「リニアクイン」の版間の差分

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'''リニアクイン'''は[[日本]]の[[競走馬]]。[[1977年]]の[[優駿牝馬]](オークス)優勝馬である。[[松田幸春]]が1戦をのぞき[[騎手]]担った。
'''リニアクイン'''(欧字名:{{Lang|en|Linear Queen}}、[[1974年]][[4月8日]] - [[1993年]][[4月7日]])は[[日本]]の[[競走馬]]、[[繁殖牝馬]]<ref name="jbis" />。[[1977年]]の[[優駿牝馬]](オークス)を制した。


祖母(2代母)・[[トキノキロク]]と高祖母(4代母)・[[ブランドソール]](繁殖名ゴールドウエツデイング)も[[中央競馬クラシック三冠|クラシック]]ホース([[桜花賞]]馬)である。祖母トキノキロク、母エンタープライズII<ref group="注釈">1964年生まれのライジングフレーム産駒にエンタープライズという馬がいるため、血統表上では「II」を付けて区別する。1964年生まれのエンタープライズの子孫にはカネトシシェーバーなどがいる。</ref>と本馬は同厩舎同馬主である。


== 生涯 ==
* [[馬齢]]は日本で2000年以前に使用されていた旧表記([[数え年]])で記述する。


== 来歴 ==
=== 誕生の経緯 ===
1960年[[桜花賞]]優勝の[[トキノキロク]]に、[[ゲイタイム]]が配合されて生まれた牝馬のエンタープライズは、[[松田由太郎]]厩舎に所属し、23戦5勝<ref group="注釈">うち障害競走2勝。</ref>を挙げた<ref name=":0">{{Cite web|title=エンタープライズII|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000016248/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-06-23}}</ref>。競走馬引退後は、北海道浦河町の村下牧場で繁殖牝馬となり、トキノキロクとその母であるマルタツと同様に、桶谷辰造が[[仔分け]]で所有した<ref name=":1">『優駿』1990年9月号 41頁</ref>。初年度には父タマナーの牝馬を生産したのち、2年目にはアイルランド産の輸入種牡馬ハードリドンを配合された。1974年4月8日、村下牧場で鹿毛の牝馬(後のリニアクイン)が誕生<ref name=":1" />。
=== 競走馬時代 ===
デビューは4歳に入ってからであり、[[1977年]][[1月5日]]の[[京都競馬場|京都]]で新馬勝ちを飾った。続く[[2月6日]]のクロッカス賞(京都)は2着であったが、[[2月27日]]のつくし賞([[阪神競馬場|阪神]])を勝ち、次走は[[桜花賞]](阪神)となった。


なおリニアクインのエンタープライズは、同じ「エンタープライズ」という名の牝馬(1964年生<ref>{{Cite web|title=エンタープライズ|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000012323/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-06-23}}</ref><ref group="注釈">カネトシシェーバーの祖母(3代母)として知られる。</ref>)が存在するため、血統において1966年生の本馬を「'''エンタープライズII'''」と表記している<ref name=":0" />。
4月10日の桜花賞は、[[フィリーズレビュー|阪神4歳牝馬特別]]を含めて4連勝を果たしたダイワテスコが[[出走取消]]となった事から、2戦目の新馬戦と若葉賞を圧勝した[[インターグロリア]]が、テン乗りながらも[[福永洋一]]を鞍上に据えた事もあって1番人気に支持された。ダイワテスコが勝った阪神4歳牝馬特別で1番人気(4着)に支持されていたファインニッセイが2番人気であったが、混戦模様漂う一戦となり8番人気でしかなかったリニアクインにもチャンスがあった。結果は、インターグロリアが人気に応え、3馬身差の2着にはファインニッセイが入って人気通りの決着となったが、ファインニッセイから1馬身4分の1差の3着に入った。


=== 幼駒時代 ===
もっとも、ここまではまだリニアクインの評価はあまり高くなかった。しかし、4月29日開催の4歳中距離ステークス([[東京競馬場|東京]])において、2着のマルポエントに7馬身の差をつけて圧勝。このレースには、当年の[[東京優駿|ダービー]]出走権をかけていた馬たちも出走していた事から、当馬の評価は一気に高まった。しかも、桜花賞馬のインターグロリアが東京で行われた[[5月1日]]の[[フローラステークス|4歳牝馬特別]](以下、4歳牝特)で9着と大敗した事もあり、[[5月22日]]の[[優駿牝馬|オークス]]では1番人気に推され、4歳牝特2着の[[アイノクレスピン]]が2番人気、4歳牝特勝ち馬の[[メイワロック]]が3番人気となった。
鹿毛の牝馬は、牧場では「'''誉泉'''」という幼名が附された<ref name=":2">『優駿』1990年9月号 42頁</ref>。誉泉は生後半年で離乳し、牧場分場で育成が施された。2歳9月から脚腰の強化できる砂馬場で運動が行われた<ref name=":2" />。横尾一彦によれば走りぶりは、大跳びで「男馬」のようだったという<ref name=":2" />。11月には三重県四日市市の育成牧場で調教された<ref name=":2" />。


祖母トキノキロクと母エンタープライズや、同じハードリドン産駒である[[ロングエース]]、[[ロングホーク]]を管理した松田が誉泉を管理することとなった<ref name=":1" />。「'''リニアクイン'''」と名を改められた後、3歳となってすぐに栗東トレーニングセンターの松田厩舎に入厩した<ref name=":2" />。
レースは、道中待機策から直線半ば辺りからスパートをかけると、後続を突き放す展開となり、アイノクレスピンに3馬身の差を付け、2分28秒1のオークスレコードで圧勝。3着にはメイワロックが入ったが、インターグロリアは馬群に揉まれたまま14着と大敗した。


松田による調教が進んだ3月初旬に、松田は村下牧場に電話し「リニアクインは相当期待できますよ。じっくり仕上げれば、かなりいいところまで行くでしょう。桜花賞はだめでもオークスは狙えます<ref name=":2" />」と連絡していた。
当馬が勝ったオークスにおける走破タイムは、当年のダービー馬[[ラッキールーラ]]の勝ちタイム2分28秒7を上回るものであり、この事に鑑み一部の競馬マスコミから、『今年は牝馬のほうが牡馬よりも強い。リニアクインはダービーに出た方が良かったかもしれない。』という論調の記事が掲載された。


=== 競走馬時代 ===
そして、[[10月2日]]の[[神戸新聞杯]]ではアイノクレスピンが1番人気で、当馬が2番人気という人気となった。結果もアイノクレスピンが半馬身差を抑えて1着。当馬が2着に入り、牝馬のワンツーフィニッシュを決めた。
4歳となった[[1977年]][[1月5日]]、[[京都競馬場]]の[[新馬|新馬戦]](芝1400メートル)に[[松田幸春]]が騎乗してデビュー、3番人気での出走となった。第3コーナーで先頭となり、そのまま先頭で入線して初勝利を挙げた<ref name=":3">『優駿』1990年9月号 43頁</ref>。続いて[[2月6日]]のクロッカス賞で2着に敗れたが、[[2月27日]]のつくし賞で好位から抜け出して勝利した<ref name=":3" />。続いて4月10日の[[桜花賞]]に出走した。


[[フィリーズレビュー|桜花賞では、4歳牝馬特別]]を含めて4連勝を果たしたダイワテスコが1番人気と目され単枠指定に選ばれた。しかし、直前になって脚部不安により[[出走取消]]となった。代わって2戦目の新馬戦と若菜賞と連勝した[[インターグロリア]]が1番人気に推された。対してリニアクインは「惑星」(横尾一彦)という評価で8番人気に留まった<ref name=":3" />。リニアクインは7,8番手から進んだが、最終コーナーで不利を受けて3着<ref name=":3" />。勝利したインターグロリアから3馬身4分の1離された敗退であった。
その後、当馬は[[10月30日]]の[[京都牝馬ステークス|京都牝馬特別]](京都)に出走したが、[[リネンジョオー]]の5着に敗れた。[[11月20日]]の[[エリザベス女王杯]](京都)は、3連勝中で前走のオープン(京都)で5馬身差の圧勝劇を演じたアイノクレスピンが断然の1番人気。2番人気に当馬、3番人気にインターグロリアが続いた。道中はアイノクレスピンをマークする形でレースを進めたが、アイノクレスピンは4角で一杯となり、第3 - 第4コーナーの坂の下りを利しながら早め勝負に持ち込んだ鞍上福永洋一の作戦もあったインターグロリアが先頭に立った。直線に入ってインターグロリアを追い詰めたものの、<ref group="注釈">実況を担当していた[[杉本清]]は、『天才に、まんまとしてやられました!』と、レース後に言った。</ref>、半馬身差及ばず2着となった。


続いて、[[優駿牝馬]](オークス)のトライアル競走である[[サンケイスポーツ賞4歳牝馬特別]]ではなく、東京競馬場の4歳中距離ステークスに出走。スタートでは後方だったが次第に好位にとりつき、直線コースで後方に7馬身差をつけて優勝した<ref name=":3" />。騎乗した松田は「走破タイム<ref group="注釈">翌週に行われた[[NHK杯 (競馬)|NHK杯]]は、東京優駿のトライアル競走であり、サンケイスポーツ賞4歳牝馬特別と同じ距離であった。そのNHK杯を優勝したプレストウコウの走破タイムは、リニアクインよりも0.7秒遅かった。</ref>、レース内容とも満足な一戦です。キャリアは浅いが、その分日増しに成長している感じです。オークスになればもっと力がつくでしょうし、力が入りますね<ref name=":3" />」と振り返っている。
その後、[[12月18日]]の[[阪神牝馬ステークス|阪神牝馬特別]](阪神)に出走<ref group="注釈">このレースのみ、[[河内洋]]が騎乗。</ref>。インターグロリア(1着)、スリーファイヤー(2着)と大接戦を演じ3着に入った。


[[5月22日]]の優駿牝馬(オークス)に出走。リニアクインが見送ったサンケイスポーツ賞4歳牝馬特別にて、インターグロリアが9着に敗退し評価が減退したこともあり、代わってリニアクインが1番人気に推された<ref name=":3" />。スタートから中団馬群に待機し、ペースは平均的であった。第3コーナーで加速して先頭に取り付き、単独先頭で直線コースに入った<ref name=":3" />。内から2番人気のアイノクレスピンが伸びてきたものの坂を登ると失速し、リニアクインが差を広げ、アイノクレスピンに3馬身離して優勝した<ref name=":3" />。栗東トレーニングセンター所属の関西馬は、1970年の[[ジュピック]]以来7年振りの優勝となり、騎乗した松田は、デビュー9年目でクラシック競走初勝利となった<ref name=":3" />。走破タイムは優駿牝馬レコードタイムとなる2分28秒1であった。翌週に行われた東京優駿(日本ダービー)の決着タイム2分28秒7を上回るものであり、連闘して東京優駿に参戦すればクリフジやヒサトモに続く牝馬3頭目の優勝も十分考えられたという<ref group="注釈">同期の牡馬勢は、筆頭の[[マルゼンスキー]]が[[持込馬]]でクラシック出走資格を有していなかったため、混戦となっていた。</ref><ref name=":3" />。しかし、東京優駿には登録されず、栗東トレーニングセンターで夏休みに入った。一部[[菊花賞]]への出走を期待する声も上がったが、出走することはなかった<ref name=":4">『優駿』1990年9月号 44頁</ref>。
明けて5歳に入り、[[1978年]][[1月5日]]の[[京都金杯|金杯]](京都)に出走。並みいる牡馬を抑えて堂々1番人気に支持され、ダイフクジュに半馬身の差を付けて人気に応えた。[[2月19日]]の[[京都記念]]でも[[ホクトボーイ]]・[[エリモジョージ]]の2頭の[[天皇賞]]馬に次ぐ3番人気に支持されたが、大した見せ場を作れずエリモジョージの5着に終わった。その後、繋靭帯炎発症が判明し長期休養に入ったが、復帰する事無く引退。結局、京都記念が現役最後のレースとなった。


秋は、[[10月2日]]の[[神戸新聞杯]]、10月30日の[[京都牝馬特別]]を[[エリザベス女王杯]]の前哨戦として選択し、共に敗戦<ref name=":4" />。2レースをたたき台にして臨んだ[[11月20日]]のエリザベス女王杯では、アイノクレスピンに次ぐ2番人気に推された。第3コーナーで他の馬との接触する不利を受けて、一番外から追い上げる羽目になった<ref name=":4" />。好位から抜け出したインターグロリアに半馬身及ばず、2着に敗退した<ref name=":4" />。続く[[阪神牝馬特別]]でもインターグロリアに及ばず3着。明けて5歳に入り、[[1978年]][[1月5日]]の[[金杯(西)]]に1番人気に支持されて出走し、直線内から抜け出して、ダイフクジュに半馬身差で勝利、優駿牝馬以来の勝利を果たした<ref name=":4" />。
=== 引退後 ===

引退後は生まれ故郷で[[繁殖牝馬]]となった。仔出しは悪くなかったが、産駒で中央勝ちは1頭と成績的には厳しかった。誕生日を前日に控えた[[1993年]][[4月7日]]、出産直後に動脈瘤破裂のため急死した。[[ファミリーライン|牝系]]子孫にも目立った活躍馬は出ないまま、途絶えてしまった。
続く[[2月19日]]の[[京都記念]]は、[[ホクトボーイ]]、[[エリモジョージ]]の2頭の[[天皇賞]]優勝馬に次ぐ3番人気に支持されたが、5着に終わった。レース直後に、[[繋靭帯炎]]を発症、陣営は引退させず復帰を模索し、村下牧場で治癒が図られた<ref name=":4" />。1979年夏には良化して、栗東トレーニングセンターに戻ることができた。しかし、再び繋靭帯炎が再発。[[高知県]][[桂浜]]に移動して、治癒を試みたが完治することなく、1980年3月に競走馬を引退することが決定した<ref name=":4" />。

=== 繁殖牝馬時代 ===
引退後は生まれ故郷の村下牧場で[[繁殖牝馬]]となった。仔出しは悪くなかったが、産駒で中央勝ちは1頭と成績的には厳しかった。誕生日を前日に控えた[[1993年]][[4月7日]]、出産直後に動脈瘤破裂のため急死した。[[ファミリーライン|牝系]]子孫にも目立った活躍馬は出ないまま、途絶えてしまった。

== 競走成績 ==
以下の内容は、[[netkeiba.com]]<ref>{{Cite web|title=リニアクインの競走成績 {{!}} 競走馬データ|url=https://db.netkeiba.com/horse/1974105587/|website=netkeiba.com|accessdate=2021-06-23|language=ja}}</ref>およびJBISサーチ<ref>{{Cite web|title=競走成績:年度別累計成績/主な成績|リニアクイン|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000071448/record/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-06-23}}</ref>の情報に基づく。
{| style="border-collapse: collapse; font-size: 90%; text-align: center; white-space: nowrap;"
!競走日
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!1着馬(2着馬)
|-
|[[1977年|1977]].{{0}}[[1月5日|1.{{0}}5]]
|[[京都競馬場|京都]]
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|
|芝1400m(良)
|15
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|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[2月6日|2.{{0}}6]]
|京都
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|{{Color|darkblue|{{0}}2着}}
|{{0}}1:24.8
|{{0}}松田幸春
|52
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|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[2月27日|2.27]]
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|-
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|
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|{{Color|darkgreen|{{0}}3着}}
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|-
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|6下
|芝2000m(良)
|8
|8
|8
|{{00}}3.5(1人)
|{{Color|darkred|{{0}}1着}}
|{{0}}2:02.2
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|-
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|
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|{{Color|darkred|{{0}}1着}}
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|-
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|阪神
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|
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|10
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|-
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|[[京都牝馬特別]]
|
|芝1600m(良)
|10
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|
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|
|芝2000m(良)
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|[[京都記念]]
|
|芝2400m(良)
|7
|4
|4
|{{00}}5.1(3人)
|{{0}}5着
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|{{0}}松田幸春
|57
|[[エリモジョージ]]
|}

* 表中'''太字強調'''は、[[八大競走]]を示す。


== 血統表 ==
== 血統表 ==
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=== 注釈 ===
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
{{Notelist}}

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=== 出典 ===
=== 出典 ===
{{Reflist}}
{{Reflist}}

-->
== 参考文献 ==

* 『[[優駿]]』([[日本中央競馬会]])
** 1990年9月号
*** 横尾一彦「【サラブレッド・ヒーロー列伝 53】女最強時代の女王 リニアクイン」


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==

2021年6月24日 (木) 21:47時点における版

リニアクイン
欧字表記 Linear Queen[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 鹿毛[1]
生誕 1974年4月8日[1]
死没 1993年4月7日(20歳没)
ハードリドン[1]
エンタープライズII[1]
母の父 ゲイタイム[1]
生国 日本の旗 日本北海道浦河町[1]
生産者 村下牧場[1]
馬主 桶谷辰造[1]
調教師 松田由太郎[1]栗東
競走成績
生涯成績 12戦5勝[1]
獲得賞金 1億2188万3000円[1]
勝ち鞍
オープン 優駿牝馬 1977年
オープン 金杯(西) 1978年
テンプレートを表示

リニアクイン(欧字名:Linear Queen1974年4月8日 - 1993年4月7日)は日本競走馬繁殖牝馬[1]1977年優駿牝馬(オークス)を制した。


生涯

誕生の経緯

1960年桜花賞優勝のトキノキロクに、ゲイタイムが配合されて生まれた牝馬のエンタープライズは、松田由太郎厩舎に所属し、23戦5勝[注釈 1]を挙げた[2]。競走馬引退後は、北海道浦河町の村下牧場で繁殖牝馬となり、トキノキロクとその母であるマルタツと同様に、桶谷辰造が仔分けで所有した[3]。初年度には父タマナーの牝馬を生産したのち、2年目にはアイルランド産の輸入種牡馬ハードリドンを配合された。1974年4月8日、村下牧場で鹿毛の牝馬(後のリニアクイン)が誕生[3]

なおリニアクインのエンタープライズは、同じ「エンタープライズ」という名の牝馬(1964年生[4][注釈 2])が存在するため、血統において1966年生の本馬を「エンタープライズII」と表記している[2]

幼駒時代

鹿毛の牝馬は、牧場では「誉泉」という幼名が附された[5]。誉泉は生後半年で離乳し、牧場分場で育成が施された。2歳9月から脚腰の強化できる砂馬場で運動が行われた[5]。横尾一彦によれば走りぶりは、大跳びで「男馬」のようだったという[5]。11月には三重県四日市市の育成牧場で調教された[5]

祖母トキノキロクと母エンタープライズや、同じハードリドン産駒であるロングエースロングホークを管理した松田が誉泉を管理することとなった[3]。「リニアクイン」と名を改められた後、3歳となってすぐに栗東トレーニングセンターの松田厩舎に入厩した[5]

松田による調教が進んだ3月初旬に、松田は村下牧場に電話し「リニアクインは相当期待できますよ。じっくり仕上げれば、かなりいいところまで行くでしょう。桜花賞はだめでもオークスは狙えます[5]」と連絡していた。

競走馬時代

4歳となった1977年1月5日京都競馬場新馬戦(芝1400メートル)に松田幸春が騎乗してデビュー、3番人気での出走となった。第3コーナーで先頭となり、そのまま先頭で入線して初勝利を挙げた[6]。続いて2月6日のクロッカス賞で2着に敗れたが、2月27日のつくし賞で好位から抜け出して勝利した[6]。続いて4月10日の桜花賞に出走した。

桜花賞では、4歳牝馬特別を含めて4連勝を果たしたダイワテスコが1番人気と目され単枠指定に選ばれた。しかし、直前になって脚部不安により出走取消となった。代わって2戦目の新馬戦と若菜賞と連勝したインターグロリアが1番人気に推された。対してリニアクインは「惑星」(横尾一彦)という評価で8番人気に留まった[6]。リニアクインは7,8番手から進んだが、最終コーナーで不利を受けて3着[6]。勝利したインターグロリアから3馬身4分の1離された敗退であった。

続いて、優駿牝馬(オークス)のトライアル競走であるサンケイスポーツ賞4歳牝馬特別ではなく、東京競馬場の4歳中距離ステークスに出走。スタートでは後方だったが次第に好位にとりつき、直線コースで後方に7馬身差をつけて優勝した[6]。騎乗した松田は「走破タイム[注釈 3]、レース内容とも満足な一戦です。キャリアは浅いが、その分日増しに成長している感じです。オークスになればもっと力がつくでしょうし、力が入りますね[6]」と振り返っている。

5月22日の優駿牝馬(オークス)に出走。リニアクインが見送ったサンケイスポーツ賞4歳牝馬特別にて、インターグロリアが9着に敗退し評価が減退したこともあり、代わってリニアクインが1番人気に推された[6]。スタートから中団馬群に待機し、ペースは平均的であった。第3コーナーで加速して先頭に取り付き、単独先頭で直線コースに入った[6]。内から2番人気のアイノクレスピンが伸びてきたものの坂を登ると失速し、リニアクインが差を広げ、アイノクレスピンに3馬身離して優勝した[6]。栗東トレーニングセンター所属の関西馬は、1970年のジュピック以来7年振りの優勝となり、騎乗した松田は、デビュー9年目でクラシック競走初勝利となった[6]。走破タイムは優駿牝馬レコードタイムとなる2分28秒1であった。翌週に行われた東京優駿(日本ダービー)の決着タイム2分28秒7を上回るものであり、連闘して東京優駿に参戦すればクリフジやヒサトモに続く牝馬3頭目の優勝も十分考えられたという[注釈 4][6]。しかし、東京優駿には登録されず、栗東トレーニングセンターで夏休みに入った。一部菊花賞への出走を期待する声も上がったが、出走することはなかった[7]

秋は、10月2日神戸新聞杯、10月30日の京都牝馬特別エリザベス女王杯の前哨戦として選択し、共に敗戦[7]。2レースをたたき台にして臨んだ11月20日のエリザベス女王杯では、アイノクレスピンに次ぐ2番人気に推された。第3コーナーで他の馬との接触する不利を受けて、一番外から追い上げる羽目になった[7]。好位から抜け出したインターグロリアに半馬身及ばず、2着に敗退した[7]。続く阪神牝馬特別でもインターグロリアに及ばず3着。明けて5歳に入り、1978年1月5日金杯(西)に1番人気に支持されて出走し、直線内から抜け出して、ダイフクジュに半馬身差で勝利、優駿牝馬以来の勝利を果たした[7]

続く2月19日京都記念は、ホクトボーイエリモジョージの2頭の天皇賞優勝馬に次ぐ3番人気に支持されたが、5着に終わった。レース直後に、繋靭帯炎を発症、陣営は引退させず復帰を模索し、村下牧場で治癒が図られた[7]。1979年夏には良化して、栗東トレーニングセンターに戻ることができた。しかし、再び繋靭帯炎が再発。高知県桂浜に移動して、治癒を試みたが完治することなく、1980年3月に競走馬を引退することが決定した[7]

繁殖牝馬時代

引退後は生まれ故郷の村下牧場で繁殖牝馬となった。仔出しは悪くなかったが、産駒で中央勝ちは1頭と成績的には厳しかった。誕生日を前日に控えた1993年4月7日、出産直後に動脈瘤破裂のため急死した。牝系子孫にも目立った活躍馬は出ないまま、途絶えてしまった。

競走成績

以下の内容は、netkeiba.com[8]およびJBISサーチ[9]の情報に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離

(馬場)

オッズ

(人気)

着順 タイム 騎手 斤量

[kg]

1着馬(2着馬)
1977.01.05 京都 4歳新馬 芝1400m(良) 15 4 6 006.7(3人) 01着 01:25.5 0松田幸春 52 (ゴールドマスター)
0000.02.06 京都 クロッカス賞 3下 芝1400m(良) 10 4 4 005.6(2人) 02着 01:24.8 0松田幸春 52 ファインソブリン
0000.02.27 阪神 つくし賞 3下 芝1600m(重) 10 6 6 002.2(1人) 01着 01:38.4 0松田幸春 52 (フォレストジンク)
0000.04.10 阪神 桜花賞 芝1600m(重) 21 4 10 020.0(8人) 03着 01:38.2 0松田幸春 55 インターグロリア
0000.04.29 東京 4歳中距離S 6下 芝2000m(良) 8 8 8 003.5(1人) 01着 02:02.2 0松田幸春 52 (マルポエント)
0000.05.22 東京 優駿牝馬 芝2400m(良) 26 3 8 --000(1人) 01着 R2:28.1 0松田幸春 55 (アイノクレスピン)
0000.10.02 阪神 神戸新聞杯 芝2000m(良) 10 8 10 004.3(2人) 02着 02:02.4 0松田幸春 54 アイノクレスピン
0000.10.30 京都 京都牝馬特別 芝1600m(良) 10 8 10 002.1(1人) 05着 01:35.2 0松田幸春 56 リネンジョオー
0000.11.20 京都 エリザベス女王杯 芝2400m(良) 9 7 7 003.4(2人) 02着 02:28.8 0松田幸春 55 インターグロリア
0000.12.18 阪神 阪神牝馬特別 芝2000m(良) 9 7 7 004.6(3人) 03着 02:02.1 0河内洋 57 インターグロリア
1978.01.05 京都 金杯(西) 芝2000m(良) 16 2 3 005.4(1人) 01着 02:04.0 0松田幸春 56 (ダイフクジュ)
0000.02.19 京都 京都記念 芝2400m(良) 7 4 4 005.1(3人) 05着 02:29.8 0松田幸春 57 エリモジョージ

血統表

リニアクイン血統ファリス系 / 5代内アウトブリード (血統表の出典)

*ハードリドン
Hard Ridden
1955 鹿毛 イギリス
父の父
Hard Sauce
1948 鹿毛 イギリス
Ardan Pharis
Adargatis
Saucy Bella Bellacose
Marmite
父の母
Toute Belle
1947 鹿毛 フランス
Admiral Drake Craig An Eran
Plucky Liege
Chatelaine Casterari
Yssel

エンタープライズII
1966 栗毛 日本
*ゲイタイム
Gay Time
1949 栗毛 イギリス
Rockefella Hyperion
Rockfel
Daring Miss Felicitation
Venturesome
母の母
トキノキロク
1957 黒鹿毛 日本
*ライジングフレーム
Rising Flame
The Phoenix
Admirable
マルタツ セントライト
ゴールドウエツデイング F-No.16-c


脚注

注釈

  1. ^ うち障害競走2勝。
  2. ^ カネトシシェーバーの祖母(3代母)として知られる。
  3. ^ 翌週に行われたNHK杯は、東京優駿のトライアル競走であり、サンケイスポーツ賞4歳牝馬特別と同じ距離であった。そのNHK杯を優勝したプレストウコウの走破タイムは、リニアクインよりも0.7秒遅かった。
  4. ^ 同期の牡馬勢は、筆頭のマルゼンスキー持込馬でクラシック出走資格を有していなかったため、混戦となっていた。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o リニアクイン|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年6月23日閲覧。
  2. ^ a b エンタープライズII|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年6月23日閲覧。
  3. ^ a b c 『優駿』1990年9月号 41頁
  4. ^ エンタープライズ|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年6月23日閲覧。
  5. ^ a b c d e f 『優駿』1990年9月号 42頁
  6. ^ a b c d e f g h i j k 『優駿』1990年9月号 43頁
  7. ^ a b c d e f g 『優駿』1990年9月号 44頁
  8. ^ リニアクインの競走成績 | 競走馬データ”. netkeiba.com. 2021年6月23日閲覧。
  9. ^ 競走成績:年度別累計成績/主な成績|リニアクイン|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年6月23日閲覧。

参考文献

  • 優駿』(日本中央競馬会
    • 1990年9月号
      • 横尾一彦「【サラブレッド・ヒーロー列伝 53】女最強時代の女王 リニアクイン」

外部リンク