ノート:イラク日本人人質事件/過去ログ1

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「もっとも、本来「自己責任」に評価としての意味はないのだが、本来の意味を離れ、人質を非難する用語として使われた。」主観的見方なので削除しました.のみならず,

「「自己責任」に評価としての意味はない」の意味が分かりません.百科事典の記述として,万人に分かるように因果関係を示した上で「○○は○○だ」と述べるのでなければ不適切と考えます.

「『週刊新潮』は被害者と日本共産党との関係を非難した(共産系の団体である民医連系の病院に勤める親族がいるという。しかし党員かどうかは不明)。」当該の記事を読んでいないのですが「非難」なのでしょうか.

「『週刊新潮』『週刊文春』『諸君!』『正論』など、主に保守系のマスコミは中傷ともいえる激しい批判を行った。」主観的表現です.そこに固有名詞を混ぜる事こそ中傷ではないでしょうか? 中傷とは事実でない事を根拠にして他人を貶める事であります.これらの雑誌は中傷をしたかどうか分かりませんが,「中傷をした」と立証する立証責任はWikipediaの投稿者にあります.ソースを示さなければそれこそ中傷でしょう.執筆者の一人として看過できません.削除させて頂きました.

「人質は袋だたき状態であった。」主観的表現です.ネオ筑摩屋 松坊堂 2006年3月25日 (土) 17:54 (UTC)

あのありさまが“袋叩き”以外の何だと言うのですか?そちらこそPOVですね。--211.13.148.234 2006年5月26日 (金) 03:12 (UTC)

「日本政府はヨルダンに外務副大臣を派遣するなどして、人質の解放に向けて交渉を行ったと主張しているそうですが」 「『読売新聞』などは、反戦団体による自衛隊撤退デモが素早く行われたのは怪しいと主張したそうであるが」 『そうである』という表現は曖昧な情報を示すものであり、百科事典にふさわしくないと思います。 具体的にソースを提示するか、削除すべきです。 --以上の署名の無いコメントは、のあしゃん会話投稿記録)さんによるものです。2006年9月22日 (金) 18:29 (UTC)

節を追加しました[編集]

項目の性質上編集合戦になってしまうことは避けられないと思いましたので、「人質擁護派の主張」「批判派の主張」と節を作りました。どうも感情的な主張も多すぎます。勿論それらはPOVでもあります。順次それらは削除させて頂きます。--ネオ筑摩屋 松坊堂 2006年9月24日 (日) 16:34 (UTC)

2006-9-25T03:29 版[編集]

POV修正/削除を中心に長時間の編集を行ったのですが、編集に時間がかかったため直前のChikumaya氏の編集をリバートする結果になってしまったかもしれません。もしそのような状態になってしまっていましたら適当にマージして戴くか、気に入らないようでしたらリバートしていただいても結構です。一応自分の書いた版への固定リンクをおいておきますので参考まで。 ― TETRA 2006年9月24日 (日) 18:40 (UTC)

あ,ありがとうございます.わたしの作った節に何か問題があったのかと思いました.
繰り返しますがこの項目は非常に意見の分かれる問題であり,互いに自分の意見に合わない記述を削除し合うだけでは閲覧者の利便に繋がらないと判断したので,出来るだけ両論併記とするために「批判派の主張」「擁護派の主張」節を作りました.その部分だけマージさせて頂きます.
POVをいっさい交えずにこの項目を完成させるのは不可能とも思います.なれば出来るだけいろいろな視点を入れることが却って百科辞典的になると思いますが,POVであることが分かるよう上記の節を活用して頂きたいと切に願います.--ネオ筑摩屋 松坊堂 2006年9月25日 (月) 11:34 (UTC)
「POVを交えずにこの項目を完成させるのは不可能である」とおっしゃっていますが、根拠がありませんし、むしろPOVを含んだ項目はいつまでたっても百科事典的に不完全なままです。両論がある場合の両論表記についても、あくまで(理想としては)中立的・客観的な視点からみたA論とB論を併記するものであって、「A論者視点からみたA論」と「B論者視点から見たB論」を併記(紙上対決)するものではありません。(ただしこれらは「A論者はA論をこう見ている」と客観的に(あるいは客観性を装って)書かれることもあり、判別が難しいところです) ― TETRA 2006年9月25日(月) 17:30 (UTC)
言い方が悪かったでしょうか.互いに相手の主張はPOVにしか見えないし,現在までのところで歩み寄りが見られなかったのだから今後も見られそうにない,と言う意味で書きました.TETRAさんの仰る書き方がわたしとしても理想ですし,それを念頭に置いてこの話題を始めたつもりです.--ネオ筑摩屋 松坊堂 2006年9月29日 (金) 13:44 (UTC)
「2.3 批判と擁護」の項目は冗長すぎると感じました。特に「2.3.2 批判派の主張にある事実誤認」。百科事典の記述というよりは執筆者の主張という感じで、こういったものはもっと別の場所で書かれるなり議論されるなりしたらよいかと(書かれている内容に反対とか賛成とか言っているわけではありません)。こういう批判がありました。こういう擁護論がありました。その背景にはこういう事情がありました。でいいんじゃないでしょうか。それから先は百科事典の役割ではないと思います。--ヒギ 2006年10月27日 (金) 04:27 (UTC)
「2.3.1 批判派の主張」が事実に反していて、人質達を貶めるような内容であったので、どこかに批判が事実に反している事を明記しておく必要があると考えて「2.3.2 批判派の主張にある事実誤認」の項目を置きました。人質事件当時事実に反した中傷が多数行われたのは事実なので、「事実に反した中傷」の内容を記載したいと考える人もいるのかもしれませんが、どこかに「事実に反した中傷」であることも明記しておかないと、百科事典の記述が被害者の名誉を不当に傷つけることになりかねません。(Y-岡田)
「事実誤認の箇所」というのを9つも列挙して批判にひとつずつ反論するという叙述法は百科事典の叙述法ではありません。ディベート的な空間でよくつかわれるものです。ただ、その際もあまり効果的とはいえず、むしろ自己満足的な印象を与えがちです(その点の検証サイトは無数にあり、玉石混交ですが、敢えて必要性を感じるのならその中で良質なもののリンクを張ったらどうでしょう)。確かに批判の内容そのものは、「かなりむちゃくちゃなことを言いやがる」とは思えても、あくまでも中立的な対場に立とうとすれば、「事実誤認」ではなく「見解の相違」あるいは「枝葉的なもの」という印象が強い。ここはむしろクールにばっさりと切ったほうがインパクトがあると思ういます。なぜなら、この事件の「事実誤認」とそれにつられた批判の最たるものは「自作自演説」であり、3人の背後に共産党や「プロ市民」がついているということでした。むしろどのメディアや言論人、政治家がこのデマに食いついたのか、その後どんな発言をしたのかを克明に列挙することの方が本質が伝わると思います。こうした文章を書くときの大原則は「事実」と「伝聞・推論」と「解説・オピニオン」を明確に区別して書くことです。そして当然プライオリティは「事実」の積み重ねであり、それがあってはじめって、ほんのわずかな「伝聞・推論」なり「解説・オピニオン」に説得力を持たせることができるのだと思います。同様の理由で柏村議員発言に対する記述=(日本は思想と言論の自由が保障された民主主義国家であるので、日本国民は政府の政策に反対であれば、反対であることを表現する権利が保障されている。したがって、「政策に反対しているから反日的分子」という決め付けは、思想と言論の自由を無視した不当な中傷である。国会という開かれた場で、このような不当な中傷を行うことは法律にも抵触する。柏村議員の国会での発言は、犯罪を構成している。)も蛇足だと思いますがいかがですか。むしろ問題発言箇所を議事録から削除しただけで何のお咎めもなく、同年9月には防衛庁長官政務官就任という事実のほうがはるかに伝わってくるものがあるように感じられませんか?--ヒギ 2006年10月27日 (金) 21:10 (UTC)
逆にこれだけ社会的にインパクトのあった事件なのに事実関係の表記、情報、はいささか貧弱すぎませんか。--ヒギ 2006年10月27日 (金) 04:27 (UTC)

編集はまとめて[編集]

プレビュー機能などをご活用いただいた上で、編集はまとめて、なるべく投稿回数を少なくするようお願いします。サーバーに負担がかかるほか、履歴がみにくい/差分がとりにくいといった事態に陥りますので。 see Wikipedia:同じ記事への連続投稿を減らす ― TETRA 2006年9月25日 (月) 14:34 (UTC)

気をつけてはいるのですが申し訳ありません.しかしページを編集する際にそのノートまで毎回チェックはしていませんし,たぶん他のユーザーもそうだと思います.目に余るユーザーには個別に利用者ノートに書いた方が良いのでは.--ネオ筑摩屋 松坊堂 2006年9月29日 (金) 13:44 (UTC)

最初の3人の部分について[編集]

どうも、人質側に偏った文面の気がしてならないんですが(自分が批判側の立場だからかもしれません)・・・気になった場所があります。

批判側の事実誤認という箇所に「日本政府は人質を救出していない」という記述がいくつかありますが、現地の宗教家に交渉してもらうという外交努力も救出活動の一つでは?まるで救出活動に一切関わってないかのような書き方ですが。たしかに「日本政府は人質を救出していない」というのは正しいですが、「日本政府は人質救出活動に一切関わらなかった」ではないですよね?

←当時、頻発した人質事件で救出の為に働いてくれた現地の宗教者というと、「イラク聖職者協会」になりますが、「イラク聖職者協会」のクバイシ師は、「人質解放前に日本政府からの接触はなかった」と発言しています。また、クバイシ師は「日本政府の対応が人質解放を遅らせた」ともいっていました。(Y-岡田)
元ソースが無いので2ちゃんねるで失礼[1]。レス19をみると「日本政府の対応が人質解放を遅らせた」というのは武装勢力の主張ではなく師の個人的見解のようですね。別の人の米軍の厳戒態勢が原因という見解もあります西日本新聞
クバイシ師の見解を「クバイシ師の見解」として提示することは妥当ですよ。--Y-岡田 2006年11月4日 (土) 11:11 (UTC)
もう一つ、政府は宗教家に根回ししたといってますね。読売新聞(文字化け時はShift_JISで)日経新聞
示された記事には「ヨルダンの聖職者にたいして『日本政府からの働きかけ』があった」という記述はありません。--Y-岡田 2006年11月4日 (土) 11:11 (UTC)
クバイシ師が「解放前に日本政府からの接触はなかった」と主張したというソースを示してください。
2004年4月18日放送のサンデープロジェクトのインタビュー--Y-岡田 2006年11月4日 (土) 11:11 (UTC)
テレビ朝日では確認できませんでしたが、たしかにそのようなインタビューがあったと言及しているサイトはありますね。[2]--Monaneko 2006年11月4日 (土) 12:31 (UTC)
あと、両者の主張が食い違っている場合は「日本政府は宗教家へ働きかけていたと主張しているが、イラク聖職者協会のクバイシ師は解放前に日本政府からの接触はなかったと主張している」と両者の主張を併記すべきです。--Monaneko 2006年11月4日 (土) 03:39 (UTC)
日本政府はどの宗教家に働きかけたのかしめしていません。何処と接触したのか示していない以上、本当に接触したという証拠はありません。尚、解放の為に有効な活動を行った宗教家としては「イラク聖職者協会」がありますが、「イラク聖職者協会」のクバイシ師は、「人質解放前に日本政府からの接触はなかった」と発言しています。仮に「イラク聖職者協会」いがいの解放に関係していない宗教家とだけ接触したのだとしても、「解放のための活動」とはいえません。--Y-岡田 2006年11月4日 (土) 11:11 (UTC)
仮に「イラク聖職者協会」以外の宗教関係者への接触でも、「解放のための活動」をしたといえるのでは?イラク聖職者協会が当時有名だったとはいえないし、他を当たった可能性もあります。その話自体が政府の大本営発表ということも考えられますが、政府の主張は政府の主張として書くべきです。あと署名は--~~~~で簡単に表示できます。--Monaneko 2006年11月4日 (土) 12:31 (UTC)
解放の役に立たないような活動ならば、「解放のための活動」とはいえないでしょう。あと、当時、頻発した各人質事件で活発に動いていてくれたのは「イラク聖職者協会」でした。人質解放のために活動したといいながら、「イラク聖職者協会」に接触していないのでは、お話にならないと思う。--Y-岡田 2006年11月5日 (日) 13:27 (UTC)
「解放のための活動」の定義付けが貴方と違うようです。堂々巡りになるのでここでその話はやめておきます。あと、最初の日本人人質事件以前にイラク聖職者協会が人質解放のため尽力した事例を挙げてください。日本では当時無名で最初の人質事件で一躍脚光を浴びたという感じだったのでそれ以前の功績を知りません。--Monaneko 2006年11月6日 (月) 00:30 (UTC)
確かにイラク聖職者協会の活動が知られたのは最初の人質事件以降ですが、最初の人質事件発生から3人が解放されるまでの間に活発に活動していますよ。
2004年4月11日に武装勢力が最初に3人を解放するという声明を出したし際に、イラク聖職者協会の話が出ていたと記憶しています。
また、2004年4月12日に(日本以外の)12人の人質が解放されたのも、イラク聖職者協会の影響があったと記憶しています。
当時、人質解放の為に実のある活動を行っていたのは、イラク聖職者協会とアルジャジーラぐらいでしょう。--Y-岡田 2006年11月6日 (月) 15:24 (UTC)


もう一つ、「人質は帰国の際の飛行機代までも無料にしろと主張した」←(事実に反した嘘)とありますが、何が事実に反した嘘なのでしょうか?

←「人質は帰国の際の飛行機代までも無料にしろと主張した」というのが嘘です。(Y-岡田)

「人質が飛行機代を支払ったので支払ってないと主張したのは嘘」なのか、「そもそも、国は飛行機代など請求していない」なのか分かりません。なにが事実に反した嘘か書かないとただの決め付けのようにしか見えません。--Monaneko 2006年11月3日 (金) 10:57 (UTC)

←何が事実に反した嘘なのかははっきりと書いていますよ。「人質は帰国の際の飛行機代までも無料にしろと主張した」というのが事実に反した嘘です。人質達はそんな主張をしていません。(Y-岡田)


さらにもう一箇所。“そもそも、政府の行動(自衛隊派遣)が、人質達に迷惑(誘拐)をかけているわけであるから、「人権や自由の主張としては度が過ぎている」は成立しない。”とありますが、政府が人質らに迷惑をかけたから「略」が成立しないという理論が分かりません。主観的ではないでしょうか?どうもこれを書いた人は「そもそも自衛隊派遣さえしなければ人質事件など起きなかった」という考えがあるような気がします(主観的ですが)。

←「自衛隊を派遣していなければ、自衛隊撤退を要求した誘拐は起きない」というのは単純な事実です。(Y-岡田)
そのようなお考えは「民間人がイラクに行かなければ人質にならなかったのでは?」との永久ループになります。「自衛隊がいなければ撤退要求はない」は正しくても「誘拐は起きない」が正しいとは限りません。
←少なくとも3人が人質になった当時、頻発した人質事件での要求は「軍隊は帰れ」というものばかりでした。あの時点では「自衛隊がいなければ撤退要求はない」と「誘拐は起きない」は等価といえるでしょう。--Y-岡田 2006年11月5日 (日) 13:27 (UTC)

まあポイントはそこでなくて、政府が人質達に迷惑をかけたら何で「略」が成立しないのですか?政府が人質に迷惑をかけたから何を主張しようと勝手とおっしゃるのでしょうか?それなら人質達の行動が、国に迷惑をかけているわけですから、日本国の主権たる国民が人質に何を言おうと勝手ということですね。--Monaneko 2006年11月4日 (土) 03:03 (UTC)

迷惑をかけられた側が、迷惑をかけた側に対し、迷惑をやめさせるように要求するのは妥当なことであり、「人権や自由の主張としては度が過ぎている」ではありません。--Y-岡田 2006年11月5日 (日) 13:27 (UTC)

「無謀な民間支援は間違いだ」に対し「そもそも自衛隊派遣が悪で、民間の支援は善だ」などという主観的な批判に対する主観的な反論は不毛な争いです。--Monaneko 2006年11月3日 (金) 12:34 (UTC)

←「問題の民間支援が妥当か?無謀か?」を論ずるのならともかく、当時の現地の状況を調べずに、何の根拠も示さずに「無謀云々」と中傷することの方が問題でしょう。また「自衛隊派遣が悪で、民間の支援は善だ」と主張している人がいないのに、『「自衛隊派遣が悪で、民間の支援は善だ」という主観的な反論云々』と妄想を述べるのも問題でしょう。(Y-岡田)
当時外務省が「退避勧告」を出してた場所に一般人が行くことが無謀でないといえますか?
人質事件発生の後では政府はほとんど表明していませんが、当時の外務省はイラク国内で日本のNPOが活動することを公然と支援しています。必ずしも「無謀」は成立しません。--Y-岡田 2006年11月5日 (日) 13:27 (UTC)
また、「『自衛隊派遣が悪で、民間の支援は善だ』と主張している人がいないのに」といいますが、それでは、あの人質やその家族らは「自衛隊派遣が正しかった」若しくは「民間支援が間違っていた」という考えの持ち主だったのですか?言動からして「民間ボランティアはいいけど、自衛隊派遣が間違っていた」という考えだったのは間違いないと思いますが・・・--Monaneko 2006年11月4日 (土) 03:03 (UTC)
他人の発言を参照するわけでもなく、他人の考えを勝手に妄想し、「だれそれがこんな主張(自身の妄想)をしている」と論じるのは不適当ですよ。--Y-岡田 2006年11月5日 (日) 13:27 (UTC)
ノートなので実名を挙げますが、今井氏は人質になる数ヶ月前に既に自衛隊派遣に反対の立場を取ってます[3]。この時点で「自衛隊派遣は間違っていた」という考えを持っていたと分かります。また、自身が民間ボランティアの方と一緒に行動していたという時点で「民間ボランティアはいい」という考えなのは想像に難く無いでしょう(間違った行動と思うことで誰の指図も受けず命を危険に晒す人なんていないでしょうから)。事件後のソースなので事件前と考えが変わってる可能性がありますが郡山氏も自衛隊派遣は間違いと考えてます[4]。あと、「自衛隊派遣が間違いで、民間ボランティアこそ正しい行い」という方々の意見が多々寄せられているサイトを示しておきます[5]。--Monaneko 2006年11月6日 (月) 01:09 (UTC)
「自衛隊派遣に反対」や「自衛隊派遣は間違っていた(る)」と「自衛隊派遣は」ではまったく違うものですよ。(ちなみに私も「自衛隊派遣に反対」であり「自衛隊派遣は間違っていた」と考えていますが、別に「自衛隊派遣は悪」とまでは考えていません)--Y-岡田 2006年11月6日 (月) 15:24 (UTC)
軍隊をイラクに派遣していない国に国籍を持つボランティアがイラクで武装組織に拘束された例はありますね。--経済準学士 2006年11月3日 (金) 13:24 (UTC)
←何時起こったどの事例でしょうか?(Y-岡田)
その件は割合最近になってからの事例だったような気もしますが。フランス人[6]、ネパール人[7]ですかね。後者は傭兵の存在が事件の背景と指摘してるようなので微妙ですが。--Monaneko 2006年11月4日 (土) 03:03 (UTC)

コメントアウト多すぎ[編集]

いくらなんでもコメントアウトが多すぎではありませんか?しかも変な主張が後ろに書かれてるし。コメントアウトでなく、記事を削除の上要約欄に意見を書くべきではありませんか?--Monaneko 2006年11月4日 (土) 03:49 (UTC) 整理しました。--Monaneko 2006年11月4日 (土) 05:41 (UTC)

外務省がNGOに資金拠出[編集]

また、それら政府公認のNGOと人質たちの間に安全確保の点でどのような差異があったのか調べて頂けると幸いです。 ソースを書いたので復活させます ソースは外務省の公式ページです。2004年3月5日(人質事件の一ヶ月前)にイラクでの活動資金として、17億円の資金拠出を決定したことが書いてあります。政府公認のNGOと人質たちの間に安全確保のやり方ですが、両者の安全確保の方法はほぼ同じものです。要は非武装で現地に溶け込み、周りの人を助けることでテロの標的にされないということです。

↑出典が示されてたので[要出典]諸共コメントアウトを削除しましたが、その出典ページが分かりませんでした。その外務省ホームページのURLを参考文献にいれてもらうとありがたいです。<ref>[URL タイトル]。外務省、XXXX年X月X日。</ref>と書けば、脚注の欄に外務省ホームページへのリンクが表示されます。--Monaneko 2006年11月4日 (土) 05:41 (UTC)


柏村武昭の発言について[編集]

柏村武昭議員の発言について、執拗に酷評したがるそうですが。いくつか事実誤認があります。

まず、「国会という開かれた場で正当な理由なく個人を中傷することは法律にも抵触する」ですが、国会議員は幅広い発言の自由が保障されており、院内での発言は院外で責任を取られることはありません。これは、日本国憲法第51条に明記されております。言論の自由というのは、「反日的分子」と表現して批判する自由というのも存在します。その責任は院内での懲罰や次回選挙での落選といった形で取らされます。

また「国権の最高機関で犯罪を行った」とありますが、被害者は名誉毀損などで告訴をしておらず、犯罪として成立しておりません(名誉毀損は親告罪)。また、ビギさんが書いたように、問題発言箇所を議事録から削除しただけ(事実上の発言撤回)で何のお咎めもなく、同年9月には防衛庁長官政務官就任という事実があります。

よって、柏村議員の発言は物議をかもした程度の表現にすることにし、議員を執拗に酷評する注釈(日本は思想と言論~行ったことになる。)は全部削除することを提案します(見当違いのエッセイであり、かつ蛇足であるため)。

ここでは被害者への批判者をことさらに酷評したがる文章で占められている気がします。--経済準学士 2006年11月4日 (土) 21:03 (UTC)

>柏村武昭議員の発言について、執拗に酷評したがるそうですが。
国会議員が国会で「思想信条の自由」「言論の自由」を無視した発言をしたり、犯罪被害者を中傷したりした場合、その行為(「思想信条の自由の無視」「言論の自由の無視」「犯罪被害者の中傷」)を酷評するのは常識的な人間ならば当たり前だと思うよ。--Y-岡田 2006年11月6日 (月) 18:17 (UTC)
>まず、「国会という開かれた場で正当な理由なく個人を中傷することは法律にも抵触する」ですが、国会議員は幅広い発言の自由が保障されており、院内での発言は院外で責任を取られることはありません。これは、日本国憲法第51条に明記されております。
ここは失礼しました。確かに憲法第51条によって国会議員は国会で他人の名誉を毀損しようが、プライバシーを侵害しようが、訴追されないのですね。--Y-岡田 2006年11月6日 (月) 15:59 (UTC)
>言論の自由というのは、「反日的分子」と表現して批判する自由というのも存在します。
この部分は間違いですよ。名誉毀損は言論の自由には含まれません。他にもプライバシー侵害や著作権法違反なども言論の自由には含まれません。--Y-岡田 2006年11月6日 (月) 15:59 (UTC)
>また「国権の最高機関で犯罪を行った」とありますが、被害者は名誉毀損などで告訴をしておらず、犯罪として成立しておりません(名誉毀損は親告罪)。
親告罪でも犯罪の事実があれば、告訴前でも犯罪です。--Y-岡田 2006年11月6日 (月) 15:59 (UTC)
>よって、柏村議員の発言は物議をかもした程度の表現にすることにし、議員を執拗に酷評する注釈(日本は思想と言論~行ったことになる。)は全部削除することを提案します(見当違いのエッセイであり、かつ蛇足であるため)。
人質達を批判する流れの中で、国会議員が国会と言う場で「思想信条の自由」「言論の自由」を無視する発言をしたというのは、「いかに非常識な批判があったか」を示す上で、重要でしょう。したがって、柏村武昭議員の発言が「思想信条の自由と言論の自由を無視する発言であった」ということと「国会内なので免責されているが、本来なら犯罪である」ということは明記すべきでしょう。--Y-岡田 2006年11月6日 (月) 15:59 (UTC)
>ここでは被害者への批判者をことさらに酷評したがる文章で占められている気がします。--経済準学士 2006年11月4日 (土) 21:03 (UTC)
←それは妄想だと思いますよ。どちらかというと、「思想信条の自由と言論の自由を無視する発言」「国会内なので免責されているが、本来なら犯罪である発言」を何とか消し去ろうとしている人がいるような気がする。--Y-岡田 2006年11月6日 (月) 15:59 (UTC)
国会という開かれた場で正当な理由なく個人を中傷することは法律にも抵触する。」という部分は国会議員の国会内での発言は免責があるので名誉毀損にはあたりませんね。「柏村議員は国権の最高機関で犯罪を行ったことになる。」さすがにこれは言いすぎかと。柏村議員は犯罪者といってるに等しくこの文そのものが名誉毀損にあたるかもしれません。そもそも※印以降のことは全て「物議を醸した」の一言で表されてるので一々にトドメを刺すようなことを書く必要ないと思います。「物議を醸した」を「非難を浴びた」に変えるのはアリですが。--Monaneko 2006年11月5日 (日) 08:42 (UTC)
物議を醸した」では、人質達を非難するために「思想信条の自由」と「言論の自由」を無視し、「(国会内の発言なので免責されているが)本来なら犯罪を構成する」発言があったということが明確にならないので、不適当でしょう。--Y-岡田 2006年11月6日 (月) 15:59 (UTC)
あなたは国会議員の「思想信条の自由」と「言論の自由」を無視しています。またここは国会議員糾弾の場ではありません。百科事典です。--Monaneko 2006年11月7日 (火) 12:37 (UTC)
言いがかりはやめてくださいね。私の発言には「思想信条の自由」と「言論の自由」を無視した部分はありませんよ。--Y-岡田 2006年11月7日 (火) 14:34 (UTC)
付け加えておきますが、自由だから何をしてもいいとは思ってません。自由には必ず責任が生じます。国会議員は選挙でその言動や政策を裁かれます。しかし、ここは百科事典です。「こいつはこんな発言を国会の場で発言した犯罪者だ」などと糾弾をするような場所ではありません。--Monaneko 2006年11月7日 (火) 12:56 (UTC)
百科事典の人質事件の項目に、人質が不当な非難を浴びた例として、国会議員が国会で「思想信条の自由」と「言論の自由」を無視してまで中傷したという例を出すことは、当時の非難が非常識なものが多かったことを示す上で、意味があります。--Y-岡田 2006年11月7日 (火) 14:34 (UTC)
だからそれなら「反日的分子」と表現し、物議を醸した。で十分です。犯罪者と謗ることはやりすぎです。--Monaneko 2006年11月7日 (火) 14:39 (UTC)
UTCさんの主張には2つ問題がありますよ。
まず1点ですが、『「反日的分子」と表現し、物議を醸した』という表現では、柏村議員が国会という場で民主主義の根幹である「思想信条の自由」や「言論の自由」を無視して「市民を中傷」したということが明確になりません。
2点目ですが、現時点では私は『柏村議員が国会という場で民主主義の根幹である「思想信条の自由」や「言論の自由」を無視して市民を中傷した』『国会以外の場で行ったら犯罪であるが、国会議員は国会で名誉毀損を行っても処罰されない(憲法51条)』という内容は書いていますが、『犯罪者』という表現は使っていません。--Y-岡田 2006年11月7日 (火) 15:35 (UTC)
名前はMonanekoの方です。ちなみに(UTC)は署名時間が世界協定時であることを示すものです。とまず一応指摘。で「反日的分子」と表現して彼らを中傷したから物議を醸したのでは?そのことを態々原稿用紙半分以上使って解説する必要は無いと思います。また、ここが批判の主体になってはいけません。--Monaneko 2006年11月8日 (水) 06:32 (UTC)

国会議員がある日本人の行動を「反日」や「反日的分子」と主張(または非難)するのは自由な意見の表明の範疇でしょう(「非国民」という表現ならカナリ問題ですが)。何故、「中傷」「名誉毀損」、「思想信条の自由の無視」とかになるのでしょうか? 彼ら3人の行動や思想は一切批判されてはならない「タブー」や「聖域」なのでしょうか? その認識が違う限り、議論は止まったままです。人質批判派の中には「自作自演説」など出発点からずれた主張をしていた者がいたのは事実ですがね。--経済準学士 2006年11月8日 (水) 13:19 (UTC)


>国会議員がある日本人の行動を「反日」や「反日的分子」と主張(または非難)するのは自由な意見の表明の範疇でしょう(「非国民」という表現ならカナリ問題ですが)。何故、「中傷」「名誉毀損」、「思想信条の自由の無視」とかになるのでしょうか?
国会議員であれ誰であれ、賛否両論のある特定の政策に対して反対だったという理由で、特定個人を「非国民」「反日」「反日的分子」と罵るのは、「中傷」であり、「名誉毀損」であり、「思想信条の自由の無視」です。自由な意思の表明の範囲内で表現するなら「彼はこの政策に反対であった」です。--Y-岡田 2006年12月12日 (火) 13:56 (UTC)
>彼ら3人の行動や思想は一切批判されてはならない「タブー」や「聖域」なのでしょうか?
彼ら三人の行動や思想をまともな論理を持って批判するのならいいでしょうが、論理も何もなく「中傷」するのはいけません。--Y-岡田 2006年12月12日 (火) 13:56 (UTC)

投稿ブロックの対象となる行為[編集]

Wikipediaでは編集方針がぶつかった時や、投稿内容や行動に問題があると他のユーザーが考えたとき、無闇に編集を繰り返す「編集合戦」をせず、ノートページや利用者のノートページで議論することを推奨しています。Wikipedianは記事の差し戻し時の要約欄による呼びかけを含め、こうした議論や対話の呼びかけがあったら、基本的にそれに応じて一致点をさぐるよう努力すべきです。しかし、中には一切の呼びかけに応じなかったり、議論が進行中であるにも関わらず自分の主張に沿った編集を強行する人もいます。 (http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:ブロックの方針)


残念ながらY-岡田さんの行動は上記にあてはまると思えます。百科事典は意見主張の場ではありません(そのような表現活動は自身のHPやblogで行える)。5w1hからかけ離れた記述が改められず、編集作業が今後も阻害され続けるなら規定に則って Y-岡田さんの投稿ブロック依頼の発案をせざるをえません(特にこの記事は非常に重要な項目で完成が急がれる。世論を二分した事件はより中立的で客観的事実の提供に努めなくてはならない)。Y-岡田さんの再考を切に願います。  意見が分かれるような問題での客観的で中立的な見解とは、たとえば双方の9割がたの人が合意するような、あるいは受け入れざるをえないような記述です(百科事典は議論や検証の場でははなくそのための材料であり、たたき台)。この点、Y-岡田さんの記述はこのノートで具体箇所を掲示して再三指摘されているように、その要件をみたしているようにはおもえまえん。1割の人たちはどんな「客観的事実」も受け入れようとはせず、その人の「信じたい事実」に固執します。この人たちを説得するのはほぼ不可能です。どんなに具体的資料を提示して説明しても人間が猿から進化したということを認めない人のように。蛇足ながら、Y-岡田さんは被害者を擁護し、批判した人たちを糾弾したいという思いが強いように見受けますが、このような記述ではまったく逆効果だということを自覚してください(あの事件のとき世論の風向きが一気に変わった経緯を思い出してください)。いや、実はそれを狙っているのだというのならもはやなにもいいようがありませんが。--ヒギ 2006年11月7日 (火) 02:14 (UTC)

>残念ながらY-岡田さんの行動は上記にあてはまると思えます。
←これは言いがかりだと思いますよ。--Y-岡田 2006年11月6日 (月) 18:01 (UTC)
>百科事典は意見主張の場ではありません(そのような表現活動は自身のHPやblogで行える)。5w1hからかけ離れた記述が改められず、編集作業が今後も阻害され続けるなら規定に則ってY-岡田さんの投稿ブロック依頼の発案をせざるをえません
投稿ブロックを主張するのであれば、少なくともどの部分が「5w1hからかけ離れた記述」と主張されるのか明確に示してしてください。--Y-岡田 2006年11月6日 (月) 18:01 (UTC)
>(特にこの記事は非常に重要な項目で完成が急がれる。世論を二分した事件はより中立的で客観的事実の提供に努めなくてはならない)。Y-岡田さんの再考を切に願います。
再考が必要なのは事実に反する書き込みをしている人でしょう。--Y-岡田 2006年11月6日 (月) 18:01 (UTC)
>意見が分かれるような問題での客観的で中立的な見解とは、たとえば双方の9割がたの人が合意するような、あるいは受け入れざるをえないような記述です(百科事典は議論や検証の場でははなくそのための材料であり、たたき台)。
私は客観的で中立的な見解とは、検証可能な根拠があり、根拠から論理的に導けるものだと思いますよ。--Y-岡田 2006年11月7日 (火) 13:27 (UTC)
>この点、Y-岡田さんの記述はこのノートで具体箇所を掲示して再三指摘されているように、その要件をみたしているようにはおもえまえん。
それはあなたの妄想でしょう。「具体箇所を掲示して再三指摘」に該当する箇所は見当たりませんね。批判を書かれる方のほうに根拠をしめさず事実を無視した書き込みをされる方が多いようで、私は多くの事実誤認を指摘していますが。--Y-岡田 2006年11月7日 (火) 13:27 (UTC)
>1割の人たちはどんな「客観的事実」も受け入れようとはせず、その人の「信じたい事実」に固執します。この人たちを説得するのはほぼ不可能です。どんなに具体的資料を提示して説明しても人間が猿から進化したということを認めない人のように。
根拠を示さずに、事実誤認の中傷を書き込まれている方のことでしょうか?--Y-岡田 2006年11月7日 (火) 13:27 (UTC)
>蛇足ながら、Y-岡田さんは被害者を擁護し、批判した人たちを糾弾したいという思いが強いように見受けますが、
私は単に「事実誤認に基づく中傷」があたかも事実であるかのように百科事典に書き込まれるのが嫌なだけです。--Y-岡田 2006年11月7日 (火) 13:27 (UTC)
>このような記述ではまったく逆効果だということを自覚してください(あの事件のとき世論の風向きが一気に変わった経緯を思い出してください)。いや、実はそれを狙っているのだというのならもはやなにもいいようがありませんが。--ヒギ 2006年11月7日 (火) 02:14 (UTC)
Fotosintesi|ヒギさんは、百科事典に「事実誤認に基づく中傷」が書き込まれていてもかまわないのですか?--Y-岡田 2006年11月7日 (火) 13:27 (UTC)

投稿ブロックなんて強硬なことをやると、余計事態が悪化しかねないのであまり賛同できません。--Monaneko 2006年11月8日 (水) 06:36 (UTC)

11/8の編集合戦に加担した方を1日ブロックしました。ノートでの提起中に理由は何であれ、大幅な編集またはリバートを行うのはノート軽視行為です。ここでブロック可能性が取りざたされていたにも拘らず、それを軽視なさるのは大変に遺憾です。--Los688 2006年11月8日 (水) 14:10 (UTC)

事件の大要について[編集]

「多数の住民の殺害を始めた」は占領軍の目的が住民殺害であるかのような無茶な編集。

「誘拐(当初に頻発したもの)の目的は「占領軍による住民の殺害を食い止めること」であったと考えられている。」も誰がそう考えているのか知らんが滑稽な編集。

二点書き改めました。Gerira 2006年11月8日 (水) 09:45 (UTC)

ファルージャは軍事拠点でも要塞でもなく、単なる市街地です。市街地を砲撃したり爆撃することは「武装勢力の掃討」とはいえない。市街地を砲撃したり爆撃している以上、やっていることは実質的に「住民の殺害」である。病院を繰り返し攻撃していることからも「武装勢力の掃討」というのが実態からかけ離れていることが分かる。また、米軍が武装勢力を攻撃することはファルージャ攻撃の前からもあったが、ファルージャ攻撃に前には外国人人質事件は発生しなかった。外国人人質事件が発生したのはファルージャで大規模な住民殺害が始まった直後である。このことから、ファルージャでの住民殺害が、外国人人質事件を招いたと考えられる。尚、武装勢力が「民間人を盾にした攪乱戦法」をとったという根拠は今までに示されていない。--Y-岡田 2006年12月12日 (火) 14:38 (UTC)

「シャワーサービス」だのの2ちゃんねる原典としか思えない記述を削除しました。異議のある方は匿名IP及び捨てアカウントでないきちんとしたアカウントを取得した上でどうぞ。--Gordon S 2007年2月3日 (土) 01:53 (UTC)

自作自演論が「真偽不明」となっていますがいくらなんでも乱暴な結論ですので削除します。 確たる証拠もなく噂が飛び交っただけで「真偽不明」扱いになるならアポロの月面着陸が嘘だったとか爆笑問題の太田が反日発言したとかピラミッドは宇宙人が造ったとかプレスリー生きてるとか大抵のデマは「真偽不明」になってしまいます。また、「政府の取り調べに応じていないとありますが、具体的にどのような要請があってそれを拒否したのかが不明なうえ、自作自演論とどう結びつくのかも不明です。政府が自作自演疑って事情聴取しようとしたというなら話は別ですが。--TUZ 2007年2月3日 (土) 10:34 (UTC)

「シャワーサービス」については、北海道新聞の報道の中で記載があったものです(欧米のNGOはシンナー使用者などについては救済を行わないため、10代のストリートチルドレンについて衣服や物を届けるとともに、自己のアパートにてシャワーサービスを行っているとの報道があります。また、人質となった際の家族の記者会見で、英訳者が英語で「15,6歳の男の子と女の子を...」と英訳中に人質の妹が「今あの15,6歳の男の子と女の子っていう風な紹介しました?男の子だけです。」とはっきり訂正しています。このことから、10代の男の子限定なのがわかると思います。なお、北海道新聞は千歳市出身のこの人質と関係が深く、人質について事件前の2003年12月17日から報道を行っていますので、チェックなさるとよいと思います。ちなみに、この12月17日の最初の報道については、男の子にキスしている写真も掲載され、波紋を呼びました。)。2ちゃんねる原典としか思えないのは、そちらが偏っているのではないですか?また、アポロの月面着陸等については、論点をずらすもので意味不明です。これらは刑事事件ではなく、おのおのが勝手に検証可能な単なる事象です。自作自演説については、政府内部にその疑いの情報が届き(週刊新潮4月22日号etc)、またシンガポールの「The Straits Times」2004年5月2日(Drug addict and leftists)にていろいろ疑惑が報道されたことに代表されるように、噂が飛び交ったというより疑惑が報じられたのです。そこで疑惑について人質たちが事情聴取に応じておらず、真偽不明であるのですから、これを記すことは乱暴な結論とは言えません。なお、人質は解放後ドバイにて一度警察の事情聴取に応じておりその中で警察がこれらの疑惑にまつわる聴取をしたところ、以後全く聴取に応じなくなった(共同通信Web版04年4月30日及び北海道新聞検証記事や、最若人質の回想「警察は僕たちを疑っていた」etc)のであり、聴取に応じて疑惑を解けばいいだけなのに、それをしないのですから、この事実を記載することが禁止されるのは意味がわかりません。ので、リバートいたします。--ふるふる 2007年2月10日 (土) 06:20 (UTC)

多少手直ししました。また、警察がドバイでの事情聴取の際に、実際に人質を疑っていたことについては、前掲共同通信の記事内で、人質の一人が、「(警察が)先入観を持って接していると感じ、かなり腹立たしく思った」「こちらの説明を疑っている様子で『本当はこうだったんじゃないのか』と切り返されることが多かった」などとも述べていますので、参考まで。--ふるふる 2007年2月10日 (土) 06:38 (UTC)

いや、だから「確たる証拠もなく」って言ったんですが。要するに自作自演を主張できるだけの根拠がなけりゃそら疑惑というより噂がメディアで取り上げられたってだけの話になるのではないんですか?自作自演論や陰謀論というものは唱えようと思えばいくらでも唱えられますけどそれがちゃんとした根拠に基づいた検証可能なもので無い限り「自作自演ではない」ということを完全に証明することは無理なわけですが、それで「真偽不明」と言って良いなら刑事事件であれなんであれこの手の陰謀論は唱え放題ですよね。911自作自演論なんか根拠が曖昧な点でよく似てると思いますけど、アレも「真偽不明」なんでしょうか? あとドバイの事情聴取で疑われてたってのは週刊現代かなんかと本人の本が書いてたんで知ってますけど、その後の当人が拒否してるってことと自作自演が真偽不明になるのとどんな関係があるんですか?「疑惑について人質たちが事情聴取に応じておらず、真偽不明」というからには事情聴取に応じると自作自演かどうかが明らかになることになりますが、じゃあドバイの事情聴取で自作自演を否定したのはなんだったんだ、ということになりますし、仮に今後事情聴取して否定すればいいだけの話なら本人が著書で否定してる時点で自作自演論は「真偽明確」になってしまいます。逆に「事情聴取で否定しても本人の弁じゃわかんない」という態度なら事情聴取どうこう言う意味がまるでありません。--219.114.11.119 2007年2月10日 (土) 13:08 (UTC)

「自作自演の確たる証拠がある」のなら、これははっきり自作自演ですね。「自作自演を否定する確たる証拠がある」なら、自作自演は否定されます。「どちらにも確たる証拠がない」ので、真偽不明なんですよ。で、「真偽不明としてWikiにおいて言及する」かどうかは、その疑惑が言及するに値するか否か、疑惑がどのように一般化されたかどうかによると考えています。逆に言えば、主要メディアで取り上げられたにも関わらず、それに一切触れないのは片落ちだと思いますし、また言及する以上その疑惑の真偽についても触れるのは自然なことだと思いますが。この事件における自作自演説については、ネットや週刊誌だけでなく、朝日・読売・毎日・日経・(北海道新聞)などの主要新聞及びNHKを嚆矢とする主要テレビ局や海外のメディアでも言及されていますので、話題としての疑惑は一般化されているものと考えております。IPアドレス氏の言うような911自作自演論については、取り上げているメディアがそのように一般化しておらず、オカルト系・陰謀論などが大好きなメディアが多いように思われますが、その違いはおわかりでしょうか。この点をお考えのうえ、自作自演疑惑について言及する意味をご理解されるとよいと思いますが。

また、事情聴取の拒否につきましても、刑事訴訟等における警察の事情聴取の意味をお考えください。例えば、ドバイの事情聴取で警察が全てに納得したならば、帰国してから公安・所轄が事情を聞きたいと求めるでしょうか。つまり、事情聴取を求める以上、情報を政府側はもっと知りたいのですよ。それを拒否する意味が奈辺にあるのかも考えてみてください。また、「本人が著書で否定したら真偽明確」というのはあまりに幼い考えでしょう。公式に事情聴取において釈明し否定することは全く質が違いますよ。もし同じであれば、本人が否定していれば事情聴取は全て不要となります。警察における自白がどんな意味をもつかなどは考えたことはありませんか?ついで「本人の弁じゃわかんない」という態度とはどういう意味でしょうか。本人たちは「その弁」さえ拒否しているのですけれどね。その「拒否」の意味も考えたことがありませんか?全体に非常に考えが浅いようですし、警察や刑事訴訟についても正確な知識がないようですが、もう一度、冷静に議論を辿ってください。あと、署名をお願いいたします。書き捨てでなく。--ふるふる 2007年2月10日 (土) 13:35 (UTC)

つまりですね、「真偽不明」ってのは先に書いたように「根拠に基づいた検証可能なもの」に基づいた議論があって、それでなおかつ議論に決着が付いてないときにはじめて言えることだと言いたかったわけですよ。実際のところ、確かな根拠に基づいた自作自演論ってありましたか?「話題としての疑惑は一般化されている」ということですが、もちろん陰謀論が取りざたされたということを記述する自体に異論はありません。しかし真偽不明扱いにする理由にはもちろんなりません(ふるふるさんがしようとしているとも思っておりません)。それと、こうした主要メディアでの扱いは「自作自演論が話題になった」という事実がメディアで伝えられたということであって何も自作自演を主要メディアが主張したわけではありません。そういう意味では911自作自演論も主要メディアで「陰謀論が再燃中」といった伝えられ方がされています。(アメリカ同時多発テロ事件にも書いてあります)だからといって自作自演論の信憑性が増すわけでもなんでもないことは言うまでもないでしょう。

あと事情聴取の件ですが、ひとつはっきりさせてほしいんですけど「当事者が今後事情聴取に応じて自作自演論を否定すれば自作自演論は完全に否定される」という前提で良いのでしょうか?それとも彼らは警察が完全に納得するまで事情聴取に応じ続けなければならないんでしょうか。それとどうしても気になるのですが、「事情聴取を求める以上、情報を政府側はもっと知りたいのですよ」とありますが政府が今現在も自作自演を疑っていてそのための事情聴取をおこなおうとしているとする根拠はなんでしょうか。自作自演論なんてあろうがなかろうがあのような重大事件なら詳しい事情を聞こうとするのは当然のことですし、別段事情聴取と自作自演論の真偽が結びつくとも思えませんが。しかも「仮に」警察が自作自演を疑っていたとして、それは警察の自主的な判断に基づくものですし任意ですから拒否するのも正当な権利です。警察に疑われているからといって事情聴取に出頭し続ける義務など生じ得ません。その点をついて真偽を明らかにしていないというのはお門違いでしょう。 「全体に非常に考えが浅いよう」とは恐れ入りましたが、お聞かせ下さい。あとログイン忘れは失礼しましたが署名はしてますよ。--TUZ 2007年2月10日 (土) 14:09 (UTC)

>「真偽不明」ってのは先に書いたように「根拠に基づいた検証可能なもの」に基づいた議論があって、それでなおかつ議論に決着が付いてないときにはじめて言えることだと言いたかったわけですよ。< ここのところは私のスタンスとは全く異なります。Wikipediaは百科事典ですので、社会一般上に流布した問題であれば、これを記述し解説(とはちょっと違うか、説明ですね)するべきだと思っております。その上で、このイラク人質事件については、各種メディアで広範に取り上げられ、一般にも相当数周知されておりますので、言及すべきかと。「疑惑があった」ことは事実ですので。その結論については、これが犯罪であれば立証責任から証拠がなければノン・リケットとされる側が一義的に決まりますが、その立証段階にまで至らないのでありますから、これは「真偽不明」としかいいようがないわけです。本人たちの言でも、人質の一人とイラクの抵抗派との関係や、北海道出身の2人の人質が誘拐当初、もう一人の人質を隔絶して犯人たちと50分間も何を話していたのか明らかになっていないなど、釈明が欲しいことはいくらでもあります。これらが自作自演説に結びつく可能性は薄くとも、実際に釈明さえ拒否している以上、なぜに「真偽不明」という表現がだめなのかわからないわけです。実際、自作自演説を肯定する確たる証拠はありませんが、否定する確たる証拠もないわけです。しかも、否定する側が公的な事情聴取を拒否しているのですから、それが主義主張に基づく任意でさえの拒否であることを勘案しても、真偽不明と言ってなぜだめなのか。なお、ここでは「聴取も行われず、確たる証拠もないので真偽不明」と言っているだけで、聴取に応じないことを非難しているわけではないですよ(もっとも、PTSDなのに、という点での疑問はありますが)。

>「当事者が今後事情聴取に応じて自作自演論を否定すれば自作自演論は完全に否定される」< そんなことは言っていませんね。例えば刑事訴訟においては、通常の犯罪においても事情聴取内容が納得いき裏がとれればそのまま被疑事実無しとして釈放されますが、聴取内容が納得いかなければ、他の事情も合間見て起訴されることもあります。その辺は考え直していただきたいと。ただ公的に釈明してその内容が納得いくものであれば、かなりの程度批判論は薄まるでしょうね。ただ、実際釈明していないのです。 また、>政府が今現在も自作自演を疑っていてそのための事情聴取をおこなおうとしている< というのも、一面的な考えです。本件においては、非常に曖昧な点が多すぎる(捕まったときの詳しい状況、人質時の様子、釈放関係など)ので、事情聴取は当然のことですし(得られた情報は他のイラク入国者への注意にもなる)、またその中の一つの論点として自作自演説や、人質の振る舞いについて聞くこともあるでしょう。もともと事情聴取というのは一義的なものではなく、その中で様々な事情を聴くということなのです(一定の容疑を決めうちして聴いていくのは、強制捜査である取り調べ、です)。これに応じるかどうかは確かに自由ですが、しかし応じない場合に世間的にどのような評価を受けるのかはまた別途の事情でしょう。「聴取に応じる義務がないから応じない。(こちらからは公的な釈明はしない)。しかし釈明しないことをもって、真偽不明とは言ってはならない。釈明には応じないが事実無根だ」と言うことは論理の飛躍に思えます。--ふるふる 2007年2月10日 (土) 14:58 (UTC)

ログイン名は忘れただけだったのですね。了解です。--ふるふる 2007年2月10日 (土) 14:59 (UTC)

お互いの議論のどの辺がかみ合っていないのかがわかりました。これ以上粘着してもご迷惑でしょうからこの辺に致します。 「真偽不明」という言葉は、文字通り解釈すれば本当か嘘かがイーブンな状態を指すわけですが、今回の自作自演論の場合そもそも問題提起として自作自演だと主張する根拠がどれもこれも曖昧で、この状態で「真偽不明」と言って良いならば、あらゆる事件や話題に陰謀論が唱えられるのにそれを否定しないかぎり「真偽不明」で片づいてしまうのでは、というのが言いたいことでした。911自作自演論なんかまさにそうなんですが。(ケネディ暗殺事件に対するオズワルド単独犯行否定説のように、映像や弾丸の軌跡といった明確な根拠に基づく問題提起があって、なおかつそれに対する反論もあり、当人も死んでいて結論が出ず、議論がおわってないケースは、「現時点で真偽不明」といえると思います。)ただ実際のところ「真偽不明」という言葉は、どちらかといえば真相が怪しいものに対して使われる傾向があうようですので、そういう意味ではあり得るかもしれません。 事情聴取なんですが、とりあえず推測でなく警察なり政府なりが「自作自演か否かを聴取しようとしている」という前提がなければ、自作自演論とはどう考えても結びつきませんし、「仮に」関係があっても任意で事情を聞かれているのを拒否しているからといって特に事件の真偽に結びつくいわれはないですし、ドバイでの事情聴取で一度否定していることを考えても「警察が納得するまで何度でも事情聴取を受けない限り疑いが向けられる」という危ない論理に陥るか、もしくは本人の語る事件の整合性といった事情聴取そのものとは別の観点を用いないと真偽が検討できなくなってしまいます。(事情聴取は警察がやれば公的なものでが、偽証罪が適用されるわけでもないですし本人の自由意志に基づくものなので、当人の主張に比べて扱いに格段の違いは生じないですし。)--TUZ 2007年2月11日 (日) 01:53 (UTC)

「批判派の主張に対する擁護派の反批判」 および 「議論を呼んだ個人の意見」 について[編集]

 半保護が宣言されているにもかかわらず、ノートでの議論を行わずに大規模な削除が行われているようなので、復活させます--Y-岡田 2006年12月12日 (火) 14:38 (UTC)

では、もう少しすっきりさせる方向で編集をし直しませんか?本文57KBはちょっと他記事をくらべて多すぎますので。また内容がかなり偏っているようですので、編集したいのですが。Y-岡田さんの書き込み内容は議論を相当呼ぶほど主張性が強いように見受けられますので、この際、Y-岡田さんは自重していただいた方がいいと思いますけれど。他のみなさん、どうでしょうか。--ふるふる 2006年12月12日 (火) 22:56 (UTC)

書くなというのは行き過ぎでしょうが、自重してくださるなら(^^;それはともかく、読みにくいのは確かですね。評価のような記述がとても多いですし、事実誤認も多い。自作自演説も完全否定されているのは一部の勢力の中だけですよね。だから未だに取りざたされる(正式には、警察の事情聴取を被害者が断ったため真偽不明のままのはず)。いずれにせよ、ウィキは百科事典ですから、評価的な論争の細かいところまでは不要ではないですかねえ。大要と年表だけにしてはどうでしょうか。--133.87.1.152 2006年12月13日 (水) 03:17 (UTC)

大要と年表だけですか。いいかも知れませんね。私はどちらかというと擁護派ですけど、本記事はあまりにも偏っているように見えます。--社民復活 2006年12月13日 (水) 03:24 (UTC)

自重をお願いするのは行き過ぎでしたか、反省しております。概要と年表だけ、結構すっきりしていいかもしれません。ここは論争を交わす場ではありませんし。Y-岡田さんの意見を伺うか、あるいは暫く意見がなければそうしてみたいと思います。よろしくお願いします。--ふるふる 2006年12月13日 (水) 15:29 (UTC)

大要と年表だけ、あと派生事実を多少加えてバランスをとってみました。すっきりした感じになったのではないかと思います。この事件には個人的に思うことが多いのですが、この事件の取材のために、Jリーグのコンサドーレ札幌の練習に影響が出たり(被害者宅は練習場のすぐそば)、医療系活動家と日教組系活動家の...など考えたすえ省きました。IPユーザーさんのおっしゃるとおりWikipediaは百科事典ですので、中立的にいくのがよいと思います。ご意見お待ちしております。--ふるふる 2006年12月14日 (木) 12:03 (UTC)

>(北朝鮮による拉致事件を事実無根を主張していた社民党などが、自作自演説を事実無根と主張している勢力とオーバーラップしている点について、一部週刊誌から疑問が指摘されている。)←これについては無用の評価になりかねず、また論争の種になりかねません。削除をお願いします。--社民復活 2006年12月14日 (木) 12:50 (UTC)

確かにそうですね、削除しました。それにしても反応がはやいですね。隠れたトピックなんでしょうか(笑)--ふるふる 2006年12月14日 (木) 12:53 (UTC)

いろいろ気になる点がありましたので、多少手直ししました。たとえば、傭兵の部分については、政府が雇っていないと傭兵とはいえない点やそもそも当時国際法上で認められるイラク政府があったのか、イラク内においてジュネーブ条約が適用されるかなど、かなりの疑問があるようなので、評価は省き事実だけに留めました。また自作自演説についても、刑事訴訟(刑法3条の2、一項4~5号及び第33章以下)となっていないため真偽が現在のところ不明(というより検証自体がきっちりとされていない)というのが法的な現状(確認済み)らしいので、手直ししてます。また、外務省がイラク内のNGOを援助していたという論点が以前あったようですが、当時はイラク戦争は早期におさまるとの予想があったため、それを見越して戦争がおさまってからの援助のために予算要求するのは役所的に当たり前と言えたのだそうです。また、実際に援助をしていた部分もあったのですが、それはイラク国内で給水の実績のあるフランスのNGOなどや、国境なき医師団的なものであって、一律に論点化するのはどうかと思われたので省きました。もっとも、外務省がイラク国内のNGO等に事情を勘案して援助をしていたとしても、その援助を受けない人たちが渡航自粛勧告・退避勧告を受けていた実情に照らすと、「外務省の援助を受けるNGOなどに至らない人たちは退避せよ」という考えらしいです。今回の当初の3人は、何の組織にも属していない(と本人たちが主張している)以上、これは却って「外務省の援助認定も受けられないのに勝手に入国した」という点で不利になるのかなあ、とか思えたりもしますね。また、ちょっと疑問ですが、参考文献・サイトで個人名が既出なのに、記事内でぼかすのはどうなんでしょうか。ルールだから仕方ないと言えばそれまでなんですが。--ふるふる 2006年12月14日 (木) 16:32 (UTC)

項目分割の提案[編集]

今(2007年1月22日 (月) 17:27)の版でだいぶすっきりしたみたいですね。論争はまた別項目でも作って(隔離項目?)そちらでやりあったほうが、「事件の大要のみを知りたい人」には見やすくて良いかもしれません。検索で本項目を見つけてWikipediaに来る人々の目的は何か、を考えた時、

  • 「事件の大要のみを知りたい人」(事実関係のみを記した項目なら荒れにくい)
  • 「それについてどんな論争が行われてきたのかを知りたい人」(こちらはどうしても荒れるだろうけど知りたい人はいるはず)

に分けられると思いますので。また、論争があるとき必要なのは対話(Wikipediaにあっては両論併記)であって相手を沈黙させたり論破することではない、あまつさえ都合の悪い記述を片っ端から削除することではないはず。--ネオ筑摩屋 松坊堂 2007年1月30日 (火) 03:29 (UTC)

自作自演説批判について[編集]

自作自演説を批判する意見を載せました。これまではあたかも「イラクの人質は自作自演をしたけど、証拠がない」との印象の強い文章だったので、バランスをとるために編集しました。Narita top road 2007年2月22日 (木) 11:00 (UTC)

印象の取り方は人それぞれで、編集のやり方もあるとは思います。ただ、「誰々がこういう批判をしている」との書き方は避けていただきたいと思います。ちょっと前の版を参照いただけるとご理解いただけると思いますが、誰がどういう意見を言ったかを書き始めていくと、収拾がつかなくなってしまうのです。そのため、現在の版は、誰がどういう意見を言ったかは全て省いた形になっているのです。--ふるふる 2007年2月23日 (金) 14:25 (UTC)

小林さんに関する記述を削除したことはわかりましたが、「自作自演説はデマ」という話まで削除する必要はないでしょう。そういう批判があったのは事実ですし、そういうことを書かないと、前にも書いたように、「イラクの人質は自作自演をしたのは間違いないけど、証拠がない」という印象を持たれてしまいます。また、私が削除したところも、確認のとりようのない情報なので、削除すべきでしょう。もう少し、中立的な視点での編集を心がけるようお願いします。Narita top road 2007年2月23日 (金) 15:10 (UTC)

産経新聞は、「言って言って」報道について誤報謝罪文を出しましたでしょうか。不明ですので削除しました。また真偽不明とは字義通り「真も偽も不明」という意味です。「イラクの人質は自作自演をしたのは間違いないけど、証拠がない」という意味ではありません。ご自分の印象だけで削除されるのではなく、あなたも、文意を汲んで中立的な編集を心がけてくださるようお願いいたします。--ふるふる 2007年2月24日 (土) 12:17 (UTC)

「真偽不明であるが根拠がない」場合、推定無罪という考え方からも可能な限り根拠がないというほうを前面に出すべきでしょう。ここは2ちゃんねるや個人ブログじゃないんだから、個人でそう思うことは自由ですが、自作自演を疑わせるような記述は出来るだけ避けるべきじゃないですか?あと、あなたの願望による記述は明らかに百科事典にはふさわしくないので削除しました。Narita top road 2007年2月24日 (土) 13:39 (UTC)

「推定無罪」は刑事訴訟上のもので、単にノンリケットの場合の訴訟責任を決める物です。一般事象について一義的に適用されるとは決まっていません。日本語の文意・術語の理解に心がけてください。誤解を招くような部分は削除しますが。--ふるふる 2007年2月25日 (日) 02:13 (UTC)

「日本の刑事事件における真相の究明という観点からは、被害者側が解放直後のドバイでの聴取を除き、以後警察の事情聴取に応じず、また犯人逮捕の可能性が低い現在では、真相の究明は困難であると言われている。犯人の検挙が待たれるところである。」 という部分は百科事典にはふさわしくないと思い削除しました。人質批判をしたいならば個人のブログでやってください。ここは百科事典でありあなたの個人的信条を表明する場所ではありません。あと、「根拠がない」以上、それは「デマ」とされても仕方ありません。報道のイロハです。もう少し他人の名誉に気を配らなければいけません。ここは2ちゃんねるじゃないのですから。Narita top road 2007年2月25日 (日) 03:10 (UTC)

「当事者が聴取に応じない」「そのため真偽不明」このどこに間違いがあって、百科事典にふさわしくないのかわかりませんのでリバートします。それと、これは前にも同じような議論をこのノートでしていますので、よく読まれてください。--ふるふる 2007年2月25日 (日) 04:58 (UTC)

一応、再掲出しておきます。>Wikipediaは百科事典ですので、社会一般上に流布した問題であれば、これを記述し解説(とはちょっと違うか、説明ですね)するべきだと思っております。その上で、このイラク人質事件については、各種メディアで広範に取り上げられ、一般にも相当数周知されておりますので、言及すべきかと。「疑惑があった」ことは事実ですので。その結論については、これが犯罪であれば立証責任から証拠がなければノン・リケットとされる側が一義的に決まりますが、その立証段階にまで至らないのでありますから、これは「真偽不明」としかいいようがないわけです。本人たちの言でも、人質の一人とイラクの抵抗派との関係や、北海道出身の2人の人質が誘拐当初、もう一人の人質を隔絶して犯人たちと50分間も何を話していたのか明らかになっていないなど、釈明が欲しいことはいくらでもあります。これらが自作自演説に結びつく可能性は薄くとも、実際に釈明さえ拒否している以上、なぜに「真偽不明」という表現がだめなのかわからないわけです。実際、自作自演説を肯定する確たる証拠はありませんが、否定する確たる証拠もないわけです。しかも、否定する側が公的な事情聴取を拒否しているのですから、それが主義主張に基づく任意でさえの拒否であることを勘案しても、真偽不明と言ってなぜだめなのか。なお、ここでは「聴取も行われず、確たる証拠もないので真偽不明」と言っているだけで、聴取に応じないことを非難しているわけではないですよ(もっとも、PTSDなのに、という点での疑問はありますが)。--ふるふる 2007年2月25日 (日) 05:03 (UTC)

またフリーの記者が数名まともな検証報道をしようとしたが、当事者の取材拒否にあって検証が不可能になってます。そのため、検証報道がきっちりとなされたことはないのです。検証がきっちりとされた書籍があれば教えてください。私もすごく知りたいのです。--ふるふる 2007年2月25日 (日) 05:09 (UTC)

単に「真偽不明」というのと「真偽不明だが根拠が一切ない」とでは受ける印象がだいぶ違います。単に「真偽不明」というだけでは、「真偽不明とか言ってるけど、本当はあったんだろ?」という下衆の勘繰りを許すことになってしまいます。「ものを書く」ということ、特に特定の人たちにとって都合の悪いことを書く際には、それなりに信頼に足る根拠が必要になるわけです。ところが今回はそれがまったくありませんでした。それから、「自作自演を否定する確たる証拠はない」といいますが、そんなものあるわけがありません。それに関しては「悪魔の証明」という言葉で十分でしょう。少なくとも、ものを書くということにおいて、「確たる証拠はない」ということは「そんな事実はない」ということと同義です。「否定する根拠がない」からといって何を書いても良いとなると、否定する根拠がないようなことは何を書いてもよいということになります。何度もいいますが、百科事典という場において、「肯定する確たる証拠」がない場合、それに言及するということはふさわしくありません。言及するなら、「確たる証拠がない」ということを寄り強くすることで人質となられた方々の名誉を守ることが出来ます。もう少し、他人の名誉についてデリケートな感性を持って頂きたいと思います。Narita top road 2007年2月25日 (日) 05:42 (UTC)

>週刊新潮4月22日号etc)、またシンガポールの「The Straits Times」2004年5月2日(Drug addict and leftists)にていろいろ疑惑が報道されたことに代表されるように、噂が飛び交ったというより疑惑が報じられたのです。< この辺を読まれていただきたいと。根拠が一切ないわけではないのです。疑惑があり解明ができない、ということですよ。--ふるふる 2007年2月25日 (日) 05:51 (UTC)

確かその報道自体もかなりの批判を受けたと記憶していますが?確か「週刊新潮」の記事は2ちゃんねるの丸写しで、シンガポールの新聞もほぼ「週刊新潮」の丸写しと聞いたことがあります。とりあえずその程度の信頼に乏しいものを「根拠」と言い張るのは難しいと思います。それを言ったら「週刊現代」の「自作自演説は官邸発」という記事も紹介しなければならないと思います。Narita top road 2007年2月25日 (日) 06:05 (UTC)

「週刊現代」の「自作自演説は官邸発」←こういう報道があったのであれば、記載されてもよいですよ。また「聞いたことがあります」程度で否定なさるならば、きっちりとソースを示して検証してください。いずれにしても、「疑惑があり、その検証に必要な「人質自身からの公的な事情表明」が全くなく、真偽不明である」ということについて、はっきりした否定根拠があればそのソースをきっちりと出せばいいだけのことです。この否定検証はこれまでにはっきりとしたものがないんですよ。これに挑んだジャーナリストは、全て被害者の「自己の応援団体への発言」以外の黙秘にあって、行詰まってます。唯一、九州出身の元人質の方は取材に応じてくれますが、実はこの方も、人質中は、一時北海道からの二人と隔離されたりしていてその間の状況はなぜだかわからないと述べられていて、状況の解明はできない状況です。情緒的に否定なさるのであれば、ブログ等でやられてください。疑惑があったと報道され、「報道した媒体が否定報道も謝罪もせず」、対象者が「公的な」事情表明も何もない現在で、「真偽不明」と記すのが不都合な理由はわかりませんよ。「真偽不明」は字義通りの意味です。決して、悪印象を与える意味で用いているわけではないのですから。--ふるふる 2007年2月26日 (月) 11:30 (UTC)

悪魔の証明」という言葉をご存じないんですね。「否定証明」なんて出来る訳がないんです。私が言ってるのは「真偽不明」ということを問題にしているのではなくて、「真偽不明だけど根拠はない」ってことです。一週刊誌の記事を「根拠」というには弱すぎるし、その記事が2ちゃんねるの丸写しだということは「週刊新潮」の項目の中にちゃんとありますよ。何度も言いますが、元人質の名誉を傷つけるような記述は百科事典にふさわしくありません。そんなことはブログででもやってはいけませんね。名誉毀損という犯罪ですから。第一、流言飛語と憶測と噂だけで「疑惑」なんていってたら、この世は「疑惑」だらけです。この件を「疑惑」とするのはあくまであなたの個人的な見解で、この件は完全なデマであるという見解があるのも考えてください。信頼性のある根拠のない「疑惑」など「デマ」でしかないのですから。Narita top road 2007年2月26日 (月) 12:05 (UTC)

「悪魔の証明」とは物理学や論理学の「不存在の証明」であって、一般事象では反対側の証拠提出責任を逃れることではないんですよ。ほんとに意味わかってますか?一般事象では、疑惑が出され、本人側が釈明を行った場合に、一応の土俵に上がった上でのメルクマールです。本人側が何らの釈明も説明も行わない場合は、「悪魔の証明」なぞ妥当する余地さえないものなんです。ほんとにきちんとした教育を受けて話しているのですかねえ。付け加えると、私は疑惑を否定する意見を全否定してはいません。疑惑自体を全否定するあなたの方が個人的見解の押しつけではないですか。ついでに言えば、「真偽不明」との記述は、公然事実を示していないので、名誉毀損の構成要件には該当しません。構成要件の意味がわかればいいのですけれど。術語の正確な理解を望みます。「術語」の意味もご理解ください。--ふるふる 2007年2月27日 (火) 14:46 (UTC)

「疑惑」は言った側に証明責任がある。当たり前のことだと思いますが。また、「悪魔の証明」について調べたところ、特に事象を物理学や論理学に限るという説明はありませんでした。何度も言ってるように、「無かった事」を証明する為には、「疑惑」をすべて否定証明しなければいけない。不可能ですよね。他人に不可能なことを要求してどうするんですか?元人質の方たちは、記者会見や手記、書物、インタビューなどでいずれも自作自演を否定する発言を行っているし、その中で「あれは演出というより命令で、あの状況では拒否できない」という説明を行っていますがそれで十分ではありませんか?付け加えると、私は個人的には自作自演などなかったという見解ですが、それを忠実に編集に反映するつもりはありません。「真偽不明」という点は残し、その上で信頼できる根拠はなく、デマという批判がある、という記述を加えているだけです。自作自演説に関しては、百科事典に載せるという観点からいうと「自作自演説があったが信頼できる根拠はなかった」という部分に肉付けするだけでよいのではないでしょうか?百科事典において重要なのは「事実」であり「疑惑」ではないのですから。あと、なにやら私を愚弄する記述をしているようですが、それは編集ブロックの用件にあたると思いますが?Narita top road 2007年2月28日 (水) 10:14 (UTC)

>「無かった事」を証明する為には、「疑惑」をすべて否定証明しなければいけない。<全部否定ができないから、事情聴取にも応じないというのは、立証責任の放棄ですので、「悪魔の証明」なぞ出る幕がないんですよ。おわかりですか?それに「願望による記述」「御自分の主義主張はブログ等で主張願います。ここは百科事典ですので。」など愚弄が疑われる発言は私ではなくあなたがはじめたものです。編集ブロックの「要件」にあたるかどうかは疑問ですがね。このノートを最初からずっとお読み下さい。似たような議論はさんざん行われてきており、落ち着いたものをぶり返しているのはあなたなのです。--ふるふる 2007年3月2日 (金) 11:55 (UTC)

元人質の方々には、はじめから「立証責任」など存在しません。周りが勝手に騒いだ「自作自演説」に対して、「立証」しなければならないことなど何一つありません。例えば、松本サリン事件では妻がサリンの被害を受けた会社員が犯人視されましたが、その会社員も事件に関与していないことを「立証」しなければいけないと?そんなバカな。関東大震災のときには朝鮮人が井戸に毒を入れたというデマが流れましたが、そのときも朝鮮人側が「立証」しなければいけないと?そんなバカな。第一、元人質は記者会見を行っていますし、インタビューや手記、著書などでも折に触れて自作自演説を否定しており、何一つ説明していないということはありません。 それから、「御自分の主義主張はブログ等で主張願います。ここは百科事典ですので。」という発言はあなたのものです。私のものではありません。Narita top road 2007年3月2日 (金) 12:17 (UTC)

もうこれ以上議論しても埒が明かないので、このノートへの書き込みはしません。罵倒合戦になるのは嫌ですので。あと、このノートを見たほかの方で、何か建設的な提案がある方はよろしくお願いします。私としては、編集合戦になってしまいましたのでWikipedia:保護もやむなしと思っております。Narita top road 2007年3月2日 (金) 12:34 (UTC)

会話の放棄は、主張の放棄ですよ。どちらも固執しすぎのようです。暫く論争の元になる記述は省いて様子を見ませんか?Pismox 2007年3月2日 (金) 22:47 (UTC)

Narita top roadさんへ。履歴をみると2月10日から2月22日まで編集がありません。この編集合戦は2月22日のNaritaさんの編集から始まっているようです。もし保護依頼をされる場合は以前の2月10日の版に戻してから依頼されるよう願います。--Pismox 2007年3月2日 (金) 22:58 (UTC)

Pismoxさんのおっしゃりたいことはよくわかります。しかし、「自作自演説」を語るにおいてそれに対する批判を載せるのは必須だと思うのです。そうでないと、とても中立的とはいえないと思いますので。Narita top road 2007年3月3日 (土) 00:18 (UTC)

ふむ。では双方の主張併記の状態にしましょう。naritaさんもこれ以上の固執はおやめになって、編集は自重願います。--Pismox 2007年3月3日 (土) 02:24 (UTC)

Pismoxさんの最後の投稿を最後に保護されましたが、これでよかったのでしょう。Narita top road 2007年3月3日 (土) 03:31 (UTC)

自己責任騒動についての評価[編集]

起こった自己責任騒動についてのパウエル国務長官の発言などを含む反応について、下記に記述があります。

  • Japan's Chicken Journalism Benjamin Fulford
改訂版 日本マスコミ「臆病」の構造 ベンジャミン・フルワード 宝島社 ISBN 4-7966-4646-9 2005年
58.93.126.95 2007年8月17日 (金) 14:21 (UTC)

単なる Google検索結果は出典として認められません[編集]

利用者:鱶鰭好会話 / 投稿記録 / 記録さんが、「イラク3馬鹿」という表現を用いたいがあまりGoogleの検索結果を出典としていましたが、これはWikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないを満たしませんので除去しました。また、本件が、「ネット上固有の事件」であるならばともかく、そうではない以上、「ネット掲示板やブログなど」の反響と称するものを検索結果によって記載しようとすることは、Wikipedia:ウィキペディアは何でないかに反するものです。少なくとも、Wikipedia:信頼できる情報源にその「反響」が掲載されていなければ、それは事典として特筆すべき事項とはいえません。--崎山伸夫 2007年10月10日 (水) 16:31 (UTC)

利用者‐会話:鱶鰭好で決着済みです。鱶鰭好 2007年10月10日 (水) 16:59 (UTC)

執筆者のひとりについてコメント依頼を出しました[編集]

Wikipedia:コメント依頼/鱶鰭好を出しました。--崎山伸夫 2007年10月11日 (木) 14:56 (UTC)

意見を募っています[編集]

関連する項目のノート:イラク日本人青年殺害事件で意見を募っていますのでご参加ください。鱶鰭好 2007年10月15日 (月) 16:18 (UTC)

もうそろそろ・・・[編集]

  •  なかなかなり止まないようですが、いい加減そろそろ止めに出来ませんかね?
  •  逆に私は、投稿者全員に言いたい。『それじゃあ、あなた方は行動出来たのか?行動する意思があったのか?』と。確かに、被害当事者等には「一定の批判」は必要でしょうが、特に最初の3人の活動内容までは、私は誰にも非難できるものではないはずと思っています。劣化ウラン弾の一件でも、当時社会的認知度は皆無同然であった所を当時10代後半の少年は直に取材し帰国後に報告会を行っていたと伝え聞いていますから、「批評家」のあなた方よりは遥かに立派ですよ。
  •  もうそろそろ、この件についての話は止めにしても良いと思いますけど・・・?いまだに、このページの中にですらあの当時のバッシングの嵐が吹き荒れているのかと思わざるをえず非常に悲しいですよ。

--ボランティア支援家 2008年4月14日 (月) 00:33 (UTC)

    • >ボランティア支援家氏

ここは個人的感情をブチまける場所ではありません。「「批評家」のあなた方よりは遥かに立派ですよ」などと言葉を濁して御託並べて宣伝じみた主張をする場所ではない事に留意して頂きたい。(やりたければ2ちゃんねるとかでやればいいでしょう)

ヘタにそのような主張なさると保護解除の際に却下の理由として取られる事もあります。

不躾ではありますが貴殿にご質問を・・・この件についてはどうお考え(いえ、ただ言動から気になっただけです。失礼致しました)

--R34SkylineV-SpecⅡNür 2008年4月19日 (土) 13:46 (UTC)

〔直上の方へ〕 その話を持ち出すのであれば、それこそ前述者全員に伝えるべきでは?私の発言への批判も結構ですが、際限無く方向性すら見出せない不毛な議論を繰り返すのは打ち止めにしては?と申し上げたいだけです。それだけの酷評をされて、意見や見解を求められても回答する気にはなれませんし、そもそも私は中東問題の研究者ではないので「わからない」としか答え様がありません。 --ボランティア支援家 2008年4月22日 (火) 02:04 (UTC)

>その話を持ち出すのであれば、それこそ前述者全員に伝えるべきでは? ほとんどもう解決済みの事案です。そこに「「批評家」のあなた方よりは遥かに立派ですよ」と火にジェット燃料(油)を注ぐ様な言動をすれば更に延焼してしまう恐れもありますので、ここは穏便に・・・(あとてっきり事件の3名の関係者かと思い、ムチャクチャ言ってしまった事を謝罪します。申し訳ありませんでした)

ただ保護解除申請は2週間程度経ってから提出するのがいいかと思われますが・・・


--R34SkylineV-SpecⅡNür 2008年4月23日 (水) 09:28 (UTC)

氏名[編集]

週刊誌はともかく、主要四大紙の活字でもTVニュースの口頭でも既に国民に広く周知されており、しかもブログや革マル派の機関紙で自ら実名で寄稿までしている「人質」の方々の氏名を伏せる必要が果たしてあるのでしょうか? 氏名で検索してもこの項目を含めWikipediaの記述は一切ヒットしないわけで、あまりにも不自然です。--121.103.220.51 2008年10月12日 (日) 21:01 (UTC)

それは「革マル派が関与しているとされる雑誌」という話で、機関誌ではありませんね。なお『週刊金曜日』2005年4月1日号には、この話の出所は公安警察とありますが、いずれも根拠はありません。--202.91.214.87 2009年5月11日 (月) 05:45 (UTC)