ノート:アルボムッレ・スマナサーラ

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過去ログ化の提案(過去ログ2の作成と内容の整理)[編集]

提案 上記の個々の議論は一旦落ち着きましたので、過去ログ化して過去ログ2とすることを提案します。また過去ログ化に併せて、過去ログ1と、次に作る過去ログ2の間の内容を整理することを提案します。

過去ログ1では、2012年9月22日 (土) 07:45に59.190.122.113さんにより部分的な除去[1]が行われました。これはノート本体との重複部分を削減するためと思われますが、除去された部分は、過去ログ1に履歴はあるけど過去ログ1には文章の表示が無い状態になっています。これは将来過去ログを追う時、いささか見にくいと思います。Help:過去ログ#サブページを使う方法の「サブページを作るには2つの方法があります。1つはテキストのカットアンドペーストを使う方法、もう1つはページの移動を使う方法です。どちらの方法を使う場合でも、同じページに対してどちらか1つの方法を一貫して使うようにしてください。2つの方法を混ぜて使うことは混乱の元です」の通りです。

そのため、今回、過去ログ2を作るにあたって、まず、2012年9月22日 (土) 07:45に過去ログ1から除去された部分を、現状のノート本体において除去し、過去ログ1への誘導のためのリンクを張った上で、ノート本体を過去ログ化(過去ログ2として移動)して過去ログ1側では、2012年9月22日 (土) 07:45に除去した部分を復帰させようと思います。

また、過去ログ1実施後変更の無かった節(「雑多なこと」「ajita氏のブロック依頼を取り下げました。」「IPから保護されているようなので」)に関しても、過去ログ2作成に先立ち、内容を除去し過去ログ1の当該節へのリンクを張ったの状態にした後、過去ログ化(過去ログ2として移動)しようと思います。

誘導のリンクは以下の様な物でよいと思います。(「こらIP君、答えなさい(笑)」および「雑多なこと」の場合の例)

一週間ほど異論無ければ、実施したいと思います。--Pemo会話2012年10月16日 (火) 14:00 (UTC)[返信]

一週間ほど異論ありませんでしたので、提案に基づき、内容を整理した上で、過去ログ2の作成を実施しました。また過去ログ1にて除去されていた部分を復帰させました。--Pemo会話2012年10月24日 (水) 05:12 (UTC)[返信]

内容の整理時に、元の「こらIP君、答えなさい(笑)」節を分割して作られた「ローカルルールに関する投票提案」節のタイトルを除去してしまっていました。過去ログ2にて節タイトルを追記し、修正しました。--Pemo会話2012年10月24日 (水) 05:42 (UTC)[返信]

メンテナンス用テンプレート整理の提案[編集]

メンテナンス用テンプレートの整理のため、以下を提案します。

以下に理由を述べます。

本文先頭のTemplate:複数の問題から「観点」と「大言壮語」を抜き「参照方法」を足すに関して。
この「観点」と「大言壮語」に関しては6/11[2]に張られたテンプレートに基づいていますが、その後、テンプレートを張った利用者も含め、複数の利用者により本文の修正が行われました。結果、現状はテンプレートを張った利用者も(「観点」や「大言壮語」に基づき除去を提案しようと思えば提案する時間は十分にありましたが)個別の除去は主張しなかった文章が残っている状態でありノートでも議論も行われていません。そのためまずは6/11段階で指摘された問題は一旦収束したと判断し、テンプレートから除いても良いのではないかと考えます。
また「参照方法」に関しては、現状全く脚注等による出典の明記が行われておらず必要と考えます。(「日本の仏教については…」の文などは、ノートでの提案段階では出典が示されていましたが本文には追記されませんでした。いったいなぜ本文を、わざわざ「脚注等が一切ない状態」にしたいのか意味がわかりません。)
本文先頭のTemplate:複数の問題の「BLP unsourced」を「存命人物の出典明記」に差し替えるに関して。
「BLP unsourced」は「出典が全くありません」というメッセージを表示する物ですが、例えば本文の「著作リスト 」を考えた場合、著作を持つ人物の場合、著作リストはだいたいありますし、その場合その著作の存在自体が、一次資料であり出典であると思います(もし、Wikipedia日本語版が、二次資料としての「著作リスト」が存在しなければ記事に著作リストを含めてはいけない、というような状況であれば二次資料がいるのかもしれませんが、現状は、そこまで求められてはいないと考えます)。そのため「出典が全くありません」というメッセージは現状にそぐわず、「存命人物の出典明記」のほうが良いのではないかと考えます。
「思想・活動」節にTemplate:一次資料を添付するに関して。
「略歴」や「著作リスト」といった内容であれば、一次資料のほうが正確であり出典としてふさわしいというケースもあるかと思いますが、思想や活動といった内容を一次資料のみで記載するとなると、当該人物または関係者の公表した情報が際限無く追加されていく事となると思います(その結果、宣伝的になってしまうでしょう)。これらは二次資料によって裏づけされた記載を行うのが良いと思います。また現状、この記事はWikipedia:特筆性の面からも二次資料による出典の明記が求められる状態であり、その旨注意喚起する意味でも、テンプレートを追加したほうが良いと考えます。
一文に複数のTemplate:要出典がある物を、一文毎に一個に纏めるに関して。
「思想・活動」節において、一文に複数Template:要出典が張られている物がありますが、その文内の前後部分も同様に出典はない状態であり、どのみち当該一文全体に対する出典は必要です。そのため各分の文末に、一文につき一個Template:要出典があれば良いと思います。

一週間ほど異論無ければ、本文に反映したいと思います。--Pemo会話2012年10月25日 (木) 13:41 (UTC)[返信]

一週間ほど異論ありませんでしたので提案の通り実施しました。--Pemo会話2012年11月11日 (日) 07:39 (UTC)[返信]

ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません、に基づく除去の提案[編集]

Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありませんに基づき、以下の除去を提案します。

  • の整備士の家
  • のアルボ村(「アルボムッレ」の由来)/家族や村の反対を押し切り、
  • 対談もおこなっており…投資家の小飼弾との対談本を出版している。

以下に理由を述べます。おおまかな理由は、一次情報のみを情報源とした、または自己公表された出版物を情報源とした重要性の低い情報であり、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありませんに該当すると考えるからです。

整備士の家に関して
本記述はこちらのページ[3]をベースに記載されたと思われますが、だとすると、元の記述は「まあ、昔のひとの仕事というのはね……。言葉でいうならメカニックでしたけど」です。これは「昔のスリランカではメカニックと呼ばれる何か現代のメカニックとは微妙に異なる職業」というような意味だと思いますので、これを整備士としてしまうのはWikipedia:言葉を濁さない#基本的ガイドラインの「曖昧なことを断言してはいけません」に該当すると思います。現状、結局なんの仕事だったかわからず、また「ウィキペディアは情報を無差別に収集する場」ではないので、人物記事において、親の職業が必須とは言えません。そのため編集除去しようと思います。
アルボ村(「アルボムッレ」の由来)/家族や村の反対を押し切りに関して。
上記の整備士の出典(ではないかと思う)ページに関してですが、これは「BOHDI PRESS.」という所が発行する「WHO ARE YOU?」という雑誌のインターネット版[4]とのことで、この「WHO ARE YOU?」は稲葉小太郎さんという方が発行する個人誌[5]のようです。そのため、これはWikipedia:信頼できる情報源#オンラインや自己公表された情報源の利用でいうところの「いかなる形式の独立した事実の確認を受けてはいないか、著者と公表作業との間に誰も立ち会っていないような公表物」であって「公表者自身についての記事内での自己公表された情報源」では無いと推察します。そのため(もちろん稲葉小太郎さんは、スマナサーラさんではないので)スマナサーラさんの記事の出典としては不適当と考えますので、当該ページからの記載と思われる上記整備士の家およびアルボ村(「アルボムッレ」の由来)家族や村の反対を押し切りといった説明は編集除去しようと思います。もしこれが大変重要な事項であれば、他の出版社等により、このインタビューが転載されるか、または、同様の内容のインタビューなり人物評が行われるものと思います。
対談もおこなっており…投資家の小飼弾との対談本を出版している。
これらは、共著の説明でありますが、共著の大部分は、既に「著作リスト」節に記載されており、重ねて説明する必要は無いと思います(小飼弾さんに関しては小飼弾さんの著書にスマナサーラさんとの対談が収録されたという形のため「著作リスト」節に記載はありませんが、これだけ残す必要も無いと思います)。また著述家でもあるスマナサーラさんが他の著述家と対談本を共著することは、別段珍しいことでは無く、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありませんに該当すると考え編集除去しようと思います。もしこれが大変重要な事項であれば、スマナサーラさんや当該共著本の出版社等の関係者以外から、当該対談に関する論評がされるものと考えます。

一週間ほど異論無ければ、本文に反映したいと思います。--Pemo会話2012年10月26日 (金) 15:16 (UTC)[返信]

一週間ほど異論ありませんでしたので提案の通り実施しました。--Pemo会話2012年11月11日 (日) 07:47 (UTC)[返信]

ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません、に基づく除去の提案その2[編集]

Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありませんに基づき、以下の除去を提案します。

  • 初代会長、鈴木一生
  • 講演活動を多数行っている。メディアへの出演も行っており、
  • 他宗派の仏教とも交流をしており、大乗仏教の寺院でも講演や瞑想会を行っている。また戒壇として認定を受けた地も曹洞宗の寺院から提供を受けている

以下に理由を述べます。おおまかな理由は、出典が無く、一次情報のみを情報源とするか、または自己公表された出版物を情報源としたと推定される重要性の低い情報であり、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありませんに該当すると考えるからです。

初代会長、鈴木一生に関して
事実ではありましょうが、現状、スマナサーラ氏の事績と日本テーラワーダ仏教協会の初代会長が誰かという情報を併せて掲載している出典がみつかりません。日本テーラワーダ仏教協会の初代会長が誰かは日本テーラワーダ仏教協会の記事に相応しい内容ですが、そちらの記事では関連項目の扱いであり、本記事で、個別に本文中に書き入れる必要は無いと考えます。
講演活動を多数行っている/メディアへの出演も行っておりに関して。
「講演活動を多数行っている」点に関して、宗教者が講演活動を行うのは普通(特に僧侶が法施を行うはあたりまえ)の事であり、特段記述するほどの事では無い上に「多数」という記述は評価でありWikipedia:大言壮語をしないの点からも、あまりよろしくないと考えます。「メディアへの出演も行っており」は文を読み物とするための繋ぎであり、前の文を除去するので併せて除去します。
他宗派の仏教とも交流をしており、大乗仏教の寺院でも講演や瞑想会を行っている。また戒壇として認定を受けた地も曹洞宗の寺院から提供を受けている
仏教の僧侶が他の仏教宗派と交流することは、特段珍しいことではありません。また日本テーラワーダ仏教協会の関連リンク集をみると、大乗仏教の寺院の住職が日本テーラワーダ仏教協会の会員という寺が複数あるようです。単に会員(信徒)が管理する寺院で講演や瞑想会を行っているという話であるかもしれず「他宗派の仏教とも交流」の事績といえるのか微妙であると思います。また「戒壇として認定を受けた地も曹洞宗の寺院から提供を受けている」に関しても、これは八王子の曹洞宗天海山雲龍寺(戒壇建立予定の雲龍寺について参照、因みに禅東院の方は住職が日本テーラーワーダ仏教協会会員)の事を指すと思われますが、この雲龍寺は別院として正山寺釈迦牟尼国際佛教センターを持つなど、先代住職の時代から上座部仏教との交流に尽力していた寺のようです。特段、スマナサーラ氏が何かエポック的な事績により、当該の寺との交流の道が開けたというような話では無いように思われ「他宗派の仏教とも交流」の事績というえるのか微妙だと思います。

一週間ほど異論無ければ、本文に反映したいと思います。--Pemo会話2012年11月18日 (日) 12:20 (UTC)[返信]

一週間ほど異論有りませんでしたので、本文に反映します。ただし「初代会長、鈴木一生」は「『ブッダの贈り物』学研パブリッシング、2012年」に出典がありましたので編集除去を取り止めます。 またノート:アルボムッレ・スマナサーラ#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません、に基づく除去の提案にて除去した「アルボ村(「アルボムッレ」の由来)」も、同書に出典がありましたので復帰させます。一方、同じくその時除去した「整備士の家」に類する親の職業の記述もあったにはあったのですが、『ブッダの贈り物』では「現代風に言えば、技術者でしょうか」となっていました。これは結局曖昧な表現であり、無理に断言して書くほどの話でも無いと思いますので除去のままとします。ご異論あれば、提案ください。--Pemo会話2012年11月25日 (日) 13:27 (UTC)[返信]

出典の記述との齟齬等の修正[編集]

提案 いくつか出典を精査し、齟齬のある文等に修正を行うべく、以下を提案します。

  • 上座部仏教の伝道等を仏教の伝道等にする。
  • Japan Mahasanghanayaka Theraを除去(注釈に残す)。
  • 1991年1月に再来日1991年に再来日に。
  • 開山開基に。
  • 開山した寺の記述をゴータミー精舎を残し他は日本テーラワーダ仏教協会に移動。
  • 戒壇の設立日本テーラワーダ仏教協会に移動。

以下に理由を述べます。おおまかな理由は、出典によって記述の揺れがあるから、および出典の記述からズレが生じているからです。

  • 上座部仏教の伝道に関して
冒頭文および思想・活動節に「上座部仏教の教義を…普及させる活動を行っている」「上座部仏教の伝道」にマッチする出典がなかなか見つかりません。一方、似た出典としては以下がありますが、オフィシャルな一次情報源で表記が割れています(「Buddhist evangelism」は「仏教の伝道」の意)。
そのため、上記内容を注釈とし、平文部分の記述自体は「仏教の伝道」等にすると良いと思います(注釈は既に本文ページに記載済みであり、実際には「上座部」の部分を除去するという提案です)。
  • Japan Mahasanghanayaka Theraに関して
略歴節の「日本大サンガ主任長老(ナーヤカ長老)」の英語表記が「Japan Mahasanghanayaka Thera」になっていますが、これも情報源によって表記が割れています。
そのため、上記内容を注釈とし、平文部分の記述自体は除去すると良いと思います(注釈は既に本文ページに記載済み)。
  • 1991年1月に再来日に関して
本文では「1991年1月」となっていますが当該情報の載っている情報源(『ブッダの贈り物 スマナサーラ長老と初期仏教の世界』2011年、61頁。 )では「1991年 46歳 スリランカと日本両国での活動を経て再来日」となっており、何月かは書いてありません(他の項目は別の出典に何月かが書いてあります)。必ずしも「XXXX年X月」の表記をとる必要はないと思いますので、「1月」の部分を除去します。
  • 開山という表記に関して
この記事では、以前、寺の設立に関する記述は「開基」が用いられていましたが、ノート:アルボムッレ・スマナサーラ/過去ログ1#開基では無くて開山などで提案があり、その後、合意により「開山」に改められていました(寺を開いた檀家が開基で、寺を開いた僧侶が開山という事による)。その当時は、例えばこの出典(日本テーラワーダ仏教協会”. 国際宗教研究所宗教情報リサーチセンター. 2012年11月11日閲覧。)では表記は「開基」であり、この資料は「日本テーラワーダ仏教協会=檀家の立場」から書かれているため、これを、スマナサーラさんの立場から「開山」と書き換えるは許容範囲だと考えていたのですが、最近こちらの出典(『ブッダの贈り物 スマナサーラ長老と初期仏教の世界』2011年、61頁。 )を見て気がついたのですが、ここではスマナサーラさんの「年譜」の文中に「…テーラワーダ仏教センターを開基する」と記載されています。そのため日本テーラワーダ協会では「寺を開いた檀家も開基で、寺を開いた僧侶も開基」という扱いだと思われます。ちなみに辞書では「2 仏寺または一宗派を創立すること。また、その僧。開山。   3 仏寺創建の際、財政的支持を行う世俗の人。特に禅宗で、開山と区別していう。[6]」となっており、僧侶・檀家いづれにも用いることができます(日本テーラワーダ協会は禅宗ではないので「特に禅宗で、開山と区別していう」は当てはまらないので)。そのため、出典に基づき、本文の「開山」を「開基」に戻します。
  • 開山した寺(設立した寺)に関して
現在、略歴節では複数の寺をスマナサーラさんが設立(開山)した事が書かれていますが、手持ちの情報源(『ブッダの贈り物 スマナサーラ長老と初期仏教の世界』2011年、61頁。 )では「ゴータミー精舎」のみが「開基した」として記されています(2011年発売の本であるのにです)。そのため他の寺の開基者が、スマナサーラさんだと断定できるのか微妙です。ゴータミー精舎の場合、スマナサーラさんのプロフィールにも「In 1945, Ven. Sumanasara, the master of Gotami Vihara, was born in Sri Lanka」とあり、前記の出典の「年譜」の文中に「…テーラワーダ仏教センターを開基する」とあるので、問題ないと思いますが、他の寺、それぞれのホームページ等を見てもスマナサーラさんを直接的に紹介している文などが見つからず、関係を断定できません。
  • アラナ精舎」、ホームページ[7]には長老としてウ・コッサーラ西澤さん[8]が記載されています。また日本テーラワーダ仏教協会の資料[9]にもスマナサーラさんの名前は入っていません。
  • マーヤーデーヴィー精舎」、ホームページ[10]、日本テーラワーダ仏教協会の資料[11]の何れにもスマナサーラさんの名前は入っていません。
  • 佐賀新精舎」、情報が少なく。そもそも、個別のホームページ等がありません。
  • その他、日本テーラワーダ仏教協会のWebページをサーチしましたが、落慶法要にスマナサーラさんが招かれ、講話を行ったとの記述はありますが、それが、開基者を意味するかは曖昧であると考えます。
  • また、この資料(日本テーラワーダ仏教協会”. 国際宗教研究所宗教情報リサーチセンター. 2012年11月11日閲覧。)には「2005年4月、大阪府岸和田市にアラナ精舎を開基」とあるのですが、改めてよくよく考えてみると、この資料は「日本テーラワーダ仏教協会」を説明する文書であって、主語は「日本テーラワーダ仏教協会」な訳でありますので、これも出典としては不十分でした。
そのため、明らかにスマナサーラさんの「年譜」に「開基者」と記載されており、スマナサーラさんの事績であると確認できるゴータミー精舎のケースを除き、その内容は日本テーラワーダ仏教協会に出典等の情報を写し(日本テーラワーダ仏教協会の事績であるのは明らかですから)、アルボムッレ・スマナサーラの記事からは、アラナ精舎・マーヤーデーヴィー精舎・佐賀新精舎の記述は除去します(既に日本テーラワーダ仏教協会に転記すべき情報は転記済み)。
  • 戒壇の設立に関して
これも開山した寺のケースと同様なのですが、資料("日本史上初のテーラワーダ仏教『戒壇』の認定式開催について" (PDF) (Press release). 日本テーラワーダ仏教協会. 17 April 2006. 2012年11月11日閲覧)では「今回の戒壇の認定については、…ブッダラッキタ大長老猊下(…)をはじめとする8名の長老を奉迎して、とり行うものです」とあり、誰が招聘したのかが不明です。文章は日本テーラワーダ仏教協会の名で公表されているのですから、主語は日本テーラワーダ仏教協会であり、日本テーラワーダ仏教協会の事績であると考えます。実際、以下の日本テーラワーダ仏教協会のページ[12]では「本日午後、…ウドゥガマ・スリ・ダンマダッシー・ラタナパーラ・ブッダラッキタ法王(大僧正)猊下(…)が日本テーラワーダ仏教協会の招聘で来日されました」とあり、これは日本テーラワーダ仏教協会の事績です。そのためこの招聘がスマナサーラさんの事績であるか明らかではなく、開山した寺のケースと同様に、必要な情報を日本テーラワーダ仏教協会に転記し、アルボムッレ・スマナサーラの記事からは記述を除去します(既に日本テーラワーダ仏教協会に転記すべき情報は転記済み)。

一週間ほど異論無ければ、本文に反映したいと思います。--Pemo会話2012年11月29日 (木) 18:08 (UTC)[返信]

一週間ほど異論ありませんでしたので提案の通り実施しました。--Pemo会話2012年12月7日 (金) 01:06 (UTC)[返信]

出典の無い記述の除去[編集]

提案 いくつか出典の無い記述の整理のため、以下の除去を提案します。併せてテンプレートの整理を提案します。

  • 奈良康明教授の下
  • 日本の仏教については、お釈迦様の死後成立した大乗仏教であって、スリランカ、タイやミャンマーに伝わっているテーラワーダ仏教とは違う点があることを指摘している
  • 因縁論を根幹に据える仏教の立場から、唯一神・絶対神・主宰神の概念に基づくキリスト教など諸宗教の教えを否定している
  • 釈尊の説かれた本来の仏教は、信仰をともなう宗教ではなく、心を育てるための方法論であると説いている

以下に理由を述べます。おおまかな理由は、出典が無いからです。

  • 奈良康明教授の下に関して。
奈良康明教授に関しては文献『ブッダの贈り物 スマナサーラ長老と初期仏教の世界』、2011年、38頁)などに奈良康明さんが「スマナサーラさんとお会いし、いろいろと話して、…」と記述したり、奈良康明さんの写真のキャプションが「駒沢大学留学時代のスマナサーラ長老をよく知る奈良氏。」となっていたりと、「奈良康明さんとスマナサーラさんが、駒沢大学時代に知人であった」ことはわかるのですが「奈良康明教授の下」と言えるような師弟関係であったかは明らかではありません。現状、そのような情報源が無ければ、出典が無い記述として編集除去しようと思います。
  • 日本の仏教については、お釈迦様の死後成立した大乗仏教…に関して。
こちらはノート:アルボムッレ・スマナサーラ/過去ログ1#IPから保護されているようなのでにて出典(心がスーッとなるブッダの言葉(2008)のpp15-16)を示して書き加えられた記述ではありますが、出展を読んでみると、大乗仏教がいつ成立したかにはコメントしておらず「お釈迦様の死後成立した大乗仏教」という表現は微妙にニュアンスが異なるかと思います。出典では、大乗経典が釈迦の死後編纂されたことと、(そのため)釈迦のアイデアが旨く伝わっていないことを記述しているので、そのような内容のほうが良いと考え(その記事本文に旨追記済み)、この文書は編集除去しようと思います。
  • 因縁論を根幹に据える仏教の立場から…諸宗教の教えを否定しているに関して。
長らく出典の無い記述です。他組織に対する批判であり、一般的には(スマナサーラさんに対して)マイナスなイメージがある記述だと思います。そのため出典が無いので除去すべきだと考えます。
  • 釈尊の説かれた本来の仏教は、信仰をともなう宗教ではなく、心を育てるための方法論であると説いている
長らく出典の無い記述です。出典を探していますが「心を育てる」「方法論」といったキーワードに合致する出典が見つかりません。たぶん著書の何れかに基づいて記載されたのではないかと思いますが著書の量も多いので調べ切れません。週刊ダイヤモンドの記事(「仏教・神道 大解剖」、『週刊ダイヤモンド』第99巻第26号、ダイヤモンド社、東京、2011年7月2日36-37頁)に、似たニュアンスの記述がありましたので、これを元に記載を行い(その記事本文に旨追記済み)、この文章は編集除去しよと思います。
  • テンプレートの整理に関して。
2012年11月29日 (木) 18:08 (UTC)の提案ならびに本提案により{{要出典}}の記述が無くなったら、一応一通りの出典が揃いますので{{複数の問題}}(「参照方法」および「存命人物の出典明記」)を外そうと思います。また、少ないながらも二次情報(ベストセラー云々のあたりなど)を追記しましたので併せて{{一次資料}}も外そうと思います。

一週間ほど異論無ければ、本文に反映したいと思います。--Pemo会話2012年11月30日 (金) 09:06 (UTC)[返信]

終了 ご賛同いただきましたので、編集を実施しました。ただし奈良康明教授の下の記述に関してはHzktさんにより出典を加筆いただきましたので、除去提案を取りやめとさせていただきます。ご協力ありとうございました。--Pemo会話2012年12月7日 (金) 10:28 (UTC)[返信]

関連項目の整理[編集]

提案 関連項目の整理のため、以下の編集除去を提案します。

  • 本文中で、既に解説の一部に組み込まれてるもの。
上座部仏教 ヴィパッサナー瞑想
  • 間接的な関係であり、仏教テンプレートに含まれるもの。
部派仏教 インドの仏教 東南アジアの仏教 大乗仏教

一週間ほど異論無ければ、実施したいと思います。--Pemo会話2012年12月5日 (水) 09:04 (UTC)[返信]

提案 除去の対象として以下を追加します。

  • 本文中で、新たに解説の一部に組み込み、仏教テンプレートに含まれるもの。
初期仏教

残す関連項目は上座部マハーシ・サヤドウスリランカの仏教の予定です。引き続き、ご意見をお待ちします。--Pemo会話2012年12月7日 (金) 15:48 (UTC)[返信]

対処 後者の提案から、一週間ほど異論有りませんでしたので、反映を実施しました。--Pemo会話2012年12月15日 (土) 09:58 (UTC)[返信]