ジェリー・マギー
ジェリー・マギー | |
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出生名 | Gerald James McGee |
生誕 | 1937年11月17日 |
出身地 | アメリカ合衆国ルイジアナ州ユーニス |
死没 | 2019年10月12日(81歳没) |
ジャンル |
インストゥルメンタル ロック ブルース・ロック ケイジャン |
職業 |
ギタリスト シンガー |
担当楽器 |
エレクトリックギター ベース |
共同作業者 |
デラニー&ボニー ザ・ベンチャーズ メル・テイラー&ザ・ダイナミックス |
著名使用楽器 | |
本文参照 |
ジェラルド・ジェームズ「ジェリー」・マギー(Gerald James "Gerry" McGee, 1937年11月17日 - 2019年10月12日 )は、アメリカ合衆国ルイジアナ州ユーニス出身のギタリスト。ザ・ベンチャーズのリードギター兼ベース、ヴォーカリスト。
生涯[編集]
父親がケイジャンミュージック界で名の知られたヴァイオリン奏者ということもあり、幼少期からケイジャンミュージックやカントリー、ブルースといった音楽に囲まれた環境で育つ。ギターを始めたのは14歳からであるが、やがて彼はスタジオミュージシャンとなり、ボビー・ダーリン、エルヴィス・プレスリー、ウィリー・ネルソン、ジョン・メイオール、モンキーズ、トリニ・ロペスなど幾多のレコーディング、セッション、ツアーをこなすようになる[1][2]。
デラニー&ボニーのデビュー・アルバムに参加していた1968年に、ノーキー・エドワーズが脱退したベンチャーズのオーディションを受けてみないか、との友人の誘いを受け(それ以前にロサンゼルスの「シー・ウィッチ・クラブ」に出演していた際にメル・テイラーの実弟である、後にキャンド・ヒートに加入するラリー・テイラーと共に「バンビーノース」として活動していたため、必然的にベンチャーズとの人脈は出来ていた)、その結果加入することになる。ベンチャーズに加入後は、それまでになかったR&Bやブルースのテイスト、また「京都の恋」や「雨の御堂筋」といった日本の歌謡曲的なメロディをもたらすなど、ベンチャーズに新しいスタイルをもたらした[2]。
1972年にベンチャーズを脱退し、スタジオやセッションに再び活動の場を移すが、「ベンチャーズとは違う音楽性に挑戦したい」という意向でベンチャーズを離れたメル・テイラーから声を掛けられ、ビル・リンカーン、ジョン・ダリル、ボブ・スポルディングらと共にメル・テイラー&ザ・ダイナミックスを1973年に結成。来日当時、“二つのベンチャーズが来日”と話題を呼ぶが、大きな評価は得られず、その後ジョー・バリルのベンチャーズ解雇に伴いテイラーはベンチャーズに復帰、メル・テイラー&ザ・ダイナミックスは自然消滅的に解散となり、マギーは再びスタジオやセッションでの活動に戻ることになる[2]。
1984年、ボブ・ボーグルが急病でベンチャーズのツアーに参加できなくなったことから、サポートのためベーシストとしてツアーに参加する。この年のステージではノーキー・エドワーズとのアコースティックギターデュオや、曲によってリードギターをエドワーズと交代するシーンが見られた。 1985年、エドワーズが再びベンチャーズを離れることになり、マギーはその後任として再加入。以後、2017年までベンチャーズのリードギタリストとして活動を続けることとなる[2]。
ベンチャーズとして活動する他にも、自らが率いる「ジェリー・マギー・ブルースバンド」として、ジャパン・ブルースカーニバルに出演する他、B.B.キングやエリック・クラプトンと共演するなど、ベンチャーズとはまた違った活動も展開している。ジャパン・ブルースカーニバル出演時には、自身の子息であるケイン・マギー(Pedestrianというバンドで活動、後に脱退している)がドラムで参加している。
ソロアルバムは現在までに三枚リリースしている。ソロデビューとなった「Friends From A Distance[3]」では、ゲストにリタ・クーリッジやボビー・ウーマックなどを迎えて、ブルースやケイジャンミュージックなどを深く掘り下げ、スライドギターやブルースハープなども披露している。またその後もジャズやカントリーといったルーツミュージックを幅広く取り上げている[要出典]。
2017年の日本公演中、ツアー終盤に体調を崩し緊急入院。急遽ピンチヒッターとして、アメリカ国内でのライヴでサポートメンバーとして参加していたベーシストのルーク・グリフィンを迎えることになる[4]が、高齢による体力の衰えを理由に今後のツアーには参加しない事が発表された。
2019年10月、ソロとして久々の来日を果たすが、ツアー中に心臓発作を発症して東京都の慶應義塾大学病院へ緊急搬送され、それから4日後の同年10月12日に死去[5][6]。81歳没。同月17日、日本で家族とごく親しい日本の有志のみによって葬儀・告別式が営まれ、遺体は東京都品川区の桐ヶ谷斎場で荼毘に付された。
使用機材[編集]
フェンダー
- フェンダー・ストラトキャスター・エリック・クラプトン・モデル[7]
- フェンダー・ジャパン・テレキャスター・ジェリー・マギー・モデル
- フェンダージャパン・ストラトキャスター・ジェリー・マギー・モデル
- クラプトン・モデルと違い、ハードテイル(ノントレモロ)になっている。
- フェンダー・ジャパン・ベンチャーズ・モデル・ストラトキャスター
- フェンダー・ジャズベース
- フェンダー・プレシジョンベース
ギブソン
- ギブソン・レスポール
- ギブソン・チェット・アトキンス・モデルCE(エレガット・ギター)
アリア
その他
エピソード[編集]
- デラニー&ボニーのデビュー・アルバム『オリジナル・デラニー&ボニー』に参加。その後、エリック・クラプトンもデラニー&ボニーのアルバム『オン・ツアー』に参加している[11]。
- 本国アメリカでは俳優業も行っている。そのほとんどは端役であるが、映画『スター誕生(ステージでリードギターを担当)』や『コンボイ』等でその姿を見ることが出来る[2]。
脚注[編集]
- ^ a b K&K 1995, p. 144.
- ^ a b c d e “GERRY McGEE”. The Ventures official site. 2019年10月15日閲覧。
- ^ “Gerry McGee – Friends From A Distance”. Discogs. 2019年10月17日閲覧。
- ^ “ベンチャーズ ジャパン・ツアー2017”. EZUKO HALL. 2019年10月17日閲覧。
- ^ “ジェリーマギーさんのファンの皆様へ – Gerry McGee Japan Tour 2019”. 2019年10月12日閲覧。
- ^ “ジェリー・マギーさん死去…ベンチャーズ元メンバー”. 読売新聞 (2019年10月13日). 2019年10月13日閲覧。
- ^ “ERIC CLAPTON STRATOCASTER®”. Fender. 2019年10月18日閲覧。
- ^ “The Sandpiper”. Aria. 2019年10月18日閲覧。
- ^ K&K 1995, p. 131.
- ^ “Star’s”. Quest International. 2019年10月18日閲覧。
- ^ K&K 1995, p. 106.
参考文献[編集]
- K&K事務所『ザ・ベンチャーズ―結成から現在まで』河出書房新社、1995年5月30日。ISBN 4-309-26244-9。