ノート:アレホ・カルペンティエル

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名前をめぐり議論が循環する[編集]

「アレホ」or「アレッホ」、「カルペンティエル」or「カルペンティエール」の項目立てが悩ましかったです。ここらへん全く無知なので、スペイン語、ラテンアメリカ文学に造詣の深い方へのご意見を拝聴し、解決できれば…と思います。Kamawanu 2006年8月6日 (日) 06:12 (UTC)[返信]

個人的には「カルペンティエル」が良いのですが、他の人はどうなんだろう。キェルケゴールに関しても個人的には「キルケゴール」が良いのですけどね。

日本語訳の本の著者名は、ほとんど「アレッホ」、「カルペンティエール」になっていませんか。(手元にないので記憶ですが)だとしたら、それに従うほうがよろしいのではないかと思います。 --ねこぱんだ 2006年10月19日 (木) 23:21 (UTC)[返信]

調べてみたところ、以下概要でした。翻訳者によって解釈が違うという感じでしょうか。

アレッホ・カルペンティエール

  • 失われた足跡 時との戦い ※集英社 (1984/01)~牛島信明、鼓直訳
  • ハープと影 ※新潮社 (1984/11) ~ 牛島信明訳
  • この世の王国 ※サンリオ (1985/12) ~木村栄一訳
  • エクエ・ヤンバ・オー ※関西大学出版部 (2002/05) ~平田渡訳

アレホ・カルペンティエル

  • 光の世紀 ※書肆風の薔薇 (1990/12) ~杉浦勉訳
  • この世の王国 ※水声社 (1992/07) ~木村栄一、平田渡訳
  • 追跡 ※水声社 (1993/11) ~杉浦勉訳
  • 失われた足跡 ※集英社 (1994/07) ~牛島信明訳

アレホ・カルペンティエール

  • 春の祭典 ※国書刊行会 (2001/06) ~柳原孝敦訳

牛島信明、木村栄一が「アレッホ・カルペンティエール」から「アレホ・カルペンティエル」にしたところにヒントもありそうな…。Kamawanu 2006年11月5日 (日) 15:20 (UTC)[返信]

比較的最近の翻訳はアレホ・カルペンティエルが多いですね。このままでもよいのではないでしょうか。あとはリダイレクトで対応ということで。。私が個人的になじみが深いのは「カルペンティエール」なのですけども。--Aphaia 2006年11月27日 (月) 14:23 (UTC)[返信]
半年たちますが動きがありませんね^^; ひとまず当座はこの項目名でいくと結論してはどうかと思いますが、いかがでしょう。--Aphaia 2007年5月21日 (月) 08:47 (UTC)[返信]
放置してしまい申し訳ありません(陳謝)。水入りということで結構でございます。Aphaiaさんはじめ、ご意見いただいた皆様に感謝いたします。Kamawanu 2007年5月21日 (月) 17:17 (UTC)[返信]

招聘者を求めて[編集]

1943年にカルペンティエルをハイチに招聘したという"アンリ・クリストフ"とはいったい何者なのでしょうか?
ハイチ独立後彼の国の王になった同名人物が実在しますが,彼は19世紀初頭の人物です.
『この世の王国』は当時のハイチを舞台にしたもので,当然アンリ・クリストフ王も登場します.
カルペンティエルがこの物語を書くきっかけともなったハイチ訪問だけに興味深いことだと思います.
記事執筆に当たって参考にされた文献等ありましたらぜひ,ご教示ください.--Lalezarde 2007年3月24日 (土) 09:28 (UTC)[返信]

この記事はあるいは英語版あるいは他の言語版からの翻訳かと思うのですが、この部分については参照した記事に誤解があったのか誤訳したのかと思います。英語版他をあたってみたところ、相当する箇所にはこのようにあります。
In 1943, Carpentier, accompanied by French theatrical director Louis Jouvet, made a crucial trip to Haiti, during which he visited the fortress of the Citadelle La Ferriere and the Palace of Sans-Souci, both built by the black king Henri Christophe. This trip, along with readings from Oswald Spengler's cyclical interpretation of history, provided the inspiration for his second novel, The Kingdom of this World (1949).
記事はこれをもとに訂正しておきました。なお残念ながら上の英文が何にもとづく記述かはわかりませんでした。ですので誤りを含んでいる可能性はありますが、このほうがもっともらしいなとも思います。渡航の事情はここからはあまりよくわかりませんので、どなたか加筆してくださることを期待します。--Aphaia 2007年3月26日 (月) 10:23 (UTC)[返信]