アレクサンドル・サハロフスキー

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アレクサンドル・ミハイロヴィチ・サハロフスキーロシア語: Алекса́ндр Миха́йлович Сахаро́вский、ラテン文字転写の例:Aleksandr Mihailovich Sakharovskii1909年9月3日 - 1983年11月12日)は、ソ連の軍人、チェキスト。大将。

経歴[編集]

コストロム州パルキンスキー地区ボリショエ・オジョギノ村出身。17歳の時からバルチースキー造船所で働き始め、後にレニングラードのセーヴェルナヤ造船所で働く。

兵役後、造船所で再び働きながら、V.I.レーニン名称軍事政治アカデミーの夜間学部を卒業した。卒業後、コムソモール、後に党の仕事に移った。

ラヴレンチー・ベリヤによる内務人民委員部(NKVD)内の粛清後の1939年、サハロフスキーは、レニングラード市の国家保安機関に送られた。独ソ戦時、レニングラード国家保安局の課長として働いた。

戦後、対外諜報部に移る。任務遂行のために、再三国外出張し、特にルーマニアには長期滞在した。

1956年、ソ連国家保安委員会第1総局長となり、1971年まで総局を指導した。

パーソナル[編集]

レーニン勲章3個、赤旗勲章、一等祖国戦争勲章、労働赤旗勲章、赤星勲章、名誉記章勲章を受章。

先代
アレクサンドル・パニュシキン
ソ連KGB第1総局長
1956年 - 1971年
次代
フョードル・モルチン