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プロジェクト‐ノート:ユーザーボックス/ユーザーボックス作成指針の議論

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議論期間中の対応について[編集]

本筋の議論ではなくて申し訳ないのですが、このところユーザーボックス関連のカテゴリに対する削除依頼が多く見受けられます。 ユーザーボックス用カテゴリの基準については、現在このウィキプロジェクトにおいて議論中の内容であり、まだ指針は決まっていません。その状態で、削除依頼だけが先行し、その場の議論だけで結論を出して既成事実化していくと、ここでの議論が無駄になるように思います。

削除依頼をするぐらいなら、ここで堂々と思うところを述べていただき、議論に参加したうえで、一緒に合意を形成し、新しいガイドラインを策定することに協力いただければと思うのですが。

また「ユーザーボックス乱造問題」という言葉だけが独り歩きし、何でもかんでもユーザーボックス関連は削除、削除という風潮を生み出しているように見受けられます。削除依頼のコメントも、事情や経緯を考えずに、上記の風潮に乗っかってとにかく何でも削除みたいな勢いの人が多いように見受けられます。 まだいろんな考え方の人がいるわけですから、むやみに「ユーザーボックスやそのカテゴリは無駄」みたいな風潮が蔓延するのはどうかと思います。 カテゴリについては、元々のユーザーボックスのガイドライン

ユーザーボックスは、ボックスを表示するテンプレートと、そのボックス利用者を登録するカテゴリの2要素から構成されます。

とある通り、カテゴリー分けは前提として書かれています。 その状況で、「ユーザーを分類するカテゴリなど無用」という理由で削除を支持するというのは明らかに行き過ぎかと思います。少なくともまだ議論中である現時点においてはそうです。

そういった情報が、おそらくあまりWikipedia参加者全体に伝わっていない気がします。 そういうことを考えると、議論が決着するまでの間、既存のユーザーボックスやユーザーボックス用カテゴリーの削除依頼は凍結していただいたほうがよいのではないかと思うのです(今後新規に作成されるものについてはまた別の話になると思いますが)。 指針が決まってから、それに従って全体に均一に適用したほうがいいのではないでしょうか? みなさんはどう思われますか?--Horlicks -note 2007年7月25日 (水) 06:37 (UTC)[返信]

乱造問題は遅くとも2006年2月にはプロジェクトのノートに提起されています(→ Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト ユーザーボックス 過去ログ)。一年半近く経っても結論の出ないプロジェクトの意見を尊重せよ、削除依頼を止めよ、では説得力に欠けます。議論が無駄になるのを避けたいのであれば、むしろ主だった削除依頼が終了するのを待ち、その後でこちらの議論を進めるべきでしょう。プロジェクトで議論するか、削除依頼に諮るかは個人の自由です。現状でプロジェクトの合意待ちをあまり大きく叫ぶと、却って削除依頼偏重の潮流を後押ししそうな気がします。- NEON 2007年7月26日 (木) 03:03 (UTC)[返信]
議論が停滞している最大の原因は、議論参加者の不足、および議論の不活性にあると思っています。であるからこそ、個別の削除依頼には頻繁に顔を出し積極的に削除を支持する一部の方が、このウィキプロジェクトでの議論にはまったく参加していない、というような現状に疑問を感じています。
乱造を問題と感じているなら、またそれが切迫した深刻な問題だと思っているなら、積極的に議論に参加し、議論を盛り上げ、引っ張ることで解決を目指すのが普通ですし、それが筋だと思います。
逆に、ここまで結論が出なかったということ、またそこまで積極的に議論を盛り上げる人がいなかたっということは、そこまで乱造問題が深刻な切迫した問題だと思っている人がいない、ということを示しているようにも思います。
いずれにせよ、ここの議論には参加しないが、削除依頼には熱心、という人の考え方は、少なくとも私には理解できかねます。--Horlicks -note 2007年7月26日 (木) 10:31 (UTC)[返信]
私はプロジェクトよりも削除依頼を優先すべきと思っています。正直なところ「ウィキプロジェクト ユーザーボックス」は何の為に何を議論しているのか分かりません。百科事典の充実を考えれば、記事を執筆する、不要なものは削除依頼、という直接的な活動を優先する人が多いのは当然です。議論や合意は重要ですが、目的と手段との主従が逆転しすぎていると思います。- NEON 2007年7月26日 (木) 11:09 (UTC)[返信]

(インデント戻し)NEON さんのおっしゃるとおりだと思います。自分が「ウィキプロジェクト ユーザーボックス」で議論したいことは「削除依頼にかけられる時間の無駄をなくするにはどうすればよいか」という点でした(2007年1月18日 (木) 16:26 (UTC)の私の発言)。よって、以下の方針案は自分としては論外だと思っています。

  • 問題があると思われるユーザーボックスは削除依頼で対応すればよい。
    • 「削除依頼にかけられる時間の無駄をなくする」点で何の解決にもなっていない。
  • ユーザーボックス作成を許可制にする。
    • 「審査のため、他の人の時間を使う無駄」が新たに発生する。
  • 利用者名前空間のユーザーボックス作成には制限を設けない。
    • 乱造の舞台が利用者名前空間に移るだけ。削除依頼は減らない。

しかし、この後のぐだぐだな議論履歴を見ればわかるとおり、私と同じ考えをお持ちの方はおられないようです。誤った考えでしょうか?

ユーザーボックスは記事の執筆協力者を探すための仕組みだからこそ、記事に直接貢献しなくてもウィキペディア上で存在が許されています。しかし、現在は本来の仕組みが形骸化して、ただのバナーに成り下がってしまいました。

現状のウィキペディアはプロジェクトやポータルの充実により、執筆協力者を探すためにユーザーボックスを利用する意味が薄れています。よって、もうユーザーボックスは役目を終えたのかなと私は思い始めています。

ユーザーボックスの議論に参加される方はユーザーボックスがなぜウィキペディア上に存在するのかをよく考え、その上で、ユーザーボックスが今後どうなればよいかを考えていただきたいです。--excl-zoo (会話/履歴) 2007年7月28日 (土) 14:50 (UTC)[返信]

深くつっこんで話し合っていくと、結局のところ、根本的なWikipediaの思想や考え方の解釈の違い、というところにいきついてしまうのかな、という感想を持ちました。
自分とは違う考えの方もできる限り尊重し、きちんとお話を聞くべきだとは思っていますが、どうもこのユーザーボックスの議論については、理屈ではなく感情的に毛嫌いしているような感じの人も一部に見受けられ、冷静な議論が難しいような気もしています。
話を戻すと、たとえば端的にいうと「存在が許され」る、といった表現あたりに、考え方の違いを感じています。私はWikipediaにおいてはどちらかというと新参者の部類ですし、単に私だけが方針を理解できていない、と言われたら、もしかしたらそうなのかも知れないな、とも思いますが。
私は投票にも書いたように、基本的な考え方として、Wikipediaはだれか責任者が責任を持って編集しているスタイルではないので、何かを「許す」「許さない」という発想じたいが存在しない、というように認識しています(だから投票項目でも「許す」「許さない」という表現には違和感を感じたのです)。だって「許す」も「許さない」もよく考えてみたら、主語が存在しませんよね?
私はWikipediaは管理式のメディアではなく、不特定多数が編集に参加することにより情報の取捨選択、淘汰、修正に晒され続け、その結果として「概ね」正しい情報、よい情報、役に立つ情報が残っていく、ということに信頼を置いた、極端にいえば「放置式」のメディアだと思っています。だれでも編集可能なのだから、間違いがあってもいずれ正される、というように、緩い意味で内容の有用性を担保しているのだと理解してきました。
たとえて言うなら「シュレーディンガーの百科事典」で、ある瞬間、ある特定の版の情報を見ると、不正確であったり、問題がある場合もあるかも知れないが、長期的に見れば、確率的に「だいたい」まともな情報が載っている、ということだと思っています。そのために「だれもが編集できる、だれもが修正できる」という仕組みが大事なのだと思うのです。
その考えの延長で、「許す」「許さない」という概念を考えると、どうにもしっくりこないのです。だってWikipediaはだれでも編集できるのですから、「許さない」と言ってみたって、その許されないことは行われ得るのであって、禁止はできないのですよ。たとえば「事前の届出なしのユーザーボックスは認めない」という規約案がありますが、じゃあそれを定めたら届出なしのユーザーボックスは作られなくなるでしょうか?そんなことはないですね。数は減るかも知れませんし、削除する根拠は確保できるので、意味がないとは思いませんが、考え方として「許さない」とか「認めない」という考え方が果たして実現できるのか、という意味では、実現できないのだと思っています。
長々書きましたが、そういう意味で、われわれがすべきことは、不適切なものを修正したり削除したりするときに「これはなぜ不適切か」を言える根拠を作ることだ、と思うのです。そのための議論であり合意なのだと思っているのです。
無条件に同意してくれとは思っていませんし、求めませんが、こういう考え方なのだ、と理解だけしていただければ幸いです。--Horlicks -note 2007年7月28日 (土) 16:06 (UTC)[返信]
こんにちは。Maris stella alias Star of Sea と申します。さて、以上の意見を拝読させて戴きましたが、根本的な誤解があるように思えます。まず誤解しやすい点として、上での Horlicks さんが述べておられますが、「Wikipediaはだれでも編集できるのです」というのは間違いです。誰でも編集できるのではありません。限定が付いています。「ウィキペディアのルールや指針を守る方は、どなたでも編集に参加できます」というのが正確です。この「限定条件」があるとないとでは、まったく違ってきます。例えば、上で、述べておられますが:
私はWikipediaは管理式のメディアではなく、不特定多数が編集に参加することにより情報の取捨選択、淘汰、修正に晒され続け、その結果として「概ね」正しい情報、よい情報、役に立つ情報が残っていく、ということに信頼を置いた、極端にいえば「放置式」のメディアだと思っています。
この認識は「間違い」です。ウィキペディアは「限定管理式の自主ヴォランティアによるプロジェクト」です。「不特定多数が参加し自由勝手に編集することで、取捨選択や淘汰が起こり、正しい情報が残る」というようなシステムではありません。不特定多数ではなく、特定多数の参加は、プロジェクトが膨大で、必然的に多数の人の手が必要になるからで、ウィキペディアは「無政府主義の実験を行っている」のではありません。「不特定」を外すのは、IPユーザーであっても、先に述べた「ウィキペディアの基本ルール・方針を遵守してもらう」ということで、すでに「不特定」ではないのです。条件が付いているのです。
また、ウィキペディアが「放置式のメディア」だと、どういうことになるかを考えてみればすぐにわかるはずです。例えば「荒らし編集も誰でも行えるので、荒らしも歓迎します。荒らしがあると、真面目な人たちも、もっと立派なものを造って荒らしに対抗するという勇気が出てきて、エンカレッジされるので、荒らしの活動は大歓迎です」……こんな馬鹿な方針を我々は立てていません。「荒らし」は被害が大きくなれば、単純に「投稿ブロック依頼」を通じて、はっきりと言えば「排除」されます。「放置式」ではなく、「コミュニティの合意による管理式」なのです。ウィキペディアは「管理」が存在するということを理解されているでしょうか。管理者が管理しているのではなく、コミュニティの合意と、いま一つ、基本ルールや方針が管理の根拠となっています。ルールや方針に従って、コミュニティの合意で、管理を行うシステムがウィキペディアです。
たとえて言うなら「シュレーディンガーの百科事典」で、ある瞬間、ある特定の版の情報を見ると、不正確であったり、問題がある場合もあるかも知れないが、長期的に見れば、確率的に「だいたい」まともな情報が載っている
これも、根本的なところで間違っています。そんなことを言っているのは貴方の主観的な思い込みに過ぎないということです。ウィキペディアでは、そういう「シュレーディンガーの百科事典」とかナンセンスなものを指向していません。貴方は基本的な方針や指針が分かっておられないようですね。ウィキペディアの場合、記事の質や内容の正確さは、「検証可能性」と「信頼できる典拠・ソースに依拠する」という原則で、内容収束が目指されています。多数の人が、色々書いていると、そのうち正しいものができてくるとか、あるときは間違っているが、あるときは正しい状態になる、というようなことは、どこにそんな方針があるのでしょうか。「検証可能性」と「信頼できる出典」によって、記事の内容は必然的に、現在の学問や知識の水準を反映させた客観的なものへと収束してゆくのであり、また「このように収束させる」というのが基本方針です。「シュレーディンガーの百科事典」とか妄想に過ぎません。
以上に述べている通り、ウィキペディアというのは、貴方の考えているものとはかなりに異なったものです。「存在が許される」という表現は、ウィキペディアの基本方針を理解しているならば、容易に分かる言葉です。ウィキペディアは何でも自由にしてよい場所ではないのです。「好きなことをしたければ、自分でサーバーを設置するなり、サイトを造ってそこで好きなことを書き、好きなことをしてください」というのが、ウィキペディアでの普通に述べられる言葉です。要するに、基本方針に従って戴けない方は、ウィキペディアから出て行って、自分でサーバーを立ててでも好きなことをしてください、ということです。従って、基本方針に反することは、許可されません。考え方の違いではなく、ウィキペディアの基本方針を理解されていないだけです。ウィキペディアの基本方針を理解されていない方で、行動がウィキペディア・プロジェクトの進行の邪魔になる人は、ブロック依頼で排除されるか、Ban で追放されます。
基本方針は、ウィキペディアは百科事典を造るプロジェクトであって、このプロジェクトが準備するツールを使って、百科事典編纂に関係のないことをするのは許可されないのです。基本ルールや基本方針は何なのか、もっと理解を深めて戴くしかありません。また、基本方針が根本的に理解できていないように見える Horlicks さんが、公式なウィキプロジェクトで議論を誘導しているというのは、これ自体が問題なことです。自分流の解釈を述べるのではなく、もっとウィキペディアのルールや方針を学んで理解して戴かないと、ウィキプロジェクトという運営的な機能を持ったコミュニティに参加する資格がそもそもないというべきです。以上、いささか長いですが、基本ルールや方針とは何か、考えて戴ければ幸いです。
なお、わたしは、Maris stella ですが、Star of Sea は作業用別アカウントで、事情があって、このアカウントで以上のコメントを記させて戴きました。多数派偽装工作の為に、二つのアカウントを使っているのではありませんので、誤解ないようお願い致します。--Maris stella alias Star of Sea 2007年7月29日 (日) 12:23 (UTC)[返信]
私が書いたこととはかけ離れた内容に解釈されたうえでご意見を書かれているようです。たいへん申し訳ありませんが、現時点では話が噛み合っていないと思われます。それと、上からの視点でご意見を述べられるのは差し控えられたほうがよいと思いますよ。--Horlicks -note 2007年7月29日 (日) 13:34 (UTC)[返信]
少し説明不足の点もあると思いますので簡単に補足します。「許されない」「認めない」というルールを定めるのは、「これは認められないので」という根拠を示して削除なり修正なりができる、そういう指針、基準を定めることだ、と言っているわけです。しかし、それが「許されない」「認めない」という言い方をすることで、どこか「最初からそれをすることができなくできる」というように意味が歪んでいるように思うわけです。しかしそうではない。どこまで行ってもWikipediaはルール違反する者がおり、それを修正したり削除したりする、という繰り返しになることが宿命だろうと言っているのです。それを「削除や修正に手間がかかるからなんとか最初から違反が起きないようにしたい」(excl-zooさんのご意見はこれに少し近い部分があります)と言っても無理でしょう、と(だからといって「何でもあり、何でも好きにして」とは言ってないのは言うまでもありませんが)。ルールや方針は、それに反するものを削除したり修正する根拠になるものであって、ルールや方針があるからそれに反するものが始めからなくなるわけではない、ということです。そして、その次の段階の話として、ルールそのものについても意見の相違はあり得るので、議論や合意が必要なわけですが、それについてはここではまだ触れていません。確かにわかりにくい話ではあると思いますが、「ルール不要、好き勝手すればいいじゃないか」と言ってるかのように思われるのは、明らかに誤読です。--Horlicks -note 2007年7月29日 (日) 14:05 (UTC)[返信]

プロジェクトでの合意を作成の条件とする考え方[編集]

「C-4 個別のポータルやウィキプロジェクト等においてユーザーボックスの作成を提案し、合意を得ることを作成の条件とする。分野横断的なユーザーボックスに関しては「ウィキプロジェクト ユーザーボックス」で提案する」という案は、もともと私が、ユーザーボックス大好きの方々との妥協を意図して、スタブの例を参考に考えた案です。ですが本音を言えば適切な案であるとは考えていません。実態としてユーザーボックスの管理だけを目的とするプロジェクトを設置すれば、容易に抜け道となるからです。設置の検討はWikipedia:ウィキプロジェクト ユーザーボックスで一元的に行うべきと考えます。--Cave cattum 2007年7月31日 (火) 16:19 (UTC)[返信]

Template:User あいさつ同好会Template:User WikiProject Chemistryのようにプロジェクトの合意の下で利用されているユーザーボックスも数多くあります。スタブカテゴリ・テンプレートのようにポータル・プロジェクトを身元引受人にすればそれほど問題は起こらないのではないかと思いますし、そこまでして一元的に管理するメリットも思いつきません。「ユーザーボックスの管理だけを目的とするプロジェクト」に関してはまさにこのプロジェクトがそうですよね?目的が重複するポータルやプロジェクトを作ろうとしても拒否されるでしょうし、ユーザーボックスを作っただけで活動していないのであれば遠からず淘汰されるでしょう。これよりも「C-3 全てのユーザーボックスに関して「Wikipedia:ユーザーボックス」において告知することを作成の条件とする」のほうがよほど問題があると思います。合意を必要としない形だけの告知など何の歯止めにもなりません。--端くれの錬金術師 2007年7月31日 (火) 17:04 (UTC)[返信]
仕方ないのでありていに言いましょう。実態としてユーザーボックスの管理だけを目的に、抜け道として作られたウィキプロジェクトの例がWikipedia:ウィキプロジェクト 乗馬・馬術です。--Cave cattum 2007年7月31日 (火) 23:28 (UTC)[返信]
明確に否定し、抗議します。根拠なくそのようなことを言われるのは、特定個人に対する中傷に当たるものと判断せざるを得ません。撤回(または根拠の明示)を求めます。--Horlicks -note 2007年8月1日 (水) 01:41 (UTC)[返信]
Wikipedia:ウィキプロジェクト 乗馬・馬術の成果物って何かあるんでしょうか。ボックス管理が目的、と断言するのは問題があるでしょうが、Cave cattum氏と同じ見方をする人も少なくないと思います。で、抗議は良いとしても「中傷」は言い過ぎです。
プロジェクトはそもそも解決すべき問題や、それに対する活動がある程度蓄積されてから束ねるべき性質のものです。このようなユーザーボックスへの風当たりが強い時勢に、形(ユーザーボックスの作成)から入ったというプロジェクトの立ち上げ方に問題があるでしょう。上の文章もそうなのですが、Horlicks氏は様々な局面において、もう少し周囲の賛同を得やすい表現や段取りを選ぶべきではないかと思います。- NEON 2007年8月1日 (水) 08:48 (UTC)[返信]
評価や判断を下すのは事実関係をよく調べてからにしていただきたいと思っています。プロジェクトについては予告を行い、準備をし、告知をして参加者を募集し、今後の課題やテーマもきちんと挙げています。何らやましい意図もありませんし、目的の項目に挙げたことを願って立ち上げたものです。何一つとして基準に違反することもなく、問題とされるようなことはないはずです。そうではないとおっしゃるのであれば、それなりの根拠を挙げていただくのでなければ、単なる推測でしかありません。
個人の推測は自由だと思いますが、であれば「私の個人的な推測では~です」と書くべきであって、上記Cave cattumさんの発言のように断言するのは明らかに行き過ぎと思います。少なくとも、本人の見解を聞くわけでもなく、無断で断言することは、失礼な行為ではありませんか?もしNEONさんはじめ、みなさんがまったく同じことを自分がされたらどのように思われますか?この私の指摘は間違いでしょうか?間違いといわれるのなら、どこがどう間違いかを明確にお示しいただきたいです。
弁解がましいことを言うのは、本来私はあまり好きではありません。しかし、憶測や推測で、身に覚えのないことで、勝手に悪意に受け取られることは、非常に遺憾です。
私の意見に反論したり、行為を批判したいのであれば、それなりの材料、根拠、論理をきちんと示していただきたいです。私が過去にいろいろなところで行っている発言や議論を見れば、自分が明らかに誤ったとわかることについては、言い訳や弁解をせず、きちんと訂正、謝罪をしています。
先入観や思い込みで、必要以上に悪意を汲み取るようなことはどうかやめていただきたいです。--Horlicks -note 2007年8月1日 (水) 10:54 (UTC)[返信]
(追記)第一ですね、私にはそこまでする(わざわざユーザーボックスのためだけにウィキプロジェクトまで作る)理由はありませんよ。冷静に考えればわかることだと思いますが・・・。--Horlicks -note 2007年8月1日 (水) 11:26 (UTC)[返信]
Maris stella alias Star of Sea です。なるほど、そういう手段があったのですね。趣味のユーザーボックスやテンプレート、ウィキペディアン・カテゴリを正当化する目的をもって「ウィキプロジェクト」を立てるというのは、ウィキプロジェクトの趣旨にも反することでしょう。問題外なので、ユーザーボックス関係のテンプレート、ウィキペディアン・カテゴリを、ウィキプロジェクト、ポータルが支えるというのは、なしにしましょう。--Maris stella alias Star of Sea 2007年8月1日 (水) 06:57 (UTC)[返信]

指定指針[編集]

代わりにもっと具体性があり、現実的な指針を提案します。問題は、テンプレート、ウィキペディアン・カテゴリの二つで、オプションは、

  1. フルタイプ:Template + wikipedian-category が両方とも公的にOK。
  2. セミタイプ:Template のみOK。

以上の二つのオプションで、許容されるユーザーボックスは、「これらが許容される」と明文規定するのがよいと思います。明文規定された以外のUB(ユーザーボックスの略)を公式に認める手順は、現在の「ウィキプロジェクト:ユーザーボックス」ではなく、いま少しレベルの高い場所で判断を行うこととしましょう。基本方針を理解しない方が跳梁している場所で、そのような決定は行えないでしょう。

具体的には:

  • バベル言語UB:フルタイプ(実用目的で)
  • 方言UB:セミタイプ(親交目的で)
  • マシンのOS、ブラウザ種類UB:セミタイプ(またはこれは除外/ レイアウトの崩れとかを確認する目的で)??
  • mark-up 言語(xhtml, css等)の修得度(追加案)
  • programming 言語の習得度(追加案)

以上の三つの種類(+追加の二つの種類)で十分でしょう。何かこれに加えて必要と思うUBがあれば、提示して戴ければ幸いです(他にまだ、有用なUBが存在する可能性があります)。つまり、このUBが指針で承認したUBであるという形のガイドラインで十分でしょう。

以上の指針が決まれば、既存の UB Template、そして Wikipedian-category はすべて削除とする。
趣味や関心対象、その他は自己紹介で文章にするか、UBを template ではなく、手動で作成するか、または誰かが造ったものをコピーして張るというので十分でしょう。

何を許可して、何を許可しないか、そういう個別UBに対する基準・指針は作成が事実上、不可能と思えます。(なお、「造ってはならない」という指針を決めても、造る人は勝手に造るので無意味だとの主張が上にありますが、ウィキプロジェクトのガイドラインよりもレベルの高い公式ガイドラインとすれば、勝手に作成する人には「警告」が出され、警告が一定程度蓄積されると、ブロックで対応になると、上のわたしの文章は示唆しています。ウィキペディアは「放置式」ではなく「限定管理式」で、管理はルールや原則に基づき、ユーザー・コミュニティが合意で行うと述べています)。--Maris stella alias Star of Sea 2007年8月1日 (水) 06:57 (UTC)[返信]

Star of Sea さん、厳しい提案をありがとうございます。ウィキプロジェクト ユーザーボックスはユーザーボックスを作りたい人の集まりなので、こういう厳しい意見がなかなか出ません。「作成の自由」を主張することがユーザーボックスの首を絞めることだというのに気づかないのかといつも思います。提案、本当に感謝します。
提案を読んだ感想ですが、この案だったら、いっそのこと日本語版ウィキペディアではバベルのみを残して Template としてのユーザーボックスを作成禁止にしたほうがよいと思います。(もちろんプロジェクトも解散です。)実質ユーザーボックスの新規作成はできなくなりそうですし、残すユーザーボックスはバベルに統合でよいと思います。厳しい提案なのでコメント依頼等で賛否を採ればユーザーボックス反対派により、あっさり可決されるでしょう。
ただ、できれば、これから、私(私の他に提案する方がおられればその方)が提案せんとする案の賛否が出るまで待ってはいただけないでしょうか? 案が否決された場合や提案された案を 1 ~ 2 ヶ月実施しても状況が改善されない場合は Star of Sea さんの提案をコメント依頼等に提出していただいて構いません。私は必ず賛成します。--excl-zoo (会話/履歴) 2007年8月1日 (水) 11:38 (UTC)[返信]

Horlicks さんの発言に関して[編集]

追加)(だからといって「何でもあり、何でも好きにして」とは言ってないのは言うまでもありませんが)……わたしには、何でも好きにしてよい、と言っているようにしか読めませんし、削除依頼を妨害し、現在議論中であると言いながら、議論中のユーザーボックス、そのカテゴリが過去に削除されたものを自分のサブページで編集しているというのは、「何でもあり、好きなことあり」を実証しているでしょう(例えば、この削除依頼は、7月18日に concluded しています。ところが削除されたカテゴリ、「Category:全乗振5級」他、ほとんどのカテゴリに対応する Template を、7月19日に、ここで編集しています。こういう編集をしてもよいという指針はないはずですから、少なくとも差し控えるべきでしょう。「してはならないというガイドラインはないから、編集は自由だ」という発想が、つまり、上の「何でもあり、何でも好きにして」なのです)。--Maris stella alias Star of Sea 2007年8月1日 (水) 06:57 (UTC)[返信]

これ以上の個人攻撃はやめていただきたいです。
カテゴリーが「細分化しすぎである」という理由により削除されたことを受けて、そのカテゴリーへのリンクを削除し、複数のカテゴリーにリンクしていたものを一つにまとめた[編集]を、上記のような歪んだ理解をされる、その悪意はどこから来ているのでしょう?私が何かあなたのお気に障るようなことをしましたでしょうか?
また、一定のガイドラインを設けるべきとする私の投票内容も無視し、「ルールの目的の捉えかたの違い」を説明しているのを「何でもあり」と主張しているかのように歪曲したり、何の意図があってそこまで悪意と敵意を向けられなければいけないのでしょうか?
このようないい加減な無根拠な個人攻撃が許容されるようであれば、もはやコミュニティの自浄能力さえ信用することができなくなります。--Horlicks -note 2007年8月1日 (水) 11:09 (UTC)[返信]
心苦しいのですが一言。あなただけに非があるとは思いませんが、あなたはコミュニティの自浄能力の信用を失墜させた人のひとりです。自分の非を素直に認めればいいものを ... 。自重してください。--excl-zoo (会話/履歴) 2007年8月1日 (水) 16:35 (UTC)[返信]