アンナ・フォン・ザクセン (1420-1462)

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アンナ・フォン・ザクセン
Anna von Sachsen

出生 (1420-06-05) 1420年6月5日
死去 (1462-09-17) 1462年9月17日(42歳没)
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ヘッセン方伯領、シュパンゲンベルク
配偶者 ヘッセン方伯ルートヴィヒ1世
子女 本文参照
家名 ヴェッティン家
父親 ザクセン選帝侯フリードリヒ1世
母親 カタリーナ・フォン・ブラウンシュヴァイク=リューネブルク
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アンナ・フォン・ザクセンドイツ語:Anna von Sachsen, 1420年6月5日 - 1462年9月17日)は、ヘッセン方伯ルートヴィヒ1世の妃。

生涯[編集]

アンナはザクセン選帝侯フリードリヒ1世と、ブラウンシュヴァイク=リューネブルクハインリヒ1世の娘カタリーナの長女として生まれた。

アンナは、1433年9月8日にヘッセン方伯ルートヴィヒ1世と結婚した。持参金は19,000ライングルデン金貨であった[1]。2人の婚約は、1431年のローテンブルク・アン・デア・フルダにおいて両家の間に相続条約が結ばれた際に発表された。この結婚により、ルートヴィヒ1世は領土を大幅に拡大させ、アンナの兄ザクセン選帝侯フリードリヒ2世より、エシュヴェーゲゾントラを受け取った[2][3]。フリードリヒ2世はまた、ヴァンフリートに対する権利も放棄した[2][3]

子女[編集]

  • ルートヴィヒ2世(1438年 - 1471年) - 上ヘッセン(カッセル)方伯
  • (1440年 - 1483年) - 下ヘッセン(マールブルク)方伯
  • ヘルマン(1449年 - 1508年) - ケルン大司教(1480年 - 1508年)
  • エリーザベト(1453年 - 1489年) - ヨハン3世・フォン・ナッサウ=ヴァイルブルク(1441年 - 1480年)と結婚
  • フリードリヒ(1458年 - 1463年)

脚注[編集]