967年]]に発表されたゼルテンの論文で提唱された不完備情報ゲームの研究が進められた。[[1974年]][[9月2日]]から17日間に渡って開かれたゼルテン主催のゲーム理論ワークショップで初めて[[チェーンストア・パラドックス]]が報告され、それ以来[[部分ゲーム完全均衡]]、[[限定合理性]]、[[展開形ゲーム]]の[[戦略形ゲーム|戦略形]]への変換などといったテーマが盛んに研究されるようになった{{Sfn|鈴木|1999|pp=211-213}}。

ハルサニとゼルテンはゲーム理論を経済学の市場理論だけでなく[[生物学]]、[[政治学]]、[[哲学]]、[[倫理学]]、[[論理学]]などさまざまな分野への応用を試みており、この頃からゲーム理論が広範な分野へ応用されるようになった。例えば、[[1978年]][[6月13日]]から[[6月16日]]までの四日間に渡って[[ウィーン高等研究所]]で開催されたコンファレンスにおいて[[浜田宏一]]が国際金融制度と金融政策について二段階ゲームを用いて分析した研究を報告している{{Sfn|鈴木|2014|p=190}}{{Sfn|浜田|1982}}。

[[政治学]]への応用としては[[ニューヨーク大学]]の政治学[[教授]][[スティーブン・ブラームス]]が、[[国際関係論]]や投票理論に関する ''Game Theory and Politics'' ([[1975年]])、政治におけるさまざまなパラドックスを研究した''Paradoxes in Politics'' ([[1976年]]) などの著書を刊行しており、[[1977年]]には「ゲーム理論と政治学」と題したシンポジウムが米国[[マサチューセッツ]]で開かれている{{sfn|Ordeshook|1978}}。[[1979年]]には「紛争についてのコンファレンス」が[[ニューヨーク]]で開かれ、シュービックによる[[非協力ゲーム]]の応用研究などが報告されている{{Sfn|Shubik|1983}}。これらコンファレンスにはハルサニ、[[ウィリアム・ルーカス|ルーカス]] 、[[アルヴィン・ロス|ロス]] ([[2012年]]ノーベル賞受賞)、シュービックといったゲーム理論家も多く参加した{{Sfn|鈴木|2014|pp=182-185}}。

[[哲学]]分野では、[[1971年]]に出版された哲学者[[ジョン・ロールズ]]の著書『[[正義論]]』がミニマックス原理などのゲーム理論の影響を強く受けており、ハルサニを中心とするゲーム理論の専門家からは強く批判されることとなった{{Sfn|鈴木|2014|pp=169-170}}。1970年代にハルサニはゲーム理論的見地に基づいた[[功利主義]]倫理学の研究を多く残している{{Sfn|Harsanyi|1975}}{{Sfn|Harsanyi|1976}}{{Sfn|Harsanyi|1977}}。

[[生物学]]の分野では、イギリスの生物学者[[ジョン・メイナード・スミス]]が[[進化ゲーム]]と呼ばれる分野を創始し、進化生物学がゲーム理論によって分析されるようになった{{Sfn|鈴木|2014|pp=204-209}}。1950年代末に[[ランド研究所]]の実験によって[[合理性]]を前提としない[[限定合理性]]の理論への関心は存在していたが、従来のゲーム理論の枠組みでは合理性の前提を緩めることは難しかった。しかし、生物学の中から誕生した進化ゲームが経済学に応用されることによって限定合理性を研究する機運が[[1980年代]]以降高まっていくこととなる{{Sfn|岡田|2011|p=17}}{{Sfn|岡田|2011|pp=403-404}}。

=== 1980年代 ===
[[1980年代]]に入るとゲーム理論は一般的な分析手法として広く認められるようになり、適用される分野が飛躍的に拡大した。[[1980年]]に[[ドイツ]]の[[ボン]]と[[ハーゲン]]において開催されたゲーム理論セミナー以降は特に非協力ゲーム理論の研究が進展し、相対的に経済分析への応用における協力ゲーム理論の重要性はかなりの程度低下し、中には協力ゲームなどは無意味だという経済学者も現れたという{{Sfn|鈴木|2014|pp=201-203}}{{Sfn|神取|1994|p=25}}。

[[1981年]]に出版された[[ニューヨーク大学]]ショッター教授の著書 ''The Economic Theory of Social Institutions'' を皮切りに、ゲーム理論を用いた社会制度の研究が盛んに行われるようになる。[[スタンフォード大学]]の[[青木昌彦]]教授は ''The Co-operative Game Theory of The Firm'' ([[1984年]]) においてゲーム理論を応用した「[[比較制度分析]]」と呼ばれる分析手法を確立した{{Sfn|鈴木|2014|p=210}}。さらに、[[ダグラス・ノース]]([[1993年]]ノーベル賞受賞)らを中心として制度をゲームのルールとみなした経済史研究も行われるようになった(新経済史学派)。

[[1984年]]に発表された[[ロバート・アクセルロッド]]の研究{{sfn|Axelrod|1984}}を契機にシミュレーションを用いた[[繰り返しゲーム]]の研究が流行した。アクセルロッドはコンピュータプログラムで書かれた「[[囚人のジレンマ]]」ゲームの戦略を公募してそれらをトーナメント形式で戦わせたところ優勝した「[[しっぺ返し戦略]] ({{lang-en-short|tit-for-tat}})」が善良・報復・寛容・明快を兼ね備えており人間の協力全般にとって適切なパラダイムである、と主張した{{Sfn|Binmore|1998}}。これ以降、「さまざまな戦略をコンピュータ上で戦わせどれが生き残るかをシミュレーションする」という一群の研究が[[進化生物学]]、[[社会学]]、[[政治学]]、[[コンピュータ科学]]などで行われるようになった{{Sfn|神取|2015|pp=29-31}}。しかし、アクセルロッドの研究は非常に具体的な設定の下で一つの経験則を得たに過ぎず理論的な根拠が全く示されていないため、理論経済学者やゲーム理論家からの評判は芳しくなかったという{{Sfn|神取|2015|pp=29-31}}。例えば、数学者兼経済学者の[[ケン・ビンモア]]は{{Harvnb|Axelrod|1984}}の書評においてアクセルロッドの分析や主張がゲーム理論に対する無理解に基づいているとして批判している{{Sfn|Binmore|1998}}。

1980年代中頃からは、[[環境問題]]のゲーム理論による研究も盛んになり、それら研究は ''Valuation Method and Policy Making in Environmental Economics'' (1989年) や''Game Theory and the Environment'' (1998年) といった論文集にまとめられている{{Sfn|鈴木|2014|pp=237-238}}。

[[経営学]]の分野では1981年に ''Competitive Strategies: An Advanced Textbook in Game Theory for Buisiness Studies'' という教科書が出版されて以来{{sfn|Ponssard|1981}}、積極的にゲーム理論が研究に応用されるようになった。また、1980年代には[[ジャン・ティロル]] ([[2014年]]ノーベル賞受賞) によってゲーム理論が[[産業組織論]]に応用されるようになり、ゲーム理論の教育や研究を行う経営学や商学関連の研究者も増えてきた。これらの分野は「[[企業経済学]]」、「[[組織の経済学]]」等と呼ばれることもある{{Sfn|鈴木|2014|pp=212-213}}。

[[会計学]]の分野では[[シャープレー値]]や仁などの解概念が費用分担問題に用いられるようになった{{Sfn|鈴木|2014|pp=212-213}}<!--
上の記述の「仁」の部分のみになぜか「要出典範囲」テンプレートが添付してあったので補足。引用していた鈴木(2014)の212〜213頁は「経営学におけるゲーム理論ーー1980年代から90年代」という節でして、「会計学の分野でも、シャプレー値や仁などの解概念が費用分担の問題などで、積極的に使われるようになりました」という記述があります。
-->。

[[政治学]]の分野では1980年代後半から[[公共選択論]]に最新の非協力ゲームが応用されたことによりめざましい学術的成果を生み出し、現実の政策形成に一定の説明力を発揮するようになった{{Sfn|小西|2009|pp=3-4}}。

1980年代に非協力ゲームが急速に発展し、協力ゲームを中心とした従来のゲーム理論が扱うことのできなかった経済学、[[政治学]]、[[オペレーションズ・リサーチ]]、[[哲学]]、[[社会学]]、[[心理学]]、[[生物学]]といったさまざまな分野に非協力ゲーム理論が応用されるようになり、ゲーム理論の学際的な基礎理論としてに重要性が一層多くの研究者に認識されるようになった。こうしたゲーム理論の発展を背景として、[[1987年]][[10月1日]]から[[1988年]][[8月31日]]までの期間、[[西ドイツ]]Bielefeld大学のZentrum für interdisziplinäre Forschungにおいて学際研究プロジェクト「行動科学におけるゲーム理論」が開催された{{Sfn|岡田|1989}}。このプロジェクトは[[ボン大学]]のゼルテンを中心に企画され、西ドイツ、[[ベルギー]]、[[イギリス]]、[[イタリア]]、[[スイス]]、[[オーストリア]]、[[イスラエル]]、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]、[[カナダ]]、[[日本]]などから約50名の研究者が招聘され、非協力ゲームによってさまざまな分野が学際的に研究された{{Sfn|岡田|1989}}。

=== 1990年代 ===
[[1990年代]]になると、行動の進化や学習の研究のほかに、理論を実験によって検証し実証データに基づく新しい行動理論に構築を目指す[[行動ゲーム理論]] ({{lang-en-short|''behavioral game theory''}}) の分野が誕生した{{sfn|岡田|2011|p=17}}。ゲームの実験研究の目的は単に理論の検定だけでなく、理論と観察の不一致の原因と考えられる人間の動機、認知および推論の心理的要因や社会的要因を組み入れた新しいゲーム理論を構築することであり、伝統的なゲーム理論の分析では不十分であった現実の人間行動に関する重要な特性が明らかになっていった{{Sfn|岡田|2011|p=455}}。

1990年代には、[[進化ゲーム]]や行動ゲームのように限定合理的な経済主体の意思決定の理論の他にも、「合理的な意思決定者が限られた情報の下でどのように行動するか」という問題にも大きな関心が寄せられた。[[繰り返しゲーム]]の分野では他のプレイヤーの行動を完全に知ることができないようなケース、すなわち'''不完全モニタリング'''({{lang-en-short|''imperfect monitoring''}})を持つ繰り返しゲームの研究が精力的に行われた{{Sfn|岡田|2011|pp=459-460}}。

これらの他にも、1990年代には{{仮リンク|不完備契約|en|incomplete contracts}}の理論が盛んに研究された。これら一群の研究は ''Review of Economic Studies'' の66巻([[1999年]])で特集されている。不完備契約の研究は{{Harvnb|Grossman|Hart|1986}}と{{Harvnb|Hart|Moore|1988}}にその起源を持ち、不完備契約理論を金融契約に応用した {{Harvnb|
Aghion|Bolton|1992}}、不完備契約下での配分問題を考察した {{Harvnb|Maskin|Tirole|1999}}、再交渉がある場合の不完備契約を考察した {{Harvnb|Segal|1999}} と {{Harvnb|Hart|Moore|1999}} などが重要である{{Sfn|Maskin|2002}}{{Sfn|Tirole|1999}}。不完備契約は完備契約よりも現実に即したモデルであり、不完備契約理論の発展によってより複雑な[[所有権]]、[[組織]]、[[法律]]、[[制度]]などが分析できるようになった。

[[1999年]][[1月1日]]にはGame Theory Societyというゲーム理論を専門とした史上初の国際学会が発足し、[[日本]]からは[[奥野正寛]][[東京大学]][[教授]]が executive committee として参加した。当学会は ''International Journal of Game Theory'' および ''Games and Economic Behavior'' というゲーム理論研究の学術誌を発行している{{Sfn|鈴木|1999|p=14}}。

=== 2000年代 ===
''マーケットデザインについては「[[ゲーム理論#応用分野|応用分野]]」の節も参照''

[[2000年代]]には、直接モデル化された[[経済主体]]の行動や[[組織]]の内部構造に対してデータから因果的な情報を引き出す'''構造推定'''({{lang-en-short|''structural estimation''}})と呼ばれる手法を用いた実証研究が流行した。この背景には、単に匿名化された公的ミクロデータが研究者にとって容易にアクセス可能になったことや統計解析ソフトが普及したことだけでなく、[[1970年代]]以降にゲーム理論が産業組織論などの各分野に応用されて構築された理論的蓄積がある{{Sfn|小原|2015}}。[[計量経済学]]においては、現在の意思決定が将来の意思決定に影響を及ぼす可能性のある動学モデルのために進展した構造推定アプローチが[[1990年代]]にゲーム理論にまで拡張された{{Sfn|市村|2010|p=324}}。静学的ゲームの推定手法を考察したブレスナハンとレイスの一群の研究{{Sfn|Bresnahan|Reiss|1990}}{{Sfn|Bresnahan|Reiss|1991}}や動学的ゲームの推定手法を考察したエリクソンとペイクの研究{{Sfn|Ericson|Pakes|1995}}が挙げられる。これらの研究は2000年代にさらに進展し、オークションモデル、[[法と経済学]]、[[政治経済学]]、[[医療経済学]]などさまざまな分野に構造推定アプローチが適用されている{{Sfn|市村|2010|pp=327 - 330}}。

[[ファイル:Hal Varian.jpg|サムネイル|左|[[ハル・ヴァリアン]]。[[アメリカ合衆国|米国]][[カリフォルニア大学バークレー校]]教授から[[Google]]チーフエコノミストに転身した。ミクロ経済学の教科書 ''Microeconomic Analysis''([[1992年]])の著者としても有名<ref name="varian/>。]]
2000年代のもうひとつの主要な展開としては、[[マーケットデザイン]]への応用が挙げられる。'''マーケットデザイン'''({{lang-en-short|''market design''}})とは、[[20世紀]]に蓄積された理論的な蓄積を活かして人工的に市場(マーケット)を設計(デザイン)することによって具体的な問題を解決することを試みる研究分野である{{Sfn|川越|2015|pp=12-13}}。マーケットデザインの主要分野の一つがオークション理論である。[[1990年代]]半ばに[[アメリカ合衆国|米国]]の[[連邦通信委員会]]がそれまで比較聴聞で行っていた周波数の配分をオークションによって決定するように方針を変え、オークション理論の専門家として[[ポール・ミルグロム]]に周波数オークションの研究を依頼した{{Sfn|川越|2015|p=11}}{{Refnest|group="†"|ミルグロムは[[1995年]]に[[マーケットデザイン]]に関するコンサルティング会社Market Design Inc.を設立しており、マーケットデザインという分野の名前もこの企業名に由来する{{Sfn|川越|2015|p=11}}。}}。このオークションは日本円にして数兆円規模の収益を上げる大成功を収め、マーケットデザインの研究が注目を浴びるようになった{{Sfn|川越|2015|p=15}}{{Sfn|坂井|2013|p=163}}。2000年代に入り周波数オークションは日本を除く先進各国で導入されており、また周波数オークションの他に、[[Google]]の収益の大半を生み出している広告オークション{{Refnest|name="varian"|{{Harvnb|日経ビジネス|2014|pp=16-25}}、[[ハル・ヴァリアン]]([[グーグル]]チーフエコノミスト)と[[安田洋祐]]([[大阪大学]][[経済学部]][[准教授]])による対談記事。}}、[[金融政策]]に用いられる国債オークション、[[2000年]]に50億ドル以上の運送契約が結ばれ話題になった物流オークション{{Sfn|松井|渡辺|2001}}、[[ドナー]]の交換によって移植可能な[[レシピエント]]数を最大化する[[腎臓]]マッチング{{Sfn|坂井|2013|第1章}}、[[2004年]]から日本でも導入された[[臨床研修医]]マッチングプログラムなど、さまざまな現実の問題に対してゲーム理論がマーケットデザインを通じて応用されている。

[[ファイル:Functional magnetic resonance imaging.jpg|サムネイル|右|[[fMRI]](機能的磁気共鳴画像)技術によって計測された画像。画像左側の[[一次視覚野]]や[[外線条皮質]]、[[外側膝状体]]が活性化している。]]
この他にも、2000年代にはさまざまな分野がゲーム理論や意思決定論に流入し、多くの学際分野が誕生している。2000年代に誕生した学際分野の例として、[[神経科学]]と経済学の学際分野である'''[[神経経済学]]'''({{lang-en-short|''neuroeconomics''}})が挙げられる。2000年代前半に神経経済学が誕生した背景として、[[脳]]への[[外科手術]]を必要としない[[fMRI|機能的磁気共鳴画像法]]などの技術が発展・普及したことや[[20世紀]]に心理学的な特性を活用した[[行動経済学]]が経済学において一定の成功を収めたことが挙げられる。神経経済学では、ゲーム実験などで観察されてきた利他的行動や不確実性下の意思決定などに脳のどの部位が関係しているかが分析されている{{Refnest|group="†"|例えば、不確実性が大きな場合に[[前頭葉]]最下部の[[眼窩前頭皮質]]、[[扁桃体]]、[[前頭前皮質]]などの主に[[大脳辺縁系]]が活性化することが確認されている{{Sfn|依田|2013|pp=176-178}}。}}。神経経済学は、神経科学から経済学への一方通行的な応用ではなく、「神経精神医学」と呼ばれる新しい精神医学の分野の誕生・発展を促した{{Sfn|田中|酒井|成本|2015}}。

=== 日本におけるゲーム理論 ===
==== 角谷静夫による貢献 ====
[[ファイル:Shizuo Kakutani.jpg|サムネイル|右|[[角谷静夫]]。大阪出身の数学者。[[東北大学|東北帝国大学]]卒業後に出向いた[[プリンストン高等研究所]]では[[ジョン・フォン・ノイマン]]のもとで数学の研究をしており、日本人で初めて『ゲームの理論と経済行動』を読んだ人物とされる{{Sfn|鈴木|2007|p=230}}。]]
{{See also|角谷の不動点定理}}
『ゲームの理論と経済行動』を執筆していた1940年頃、[[ジョン・フォン・ノイマン|フォン・ノイマン]]らは凸集合の分離定理を用いた[[ミニマックス定理]]の証明を着想したが、当時の数学は彼らの要請には不十分なものであった。そこで、フォン・ノイマンは当時[[プリンストン高等研究所]]に勤務していた[[日本人]][[数学者]][[角谷静夫]]に凸集合を用いて一般化されたブラウワーの不動点定理を証明するよう命令し、角谷は[[1941年]]に発表した論文 "A generalization of Brouwer's fixed point theorem" においてそれを証明した{{Sfn|鈴木|2014|p=79}}。

この定理は多値関数に適用するのに非常に適切な形をしており、その後今日まで多くの分野で用いられるようになり、「[[角谷の不動点定理]]」として広く知られるようになった{{Sfn|鈴木|2014|p=79}}。特に、{{Harvnb|Nash|1950}}が {{mvar|n}} 人ゲームの[[ナッシュ均衡]]の存在を証明するために角谷の不動点を用いたことは有名である{{Sfn|鈴木|2014|p=104}}。また、[[1954年]]には[[ライオネル・マッケンジー]]がアロー=ドブルーとは独立に角谷の不動点定理を用いて一般均衡の存在定理を証明している{{Sfn|林|1994|pp=256-257}}{{Refnest|group="†"|なお、[[二階堂副包]]は[[1956年]]にアローやマッケンジーらとは独立に一般均衡の存在定理を証明している{{Sfn|林|1994|pp=256-257}}。}}。

[[1943年]]に『ゲームの理論と経済行動』が書き上げられると、フォン・ノイマンは角谷に校正をさせた。フォン・ノイマンは戦時中米国内の日本人は行動を制限されて捕虜のような存在だったのでそういった仕事をさせたと語った{{Sfn|鈴木|2014|p=81}}。角谷は『ゲームの理論と経済行動』の原稿を読んだ最初の日本人とされる。角谷は戦後、交換船で日本に帰国し[[大阪大学]]教授に就任している{{Sfn|鈴木|2007|p=230}}。

==== 山田雄三による先鞭 ====
[[一橋大学]]の[[山田雄三 (経済学者)|山田雄三]]教授は[[1935年]]から[[1937年]]に[[ウィーン大学]]に留学しており[[オスカー・モルゲンシュテルン|モルゲンシュテルン]]、[[カール・メンガー|メンガー]]、[[レオン・ワルラス|ワルラス]]らと交流があったため、山田は[[1942年]]に刊行された著書『計画の経済理論』において既にモルゲンシュテルンのゲーム理論的な問題意識を紹介している{{Sfn|鈴木|2014|pp=55-56}}。[[1944年]]に『ゲームの理論と経済行動』が出版されると、山田のもとにはモルゲンシュテルンから本が送られてきた{{Sfn|鈴木|1999|p=177}}。山田は[[1947年]][[1月]]に[[毎日新聞社]]編『エコノミスト特集:最近理論経済学の展望』に「経済計画論の一課題:経済的ストラテジーの分析」と題した小論文を寄稿しており{{Sfn|鈴木|2007|p=230}}、さらに[[1950年]]には、当時創刊されたばかりの『[[季刊理論経済学]]』の第1巻第2号に「ミニマックス原則の要点」という論文の中で『ゲームの理論と経済行動』の体系を紹介している{{Sfn|鈴木|1999|p=177}}。これらから、山田によって日本の経済学界にゲーム理論が紹介されたとされている{{Sfn|鈴木|1999|p=177}}。なお、山田の他にも[[統計学者]]の[[林知己夫]]が[[1947年]][[6月]]にフォン・ノイマンの[[1928年]]の研究を紹介する記事を[[統計数理研究所]]講究録上に発表しているが、謄写刷で配布されただけであったため他の学者に読まれることはほとんどなかった{{Sfn|鈴木|2007|p=230}}。

山田は1950年の「ミニマックス原則の要点」の後にも「価格における確定・不確定」([[1951年]])や「遊戯の理論における価格分析」([[1952年]])など、ゲーム理論に関する研究論文を発表している{{Sfn|鈴木|2007|p=235}}。さらに教育者としては[[1947年]]には既に[[一橋大学]]の学部1年生に対してゼミで『ゲームの理論と経済行動』(原著)を輪読させていた{{Sfn|鈴木|2007|p=236}}。しかし、オーストリア学派に連なるものとしてゲーム理論を見ていた山田は後のゲーム理論研究の進展に不満を持ち、ゲーム理論の研究を辞めてしまっている。山田は「あんまり数学的すぎてね、途中で放棄しちゃった」と語ったという{{Sfn|鈴木|2007|p=238}}。

後に日本のゲーム理論研究の中心的役割を担うこととなる[[鈴木光男]]は、[[東北大学]]経済学部在学中に山田の「ミニマックス原則の要点」を読んだことを契機に、[[安井琢磨]]の指導の下、ゲーム理論について卒業論文を書くこととなった{{Sfn|鈴木|1999|p=179}}。{{lang-de-short|''Gesellschaftsspiele''}}という単語は[[1950年]]頃の独和辞典には掲載されていなかったため、鈴木によって「社会的ゲーム」と訳された{{Sfn|鈴木|1999|p=38}}{{Refnest|group="†"|なお、[[1979年]]に[[岩波文庫]]から出版された[[ジンメル]]の『社会学の根本問題』([[1917年]])の[[清水幾太郎]]訳では{{lang-de-short|''Gesellschaftsspiele''}}が「社会的遊戯」と訳されている{{Sfn|鈴木|1999|p=38}}。}}。

当初は多くの日本人経済学者が関心を持っていたゲーム理論であったが、[[1950年代]]の日本にとって[[経済成長]]が大きな関心の対象であり、ゲーム理論を学ぶ者は次第にほとんどいなくなってしまった。その頃日本で刊行されていた数少ないゲーム理論の書籍として[[宮澤光一]]の『ゲームの理論』([[1958年]])や鈴木光男の『ゲームの理論』([[1959年]])がある{{Sfn|鈴木|2014|pp=131-133}}。

==== 東京工業大学における社会工学科の発足 ====
[[ファイル:Mitsu-Suzuki2.jpg|サムネイル|右|[[鈴木光男]]。日本語圏へのゲーム理論の普及に尽力した。写真は「東京ふすま会」における講演時に撮影されたもの。]]
[[1964年]]に[[鈴木光男]]がプリンストン留学から帰国し[[東京工業大学]]に就職した頃、東工大では、理工学部という単一の学部から複数の学部を作る構想が盛んに議論されており、その中に社会工学部構想があった{{Sfn|鈴木|1999|p=201}}。その背景のひとつに「工学の社会化」があった{{Sfn|鈴木|2007|pp=290-291}}。すなわち、当時[[日本]]が[[工業化|高度工業社会]]になったことによって[[環境問題]]の表面化などにも見られるように[[社会]]と[[工学]]との関係がより密接になり、社会的な問題を抜きにしては工学が成り立たない状況になっているという認識があった。もうひとつの背景として「社会の工学化」が挙げられる{{Sfn|鈴木|2007|pp=290-291}}。すなわち、工学の中に社会科学や[[人文学]]を取り込むことによって、理工学が開発してきた技術によって社会問題を解決しようという機運が高まっていた。東京工業大学人文社会群に所属していた鈴木光男、[[永井道雄]]、[[川喜田二郎]]、[[阿部統 (社会工学者) |阿部統]]<!--阿部統は1921年10月生まれの社会工学者。1984年より東工大名誉教授。-->らは各々に、「社会工学私見」等という社会工学部設立の構想を当時学長であった[[大山義年]]に提出した{{Refnest|group="†"|鈴木によって提出された「社会工学私見」は{{Harvnb|鈴木|2007}}に全文が掲載されている。鈴木は、(1)社会と科学技術との関連についての哲学的歴史的基礎に関する'''人文社会部門'''、(2)意思決定論や経営工学・経済工学などを含む'''社会組織工学部門'''、(3)都市計画や環境政策などを扱う'''社会工学部門'''、(4)統計学やコンピュータ科学を扱う'''情報工学部門'''を統括する社会工学部の設立を提案している{{Sfn|鈴木|2007|pp=293-294}}。}}。大山は社会工学部設立の構想を積極的に進め、[[1967年]]に工学部社会工学科が設立された{{Refnest|group="†"|ただし、社会工学部の構想は実現せず、理学部に情報科学科、工学部に情報工学科、大学院にシステム科学専攻などが設立される形となった。鈴木はこのことについて、「多分時期が早すぎたのだろうと思います」と振り返っている{{Sfn|鈴木|1999|p=204}}。}}。設立当初より社会工学科では「計画数理」という講座を鈴木が担当しており、その講座において日本で初めてのゲーム理論の講義が行われた{{Sfn|鈴木|1999|pp=203-204}}{{Refnest|group="†"|これら講座の内容は『人間社会のゲーム理論』として[[1970年]]に[[勁草書房]]より刊行されている。}}。

[[1970年]]前後から日本でも経済学の他分野と同じようにゲーム理論の教科書が出版されるようになる{{Sfn|鈴木|1999|pp=203-204}}{{Sfn|鈴木|2014|pp=194-195}}。[[物理学]]分野出身で日本における行動科学の創立メンバーである[[戸田正直]]らによる『ゲーム理論と行動理論』([[1968年]])、[[大阪大学]][[基礎工学部]]の[[坂口実]]教授による『ゲームの理論』([[1969年]])、大阪大学[[工学部]]の[[西田俊夫]]教授による『ゲームの理論』([[1973年]])などがある。また鈴木光男『人間社会のゲーム理論』([[1970年]])のような一般向けの解説書も出版された。さらに[[1978年]]には[[東京図書出版|東京図書]]から『ゲームの理論と経済行動』の日本語訳版が出版された。

[[1970年代]]には[[鈴木光男]]指導の下[[東京工業大学]]ではゲーム理論の研究が盛んであったものの、[[東京大学]]を始めとする[[総合大学]]の経済学部では[[マルクス経済学]]の勢力が強く、ゲーム理論の研究や教育は皆無であった{{Sfn|松島|2015}}。[[1980年代]]になって初めて鈴木光男門下の[[金子守]]によって東京大学にもゲーム理論が流入したとされる{{Refnest|group="†"|ただし[[松島斉]]は金子によって東大にゲーム理論が持ち込まれたとする通説を否定している{{Sfn|松島|2015}}。松島は[[1980年]]夏学期に[[小林孝雄]]教授の担当した「組織の経済学」という講義でゲーム理論が扱われており、それが東大にとって「今までにない画期的な内容」であったと先輩の[[神取道宏]]から聞いたと証言している。}}。

[[ファイル:Titech2.jpg|サムネイル|左|[[東京工業大学]]大岡山キャンパス。[[1967年]]に社会工学科が設立されて以来、東京工業大学は長らく日本におけるゲーム理論研究の拠点であった。]]
[[東京工業大学]]を中心とした[[1970年代]]における日本人経済学者の特筆すべき貢献として、[[中村健二郎]]の研究が挙げられる。中村は[[鈴木光男]]によるゲーム理論の講義が始まった[[1967年]]に[[東京工業大学]][[理学部]][[数学科]]に進学し{{Refnest|group="†"|ただし中村は鈴木の講義を履修しておらず、社会工学科に在学していた友人の[[林亜夫]]などから講義内容を聞いて、ゲーム理論に関心を持つようになった{{Sfn|鈴木|1999|pp=222-223}}。}}、[[1969年]]から鈴木研究室に所属してゲーム理論の研究を始めた。中村は理学部数学科および大学院理工学研究科数学専攻に所属していたが、当時の東京工業大学には所属学科に関係なく自分の希望する研究室で研究できる制度があったため、中村は鈴木研究室の第一期生として林亜夫や[[中山幹夫]]らとともに活躍した{{Sfn|鈴木|1999|pp=222-223}}。中村は70年代の一連の論文{{Sfn|Nakamura|1975}}{{Sfn|Nakamura|1978}}{{Sfn|Nakamura|1979}}において社会的選択関数({{lang-en-short|''social choice function''}})が存在するための必要十分条件が
:(1)拒否権を持つプレイヤーが一人存在するか
:(2)選択対象の要素の数が[[中村ナンバー]]未満であるか
のどちらか一つの条件が成立していることであることを証明した。この研究は[[1978年]]の米国でのゲーム理論シンポジウムで報告され、「中村の定理」と呼ばれるようになった。「'''中村ナンバー'''({{lang-en-short|''Nakamura number''}})」はこの中村の報告を高く評価した{{Harvnb|Peleg|1978}}によって命名されたものである{{Sfn|鈴木|2014|p=172}}。

中村健二郎は[[1979年]][[3月29日]]に夭折したが(享年32歳)、中村の研究は{{Harvnb|Rouch|1982}}、{{Harvnb|Deb|Weber|Winter|1996}}、{{Harvnb|Mihara|2000}}などの後続研究によって発展させられた{{Sfn|鈴木|2014|p=173}}{{Sfn|下村|2002}}。

==== 比較制度分析 ====
[[ファイル:Stanford University from Hoover Tower May 2011 004.jpg|サムネイル|右|[[スタンフォード大学]]。[[青木昌彦]]が教授を務めていたスタンフォード大学には1990年に専門の講座が設立され、[[比較制度分析]]の研究・教育の国際的拠点となった{{Sfn|青木|2003|pp=i-ii}}。]]
{{main|比較制度分析}}
[[1980年代]]における日本人経済学者の特筆すべき貢献として、[[スタンフォード大学]]教授[[青木昌彦]]の研究が挙げられる。青木は[[1980年代]]に発表された一群の研究において非協力ゲームの枠組みを用いて制度の多様性を分析し、'''比較制度分析'''({{lang-en-short|''comparative institutional analysis'', '''CIA'''}})と呼ばれる学問領域を創始した。1980年代以降に比較制度分析が急速に発展した背景として、当時の世界経済の制度関連的な大きな変動が挙げられる。1980年代までには一般的であった「[[アメリカ合衆国|アメリカ]]経済の凋落と[[日本経済]]の勃興」という図式が[[1990年代]]に逆転したことによってその背景にアメリカ経済と日本経済の制度的相違が存在することが意識されるようになり、同時にいかにして複雑な経済制度を変革するべきかという問題が生じたことが挙げられる<ref name="aoki431/>。これら一群の研究は、''Toward a Comparative Institutional Analysis''として[[2001年]]に出版されたが、[[1997年]]にその草稿が一部の経済学を中心にサーキィレートされており、[[1998年]][[3月]]には国際シュンペーター学会より[[ヨーゼフ・シュンペーター|シュンペーター賞]]を受賞している<ref name="aoki431>{{Harvnb|青木|2003|pp=431-433}}、[[瀧澤弘和]]と[[谷口和弘]]による「訳者あとがき」。</ref>。[[1990年]]には青木、[[ポール・ミルグロム]]、[[アブナー・グライフ]]、[[チェン・インイー]]、[[ジョン・リトバック]]らによってスタンフォード大学経済学部に「比較制度分析」という講座が立ち上げられ、比較制度分析研究の拠点となった。また青木は、[[世界銀行|世界銀行経済開発研究所]](現在の世界銀行研究所)のプロジェクトとして「開発経済および転換経済における銀行(メインバンク)の役割{{Sfn|Aoki|Patrick|1994}}」、「移行経済におけるコーポレート・ガバナンス{{Sfn|Aoki|Kim|1995}}」、「東アジアの経済開発における政府に役割{{Sfn|Aoki|Kim|Okuno-Fujiwara|1996}}」、「経済開発における共同体と市場{{Sfn|Aoki|Hayami|2001}}」といったプロジェクトが行われた。これらのプロジェクトには14カ国から62人の研究者が参加している{{Sfn|青木|2003|pp=i-ii}}。

他の制度研究と比較した際の比較制度分析の特徴として、『比較制度分析に向けて』の訳者である[[瀧澤弘和]]と[[谷口和弘]]は次の3点を挙げている<ref name="aoki431/>。すなわち、第一に、[[制度]]を共有予想の自己維持的システムとして、あくまでゲームの均衡として捉える立場であり、第二に、経済組織を[[契約理論|インセンティブ理論]]のみから見るではなく[[情報システム]]としての性格付けをも重視する観点であり、第三に、制度配置の多様性とダイナミックスを把握する上で制度的補完性のみならずゲームの連結を強調する観点である。特に、第二の観点からは、物的資産に対する[[所有権]]配置を強調する不完備契約理論の立場も相対化されることになり、[[シリコンバレー]]などに見られるタスク間の補完性を削減することによって経済活動のより効率的な配置が実現されているような今日的現象も理解可能となる<ref name="aoki431/>。

==== 繰り返しゲーム理論への貢献 ====
{{See also|繰り返しゲーム}}
[[東京大学]]や[[京都大学]]を中心とする日本国内の多くの大学の[[経済学部]]では戦後長らく[[マルクス経済学]]の研究・教育が積極的になされていた<!--
「戦後長らくマルクス経済学が主流であった」の部分に「要出典範囲」テンプレートが添付されていたので補足。以下は当該記述の引用文献である橘木(2014)からの抜粋です。「戦後になると状況が一変します。民主化路線のもと、戦争協力者、支持者と見なされた国家主義派は大学を追われました。一方、進歩主義が優勢になるなか、マル経グループは復職を遂げ、このことをきっかけに東大はマル経が中心になっていきます。京大は東大以上にマル経が強くなり、「マル経の牙城」とまで言われました。東大と京大で教えを受けた経済学者たちは全国の大学でマル経を広め、人事においてはマル経派を積極的に採用しました。こうして、日本の経済学界ではマル経が主流になっていったのです。」(53頁)そして下述の理由から1970年代~1980年代にかけてマルクス経済学の勢力が弱まり、80年代以降は「東大も非マル経が主流とな」った訳です。この頃から近代経済学が教えられるようになった旨の記述については松島(2015)にも詳しく書いてあったので、松島(2015)も併出典しておきます(念のため)。
-->が、(1)[[高度成長]]を経験し[[資本主義]]に対する肯定的評価が普及した、(2)マルクス経済学内部で[[宇野経済学|宇野派]]と非宇野派の対立が顕在化した、(3)非マルクス経済学の分野で[[森嶋通夫]]など国際的に活躍する日本人経済学者が現れた、(4)[[ソビエト連邦|ソ連]]や東欧などの[[共産主義]]諸国が崩壊し多くのマルクス経済学者は「マルクス経済学」の看板を下ろし学生もマルクス経済学を敬遠した、(5)[[米国]]で[[Ph.D.]]を取得した優秀な非マルクス経済学者たちが帰国した、等の理由から、東京大学経済学部では[[1980年代]]には[[マルクス経済学]]の勢力が弱まり、[[近代経済学]](非マルクス経済学)が主流となり、近代経済学としてゲーム理論が教育・研究されるようになった{{Sfn|橘木|2014|pp=44-58}}{{Sfn|松島|2015}}。[[1990年代]]以降に日本人経済学者が特に活躍した分野として[[繰り返しゲーム|繰り返しゲーム理論]]の理論が挙げられる。

特に[[神取道宏]]([[東京大学]])が[[1990年代]]から[[2000年代]]にかけて発表した一群の研究は国際的に高く評価され{{Sfn|日本経済学会|2002}}、サーベイ論文は繰り返しゲームを概観した標準的な資料としてノーベル賞選考委員会からも引用されている{{Sfn|鈴木|2014|pp=186-187}}。また、私的観測下({{lang-en-short|''with private monitoring''}})における繰り返しゲームの均衡は完全観測や公的観測のケースに比べて均衡を発見するのが格段に難しくそれ自体が長い間有名な未解決問題として残っていたが、[[1998年]]に当時[[東京大学]]の大学院生であった[[関口格]]がそれを解決している{{Sfn|神取|2015|pp=71-72}}。この他にも[[松島斉]](東京大学)がシグナルの精度が低い場合の[[フォーク定理]]を証明する等、繰り返しゲームにおいて幾つかの重要な貢献をしており国際的にも高く評価されている{{Sfn|岡田|2011|pp=459-460}}{{Sfn|日本経済学会|2004}}。また、[[金子守]](当時[[筑波大学]])と[[松井彰彦]](東京大学)は共著論文{{Harvnb|Kaneko|Matsui|2002}}において限定合理的なプレイヤーを仮定した繰り返しゲームへの新しいアプローチである"inductive game theory"を提唱した{{Sfn|日本経済学会|2007}}。
均衡点選択の理論では、[[梶井厚志]]([[京都大学]])がモリスとの共同研究{{Sfn|Kajii|Morris|1997}}によって情報頑健性というアプローチを確立し、国際的に高い評価を受けた{{Sfn|日本経済学会|2008}}。完全均衡点はプレイヤーの合理性の微小な不完全性を想定するが、プレイヤーの知識の不完全性は考慮しない。これに対し、梶井らによる頑健均衡はプレイヤーのもつ知識構造のわずかな不完全性に対して安定な均衡である。{{Harvnb|Kajii|Morris|1997}}はリスク支配と関連する''p''-支配均衡の概念を提示し、{{mvar|p-}}支配均衡が情報頑健性を満たすことを証明した{{Sfn|岡田|2011|p=459}}。

==== ゲーム理論ワークショップの定例化 ====
[[ファイル:Kyoto University Main Gate.JPG|サムネイル|右|[[京都大学]][[吉田キャンパス]]の正門。第1回ゲーム理論ワークショップは京都大学芝蘭会館で開催された<ref name="gtws" />。]]
[[2004年]][[3月8日]]から[[3月10日]]までの三日間、[[京都大学経済研究所]]のゲーム理論グループ([[岡田章]]、[[今井晴雄]]、[[梶井厚志]]、[[関口格]])を主宰として第一回'''ゲーム理論ワークショップ'''が開催された。2004年以降、ゲーム理論ワークショップは日本国内の大学{{Refnest|group="†"|過去には京都大学(2004年、2006年、2008年、2015年)、一橋大学(2005年、2007年、2009年、2013年)、九州大学(2010年)、[[名古屋大学]](2011年)、[[静岡大学]](2012年)、[[東京工業大学]](2014年)、[[東京大学]](2016年)で開催された<ref name="gtws" />。}}で毎年3月に三日間に渡って開催されることが定例化している{{Sfn|関口|2016}}<ref name="gtws">外部リンク[http://muto.ynu.ac.jp/gtw/ ゲーム理論ワークショップ](2016年8月18日最終閲覧)</ref>。
ゲーム理論ワークショップは2004年の初開催から岡田章が強いリーダーシップを発揮しており、開催会場も全て岡田の交渉によって決定されている。[[21世紀COEプログラム]]等の大型科研費の援助を受けたこともあるが、それらも全て岡田を代表者とする事業として採択されたものであった{{Sfn|関口|2016}}。

特に[[一橋大学]]で開催された第二回ゲーム理論ワークショップ([[2005年]])に数理生物学の大家である[[巌佐庸]]([[九州大学]])がプログラム委員に加わったことが契機となり、それ以降[[生物学]]、[[政治学]]、[[計算機科学]]など経済学以外のさまざまな分野の研究者が参加するようになり学際交流も盛んになっている。初回の2004年には40名程度だった参加者も2015年には108名まで増加している{{Sfn|関口|2016}}。

==== マーケットデザインの実用化 ====
国際的な学界においては[[2000年代]]以降「[[マーケットデザイン]]」と呼ばれる分野が急速に発達し、[[20世紀]]に蓄積したゲーム理論の知見が現実のさまざまな問題を解決するための制度設計として実用化されていったが、日本では各分野において実用化に対して消極的であり、先進諸国に比較しても導入が遅れている{{Sfn|松島|2016}}。中でも特に、通信事業の免許を販売する'''周波数オークション'''は多くの国で既に導入されて数兆円規模の収益を上げているが、日本では未だに導入されていない{{Sfn|坂井|2013|p=163}}。日本において周波数オークションが導入されない理由として、[[池田信夫]]は[[テレビ局]]や[[携帯電話]]会社と[[総務省]]官僚の癒着を挙げている{{Sfn|池田|2006}}。

また、[[ドナー]]・[[レシピエント]]間の[[ABO式血液型|ABO式血液型不適合]]、[[リンパ球|リンパ球クロスマッチ陽性]]、[[ヒト白血球型抗原|HLA]]の完全不適合などが存在する場合にドナーを交換することによってこれらの問題を解決して相互の移植を実現することを目的としたドナー交換腎移植が[[アメリカ合衆国|米国]]や[[大韓民国|韓国]]などで既に導入されているが、[[日本移植学会]]は「しかし、ドナー交換腎移植は医学的・倫理的に大きな問題を含むものであり、個別の事例として各施設の倫理審査のもとに行われるべきものである。したがって、ドナー交換ネットワークなどの『社会的なシステム』によりドナー交換腎移植を推進すべきものではない。」という否定的な見解を示しており、日本ではドナー交換腎移植が行われていない<ref>外部リンク[http://www.asas.or.jp/jst/news/news007.html ドナー交換腎移植に関する見解]([[日本移植学会]])。2016年9月最終閲覧。</ref>。

日本で実用化された数少ない分野のひとつとして研修医マッチングが挙げられる。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で大きな成功を収めていた'''受入保留方式'''({{lang-en-short|''deferred acceptance algorithm''}})を用いた研修医マッチングが[[2004年|2004年度]]から日本においても導入された{{Sfn|川越|2015|p=205}}。導入当初は研修医の希望を尊重して配属病院を決定するマッチング方式が医師の地方偏在を悪化させてしまうという問題が指摘されたが、[[鎌田雄一郎]]と[[小島武仁]]の研究によって理論的な解決策が示されている{{Sfn|松島|2016}}。

=== 略年表 ===
{| class="wikitable"
|[[1710年]]<br />{{0|0000000000000000}}||[[ドイツ]]の[[哲学者]][[ゴットフリート・ライプニッツ]]が''Annortatio de quibusdam ludis''を刊行{{Sfn|鈴木|1999|p=237}}。相手の戦略が問題となるゲームを初めて論じた。
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|[[1713年]] || [[イギリス]]のWaldegraveがPierre Remond de Montmortへの書簡でゼロ和二人ゲームのミニマックス解を論じる<ref name="kuhn"/>。
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| [[1738年]] || [[スイス]]の数学者[[ダニエル・ベルヌーイ|ベルヌーイ]]の論文「くじの計算に関する新理論」が[[サンクトペテルブルク]]の学術誌に掲載される。「[[サンクトペテルブルクのパラドックス]]」が指摘され、[[期待効用]]概念の重要性が示唆された{{Sfn|鈴木|2007|pp=28-29}}。
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| [[1739年]] || イギリスの哲学者[[デイヴィッド・ヒューム]]が著書『[[人間本性論|人性論]]』を刊行する。「[[共有地の悲劇]]」が示唆される{{Sfn|ギボンズ|1995|p=26}}。
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|[[1759年]] || イギリスの哲学者[[アダム・スミス]]が『[[道徳情操論]]』({{lang-en-short|''The Theory of Moral Sentiments''}})を刊行する。第6部において「人間社会のゲーム」が論じられた。
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|[[1838年]] || [[フランス]]の[[経済学者]][[アントワーヌ・オーギュスタン・クールノー]]が『富の理論の数学的原理に関する研究』({{lang-fr-short|''Recherches sur les principes mathématiques de la théorie des richesses''}})を刊行{{Sfn|奥野|2008|p=235}}。寡占市場を数学的に分析した([[クールノー・ゲーム]])。
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|[[1883年]] || フランスの数学者ヨセフ・ベルトランが論文 "Théorie Mathématique de la Richesse Sociale" を発表。寡占市場における価格競争を分析した(ベルトラン・ゲーム){{Sfn|ギボンズ|1995|p=22}}。
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|[[1913年]] || ドイツの数学者[[エルンスト・ツェルメロ]]が「チェスの理論への集合論の応用について」({{lang-de-short|''Uber eine Anwendung der Mengenlehre auf die Theorie des Schachspiels''}}) を発表{{Sfn|鈴木|2014|p=26}}。「ツェルメロの定理」を証明した。
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|[[1917年]] || ドイツの哲学者[[ゲオルク・ジンメル]]が『社会学の根本問題』({{lang-de-short|''Grundfragen der Soziologie''}})を刊行。「社会化のゲーム形式」が論じられる。
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|[[1921年]] || フランスの数学者[[エミール・ボレル]]が「ゲームの理論と歪対称核を持つ積分方程式」({{lang-fr-short|"La théorie du jeu et les équations intégrales à noyau symétrique gauche"}})を発表。
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|[[1924年]] || ボレルが「偶然とプレイヤーの能力を含むゲームについて({{lang-fr-short|"Sur les jeux où interviennent le hasard et l'habileté des joueurs"}})」を発表。Waldegraveが扱った問題を分析した。
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|[[1927年]] || [[カール・メンガー|メンガー]]が「価値理論における不確実要素、いわゆるペテルブルクゲームとの連関における考察」というタイトルの口頭発表をする。ベルヌーイの提唱した期待効用原理を公理化する必要性を主張{{Sfn|鈴木|2007|p=29}}。<br />
ボレルが「歪対称行列式の線形体系とゲームの一般理論」({{lang-fr-short|"Sur les systèmes de formes linéaires à determinant symétrique gauche et la théorie du jeu"}})を発表。
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|[[1928年]] || [[オーストリア学派]]の経済学者[[オスカー・モルゲンシュテルン]] が『経済予見ー仮定とその可能性についての考察』({{lang-de-short|''Eine untersuchung ihre Voraussetzungen und Moglichkeiten''}})を刊行。経済学におけるゲーム的状況の重要性を論じた。<br />
[[ハンガリー]]の数学者[[ジョン・フォン・ノイマン]]が「社会的ゲームについて({{lang-de-short|"Zur Theorie der Gesellschaftsspiele"}}を刊行。これを以てゲーム理論が誕生したとする見方もある{{Sfn|鈴木|1999|p=236}}。
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|[[1930年]] || [[ナチス]]から[[アメリカ合衆国|米国]]へと逃れて来る研究者のために[[プリンストン高等研究所]]が設立される。[[アルベルト・アインシュタイン|アインシュタイン]]、[[エンリコ・フェルミ|フェルミ]]、[[ヘルマン・ワイル|ワイル]]らと共に[[ジョン・フォン・ノイマン|フォン・ノイマン]]もここに迎えられた{{Sfn|鈴木|2014|pp=64-65}}。
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| [[1931年]] || フォン・ノイマンが[[プリンストン大学]][[数理物理学]][[教授]]に就任。<br />
モルゲンシュテルンが[[フリードリヒ・ハイエク|ハイエク]]の後任としてオーストリア景気循環研究所所長に就任{{Sfn|鈴木|1999|p=239}}。
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| [[1934年]] || モルゲンシュテルンが『経済学の限界』({{lang-de-short|''Die Grenzen dernWirtchaftspolitik''}})を刊行。
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| [[1935年]] || モルゲンシュテルンが「完全予見と経済均衡」({{lang-de-short|"Volkkommence Voraussicht und Wirtschsftliches Gleichgewicht"}})を刊行。
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| [[1937年]] || フォン・ノイマンが「経済学の方程式体系とブラウワーの不動点定理の一般化」({{lang-de-short|"Uber ein okonomisches Gleichingssystem und eine Verallgemeinerung des Brouwerschen Fixpunktsatzes"}})を発表。
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| [[1938年]] || [[ナチス]]の侵攻によりモルゲンシュテルンは景気循環研究所所長を解雇される。フォン・ノイマンとの共同研究を期待してプリンストンに渡る{{Sfn|鈴木|1999|p=242}}。
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| [[1940年]] || フォン・ノイマンとモルゲンシュテルンの共同研究が始まる{{Sfn|鈴木|2014|p=76}}。
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| [[1942年]] || [[山田雄三 (経済学者)|山田雄三]]が著書『計画の経済理論』を刊行。[[オーストリア学派]]のゲーム理論的な問題意識が日本にも紹介された{{Sfn|鈴木|2014|pp=55-56}}。
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| [[1944年]] || フォン・ノイマンとモルゲンシュテルンによる大著『ゲームの理論と経済行動』({{lang-en-short|''Theory of Games and Economic Behavior''}})がプリンストン大学出版局より出版される。この年にゲーム理論が誕生したとされる。
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| [[1947年]] ||『ゲームの理論と経済行動』の第2版が出版される。[[期待効用理論]]を初めて体系的に解説した付録が加えられており、以後、この第2版が定版とされる。フォン・ノイマンはこの年に大統領賞を受けた{{Sfn|鈴木|1999|p=244}}。<br>
山田雄三が[[毎日新聞社]]『エコノミスト特集:最近理論経済学の展望』上に「経済計画論の一課題:経済的ストラテジーの分析」を発表。
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| [[1950年]] || [[ジョン・ナッシュ|ナッシュ]]が論文"Equilibrium Points in ''n-''Person Games"を刊行。非協力ゲームにおける[[ナッシュ均衡]]が定義され、一般のケースにおけるナッシュ均衡の存在が証明された。<br>
ナッシュが論文 "The Bargaining Problem" を刊行。[[交渉問題]]に先鞭がつけられる。<br>
[[ハロルド・クーン|クーン]]が論文"Extensive games"を発表。<br>
クーンと[[アルバート・タッカー|タッカー]]による編著書''Contributions to the Theory of Games vol. 1''が出版。<br>
山田雄三が論文「ミニマックス原則の要点」を発表。日本の学界に初めてゲーム理論が伝えられる{{Sfn|鈴木|1999|p=177}}。
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| [[1951年]] ||[[ケネス・アロー|アロー]]が『社会的選択と個人的評価』({{lang-en-short|Social Choice and Individual Values}})を刊行。[[社会選択理論]]が創始される。<br>
ナッシュが論文 "Non-cooperative Games" を発表。協力ゲームと非協力ゲームの区別がされる。<br>
山田雄三が論文「価格における確定・不確定」を発表{{Sfn|鈴木|2007|p=235}}。
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| [[1952年]] || McKinseyによる初の学習書『ゲーム理論入門』({{lang-en-short|''Introduction to the Theory of Games''}})が出版される。<br>
山田雄三が論文「遊戯の理論における価格分析」を発表{{Sfn|鈴木|2007|p=235}}。
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| [[1953年]] || クーンと[[アルバート・タッカー|タッカー]]による編著書''Contributions to the Theory of Games vol. 2''が出版。所収のクーン論文において「[[展開形ゲーム]]」が誕生する。<br>
ナッシュが論文 "Two-Person Cooperative Games" を発表。「ナッシュ・プログラム」が提起される。<br>
Gillies の学位論文において[[コア]]の概念が初めて登場する。{{Sfn|鈴木|1999|pp=186-187}}
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| [[1954年]] || アローと[[ジェラール・ドブルー|ドブルー]]が共著論文 "Existence of an Equilibrium for a competitive Economy" を発表。[[ナッシュ均衡]]の存在定理が一般均衡理論に応用される。
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| [[1955年]] || [[ハーバート・サイモン|サイモン]]が論文 "A behavioral model of rational choice" を発表。限定合理性の議論に先鞭がつけられる。<br>
Braithwaite が著書 ''Theory of Games as a Tool for the Moral Philosopher'' を刊行。ゲーム理論の哲学分野への応用が進められる。<br>
[[二階堂副包]]が論文 "Note on noncooperative convex games" を発表{{Sfn|鈴木|1999|p=247}}。
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| [[1957年]] || [[2月8日]]、フォン・ノイマン死去。享年53歳。<br>
サイモンが著書 ''Models of Man: Social and Rational'' を刊行。<br>
タッカーとウォルフの編著書 ''Contributions to the Theory of Games vol. 3'' が刊行される{{Sfn|鈴木|1999|p=248}}。
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| [[1958年]] || [[ジョン・ロールズ|ロールズ]]が論文 "Justice as Fairness" を発表。<br>
[[宮沢光一]]が『ゲームの理論』を出版。日本初のゲーム理論の教科書であった。<br>
モルゲンシュテルンがフォン・ノイマンの回顧録を ''Economic Journal'' 上に発表。
|-
| [[1959年]] || ルースとタッカーの編著書 ''Contributions to the Theory of Games vol. 4'' の中で Gillies によって提唱されたコアの概念が特集される{{Sfn|鈴木|1999|pp=186-187}}。
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| [[1960年]] || [[トーマス・シェリング|シェリング]]が著書 ''The Strategy of Conflict'' を刊行。<br>
[[ロバート・オーマン|オーマン]]が論文 "von Neumann-Morgenstern solutions to cooperative games without side payment" を発表。
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| [[1961年]] || オーマンが論文 "The core of a cooperative games without side payment" を発表。<br>
ハルサニが論文 "Rationality postulates for bargaining solutions in cooperative and in non-cooperative games" を発表。<br>
Lewontinが生物学の学術誌上に論文 "Evolution and the theory of games" を発表。<br>
[[10月5日]]からの三日間、[[プリンストン大学]]でゲーム理論のコンファレンスが開催。オーマンらにより交渉集合が提唱される。
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|[[1962年]] || [[ロイド・シャープレー|シャープレー]]と[[デビッド・ゲール|ゲール]]が共著論文 "College admissions and the stability of marriage" を発表。[[マッチング理論]]({{lang-en-short|matching theory}})誕生する。<br>
[[ジェームズ・M・ブキャナン|ブキャナン]]と[[ゴードン・タロック|タロック]]が共著書 ''The Calculus of Consent: Logical Foundation of Constitutional Democracy'' を刊行。[[公共選択論]]({{lang-en-short|social choice theory}})が誕生。
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| [[1963年]] || ドブルーとスカーフが共著論文 "A limit theorem on the core of an economy" を発表。コアへの収束定理を証明。<br>
ハルサニが論文 "A simplified bargaining model for the ''n-''person cooperative games" を発表。
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| [[1964年]] || オーマンが論文 "Markets with a continuum of traders" 発表。<br>
シャープレーとタッカーによる編著書 ''Advances in Game Theory'' が出版される。
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| [[1965年]] || デーヴィスとマシュラーが共著論文 "The kernel of a cooperative game" を発表。協力ゲームの解概念として[[カーネル]]({{lang-en-short|kernel}})が提唱される。<br>
アイザックが著書 ''Differential Games: A Mathematical Theory with Applications to Warfare and Pursuit, Control and Optimization'' を刊行。[[微分ゲーム]]({{lang-en-short|differential game}})が誕生。
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| [[1967年]] ||ハルサニが論文 "Games with incomplete information played by "Bayesian" players" を発表。<br> [[東京工業大学]]に社会工学科が発足し、[[鈴木光男]]によるゲーム理論の講義「計画数理」が開講される。鈴木による編著書『ゲーム理論の展開』が刊行される。
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| [[1968年]] || [[ギャレット・ハーディン|ハーディン]]が論文 "The Tragedy of the Commons" を発表。{{Harvnb|Hume|1739}}が示唆した共有地問題が「共有地の悲劇」として定式化される{{Sfn|ギボンズ|1995|pp=26-27}}。<br>
ハルサニが論文 "Games with incomplete information played by "Bayesian" players" の "Part II" と "Part III" を発表する。<br>
ルーカスが論文 "A game with no solution" を発表。
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| [[1969年]] || Farquharson が著書 ''Theory of Voting'' を発表。投票者行動が分析される。<br>
シュマイドラーが論文 "The nucleolus of a characteristic function game" を発表。協力ゲームの解概念として仁({{lang-en-short|nucleolus}})が提唱される。
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| [[1970年]] || [[ジョージ・アカロフ|アカロフ]]が論文 "The market of lemons: quality uncertainty and the market mechanism" を発表。逆選択({{lang-en-short|adverse selection}})の発見。<br>
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| [[1971年]] || 初のゲーム理論専門誌 ''International Journal of Game Theory'' が発刊される。<br>
[[ジョン・ロールズ|ロールズ]]が著書 ''A Theory of Justice'' を刊行。
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| [[1973年]] || ゼルテンが論文 "A simple model of imperfect competition, where 4 are few and 6 are many" を発表。<br>
日本では鈴木光男による編著書『ゲーム理論の展開』が出版される。
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| [[1974年]] || [[9月]]に16日間に渡って International Workshop on Basic Problem of Game Theory at Bad Salzufeln by Bielefeld University が開催される。
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| [[1975年]] || [[スティーブン・ブラームス|ブラームス]]が著書 ''Game Theory and Politics'' を刊行。<br>
ハルサニが論文 "Can the maximin principle serve as a basis for morality?" を発表。<br>
ゼルテンが論文 "Reexamination of the perfectness concept for equilibrium points in extensive games" を発表{{Sfn|鈴木|1999|p=258}}
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| [[1976年]] || 東京工業大学[[理学部]]で鈴木光男により「ゲーム理論」という授業名の講義が始まる。<br>
ハルサニが著書 ''Essays on Ethics, Social Behaviour, and Scientific Explanation'' を刊行。<br>
レヴィスが著書 ''Convention: A Philosophical Study'' を刊行。<br>
オーマンが論文 "Agreeing to disagree" を発表{{Sfn|鈴木|1999|p=257}}。
|-
| [[1977年]] || [[7月26日]]、モルゲンシュテルン死去。享年75歳。<br>
ハルサニが著書 ''Rational Behavior and Bargaining Equilibrium in Games and Social Situations'' を刊行。<br>
HennとMoescchlinによる編著書 ''Mathematical Economics and Game Theory: Essays in Honor of Oskar Morgenstern'' を刊行。{{Sfn|鈴木|1999|p=258}}
|-
| [[1978年]] || [[東京図書出版|東京図書]]より初の『ゲームの理論と経済行動』の日本語訳版が刊行される。銀林浩、橋本和美、宮本敏雄らによる監訳。<br>
Ordeshook による編著書 ''Game Theory and Political Science'' が刊行される。<br>
ゼルテンが論文 "The chain store paradox" を発表。{{Sfn|鈴木|1999|p=258}}
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| [[1979年]] || ブラームスらが編著書 ''Applied Game Theory'' を刊行{{Sfn|鈴木|1999|p=259}}。
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| [[1980年]] || ドイツの[[ボン]]と[[ハーゲン]]でゲーム理論セミナーが開催される。以後、研究の主流が協力ゲーム理論から非協力ゲーム理論に以降する{{Sfn|鈴木|2014|pp=201-203}}。<br>
ブラームスが著書 ''Biblical Games: Game Theory and the Hebrew Bible'' を刊行{{Sfn|鈴木|2007|pp=79-82}}。
|-
| [[1981年]] || ショッターが著書 ''The Economic Theory of Social Institutions'' を刊行。ゲーム理論を用いた制度分析に先鞭がつけられる{{Sfn|鈴木|2014|p=210}}。<br>
[[ロバート・アクセルロッド|アクセルロッド]]とハミルトンが共著論文 ''The evolution of cooperation'' を発表{{Sfn|鈴木|1999|p=260}}。
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| [[1982年]] || [[ジョン・メイナード=スミス|メイナード・スミス]]が著書 ''Evolution and the Theory of Games'' を刊行。これにより[[進化ゲーム理論]]が広まる。<br>
[[アマルティア・セン|セン]]が著書 ''Choice, Welfare and Measurement'' を刊行。[[1989年]]には『合理的な愚か者』という邦題で日本語訳版も出版されている。<br>
シュービックが著書 ''Game Theory in the Social Science'' を刊行。<br>
サイモンが著書 ''Models of Bounded Rationality'' を刊行。<br>
[[鈴村興太郎]]が著書『経済計画理論』を刊行。
|-
|[[1984年]] || アクセルロッドが著書 ''The Evolution of Cooperation'' を刊行。<br>
シュービックが著書 ''A Game-Theoretic Approach to Political Economy'' を刊行。<br>
[[青木昌彦]]が著書『現代の企業』を刊行。{{Sfn|鈴木|1999|p=261}}
|-
| [[1985年]] || オーマンとマシュラーが共著論文 "Game theoretic analysis of a bankruptcy problem from the Talmud" を発表。[[銀行]]の破綻処理問題にゲーム理論が応用される。<br>
ブキャナンが論文 "Some extensions of a claim of Aumann in an axiomatic model of knowledge" を発表。<br>
ブレナンとブキャナンが共著書 ''The Reason of Rules: Constitutional Political Economy'' を刊行。立憲主義がゲーム理論的に分析される。<br>
ハーヴィッツらが共編著書 ''Social Goals and Social Organization: Essays in Memory of Elisha Pazner'' を刊行。<br>
[[アルヴィン・ロス|ロス]]が著書 ''Game-Theoretic Models of Bargaining'' を刊行。
|-
| [[1986年]] || グロスマンとハートが共著論文 "The costs and benefits of ownership: A theory of vertical and lateral integration" を発表。不完備契約の理論に先鞭。<br>
Moulin が著書 ''Game Theory for the Social Sciences'' を刊行。<br>
Pleg が著書 ''Game Theoretic Analysis of Voting in Committees'' を刊行。
|-
| [[1987年]] || [[西ドイツ]]Bielefeld大学で[[10月1日]]から11ヶ月に渡って学際研究プロジェクト「行動科学におけるゲーム理論」が開催される{{Sfn|岡田|1989}}。<br>
ビンモアが論文 "Modeling rational players" を刊行。<br>
ハーンが編著書 ''The Economics of Missing Markets, Information, and Games'' を刊行。1970年代に誕生した「情報の経済学」の論文集。<br>
[[岡田章]]が論文 "Complete inflation and perfect recall in extensive games" を発表。
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| [[1988年]] || [[ジャン・ティロル|ティロル]]が著書 ''The Theory of Industrial Organization'' を刊行。ゲーム理論が応用された「新産業組織論」の教科書。<br>
ハルサニとゼルテンが共著書 ''A General Theory of Equilibrium Selection in Games'' を刊行。<br>
ハートとムーアが共著論文 "Incomplete contracts and renegotiation" を発表。不完備契約の先駆的研究。<br>
青木昌彦が著書『日本経済の制度分析:情報・インセンティブ・交渉ゲーム』を刊行。
|-
| [[1989年]] ||ゲーム理論の専門誌 ''Games and Economic Behavior'' が発刊される。
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| [[1990年]] || Krepsが著書 ''A Course in Microeconomics Theory'' を刊行。ミクロ経済学の教科書でゲーム理論が特集される。<br>
ビンモアが著書 ''Essays on the Foundations of Game Theory'' を刊行。<br>
オズボーンと[[アリエル・ルービンシュタイン|ルービンシュタイン]]が共著書 ''Bargaining and Markets'' を刊行。
|-
| [[1991年]] || ゼルテンが論文 "Evolution, learning, and economic behavior" を発表。<br>
CanzoneriとHendersonが共著書 ''Monetary Policy in Interdependent Economies: A Game-Theoretic Approach'' を刊行。
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| [[1992年]] || [[ロバート・ギボンズ|ギボンズ]]が教科書 ''Game Theory for Applied Economists'' を刊行。[[1995年]]には『経済学のためのゲーム理論入門』という邦題で日本語訳版が出版されている。<br>
オーマンとハートによる共編著書 ''Handbook of Game Theory with Economic Applications'' の第1巻が刊行。<br>
ミルグロムとロバーツによる共著書 ''Economics, Organization and Management'' を刊行。[[1997年]]には『組織の経済学』という邦題で日本語訳が出版されている。<br>
ゼルテンが共編著書 ''Rational Interaction: Essays in Honor or John C. Harsanyi'' を刊行。
|-
| [[1993年]] || [[神取道宏]]、MailathとRobが共著論文 "Leaning, mutation, and long run equilibria in games" を発表。<br>
ゼルテンが論文 "In search of a better understanding of economic behavior" を発表。<br>
[[伊藤秀史]]が論文 "Coalitions, incentives, and risk sharing" を発表。
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| [[1994年]] || オーマンとハートによる共編著書 ''Handbook of Game Theory with Economic Applications'' の第2巻が刊行。<br>
ビンモアが著書 ''Game Theory and The Social Contract'' を刊行。<br>
[[岩井克人]]と[[伊藤元重]]が編著書『現代の経済理論』を刊行。ゲーム理論の展望論文である「ゲーム理論による経済学の静かな革命」([[神取道宏]])や「過去、現在、未来:繰り返しゲームと経済学」([[松島斉]])が収録されている。
|-
| [[1995年]] || オーマンとマシュラーが共著書 ''Repeated Games with Incomplete Information'' を刊行。<br>
[[アンドリュー・マスコレル|マスコレル]]らによる共著書 ''Microeconomic Theory'' を刊行。<br>
Moulin が著書 ''Cooperative Microeconomics: A Game-Theoretic Introduction'' を刊行。
|-
| [[1996年]] || ナッシュが著書 ''Essays on Game Theory'' を刊行。<br>
ロスが論文 "A theory of partnership dynamics" を発表。<br>
Dimand が著書 ''The History of Game Theory, Volume 1: From the Beginning to 1945'' を刊行。<br>
岡田章が著書『ゲーム理論』を刊行{{Refnest|group="†"|[[岡田章|岡田]]が[[1994年]]から6年間[[京都大学]][[経済学部]]において担当していた授業「経営数学」では1学期に[[数理最適化|最適化理論]]を、2学期にゲーム理論を扱っており、本書はゲーム理論パートの講義ノートを書籍化したものである{{Sfn|岡田|2001|p=ii}}。[[2011年]]には同じく[[有斐閣]]より第2版が刊行されている{{Sfn|岡田|2011}}。}}。<br>
青木昌彦と奥野正寛が共編著書『経済システムの比較制度分析』を刊行。<br>
[[松井彰彦]]が論文 "On Cultural Evolution: Social Norms, Rational Behavior, and Evolutionary Game Theory" を発表。
|-
| [[1999年]] || [[1月1日]]に初のゲーム理論の国際学会である ''Game Theory Society'' が発足し、ゲーム理論専門の論文誌である ''International Journal of Game Theory'' と ''Games and Economic Behavior'' が同学会の公式論文誌となる{{Sfn|鈴木|1999|p=14}}。
|-
| [[1994年]] || [[ジョン・ナッシュ]]、[[ジョン・ハルサニ]]、[[ラインハルト・ゼルテン]]が[[ノーベル経済学賞]]を受賞{{Sfn|依田|2013|p=232}}。
|-
| [[2005年]] || [[ロバート・オーマン]]と[[トーマス・シェリング]]がノーベル経済学賞を受賞{{Sfn|依田|2013|p=233}}。
|}

== 応用分野 ==
<!--
=== 経済学 ===
もともとゲーム理論は経済学的な動機に基づいて誕生しており{{Sfn|依田|2013|p=154}}、経済学の広範な分野においてゲーム理論が活用されている。以下には応用分野の例をいくつか挙げる。
==== 産業組織論 ====-->

=== 生物学 ===
[[ファイル:Two Mule Deer Grazing - Ridgeline Open Space - Castle Rock, CO.jpg|サムネイル|右|[[ミュールジカ]]の二頭のオス([[コロラド州]])。「ミュールジカのナワバリ争い」は生物ゲームの典型的な例である{{Sfn|岡田|2011|p=405}}。]]
[[生物学]]へのゲーム理論の応用は[[1970年代]]から既に研究されていたが、現在'''[[進化ゲーム理論]]'''({{lang-en-short|''evolutionary game theory''}})と呼ばれる分野の基礎を作ったのは[[イギリス]]の[[生物学者]][[ジョン・メイナード・スミス]]であった{{Sfn|鈴木|2014|p=206}}。メイナード・スミスは[[非協力ゲーム]]のモデルを動物の闘争や共存の分析に適用して、[[ナッシュ均衡]]よりも強い'''[[進化的に安定な戦略]]'''({{lang-en-short|''evolutionarily stable strategy''}})と呼ばれる概念を提示して[[自然淘汰]]のメカニズムが働く生物ゲームの安定状態、すなわち[[突然変異]]によって侵入されないような集団の安定な状況としての戦略を分析した{{Sfn|岡田|2011|p=447}}。生物学において研究されている進化プロセスの代表的なゲーム理論のモデルとして'''レプリケータ動学'''({{lang-en-short|replicator dynamics}})がある。

ゲーム理論の生物学への応用は非常に自然な形でなされた。メイナード・スミスは生物学へのゲーム理論の応用について著書『進化とゲーム理論』([[1982年]])の冒頭で次のように語っている。
{{quotation|逆説的と思えるが、ゲーム理論はそれが最初めざしていた経済行動の分野よりも、生物学の方にずっとうまく応用できることが分かってきたからである。それには理由が二つある。一つは様々な結果の価値(例えば、経済的な報酬、死の危険性、良心のとがめを受けない喜びなど)を一元的な尺度で測ることが理論にとって必要となっていることである。人間に応用する際には、この尺度として「効用」という幾分人工的で心地のよくない概念が用いられている。それに対して生物学では、ダーウィンの適応度が自然で正真正銘の一元的な尺度となっている。二つめは、より重要であるが、ゲームの解を求める際に、人間の合理性という概念が、進化的な安定性という概念に置き換えられることである。このことの利点はこうである。生物の集団が安定的な状態に進化すると期待するのは理論的に十分根拠のあることであるのに対し、人間が常に合理的に行動するかどうかは疑問の余地がある。|John Maynard-Smith (1982) Evolution and the Theory of Games{{Sfn|メイナード・スミス|1985|pp=i-ii}}
}}

生物学へのゲーム理論の応用は、経済学にとっても重要な意味があった。ものを考えることすら出来ない動物の行動のいろいろなパターンがナッシュ均衡によって説明されたという数理生物学の成果は、従来の経済学において仮定されていたプレイヤーの無限の計算能力がナッシュ均衡を実現するために必ずしも必要ではないという証左であった{{Sfn|神取|1994|p=39}}。[[数理生物学]]から生まれた進化ゲームは経済学に逆輸入され、プレイヤーの学習、模倣や世代間教育、文化継承などを表現するモデルとして経済学や社会学にも応用されている{{Sfn|岡田|2011|pp=448-449}}。

=== 宗教学 ===
[[ファイル:Albrecht Dürer - Adam and Eve (Prado) 2.jpg|右|サムネイル|[[アダムとエバ|アダムとイブ]]([[アルブレヒト・デューラー]])。ブラームスはアダムvs.イブの分配ゲームや、アダムとイブvs.神の制裁ゲームなどの2段階完全情報ゲームを分析することによって天地創造や楽園追放について考察した{{Sfn|鈴木|2007|pp=79-82}}。]]
政治学者の[[スティーブン・ブラームス]]は[[1980年]]に出版された著書 ''Biblical Games'' において[[旧約聖書]]の中のさまざまな物語を読み解き、神の啓示とは何か、信仰とは何か、人はなぜ争うのかなどの旧約聖書のエッセンスの解明を試みている。ブラームスが用いたのは[[非協力ゲーム理論]]であり、その多くは2人のプレイヤーが2つの戦略を持つ2段階完全情報ゲームであり、さらにそれよりも大きなゲームは展開形として説明されている。本書においてブラームスはゲーム理論を通じてユダヤ・キリスト教文化の基本的性格についての深い示唆を与えたと評価されている{{Sfn|鈴木|2007|pp=79-82}}。

また、[[ロバート・オーマン|オーマン]]とシュマイドラーは[[1985年]]に発表した "Game theoretic analysis of bankruptcy problem from the Talmud" という論文において、[[ユダヤ教]]の[[教典]]『[[タルムード|バビロニア・タルムード]]』に登場する破産問題を[[協力ゲーム理論]]によって分析している。問題となった『バビロニア・タルムード』の記述は以下のように要約される(金銭の単位は[[円 (通貨)|円]]に変更してある){{Sfn|武藤|2011|p=196}}。<br>「ある人が亡くなり、100万円の遺産が残された。この人は、生前、3人の相続者A、B、Cにそれぞれ100万円、200万円、300万円の遺贈をすることを約束していた。遺産の額が不足してしまった訳であるが、この場合には、100万円を三等分して100/3万円ずつ3人で分ける。もし、200万円の遺産が残った場合には、Aには50万円、BとCにはそれぞれ75万円ずつ分ける。もし300万円の遺産が残った場合には、A、B、Cにそれぞれ50万円、100万円、150万円を分ける。」<br>遺産の総額が100万円の場合は均等分配、300万円の場合は比例分配である一方で200万円の場合の分配の基準が直観的には理解しがたく、この『バビロニア・タルムード』の記述は永らく[[ユダヤ人]]たちを悩ませてきたが、オーマンとシュマイドラーはこの分配方法が協力ゲーム理論の「仁」という解概念によって説明できることを明らかにしたのである{{Sfn|武藤|2011|p=196}}。その概要は、以下の通りである。すなわち、財産総額を {{mvar|E}}, 債権者の集合を {{math|1=''N'' = {{mset|1, 2, &hellip;, ''n''}}}} とし各債権者 {{mvar|i}} の債権額を {{mvar|d{{sub|i}}}} とすると、{{math|''E'',}} {{math|''d''{{sub|1}},}} {{math|''d''{{sub|2}}, &hellip;, ''d{{sub|n}}''}} は全て正値であり、{{math|''E'' < ''d''{{sub|1}} + ''d''{{sub|2}} + &#x22EF; + ''d{{sub|n}}''}} が仮定される。また、任意の提携 {{math|''S'' &isin; ''N''}} に対する[[特性関数]] {{mvar|v}} を <math>v(S) = \max\{0, E - \sum_{i \in N - S}
d_i\}</math>と定義すれば、この特性関数 {{mvar|v}} の値は提携 {{mvar|S}} が獲得可能な遺産の総額と解釈できる。{{math|1=''n'' = 3}} として {{math|1=''E'' = 100, 200, 300}} それぞれの場合の {{mvar|v}} の仁を計算すると、それぞれ {{math|(100/3, 100/3, 100/3)}}, {{math|(50, 75, 75)}}, {{math|(50, 100, 150)}} となり、『バビロニア・タルムード』の記述が協力ゲームの仁と一致していることが確認できる{{Sfn|武藤|2011|pp=196-199}}。

これらの他にも、[[鈴木光男]]は著書『ゲーム理論の世界』([[1999年]])において、[[河合隼雄]]の[[古事記]]論を[[協力ゲーム理論]]によって解釈することを試みている。『古事記』における神話の構造は3人ゲームで、日本神話の論理は統合ではなく均衡に向かうものであり、その中心が空である「中空均衡構造」であると結論付けており、こうした解釈は現代の日本政治の状況を観る上でも含意を持つという{{Sfn|鈴木|2007|p=78}}。さらに鈴木は、古事記をはじめとする日本神話のゲーム理論的表現による日本人の深層心理や日本人の持つ知の特質を研究すること、さらには、洋の東西を問わず宗教や倫理など先哲の思想がゲーム理論の言葉で表現し、それらの相互関係を研究することの有用性を主張している{{Sfn|鈴木|1999|pp=158-162}}。

=== 教育学・教育政策 ===
近年[[アメリカ合衆国|米国]]や[[日本]]でも導入されている学校選択制の運営にもゲーム理論の知見が用いられている。'''学校選択制'''とは、家庭が近隣地域のどの公立小学校・中学校に子どもを通学させるか選択可能な制度である。一見すると学校選択制は行きたい学校を単純に選択するだけなのでゲーム的状況とは関係なさそうに思われる。しかし、各学校には定員があるので、学校選択制を利用して入学を希望する学校を選択した際にその学校に入学できるか否かは他の児童・生徒の選択に依存するのである{{Sfn|安田|2010|p=5}}。[[マサチューセッツ州]][[ボストン市]]において[[1999年]]に導入された学校選択制の方式は'''ボストン方式'''と呼ばれるが、この方式において児童・生徒は真の希望順位とは異なる希望順位を制度運営者に提出することによって得をする可能性がある等の問題があることが知られている{{Sfn|安田|2010|pp=42-44}}。この問題は[[2005年]]に'''受入保留方式'''と呼ばれる方式を導入することによって解決されている{{Sfn|安田|2010|pp=46-48}}。このような主体(生徒)と主体(学校)をいかに組み合わせるかを分析する研究領域としてマッチング理論があり、学校選択制のさらなる改善のために現在も研究が行われている。

=== 会計学 ===
[[会計学]]の分野では[[1980年代]]から既に[[シャープレー値]]や仁といった[[協力ゲーム]]の解概念が費用分担の問題などに積極的に応用されていた{{Sfn|鈴木|2014|pp=212-213}}。近年では、会計制度の性質や位置付けが大きく変容していることから事実解明的な方法を用いて新たな会計制度を設計する必要性が高まっており、[[非協力ゲーム理論]]の手法を用いて情報開示制度、内部統制監査制度、会計専門職教育制度などの会計制度を分析する研究も現れている{{Sfn|田口|2015}}。ゲーム理論や[[実験経済学]]の手法を応用した先駆的な研究により『実験制度会計論{{Sfn|田口|2015}}』は[[2015年]]に[[日経・経済図書文化賞]]を受賞している<ref>外部リンク[https://www.jcer.or.jp/bunka/pdf/bunka_list.pdf 日経・経済図書文化賞受賞図書一覧](2016年8月最終閲覧)。</ref>。

=== コンピュータ科学 ===
[[コンピュータ科学]]の分野では、[[ネットワーク]]に接続された[[コンピュータ]]を上手く協調させる方法を研究するために[[繰り返しゲーム|繰り返しゲーム理論]]が応用されている{{Sfn|神取|2015|p=1}}。コンピュータ科学や工学系の研究者は[[インターネット]]の研究の中で「複数のエージェントが独立に行動する中でのシステム設計」という問題に初めて直面しており、彼らがそうした問題に対処するためにゲーム理論を応用しようと試みたのは自然なことであった{{Sfn|小原|2015}}。

=== 交通工学 ===
[[ファイル:Tomei YAMATO TN west.jpg|サムネイル|右|交通渋滞。渋滞は自動車運転に伴う負の外部性によって発生する。]]
[[自動車]]を運転する際に、どの道を選択したら短時間で目的地に到着することができるかは、各道路の交通量、すなわち他の運転手の選択に依存する。したがって、ナッシュ均衡によって交通量を予測することが理論上は可能である。実際、土木計画学研究委員会が[[静岡県]][[浜松市]]周辺の道路交通量を調査したところは、ナッシュ均衡が現実の交通量データを約85%の精度で予測できていることが確認された。欧米では、ナッシュ均衡を用いた交通量の予測は実務において定着しており、道路交通量の計算専用のソフトも市販されている{{Sfn|神取|2014|pp=325-326}}。

さらに、予測だけでなく渋滞を緩和するシステムの設計にもゲーム理論が応用されている。[[英国]][[ロンドン]]では交通渋滞が深刻な社会問題になっていたため、[[2003年]]から混雑税と呼ばれる制度が導入され、一定の成果を上げている{{Sfn|神取|2014|pp=265-266}}。

=== スポーツ ===
[[スポーツ]]の多くの場面は[[ゼロサムゲーム]]であり、さまざまなスポーツが'''ミニマックス理論'''と呼ばれるゲーム理論の枠組みによって研究されている。

[[ファイル:WM06 Portugal-France Penalty.jpg|サムネイル|左|[[ペナルティキック]]の瞬間。キッカー、キーパーともに(キッカーから見て)左側を選択したのが見て分かる。{{harvnb|Palacios-Huerta|2003}}の推計ではこのようなケースにシュートが決まる確率は69.92%であった。ミニマックス理論による分析では、この69.92%という値が戦略ベクトル(左, 左)に対するキッカーの利得として解釈される。]]
[[テニス]]において、[[サーバー]]がサーブを[[レシーバー]]の右側に打つか左側に打つかは重要な戦略である。ウォーカーとウッダースは[[1974年]]から[[1997年]]までの[[グランドスラム (テニス)|グランドスラム大会]]と[[テニスマスターズカップ]]のデータを用いて世界大会レベルの[[テニスプレイヤー]]のプレーが混合戦略の予測に合致しているかを調査した{{Sfn|Walker|Wooders|2001}}。まず、サーバーがサーブをレシーバーの右側に打つか左側に打つかが統計学的に分析され、サーブの方向が十分に頻繁に変えられていることが確認された。その上で、右側に打った場合と左側に打った場合とで勝利確率が統計学的に等しくなるように打ち分けられていることが確認された。これは、テニスプレイヤーのサーブにおける左右の打ち分けが混合ナッシュ均衡戦略になっていることを意味している。さらに、{{Harvnb|Hsu|Hung|Tang|2007}}などの後続研究によってウォーカーらの仮説はより強く検証されている{{Sfn|川越|2010|pp=64-65}}。

[[サッカー]]の[[ペナルティキック]]において、キッカーが左右どちらに蹴るかは重要な戦略であり、同様にキーパーが左右どちらにジャンプするかも重要な戦略である。{{Harvnb|Palacios-Huerta|2003}}は[[1999年]]から[[2000年]]までの間に[[ヨーロッパ]]で行われたサッカーの試合における1417本のペナルティキックのボールが蹴られた方向と成功率を解析したところ、混合ナッシュ均衡と現実のデータが合致していることが確認された{{Sfn|神取|2014|pp=355-356}}。

これらの研究は一見すると経済学とは関係なさそうであるが、その動機は[[実験経済学]]に由来している。従来の実験では学生を被験者として集めて実験室内で実験が実施されており、理論的予測に合致しない結果が多かった。それに対して、プロスポーツのようにゲームの勝敗がプレイヤーにとって深刻な意味を持つケースを調査することによって、ゲーム理論の設定をより正確に再現することが可能になったのである{{Sfn|川越|2010|p=64}}。

== ノーベル経済学賞との関係 ==
[[ファイル:NobelP2.png|サムネイル|右|[[ノーベル経済学賞]]は[[1968年]]に[[スウェーデン国立銀行]]の設立300周年祝賀の一環として設立された{{Sfn|依田|2013|p=9}}。]]
{{See also|ノーベル経済学賞}}

ゲーム理論創始者の一人であるモルゲンシュテルンに[[ノーベル経済学賞]]を受賞させようとするキャンペーンがシュエーデラー、シャープレー、シュービック、オーマンらを中心に行われていたが、モルゲンシュテルンは[[1977年]]にノーベル賞を受賞することなく死去してしまった{{Sfn|鈴木|2014|p=232}}。ゲーム理論家がノーベル賞を最初に受賞したのは[[1994年]]であり、『ゲームの理論と経済行動』出版50周年を記念しての授与であった{{Sfn|鈴木|2014|p=232}}。

[[社会科学]]である[[経済学]]は[[自然科学]]の多くの分野とは異なり、[[実験]]によって[[Category:経済学の学派|学派]]や[[理論]]の優劣が決定されにくいため、各時代における学界における勢力図がノーベル賞の選考に直接影響する{{Sfn|依田|2013|p=212}}。ノーベル経済学賞の受賞傾向は経済学の歴史を写すものであり{{Refnest|group="†"|大まかな傾向としては、[[1980年代]]までは[[一般均衡理論]]を中心とした[[数理経済学|数理経済学者]]の受賞が全盛であったが、[[1990年代]]以降ではゲーム理論を始めとする学際的な新領域の開拓に貢献した経済学者の受賞が目立つようになっている{{Sfn|依田|2013|pp=213-214}}。}}、本節ではノーベル経済学賞を受賞した経済学者の中でも特に業績に関してゲーム理論との関わりが深いものを紹介する。

=== アロー(1972年)とドブルー(1983年)の受賞 ===
{{see also|一般均衡理論}}

[[ケネス・アロー]]と[[ジェラール・ドブルー]]は[[一般均衡理論]]を精緻化した業績によりそれぞれノーベル経済学賞を受賞した。完全競争市場を分析対象とする一般均衡理論はゲーム理論が登場する以前の数理経済学の主流なパラダイムであったが、[[1954年]]に発表されたアローとドブルーの共著論文 "Existence of an equilibrium for a competitive economy" において[[ナッシュ均衡]]の存在定理を応用して[[完全競争市場]]の一般均衡の存在を証明した。一般均衡理論の批判として登場したゲーム理論の一般均衡理論への貢献は逆説的であったが、彼らの研究はゲーム理論の力を示すものとして受け入れられた{{sfn|岡田|2011|p=13}}。

=== サイモンの受賞(1978年)===
{{main|ハーバート・サイモン}}

[[ハーバート・サイモン]]は[[1978年]]に「経済組織内部での意思決定プロセスにおける先駆的な研究{{Sfn|依田|2013|p=165}}」を称えられてノーベル経済学賞を受賞した。サイモンは『ゲームの理論と経済行動』が出版される以前からフォン・ノイマンらの研究に注目しており、最も早く書評を発表している<ref name="kuhn"/>。サイモンは[[1957年]]に「合理的選択の行動主義的モデル」という論文の中で人間の合理性には限界があることを「[[限定合理性]]({{lang-en-short|bounded rationality}})」と名付け、限定合理性の下での[[ヒューリスティクス]]と呼ばれる問題解決方法を提示したが{{Sfn|依田|2013|pp=167-169}}、これはフォン・ノイマンやモルゲンシュテルンによって構築された合理性を前提とした意思決定理論への挑戦であり、サイモンによって提起された[[限定合理性]]の問題はそれ以後ゲーム理論の基本問題となっている{{Sfn|鈴木|2014|p=233}}。

=== ブキャナンの受賞(1986年) ===
{{main|1=ジェームズ・M・ブキャナン|2=公共選択論}}
[[ファイル:James Buchanan by Atlas network.jpg|左|サムネイル|[[ジェームズ・M・ブキャナン|ジェームズ・ブキャナン]]([[1919年|1919]] - [[2013年|2013]])]]

[[ジェームズ・M・ブキャナン|ジェームズ・ブキャナン]]は[[1986年]]に「公共選択の理論における契約・憲法面での基礎を築いたこと{{Sfn|依田|2013|p=231}}」を称えられてノーベル経済学賞を受賞した。ブキャナンは[[1962年]]に出版された[[ゴードン・タロック]]との共著書 "The Calculus of Consent: Logical Foundations of Constitutional Democracy" において既に官僚、政党、投票者といった政治的アクターの意思決定をゲーム理論的の分析していた{{Sfn|鈴木|2014|p=233}}。ブキャナンは一貫して[[方法論的個人主義]]の立場に立脚し、各個人を意思決定主体(プレイヤー)とみなすことによって政策立案や官僚機構といった政治過程そのものを[[ミクロ経済学]]ないしゲーム理論の枠組みで分析する方法論を確立した{{Sfn|石|1994|pp=175-176}}。これは、制度・ルールそれ自体を経済学の俎上に乗せ、比較制度分析を行うという現代さかんに行われている制度分析の先駆的な研究であり、同時に個人選好をいかなる集合的意思決定に結びつけるのかを問う試みでもあった{{Sfn|石|1994|pp=175-176}}。ブキャナンによって創始された「[[公共選択]]」と呼ばれる分野は[[1970年代]]までは学術誌''Public Choice''を牙城とする[[ヴァージニア学派|バージニア学派]]の一連の研究を指すに留まっていたが、[[1980年代]]後半以降の[[非協力ゲーム理論]]の発展に伴って公共選択の研究は学派の枠を超えて活発に進められるようになった{{Sfn|小西|2009|p=3}}。[[動学ゲーム]]や[[不完備情報ゲーム]]といった新しい非協力ゲーム理論の分析手法が公共選択の研究にも取り入れられ、目覚ましい学術的成果を生み出し、現実の政策形成に一定の説明力を発揮するまでに至っている{{Sfn|小西|2009|pp=3-4}}。

ブキャナンの業績は日本でも広く知られており、『公共選択の理論』、『赤字財政の政治経済学』、『立憲的政治経済学の方法論』など、10冊以上の文献の日本語訳が出版されている{{Sfn|石|1994|pp=167-168}}。また、[[慶應義塾大学]]は「日本の[[ヴァージニア学派|バージニア学派]]」と呼ばれ、ブキャナンの教え子でもある[[加藤寛]]教授の研究グループを中心に日本における公共選択の研究が進められている{{Sfn|石|1994|pp=167-168}}。

=== コースの受賞(1991年) ===
[[ファイル:Coase scan 10 edited.jpg|サムネイル|右|[[ロナルド・コース]]([[1910年|1910]] - [[2013年|2013]])]]
{{main|1=ロナルド・コース|2=新制度派経済学}}

[[ロナルド・コース]]は「制度上の構造と経済機能における取引コストと財産権の発見と明確化{{Sfn|鈴木|2014|p=233}}」を称えられて[[1991年]]にノーベル経済学賞を受賞した。コースは[[1937年]]の論文 "The nature of firm" において企業組織内の資源配分を分析する上での取引コストの重要性を指摘した。この指摘は、[[1980年代]]に日本経済が欧米の地位を揺るがすようになって「日本型経営」が注目されるに至ると現実に経済全体のパフォーマンスを左右する重要な要因として強く意識されるようになり、ゲーム理論によって分析されるようになった{{Sfn|神取|1994|pp=40-41}}。コースは自由放任主義によって[[パレート効率性|パレート効率的]]な配分が実現されるためには交渉費用などの取引コストが十分に小さい必要があることを指摘したが([[コースの定理]])、ゲーム理論はコースによって漠然と指摘された自由放任主義の限界を体系的・統一的に示すことに成功したと言える{{Sfn|神取|1994|pp=453-45}}<ref>{{Harvnb|コース|1992|pp=245-247}}([[宮沢健一]]らによる「訳者あとがき」)。</ref>。

また、コースが問題としていた[[法律]]、[[制度]]、[[財産権]]などのトピックは、後の[[1990年代]]に発展した不完備契約の理論によって研究されている。

=== ノースとフォーゲルの受賞(1993年) ===
{{main|1=ダグラス・ノース|2=ロバート・フォーゲル}}
[[ダグラス・ノース]]と[[ロバート・フォーゲル]]は「経済理論と計量的手法によって経済史の手法を一新した{{Sfn|依田|2013|p=231}}」業績を称えられて[[1993年]]にノーベル経済学賞を受賞した。ノースは主著『制度・制度変化・経済成果』(1990年) の書き出しで「制度は社会におけるゲームのルールである」と語っている。

=== ナッシュ、ハルサニ、ゼルテンの受賞(1994年) ===
{{main|1=ジョン・ナッシュ|2=ジョン・ハルサニ|3=ラインハルト・ゼルテン}}
[[ジョン・ナッシュ]]、[[ジョン・ハルサニ]]、[[ラインハルト・ゼルテン]]らは「非協力ゲームの均衡の分析に関する理論の開拓{{Sfn|依田|2013|p=232}}」を称えられて[[1994年]]にノーベル経済学賞を受賞した。『ゲームの理論と経済行動』出版50周年を記念しての授与であったとされる{{Sfn|鈴木|2014|p=232}}。ナッシュは長らく[[統合失調症]]と闘病しており、ノーベル賞選考委員会は式典当日にナッシュに何かハプニングがあった際の対応のためにハルサニとゼルテンを同時に受賞させたという話もある{{Sfn|鈴木|2007|p=270}}。

=== ヴィックリーとマーリーズの受賞(1996年) ===
{{main|1=ウィリアム・ヴィックリー|2=ジェームズ・マーリーズ}}
[[ウィリアム・ヴィックリー]]と[[ジェームズ・マーリーズ]]は「情報の非対称性のもとでの経済的誘因の理論に対する貢献{{Sfn|依田|2013|p=232}}」を称えられて[[1996年]]にノーベル経済学賞を受賞した。ヴィックリーが[[1961年]]に発表した論文 "Counterspeculation, Auctions, and Competitive Sealed Tenders" によって創始されたオークション理論は、現在ではゲーム理論の主要な応用分野の一つとなっている。

=== センの受賞 (1998年) ===
{{main|1=アマルティア・セン|2=厚生経済学}}
[[アマルティア・セン]]は「所得分配の不平等にかかわる理論や、貧困と飢餓に関する研究についての貢献{{Sfn|依田|2013|p=232}}」を称えられて[[1998年]]にノーベル経済学賞を受賞した。センの専門分野である社会選択理論は当初はゲーム理論と独立に研究されていたが、次第に相互乗り入れが進み、今日ではゲーム理論の応用分野として研究されている{{Sfn|鈴木|1999|p=132}}。

=== アカロフ、スティグリッツ、スペンスの受賞(2001年) ===
{{main|1=ジョージ・アカロフ|2=ジョセフ・スティグリッツ|3=マイケル・スペンス}}
[[ジョージ・アカロフ]]、[[ジョセフ・スティグリッツ]]、[[マイケル・スペンス]]らは「情報の非対称性を伴った市場分析{{Sfn|依田|2013|p=233}}」を称えられて[[2001年]]にノーベル経済学賞を受賞した。[[1970年代]]に彼らはそれぞれ中古車市場{{Sfn|Akerlof|1970}}、労働市場{{Sfn|Spence|1973}}、保険市場{{Sfn|Rothschild|Stiglitz|1976}}を分析し、経済主体が何らかの私的情報を持つとき自由競争市場が従来の[[新古典派経済学]]のモデルと大きく異なる働きをすることを示して大きな注目を集めた{{Sfn|神取|1994|p=40}}。「[[逆選択]]」、「[[シグナリング]]」、「[[モラルハザード]]」などの概念によって知られるこれら一群の研究は現在では「情報の経済学」と呼ばれ、ゲーム理論の応用分野として20世紀末に急速に発展した{{Sfn|小原|2015}}。

=== カーネマンとスミスの受賞(2002年) ===
{{main|1=行動経済学|2=実験経済学}}
[[ダニエル・カーネマン]]と[[バーノン・スミス]]は「行動経済学と実験経済学という新研究分野の開拓への貢献{{sfn|依田|2013|p=232}}」を称えられて[[2002年]]にノーベル経済学賞を受賞した。[[心理学者]]であったカーネマンはサイモンの提唱した[[ヒューリスティクス]]を多面的な視点から取り上げ、フォン・ノイマンとモルゲンシュテルンが築いた[[期待効用理論]]を批判し、[[プロスペクト理論]]と呼ばれる体系を創始した{{Sfn|依田|2013|p=173}}。カーネマンの一群の研究は今日では「[[行動経済学]]」と呼ばれる学問となっており、行動経済学の観点から限定合理性の理論、学習理論、公平性や互恵性の理論を研究するゲーム理論の分野は「[[行動ゲーム理論]]」と呼ばれる{{Sfn|川越|2010|p=3}}。

=== グレンジャーの受賞(2003年) ===
[[クライヴ・グレンジャー]]は「時系列分析手法の確立{{Sfn|依田|213|p=233}}」を称えられて[[2003年]]に[[ロバート・エングル]]と共同でノーベル賞経済学賞を受賞した。グレンジャーは[[時系列分析]]と呼ばれる統計学の分野の専門家であり直接的にはゲーム理論とは関係なかったものの、ゲーム理論の創始者モルゲンシュテルンとの親交が深い人物であった{{Sfn|鈴木|2014|p=235}}。グレンジャーはモルゲンシュテルンと同時期に[[プリンストン大学]]に在籍しており、[[1967年]]にモルゲンシュテルンの65歳記念論文集が編纂・出版された際には論文を寄稿している。さらに[[1970年]]にはモルゲンシュテルンと二人で株式市場における予測性についての共著論文を書いている{{Sfn|Granger|Morgenstern|1970}}。この共著論文は、当時生まれつつあった[[ランダムウォーク|ランダムウォーク仮説]]を体系的に検証するものであった<ref>外部リンク[http://cruel.org/econthought/profiles/morgenst.html オスカール・モルゲンシュテルン (Oskar Morgenstern), 1902-1976]。フォンセカ & アッシャーの『経済思想の歴史』を[[山形浩生]]が翻訳したもの。2016年9月1日最終閲覧。</ref>。

=== シェリングとオーマンの受賞 (2005年) ===
{{main|1=ロバート・オーマン|2=トーマス・シェリング}}
[[ロバート・オーマン]]と[[トーマス・シェリング]]は「ゲーム理論の分析を通じて対立と協力の理解を深めた功績{{Sfn|依田|2013|p=233}}」を称えられて[[2005年]]にノーベル経済学賞を受賞した。ゲーム理論家の受賞は[[2004年]]のナッシュらに次いで2件目であった。経済学出身のシェリングと数学出身のオーマンの研究手法は対照的であり、この二人の同時受賞には一定の配慮があったという指摘がある{{Sfn|鈴木|2007|p=282}}。

=== ハーヴィッツ、マイヤーソン、マスキンの受賞(2007年) ===
{{main|メカニズムデザイン}}
[[レオニード・ハーヴィッツ]]、[[ロジャー・マイヤーソン]]、[[エリック・マスキン]]らは「メカニズムデザインの理論の基礎を確立した功績」を称えられて[[2007年]]にノーベル経済学賞を受賞した。

=== オストロムの受賞(2009年) ===
{{main|エリノア・オストロム}}
[[エリノア・オストロム]]と[[オリバー・ウィリアムソン]]は「経済的なガヴァナンスに関する分析{{Sfn|依田|2013|p=234}}」に関する功績を称えられて[[2009年]]にノーベル経済学賞を受賞した。オストロムは、[[1990年代]]に[[公共財]]供給ゲームの教室実験や自然実験を実証分析することによって、森や湖などの[[コモンズ|共有資源]]を自主統治できる可能性を示した。丹念な実証研究からゲーム理論の新たな研究領域を開拓したオストロムの業績は理論研究者からも高く評価されている{{Sfn|岡田|2007b}}。

=== シャープレーとロスの受賞(2012年) ===
{{main|1=ロイド・シャープレイ|2=アルヴィン・ロス}}
[[ロイド・シャープレイ]]と[[アルヴィン・ロス]]は「安定配分理論と市場設計の実践に関する功績{{Sfn|依田|2013|p=234}}」を称えられて[[2012年]]にノーベル経済学賞を受賞した。シャープレーはゲーム理論の草創期から数々の重要な貢献をしてきたが、ノーベル賞受賞理由となったのは[[1962年]]に[[デビッド・ゲール]]との共著論文の中で考案された'''受入保留方式'''に関する業績であった。共同受賞を果たしたロスは、'''ゲール=シャープレー・アルゴリズム'''とも呼ばれているその方式が研修医マッチングを始めとする現実の制度設計に応用可能であることを示した{{Sfn|川越|2015|pp=8-9}}。

=== ティロールの受賞(2014年) ===
{{main|1=ジャン・ティロル|2=新産業組織論}}
[[ジャン・ティロール]]は「市場の力や規制についての分析」を称えられて[[2014年]]にノーベル経済学賞を受賞した。ティロルの創始した「新産業組織論」ではゲーム理論によって戦略的な企業行動や企業の内部構造を直接モデル化することが可能になり、それによってデータから因果的な情報を引き出す現在の実証的な産業組織論の道が開けたのである{{Sfn|小原|2015}}。

== 批判 ==
=== 完全観測の仮定に対する批判 ===
ゲーム理論において動学的環境ではプレイヤーが互いの行動を完全に見えると仮定されることが多いが{{Refnest|group="†"|ただし実際には、ゲーム理論家の間では[[1990年代]]以降、'''不完全観測'''({{lang-en-short|''imperfect monitoring''}})下の繰り返しゲームの研究が精力的に行われている{{Sfn|岡田|2011|p=459}}{{Sfn|神取|2015|pp=15-16}}。}}、このような'''完全観測'''({{lang-en-short|''perfect monitoring''}})の仮定に対して次のような批判がある。

[[コモンズ]]の管理に対するゲーム理論的な含意を実証研究によって明らかにした業績で[[2009年]]に[[ノーベル経済学賞]]を受賞した[[エリノア・オストロム]]は、[[繰り返しゲーム]]に対して次のように述べている{{Sfn|Ostrom|2015|p=93}}。
{{quotation|Some recent theoritical models of repeated situations do predict that individuals will adopt contingent strategies to generate optimal equilibria without external enforcement, but with very specific information requirements rarely found in field settings.{{Refnest|group="†"|引用文の和訳は以下の通りである。<br>''繰り返しの状況に関する最近の理論モデルの予測では、各個人は最適な均衡を形成するような混合戦略を外部から強制されることなく選択する。しかし、そのような戦略が選択されるためにはかなりの情報がプレイヤーに必要であるが、そのような状況が現実に観察されることは稀である。''}}
|Ostrom, E. (2015) Governing the Commons
}}
また、[[東京大学]][[名誉教授]]の[[岩井克人]]は[[2015年]]に雑誌『[[経済セミナー]]』の「経済学はどこから来て、どこに向かうのか?」という鼎談企画の中で「最後に、経済学は今後、どこに向かっていくのかというテーマで、少しお話しいただければと思います。」と質問されて次のように答えている{{Sfn|岩井|橋本|若田部|2015|p=15}}。
{{quotation|ここ20年くらい、ゲーム論的な立場から社会を見る経済学があまりにも強くなりすぎたと思っています。ゲーム論的な世界とは結局、顔の見える世界の話です。しかし、私は経済学の中で一番重要なのは、やはりアダム・スミスの思想だと思っています。それは、お互いに顔の見えない人間同士が築きあげる社会とはどのようなもので、どうすれば良くなるのかについての思想です。(中略)こういった視点が、ここ20〜30年のゲーム論の発展によって消えてしまったことは残念です。{{Refnest|group="†"|鼎談の収録日は2015年6月15日{{Sfn|岩井|橋本|若田部|2015|p=17}}。引用部分に続いて[[岩井克人|岩井]]は[[アダム・スミス]]らが肯定的に論じた[[分業]]が「知識の分業」にまで拡大している現状に対して「[[情報の非対称性]]」や「[[:Category:職業倫理|専門家倫理]]」という観点から警鐘を鳴らしている{{Sfn|岩井|橋本|若田部|2015|p=15}}。}}|岩井克人「経済学はどこから来て、どこに向かうのか?」、2015年
}}

=== 意思決定主体の立場からの批判 ===
ゲーム理論は[[社会科学]]の基礎的言語として社会科学者に活用されるだけでなく、[[企業]]や[[政府]]といった意思決定主体がどのように意思決定するべきかを指示する装置としての役割も期待されていた。しかし、それに対しては「経済分析には有効でも、意思決定主体にとっては有効な理論にはない」という批判がゲーム理論家の下に数多く寄せられていた{{Sfn|鈴木|2007|p=75}}。一部の専門家や非専門家が「勝つための戦略」などと称してゲーム理論を使えば万事上手くゆくかのように宣伝している一方で、実際には[[協力ゲーム]]の特性関数や[[非協力ゲーム]]の利得関数を正確に把握することは不可能であったり、ナッシュ均衡が一意的でないため一部の経営的予測には役に立たなかったりといった問題が指摘されている{{Sfn|鈴木|2007|p=75}}。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
<references />
{{Reflist|group=†}}
== 参考文献 ==
{{脚注ヘルプ}}
*{{Cite book | 和書 |author=岡田章 |authorlink=岡田章 |year=2011 |month=11 |title=ゲーム理論 | edition=新版 |publisher=有斐閣 |isbn=4-641-16382-9 }}
=== 出典 ===
*{{Cite book|和書
{{Reflist|colwidth=15em}}
|author=金子守
{{脚注ヘルプ}}
|authorlink=金子守

|year=2003
== 引用文献 ==
|month=4
=== 日本語文献(五十音順)===
|title=ゲーム理論と蒟蒻問答
* {{Citation| 和書
|publisher=日本評論社
| first = 昌彦
|isbn=4-535-55288-6
| last = 青木
| author-link = 青木昌彦
| title = 比較制度分析に向けて
| publisher = NTT出版
| series = 叢書制度を考える
| year = 2003
| isbn = 978-4757121195
}}
}}
*{{Cite book|和書
* {{Citation| 和書
| author = ロバート・アクセルロッド
|author=川西諭
| authorlink = ロバート・アクセルロッド
|year=2009
| year = 1998
|month=9
| title = つきあい方の科学:バクテリアから国際関係まで
|title=ゲーム理論の思考法
|publisher=中経出版
| publisher = ミネルヴァ書房
| series = Minerva21世紀ライブラリー
|isbn=978-4-8061-3470-1
| isbn = 4-623-02923-9
}}
| translator = 松田裕之
*{{Cite book|和書 |author=ジョン・フォン・ノイマン
| ref = {{sfnref|アクセルロッド|1998}}
|authorlink=ジョン・フォン・ノイマン
}}(原書 {{Cite| 洋書
|coauthors=オスカー・モルゲンシュテルン
| last = Axelrod
|others=阿部修一・銀林浩・下島英忠・橋本和美・宮本敏雄
| first = Robert
|year=2009
| authorlink = ロバート・アクセルロッド
|title=ゲームの理論と経済行動
| year = 1984
|publisher=筑摩書房
| title = The Evolution of Cooperation
|series=ちくま学芸文庫
| publisher = Basic Books
|isbn=978-4-480-09211-3
| isbn = 0465021212
|ref=NM(2009)
}}({{Cite book
|last=Von Neumann
|first=John
|coauthors=Morgenstern, Oskar
|date=2007-03-19
|title=Theory of Games and Economic Behavior
|edition=Princeton Classic Editions
|publisher=Princeton Univ Press
|isbn=0691130612
}})
}})
*{{Cite book|和書
* {{Citation| 和書
| first = 信夫
|author=ロバート・アクセルロッド
| last = 池田
|authorlink=ロバート・アクセルロッド
| author-link = 池田信夫
|others=松田裕之
| title = 電波利権
|year=1998
| publisher = 新潮社
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| series = 新潮新書
|title=つきあい方の科学――バクテリアから国際関係まで
| year = 2006
|publisher=ミネルヴァ書房
| isbn = 978-4106101502
|series=Minerva21世紀ライブラリー
}}
|isbn=4-623-02923-9
* {{Citation| 和書
}}({{Cite book
| first = 弘光
|last=Axelrod
| last = 石
|first=Robert
| author-link = 石弘光
|date=1985-10-01
| chapter = J. M. ブキャナン:経済学に政治を取り込む
|title=The Evolution of Cooperation
|publisher=Basic Books
| publisher = 日本経済新聞社
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|isbn=0465021212
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| first = 高典
| last = 依田
| author-link = 依田高典
| title = 現代経済学
| year = 2013
| publisher = 放送大学教育振興会
| series = 放送大学教材
| isbn = 978-4595314292
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| first = 英彦
| last = 市村
| author-link = 市村英彦
| chapter = ミクロ実証分析の進展と今後の展望(第8章)
| publisher = 有斐閣
| pages = 289 - 364
| title = 日本経済学会75年史:回顧と展望
| journal =
| year = 2010
| isbn = 978-4641163591
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* {{Citation| 和書
| author-link = 岩井克人
| first1 = 克人
| first2 = 努
| first3 = 昌澄
| last1 = 岩井
| last2 = 橋本
| last3 = 若田部
| chapter = 経済学はどこから来て、どこに向かうのか?
| pages = 4-17
| title = 総力ガイド!豪華61人の経済学者による徹底解説 これからの経済学: マルクス、ピケティ、その先へ
| series = 経済セミナー増刊
| publisher = 日本評論社
| year = 2015
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| first = 敦
| last = 岩崎
| author-link = 岩崎敦
| title = メカニズムデザインの考え方とマッチングのメカニズム
| pages = 323-329
| periodical = オペレーションズ・リサーチ
| publisher = 日本オペレーションズ・リサーチ学会
| volume = 2015年6月号
| year = 2015
}}
* {{Citation| 和書
| first = 貴志
| last = 宇井
| author-link = 宇井貴志
| contribution = ポテンシャルゲームと離散凹性
| title = 第17回RAMPシンポジウム論文集
| pages = 89 - 105
| year = 2005
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* {{Citation| 和書
| first1 = 憲
| last1 = 浦井
| first2 = 昭彦
| last2 = 吉町
| title = ミクロ経済学:静学的一般均衡理論からの出発
| year = 2012
| isbn = 978-4623062683
| publisher = [[ミネルヴァ書房]]
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* {{Citation| 和書
| last = 岡田
| first = 章
| title = 非協力ゲーム理論の最近の展開
| journal = オペレーションズ・リサーチ
| pages = 577 - 581
| other = 1989年11月号
| year = 1989
| author-link = 岡田章
}}
* {{Citation| 和書
| last = 岡田
| first = 章
| title = 経済学・経営学のための数学
| publisher = 東洋経済新報社
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* {{Citation| 和書
| last = 岡田
| first = 章
| year = 2007a
| title = ゲーム理論の歴史と現在
| url = http://www.econ.hit-u.ac.jp/~kenkyu/jpn/pub/2007/pdf/07-01aokada.pdf
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* {{Citation| 和書
| first = 章
| last = 岡田
| title = エリノア・オストロム教授のノーベル経済学賞受賞の意義
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| url = http://wakame.econ.hit-u.ac.jp/~aokada/kakengame/Dr.Elinor%20Ostrom_Nobel%20Prize%20in%20Economics.pdf
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| last = 岡田
| year = 2011
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| publisher = 有斐閣
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| authorlink = 奥野正寛
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| publisher = 東京大学出版会
| isbn = 978-4130421270
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| first1 = 正寛
| last1 = 奥野
| author-link1 = 奥野正寛
| first2 = 興太郎
| last2 = 鈴村
| author-link2 = 鈴村興太郎
| title = ミクロ経済学(第一巻)
| publisher = 岩波書店
| series = 岩波モダン・エコノミックス
| volume = 第一巻
| year = 1985
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| chapter = 経済学とゲーム理論: 歴史と展望
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| author-link = 川越敏司
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| authorlink = 神取道宏
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| editor1 = [[岩井克人]]
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| author-link = 神取道宏
| chapter = ゲーム理論と進化ゲームがひらく新地平
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| series = [[日本認知科学会]]編、「認知科学の探求」シリーズ、[[佐伯胖]]・[[亀田達也]]編
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| publisher = [[共立出版]]
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| first = 道宏
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| first = 道宏
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| year = 2015
| title = 人はなぜ協調するのか:くり返しゲーム理論入門
| publisher = 三菱経済研究所
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| title = 協力ゲーム理論入門
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| other = 2015年6月号
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| title = 経済学のためのゲーム理論入門
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| first = ギボンズ
| editor = 福岡 正夫、須田 伸一(訳)
| publisher = 創文社
| year = 1995
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| ref = {{sfnref|ギボンズ|1995}}
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* {{Citation| 和書
| first = コース
| last = ロナルド・
| author-link = ロナルド・コース
| ref = {{sfnref|コース|1992}}
| title = 企業・市場・法
| publisher = 東洋経済新報社
| editor = [[宮沢健一]]・[[後藤晃]]・[[藤垣芳文]]訳
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| last = 小西
| first = 秀樹
| title = 公共選択の経済分析
| year = 2009
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| last = 坂井
| author-link = 坂井豊貴
| title = マーケットデザイン:最先端の実用的な経済学
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| series = ちくま新書
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| last1 = 下村
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| last2 = 瀋
| first2 = 俊毅
| year = 2016
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| title = 進化とゲーム理論:闘争の論理
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| ref ={{sfnref|メイナード・スミス|1985}}
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| author1 = [[ゲオルグ・ジンメル]]
| author2 = 清水幾太郎訳
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* {{Citation| 和書
| first = 光男
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* {{Citation| 和書
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| author-link = 芹澤成弘
| year = 2007a
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| series = ゲーム理論入門(第1回)
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* {{Citation| 和書
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| first = 格
| last = 関口
| author-link = 関口格
| title = ゲーム理論ワークショップ:その歴史と2016年大会報告
| publisher = 日本評論社
| pages = 108-111
| periodical = 経済セミナー
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* {{Citation| 和書
| first = 慎一
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| author-link = 武隈慎一
| title = 数理経済学
| publisher = 新世社
| series = 新経済学ライブラリ(25)
| year = 2001
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* {{Citation| 和書
| first = 聡志
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| author-link = 田口聡志
| title = 実験制度会計論:未来の会計をデザインする
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| publisher = [[中央経済社]]
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* {{Citation| 和書
| first = 俊詔
| last = 橘木
| author-link = 橘木俊詔
| title = ニッポンの経済学部
| publisher = 中央公論社
| series = 中公新書ラクレ
| year = 2014
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* {{Citation| 和書
| first1 = 沙織
| last1 = 田中
| author-link1 = 田中沙織
| first2 = 雄希
| last2 = 酒井
| author-link2 = 酒井雄希
| first3 = 迅
| last3 = 成本
| author-link3 = 成本迅
| title = 衝動性と強迫性:計算論的アプローチ
| journal = 分子精神医学
| pages = 15 - 22
| volume = 15
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| year = 2015
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| first = 卓生
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| author-link = 堂目卓生
| chapter = 報告 経済学の基礎としての人間研究:学史的考察(第9章)
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* {{Citation| 和書
| last = 鍋島
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| author-link = 鍋島直樹
| chapter = ポスト・ケインズ派:『有効需要の原理』を軸に代替理論の構築をめざす
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| title = 総力ガイド!豪華61人の経済学者による徹底解説 これからの経済学: マルクス、ピケティ、その先へ
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| title = 2002年度中原賞受賞者
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* {{Citation| 和書
| author1 = ジョン・フォン・ノイマン
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}}({{Citation| 洋書
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}})
*{{Cite book|和書
* {{Citation| 和書
| author1 = [[ジョン・フォン・ノイマン]]
|author=ロバート・アクセルロッド
| author2 = [[オスカー・モルゲンシュテルン]]
|others=寺野隆雄
| ref = {{Sfnref|フォン・ノイマン|モルゲンシュテルン|2014}}
|year=2003
| title = ゲームの理論と経済行動(刊行60周年記念版)
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| publisher = 勁草書房
|title=対立と協調の科学――エージェント・ベース・モデルによる複雑系の解明
| year = 2014
|publisher=ダイヤモンド社
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|isbn=4-478-19047-X
* {{Citation| 和書
}}({{Cite book
| first = 宏一
|last=Axelrod
| last = 浜田
|first=Robert
| author-link = 浜田宏一
|date=1997-08-18
| year = 1982
|title=The Complexity of Cooperation: Agent-Based Models of Competition and Collaboration
|publisher=Princeton Univ Pr
| publisher = 創文社
| title = 国際金融の政治経済学}}
|series=Princeton Studies in Complexity
* {{Cite| 和書
|isbn=0691015678
| first = 敏彦
}})
| last = 林
*{{Cite book|和書
| author-link = 林敏彦
|author=トム・ジークフリード
| chapter = 経済学:時代とその役割
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| publisher = 日本経済新聞社
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|publisher=文春文庫
* {{Citation| 和書
|isbn=978-4-16-765171-8
| author = M. C. ハワード
}}({{Cite book
| ref = {{Sfnref|ハワード|2009}}
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| publisher = 多賀出版
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| title = ポスト・ケインズ派の経済理論
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* {{cite book | 和書 | title=経済学のためのゲーム理論入門 | author=ロバート・ギボンズ | editor=福岡 正夫、須田 伸一(訳) | publisher=創文社 | year=1995 | ref=ギボンズ(1995) }}
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* {{Citation| web
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| author1 = フォンセカ
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| author2 = アッシャー
:[[#EHGT|(英訳後半)On an Application of Set Theory to the Theory of the Game of Chess]]
| author3 = [[山形浩生]]訳|
* {{citation | year=1924 | title=Sur les jeux où interviennent l'hasard et l'habileté des joueurs | author=Émile Borel }}
title = オーストリア学派
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| series = 経済の思想の歴史
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| url = http://cruel.org/econthought/schools/austrian.html
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| first = 由喜彦
| last = 船木
| author-link = 船木由喜彦
| title = 演習ゲーム理論
| publisher = 新世社
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| chapter = 批判的実在論
| publisher = 多賀出版
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| title = ポスト・ケインズ派の経済理論
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* {{Citation| 和書
| first = 彰彦
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| author-link = 松井彰彦
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| publisher = 東洋経済新報社
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* {{Citation| 和書
| first1 = 知己
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| author-link1 = 松井知己
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| title = 複数財オークションについて
| pages = 166-170
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| year = 2001
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* {{Citation| 和書
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| author-link = 松島斉
| title = 宇沢弘文先生とわが大学生時代
| publisher = 日本評論社
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| periodical = 経済セミナー(2015年3, 4月号)
| series = 連載「オークションとマーケットデザイン」第13回
| year = 2015
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* {{Citation| 和書
| first = 斉
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| author-link = 松島斉
| title = マーケットデザインとニッポン
| publisher = 日本評論社
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| periodical = 経済セミナー(2016年7・8月号)
| series = 連載「オークションとマーケットデザイン」203回
| year = 2016
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* {{Citation| 和書
| first = 滋夫
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| author-link = 武藤滋夫
| title = ゲーム理論
| publisher = オーム社
| series = 東京工業大学Be-TEXTシリーズ
| isbn = 978-4274503337
| year = 2011
}}
* {{Citation| 和書
| author = [[ジョン・メイナード=スミス]]
| others = 寺本・梯訳
| title = 進化とゲーム理論:闘争の論理
| publisher = 産業図書
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| ref ={{sfnref|メイナード・スミス|1985}}
}}
* {{Citation| 和書
| first = 洋祐
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| author-link = 安田洋祐
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| publisher = NTT出版
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* {{Citation| 和書
| first = ラヴォア
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| ref = {{SfnRef|ラヴォア|2008}}
| other = 宇仁宏幸(訳)
| title = ポスト・ケインズ派経済学入門
| publisher = ナカニシヤ書店
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=== 外国語文献(アルファベット順)===
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|journal = Quarterly Journal of Economics
|volume = 84
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| accessdate = Sep 22, 2016
}}
* {{Citation
| last1 = Aoki
| first1 = Masahiko
| authorlink = 青木昌彦
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| last3 = Okuno-Fujiwara
| first3 = Masahiro
| authorlink3 = 奥野正寛
| title = The Role of Government in East Asian Economic Development: Comparative Institutional Analysis
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| last1 = Aoki
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| last2 = Patrick
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| publisher = Oxford University Press
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| authorlink1 = ウィリアム・ボーモル
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| url = http://jasss.soc.surrey.ac.uk/1/1/review1.html
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}}({{Cite| web
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| url = http://cruel.org/candybox/axelrodhype.html
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| accessdate = 2016年8月
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|url = http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k31267/f1304.image.r=Comptes+rendus+hebdomadaires+des+s%C3%A9ances+de+l.langFR
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* {{疑問点範囲|
{{Cite| 洋書
| first = Émile
| last = Borel
| authorlink = エミール・ボレル
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== 関連項目 ==
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「関連項目」として挙げられ得る項目は下のタブに掲載されていると判断したため、「関連項目」は掲載しておりません。
* [[半順序集合]]
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* [[束論]]
* [[微分ゲーム]]
* [[ゼロ和]]
* [[期待効用]]
* [[ゲーム意味論]]
* [[決定理論]]


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
本節では、本記事において引用・言及された外部リンクを紹介する。
* {{SEP|game-theory|Game Theory}}
* '''[http://muto.ynu.ac.jp/gtw/ ゲーム理論ワークショップ]''' - 日本最大のゲーム理論研究会である「ゲーム理論ワークショップ」のホームページ。本記事では、節「[[ゲーム理論#日本におけるゲーム理論|日本におけるゲーム理論]]」中で言及された。
* '''[http://plato.stanford.edu/entries/game-theory/ Game Theory]'''(英語サイト) - [[スタンフォード哲学百科事典]]の「ゲーム理論」の項目。
* '''[http://cruel.org/econthought/index.html 経済思想の歴史]''' - New School for Social Research経済学部の支援を受けゴンサロ・L・フォンセカとリアン・J・アッシャーらによって作成されたサイトの[[山形浩生]]([[トマ・ピケティ]]『[[21世紀の資本]]』翻訳者)による翻訳版。さまざまな経済学派や経済学者が解説されており、本記事でも「[http://cruel.org/econthought/profiles/morgenst.html オスカール・モルゲンシュテルン]」や「[http://cruel.org/econthought/schools/austrian.html オーストリア学派]」の項目を引用した。
* '''[http://www.jeaweb.org/jpn/AwardsNakahara.html 日本経済学会・中原賞]''' - 国際的に高く評価された経済学者に対して[[日本経済学会]]から与えられる'''[[中原賞]]'''のホームページ。多くのゲーム理論家が受賞しており、彼らの研究内容や業績が紹介されている。
* '''[https://www.aeaweb.org/jel/guide/jel.php JEL Classification Codes Guide]''' - [[アメリカ経済学会]]による[[JEL分類コード]]の紹介。ゲーム理論の経済学における位置付けを示すものであり、ゲーム理論は'''C7'''に分類されている。→ [[:Category:数理的手法と定量的手法(経済学)|JEL: C]]


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2016年9月30日 (金) 07:11時点における版

チェス盤。ゲーム理論が誕生する遥か以前、経済学の祖アダム・スミスは主著『道徳情操論』(1759年)において人間社会を「偉大なチェス盤」に喩えていた(第6部「有徳の性格について」)[1]

ゲーム理論(ゲームりろん、: game theory)とは、経済社会における複数主体が関わる意思決定の問題や行動の相互依存的状況を数理的なモデルを用いて研究する学問である[2][3][† 1]数学者ジョン・フォン・ノイマン経済学者オスカー・モルゲンシュテルンの共著書『ゲームの理論と経済行動』(1944年) によって誕生した[5][6][7][8][9][10][11][† 2]。元来は主流派経済学(新古典派経済学)への批判を目的として生まれた理論であったが[13]1980年代非協力ゲーム理論が急速に発展したのを機に経済学者の間にも広く浸透し、以来アメリカの代表的大学院ではミクロ経済学の必修講義の半分をもゲーム理論の教育に充てられるまでに至った[14]

ゲーム理論の対象はあらゆるゲーム的状況 (: game situations) である[† 3]。ゲーム的状況の問題構造は経済学ばかりでなく、政治学経営学社会学哲学心理学生物学工学オペレーションズ・リサーチコンピュータ科学などのさまざまな学問分野に見出されるものであり、ゲーム理論はこれらの学問分野を横断する学際的で総合的な理論の一つである[6]

枠組み

協力ゲームと非協力ゲーム

ゲーム理論は、複数のプレイヤーが拘束力のある合意を結ぶ状況を扱う協力ゲーム理論: cooperative game theory)と個々のプレイヤーが独立に行動する状況を扱う非協力ゲーム理論: noncooperative game theory)とに分けられる[10]。両者の区別は以下の表によって要約される。

協力ゲームと非協力ゲーム[† 4]
協力ゲーム 非協力ゲーム
ゲームの前提 プレイヤー間で拘束力のある合意が可能 プレイヤー間で拘束力のある合意が不可能
分析対象の単位 複数のプレイヤーから成る提携 個々のプレイヤーによる行動
表現形式 提携形ゲーム戦略形ゲーム 展開形ゲーム戦略形ゲーム
解の概念 安定集合コア交渉集合シャープレー値カーネルなど ナッシュ均衡支配戦略均衡、被支配戦略逐次排除均衡[16]サブゲーム完全均衡進化的に安定な戦略など

協力ゲームと非協力ゲームの区別はジョン・ナッシュ1951年に発表した「非協力ゲーム[17]」という論文の中で初めて定義された[18][19]。ナッシュの定義によれば、協力ゲームではプレイヤー間のコミュニケーションが可能でありその結果生じた合意が拘束力を持つのに対して、非協力ゲームではプレイヤーがコミュニケーションをとることが出来ず合意は拘束力を持たない[18]。このように当初はプレイヤー間のコミュニケーション拘束力のある合意: enforceable agreement)の有無によって協力ゲームと非協力ゲームとが区別されていたが、非協力ゲームの研究が進展するにつれてこのような区別は不十分なものとなった。すなわち、1970年代に非協力ゲームを「展開形」で表現する理論が発達したことによって、非協力ゲームにおけるプレイヤー間のコミュニケーションが情報集合として記述・考察できるようになったため、コミュニケーションの有無が協力ゲーム・非協力ゲームの定義にとって重要ではなくなったのである[18]。したがって、協力ゲームと非協力ゲームの区別で重要なのは拘束力のある合意が可能であるか否かであり、ジョン・ハルサニラインハルト・ゼルテン[20]による「非協力ゲームはその展開形表現の中に明示的に記述されているものを除いてはプレイヤー間で拘束力のある合意が可能でないゲームである。協力ゲームは展開形表現の中に記述されていなくてもプレイヤー間の拘束力のある合意が可能なゲームである。」という定義が一般的に受け入れられるようになった[18]

ただし、現実の相互依存的な戦略的状況そのものが協力ゲームと非協力ゲームとに分類可能な訳ではない。国際政治における国家間の相互依存関係を想起すれば容易に理解できるように、現実社会の多くの状況においてそれぞれの枠組みによる分析可能性が混在している[18]。また、「協力ゲームがプレイヤー間の協力や協調関係を分析し、非協力ゲームがプレイヤー間の対立や競争を分析する」という理解がしばしばなされるが誤りであり[21]、両者の違いは分析対象のプレイヤーの提携レベルか単位が個々のプレイヤーレベルかの違いである[22]

このように両者の区別は決して明確ではなく、非協力ゲームの理論を用いて協力ゲームの問題を説明しようとする一群の研究(ナッシュ・プログラム)も存在する [23]。プレイヤー間の協力が実現するまでの交渉プロセスを展開形ゲームとして記述することによって非協力ゲームとして分析することが可能であり、非協力ゲームの枠組みを用いて協力の問題を分析することによって、単に協力の結果としてどのような状態が実現するかだけでなく協力が成立するためにどのような条件が必要か等といった問題も考察される[18]。このような意味において非協力ゲーム理論は協力ゲーム理論の基礎であるということができる[† 5]

ただし、1980年代における非協力ゲーム理論の急激な進歩に伴って、協力ゲーム理論の経済分析における重要性は大きく低下し[25]、「協力ゲームなど無意味だ」と主張する経済学者まで現れたと言われている[26]

ゲームの表現形式

分析単位 協力ゲーム 非協力ゲーム
表現形式 提携形 戦略形 展開形

ゲームの代表的な表現形式として、戦略形展開形提携形の3つが挙げられる。協力ゲーム提携形ゲーム戦略形ゲームという2種類の表現形式によって定式化され、非協力ゲーム戦略形ゲーム展開形ゲームという2種類の表現形式によって定式化される[27][28]

戦略形ゲーム: games in strategic form)は(1)プレイヤーの集合、(2)各プレイヤーにとって選択可能な戦略の集合、(3)各プレイヤーの利得関数[† 6]、の組によって定義される[31][† 7]。なお、戦略集合の組にはプレイヤー集合の情報が含まれているため、プレイヤー集合を明記せずにによって戦略形ゲームを定義する場合がある[33]。さらに戦略集合の組定義域として利得関数の組にその情報が含まれているため、によって戦略形ゲームを定義する場合もある[34]

双行列ゲーム[35]
1, 2 Left Right
Top
Bottom

戦略集合が有限でなおかつプレイヤーが2人のみという特殊な場合においては、左に掲げたような双行列: bimatrix)によって戦略形ゲームを表記することが可能である[36][† 8]。この双行列の例ではプレイヤー集合が、戦略集合がそれぞれであり、利得は行列の各成分によって表されている。例えば(1, 1)成分のは、両プレイヤーの利得関数がそれぞれを満たすことを表している。

展開形ゲーム: games in extensive form)は標準形ゲームに情報構造を加えたものである[18]。情報構造の定式化の方法はさまざまであるが、情報構造を導入することによって(1)各プレイヤーにいつ手番が回ってくるか、(2)自分の手番が回って来たとき各プレイヤーは何を知っているか、を指定することができる[38][† 9]

提携形ゲーム: games in coalitional form)は(1)プレイヤーの集合、(2)特性関数によって定義される[39][† 10]。プレイヤー集合の部分集合提携: coalition)と呼ばれるが、特性関数の値は任意の提携が提携に参加したプレイヤーに齎す利得の総計として解釈される[41]。提携形ゲームは特性関数形ゲーム: games in characteristic function form)とも呼ばれる[41]

ゲームの構成要素

ゲーム理論ではさまざまな現象や問題がゲームとして定式化されるが、ここでいうゲームとは1組のルール(: a set of rules)のことを指す[42]。すべてのプレイヤーが他のすべてのプレイヤーもルールを完全に知っていることを相互に認識し合っているゲームを情報完備ゲーム[43]とか完備情報ゲーム[44]: game with complete information)といい、情報完備ゲームのルールを共有知識: common knowledge)という[43]。他方、ルールがプレイヤー間で共有知識でないゲームを情報不完備ゲーム[43]とか不完備情報ゲーム[44]: game with incomplete information)という。本節ではゲームを定義するルールの代表的な構成要素であるプレイヤー、戦略集合、利得関数、情報構造、特性関数について解説する。

ゲームの表現形式と構成要素
表現形式 構成要素 表現可能なゲーム
プレイヤー 戦略集合 利得関数 情報構造 特性関数 協力ゲーム 非協力ゲーム
提携形ゲーム × × ×
戦略形ゲーム × ×
展開形ゲーム × ×
プレイヤー
ゲーム理論では分析の対象となる意思決定主体をプレイヤー: player)と呼ぶ。プレイヤーは、あらゆるゲームのモデルに登場する基本的な構成要素であり[45]、プレイヤー集合はしばしばによって表される[29][31]。ゲーム理論におけるプレイヤーは労働者[46]投資家[47]投票者[48]官僚テニス選手[49]といった個人だけでなく、企業[50]クラブ[50]政党[50]といった組織、さらには国家[51]シカ[52][53]などのような人間以外の意思決定主体にまで多岐に渡る。ゲーム理論においてはプレイヤーの人数が重要であり、ゲームを定義する際にはプレイヤーの人数を明示する必要がある[54]。プレイヤーの数に応じて2人ゲーム、3人ゲーム、 n 人ゲームなどと呼ぶが、時にはプレイヤーの人数が無限の場合も考えられる[50][54]
ゲームの中に意思決定主体の選択によって影響されることのない不確実性がある場合、その偶然メカニズムは自然: nature)と呼ばれるプレイヤーとして定式化され、自然が選択する手番は偶然手番: chance move)と呼ばれる[55]。ここでいう自然の例としては、天気[56]、スポーツの試合前に行われるコイントス[57]、企業の研究開発の成果[58]などが挙げられる。
戦略集合
戦略形ゲームにおいて戦略: strategy)とは各プレイヤーがとり得る選択肢を意味し、行動: action)と同義である[29]。プレイヤー i にとって選択可能な戦略の集合を i戦略集合: strategy set)とか戦略空間: strategy space)と呼びなどによって表すが、一般に戦略集合はプレイヤーごとに異なるため、 n 人ゲームでは n 個の戦略集合の組を定義する必要がある[31][59]。戦略集合が有限であるようなゲームを有限ゲーム、そうでないゲームを無限ゲームという[60]
2人じゃんけんゲーム[61]
1, 2 グー チョキ パー
グー 0, 0 1, −1 −1, 1
チョキ −1, 1 0, 0 1, −1
パー 1, −1 −1, 1 0, 0
上記の意味における戦略には純戦略: pure strategy)と混合戦略: mixed strategy)とがある。前者は確定的にある一つの行動を選択する戦略であり、後者はある確率分布に従って選択を行う戦略である[62]。例えば、右に掲げた双行列が示す2人有限ゲームはじゃんけんを表しているが、この「2人じゃんけんゲーム」における各プレイヤーの純戦略とは、「戦略グー」、「戦略チョキ」、「戦略パー」である。他方、この「2人じゃんけんゲーム」における各プレイヤーの混合戦略とは、例えば「戦略グー、チョキ、パーをそれぞれ3分の1の等確率で選択する」といったものである。戦略集合の混合拡大上の確率分布として定義される[63]
展開形ゲームでは戦略と行動とが厳しく区別され、ゲームの歴史から行動を指定する関数として戦略が定義される[64]。すなわち展開形ゲームにおける戦略とは、完全な行動計画のことであり、そのプレイヤーが行動を起こすことになるかもしれないそれぞれの事態でどの実行可能な行動をとるかをすべて漏れなく指定したものである[65]。このように定義される展開形ゲームにおける戦略を行動戦略と呼び、他方、個々の手番における行動を局所戦略と呼ぶこともある[66]
利得関数
非協力ゲームの重要な構成要素である利得関数: payoff function[† 6]は戦略集合の直積を定義域とする実数値関数として定義される[† 11]。一般に利得関数はプレイヤーごとに異なるため、 n 人ゲームでは n 個の利得関数の組を定義する必要がある。利得関数の値である利得: payoffs)とは各プレイヤーが実行した戦略によって決定されたゲームの結果に対する評価値であり、したがって、利得関数は効用関数、評価関数、損失関数などと呼ぶこともある[68]。ただし、ゲーム理論における利得関数は、従来の価格理論における効用関数とは異なり、定義域に自分の選択した戦略だけでなく他のプレイヤーが選択した戦略が含まれる。これは意思決定の相互依存的状況を重視するゲーム理論の本質的な側面を反映している[68]
ゲームには偶然の要素がしばしば加わり、また相手の行動の予測が困難な場合も多いため、リスクや不確実性の下での意思決定の基準たり得る利得関数を考える必要がある[68]。このような要請に応える理論的枠組みとして、フォン・ノイマンモルゲンシュテルンによる期待効用理論があり、ゲーム理論においても多く応用されている[69]。彼らによって考案された期待利得関数: expected utility function)は混合拡大: mixed extension)された戦略集合の直積集合上の実数値関数であり、プレイヤーiの期待利得関数と定義される[63]
各プレイヤーがすべてのプレイヤーの利得関数を知っているかどうかは分析において大きな問題であり、予め知っている場合や経験によって次第に知る場合、何らかの推定値として知っている場合など、さまざまな場合が仮定される[70]
特性関数
プレイヤー集合の部分集合の集合上に定義される実数値関数を特性関数: characteristic function)と呼ぶ[40]。各提携に対しては提携のメンバーが協力することによって得られる便益の総計を表している[40]。特性関数について仮定されることの多い性質として、優加法性: super-additivity)や凸性などが挙げられる[71]

ゲームの解概念

ゲーム理論において: solution)とは特定の性質を持ったゲームにおいて現れる可能性のある結果を体系的に記述したものである[45]。現実の多様な状況を分析するためにさまざまな解の概念が考案されている[72]戦略形展開形の表現形式で定義されたゲームの解概念に対してはevolutiveな解釈とeductiveな解釈がなされる[† 12]。前者は、ゲームの解が何らかの性質を持った状況において観察される規則性を説明するという解釈である[73]。後者は、ゲームの解が特定の状況におけるプレイヤーの行動を予測するという解釈である[73]。他方、提携形の表現形式で定義されたゲームにおける解概念はプレイヤーが提携によって得た便益の分配方法を表すものである[40]。本節ではこれらの解の概念について解説する。

プレイヤー i にとって他のプレイヤーの全ての戦略の組に対してある戦略が他の戦略の与える利得よりも常に大きいとき戦略は戦略強支配すると定義され、が他の全ての戦略を強支配するとき強支配戦略と定義する[74]。全てのプレイヤーが強支配戦略をとっているとき、そのような戦略の組を強支配戦略均衡と呼ぶ[75]。強支配戦略の定義は強い条件を課しており、強支配戦略均衡には非常に限られたタイプのゲームにしか存在しないという欠点がある[76]。強支配戦略均衡よりも戦略組が存在するケースが多い均衡概念として被支配戦略逐次排除均衡があるが、被支配戦略逐次排除均衡が実現するためにはすべてのプレイヤーの利得関数が共有知識であり、なおかつ各プレイヤーが無限の推論能力を持っている必要がある[77]。さらに、すべての戦略組が被支配戦略逐次排除均衡の条件を満たすケースもあり、被支配戦略逐次排除均衡は多くのゲームにおいて予測の役に立たないという欠点がある[77]

パラダイムとしてのゲーム理論

ドイツ語圏ユダヤ人思想の影響

ゲオルク・ジンメル

ゲーム理論を創始したジョン・フォン・ノイマンオスカー・モルゲンシュテルンの思想の背景にはジンメルマルクスウェーバーウィトゲンシュタインなどのドイツ語圏ユダヤ人思想の潮流があると言われている[78][† 13]

特にフォン・ノイマンとモルゲンシュテルンの研究にはドイツ哲学者ゲオルク・ジンメルの影響が色濃く現れていることが指摘されている。Gesellschsftsspieleというドイツ語はフォン・ノイマンによる先駆的論文「社会的ゲームの理論について」(1928年)において用いられ「ゲーム理論」という名称の由来にもなった単語であるが、当時としては一般的な表現ではなかった[80]。しかしこの概念は、以下の引用に示されるように、ジンメルの著書『社会学の根本問題』(1917年)において主題のひとつとして既に論じられていた。なお引用文において翻訳者の清水幾太郎Gesellschaftsspieleに「社会的遊戯」という訳語を充てている。

社会的遊戯(: Gesellschaftsspiele)という表現は深い意味において重要である。人間の間の一切の相互作用形式、社会化形式—例えば、勝利への意志、交換、党派の形成、略奪の意志、偶然との邂逅や別離のチャンス、敵対関係と協力関係との交替、落し穴や復讐—これらは何れも、油断のならぬ現実では目的内容に満たされているのに、遊戯となるとこれらの機能そのものの魅力だけを基礎として生きて行く。なぜなら遊戯が賞金目当ての場合でも、お金は他の色々な方法でも獲得できるものなので、それは遊戯の眼目ではなく、むしろ本当の遊戯者から見れば、遊戯の魅力は社会学的に重要な活動形式そのものの活気や僥倖にある。社会的遊戯には、更に深い二重の意味がある。すなわち、それが実質的な参加者たる社会のうちで行われるという意味だけでなく、加えて、それによって実際に「社会」が「遊戯」になるということである。 — Simmel, G. (1917) Grundfragen der Soziologie(清水幾太郎訳 1979, p. 81)

日本におけるゲーム理論研究に先鞭をつけた鈴木光男は「社会化のゲーム形式」と呼ばれるジンメルの社会観は後にフォン・ノイマンとモルゲンシュテルンによって打ち立てられたゲーム理論そのものであると論じている[81]。ゲーム理論における人間像は自己と他者との関係から成り立っており、それは社会存在としての「自我の自覚と他者の発見」という近代の市民社会の精神に基づいている。さらに、ゲーム理論は個人間の自由な関係を前提としているにもかかわらず、「レッセ・フェール: laissez-faire)」と呼ばれる古典的自由主義の楽観的人間像とも異なった社会像を与えている[82][83]

新古典派経済学の代替理論としてのゲーム理論

異端の思想としてのゲーム理論

ポール・サミュエルソン。主著『経済分析の基礎』において新古典派経済学の方法論を完成させた。経済学のあらゆる分野で一流の業績を上げたことから「最後のジェネラリスト」と称される[84]

ゲーム理論が登場・普及する以前に「主流派」とか「正統派」と呼ばれる位置を占めていた[85]新古典派経済学はゲーム理論と比較して次の2つの理論的特徴を有した[86]

(1)合理性の仮定 経済主体は首尾一貫した行動基準の下で合理的に行動する。
(2)プライステイカーの仮定 完全競争的な市場において、需要供給が一致するように価格が決定される。

経済学において合理性とは完備性(: completeness[† 14]推移性: transitivity[† 15]が同時に満たされることを意味しており、合理的な経済主体の行動は制約付き最適化問題として数学的に定式化することができる[87][† 16]。プライステイカーの仮定は経済主体の選択が市場価格に一切の影響を与えないことを意味しており、意思決定の戦略的側面[† 17]や価格決定のプロセスそのもの[† 18]を捨象している。これらの方法論はポール・サミュエルソン1970年ノーベル賞受賞者)の主著『経済分析の基礎』によって体系化されるものであるが、これによって本来複雑極まりないはずの経済主体間の相互依存関係が「一定とされる市場価格」を媒介として各個人にとって個別の最適化問題に帰着することが可能となる[87]

経済主体同士の対面における戦略的利己的行動や具体的な経済主体が影響力を発揮する市場プロセスを重視していたオーストリア学派は上記の2つめの特徴をもつ新古典派経済学を早い段階から批判しており、このオーストリア学派の系譜からゲーム理論が誕生した[92]。ゲーム理論は1980年以前は学界からも「異端の思想」として捉えられており、当時のゲーム理論の処遇や位置付けについて鈴木光男1970年に公刊された編著書『競争社会のゲーム理論』の「はしがき」で次のように語っている。

ゲームの理論は異端の思想である。小麦を肩にかついで市場に現れ、神の見えざる手に導かれて予定の調和に達するという思想とは対立する基盤から生まれた。異端は常に覚めて地獄を見る。人間の理性を神の御心に従って調和に達するものとは見ない。理性は常に対立を生み、競争を生み、その結果として結託を生み、それらの克服としてのみ調和がありうると見る。克服なきとき、そこには抜き差しならぬ対立は依然として存在し、それに目をそらすことはしない。そして、その克服がいかに困難なことであるかを示している。人はしばしば合理的とか最適とかいう。合理的とか最適とかいう言葉は現代の呪文である。しからば合理的とか最適とかいうのは一体何であろうか。社会的行動における合理的なるものの意味を鋭く追及したのもゲームの理論である。異端は常に覚めて地獄を見なければならないのである。 — 鈴木光男『競争社会のゲーム理論』、1970年

また、2005年ノーベル経済学賞を受賞したトーマス・シェリングは、受賞の際に選考委員会から The "errant economist" (as Schelling has called himself) turned out to be a pre-eminent pathfinder. と紹介された。シェリングが errant economist を自称したのは当時支配的であった正統派経済学の道を歩まず異端派としての遍歴を重ねた実感からであり、同時にこれはシェリングのみならず多くの初期のゲーム理論家に共通する感情であった[93]

異端派と新古典派のパラダイムの対照[† 19]
前提条件[† 20]異端派経済学新古典派経済学
認識論現実主義[† 21]道具主義
合理性手続き的合理性独立的合理性
存在論有機体論方法論的個人主義
政治的中心国家の介入自由競争市場
分析の焦点生産成長交換希少性

なお、現在「異端派経済学」と言えば、制度派経済学カール・マルクスの影響を受けて成立したポスト・ケインズ派レギュラシオン学派ラディカル派マルクス派などといった新古典派経済学に対する反対勢力を指すが、彼らはニューケインジアンなどの新古典派に対して「異端派」を自称しており[96]現実主義[† 21]手続き的合理性有機体論、国家による市場介入の支持、生産と成長への関心といった特徴を持つと主張している(右に掲載された表を参照)。

ジョーン・ロビンソン。主著に『異端の経済学』(1971年)。彼女が「経済学の第二の危機」を宣言たことを契機として、1970年代半ばに「ポスト・ケインズ派経済学」という研究者集団が誕生した[97]

第1の前提条件である「認識論」に関して、現実主義[† 21]とは、現実世界を正しく記述することを理論の目的とみなす異端派の立場である[98]。他方、道具主義とは、理論を正確な予測や計算といった分析の道具とみなし、その目的以上に仮説が現実的である必要はないとする新古典派の立場である[98]。これらの点について、ゲーム理論は理論分析の道具として近代経済学に応用されるだけではなく、比較歴史制度分析などの一部の制度経済学において特定の時代・地域の制度や体制を精密に描写するための手法としても用いられている[99]。また、1990年代にゲーム理論の応用分野として誕生したマーケットデザインは具体的な個別の各問題を分析・解決することを目的とした「オーダーメイド」の理論を構築することを志向している[100]

第2の前提条件である「合理性」に関して、新古典派は経済主体が所与の制約の中で最適な選択をするという強い仮定を課しているのに対して、異端派はハーバート・サイモンによって提唱された限定的で制限された合理性を採用している[101]。ゲーム理論は成立当初は新古典派の合理性の仮定を踏襲していたが、1980年代から1990年代にかけて合理性を前提としないアプローチを採用することとなった。合理性を限定したゲーム理論の研究アプローチについては後述の「#限定合理性アプローチ」の節を参照。

第3の前提条件である「存在論」の「方法論的個人主義」とは、新古典派においてプライステイカーの仮定として定式化されていたものであり、彼らの想定する経済主体は他者からの影響を受けることなく制約付き最適化行動をとる[102]。他方、異端派が採用する有機体論において、個人は社会的存在とみなされ、マルクス経済学者によって強調されるように、文化や社会階層などを含む環境に影響される[† 22]。これらに対して、ゲーム理論は方法論的個人主義がその基礎にあるものの、他者との関係性によって個人が成立しているというオーストリア学派の人間像が反映されており、個人間の有機体的な相互依存関係を重視している[83]

ライオネル・ロビンズ1932年に出版された著書『経済学の本質と意義』において、経済学を「諸目的と代替的用途をもつ希少な諸手段とのあいだの関係としての人間行動を研究する学問」と定義した[103]。これは新古典派経済学の最も一般的な定義とされる[104]

第4の前提条件である「政治的中心」は追加的な項目である[105]。新古典派の仮定の下では「パレート非効率的な状態では(非効率性の定義より)全員の満足度を高めるような別の状態が必ず存在するから、当事者が合理的であれば全員に取ってより良い状態へ移行するはずである。したがって、合理的な個人の自由に任せておけば結果は必ず効率的になる。」という素朴な自由放任主義思想が成り立ち、実際にこうした考え方は新古典派経済学者の間で一時は大きな影響力を持っていた[106]。彼らは短期的には何らかの不完全性や外部性が存在し、国家の介入が必要であることを認めているものの、長期的にはそれらに起因する非効率性が市場メカニズムによって解消されると信じていたのである[107][† 23]。他方、異端派は新古典派が採用した独立的合理性やパレート効率性に対してそもそも懐疑的であったため、国家による市場領域への介入の必要性を強く訴えていた[109]。これらに対してゲーム理論は、「囚人のジレンマ」に代表されるような各個人が合理的であったとしても政府が介入しなければ効率的な配分が実現しない場合が存在することが明らかにし、政府が適切なインセンティブを与える制度設計をすることの必要性を主張した[110]

第5の前提条件である「分析の焦点」に関して、新古典派は希少な財がいかに配分されるか、という問題に関心を持っていた。他方、異端派はアダム・スミスカール・マルクスといった限界革命以前の古典派経済学者のように富と生産を拡大することに貢献する必要資源をつくることに基本的関心を持っている[111]。両学派が分析の対象を交換や生産といった狭義の経済に限定しているのに対して、ゲーム理論は 市場や生産といった狭義の経済のみならずさまざまな分野に応用されている。その広範な分析対象については後述の「#応用分野」の節を参照。

静かな革命

ゲーム理論は誕生当初には新古典派経済学と対立していたが[112]1950年代には一般均衡理論の重要な未解決問題であった完全競争市場の存在証明に非協力ゲームの枠組みが応用され[113]、さらに1960年代にはシュービックによりエッジワース交換経済モデルが協力ゲームとして一般化された[114]。これらの研究は両パラダイムが相反するものではなく、ゲーム理論が新古典派モデルの一般化であることを示しており、ゲーム理論のパワーの大きさを十分に示すものであった[112][115]。鈴木光男は1960年代における両パラダイムの関係を次のように述べている[116]

経済学において正統的にして最も正統的なる完全競争の理論が、異端の思想であるゲームの理論によって初めて明確にされたことは、異端と正統との対立的展開の一つの象徴的事件である。このことによって、完全競争の神話は初めて理論となり得た。同時にそれが極めて特殊なものであることも明らかにされた。 — 鈴木光男『競争社会のゲーム理論』、1970年

このような交流を経ても、1980年まで両パラダイムは微妙な対立関係を保っていた。なぜゲーム理論の基礎が開発された1950年代から20年以上もの間それが経済学の研究に広く認知されることがなかったかは「経済学説史上の大きな謎」とされている[117]。しかし、1980年代非協力ゲーム理論が急速に進展するとゲーム理論が一般の経済学者の間にも浸透してゆくこととなる。ゲーム理論は新古典派モデルの特徴のひとつである合理性の仮定を自然な形で継承・発展したものであったため、1980年代に実現したこのパラダイム転換は大きな不連続な変化として意識されないほどにスムーズであり、「ゲーム理論による経済学の静かな革命」とも評された[118]

研究動向の変化を示す代表的指標である「エコノメトリックソサエティ」世界大会招待講演の内訳を見ると、1975年大会においてゲーム理論は皆無だったのに対して1980年大会ではミクロ経済学者による講演全体に占める約40パーセントが、1985年大会では80パーセント以上が「ゲーム理論と情報の経済学」となっている[119]。このように進展したゲーム理論が経済学にもたらした成果として神取道宏は以下の2点を挙げている[119]。まず第一に、完全競争市場以外の幅広い社会経済問題を合理的行動から統一的に捉える理論体系が出来たことである。これにより、理論分析の対象となりうる範囲が俄然拡大され、産業組織論国際経済学労働経済学公共経済学金融論経済史などの個別分野に大きな進展がもたらされた。第二の成果は、ひとたび完全競争市場の世界を離れると、各個人の利益追求は全体としては非効率な結果をもたらすことがむしろ普通であり、適切なインセンティブを与える制度の設計が重要であるということが明確に理解されたことである。

21世紀現在では、ゲーム理論がかつて「異端の思想」であったことを信じない専門家がいる程度までにゲーム理論は普及しており[120]価格理論契約理論と並んで「ミクロ経済学の三本柱」と称されるまでに至った[121]1990年代には米国の主要大学院におけるミクロ経済学の必修講義の半分がゲーム理論の教育に充てられるようになっている[14]

完全合理性からの脱却

進化ゲーム理論については「#応用分野#生物学」も参照

ゲーム理論は当初は「社会における合理的行動の数学理論」として研究されていた[122]。1950年代にハーバート・サイモン[123]限定合理性: bounded rationality)の概念を提示し「効用最大化」に代わる「満足化」の原理を採用すべきと主張し、限定合理性アプローチは多くの研究者にその重要性を認めらたものの、サイモンの主張の多くは分析的なレベルに達していなかったため研究の主流にはなりえなかった[† 24]。しかし、1980年代後半から1990年代にかけて、経済学やゲーム理論は伝統的な合理性の仮定を緩和し現実の人間が持つ人間的な合理性: human rationality)の研究を本格的に開始することとなる[122]

新古典派経済学が「合理的で利己的な経済人(ホモエコノミカス)」としての人間行動を前提としていたのに対して、1990年以降、仮定をより現実的な人間像に近づけることによって理論の説明や予測の精度を高めようとする試みである、実験経済学行動経済学が台頭した[125]。こうした学説史上の現象の一因として、経済学におけるゲーム理論の定着が挙げられる[126]。伝統的な経済学は大規模な市場に関する分析しかしていなかったため実験の利用可能性が大きく制限されていたのに対して、ゲーム理論は少数のプレイヤーが戦略的に行動する問題を分析していたため理論予測を実験で直接検証することが可能であった[† 25]。ゲーム理論の実験は1950年代にメリル・フラッドとメルヴィン・フィッシャー[127]の「囚人のジレンマ」の実験によって創始され、その後も「最後通牒ゲーム」の実験や「独裁者ゲーム」の実験などさまざまな研究が行われてきたが、フラッドらによる黎明期の実験から近年の実験まで一貫して理論的な均衡概念、つまり自己利得最大化と整合的理論形成を基礎とする個人の合理性だけでは説明できない実験結果が観察されている[128][† 26]。こうして行われた教室実験によって蓄積された現実の人間行動と理論的予測の乖離を示すデータによって行動経済学: behavioral economics)と呼ばれる分野が登場した[126]

ジョン・メイナード・スミス1973年、雑誌『ネイチャー』上に発表されたジョージ・プライスとの共著論文"The logic of animal conflict"によって進化ゲーム理論の嚆矢が放たれた[52]

新古典派モデルの特徴であった合理性の仮定はゲーム理論においても長らく採用されていたが、1980年代行動経済学進化ゲーム理論と呼ばれる分野が誕生・発展したことにより、1990年代以降合理性を仮定しないアプローチによるゲーム理論の研究が進展している[130]。行動経済学の観点から限定合理性の理論、学習理論、公平性や互恵性の理論を研究するゲーム理論の分野は行動ゲーム理論: behavioral game theory)と呼ばれる[131]

数理生物学者ジョン・メイナード・スミスらによって創始された進化ゲーム理論: evolutionary game theory)は、合理的思考を持たない生物社会をゲーム理論の枠組みによって分析する。思考を持つはずのない植物ですらあたかも合理的計算をしているかのように進化や行動をしていることが確認されており[† 27]、限定合理性アプローチを志向する経済学者にも大きなインパクトを与えた。進化ゲームは生物学から経済学へと逆輸入され、プレイヤーの学習、模倣や世代間教育、文化継承などを表現するモデルとして経済学や社会学にも応用されている[133]

数理科学としてのゲーム理論

新古典派経済学の理論モデルは物理量ポテンシャルの最大化原理として記述する理論物理学を模倣し、数理最適化と呼ばれる既存の数学を応用することによって構築された[134]サミュエルソンによって完成されることとなるこの経済理論がいわば「物理学の借り物」であったのに対して、ゲーム理論は経済学の中から独自に生まれた唯一の数学理論である[135][136]。ゲーム理論の誕生を機に、経済学が他の科学分野の理論的枠組みを輸入するだけの段階から、他の科学分野に理論的枠組みを提供する段階へと進展した。ゲーム理論の具体的な応用分野については後述する。

不動点アプローチ

不動点。曲線 y = f(x) と直線 y = x の交点が関数 f不動点を表している。この画像は一価関数のケースだが、ゲーム理論ではより一般的な多価関数が分析される。

数理科学としてのゲーム理論の特徴として、不動点定理の利用が挙げられる。ゲーム理論における主体(プレイヤー)が「社会」に向ける知見とは「自分自身を含む社会」に対する知見であり、そこには自分自身に対する観察が必然的に入り込むため、この「社会」に対する知見は、観察者主体を含んだ社会に関する彼自身によって認識された事実そのものが彼自身の観察したそのものに対して頑健であり、整合的である必要がある[137]。主体が社会に向けた観察と、その社会における彼自身の行為や選択の整合性こそが社会科学における均衡: equilibrium)であり、その数学的対応物が不動点定理: fixed point theorem)である[† 28]。各主体(プレイヤー)が社会に向けた認識の組と彼らの行為や選択の組が一致するとき、そのような行為の組(戦略ベクトル)はナッシュ均衡: Nash equilibrium)と呼ばれ、それは認識と行為の対応関係(最適反応関数)の不動点に他ならない。このような不動点議論に基づいて均衡が実現するというプロセスは決して物理学的プロセスではなく、経済学の哲学的基礎が凝縮されたものである[138]

1937年フォン・ノイマンによって発表された論文「経済学の方程式体系とブラウワーの不動点定理の一般化」の中ではブラウワーの不動点定理が用いられていたが、1941年にミニマックス定理の補題としてフォン・ノイマンが部下の角谷静夫に一般化された不動点定理を証明させて以来、ゲーム理論にはこの角谷の不動点定理が広く用いられている[139]。不動点アプローチはゲーム理論以外の「主流派」経済学の一部においても採用されており、1954年にはケネス・アロージェラール・ドブルーがブラウワーの不動点定理を用いて、同年ライオネル・マッケンジーは角谷の不動点定理を用いて、それぞれ一般均衡の存在定理を証明している[140]。ゲーム理論を始めとする数理経済学において用いられる不動点定理としては、最も基本的な連続関数に対して適用される「ブラウワーの不動点定理」や連続関数一般化した「閉対応」に対して適用される「角谷の不動点定理」の他に[141]、選択定理を利用した「ファン=ソネンシャインの不動点定理[142]完備束上の関数に対して適用される「タルスキの不動点定理[143]などが挙げられる。

公理論的アプローチ

数理科学としてのゲーム理論のもうひとつの特徴として、公理論的アプローチが挙げられる。公理論的アプローチにおいては、分析対象の性質や均衡などをその対象が必ずしも意図せず持つような特性などから逆に特徴付けるような手法、すなわち公理的特徴付け: axiomatic characterization)が採用される[144]。ここで用いられる公理系とは論理的な形で与えることのできる究極の形式的表現であり、理論の精密性を保証するために必要不可欠であった[145]。従来の経済学には原理: principle)という言葉が多用されるものの公理: axiom)という言葉は用いられなかった。これに対して、ゲーム理論は社会科学において初めて公理系と呼ばれる概念を用いて社会状況を表現してその解を導くことを試みた学問分野である[146]

ファイル:CarlMenger.png
カール・メンガー。公理主義的経済学の提唱者[147]ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズレオン・ワルラスと同時期に限界効用説を打ち立てたことでも知られる。

オーストリア学派の中心的経済学者であったカール・メンガー公理主義的経済学の構築を提案していた頃、ジョン・フォン・ノイマンダフィット・ヒルベルトと共同で数学量子力学の公理化を進めていた[147]。一方、オスカー・モルゲンシュテルンはメンガーらの影響を受け、公理論的基礎を持つ科学的言語の創造とそれに基づく社会科学と倫理学に再構築を構想していた[148]。ゲーム理論はこのフォン・ノイマンとモルゲンシュテルンが出会ったことによって誕生し、その当初から公理論的体系を具していた。彼らの共著書『ゲームの理論と経済行動』(1944年)において用いられた公理論的アプローチは、ナッシュの交渉問題、ナッシュ均衡シャープレー値など後のゲーム理論研究において多用されることとなった。公理論的アプローチによって構築されたゲーム理論は、社会を構成する人間の理性的行動を明確に記述・分析する言葉として多様な分野で用いられ発展している[149]

公理論的アプローチはゲーム理論以外にも価格理論などの主流派経済学にまで普及しているがその一方で、ポスト・ケインズ派旧制度派オーストリア学派ラディカル派マルクス学派などの異端派経済学者からは批判を受けている。彼らが共有する批判的実在論: critical realism)によれば、公理論アプローチを採用している主流派経済学は何かを説明する際に公理となる仮定や条件から演繹する必要があるが、この方法では社会科学が事象の規則ではなく深層の社会構造や経済主体に関心を持っていることを認識できないという[150]。すなわち、現実世界が社会構造と経済主体からなる「開放系」であるにも関わらず、システムを「閉鎖系」としてしか分析できない公理論的アプローチを用いている限り、理論・実証の双方とも不完全なままにとどまるであろう、という批判がなされている[150]

研究史

前史

ゲーム理論が誕生する遥か昔からゲームに関する研究は連綿と行われていた。狩りや耕作の収穫を祈るために、古代社会においてはサイコロやクジを用いた占術が洋の東西を問わず広く行われており、それらに関する逸話は『旧約聖書』や『魏志倭人伝』にも見ることができる[151]。このような、他者の戦略が問題とされないようなゲームは「偶然ゲーム: games of chance)」と呼ばれるが、偶然ゲームに関する研究はクラウディウス (BC10 - AD54) の『サイコロで勝つ方法』やスエトニュウス (AD69 - AD141)の『ローマ諸皇帝の生涯』にまで遡ることができる[152]

ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ1710年に出版された著書 Annortatio de quibusdam ludis において相互依存的なゲームを初めて論じた[153][154]

ゲームの研究は確率論が誕生した17世紀に大きく進展した。17世紀には、ガリレオ・ガリレイが著書『ダイス・ゲームに関する考察』(1613 - 1623) の中で効用概念について先駆的研究をしている[155]。また、ブレーズ・パスカルピエール・ド・フェルマーとの往復書簡 (1654年) の中で数学的期待値を最大化する戦略を論じている[155]。これらはいずれも偶然ゲームの研究であり、他者の戦略は問題とされていなかった。17世紀後半になると、微分積分学の創始者としても知られるドイツ哲学者ゴットフリート・ライプニッツによって初めて確率のみに決定されないゲームが研究された[154]。ライプニッツによって分析された、ボードゲームのような相手の戦略が問題となるようなゲームは、偶然ゲームと区別して「技術のゲーム (: games of skill)」と呼ばれる。確率論が偶然ゲームの考察から誕生したのに対して、ゲーム理論は技術のゲームから誕生したと言える[156]。17世紀から18世紀にかけては、イギリスのJames Waldegrave (1684 - 1741) がフランスのPierre Remond de Montmort (1678 - 1719) への書簡の中で混合戦略ミニマックス原理のアイデアを論じている[157][† 29]

18世紀にはイギリスの哲学者デイヴィッド・ヒュームが著書『人性論』(1739年)において国民が私的な動機にしか反応しない場合に公的資源が過剰に使用されることを示唆している。このヒュームの思想は、1968年アメリカ生物学者ギャレット・ハーディンが雑誌『サイエンス』上に論文 "The Tragedy of the Commons" を発表したことにより広く認知されるようになり、ヒュームの指摘した現象は現代のゲーム理論では「共有地の悲劇」として定式化されている[160]。また18世紀中葉には、アダム・スミスが著書『道徳情操論』(1759年) の中で人間社会を「偉大なるチェス盤」に喩え、「人間社会のゲーム (: the game of human society)」が成功するための条件を論じている[1]

アントワーヌ・オーギュスタン・クールノー。数学的モデルを用いた経済分析の先駆的研究により、「数理経済学の祖」と称される。

19世紀には、フランス経済学者アントワーヌ・オーギュスタン・クールノー1838年に発表した論文『富の理論の数学的原理に関する研究』(: Recherches sur les principes mathématiques de la théorie des richesses)において寡占市場のナッシュ均衡を分析した[161][† 30]。この枠組みは今日ではクールノー・ゲームと呼ばれている。特殊な複占モデルであったとはいえ、クールノーはナッシュ均衡の定義をゲーム理論成立の一世紀以上前に先触れしており、このクールノーの業績はゲーム理論の古典の一つとして数えられ、また、産業組織論の一つの基石にもなっている[164]

20世紀初頭には、ドイツ数学者エルンスト・ツェルメロが「チェスの理論への集合論の応用について」 (: Uber eine Anwendung der Mengenlehre auf die Theorie des Schachspiels) という論文を発表し、チェスのように単純なゲームを分析した (1913年)。この論文においてツェルメロは(現在の言葉で言えば)完全情報を持つゼロ和二人ゲームに純戦略で最適戦略が存在することを証明している。この命題は今日では「ツェルメロの定理」と呼ばれている[165]1920年代にはフランスの数学者エミール・ボレルが三つの論文Borel 1921Borel 1924Borel 1927の中でWaldegraveが200年以上前に論じていた混合戦略とミニマックス解を初めて厳密な数学的手法によって分析しようと試みた。ただしボレルは非常に単純なケースのみを分析しており、戦略集合が一般的なケースではミニマックス解が存在しないと予想していたが、この予想は後にフォン・ノイマンによって否定的に証明されている[166]

「社会的ゲームの理論について」(1928年)

ハンガリー出身の数学者ジョン・フォン・ノイマン数理経済学のみならず、数学、論理学、物理学、コンピュータ科学気象学をはじめとするさまざまな分野で業績を上げた[167]

ゲーム理論はフォン・ノイマンとモルゲンシュテルンの大著『ゲームの理論と経済行動』が1944年に出版されることによって誕生したとされるのが一般的であるが、その数学的基礎はフォン・ノイマンが1928年に発表した論文「社会的ゲームの理論について」(: Zur Theorie der Gesellschsftsspiele[168]) から始まる[1]。この論文では、ゼロ和2人ゲームのミニマックス定理が区間 [0, 1] で定義された点対集合写像の不動点定理を用いて証明されるとともに、戦略形n人ゲームと戦略の定式化、提携とマックスミニ値を用いたゼロ和3人ゲームの分析など、ゲーム理論の基礎概念と分析方法が提示されている[† 31]

論文では戦略ゲームの例としてルーレットやチェス、じゃんけんなどの室内ゲームに言及しているだけであるが、最初の頁の脚注で「戦略ゲームは与えられた外生的条件の下で利己的なホモエコノミカスはいかに行動するかという古典経済学の主要問題である」と述べられており、「社会的ゲーム」という論文のタイトルとともにこの脚注で示されている問題意識は明らかにフォン・ノイマンがゲーム理論を単に室内ゲームの数学理論でなく経済行動の数学理論として認識していたことを示している[1][170]。フォン・ノイマンのような一流の数学者が経済学的な問題意識に基づいた研究を行った背景としては、当時のウィーンではオーストリア学派カール・メンガーが主催する数学コロキアムを通じて数学者と経済学者の活発な交流が行われていたことが指摘されている[135]

『ゲームの理論と経済行動』(1944年)

プリンストン大学。フォン・ノイマンとモルゲンシュテルンはいつも学生用クラブハウスで一緒に朝食を食べながらゲーム理論の研究に関する議論をしていた。朝食後から夕方パーティが開かれる時刻まで執筆を続けることもしばしばあり、"endless meeting" と揶揄された[171]

オーストリア学派の経済学者オスカー・モルゲンシュテルン1928年に刊行した著書『経済予測ー仮定とその可能性についての考察』においてフォン・ノイマンとは独立に、経済学におけるゲーム的状況の重要性を論じていた。この著書の中でモルゲンシュテルンは、経済主体が他の主体の決定を反映していない「死んだ」変数とそうでない「生きた」変数の二種類の変数に直面していることを明らかにし、現実の経済にとって後者がより重要であること、さらに従来の経済理論が「死んだ」変数しか扱えないことなどを指摘していた[172]。さらに、モルゲンシュテルンは1935年に発表した論文「完全予見と経済均衡(: "Volkkommence Voraussicht und Wirtschsftliches Gleichgewicht")」で当時の思想界から高い評価を受けたが、それをカール・メンガーの主催するコロキアムで報告した際に数学者チェクからモルゲンシュテルンの扱っている問題がフォン・ノイマンの「社会的ゲームについて」で扱われている問題と同じであることを教えてもらった[173]。当時、モルゲンシュテルンはウィーン景気循環研究所の所長であり、現実経済の研究で忙しくゲーム理論の研究には取り組めていなかったが[173]1938年ナチス侵攻が原因で研究所所長を解雇されるとモルゲンシュテルンはフォン・ノイマンとの共同研究を期待してプリンストンに移住した[174]。モルゲンシュテルンはプリンストン大学に赴任した1939年2月1日には同僚のフォン・ノイマンやニールス・ボーアと数時間に渡ってゲームや実験に関する議論をした[175][176]。やがてモルゲンシュテルンは経済学への応用を念頭にゲーム理論を体系化した論文の草稿「ゲームの理論と経済行動」をフォン・ノイマンに見せるが、フォン・ノイマンは「短すぎてわかりにくい」とコメントし、「この論文を共同で書こう」と提案してきたという[177]1940年の秋頃、フォン・ノイマンはこの論文は雑誌論文としては長すぎるので分割して発表しようと提案したが、執筆する内にますます文量が増え、独立した100頁の書籍として出版することがプリンストン大学出版局との間で契約された[178]。執筆途中にモルゲンシュテルンがボレルの編著『確率の計算とその応用』(1938年)に収められたジェーン・ヴィルの論文「ゲームの一般理論とプレイヤーの技能について」を偶然読んだことが契機となり、ブラウワー不動点定理ではなく凸集合の分離定理を用いること着想し、プリンストン高等研究所におけるフォン・ノイマンの部下であった角谷静夫に補題を証明させ、それを用いてミニマックス定理を証明した[139]。このとき角谷によって証明された補題は「角谷の不動点定理」として知られている。1942年クリスマスにフォン・ノイマンが軍事出張のワシントンからプリンストンに帰った際に最後の数頁が書き終わり、1943年1月1日に序文が書かれ、予定の100頁をはるかに超える1200頁の大著『ゲームの理論と経済行動』(: Theory of Games and Economic Behavior、略称: TGEB[159])が完成した[179][180][† 32]。この大著は角谷静夫の校正を経て1944年1月18日に出版された[182]。フォン・ノイマンが著者名の掲載順を通例に従いアルファベット順にしようと提案していたが、モルゲンシュテルンはそれを拒否したため、von Neumann and Oskar Morgenstern という掲載順で出版に至った[183]

『ゲームの理論と経済行動』においてフォン・ノイマンとモルゲンシュテルンは、まず、2人ゼロ和ゲームを展開形ゲーム戦略形ゲームによって表現し、このゲームにおける2人のプレイヤーそれぞれの最適な行動であるミニマックス行動を与え、その存在を示した(ミニマックス定理[184]。さらに、2人のプレイヤーの利害が完全には対立しない2人非ゼロ和ゲームを考え、3人以上のプレイヤーからなるゲームについてはプレイヤー間で話し合いが行われ協力行動が起こると考えその表現形式として提携形ゲームを定義し、協力ゲームの解概念である安定集合を定義・分析した[184]。本書後半では安定集合を用いた市場分析などの経済学へのゲーム理論の応用が論じられた[184]

1944年に出版された『ゲームの理論と経済行動』に対する反響は大きく、以下のような書評が寄せられている[159]ハーバート・サイモン1978年ノーベル賞受賞)は「社会理論を数学的に扱うことの必要性を確信している社会科学者たちを—まだ考えを変えていないがその点に対する説得には耳を傾けようとしている社会科学者と同様に—『ゲームの理論と経済行動』を修得するという仕事にとりかかること」を勧めた[185]。サイモンは彼自身が構想していた研究をフォン・ノイマンとモルゲンシュテルンによって先んずられてしまうのではないかと不安であり、1944年のクリスマス休暇のほとんどを『ゲームの理論と経済行動』を読むことに費やしたという[159]レオニード・ハーヴィッツ2009年ノーベル賞受賞)は「著者たちが経済学の問題の処理に用いた手法は十分な一般性を持っており、政治科学にも、社会学にも、また軍事戦略にも用いることができる」とし、「本書のようなすばらしい書が出版されることはめったにないことである」と賞賛した[186][187]ミシガン大学教授の数学者アーサー・コープランドは「後世の人々は、本書を20世紀前半における主要な業績として評価する」と称賛した[188]シカゴ大学教授のジャコブ・マルシャックは「この書の注意深く厳密な精神」を賞賛し、「このような書籍は10冊以上出るだろうし、経済学の進歩は確かである」と語った[189][190]

1947年には第2版が出版され、初版の第3章では論文誌に発表すると予告されていた付録が加えられた[191]。この付録によって初めてフォン・ノイマン=モルゲンシュテルン効用関数が明確に定義され、期待効用理論が誕生した[192][183]。なお、第2版の付録には産業の立地理論への応用や4人以上のゲームの問題などに関する付録も予定されていたが、著者らの多忙により断念された[191]1953年に出版された第3版と第2版との違いは誤植の訂正だけであり[193]、現在では1947年に出版された第2版が定版とされている[194]

ベルヌーイ1738年に提唱した期待効用原理は当初からさまざまな批判に遭い長らく受け入れられなかったが、フォン・ノイマンとモルゲンシュテルンがベルヌーイの思想を期待効用原理として公理化したことによって学界からも広く受け入れられることとなった[195]。『ゲームの理論と経済行動』はその構成からも分かるように[† 33] 公理論的なアプローチを採用している。彼らは経済学に初めて公理論的なアプローチを取り入れたと言われており、その方法・構成・表現は後のゲーム理論研究の模範として踏襲されていった[197]

1950年代

ジョン・ナッシュ。彼の波乱万丈な半生はハリウッド映画ビューティフル・マインド』のモデルにもなった[198]

第二次世界大戦終了後、ジョン・フォン・ノイマンがゲーム理論の講義を担当していたプリンストン大学には若い優秀な学生が集まっており、その一人がジョン・ナッシュ1994年ノーベル賞受賞)であった。ナッシュは1950年に発表した論文の中で初めて非協力ゲームを定義し、非協力n人ゲームの均衡点(ナッシュ均衡)の存在を証明した[199]。ただし、非協力ゲーム: non-cooperative game)という言葉が登場したのはナッシュの博士論文でもあるNash 1951が初めてであった。フォン・ノイマンは非協力ゲームよりも協力ゲームの方が社会的に重要であると考えていたが、ナッシュ均衡がCournot 1838によって分析された寡占市場均衡の一般化であることを理解して初めてナッシュ均衡の概念を受け入れたと言われている[200]

またナッシュはフォン・ノイマンらの『ゲームの理論と経済行動』において全く論じられていなかった「交渉と妥協点」の理論を構築した(ナッシュの交渉解)(Nash 1953)。このナッシュの研究手法は「公理論的アプローチ」と呼ばれる後のゲーム理論研究の手法の先駆けである[201]。さらにNash 1953の交渉理論は「非協力ゲームの状況からいかにしてプレイヤーが協力ゲームの状況へ移行するか」という問題を提起しており、この問題は「ナッシュ・プログラム」と呼ばれる重要テーマとして現在も研究が続いている[23][201]

サンタモニカのランド研究所。米国空軍の援助によって1948年に設立された。RANDという名称は"Research and Development"に由来する[202]

1950年代には米国サンタモニカランド研究所がプリンストン大学と並ぶゲーム理論の国際的な研究拠点であった。当時のランド研究所にはフォン・ノイマン、モルゲンシュテルン、シャープレーミルナー、ナッシュなどが在籍しており、様々な研究が行われていた。特に、囚人のジレンマ実験や協力ゲーム実験などの実験経済学の先駆的研究は有名である[203]。なお、数学者ミルナーはランド研究所における実験がゲーム理論の結果に合わなかったことを理由にゲーム理論の研究を辞めてしまったと言われている[204]。しかし、この「囚人のジレンマ」実験による理論の反証は「実験が同じ2人のプレイヤーの繰り返しによって行われるからであり、それは1回限りのゲームとは異なる状況である」と解釈され、1950年代末には「囚人のジレンマ」型ゲームでも無限回繰り返すことによってパレート効率的な均衡利得が実現することが知られるようになった。この定理は誰が最初に証明したのか定かでないため、「フォーク定理(民間伝承定理)」と呼ばれている[205]1953年には「プリンストン赤本シリーズ」として『ゲーム理論論文集第2巻』がハロルド・クーンアルバート・タッカーによって編纂・刊行された。この論文集の中で、ロイド・シャープレーがフォン・ノイマンの1928年の研究をn 人協力ゲームに拡張し、シャープレー値と呼ばれる概念の存在を証明している。また、クーンはこの論文集の中で、行動戦略完全記憶などの概念を導入し今日「展開型ゲーム」と呼ばれる理論の基礎を築いている。さらに、デイヴィッド・ゲールは戦略集合が無限の場合に「ツェルメロの定理」が成り立たないことを証明した[206]

1953年にGilliesの学位論文の中で初めて登場したコアの概念はタッカーらの編著『ゲーム理論論文集第4巻』(1959年)の中で特集されて初めて学界に認められるようになった。この論文集の中でマーティン・シュービック一般均衡理論における契約曲線が協力ゲームのコアであることを示しており、これ以来、経済学におけるコアの重要性が認識されるようになった[207]

教育界では1952年に MacKinsey が Introduction to the Theory of Games という教科書を出版しており、学生でも容易にゲーム理論を学習することのできる環境が整備された。ただしこの教科書の大部分はゼロ和二人ゲームであり、協力ゲームについての解説は少なく、非協力ゲームに関しては懐疑的な記述が見られる[208]。日本においては興津洋一による翻訳が1961年に出版されている[209]

1960年代

ハーバート・スカーフ英語版

1961年10月4日から10月6日までの三日間、モルゲンシュテルンとタッカーを中心にプリンストン大学でゲーム理論のコンファレンスが行われた[210]。このコンファレンスにおいてシャープレーとスカーフがプレイヤー集合が無限の場合の研究報告したことが契機となり、コアに関する極限定理の研究が1960年代のゲーム理論の中心テーマとなった[211]。これは従来の経済学(一般均衡理論)とゲーム理論の関係性を巡る研究であり、ロバート・オーマン1964年1966年の論文により、協力ゲームにおいて経済主体が無限に存在すれば一般均衡理論における市場均衡が存在することが明らかとなった[212]。ゲーム理論の研究が一般均衡理論に新たな展望をもたらし、その研究に大きな転換を招き、より具体的な要素を含む体系の考察を促し、従来の一般均衡理論がゲーム理論の特殊ケースと見なされるようになったことで、ゲーム理論は本格的に一般の経済学者からも受け入れられるようになった[213]

また、ロバート・オーマン2005年ノーベル賞受賞)とMaschlerは1961年のコンファレンスにおいて「交渉集合」という協力ゲームの新しい解概念を提案しており、Davis and Maschler 1965の「カーネル」やSchmeidler 1969による: nucleolus)などの新しい解概念が生まれる契機となった[214]。このコンファレンスで出会ったジョン・ハーサニラインハルト・ゼルテンによって交渉問題の研究は飛躍的に進歩し、それらの業績によりハーサニとゼルテンは1994年にノーベル賞を受賞している[215]

1960年代にはジェームズ・ブキャナン1986年ノーベル賞受賞)を中心としたシカゴ・ヴァージニア学派によって「公共選択論」と呼ばれる分野が誕生した。彼らはゲーム理論を基礎として政党官僚、投票者などの政治的プレイヤーを分析した[216]

この他にも1960年代には米ソ間の軍縮交渉が行われていた時代背景から米国政府がモルゲンシュテルンが当時在籍していたMathematica研究所に関連研究を委託したため、動学ゲームの研究が急速に発展した。1966年から1968年の間、モルゲンシュテルンによってクーン、オーマン、マッシラー、スターンズ、ハルサニ、ゼルテン、デブリュー、スカーフ、メイベリらが招集され、不完備情報下における繰り返しゲームが盛んに研究された[217]。また、繰り返しゲーム以外でもルーファス・アイザックスの一連の研究によって「微分ゲーム」と呼ばれる新しい分野が誕生している(それら研究はIsaacs 1965にまとめられている)。微分ゲームは制御工学関連の人々を中心に盛んに研究されている[218]

1970年代

ジョージ・アカロフ

1970年代にはジョージ・アカロフによる中古車市場の逆選択の分析やマイケル・スペンスによる労働市場におけるシグナリングの分析によって「情報の経済学」と呼ばれる分野が誕生した。当初これらのトピックはゲーム理論に直接結び付いたものではなかったが、ゲーム理論は情報の経済学に格好な言語を提供し、その発展の原動力となった。例えば、シグナリングゲームにおいて複数の均衡が存在することが知られているが、ゲーム理論は均衡選択の問題に本質的な役割を果たしている。情報の経済学は今日でも経済学の中心的話題のひとつであり、アカロフやスペンスらは2001年にノーベル賞を受賞している[10]

1971年にはモルゲンシュテルンの尽力によって初のゲーム理論専門誌 International Journal of Game Theory が発刊され、ゲーム理論が一つの専門分野として国際的に認知されるようになった[219]1970年代のゲーム理論研究は展開形非協力ゲームへの関心が高く、1967年に発表されたゼルテンの論文で提唱された不完備情報ゲームの研究が進められた。1974年9月2日から17日間に渡って開かれたゼルテン主催のゲーム理論ワークショップで初めてチェーンストア・パラドックスが報告され、それ以来部分ゲーム完全均衡限定合理性展開形ゲーム戦略形への変換などといったテーマが盛んに研究されるようになった[220]

ハルサニとゼルテンはゲーム理論を経済学の市場理論だけでなく生物学政治学哲学倫理学論理学などさまざまな分野への応用を試みており、この頃からゲーム理論が広範な分野へ応用されるようになった。例えば、1978年6月13日から6月16日までの四日間に渡ってウィーン高等研究所で開催されたコンファレンスにおいて浜田宏一が国際金融制度と金融政策について二段階ゲームを用いて分析した研究を報告している[221][222]

政治学への応用としてはニューヨーク大学の政治学教授スティーブン・ブラームスが、国際関係論や投票理論に関する Game Theory and Politics (1975年)、政治におけるさまざまなパラドックスを研究したParadoxes in Politics (1976年) などの著書を刊行しており、1977年には「ゲーム理論と政治学」と題したシンポジウムが米国マサチューセッツで開かれている[223]1979年には「紛争についてのコンファレンス」がニューヨークで開かれ、シュービックによる非協力ゲームの応用研究などが報告されている[224]。これらコンファレンスにはハルサニ、ルーカスロス (2012年ノーベル賞受賞)、シュービックといったゲーム理論家も多く参加した[225]

哲学分野では、1971年に出版された哲学者ジョン・ロールズの著書『正義論』がミニマックス原理などのゲーム理論の影響を強く受けており、ハルサニを中心とするゲーム理論の専門家からは強く批判されることとなった[226]。1970年代にハルサニはゲーム理論的見地に基づいた功利主義倫理学の研究を多く残している[227][228][229]

生物学の分野では、イギリスの生物学者ジョン・メイナード・スミス進化ゲームと呼ばれる分野を創始し、進化生物学がゲーム理論によって分析されるようになった[230]。1950年代末にランド研究所の実験によって合理性を前提としない限定合理性の理論への関心は存在していたが、従来のゲーム理論の枠組みでは合理性の前提を緩めることは難しかった。しかし、生物学の中から誕生した進化ゲームが経済学に応用されることによって限定合理性を研究する機運が1980年代以降高まっていくこととなる[231][232]

1980年代

1980年代に入るとゲーム理論は一般的な分析手法として広く認められるようになり、適用される分野が飛躍的に拡大した。1980年ドイツボンハーゲンにおいて開催されたゲーム理論セミナー以降は特に非協力ゲーム理論の研究が進展し、相対的に経済分析への応用における協力ゲーム理論の重要性はかなりの程度低下し、中には協力ゲームなどは無意味だという経済学者も現れたという[233][25]

1981年に出版されたニューヨーク大学ショッター教授の著書 The Economic Theory of Social Institutions を皮切りに、ゲーム理論を用いた社会制度の研究が盛んに行われるようになる。スタンフォード大学青木昌彦教授は The Co-operative Game Theory of The Firm (1984年) においてゲーム理論を応用した「比較制度分析」と呼ばれる分析手法を確立した[234]。さらに、ダグラス・ノース1993年ノーベル賞受賞)らを中心として制度をゲームのルールとみなした経済史研究も行われるようになった(新経済史学派)。

1984年に発表されたロバート・アクセルロッドの研究[235]を契機にシミュレーションを用いた繰り返しゲームの研究が流行した。アクセルロッドはコンピュータプログラムで書かれた「囚人のジレンマ」ゲームの戦略を公募してそれらをトーナメント形式で戦わせたところ優勝した「しっぺ返し戦略 (: tit-for-tat)」が善良・報復・寛容・明快を兼ね備えており人間の協力全般にとって適切なパラダイムである、と主張した[236]。これ以降、「さまざまな戦略をコンピュータ上で戦わせどれが生き残るかをシミュレーションする」という一群の研究が進化生物学社会学政治学コンピュータ科学などで行われるようになった[237]。しかし、アクセルロッドの研究は非常に具体的な設定の下で一つの経験則を得たに過ぎず理論的な根拠が全く示されていないため、理論経済学者やゲーム理論家からの評判は芳しくなかったという[237]。例えば、数学者兼経済学者のケン・ビンモアAxelrod 1984の書評においてアクセルロッドの分析や主張がゲーム理論に対する無理解に基づいているとして批判している[236]

1980年代中頃からは、環境問題のゲーム理論による研究も盛んになり、それら研究は Valuation Method and Policy Making in Environmental Economics (1989年) やGame Theory and the Environment (1998年) といった論文集にまとめられている[238]

経営学の分野では1981年に Competitive Strategies: An Advanced Textbook in Game Theory for Buisiness Studies という教科書が出版されて以来[239]、積極的にゲーム理論が研究に応用されるようになった。また、1980年代にはジャン・ティロル (2014年ノーベル賞受賞) によってゲーム理論が産業組織論に応用されるようになり、ゲーム理論の教育や研究を行う経営学や商学関連の研究者も増えてきた。これらの分野は「企業経済学」、「組織の経済学」等と呼ばれることもある[240]

会計学の分野ではシャープレー値や仁などの解概念が費用分担問題に用いられるようになった[240]

政治学の分野では1980年代後半から公共選択論に最新の非協力ゲームが応用されたことによりめざましい学術的成果を生み出し、現実の政策形成に一定の説明力を発揮するようになった[241]

1980年代に非協力ゲームが急速に発展し、協力ゲームを中心とした従来のゲーム理論が扱うことのできなかった経済学、政治学オペレーションズ・リサーチ哲学社会学心理学生物学といったさまざまな分野に非協力ゲーム理論が応用されるようになり、ゲーム理論の学際的な基礎理論としてに重要性が一層多くの研究者に認識されるようになった。こうしたゲーム理論の発展を背景として、1987年10月1日から1988年8月31日までの期間、西ドイツBielefeld大学のZentrum für interdisziplinäre Forschungにおいて学際研究プロジェクト「行動科学におけるゲーム理論」が開催された[18]。このプロジェクトはボン大学のゼルテンを中心に企画され、西ドイツ、ベルギーイギリスイタリアスイスオーストリアイスラエルアメリカカナダ日本などから約50名の研究者が招聘され、非協力ゲームによってさまざまな分野が学際的に研究された[18]

1990年代

1990年代になると、行動の進化や学習の研究のほかに、理論を実験によって検証し実証データに基づく新しい行動理論に構築を目指す行動ゲーム理論 (: behavioral game theory) の分野が誕生した[231]。ゲームの実験研究の目的は単に理論の検定だけでなく、理論と観察の不一致の原因と考えられる人間の動機、認知および推論の心理的要因や社会的要因を組み入れた新しいゲーム理論を構築することであり、伝統的なゲーム理論の分析では不十分であった現実の人間行動に関する重要な特性が明らかになっていった[242]

1990年代には、進化ゲームや行動ゲームのように限定合理的な経済主体の意思決定の理論の他にも、「合理的な意思決定者が限られた情報の下でどのように行動するか」という問題にも大きな関心が寄せられた。繰り返しゲームの分野では他のプレイヤーの行動を完全に知ることができないようなケース、すなわち不完全モニタリング: imperfect monitoring)を持つ繰り返しゲームの研究が精力的に行われた[243]

これらの他にも、1990年代には不完備契約英語版の理論が盛んに研究された。これら一群の研究は Review of Economic Studies の66巻(1999年)で特集されている。不完備契約の研究はGrossman & Hart 1986Hart & Moore 1988にその起源を持ち、不完備契約理論を金融契約に応用した Aghion & Bolton 1992、不完備契約下での配分問題を考察した Maskin & Tirole 1999、再交渉がある場合の不完備契約を考察した Segal 1999Hart & Moore 1999 などが重要である[244][245]。不完備契約は完備契約よりも現実に即したモデルであり、不完備契約理論の発展によってより複雑な所有権組織法律制度などが分析できるようになった。

1999年1月1日にはGame Theory Societyというゲーム理論を専門とした史上初の国際学会が発足し、日本からは奥野正寛東京大学教授が executive committee として参加した。当学会は International Journal of Game Theory および Games and Economic Behavior というゲーム理論研究の学術誌を発行している[246]

2000年代

マーケットデザインについては「応用分野」の節も参照

2000年代には、直接モデル化された経済主体の行動や組織の内部構造に対してデータから因果的な情報を引き出す構造推定: structural estimation)と呼ばれる手法を用いた実証研究が流行した。この背景には、単に匿名化された公的ミクロデータが研究者にとって容易にアクセス可能になったことや統計解析ソフトが普及したことだけでなく、1970年代以降にゲーム理論が産業組織論などの各分野に応用されて構築された理論的蓄積がある[10]計量経済学においては、現在の意思決定が将来の意思決定に影響を及ぼす可能性のある動学モデルのために進展した構造推定アプローチが1990年代にゲーム理論にまで拡張された[247]。静学的ゲームの推定手法を考察したブレスナハンとレイスの一群の研究[248][249]や動学的ゲームの推定手法を考察したエリクソンとペイクの研究[250]が挙げられる。これらの研究は2000年代にさらに進展し、オークションモデル、法と経済学政治経済学医療経済学などさまざまな分野に構造推定アプローチが適用されている[251]

ハル・ヴァリアン米国カリフォルニア大学バークレー校教授からGoogleチーフエコノミストに転身した。ミクロ経済学の教科書 Microeconomic Analysis1992年)の著者としても有名[252]

2000年代のもうひとつの主要な展開としては、マーケットデザインへの応用が挙げられる。マーケットデザイン: market design)とは、20世紀に蓄積された理論的な蓄積を活かして人工的に市場(マーケット)を設計(デザイン)することによって具体的な問題を解決することを試みる研究分野である[253]。マーケットデザインの主要分野の一つがオークション理論である。1990年代半ばに米国連邦通信委員会がそれまで比較聴聞で行っていた周波数の配分をオークションによって決定するように方針を変え、オークション理論の専門家としてポール・ミルグロムに周波数オークションの研究を依頼した[254][† 34]。このオークションは日本円にして数兆円規模の収益を上げる大成功を収め、マーケットデザインの研究が注目を浴びるようになった[255][256]。2000年代に入り周波数オークションは日本を除く先進各国で導入されており、また周波数オークションの他に、Googleの収益の大半を生み出している広告オークション[252]金融政策に用いられる国債オークション、2000年に50億ドル以上の運送契約が結ばれ話題になった物流オークション[257]ドナーの交換によって移植可能なレシピエント数を最大化する腎臓マッチング[258]2004年から日本でも導入された臨床研修医マッチングプログラムなど、さまざまな現実の問題に対してゲーム理論がマーケットデザインを通じて応用されている。

fMRI(機能的磁気共鳴画像)技術によって計測された画像。画像左側の一次視覚野外線条皮質外側膝状体が活性化している。

この他にも、2000年代にはさまざまな分野がゲーム理論や意思決定論に流入し、多くの学際分野が誕生している。2000年代に誕生した学際分野の例として、神経科学と経済学の学際分野である神経経済学: neuroeconomics)が挙げられる。2000年代前半に神経経済学が誕生した背景として、への外科手術を必要としない機能的磁気共鳴画像法などの技術が発展・普及したことや20世紀に心理学的な特性を活用した行動経済学が経済学において一定の成功を収めたことが挙げられる。神経経済学では、ゲーム実験などで観察されてきた利他的行動や不確実性下の意思決定などに脳のどの部位が関係しているかが分析されている[† 35]。神経経済学は、神経科学から経済学への一方通行的な応用ではなく、「神経精神医学」と呼ばれる新しい精神医学の分野の誕生・発展を促した[260]

日本におけるゲーム理論

角谷静夫による貢献

角谷静夫。大阪出身の数学者。東北帝国大学卒業後に出向いたプリンストン高等研究所ではジョン・フォン・ノイマンのもとで数学の研究をしており、日本人で初めて『ゲームの理論と経済行動』を読んだ人物とされる[261]

『ゲームの理論と経済行動』を執筆していた1940年頃、フォン・ノイマンらは凸集合の分離定理を用いたミニマックス定理の証明を着想したが、当時の数学は彼らの要請には不十分なものであった。そこで、フォン・ノイマンは当時プリンストン高等研究所に勤務していた日本人数学者角谷静夫に凸集合を用いて一般化されたブラウワーの不動点定理を証明するよう命令し、角谷は1941年に発表した論文 "A generalization of Brouwer's fixed point theorem" においてそれを証明した[139]

この定理は多値関数に適用するのに非常に適切な形をしており、その後今日まで多くの分野で用いられるようになり、「角谷の不動点定理」として広く知られるようになった[139]。特に、Nash 1950n 人ゲームのナッシュ均衡の存在を証明するために角谷の不動点を用いたことは有名である[262]。また、1954年にはライオネル・マッケンジーがアロー=ドブルーとは独立に角谷の不動点定理を用いて一般均衡の存在定理を証明している[263][† 36]

1943年に『ゲームの理論と経済行動』が書き上げられると、フォン・ノイマンは角谷に校正をさせた。フォン・ノイマンは戦時中米国内の日本人は行動を制限されて捕虜のような存在だったのでそういった仕事をさせたと語った[179]。角谷は『ゲームの理論と経済行動』の原稿を読んだ最初の日本人とされる。角谷は戦後、交換船で日本に帰国し大阪大学教授に就任している[261]

山田雄三による先鞭

一橋大学山田雄三教授は1935年から1937年ウィーン大学に留学しておりモルゲンシュテルンメンガーワルラスらと交流があったため、山田は1942年に刊行された著書『計画の経済理論』において既にモルゲンシュテルンのゲーム理論的な問題意識を紹介している[264]1944年に『ゲームの理論と経済行動』が出版されると、山田のもとにはモルゲンシュテルンから本が送られてきた[265]。山田は1947年1月毎日新聞社編『エコノミスト特集:最近理論経済学の展望』に「経済計画論の一課題:経済的ストラテジーの分析」と題した小論文を寄稿しており[261]、さらに1950年には、当時創刊されたばかりの『季刊理論経済学』の第1巻第2号に「ミニマックス原則の要点」という論文の中で『ゲームの理論と経済行動』の体系を紹介している[265]。これらから、山田によって日本の経済学界にゲーム理論が紹介されたとされている[265]。なお、山田の他にも統計学者林知己夫1947年6月にフォン・ノイマンの1928年の研究を紹介する記事を統計数理研究所講究録上に発表しているが、謄写刷で配布されただけであったため他の学者に読まれることはほとんどなかった[261]

山田は1950年の「ミニマックス原則の要点」の後にも「価格における確定・不確定」(1951年)や「遊戯の理論における価格分析」(1952年)など、ゲーム理論に関する研究論文を発表している[266]。さらに教育者としては1947年には既に一橋大学の学部1年生に対してゼミで『ゲームの理論と経済行動』(原著)を輪読させていた[267]。しかし、オーストリア学派に連なるものとしてゲーム理論を見ていた山田は後のゲーム理論研究の進展に不満を持ち、ゲーム理論の研究を辞めてしまっている。山田は「あんまり数学的すぎてね、途中で放棄しちゃった」と語ったという[268]

後に日本のゲーム理論研究の中心的役割を担うこととなる鈴木光男は、東北大学経済学部在学中に山田の「ミニマックス原則の要点」を読んだことを契機に、安井琢磨の指導の下、ゲーム理論について卒業論文を書くこととなった[269]: Gesellschaftsspieleという単語は1950年頃の独和辞典には掲載されていなかったため、鈴木によって「社会的ゲーム」と訳された[270][† 37]

当初は多くの日本人経済学者が関心を持っていたゲーム理論であったが、1950年代の日本にとって経済成長が大きな関心の対象であり、ゲーム理論を学ぶ者は次第にほとんどいなくなってしまった。その頃日本で刊行されていた数少ないゲーム理論の書籍として宮澤光一の『ゲームの理論』(1958年)や鈴木光男の『ゲームの理論』(1959年)がある[271]

東京工業大学における社会工学科の発足

鈴木光男。日本語圏へのゲーム理論の普及に尽力した。写真は「東京ふすま会」における講演時に撮影されたもの。

1964年鈴木光男がプリンストン留学から帰国し東京工業大学に就職した頃、東工大では、理工学部という単一の学部から複数の学部を作る構想が盛んに議論されており、その中に社会工学部構想があった[272]。その背景のひとつに「工学の社会化」があった[273]。すなわち、当時日本高度工業社会になったことによって環境問題の表面化などにも見られるように社会工学との関係がより密接になり、社会的な問題を抜きにしては工学が成り立たない状況になっているという認識があった。もうひとつの背景として「社会の工学化」が挙げられる[273]。すなわち、工学の中に社会科学や人文学を取り込むことによって、理工学が開発してきた技術によって社会問題を解決しようという機運が高まっていた。東京工業大学人文社会群に所属していた鈴木光男、永井道雄川喜田二郎阿部統らは各々に、「社会工学私見」等という社会工学部設立の構想を当時学長であった大山義年に提出した[† 38]。大山は社会工学部設立の構想を積極的に進め、1967年に工学部社会工学科が設立された[† 39]。設立当初より社会工学科では「計画数理」という講座を鈴木が担当しており、その講座において日本で初めてのゲーム理論の講義が行われた[276][† 40]

1970年前後から日本でも経済学の他分野と同じようにゲーム理論の教科書が出版されるようになる[276][277]物理学分野出身で日本における行動科学の創立メンバーである戸田正直らによる『ゲーム理論と行動理論』(1968年)、大阪大学基礎工学部坂口実教授による『ゲームの理論』(1969年)、大阪大学工学部西田俊夫教授による『ゲームの理論』(1973年)などがある。また鈴木光男『人間社会のゲーム理論』(1970年)のような一般向けの解説書も出版された。さらに1978年には東京図書から『ゲームの理論と経済行動』の日本語訳版が出版された。

1970年代には鈴木光男指導の下東京工業大学ではゲーム理論の研究が盛んであったものの、東京大学を始めとする総合大学の経済学部ではマルクス経済学の勢力が強く、ゲーム理論の研究や教育は皆無であった[278]1980年代になって初めて鈴木光男門下の金子守によって東京大学にもゲーム理論が流入したとされる[† 41]

東京工業大学大岡山キャンパス。1967年に社会工学科が設立されて以来、東京工業大学は長らく日本におけるゲーム理論研究の拠点であった。

東京工業大学を中心とした1970年代における日本人経済学者の特筆すべき貢献として、中村健二郎の研究が挙げられる。中村は鈴木光男によるゲーム理論の講義が始まった1967年東京工業大学理学部数学科に進学し[† 42]1969年から鈴木研究室に所属してゲーム理論の研究を始めた。中村は理学部数学科および大学院理工学研究科数学専攻に所属していたが、当時の東京工業大学には所属学科に関係なく自分の希望する研究室で研究できる制度があったため、中村は鈴木研究室の第一期生として林亜夫や中山幹夫らとともに活躍した[279]。中村は70年代の一連の論文[280][281][282]において社会的選択関数(: social choice function)が存在するための必要十分条件が

(1)拒否権を持つプレイヤーが一人存在するか
(2)選択対象の要素の数が中村ナンバー未満であるか

のどちらか一つの条件が成立していることであることを証明した。この研究は1978年の米国でのゲーム理論シンポジウムで報告され、「中村の定理」と呼ばれるようになった。「中村ナンバー: Nakamura number)」はこの中村の報告を高く評価したPeleg 1978によって命名されたものである[283]

中村健二郎は1979年3月29日に夭折したが(享年32歳)、中村の研究はRouch 1982Deb, Weber & Winter 1996Mihara 2000などの後続研究によって発展させられた[284][285]

比較制度分析

スタンフォード大学青木昌彦が教授を務めていたスタンフォード大学には1990年に専門の講座が設立され、比較制度分析の研究・教育の国際的拠点となった[286]

1980年代における日本人経済学者の特筆すべき貢献として、スタンフォード大学教授青木昌彦の研究が挙げられる。青木は1980年代に発表された一群の研究において非協力ゲームの枠組みを用いて制度の多様性を分析し、比較制度分析: comparative institutional analysis, CIA)と呼ばれる学問領域を創始した。1980年代以降に比較制度分析が急速に発展した背景として、当時の世界経済の制度関連的な大きな変動が挙げられる。1980年代までには一般的であった「アメリカ経済の凋落と日本経済の勃興」という図式が1990年代に逆転したことによってその背景にアメリカ経済と日本経済の制度的相違が存在することが意識されるようになり、同時にいかにして複雑な経済制度を変革するべきかという問題が生じたことが挙げられる[287]。これら一群の研究は、Toward a Comparative Institutional Analysisとして2001年に出版されたが、1997年にその草稿が一部の経済学を中心にサーキィレートされており、1998年3月には国際シュンペーター学会よりシュンペーター賞を受賞している[287]1990年には青木、ポール・ミルグロムアブナー・グライフチェン・インイージョン・リトバックらによってスタンフォード大学経済学部に「比較制度分析」という講座が立ち上げられ、比較制度分析研究の拠点となった。また青木は、世界銀行経済開発研究所(現在の世界銀行研究所)のプロジェクトとして「開発経済および転換経済における銀行(メインバンク)の役割[288]」、「移行経済におけるコーポレート・ガバナンス[289]」、「東アジアの経済開発における政府に役割[290]」、「経済開発における共同体と市場[291]」といったプロジェクトが行われた。これらのプロジェクトには14カ国から62人の研究者が参加している[286]

他の制度研究と比較した際の比較制度分析の特徴として、『比較制度分析に向けて』の訳者である瀧澤弘和谷口和弘は次の3点を挙げている[287]。すなわち、第一に、制度を共有予想の自己維持的システムとして、あくまでゲームの均衡として捉える立場であり、第二に、経済組織をインセンティブ理論のみから見るではなく情報システムとしての性格付けをも重視する観点であり、第三に、制度配置の多様性とダイナミックスを把握する上で制度的補完性のみならずゲームの連結を強調する観点である。特に、第二の観点からは、物的資産に対する所有権配置を強調する不完備契約理論の立場も相対化されることになり、シリコンバレーなどに見られるタスク間の補完性を削減することによって経済活動のより効率的な配置が実現されているような今日的現象も理解可能となる[287]

繰り返しゲーム理論への貢献

東京大学京都大学を中心とする日本国内の多くの大学の経済学部では戦後長らくマルクス経済学の研究・教育が積極的になされていたが、(1)高度成長を経験し資本主義に対する肯定的評価が普及した、(2)マルクス経済学内部で宇野派と非宇野派の対立が顕在化した、(3)非マルクス経済学の分野で森嶋通夫など国際的に活躍する日本人経済学者が現れた、(4)ソ連や東欧などの共産主義諸国が崩壊し多くのマルクス経済学者は「マルクス経済学」の看板を下ろし学生もマルクス経済学を敬遠した、(5)米国Ph.D.を取得した優秀な非マルクス経済学者たちが帰国した、等の理由から、東京大学経済学部では1980年代にはマルクス経済学の勢力が弱まり、近代経済学(非マルクス経済学)が主流となり、近代経済学としてゲーム理論が教育・研究されるようになった[292][278]1990年代以降に日本人経済学者が特に活躍した分野として繰り返しゲーム理論の理論が挙げられる。

特に神取道宏東京大学)が1990年代から2000年代にかけて発表した一群の研究は国際的に高く評価され[293]、サーベイ論文は繰り返しゲームを概観した標準的な資料としてノーベル賞選考委員会からも引用されている[294]。また、私的観測下(: with private monitoring)における繰り返しゲームの均衡は完全観測や公的観測のケースに比べて均衡を発見するのが格段に難しくそれ自体が長い間有名な未解決問題として残っていたが、1998年に当時東京大学の大学院生であった関口格がそれを解決している[295]。この他にも松島斉(東京大学)がシグナルの精度が低い場合のフォーク定理を証明する等、繰り返しゲームにおいて幾つかの重要な貢献をしており国際的にも高く評価されている[243][296]。また、金子守(当時筑波大学)と松井彰彦(東京大学)は共著論文Kaneko & Matsui 2002において限定合理的なプレイヤーを仮定した繰り返しゲームへの新しいアプローチである"inductive game theory"を提唱した[297]。 均衡点選択の理論では、梶井厚志京都大学)がモリスとの共同研究[298]によって情報頑健性というアプローチを確立し、国際的に高い評価を受けた[299]。完全均衡点はプレイヤーの合理性の微小な不完全性を想定するが、プレイヤーの知識の不完全性は考慮しない。これに対し、梶井らによる頑健均衡はプレイヤーのもつ知識構造のわずかな不完全性に対して安定な均衡である。Kajii & Morris 1997はリスク支配と関連するp-支配均衡の概念を提示し、p-支配均衡が情報頑健性を満たすことを証明した[300]

ゲーム理論ワークショップの定例化

京都大学吉田キャンパスの正門。第1回ゲーム理論ワークショップは京都大学芝蘭会館で開催された[301]

2004年3月8日から3月10日までの三日間、京都大学経済研究所のゲーム理論グループ(岡田章今井晴雄梶井厚志関口格)を主宰として第一回ゲーム理論ワークショップが開催された。2004年以降、ゲーム理論ワークショップは日本国内の大学[† 43]で毎年3月に三日間に渡って開催されることが定例化している[302][301]。 ゲーム理論ワークショップは2004年の初開催から岡田章が強いリーダーシップを発揮しており、開催会場も全て岡田の交渉によって決定されている。21世紀COEプログラム等の大型科研費の援助を受けたこともあるが、それらも全て岡田を代表者とする事業として採択されたものであった[302]

特に一橋大学で開催された第二回ゲーム理論ワークショップ(2005年)に数理生物学の大家である巌佐庸九州大学)がプログラム委員に加わったことが契機となり、それ以降生物学政治学計算機科学など経済学以外のさまざまな分野の研究者が参加するようになり学際交流も盛んになっている。初回の2004年には40名程度だった参加者も2015年には108名まで増加している[302]

マーケットデザインの実用化

国際的な学界においては2000年代以降「マーケットデザイン」と呼ばれる分野が急速に発達し、20世紀に蓄積したゲーム理論の知見が現実のさまざまな問題を解決するための制度設計として実用化されていったが、日本では各分野において実用化に対して消極的であり、先進諸国に比較しても導入が遅れている[303]。中でも特に、通信事業の免許を販売する周波数オークションは多くの国で既に導入されて数兆円規模の収益を上げているが、日本では未だに導入されていない[256]。日本において周波数オークションが導入されない理由として、池田信夫テレビ局携帯電話会社と総務省官僚の癒着を挙げている[304]

また、ドナーレシピエント間のABO式血液型不適合リンパ球クロスマッチ陽性HLAの完全不適合などが存在する場合にドナーを交換することによってこれらの問題を解決して相互の移植を実現することを目的としたドナー交換腎移植が米国韓国などで既に導入されているが、日本移植学会は「しかし、ドナー交換腎移植は医学的・倫理的に大きな問題を含むものであり、個別の事例として各施設の倫理審査のもとに行われるべきものである。したがって、ドナー交換ネットワークなどの『社会的なシステム』によりドナー交換腎移植を推進すべきものではない。」という否定的な見解を示しており、日本ではドナー交換腎移植が行われていない[305]

日本で実用化された数少ない分野のひとつとして研修医マッチングが挙げられる。アメリカで大きな成功を収めていた受入保留方式: deferred acceptance algorithm)を用いた研修医マッチングが2004年度から日本においても導入された[306]。導入当初は研修医の希望を尊重して配属病院を決定するマッチング方式が医師の地方偏在を悪化させてしまうという問題が指摘されたが、鎌田雄一郎小島武仁の研究によって理論的な解決策が示されている[303]

略年表

1710年
0000000000000000
ドイツ哲学者ゴットフリート・ライプニッツAnnortatio de quibusdam ludisを刊行[154]。相手の戦略が問題となるゲームを初めて論じた。
1713年 イギリスのWaldegraveがPierre Remond de Montmortへの書簡でゼロ和二人ゲームのミニマックス解を論じる[159]
1738年 スイスの数学者ベルヌーイの論文「くじの計算に関する新理論」がサンクトペテルブルクの学術誌に掲載される。「サンクトペテルブルクのパラドックス」が指摘され、期待効用概念の重要性が示唆された[307]
1739年 イギリスの哲学者デイヴィッド・ヒュームが著書『人性論』を刊行する。「共有地の悲劇」が示唆される[308]
1759年 イギリスの哲学者アダム・スミスが『道徳情操論』(: The Theory of Moral Sentiments)を刊行する。第6部において「人間社会のゲーム」が論じられた。
1838年 フランス経済学者アントワーヌ・オーギュスタン・クールノーが『富の理論の数学的原理に関する研究』(: Recherches sur les principes mathématiques de la théorie des richesses)を刊行[161]。寡占市場を数学的に分析した(クールノー・ゲーム)。
1883年 フランスの数学者ヨセフ・ベルトランが論文 "Théorie Mathématique de la Richesse Sociale" を発表。寡占市場における価格競争を分析した(ベルトラン・ゲーム)[163]
1913年 ドイツの数学者エルンスト・ツェルメロが「チェスの理論への集合論の応用について」(: Uber eine Anwendung der Mengenlehre auf die Theorie des Schachspiels) を発表[165]。「ツェルメロの定理」を証明した。
1917年 ドイツの哲学者ゲオルク・ジンメルが『社会学の根本問題』(: Grundfragen der Soziologie)を刊行。「社会化のゲーム形式」が論じられる。
1921年 フランスの数学者エミール・ボレルが「ゲームの理論と歪対称核を持つ積分方程式」(: "La théorie du jeu et les équations intégrales à noyau symétrique gauche")を発表。
1924年 ボレルが「偶然とプレイヤーの能力を含むゲームについて(: "Sur les jeux où interviennent le hasard et l'habileté des joueurs")」を発表。Waldegraveが扱った問題を分析した。
1927年 メンガーが「価値理論における不確実要素、いわゆるペテルブルクゲームとの連関における考察」というタイトルの口頭発表をする。ベルヌーイの提唱した期待効用原理を公理化する必要性を主張[309]

ボレルが「歪対称行列式の線形体系とゲームの一般理論」(: "Sur les systèmes de formes linéaires à determinant symétrique gauche et la théorie du jeu")を発表。

1928年 オーストリア学派の経済学者オスカー・モルゲンシュテルン が『経済予見ー仮定とその可能性についての考察』(: Eine untersuchung ihre Voraussetzungen und Moglichkeiten)を刊行。経済学におけるゲーム的状況の重要性を論じた。

ハンガリーの数学者ジョン・フォン・ノイマンが「社会的ゲームについて(: "Zur Theorie der Gesellschaftsspiele"を刊行。これを以てゲーム理論が誕生したとする見方もある[12]

1930年 ナチスから米国へと逃れて来る研究者のためにプリンストン高等研究所が設立される。アインシュタインフェルミワイルらと共にフォン・ノイマンもここに迎えられた[310]
1931年 フォン・ノイマンがプリンストン大学数理物理学教授に就任。

モルゲンシュテルンがハイエクの後任としてオーストリア景気循環研究所所長に就任[311]

1934年 モルゲンシュテルンが『経済学の限界』(: Die Grenzen dernWirtchaftspolitik)を刊行。
1935年 モルゲンシュテルンが「完全予見と経済均衡」(: "Volkkommence Voraussicht und Wirtschsftliches Gleichgewicht")を刊行。
1937年 フォン・ノイマンが「経済学の方程式体系とブラウワーの不動点定理の一般化」(: "Uber ein okonomisches Gleichingssystem und eine Verallgemeinerung des Brouwerschen Fixpunktsatzes")を発表。
1938年 ナチスの侵攻によりモルゲンシュテルンは景気循環研究所所長を解雇される。フォン・ノイマンとの共同研究を期待してプリンストンに渡る[174]
1940年 フォン・ノイマンとモルゲンシュテルンの共同研究が始まる[178]
1942年 山田雄三が著書『計画の経済理論』を刊行。オーストリア学派のゲーム理論的な問題意識が日本にも紹介された[264]
1944年 フォン・ノイマンとモルゲンシュテルンによる大著『ゲームの理論と経済行動』(: Theory of Games and Economic Behavior)がプリンストン大学出版局より出版される。この年にゲーム理論が誕生したとされる。
1947年 『ゲームの理論と経済行動』の第2版が出版される。期待効用理論を初めて体系的に解説した付録が加えられており、以後、この第2版が定版とされる。フォン・ノイマンはこの年に大統領賞を受けた[194]

山田雄三が毎日新聞社『エコノミスト特集:最近理論経済学の展望』上に「経済計画論の一課題:経済的ストラテジーの分析」を発表。

1950年 ナッシュが論文"Equilibrium Points in n-Person Games"を刊行。非協力ゲームにおけるナッシュ均衡が定義され、一般のケースにおけるナッシュ均衡の存在が証明された。

ナッシュが論文 "The Bargaining Problem" を刊行。交渉問題に先鞭がつけられる。
クーンが論文"Extensive games"を発表。
クーンとタッカーによる編著書Contributions to the Theory of Games vol. 1が出版。
山田雄三が論文「ミニマックス原則の要点」を発表。日本の学界に初めてゲーム理論が伝えられる[265]

1951年 アローが『社会的選択と個人的評価』(: Social Choice and Individual Values)を刊行。社会選択理論が創始される。

ナッシュが論文 "Non-cooperative Games" を発表。協力ゲームと非協力ゲームの区別がされる。
山田雄三が論文「価格における確定・不確定」を発表[266]

1952年 McKinseyによる初の学習書『ゲーム理論入門』(: Introduction to the Theory of Games)が出版される。

山田雄三が論文「遊戯の理論における価格分析」を発表[266]

1953年 クーンとタッカーによる編著書Contributions to the Theory of Games vol. 2が出版。所収のクーン論文において「展開形ゲーム」が誕生する。

ナッシュが論文 "Two-Person Cooperative Games" を発表。「ナッシュ・プログラム」が提起される。
Gillies の学位論文においてコアの概念が初めて登場する。[206]

1954年 アローとドブルーが共著論文 "Existence of an Equilibrium for a competitive Economy" を発表。ナッシュ均衡の存在定理が一般均衡理論に応用される。
1955年 サイモンが論文 "A behavioral model of rational choice" を発表。限定合理性の議論に先鞭がつけられる。

Braithwaite が著書 Theory of Games as a Tool for the Moral Philosopher を刊行。ゲーム理論の哲学分野への応用が進められる。
二階堂副包が論文 "Note on noncooperative convex games" を発表[312]

1957年 2月8日、フォン・ノイマン死去。享年53歳。

サイモンが著書 Models of Man: Social and Rational を刊行。
タッカーとウォルフの編著書 Contributions to the Theory of Games vol. 3 が刊行される[313]

1958年 ロールズが論文 "Justice as Fairness" を発表。

宮沢光一が『ゲームの理論』を出版。日本初のゲーム理論の教科書であった。
モルゲンシュテルンがフォン・ノイマンの回顧録を Economic Journal 上に発表。

1959年 ルースとタッカーの編著書 Contributions to the Theory of Games vol. 4 の中で Gillies によって提唱されたコアの概念が特集される[206]
1960年 シェリングが著書 The Strategy of Conflict を刊行。

オーマンが論文 "von Neumann-Morgenstern solutions to cooperative games without side payment" を発表。

1961年 オーマンが論文 "The core of a cooperative games without side payment" を発表。

ハルサニが論文 "Rationality postulates for bargaining solutions in cooperative and in non-cooperative games" を発表。
Lewontinが生物学の学術誌上に論文 "Evolution and the theory of games" を発表。
10月5日からの三日間、プリンストン大学でゲーム理論のコンファレンスが開催。オーマンらにより交渉集合が提唱される。

1962年 シャープレーゲールが共著論文 "College admissions and the stability of marriage" を発表。マッチング理論: matching theory)誕生する。

ブキャナンタロックが共著書 The Calculus of Consent: Logical Foundation of Constitutional Democracy を刊行。公共選択論: social choice theory)が誕生。

1963年 ドブルーとスカーフが共著論文 "A limit theorem on the core of an economy" を発表。コアへの収束定理を証明。

ハルサニが論文 "A simplified bargaining model for the n-person cooperative games" を発表。

1964年 オーマンが論文 "Markets with a continuum of traders" 発表。

シャープレーとタッカーによる編著書 Advances in Game Theory が出版される。

1965年 デーヴィスとマシュラーが共著論文 "The kernel of a cooperative game" を発表。協力ゲームの解概念としてカーネル: kernel)が提唱される。

アイザックが著書 Differential Games: A Mathematical Theory with Applications to Warfare and Pursuit, Control and Optimization を刊行。微分ゲーム: differential game)が誕生。

1967年 ハルサニが論文 "Games with incomplete information played by "Bayesian" players" を発表。
東京工業大学に社会工学科が発足し、鈴木光男によるゲーム理論の講義「計画数理」が開講される。鈴木による編著書『ゲーム理論の展開』が刊行される。
1968年 ハーディンが論文 "The Tragedy of the Commons" を発表。Hume 1739が示唆した共有地問題が「共有地の悲劇」として定式化される[160]

ハルサニが論文 "Games with incomplete information played by "Bayesian" players" の "Part II" と "Part III" を発表する。
ルーカスが論文 "A game with no solution" を発表。

1969年 Farquharson が著書 Theory of Voting を発表。投票者行動が分析される。

シュマイドラーが論文 "The nucleolus of a characteristic function game" を発表。協力ゲームの解概念として仁(: nucleolus)が提唱される。

1970年 アカロフが論文 "The market of lemons: quality uncertainty and the market mechanism" を発表。逆選択(: adverse selection)の発見。
1971年 初のゲーム理論専門誌 International Journal of Game Theory が発刊される。

ロールズが著書 A Theory of Justice を刊行。

1973年 ゼルテンが論文 "A simple model of imperfect competition, where 4 are few and 6 are many" を発表。

日本では鈴木光男による編著書『ゲーム理論の展開』が出版される。

1974年 9月に16日間に渡って International Workshop on Basic Problem of Game Theory at Bad Salzufeln by Bielefeld University が開催される。
1975年 ブラームスが著書 Game Theory and Politics を刊行。

ハルサニが論文 "Can the maximin principle serve as a basis for morality?" を発表。
ゼルテンが論文 "Reexamination of the perfectness concept for equilibrium points in extensive games" を発表[314]

1976年 東京工業大学理学部で鈴木光男により「ゲーム理論」という授業名の講義が始まる。

ハルサニが著書 Essays on Ethics, Social Behaviour, and Scientific Explanation を刊行。
レヴィスが著書 Convention: A Philosophical Study を刊行。
オーマンが論文 "Agreeing to disagree" を発表[315]

1977年 7月26日、モルゲンシュテルン死去。享年75歳。

ハルサニが著書 Rational Behavior and Bargaining Equilibrium in Games and Social Situations を刊行。
HennとMoescchlinによる編著書 Mathematical Economics and Game Theory: Essays in Honor of Oskar Morgenstern を刊行。[314]

1978年 東京図書より初の『ゲームの理論と経済行動』の日本語訳版が刊行される。銀林浩、橋本和美、宮本敏雄らによる監訳。

Ordeshook による編著書 Game Theory and Political Science が刊行される。
ゼルテンが論文 "The chain store paradox" を発表。[314]

1979年 ブラームスらが編著書 Applied Game Theory を刊行[316]
1980年 ドイツのボンハーゲンでゲーム理論セミナーが開催される。以後、研究の主流が協力ゲーム理論から非協力ゲーム理論に以降する[233]

ブラームスが著書 Biblical Games: Game Theory and the Hebrew Bible を刊行[317]

1981年 ショッターが著書 The Economic Theory of Social Institutions を刊行。ゲーム理論を用いた制度分析に先鞭がつけられる[234]

アクセルロッドとハミルトンが共著論文 The evolution of cooperation を発表[318]

1982年 メイナード・スミスが著書 Evolution and the Theory of Games を刊行。これにより進化ゲーム理論が広まる。

センが著書 Choice, Welfare and Measurement を刊行。1989年には『合理的な愚か者』という邦題で日本語訳版も出版されている。
シュービックが著書 Game Theory in the Social Science を刊行。
サイモンが著書 Models of Bounded Rationality を刊行。
鈴村興太郎が著書『経済計画理論』を刊行。

1984年 アクセルロッドが著書 The Evolution of Cooperation を刊行。

シュービックが著書 A Game-Theoretic Approach to Political Economy を刊行。
青木昌彦が著書『現代の企業』を刊行。[319]

1985年 オーマンとマシュラーが共著論文 "Game theoretic analysis of a bankruptcy problem from the Talmud" を発表。銀行の破綻処理問題にゲーム理論が応用される。

ブキャナンが論文 "Some extensions of a claim of Aumann in an axiomatic model of knowledge" を発表。
ブレナンとブキャナンが共著書 The Reason of Rules: Constitutional Political Economy を刊行。立憲主義がゲーム理論的に分析される。
ハーヴィッツらが共編著書 Social Goals and Social Organization: Essays in Memory of Elisha Pazner を刊行。
ロスが著書 Game-Theoretic Models of Bargaining を刊行。

1986年 グロスマンとハートが共著論文 "The costs and benefits of ownership: A theory of vertical and lateral integration" を発表。不完備契約の理論に先鞭。

Moulin が著書 Game Theory for the Social Sciences を刊行。
Pleg が著書 Game Theoretic Analysis of Voting in Committees を刊行。

1987年 西ドイツBielefeld大学で10月1日から11ヶ月に渡って学際研究プロジェクト「行動科学におけるゲーム理論」が開催される[18]

ビンモアが論文 "Modeling rational players" を刊行。
ハーンが編著書 The Economics of Missing Markets, Information, and Games を刊行。1970年代に誕生した「情報の経済学」の論文集。
岡田章が論文 "Complete inflation and perfect recall in extensive games" を発表。

1988年 ティロルが著書 The Theory of Industrial Organization を刊行。ゲーム理論が応用された「新産業組織論」の教科書。

ハルサニとゼルテンが共著書 A General Theory of Equilibrium Selection in Games を刊行。
ハートとムーアが共著論文 "Incomplete contracts and renegotiation" を発表。不完備契約の先駆的研究。
青木昌彦が著書『日本経済の制度分析:情報・インセンティブ・交渉ゲーム』を刊行。

1989年 ゲーム理論の専門誌 Games and Economic Behavior が発刊される。
1990年 Krepsが著書 A Course in Microeconomics Theory を刊行。ミクロ経済学の教科書でゲーム理論が特集される。

ビンモアが著書 Essays on the Foundations of Game Theory を刊行。
オズボーンとルービンシュタインが共著書 Bargaining and Markets を刊行。

1991年 ゼルテンが論文 "Evolution, learning, and economic behavior" を発表。

CanzoneriとHendersonが共著書 Monetary Policy in Interdependent Economies: A Game-Theoretic Approach を刊行。

1992年 ギボンズが教科書 Game Theory for Applied Economists を刊行。1995年には『経済学のためのゲーム理論入門』という邦題で日本語訳版が出版されている。

オーマンとハートによる共編著書 Handbook of Game Theory with Economic Applications の第1巻が刊行。
ミルグロムとロバーツによる共著書 Economics, Organization and Management を刊行。1997年には『組織の経済学』という邦題で日本語訳が出版されている。
ゼルテンが共編著書 Rational Interaction: Essays in Honor or John C. Harsanyi を刊行。

1993年 神取道宏、MailathとRobが共著論文 "Leaning, mutation, and long run equilibria in games" を発表。

ゼルテンが論文 "In search of a better understanding of economic behavior" を発表。
伊藤秀史が論文 "Coalitions, incentives, and risk sharing" を発表。

1994年 オーマンとハートによる共編著書 Handbook of Game Theory with Economic Applications の第2巻が刊行。

ビンモアが著書 Game Theory and The Social Contract を刊行。
岩井克人伊藤元重が編著書『現代の経済理論』を刊行。ゲーム理論の展望論文である「ゲーム理論による経済学の静かな革命」(神取道宏)や「過去、現在、未来:繰り返しゲームと経済学」(松島斉)が収録されている。

1995年 オーマンとマシュラーが共著書 Repeated Games with Incomplete Information を刊行。

マスコレルらによる共著書 Microeconomic Theory を刊行。
Moulin が著書 Cooperative Microeconomics: A Game-Theoretic Introduction を刊行。

1996年 ナッシュが著書 Essays on Game Theory を刊行。

ロスが論文 "A theory of partnership dynamics" を発表。
Dimand が著書 The History of Game Theory, Volume 1: From the Beginning to 1945 を刊行。
岡田章が著書『ゲーム理論』を刊行[† 44]
青木昌彦と奥野正寛が共編著書『経済システムの比較制度分析』を刊行。
松井彰彦が論文 "On Cultural Evolution: Social Norms, Rational Behavior, and Evolutionary Game Theory" を発表。

1999年 1月1日に初のゲーム理論の国際学会である Game Theory Society が発足し、ゲーム理論専門の論文誌である International Journal of Game TheoryGames and Economic Behavior が同学会の公式論文誌となる[246]
1994年 ジョン・ナッシュジョン・ハルサニラインハルト・ゼルテンノーベル経済学賞を受賞[322]
2005年 ロバート・オーマントーマス・シェリングがノーベル経済学賞を受賞[323]

応用分野

生物学

ミュールジカの二頭のオス(コロラド州)。「ミュールジカのナワバリ争い」は生物ゲームの典型的な例である[52]

生物学へのゲーム理論の応用は1970年代から既に研究されていたが、現在進化ゲーム理論: evolutionary game theory)と呼ばれる分野の基礎を作ったのはイギリス生物学者ジョン・メイナード・スミスであった[324]。メイナード・スミスは非協力ゲームのモデルを動物の闘争や共存の分析に適用して、ナッシュ均衡よりも強い進化的に安定な戦略: evolutionarily stable strategy)と呼ばれる概念を提示して自然淘汰のメカニズムが働く生物ゲームの安定状態、すなわち突然変異によって侵入されないような集団の安定な状況としての戦略を分析した[325]。生物学において研究されている進化プロセスの代表的なゲーム理論のモデルとしてレプリケータ動学: replicator dynamics)がある。

ゲーム理論の生物学への応用は非常に自然な形でなされた。メイナード・スミスは生物学へのゲーム理論の応用について著書『進化とゲーム理論』(1982年)の冒頭で次のように語っている。

逆説的と思えるが、ゲーム理論はそれが最初めざしていた経済行動の分野よりも、生物学の方にずっとうまく応用できることが分かってきたからである。それには理由が二つある。一つは様々な結果の価値(例えば、経済的な報酬、死の危険性、良心のとがめを受けない喜びなど)を一元的な尺度で測ることが理論にとって必要となっていることである。人間に応用する際には、この尺度として「効用」という幾分人工的で心地のよくない概念が用いられている。それに対して生物学では、ダーウィンの適応度が自然で正真正銘の一元的な尺度となっている。二つめは、より重要であるが、ゲームの解を求める際に、人間の合理性という概念が、進化的な安定性という概念に置き換えられることである。このことの利点はこうである。生物の集団が安定的な状態に進化すると期待するのは理論的に十分根拠のあることであるのに対し、人間が常に合理的に行動するかどうかは疑問の余地がある。 — John Maynard-Smith (1982) Evolution and the Theory of Games[326]

生物学へのゲーム理論の応用は、経済学にとっても重要な意味があった。ものを考えることすら出来ない動物の行動のいろいろなパターンがナッシュ均衡によって説明されたという数理生物学の成果は、従来の経済学において仮定されていたプレイヤーの無限の計算能力がナッシュ均衡を実現するために必ずしも必要ではないという証左であった[327]数理生物学から生まれた進化ゲームは経済学に逆輸入され、プレイヤーの学習、模倣や世代間教育、文化継承などを表現するモデルとして経済学や社会学にも応用されている[133]

宗教学

アダムとイブアルブレヒト・デューラー)。ブラームスはアダムvs.イブの分配ゲームや、アダムとイブvs.神の制裁ゲームなどの2段階完全情報ゲームを分析することによって天地創造や楽園追放について考察した[317]

政治学者のスティーブン・ブラームス1980年に出版された著書 Biblical Games において旧約聖書の中のさまざまな物語を読み解き、神の啓示とは何か、信仰とは何か、人はなぜ争うのかなどの旧約聖書のエッセンスの解明を試みている。ブラームスが用いたのは非協力ゲーム理論であり、その多くは2人のプレイヤーが2つの戦略を持つ2段階完全情報ゲームであり、さらにそれよりも大きなゲームは展開形として説明されている。本書においてブラームスはゲーム理論を通じてユダヤ・キリスト教文化の基本的性格についての深い示唆を与えたと評価されている[317]

また、オーマンとシュマイドラーは1985年に発表した "Game theoretic analysis of bankruptcy problem from the Talmud" という論文において、ユダヤ教教典バビロニア・タルムード』に登場する破産問題を協力ゲーム理論によって分析している。問題となった『バビロニア・タルムード』の記述は以下のように要約される(金銭の単位はに変更してある)[328]
「ある人が亡くなり、100万円の遺産が残された。この人は、生前、3人の相続者A、B、Cにそれぞれ100万円、200万円、300万円の遺贈をすることを約束していた。遺産の額が不足してしまった訳であるが、この場合には、100万円を三等分して100/3万円ずつ3人で分ける。もし、200万円の遺産が残った場合には、Aには50万円、BとCにはそれぞれ75万円ずつ分ける。もし300万円の遺産が残った場合には、A、B、Cにそれぞれ50万円、100万円、150万円を分ける。」
遺産の総額が100万円の場合は均等分配、300万円の場合は比例分配である一方で200万円の場合の分配の基準が直観的には理解しがたく、この『バビロニア・タルムード』の記述は永らくユダヤ人たちを悩ませてきたが、オーマンとシュマイドラーはこの分配方法が協力ゲーム理論の「仁」という解概念によって説明できることを明らかにしたのである[328]。その概要は、以下の通りである。すなわち、財産総額を E, 債権者の集合を N = {1, 2, …, n} とし各債権者 i の債権額を di とすると、E, d1, d2, …, dn は全て正値であり、E < d1 + d2 + ⋯ + dn が仮定される。また、任意の提携 SN に対する特性関数 vと定義すれば、この特性関数 v の値は提携 S が獲得可能な遺産の総額と解釈できる。n = 3 として E = 100, 200, 300 それぞれの場合の v の仁を計算すると、それぞれ (100/3, 100/3, 100/3), (50, 75, 75), (50, 100, 150) となり、『バビロニア・タルムード』の記述が協力ゲームの仁と一致していることが確認できる[329]

これらの他にも、鈴木光男は著書『ゲーム理論の世界』(1999年)において、河合隼雄古事記論を協力ゲーム理論によって解釈することを試みている。『古事記』における神話の構造は3人ゲームで、日本神話の論理は統合ではなく均衡に向かうものであり、その中心が空である「中空均衡構造」であると結論付けており、こうした解釈は現代の日本政治の状況を観る上でも含意を持つという[330]。さらに鈴木は、古事記をはじめとする日本神話のゲーム理論的表現による日本人の深層心理や日本人の持つ知の特質を研究すること、さらには、洋の東西を問わず宗教や倫理など先哲の思想がゲーム理論の言葉で表現し、それらの相互関係を研究することの有用性を主張している[331]

教育学・教育政策

近年米国日本でも導入されている学校選択制の運営にもゲーム理論の知見が用いられている。学校選択制とは、家庭が近隣地域のどの公立小学校・中学校に子どもを通学させるか選択可能な制度である。一見すると学校選択制は行きたい学校を単純に選択するだけなのでゲーム的状況とは関係なさそうに思われる。しかし、各学校には定員があるので、学校選択制を利用して入学を希望する学校を選択した際にその学校に入学できるか否かは他の児童・生徒の選択に依存するのである[332]マサチューセッツ州ボストン市において1999年に導入された学校選択制の方式はボストン方式と呼ばれるが、この方式において児童・生徒は真の希望順位とは異なる希望順位を制度運営者に提出することによって得をする可能性がある等の問題があることが知られている[333]。この問題は2005年受入保留方式と呼ばれる方式を導入することによって解決されている[334]。このような主体(生徒)と主体(学校)をいかに組み合わせるかを分析する研究領域としてマッチング理論があり、学校選択制のさらなる改善のために現在も研究が行われている。

会計学

会計学の分野では1980年代から既にシャープレー値や仁といった協力ゲームの解概念が費用分担の問題などに積極的に応用されていた[240]。近年では、会計制度の性質や位置付けが大きく変容していることから事実解明的な方法を用いて新たな会計制度を設計する必要性が高まっており、非協力ゲーム理論の手法を用いて情報開示制度、内部統制監査制度、会計専門職教育制度などの会計制度を分析する研究も現れている[335]。ゲーム理論や実験経済学の手法を応用した先駆的な研究により『実験制度会計論[335]』は2015年日経・経済図書文化賞を受賞している[336]

コンピュータ科学

コンピュータ科学の分野では、ネットワークに接続されたコンピュータを上手く協調させる方法を研究するために繰り返しゲーム理論が応用されている[337]。コンピュータ科学や工学系の研究者はインターネットの研究の中で「複数のエージェントが独立に行動する中でのシステム設計」という問題に初めて直面しており、彼らがそうした問題に対処するためにゲーム理論を応用しようと試みたのは自然なことであった[10]

交通工学

交通渋滞。渋滞は自動車運転に伴う負の外部性によって発生する。

自動車を運転する際に、どの道を選択したら短時間で目的地に到着することができるかは、各道路の交通量、すなわち他の運転手の選択に依存する。したがって、ナッシュ均衡によって交通量を予測することが理論上は可能である。実際、土木計画学研究委員会が静岡県浜松市周辺の道路交通量を調査したところは、ナッシュ均衡が現実の交通量データを約85%の精度で予測できていることが確認された。欧米では、ナッシュ均衡を用いた交通量の予測は実務において定着しており、道路交通量の計算専用のソフトも市販されている[338]

さらに、予測だけでなく渋滞を緩和するシステムの設計にもゲーム理論が応用されている。英国ロンドンでは交通渋滞が深刻な社会問題になっていたため、2003年から混雑税と呼ばれる制度が導入され、一定の成果を上げている[339]

スポーツ

スポーツの多くの場面はゼロサムゲームであり、さまざまなスポーツがミニマックス理論と呼ばれるゲーム理論の枠組みによって研究されている。

ペナルティキックの瞬間。キッカー、キーパーともに(キッカーから見て)左側を選択したのが見て分かる。Palacios-Huerta 2003の推計ではこのようなケースにシュートが決まる確率は69.92%であった。ミニマックス理論による分析では、この69.92%という値が戦略ベクトル(左, 左)に対するキッカーの利得として解釈される。

テニスにおいて、サーバーがサーブをレシーバーの右側に打つか左側に打つかは重要な戦略である。ウォーカーとウッダースは1974年から1997年までのグランドスラム大会テニスマスターズカップのデータを用いて世界大会レベルのテニスプレイヤーのプレーが混合戦略の予測に合致しているかを調査した[49]。まず、サーバーがサーブをレシーバーの右側に打つか左側に打つかが統計学的に分析され、サーブの方向が十分に頻繁に変えられていることが確認された。その上で、右側に打った場合と左側に打った場合とで勝利確率が統計学的に等しくなるように打ち分けられていることが確認された。これは、テニスプレイヤーのサーブにおける左右の打ち分けが混合ナッシュ均衡戦略になっていることを意味している。さらに、Hsu, Hung & Tang 2007などの後続研究によってウォーカーらの仮説はより強く検証されている[340]

サッカーペナルティキックにおいて、キッカーが左右どちらに蹴るかは重要な戦略であり、同様にキーパーが左右どちらにジャンプするかも重要な戦略である。Palacios-Huerta 20031999年から2000年までの間にヨーロッパで行われたサッカーの試合における1417本のペナルティキックのボールが蹴られた方向と成功率を解析したところ、混合ナッシュ均衡と現実のデータが合致していることが確認された[341]

これらの研究は一見すると経済学とは関係なさそうであるが、その動機は実験経済学に由来している。従来の実験では学生を被験者として集めて実験室内で実験が実施されており、理論的予測に合致しない結果が多かった。それに対して、プロスポーツのようにゲームの勝敗がプレイヤーにとって深刻な意味を持つケースを調査することによって、ゲーム理論の設定をより正確に再現することが可能になったのである[342]

ノーベル経済学賞との関係

ノーベル経済学賞1968年スウェーデン国立銀行の設立300周年祝賀の一環として設立された[343]

ゲーム理論創始者の一人であるモルゲンシュテルンにノーベル経済学賞を受賞させようとするキャンペーンがシュエーデラー、シャープレー、シュービック、オーマンらを中心に行われていたが、モルゲンシュテルンは1977年にノーベル賞を受賞することなく死去してしまった[344]。ゲーム理論家がノーベル賞を最初に受賞したのは1994年であり、『ゲームの理論と経済行動』出版50周年を記念しての授与であった[344]

社会科学である経済学自然科学の多くの分野とは異なり、実験によってや理論の優劣が決定されにくいため、各時代における学界における勢力図がノーベル賞の選考に直接影響する[345]。ノーベル経済学賞の受賞傾向は経済学の歴史を写すものであり[† 45]、本節ではノーベル経済学賞を受賞した経済学者の中でも特に業績に関してゲーム理論との関わりが深いものを紹介する。

アロー(1972年)とドブルー(1983年)の受賞

ケネス・アロージェラール・ドブルー一般均衡理論を精緻化した業績によりそれぞれノーベル経済学賞を受賞した。完全競争市場を分析対象とする一般均衡理論はゲーム理論が登場する以前の数理経済学の主流なパラダイムであったが、1954年に発表されたアローとドブルーの共著論文 "Existence of an equilibrium for a competitive economy" においてナッシュ均衡の存在定理を応用して完全競争市場の一般均衡の存在を証明した。一般均衡理論の批判として登場したゲーム理論の一般均衡理論への貢献は逆説的であったが、彼らの研究はゲーム理論の力を示すものとして受け入れられた[13]

サイモンの受賞(1978年)

ハーバート・サイモン1978年に「経済組織内部での意思決定プロセスにおける先駆的な研究[347]」を称えられてノーベル経済学賞を受賞した。サイモンは『ゲームの理論と経済行動』が出版される以前からフォン・ノイマンらの研究に注目しており、最も早く書評を発表している[159]。サイモンは1957年に「合理的選択の行動主義的モデル」という論文の中で人間の合理性には限界があることを「限定合理性: bounded rationality)」と名付け、限定合理性の下でのヒューリスティクスと呼ばれる問題解決方法を提示したが[348]、これはフォン・ノイマンやモルゲンシュテルンによって構築された合理性を前提とした意思決定理論への挑戦であり、サイモンによって提起された限定合理性の問題はそれ以後ゲーム理論の基本問題となっている[216]

ブキャナンの受賞(1986年)

ジェームズ・ブキャナン1919 - 2013

ジェームズ・ブキャナン1986年に「公共選択の理論における契約・憲法面での基礎を築いたこと[349]」を称えられてノーベル経済学賞を受賞した。ブキャナンは1962年に出版されたゴードン・タロックとの共著書 "The Calculus of Consent: Logical Foundations of Constitutional Democracy" において既に官僚、政党、投票者といった政治的アクターの意思決定をゲーム理論的の分析していた[216]。ブキャナンは一貫して方法論的個人主義の立場に立脚し、各個人を意思決定主体(プレイヤー)とみなすことによって政策立案や官僚機構といった政治過程そのものをミクロ経済学ないしゲーム理論の枠組みで分析する方法論を確立した[350]。これは、制度・ルールそれ自体を経済学の俎上に乗せ、比較制度分析を行うという現代さかんに行われている制度分析の先駆的な研究であり、同時に個人選好をいかなる集合的意思決定に結びつけるのかを問う試みでもあった[350]。ブキャナンによって創始された「公共選択」と呼ばれる分野は1970年代までは学術誌Public Choiceを牙城とするバージニア学派の一連の研究を指すに留まっていたが、1980年代後半以降の非協力ゲーム理論の発展に伴って公共選択の研究は学派の枠を超えて活発に進められるようになった[351]動学ゲーム不完備情報ゲームといった新しい非協力ゲーム理論の分析手法が公共選択の研究にも取り入れられ、目覚ましい学術的成果を生み出し、現実の政策形成に一定の説明力を発揮するまでに至っている[241]

ブキャナンの業績は日本でも広く知られており、『公共選択の理論』、『赤字財政の政治経済学』、『立憲的政治経済学の方法論』など、10冊以上の文献の日本語訳が出版されている[352]。また、慶應義塾大学は「日本のバージニア学派」と呼ばれ、ブキャナンの教え子でもある加藤寛教授の研究グループを中心に日本における公共選択の研究が進められている[352]

コースの受賞(1991年)

ロナルド・コース1910 - 2013

ロナルド・コースは「制度上の構造と経済機能における取引コストと財産権の発見と明確化[216]」を称えられて1991年にノーベル経済学賞を受賞した。コースは1937年の論文 "The nature of firm" において企業組織内の資源配分を分析する上での取引コストの重要性を指摘した。この指摘は、1980年代に日本経済が欧米の地位を揺るがすようになって「日本型経営」が注目されるに至ると現実に経済全体のパフォーマンスを左右する重要な要因として強く意識されるようになり、ゲーム理論によって分析されるようになった[353]。コースは自由放任主義によってパレート効率的な配分が実現されるためには交渉費用などの取引コストが十分に小さい必要があることを指摘したが(コースの定理)、ゲーム理論はコースによって漠然と指摘された自由放任主義の限界を体系的・統一的に示すことに成功したと言える[354][355]

また、コースが問題としていた法律制度財産権などのトピックは、後の1990年代に発展した不完備契約の理論によって研究されている。

ノースとフォーゲルの受賞(1993年)

ダグラス・ノースロバート・フォーゲルは「経済理論と計量的手法によって経済史の手法を一新した[349]」業績を称えられて1993年にノーベル経済学賞を受賞した。ノースは主著『制度・制度変化・経済成果』(1990年) の書き出しで「制度は社会におけるゲームのルールである」と語っている。

ナッシュ、ハルサニ、ゼルテンの受賞(1994年)

ジョン・ナッシュジョン・ハルサニラインハルト・ゼルテンらは「非協力ゲームの均衡の分析に関する理論の開拓[322]」を称えられて1994年にノーベル経済学賞を受賞した。『ゲームの理論と経済行動』出版50周年を記念しての授与であったとされる[344]。ナッシュは長らく統合失調症と闘病しており、ノーベル賞選考委員会は式典当日にナッシュに何かハプニングがあった際の対応のためにハルサニとゼルテンを同時に受賞させたという話もある[356]

ヴィックリーとマーリーズの受賞(1996年)

ウィリアム・ヴィックリージェームズ・マーリーズは「情報の非対称性のもとでの経済的誘因の理論に対する貢献[322]」を称えられて1996年にノーベル経済学賞を受賞した。ヴィックリーが1961年に発表した論文 "Counterspeculation, Auctions, and Competitive Sealed Tenders" によって創始されたオークション理論は、現在ではゲーム理論の主要な応用分野の一つとなっている。

センの受賞 (1998年)

アマルティア・センは「所得分配の不平等にかかわる理論や、貧困と飢餓に関する研究についての貢献[322]」を称えられて1998年にノーベル経済学賞を受賞した。センの専門分野である社会選択理論は当初はゲーム理論と独立に研究されていたが、次第に相互乗り入れが進み、今日ではゲーム理論の応用分野として研究されている[357]

アカロフ、スティグリッツ、スペンスの受賞(2001年)

ジョージ・アカロフジョセフ・スティグリッツマイケル・スペンスらは「情報の非対称性を伴った市場分析[323]」を称えられて2001年にノーベル経済学賞を受賞した。1970年代に彼らはそれぞれ中古車市場[358]、労働市場[359]、保険市場[360]を分析し、経済主体が何らかの私的情報を持つとき自由競争市場が従来の新古典派経済学のモデルと大きく異なる働きをすることを示して大きな注目を集めた[118]。「逆選択」、「シグナリング」、「モラルハザード」などの概念によって知られるこれら一群の研究は現在では「情報の経済学」と呼ばれ、ゲーム理論の応用分野として20世紀末に急速に発展した[10]

カーネマンとスミスの受賞(2002年)

ダニエル・カーネマンバーノン・スミスは「行動経済学と実験経済学という新研究分野の開拓への貢献[322]」を称えられて2002年にノーベル経済学賞を受賞した。心理学者であったカーネマンはサイモンの提唱したヒューリスティクスを多面的な視点から取り上げ、フォン・ノイマンとモルゲンシュテルンが築いた期待効用理論を批判し、プロスペクト理論と呼ばれる体系を創始した[361]。カーネマンの一群の研究は今日では「行動経済学」と呼ばれる学問となっており、行動経済学の観点から限定合理性の理論、学習理論、公平性や互恵性の理論を研究するゲーム理論の分野は「行動ゲーム理論」と呼ばれる[131]

グレンジャーの受賞(2003年)

クライヴ・グレンジャーは「時系列分析手法の確立[362]」を称えられて2003年ロバート・エングルと共同でノーベル賞経済学賞を受賞した。グレンジャーは時系列分析と呼ばれる統計学の分野の専門家であり直接的にはゲーム理論とは関係なかったものの、ゲーム理論の創始者モルゲンシュテルンとの親交が深い人物であった[363]。グレンジャーはモルゲンシュテルンと同時期にプリンストン大学に在籍しており、1967年にモルゲンシュテルンの65歳記念論文集が編纂・出版された際には論文を寄稿している。さらに1970年にはモルゲンシュテルンと二人で株式市場における予測性についての共著論文を書いている[364]。この共著論文は、当時生まれつつあったランダムウォーク仮説を体系的に検証するものであった[365]

シェリングとオーマンの受賞 (2005年)

ロバート・オーマントーマス・シェリングは「ゲーム理論の分析を通じて対立と協力の理解を深めた功績[323]」を称えられて2005年にノーベル経済学賞を受賞した。ゲーム理論家の受賞は2004年のナッシュらに次いで2件目であった。経済学出身のシェリングと数学出身のオーマンの研究手法は対照的であり、この二人の同時受賞には一定の配慮があったという指摘がある[366]

ハーヴィッツ、マイヤーソン、マスキンの受賞(2007年)

レオニード・ハーヴィッツロジャー・マイヤーソンエリック・マスキンらは「メカニズムデザインの理論の基礎を確立した功績」を称えられて2007年にノーベル経済学賞を受賞した。

オストロムの受賞(2009年)

エリノア・オストロムオリバー・ウィリアムソンは「経済的なガヴァナンスに関する分析[367]」に関する功績を称えられて2009年にノーベル経済学賞を受賞した。オストロムは、1990年代公共財供給ゲームの教室実験や自然実験を実証分析することによって、森や湖などの共有資源を自主統治できる可能性を示した。丹念な実証研究からゲーム理論の新たな研究領域を開拓したオストロムの業績は理論研究者からも高く評価されている[368]

シャープレーとロスの受賞(2012年)

ロイド・シャープレイアルヴィン・ロスは「安定配分理論と市場設計の実践に関する功績[367]」を称えられて2012年にノーベル経済学賞を受賞した。シャープレーはゲーム理論の草創期から数々の重要な貢献をしてきたが、ノーベル賞受賞理由となったのは1962年デビッド・ゲールとの共著論文の中で考案された受入保留方式に関する業績であった。共同受賞を果たしたロスは、ゲール=シャープレー・アルゴリズムとも呼ばれているその方式が研修医マッチングを始めとする現実の制度設計に応用可能であることを示した[369]

ティロールの受賞(2014年)

ジャン・ティロールは「市場の力や規制についての分析」を称えられて2014年にノーベル経済学賞を受賞した。ティロルの創始した「新産業組織論」ではゲーム理論によって戦略的な企業行動や企業の内部構造を直接モデル化することが可能になり、それによってデータから因果的な情報を引き出す現在の実証的な産業組織論の道が開けたのである[10]

批判

完全観測の仮定に対する批判

ゲーム理論において動学的環境ではプレイヤーが互いの行動を完全に見えると仮定されることが多いが[† 46]、このような完全観測: perfect monitoring)の仮定に対して次のような批判がある。

コモンズの管理に対するゲーム理論的な含意を実証研究によって明らかにした業績で2009年ノーベル経済学賞を受賞したエリノア・オストロムは、繰り返しゲームに対して次のように述べている[371]

Some recent theoritical models of repeated situations do predict that individuals will adopt contingent strategies to generate optimal equilibria without external enforcement, but with very specific information requirements rarely found in field settings.[† 47]

— Ostrom, E. (2015) Governing the Commons

また、東京大学名誉教授岩井克人2015年に雑誌『経済セミナー』の「経済学はどこから来て、どこに向かうのか?」という鼎談企画の中で「最後に、経済学は今後、どこに向かっていくのかというテーマで、少しお話しいただければと思います。」と質問されて次のように答えている[372]

ここ20年くらい、ゲーム論的な立場から社会を見る経済学があまりにも強くなりすぎたと思っています。ゲーム論的な世界とは結局、顔の見える世界の話です。しかし、私は経済学の中で一番重要なのは、やはりアダム・スミスの思想だと思っています。それは、お互いに顔の見えない人間同士が築きあげる社会とはどのようなもので、どうすれば良くなるのかについての思想です。(中略)こういった視点が、ここ20〜30年のゲーム論の発展によって消えてしまったことは残念です。[† 48] — 岩井克人「経済学はどこから来て、どこに向かうのか?」、2015年

意思決定主体の立場からの批判

ゲーム理論は社会科学の基礎的言語として社会科学者に活用されるだけでなく、企業政府といった意思決定主体がどのように意思決定するべきかを指示する装置としての役割も期待されていた。しかし、それに対しては「経済分析には有効でも、意思決定主体にとっては有効な理論にはない」という批判がゲーム理論家の下に数多く寄せられていた[374]。一部の専門家や非専門家が「勝つための戦略」などと称してゲーム理論を使えば万事上手くゆくかのように宣伝している一方で、実際には協力ゲームの特性関数や非協力ゲームの利得関数を正確に把握することは不可能であったり、ナッシュ均衡が一意的でないため一部の経営的予測には役に立たなかったりといった問題が指摘されている[374]

脚注

注釈

  1. ^ アメリカ経済学会が出版する Journal of Economic Literature において採用されているJEL分類コードによれば、ゲーム理論は「交渉理論」(: bargaining theory)と並んでC7に分類されている[4]
  2. ^ ただし、1928年にゲーム理論が誕生したとする見方もある[12]。1928年は、フォン・ノイマンが論文「社会的ゲームについて(: "Zur Theorie der Gesellschaftsspiele")」を発表し、モルゲンシュテルンが著書『経済予見ー仮定とその可能性についての考察(: Eine untersuchung ihre Voraussetzungen und Moglichkeiten)』を刊行した年である。
  3. ^ 「ゲーム的状況」とは、複数の意思決定主体または行動主体が存在し、それぞれの目的の実現を目指して相互に依存し合っている状況を意味する[6]。「戦略的環境(: strategic environment)」と呼ばれることもある[15]
  4. ^ 岡田 1989, 表2.1を元に作成。
  5. ^ ただしマルティン・オズボーンアリエル・ルービンシュタインのように、一方の理論がもう一方の理論よりも「基礎的」であるという考え方に対して否定的な見解を示しているゲーム理論家も存在する[24]
  6. ^ a b 利得関数の組の代わりに選好関係の組を用いて戦略形ゲームを定義する場合もある[29]。選好関係について合理性: rationality)などの適当な公理が仮定されるとき、その選好関係と等しい情報を持つ利得関数が存在するため、合理性などの標準的な仮定の下では利得関数と選好関係のどちらを用いて戦略形ゲームを定義しても本質的な違いはない[30]
  7. ^ 戦略形ゲームは標準形ゲーム: games in normal form)とも呼ばれる。この「標準形ゲーム」という用語法はvon Neumann & Morgenstern 1944によるものとされている[32]
  8. ^ このような双行列を利得行列、利得行列によって表すことの可能な2人戦略形有限ゲームを双行列ゲームと呼ぶ場合もある[37]
  9. ^ 例えば、同時手番ならば各プレイヤーが自分の手番が回ってきたときに他のプレイヤーの選択を知らないと仮定すればよく、逐次手番ならばあるプレイヤーが他のプレイヤーの選択を知った上で自分の戦略を選択すると仮定すればよい[24]
  10. ^ 「提携形ゲーム」はvon Neumann & Morgenstern 1944によって定義・命名されたものである[40]
  11. ^ なお、戦略の組に対してではなく帰結に対して利得関数が定義される場合もある。例えば寡占市場を分析する際、プレイヤーは企業、戦略は価格であるが、企業にとっての利得は価格ベクトルではなく利潤と解釈するのが自然である[67]。このようなケースでは、戦略の組から帰結への関数を定義し、帰結の集合上の実数値関数として利得関数が定義される[67]
  12. ^ これらの用語はケン・ビンモアによって造られたものである[73]
  13. ^ 1960年代に当時のゲーム理論研究の拠点であったプリンストンに留学しており草創期の多くのゲーム理論家と交流があった鈴木光男によれば、実際に初期のゲーム理論家のほとんどがユダヤ人であったという[79]
  14. ^ ある経済主体が完備的であるとは、彼が任意の二つの選択肢 xy に対して、「 x よりも y が好き」、「 y よりも x が好き」、「 xy も同程度に好き」のいずれかの判断を下されることを意味する[87]
  15. ^ ある経済主体が推移的であるとは、彼が任意の三つの選択肢 xyz に対して、「 xy と同程度以上に望ましく」かつ「 yz と同程度以上に望ましい」とき必ず「 xz と同程度以上に望ましい」ことを意味する[87]
  16. ^ ただし選択肢が無限に存在する場合、完備性と推移性に加えて連続性(: continuity)と単調性(: monotonicity)が選好関係の公理として仮定される必要となる[88]
  17. ^ 売り手と買い手が無数に存在する完全競争市場では各意思決定主体の市場への影響力が無視できるほど小さいため意思決定の戦略的な側面は問題にならなかったが、より現実的な不完全競争市場を考える際には意思決定者が市場を通じて他の主体に与える影響力が大きな役割を果たす[89]
  18. ^ 新古典派のモデルには「一定とされる価格」を決定するルールが明示されていなかった。こうした新古典派モデルに対するひとつの解釈として「買い手と売り手が需要関数と供給関数を『競り人』に提出し、競り人が均衡価格を計算する」というものがある[90]オークション理論は新古典派モデルが捨象した均衡価格決定のプロセスを研究するものであるが、このオークション理論はゲーム理論の応用分野として発展している[91]
  19. ^ ラヴォア 2008の表1. 1を元に作成。ただし、表内の一部項目の名称については前掲書の解説において用いられているより厳密なものを用いている。
  20. ^ 前提条件: presuppositions)とはモデル化や定式化ができない各学派の必須要素であり、それらから導かれる仮説や理論よりも先行するものである。「前提条件」と呼ばれる概念の研究はアクセル・レイヨンフーヴッドによって1976年に提唱された枠組みである[94]
  21. ^ a b c 「道具主義」に対置する概念としてのrealismは「現実主義」の他に「実在論」と訳されることもある[95]
  22. ^ 具体的には、異端派は非線形性ストレンジ・アトラクタを基礎にしたカオス動学を用いたアプローチが用いられる[102]
  23. ^ これらの新古典派経済学の主張には「数々の非現実的な仮定の上に構築された信頼性の薄い主張」とか「パイの大きさが何パーセント変わるかという矮小な話よりもパイを公平に分配し社会的弱者を救済することこそが重要だ」といった批判があり、当時のミクロ経済学は「おもちゃの豆鉄砲」と揶揄されていた[108]
  24. ^ 概念的に過ぎず分析的なレベルに達していなかったサイモンの枠組みは、経済学者やゲーム理論家にとって「定理なき理論」(: a theory without theorems[124])であり満足できるものではなかった[122]
  25. ^ 例えば「不況時における財政出動がどれほどの景気浮上効果を持つか」というマクロ経済学の問題に対して実験を行うことは不可能であり、実際に財政出動をした場合としなかった場合を統計学的に比較することによって決着がつけられる。また、冷戦時代に並存した資本主義国社会主義国の比較のような大規模な自然実験は可能な機会が稀である上に膨大な社会的コストが必要となる[126]
  26. ^ 特に一回限りの「囚人のジレンマ」の実験研究は一般的な構造を有しているため、経済学者だけでなく心理学者社会学者政治学者教育学者も行われており、その事例数は膨大な数にのぼる[129]
  27. ^ 例えばVan Dam et al. 1996は、オランダの砂丘に自生するある植物が虫除けのために分泌するアルカロイドという化学物質がさまざまな年齢の葉に対して最適に割り振られていることを明らかにしている[132]
  28. ^ 一般に、集合 X から X 自身への写像 f: XX について x = f(x) を満たす xX を写像 f不動点と呼び、特定の条件の下で不動点の存在を保証する定理を総称して不動点定理と呼ぶ[137]。したがって、最適反応関数が不動点定理の条件を満たすことは、均衡が存在することを意味する。
  29. ^ Waldegraveによるこの論考は、"Minimax solution of a 2-person, zero-sum game, reported in a letter from P. de Montmort to N. Bernouilli, transl. and with comments by H. W. Kuhn" という名が付けられ、1968年に出版された論文集[158]に掲載されている[159]
  30. ^ クールノーが生産量を「戦略」と解釈して寡占市場を分析したのに対し、ヨセフ・ベルトラン英語版1883年に発表された論文 "Théorie Mathématique de la Richesse Sociale" において価格が「戦略」であるモデルを分析している[162]。クールノー・モデルとベルトラン・モデルの解は一般的にはそれぞれ異なるが、どちらも「ナッシュ均衡」として統一的に説明することが可能である[163]
  31. ^ この論文においてフォン・ノイマンが用いた不動点定理は後に「角谷の不動点定理[169]として一般化される[1]
  32. ^ 書名を General Theory of Rational Behavior にする案もあったが、モルゲンシュテルンの最初の草稿のタイトルである『ゲームの理論と経済行動』が採用された、という逸話がある[181]
  33. ^ 以下に『ゲームの理論と経済行動』の第2版の目次を掲げる[196]
    『ゲームの理論と経済行動』(第2版)目次
    第1章 経済問題の定式化
    1. 経済学における数学的方法
    1.1 序言
    1.2 数学的方法の応用の困難さ
    1.3 対象の必要な限界
    1.4 結論としての注意
    2. 合理的行動の性質上の議論
    2.1 合理的行動の問題点
    2.2 「ロビンソン・クルーソー」経済と社会的交換経済
    2.3 変数の数と参加者の数
    2.4 変数が多数の場合:自由競争
    2.5 「ローザンヌ」学説
    3. 効用の概念
    3.1 選好と効用
    3.2 測定の原則:前置き
    3.3 確率と数量化された効用
    3.4 測定の原則:詳論
    3.5 数量化された効用の公理的扱いの概念的構造
    3.6 公理とその解釈
    3.7 公理に関する一般的な注意
    3;8 限界効用の概念と役割
    4. 理論の構築:解と行動基準
    4.1 1人の参加者についての最も簡単な解の概念
    4.2 すべての参加者への拡張
    4.3 配分の集合としての解
    4.4 「優越」または「支配」の非推移的な概念
    4.5 解の正確な定義
    4.6 「行動基準」からのわれわれの定義の解釈
    4.7 ゲームと社会組織
    4.8 結びにあたっての注意
    第2章 戦略ゲームの一般的・本格的な記述
    5 導入部
    5.1 経済学からゲームへの重点の移行
    5.2 分類と方法の一般原理
    6 ゲームの単純化された概念
    6.1 専門的用語の説明
    6.2 ゲームの要素
    6.3 情報と既知性
    6.4 既知性、推移性とシグナリング
    7 ゲームの完全な概念
    7.1 各手番の特徴の多様性
    7.2 一般的な記述
    8 集合と分割
    8.1 ゲームの集合論的な記述の望ましさ
    8.2 集合とその性質およびその図による説明
    8.3 分割とその性質およびその図による説明
    8.4 集合と分割の記号論理学的な説明
    9 ゲームの集合論的な記述
    9.1 ゲームを表す分割
    9.2 分割とその性質の議論
    10 公理論的な定式化
    10.1 公理とその説明
    10.2 公理の記号論理学的な議論
    10.3 公理に関する一般的注意
    10.4 図による表示
    11 戦略とゲームの記述の最終的な簡単化
    11.1 戦略の概念とその定式化
    11.2 ゲームの記述の最終的な簡単化
    11.3 簡単化されたゲームにおける戦略の役割
    11.4 ゼロ和制限の意味
    第3章 ゼロ和2人ゲーム:理論
    12 序論
    12.1 一般的な視点
    12.2 1人ゲーム
    12.3 偶然と確率
    12.4 次の目的
    13 関数解析
    13.1 基本的定義
    13.2 最大、最小の演算
    13.3 交換問題
    13.4 混合した場合、鞍点
    13.5 主要な事柄の証明
    14 厳密に決定されたゲーム
    14.1 問題の定式化
    14.2 劣関数ゲームと優関数ゲーム
    14.3 補助的なゲームの議論
    14.4 結論
    14.5 厳密な決定の分析
    14.6 プレイヤーの取り替え、対称性
    14.7 厳密には決定されないゲーム
    14.8 厳密な決定のくわしい分析のプログラム
    15 完全情報をもつゲーム
    15.1 目的の記述、帰納法
    15.2 正確な状態(第1のステップ)
    15.3 正確な条件(完全な帰納法)
    15.4 機能的ステップの正確な議論
    15.5 機能的ステップの正確な議論(続き)
    15.6 完全情報の場合の結果
    15.7 チェスへの応用
    15.8 代替的な言葉による議論
    16 線形性と凸性
    16.1 幾何学的な背景
    16.2 ベクトル演算
    16.3 支持超平面の定理
    16.4 行列に関する代替的な定理
    17 混合戦略、すべてのゲームの解
    17.1 2つの基本例についての議論
    17.2 この観点の一般か化
    17.3 個々のプレイに適用された場合のこの方法の正当性
    17.4 劣関数ゲームと優関数ゲーム(混合戦略に関して)
    17.5 一般的な厳密な決定
    17.6 主要定理の証明
    17.7 純戦略と混合戦略による取り扱いの比較
    17.8 一般的な厳密な決定の分析
    17.9 良い戦略のさらに深い特性
    17.10 失敗とその結果、不変最適性
    17.11 プレイヤーの取り替え、対称性
    第4章 ゼロ和2人ゲーム:例
    18 いくつかの基本的なゲーム
    18.1 最も簡単なゲーム
    18.2 これらのゲームの詳細な数量的な議論
    18.3 性質上の特徴
    18.4 いくつかの個々のゲームの議論(コイン合わせの一般形)
    18.5 いくつかのやや複雑なゲーム議論
    18.6 偶然と不完全情報
    18.7 以上の結果の説明
    19 ポーカーとハッタリ
    19.1 ポーカーの説明
    19.2 ハッタリ
    19.3 ポーカーの説明(続き)
    19.4 ルールの正確な定式化
    19.5 戦略の説明
    19.6 問題の記述
    19.7 離散的問題から連続的問題への移行
    19.8 解の数学的な決定
    19.9 解のくわしい分析
    19.10 解の説明
    19.11 ポーカーの一般的な形
    19.12 離散的な手札
    19.13 m通りのビッドが可能な場合
    19.14 代替的なビッド
    19.15 すべての解が数学的な表現
    19.16 解の解釈、結論
    第5章 ゼロ和3人ゲーム
    20 予備的な解説
    20.1 一般的な観点
    20.2 提携
    21 3人の単純多数決ゲーム
    21.1 ゲームの記述
    21.2 ゲームの分析:「協定」の必要性
    21.3 ゲームの分析:提携、対称性の役割
    22 さらに詳しい例
    22.1 非対称的な分配、補償の必要性
    22.2 強さの異なる提携、議論
    22.3 不等式、公式
    23 一般的な場合
    23.1 徹底的な議論、非本質的ゲームと本質的ゲーム
    23.2 完全な公式
    24 反論についての議論
    24.1 完全情報の場合とその意義
    24.2 詳細な議論
    第6章 一般理論の定式化:ゼロ和n人ゲーム
    25 特性関数
    25.1 動機と定義
    25.2 概念の議論
    25.3 基本的な性質
    25.4 直接的な数学的結果
    26 与えられた特性関数をもつゲームの構築
    26.1 構築
    26.2 要約
    27 戦略上同等、非本質的ゲームと本質的ゲーム
    27.1 戦略上同等、節約形
    27.2 不等式、数量γ
    27.3 非本質性と本質性
    27.4 種々の基準、非加法的効用
    27.5 本質的な場合における不等式
    27.6 特性関数についてのベクトル演算
    28 群、対称性および公平
    28.1 置換、その群とゲームに対する影響
    28.2 対称性と公平
    29 ゼロ和3人ゲームの再考
    29.1 性質上の議論
    29.2 数量的な議論
    30 一般的な定義の正確な形
    30.1 定義
    30.2 議論と要約
    30.3 飽和の概念
    30.4 3つに直接的な目標
    31 第1の結果
    31.1 凸性、平坦性および支配に関するいくつかの基準
    31.2 すべての配分の体系、1要素からなる解
    31.3 戦略上同等に対応する同形
    32 本質的ゼロ和3人ゲームのすべての解の決定
    32.1 数学的問題の定式化、図による表現
    32.2 すべての解の決定
    33 結論
    33.1 解の多様性、差別とその意味
    33.2 静学と動学
    第7章 ゼロ和4人ゲーム
    34 予備的な概論
    34.1 一般的な観点
    34.2 本質的ゼロ和4人ゲームの形式
    34.3 プレイヤーの置換
    35 立方体Qのいくつかの特別な点についての議論
    35.1 頂点I(およびVVIVII
    35.2 頂点VIII(およびIIIIIIV)、3人ゲームと「ダミー」
    35.3 Qの内部に関してのいくつかの注意
    36 主対角線に関する議論
    36.1 頂点VIIIの近傍:発見的な議論
    36.2 頂点VIIIの近傍:厳密な議論
    36.3 対角線上の他の部分
    37 中心とその周辺
    37.1 中心の周囲の状況に関する最初の方向づけ
    37.2 2つの代替案と対称性の役割
    37.3 中心における最初の代替案
    37.4 中心における第2の代替案
    37.5 中心に2つの解の比較
    37.6 中心における非対称的な解
    38 中心の近傍の解と族
    38.1 中心における最初の代替案に属する解の変形
    38.2 厳密な議論
    38.3 解の解釈
    第8章 n≥5なる参加者の場合についてのいくつかの注意
    39 種々のクラスのゲームにおけるパラメーターの族
    39.1 n=3, 4の場合
    39.2 n≥3の場合のすべての状況
    40 対称5人ゲーム
    40.1 対称5人ゲームの定式化
    40.2 2つの極端な場合
    40.3 対称性5人ゲームと1, 2, 3-対称4人ゲームとの関連
    第9章 ゲームの合成と分解
    41 合成と分解
    41.1 すべての解が決定されうるn人ゲームの探求
    41.2 第1のタイプ、合成と分類
    41.3 厳密な定義
    41.4 分解の分析
    41.5 修正の望ましさ
    42 理論と修正
    42.1 ゼロ和条件の一部放棄
    42.2 戦略上同等、定和ゲーム
    42.3 新理論における特性関数
    42.4 新理論における配分、支配、解
    42.5 新理論における本質性、非本質性、分解可能性
    43 分解分割
    43.1 分離集合、成分
    43.2 すべての分離集合の体系の特徴、分解分割
    43.3 すべての分離集合の体系の特徴、分解分割
    43.4 分解分割の性質
    44 分解可能なゲーム、理論のより一層な拡張
    44.1 (分解可能な)ゲームの解とその成分の解
    44.2 配分および配分の集合の合成と分解
    44.3 解の合成と分解、主要な可能性と推測
    44.4 理論の拡張、外部的要因
    44.5 超過量
    44.6 超過量に対する制約、新しい構成におけるゲームの非孤立的配分
    44.7 新しい装置E (e_0)F (e_0)の議論
    45 超過量の限界、拡張された理論の構造
    45.1 超過量の下限
    45.2 超過量の上限、孤立的配分および完全孤立的配分
    45.3 2つの極限値Γ1、Γ2についての議論、その比率
    45.4 孤立的配分と種々の解、E (e_0)F (e_0)に関する定理
    45.5 定理の証明
    45.6 要約と結論
    46 分解可能なゲームにおけるすべての解の決定
    46.1 分解の基本的な性質
    46.2 分解とその解との関連
    46.3 続き1
    46.4 続き2
    46.5 F(e_0)における完全な結果
    46.6 E(e_0)における完全な結果
    46.7 結果の一部の図上
    46.8 説明:正常な範囲、種々の性質の遺伝性
    46.9 ダミー
    46.10 ゲームの埋め込み
    46.11 正常な範囲の重要性
    46.12 譲渡現象の最初の発生:n=6の場合
    47 新理論における本質的3人ゲーム
    47.1 本議論の必要性
    47.2 予備的考察
    47.3 6つの場合の議論、ケースI-III
    47.4 ケースIV:第1の部分
    47.5 ケースIV:第2の部分
    47.6 ケースV
    47.7 ケースVI
    47.8 結果の解釈:解における曲線(1次元の部分)
    47.9 続き:解における領域(2次元の部分)
    第10章 単純ゲーム
    48 勝利提携、敗北提携とこれらがおこるゲーム
    48.1 41.1の第2のタイプ、提携による決定
    48.2 勝利提携と敗北提携
    49 単純ゲームの特徴づけ
    49.1 勝利提携と敗北提携の一般的概念
    49.2 1要素集合の特別な場合
    49.3 実際のゲームにおけるWLの特徴づけ
    49.4 単純性の厳密な定義
    49.5 単純性のいくつかの基本的な性質
    49.6 単純ゲームとそのWL、最小勝利提携
    49.7 単純ゲームの解
    50 多数決ゲームとその主要な解
    50.1 単純ゲームの例:多数決ゲーム
    50.2 同質性
    50.3 解を形成する際の配分の概念のより直接的な使用
    50.4 直接的な接近方法の議論
    50.5 一般理論との関連、厳密な定式化
    50.6 結果の再定式化
    50.7 結果の解釈
    50.8 同質性多数決ゲームとの関連
    51 あらゆる単純ゲームを数え上げる方法
    51.1 予備的な注意
    51.2 飽和性による方法:Wによる数え上げ
    51.3 WからW^mへ移る理由:W^mを用いることの困難さ
    51.4 接近方法の変更、W^mを用いることの困難さ
    51.5 単純性と分解
    51.6 非本質性、単純性と合成、超過量の扱い
    51.7 W^mによる分解可能性の規準
    52 小さなnに関する単純ゲーム
    52.1 計画:n=1, 2は何の役割も果たさない、n=3の取り扱い
    52.2 n≥4の場合の分析:2要素集合とそのW^mの分類における役割
    52.3 Cの場合の分解可能性
    52.4 [1,..., 1, l-2]の以外のダミーをもつ単純ゲーム
    52.5 n=4, 5の処理
    53 n≥6の場合の単純ゲームの新しい可能性
    53.1 n<6の場合にみられた規則性
    53.2 6つの主要な反例(n=6, 7の場合)
    54 適当なゲームにおけるすべての解の決定
    54.1 単純ゲームにおいて主要解以外の解を考える理由
    54.2 すべての解が知られているゲームの列挙
    54.3 単純ゲーム[1, ..., 1, n-2]を考える理由
    55 単純ゲーム
    55.1 予備的な注意
    55.2 支配、主要プレイヤー、ケースIとII
    55.3 ケースIの処理
    55.4 ケースII:Vの決定
    55.5 ケースII:Vの決定
    55.6 ケースII:AS
    55.7 ケースII'とII"、ケースII'の処理
    55.8 ケースII":AとV'、支配
    55.9 ケースII":V'の決定
    55.10 ケースII"の処理
    55.11 完全な結果の定式化
    55.12 結果の解釈
    第11章 一般非ゼロ和ゲーム
    56 理論の拡張
    56.1 問題の定式化
    56.2 仮想プレイヤー、ゼロ和拡張Γ
    56.3 Γの特質に関する問題
    56.4 Γの使用の限界
    56.5 2つの可能な方法
    56.6 差別解
    56.7 代替的な可能性
    56.8 新しい構成
    56.9 Γがゼロ和ゲームである場合の再考
    56.10 支配の概念の分析
    56.11 厳密な議論
    56.12 解の新しい定義
    57 特性関数と関連した問題
    57.1 特性関数:拡張された形と制限された形
    57.2 基本的性質
    57.3 すべての特性関数の決定
    57.4 プレイヤーの除去可能集合
    57.5 戦略上同等、ゼロ和ゲームと定和ゲーム
    58 特性関数の解釈
    58.1 定義についての分析
    58.2 利得を得る望み対損失に課す望み
    58.3 議論
    59 一般的な考察
    59.1 これからの議論の進め方について
    59.2 縮約形、不等式
    59.3 種々の話題
    60 n≤3なるあらゆる一般ゲームの解
    60.1 n=1のケース
    60.2 n=2のケース
    60.3 n=3のケース
    60.4 ゼロ和ゲームとの比較
    61 n=1, 2の結果の経済学的解釈
    61.1 n=1のケース
    61.2 n=2のケース、2人市場
    61.3 2人市場の議論とその特性関数
    61.4 58の立場の正当性
    61.5 分割可能性、「限界 ペア」
    61.6 価格、議論
    62 n=3の結果の経済学的解釈:特殊なケース
    62.1 n=3のケース、3人市場
    62.2 予備的な議論
    62.3 解:第1のケース
    62.4 解:一般形
    62.5 結果の代数的な形
    62.6 議論
    63 n=3の結果の経済学的解釈:一般のケース
    63.1 分割可能財
    63.2 不等式の分析
    63.3 予備的な議論
    63.4 解
    63.5 結果の代数的な形
    63.6 議論
    64 一般の市場
    64.1 問題の定式化
    64.2 いくつかの特別な性質、売り手独占と買い手独占
    第12章 支配および解の概念の拡張
    65 拡張、特別な場合
    65.1 問題の定式化
    65.2 一般的な注意
    65.3 順序、推移性、非循環性
    65.4 解:対称的関係について、全循環性
    65.5 解:半順序について
    65.6 非循環性と狭義の非循環性
    65.7 解:非循環的関係について
    65.8 解の一意性、非循環性と狭義の非循環性
    65.9 ゲームに対する応用:離散性と連続性
    66 効用の概念の一般化
    66.1 一般化、理論的取り扱いの2つの側面
    66.2 第1の側面についての議論
    66.3 第2の側面についての議論
    66.4 2つの側面を統合する希望
    67 例についての議論
    67.1 例の記述
    67.2 解とその解釈
    67.3 一般化:異種の離散的効用尺度
    67.4 交渉に関する結論
    付録
    A.1 問題の定式化
    A.2 公理からの誘導
    A.3 結びとしての注意
  34. ^ ミルグロムは1995年マーケットデザインに関するコンサルティング会社Market Design Inc.を設立しており、マーケットデザインという分野の名前もこの企業名に由来する[254]
  35. ^ 例えば、不確実性が大きな場合に前頭葉最下部の眼窩前頭皮質扁桃体前頭前皮質などの主に大脳辺縁系が活性化することが確認されている[259]
  36. ^ なお、二階堂副包1956年にアローやマッケンジーらとは独立に一般均衡の存在定理を証明している[263]
  37. ^ なお、1979年岩波文庫から出版されたジンメルの『社会学の根本問題』(1917年)の清水幾太郎訳では: Gesellschaftsspieleが「社会的遊戯」と訳されている[270]
  38. ^ 鈴木によって提出された「社会工学私見」は鈴木 2007に全文が掲載されている。鈴木は、(1)社会と科学技術との関連についての哲学的歴史的基礎に関する人文社会部門、(2)意思決定論や経営工学・経済工学などを含む社会組織工学部門、(3)都市計画や環境政策などを扱う社会工学部門、(4)統計学やコンピュータ科学を扱う情報工学部門を統括する社会工学部の設立を提案している[274]
  39. ^ ただし、社会工学部の構想は実現せず、理学部に情報科学科、工学部に情報工学科、大学院にシステム科学専攻などが設立される形となった。鈴木はこのことについて、「多分時期が早すぎたのだろうと思います」と振り返っている[275]
  40. ^ これら講座の内容は『人間社会のゲーム理論』として1970年勁草書房より刊行されている。
  41. ^ ただし松島斉は金子によって東大にゲーム理論が持ち込まれたとする通説を否定している[278]。松島は1980年夏学期に小林孝雄教授の担当した「組織の経済学」という講義でゲーム理論が扱われており、それが東大にとって「今までにない画期的な内容」であったと先輩の神取道宏から聞いたと証言している。
  42. ^ ただし中村は鈴木の講義を履修しておらず、社会工学科に在学していた友人の林亜夫などから講義内容を聞いて、ゲーム理論に関心を持つようになった[279]
  43. ^ 過去には京都大学(2004年、2006年、2008年、2015年)、一橋大学(2005年、2007年、2009年、2013年)、九州大学(2010年)、名古屋大学(2011年)、静岡大学(2012年)、東京工業大学(2014年)、東京大学(2016年)で開催された[301]
  44. ^ 岡田1994年から6年間京都大学経済学部において担当していた授業「経営数学」では1学期に最適化理論を、2学期にゲーム理論を扱っており、本書はゲーム理論パートの講義ノートを書籍化したものである[320]2011年には同じく有斐閣より第2版が刊行されている[321]
  45. ^ 大まかな傾向としては、1980年代までは一般均衡理論を中心とした数理経済学者の受賞が全盛であったが、1990年代以降ではゲーム理論を始めとする学際的な新領域の開拓に貢献した経済学者の受賞が目立つようになっている[346]
  46. ^ ただし実際には、ゲーム理論家の間では1990年代以降、不完全観測: imperfect monitoring)下の繰り返しゲームの研究が精力的に行われている[300][370]
  47. ^ 引用文の和訳は以下の通りである。
    繰り返しの状況に関する最近の理論モデルの予測では、各個人は最適な均衡を形成するような混合戦略を外部から強制されることなく選択する。しかし、そのような戦略が選択されるためにはかなりの情報がプレイヤーに必要であるが、そのような状況が現実に観察されることは稀である。
  48. ^ 鼎談の収録日は2015年6月15日[373]。引用部分に続いて岩井アダム・スミスらが肯定的に論じた分業が「知識の分業」にまで拡大している現状に対して「情報の非対称性」や「専門家倫理」という観点から警鐘を鳴らしている[372]

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外国語文献(アルファベット順)

外部リンク

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