アイリッシュ・ハンガー・メモリアル

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アイリッシュ・ハンガー・メモリアルの小家屋

アイリッシュ・ハンガー・メモリアル: Irish Hunger Memorial)[1]は、アメリカ合衆国ニューヨークマンハッタンバッテリー・パーク・シティ地区にある史跡公園である。ビージー・ストリート英語版とノース・エンド・アベニューの角にあり、面積は0.5エーカー(0.2ヘクタール)である。

概要[編集]

この公園は、1845年から1852年の間に100万人以上が餓死したジャガイモ飢饉アイルランド語で「An Gorta Mór」と呼ばれる)の認知を高めるために設置された。1845年以降の10年間で、90万人以上のアイルランド人移民がニューヨーク港から入国しており、1855年時点でアイルランド出身の人々がニューヨーク市の3分の1を占めていたことになる[2]

建設は2001年3月に始まり、近くにある世界貿易センターにてアメリカ同時多発テロ事件が発生し、周囲に影響を与えたにもかかわらず、この公園は2002年7月16日に無事完成し一般公開された[3]

この史跡公園は、芸術家ブライアン・トール環境デザイナーゲール・ウィットワー=レアード建築設計事務所1100 Architect英語版が共同で設計し、アイルランド西海岸から運ばれた石、土、原産の植物を使用し、アイルランドのすべてのから運ばれてきた石と共に建設・設置された。

アイルランドメイヨー県アティマス教区カラドゥーガンにあった19世紀の伝統的な小家屋は、スラック家が所有していたが1960年代に放棄されていた[3]。スラック家は「アメリカに移住し繁栄した前世代のスラック一家全員を記念して、この小家屋を寄贈した」と語っている[3][4]。2016年8月、この小家屋は防水工事のため一時閉鎖していたが、翌年8月に再公開した[5]

ギャラリー[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Brian Tolle Irish Hunger Memorial, 2002”. Battery Park City (2002年). 2012年9月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月1日閲覧。
  2. ^ How the Irish Famine changed New York City forever”. RTÉ (2021年). 2022年10月18日閲覧。
  3. ^ a b c Smith, Roberta (2002年7月16日). “A Memorial Remembers The Hungry”. The New York Times. https://www.nytimes.com/2002/07/16/arts/critic-s-notebook-a-memorial-remembers-the-hungry.html 2010年7月10日閲覧。 
  4. ^ Slack History”. carradoogan.com. 2017年6月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年7月10日閲覧。
  5. ^ Irish Hunger Memorial WaterProofing Project”. bpca.ny.gov. Battery Park City Authority. 2018年1月3日閲覧。

外部リンク[編集]

座標: 北緯40度42分54.5秒 西経74度00分59.5秒 / 北緯40.715139度 西経74.016528度 / 40.715139; -74.016528