ノート:ウィキギャップ

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テンプレート類[編集]

「背景」節にネガティヴな評価が多く、ポジティヴな評価が書かれていないこと、また日本とスウェーデンに情報が偏っていることから、中立性及び国際化のテンプレートをつけました。背景の節には評価をバランス良く書く必要があります。また、他言語版の事例についても触れるべきかと思います。

なお、自分に関わることで恐縮ですが、私の肩書きが完全に間違って書かれておりましたので、そこは修正しましたので、ご容赦願います。--さえぼー会話2019年10月18日 (金) 02:10 (UTC)[返信]

wikigapという活動は私もこの前初めて知って、女性の一人としてバクダード初の女性市長「ゼクラ・アルワチ」さんと、韓国で活躍している女性芸能人の「藤田小百合」さん(これは前に作治されていたので、削除依頼しました)を書きました。これは私の意思で、だれからも強制されません。wikipediaは書きたいことをruleを守りつつ書きたいように書く場所であって、誰かから先導・扇動されて書かれるべきものではないと思います。そして、背景では、政府が推し進める「wikigap」という活動に関する非難に関する記載があるだけで、女性が女性の記事を書きたいように各取り組みが起こられているわけではないと思いました。

女性の記事が増える事による称賛と激怒とそれを誰かが先導・扇動することによる称賛と激怒は区別されなければいけません。

女性の記事が増えたことによる影響は一週間や二週間ではわかりません。今ある事実はそれを国がお金をかけて先導・扇動したという事実だけがあります。と思考すると、negativeな情報しかないのは仕方ないと思います。「成果」はまだ出てないからです。片割れ靴下会話2019年10月18日 (金) 06:08 (UTC)[返信]

だから、positiveな情報は、記事が作られたという情報で、その情報は影響でちゃんと書かれています。だから私はこの記事が一方に偏っているとは思いませんでした。片割れ靴下会話2019年10月18日 (金) 06:28 (UTC)[返信]

返信 (さえぼーさんの2019年10月18日 (金) 02:10 (UTC)のコメント宛) ご意見ありがとうございます。本記事を加筆修正させていただいた者です(編集履歴の126.〜のIPアドレスは全て私です。今後他の方が偶然類似するIPアドレスで編集することもあるかもしれませんが、少なくとも現時点では126.〜の編集は全て私です)。さえぼーさんの「日本とスウェーデンに情報が偏っている」とのご指摘について。スウェーデン王国はウィキギャップキャンペーン始まりの地であり、キャンペーンの“実働部隊”の中核を担うのがスウェーデンの政権与党の意を受けた外務省傘下の在外公館である以上、スウェーデンに関する記述が多くなるのは自明かと思います。また、日本国については、私の場合、手許に入手できた文献や資料が日本に関するものが多かったため、結果的に日本についての記述が多くなった次第です。無論、他国でも開催実績があり、ウィキメディア・コモンズのカテゴリページでも他国の様子が多数投稿されていますので、機会を見つけ出典を揃えて他国の状況も加筆したいと考えています……が、現時点ではそこまで手が回り切れていないというのが実情です。また、当然のことながら他の方からも加筆いただければありがたいと考えています。「日本とスウェーデンに情報が偏っている」と不満を感じているさえぼーさんにとっては納得いかないかもしれませんが、ウィキである以上、だんだんと段階的にページが充実していくことになるのは、ある程度やむを得ないことかと思います。最初からパーフェクトな版で投稿することはできませんので、その点ご理解いただければと思います。--126.246.16.189 2019年10月18日 (金) 12:42 (UTC)[返信]
返信 (さえぼーさんの2019年10月18日 (金) 02:10 (UTC)のコメント宛) さえぼーさんの「ネガティヴな評価が多く、ポジティヴな評価が書かれていない」とのご指摘について。そのようなご指摘は全く当たらないと考えます。なぜなら、記事冒頭から「背景」セクション前半までは、ヴァルストローム前大臣の主張(ウィキギャップキャンペーンはロベーン政権の打ち出した外交政策の具体的な成果の一つだとする主張)について触れるなど、比較的肯定的な記述が多数を占めております。ただし、「背景」セクション後半ではキャンペーンの問題点についても触れることで、単なる翼賛的な記述に陥ることなく、メリットデメリットについてバランスよく記述したつもりです。特にシグフリッド元議員が問題点を指摘している点が重要かと思います。穏健党の元議員の指摘を記載することで、このキャンペーンはスウェーデンではまだ国是的な方針というレベルには達しておらず、個別の政党が提唱する政策レベルであり、国内ですら賛否両論であるということを示しています(たとえば、日本でいえば「非核三原則」のような大多数の国民全体が支持するような国是的な方針とは全然比較にならず、小泉政権当時の与党自由民主党が提唱した「痛みを伴う構造改革」、鳩山政権当時の与党民主党が提唱した「コンクリートから人へ」、最近でいえば「消費税増税」のように、国内でも賛否両論ある政策と同様の状況だと思います)。また、元議員はウィキメディア・スウェーデン協会(あるいは「ウィキメディア財団スウェーデン支部」とも言いますが)の主要人物でもあったため、ウィキメディア関連のコミュニティ内からも懐疑的な意見が挙がっていることも示せているかと思います。つまり、誹謗中傷のようなレベルの低い批判を掲載しているのではなく、あくまで掲載する価値があるであろう問題点の指摘の掲載にとどめたつもりです。したがって、「ネガティヴな評価が多く、ポジティヴな評価が書かれていない」などという指摘は、全く事実と異なると思います。この状況でなおも「このキャンペーンに対する賛成意見が不十分だ!」「このキャンペーンについて、もっともっと賛成意見を載せろ!」などと主張するなら、厳しい言い方になりますが、それはウィキペディア上でやることではなく、ご自分のブログ等でやるべき話だと思います。ここは百科事典であり、単なる一私党の政治キャンペーンに対する広告宣伝の場ではないのです。--126.246.16.189 2019年10月18日 (金) 12:58 (UTC)[返信]
返信 (さえぼーさんの2019年10月18日 (金) 02:10 (UTC)のコメント宛) さえぼーさんの「私の肩書きが完全に間違って書かれておりました」とのご指摘について。さえぼーさんの2019年10月17日 (木) 16:33 (UTC)の編集を見る限り、北村准教授の職業の記載が誤っているということでしょうか。私の編集前から既に「社会学者」となっておりましたが、その間違いに気が付かずにそのまま編集しておりました。失礼いたしました。--126.246.16.189 2019年10月18日 (金) 13:07 (UTC)[返信]
返信 (片割れ靴下さんの2019年10月18日 (金) 06:28 (UTC)のコメント宛) 片割れ靴下さんの「positiveな情報は、記事が作られたという情報で、その情報は影響でちゃんと書かれています。だから私はこの記事が一方に偏っているとは思いません」とのご意見について。ご意見誠にありがとうございます。翼賛的な記述や誹謗中傷的な記述に陥ることなく、メリットデメリットについてバランスよく記述するのが最も望ましいと考えて投稿しておりましたが、片割れ靴下さんのご意見を読んであらためてその意を強くしました。--126.246.16.189 2019年10月18日 (金) 13:14 (UTC)[返信]
  • 「ヴァルストローム前大臣の主張」は単なる背景の描写であり、第三者からの肯定的な評価に関する記述ではありません。また、ウィキペディアに関連する企画について政策としての成果のみを記述するのは、むしろこの企画に政治的中立性がないことを連想させるので、否定的なものとしてとらえられる可能性もあると思います(「自身の政治的成果として誇示している」というのは肯定的な記述ではないでしょう。この記述を除去すべきだとは思いませんが、「誇示」はやや大げさかもしれません)。さらに、第三者からの否定的評価(ここは「背景」ではなく「批判」などとすべきだと思いますが)については一段落分が費やされているのに、第三者からの肯定的評価についてはほぼ記載がない状態です。このの記事とかこの記事で国連がある程度サポートしているなど、第三者からの支持も二次出典付きで書けるはずなのですが、そうした形で賛否両論が示されていないのは偏りだと考えます。--さえぼー会話2019年10月18日 (金) 14:01 (UTC)[返信]
返信 (さえぼーさんの2019年10月18日 (金) 14:01‎ (UTC)のコメント宛) さえぼーさんの「第三者からの肯定的な評価に関する記述ではありません」とのご指摘について。当初は「ポジティヴな評価が書かれていない」と発言するなど「ポジティブな記述がない!」との趣旨の主張をなさっていますが、他者から反論され、今度は「第三者からのポジティブな評価についての記述がない!」との趣旨で主張を展開されるおつもりなのですね。まず、さえぼーさんの「ポジティヴな評価が書かれていない」との発言は事実と異なっており、実際にはこの記事にポジティブな記述が存在するという点について、ひとまずご理解いただけたようでありがとうございます。そのうえで、今度は「第三者からの肯定的な評価」の有無に論点を変えるようですが、そちらについても「記事冒頭から『背景』セクション前半までは〔中略〕比較的肯定的な記述が多数を占めております」と申し上げたとおり、記事全体を見ていただければ、第三者たる中満事務次長がメッセージを寄せていること等にも言及されていることがお分かりになろうかと思います(メッセージ内容が詳述されていない、と指摘されるかもしれませんが、それはそもそも出典元にそこまでの記述がないためです)。--126.246.16.189 2019年10月18日 (金) 20:11 (UTC)[返信]
返信 (さえぼーさんの2019年10月18日 (金) 14:01‎ (UTC)のコメント宛) さえぼーさんの「この企画に政治的中立性がないことを連想させるので、否定的なものとしてとらえられる可能性もある」とのご指摘について。そのご指摘はそもそも筋違いです。さえぼーさんは、あたかもこのキャンペーンが党派性を帯びていない政治的に中立なものであるかのように偽って記述した方がよいとお考えなのでしょうか。このキャンペーンはロベーン政権下において政権与党の政策の一環として始まったものです。当然、与党の社会民主労働党は賛意を示していますが、野党である穏健党などからは反対の声が上がっており、賛否両論の状態です。スウェーデン王国は議院内閣制を採用しておりますので、このキャンペーンの実務を担っているのが外務省およびその傘下の在外公館であったとしても、このキャンペーンの発案および指示は政権与党によるものです。したがって、このキャンペーンが党派性を帯びるのは自明でしょう。議院内閣制を採用している以上、行政府の施策が立法府の与党の政策を反映させたものであるのは当たり前の話です。また、党派性を帯びたからといって、それを「否定的なものとしてとらえ」るか否かはウィキペディアの読者に委ねられているはずです。社会民主労働党の政策に沿ったキャンペーンなのですから、読者が社会民主労働党の党員なら肯定的に捉える方が多いでしょうし、読者が穏健党の党員ならそうではないかもしれません。記事を読んでどのように判断するかは読者側の問題であり、執筆者側が配慮する必要は全くありません。「このキャンペーンが党派性を帯びていることが明らかになると都合が悪いから隠せ!」「このキャンペーンについて読者が否定的に感じる虞があるなら隠せ!」などと主張するなら、厳しい言い方になりますが、それはウィキペディア上でやることではなく、ご自分のブログ等でやるべき話だと思います。ここは百科事典であり、単なる一私党の政治キャンペーンに対する広告宣伝の場ではないのです。--126.246.16.189 2019年10月18日 (金) 20:49 (UTC)[返信]
返信 (さえぼーさんの2019年10月18日 (金) 14:01‎ (UTC)のコメント宛) さえぼーさんの「このの記事とかこの記事で国連がある程度サポートしているなど、第三者からの支持も二次出典付きで書けるはずなのですが、そうした形で賛否両論が示されていない」〔原文ママ〕とのご指摘について。その文献について言及していないのは、単に私が執筆時に当該文献の存在を把握していなかったからです。私は全知全能ではありませんから、このキャンペーンに関する地球上の全ての文献に目を通したわけではありませんので、当然存じ上げない文献もあります。もちろん、私は執筆時点で知りえた文献を用いてできうる限りメリットデメリットをそれぞれ記載したつもりです。執筆時点で知りえた文献の中からデメリットのみを記載しメリットについては一切記載しなかった、というなら批判されても仕方ないかもしれませんが、そのような行為はしておりません。なお、不可知の出典があることについては「機会を見つけ出典を揃えて〔中略〕加筆したいと考えています……が、現時点ではそこまで手が回り切れていないというのが実情です。また、当然のことながら他の方からも加筆いただければありがたいと考えています〔中略〕ウィキである以上、だんだんと段階的にページが充実していくことになるのは、ある程度やむを得ないことかと思います。最初からパーフェクトな版で投稿することはできません」といちど申し上げているはずです。ウィキペディアは多くの執筆者が共同作業で創り上げる百科事典であり、そのためにウィキを採用しているのです。最初からパーフェクトな版で投稿はできませんし、不足があれば気づいた人が加筆すればよいではありませんか。「Aさんが文献aを使って情報a'を記述し、その後、Bさんが文献bを使って情報b'を加筆する」のがウィキペディアでは一般的かと思いますが「Aさんが文献aを使って情報a'を記述したら、その後、Bさんが『なぜ文献bを使って情報b'を記述してないんだ!』と難癖をつけてきた」というのはあまり見ないと思います。他の記事でもいちいち「この文献を使用すればこのような記述ができるはずなのに、そうしないのはおかしい!」などと難癖をつけて回っているのでしょうか。ふつうはそんなことしませんよね。「この文献を使用すればこのような記述ができるので、加筆しておきました」で済む話だと思います。もちろん「このキャンペーンに対する賛成意見が載っている文献を手当たり次第に見つけて、片っ端から賛成意見を加筆していきたい!」というのなら話は別だと思いますが。--126.246.16.189 2019年10月18日 (金) 21:37 (UTC)[返信]
  • まず、126.246.16.189さんにおかれましては、人が言っていないことをあたかも言ったかのように説明する印象操作はおやめ頂きたいと思います。126.246.16.189さんがおっしゃった認識のうち、正しくないものを下にリストいたします。
126.246.16.189さんは「この記事にポジティブな記述が存在するという点について、ひとまずご理解いただけたようでありがとうございます。」とおっしゃっていますが、私は上の文章で全くそれに触れておりませんし、認めておりません。そもそも私は「背景」の節の書き方を問題にしており、それより上の節の書き方については国際化についてのみ言及しています。
126.246.16.189さんは「今度は第三者からの肯定的な評価」の有無に論点を変えるようですが」とおっしゃっていますが、変えておりません。私の意見が変わったかのように見せる印象操作です。
「「このキャンペーンが党派性を帯びていることが明らかになると都合が悪いから隠せ!」「このキャンペーンについて読者が否定的に感じる虞があるなら隠せ!」などと主張するなら」→私は全くそのようなことを言っておりませんし、ヴァルストローム前大臣関係の記述についても除去すべきとは思わないと述べております。私が言っているのは、賛否両論の賛のほうも書いたほうがいいということであり、否定的評価を除去しろということは一言も言っていないにもかかわらず、126.246.16.189さんはまるで誰かがそのようなことを言い出したかのように振る舞っておいでです。これは印象操作です。
なお、126.246.16.189さんはWikipedia:中立的な観点を誤解されているように思います。126.246.16.189さんは「このキャンペーンに対する賛成意見が不十分だ!」というような主張はウィキペディア上でやることではないとおっしゃっておられます。Wikipedia:中立的な観点をよくお読み頂きたいのですが、「ある意見についての事実を述べる時には、その意見に対立する意見についての事実を述べ、かつ、それらの意見のどれか一つが正しいと示唆せずにおくことも重要です」「多くの記事は、対立する見方について紹介しつつも、特定の見方を支持するものになってしまっています。これは失敗です」とあり、賛否両論ある話題については賛否の両方をバランス良く記載することが重視されておりますので、ある賛否両論ある事柄について否定的意見が目立つような記事構成である場合、「賛成意見が不十分だ」と考えるのはウィキペディアの方針に合致しております。
また、126.246.16.189さんが、記事の不足についてまるで自分が責められているかのようにふるまっていることも理解できません。126.246.16.189さんは立項者でもないですし、自分がこの記事に責任を負っているとお考えなのでしょうか?そもそもウィキペディアは皆で記事をよくしていくところですので、問題点があると思えば問題テンプレートを貼って良いはずですし(そうでないと問題テンプレートがある意味がありません)、ノートで指摘してもいいはずです。たった3行程度のノートの指摘で、まるで自分が難癖をつけられたかのように振る舞うのはいささか理解しがたいです。
加筆してよいのでしたらしますが、正直、自分のことが書かれている記事について明らかな間違いの訂正以外の加筆をするのはWikipedia:自分自身の記事をつくらないからして気が進みませんので、とりあえずノートで指摘しました。加筆してよいならしますが、126.246.16.189さんはそれでOKですか?--さえぼー会話2019年10月18日 (金) 22:25 (UTC)[返信]
返信 (さえぼーさんの2019年10月18日 (金) 22:25 (UTC)のコメント宛) (私のIPが変わってしまっていますが、上のIPと同一人物です。)さえぼーさんの「この記事にポジティブな記述が存在するという点について〔中略〕私は上の文章で全くそれに触れておりませんし、認めておりません。そもそも私は『背景』の節の書き方を問題にしており〔中略〕ます」とのご指摘について。あくまで「背景」という節内について、肯定的な記述が少ないとおっしゃっているのですか。片割れ靴下さんの「positiveな情報は、記事が作られたという情報で、その情報は影響でちゃんと書かれています。だから私はこの記事が一方に偏っているとは思いません」とのご指摘、および、私の「記事冒頭から『背景』セクション前半までは〔中略〕比較的肯定的な記述が多数を占めております」とのコメントのとおり、記事全体を見ていただければ肯定的な記述がなされていることは明らかだと思います。記事全体でメリットデメリットについてバランスよく記述しておれば、それで十分ではないでしょう。いちいち各節内においてまでメリットデメリットのバランスを気にする必要があるとは到底思えません。たとえば、記述量が増加して「メリット」と「デメリット」をそれぞれ別々の節で記述した場合、各節内におけるメリットデメリットの比率はアンバランスとなりますが、記事全体としてはメリットデメリットのバランスはとれるでしょう。記事の構成次第ですよね。記事全体としてバランスを取る必要があるというなら話はわかりますが、個別の節ごとであってもバランスを取らねばならないということはないでしょう。--126.146.156.21 2019年10月20日 (日) 22:44 (UTC)[返信]
【※上記コメントに対する修正。本来は上記コメントを直接直せばよいのでしょうが、私のIPが変わってしまっており他者コメントの改竄のようにみえる可能性があるため、敢えて下部に書きました。】(私のIPが変わってしまっていますが、上のIPと同一人物です。)さえぼーさんの「この記事にポジティブな記述が存在するという点について〔中略〕私は上の文章で全くそれに触れておりませんし、認めておりません。そもそも私は『背景』の節の書き方を問題にしており〔中略〕ます」とのご指摘について。あくまで「背景」という節内について、肯定的な記述が少ないとおっしゃっているのですか。片割れ靴下さんの「positiveな情報は、記事が作られたという情報で、その情報は影響でちゃんと書かれています。だから私はこの記事が一方に偏っているとは思いません」とのご指摘、および、私の「記事冒頭から『背景』セクション前半までは〔中略〕比較的肯定的な記述が多数を占めております」とのコメントのとおり、記事全体を見ていただければ肯定的な記述がなされていることは明らかだと思います。記事全体でメリットデメリットについてバランスよく記述しておれば、それで十分ではないでしょう。いちいち各節内においてまでメリットデメリットのバランスを気にする必要があるとは到底思えません。たとえば、記述量が増加して「メリット」と「デメリット」をそれぞれ別々の節で記述するようにページの構成を変えた場合、「メリット」節内は肯定的な記述のみとなり、「デメリット」節内は否定的な記述のみとなるでしょう。その場合、各節内におけるメリットデメリットの比率はアンバランスとなりますが、記事全体としてはメリットデメリットのバランスはとれるでしょう。記事の構成次第ですよね。記事全体としてバランスを取る必要があるというなら話はわかりますが、個別の節ごとであってもバランスを取らねばならないということはないでしょう。--126.146.98.229 2019年10月21日 (月) 07:33 (UTC)[返信]
返信 (さえぼーさんの2019年10月18日 (金) 22:25 (UTC)のコメント宛) さえぼーさんの「『今度は第三者からの肯定的な評価」の有無に論点を変えるようですが』とおっしゃっていますが、変えておりません」とのご指摘について。さえぼーさんは当初「ネガティヴな評価が多く、ポジティヴな評価が書かれていない」と主張するなどポジティブな評価がないことを問題視しておられましたが、片割れ靴下さんや私からポジティブな評価が記載されていると反論されたため、慌てて“第三者による”ポジティブな評価がないことに論点をずらそうとしているのかな、と感じた次第です。違うとのこと、失礼いたしました、あくまで「背景」節の中でのポジティブな評価についてということですね。なお、節内でのメリットデメリットについてバランスを気にすることについては、上述のとおり的外れだと思います。--126.146.156.21 2019年10月20日 (日) 22:44 (UTC)[返信]
返信 (さえぼーさんの2019年10月18日 (金) 22:25 (UTC)のコメント宛) さえぼーさんの「『《このキャンペーンが党派性を帯びていることが明らかになると都合が悪いから隠せ!》《このキャンペーンについて読者が否定的に感じる虞があるなら隠せ!》などと主張するなら』→私は全くそのようなことを言っておりませんし、ヴァルストローム前大臣関係の記述についても除去すべきとは思わないと述べております。私が言っているのは、賛否両論の賛のほうも書いたほうがいいということ」とのご指摘について。では、なぜ「この企画に政治的中立性がないことを連想させるので、否定的なものとしてとらえられる可能性もある」などと言いだしたのでしょうか。私が「発案および指示は政権与党によるものです。したがって、このキャンペーンが党派性を帯びるのは自明」と申し上げたとおり、このキャンペーンは特定党派の推進する政策であり政治的色彩を持っているのは明らかです。ところが、さえぼーさんは「この企画に政治的中立性がないことを連想させるので、否定的なものとしてとらえられる可能性もある」などと言い出しています。これはどういう意図だというのでしょうか。政治的なキャンペーンであることは明らかなのにそれがわかってしまうと何か都合が悪いから、このようなことを言い出したのかと感じてしまったのですが、そうではないということでしょうか。--126.146.156.21 2019年10月20日 (日) 22:46 (UTC)[返信]
返信 (さえぼーさんの2019年10月18日 (金) 22:25 (UTC)のコメント宛) さえぼーさんの「加筆してよいならしますが、126.246.16.189さんはそれでOKですか?」とのご指摘について。そのようなこと、他人に聞くことでしょうか。編集歴も長い方とお見受けしました。方針やガイドラインの趣旨については熟知されておられることと思います。--126.146.156.21 2019年10月20日 (日) 22:48 (UTC)[返信]
返信 (さえぼーさんの2019年10月18日 (金) 22:25 (UTC)のコメント宛) さえぼーさんの「記事の不足についてまるで自分が責められているかのようにふるまっていることも理解できません」とのご指摘について。そのようなつもりはありませんが、もし誤解を与えるような私の言動があったのであれば失礼いたしました。--126.146.156.21 2019年10月20日 (日) 22:50 (UTC)[返信]
コメント いずれにせよ、このキャンペーンの発案は特定党派によるものであり、このキャンペーンが党派性を帯び政治的色彩を持っているのは明らかです。また、党派性を帯びたからといって、それを否定的なものとしてとらえるか否かはウィキペディアの読者に委ねられているはずです。であるにもかかわらず、さえぼーさんは「この企画に政治的中立性がないことを連想させるので、否定的なものとしてとらえられる可能性もある」などと言い出しています。これはどういう意図だというのか、何を懸念されておられるのか、今一度ご説明いただければ幸いです。--126.146.156.21 2019年10月20日 (日) 23:20 (UTC)[返信]
コメント 念のため再度申し上げておきます。「ウィキギャップ」は特定政党の主張に基づく政治的キャンペーンであり、スウェーデン国内ですら他党から批判を浴びるなど賛否両論であることは出典からも明らかです。他方、さえぼーさんは「この企画に政治的中立性がないことを連想させるので、否定的なものとしてとらえられる可能性もある」などとなにやらぶつぶつ文句を言っていますが、これはどういうつもりでしょうか。前述のとおりウィキギャップは党派性を帯びた政治的キャンペーンなのですから、「この企画に政治的中立性がない」のは自明です。さえぼーさんはそれがウィキペディアの読者に伝わってしまうことを懸念されているようですが、何か都合が悪いことでもあるのですか? 政治的中立性が無の企画なのに、あたかも政治的中立性があるかのように偽って記事を書くわけにもいかないでしょう。「この企画に政治的中立性がないことを連想させる」ことに何か問題があるのですか? また「否定的なものとしてとらえられる可能性もある」などと言っていますが、この記事を読んで否定的にとらえるか肯定的にとらえるかはウィキペディアの読者の個々人の判断でしょう。否定的なものとしてとらえられないようにヨイショ記事や提灯記事を書くというわけにもいかないでしょう。ここは特定政党の広告宣伝の場ではありません。さえぼーさんは「この企画に政治的中立性がないことを連想させるので、否定的なものとしてとらえられる可能性もある」と懸念しておられますが、そんなこと懸念するにあたらないと思いますし、そんなことに配慮して記事を書くのであればウィキペディアの方針やガイドラインに反すると思います。いかがですか。--126.244.0.54 2019年11月5日 (火) 10:01 (UTC)[返信]
コメント さえぼーさんは合理的な回答ができないようですね。ウィキギャップは特定政党が提唱する政治キャンペーンなのですから、(記事の記述内容自体は中立的に書くべきなのは当然ですが)ウィキギャップそのものには政治的中立性がないのは自明でしょう。さえぼーさんは「この企画に政治的中立性がないことを連想させるので、否定的なものとしてとらえられる可能性もある」などとぶつぶつ文句を言っていますが、出典がある以上、ウィキギャップに政治的中立性があるかのように偽って記事を書くわけにはいきません。さえぼーさんは「否定的なものとしてとらえられる可能性もある」と言っていることからみて、政治的中立性がないキャンペーンであることが露見してしまうとウィキペディア読者に否定的にとられてしまうのではないかと怯えているようですが、都合が悪いことを隠蔽して記事を書くわけにはいかないでしょう。ここは特定政党の宣伝の場ではないのです。それに政治的キャンペーンであるからといって、それを否定的にとるか肯定的にとるかはウィキペディア読者一人一人の判断次第でしょう。いちいちぶつぶつ文句を言っているのはさえぼーさんがウィキペディアの趣旨をきちんと理解できていないという証拠だと思いますが、政治的中立性のないことを隠して自分の都合のよい情報のみを垂れ流したいのならご自分のサイトでやるべきです。ご自分のサイトならば“読者に肯定的に受けとめてもらえるように、あたかもこの企画には政治的中立性があるかのように”記事を書いたとしても、ウィキペディアの方針やガイドライン上は問題ないでしょうから。--126.244.157.3 2019年12月1日 (日) 22:51 (UTC)[返信]

スウェーデンと日本に偏っているとの主張[編集]

「スウェーデンと日本に偏っている」と主張するテンプレートは除去いたしました。ザンビアでの状況についてすでに記述されており、妥当性を欠くためです。なお、この政治キャンペーン発祥の地であるスウェーデンについて詳述されるのは当然だと思いますが、それ以外の国の記述が日本とザンビアだけというのは寂しいですので、今後、他国の状況等記事が充実していくものと思います。--126.188.214.176 2019年12月26日 (木) 03:01 (UTC)[返信]