ノート:ウィリアム1世 (イングランド王)

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「イングランド王に即位したウィリアム1世に代わり、長男ロベールがノルマンディー公に叙位された」とありますが、これはノルマンディー公(1035 - 1087)と矛盾します。ウィリアムの死後、ロベールがノルマンディー公になったのでは?Zorac 2005年9月18日 (日) 06:53 (UTC)[返信]

英語版では William was succeeded in 1087 as King of England by his younger son William Rufus and as Duke of Normandy by his elder son Robert Curthose. This led to the Rebellion of 1088. (William I)、In 1087, the father died, having divided the Norman dominions between his two eldest sons. To Robert, he granted the Duchy of Normandy a(Robert Curthose)としており、死後継承が行われたと後者には書いていますね。そのあとの反乱うんぬんをみると、この箇所を書いた人は、ウィリアム2世とウィリアム1世を混同した可能性があるのではないでしょうか。--Aphaia 2005年9月18日 (日) 07:01 (UTC)[返信]

ウィリアム1世の父親はロベール何世?[編集]

最初の文では「ノルマンディー公ロベール1世の庶子としてフランスのファレーズで生まれる」とありますが、第二段落では「ギヨームは父ロベール2世を継いでフランス王の臣下であるノルマンディー公になり」とあり、違いが生じています。なお、ノルマンディー公では

  1. ロベール1世(ロロ、在位:911年 - 925年)
  2. ロベール2世(華麗公/悪魔公、在位:1027年 - 1035年)
  3. ロベール3世(短袴公、在位:1087年 - 1106年)

となっていますが、現在ロベール1世 (ノルマンディー公)ではロベール華麗公について、ロベール2世 (ノルマンディー公)ではロベール短袴公について記述されています。なお英語版では「何世」ではなくen:Rollo of Normandy(ノルマンディーのロロ)、en:Robert the Magnificent(ロベール華麗公)、en:Robert Curthose(ロベール短袴公)で記事が立っています。なお上記のノルマンディー公の一覧は記事中の「キリスト教に改宗したロロ(改名してロベール1世)」という記述と、フランス語版fr:Liste des ducs de Normandieを元に私が作成しましたが、いま確認したところフランス語版でも Robert II le Magnifique のリンク先の冒頭が Robert Ier de Normandie だったり、 Robert III Courteheuse のリンク先がfr:Robert II de Normandieだったりと混乱しているようです。どなたか詳しい方修正をお願いします。―霧木諒二 2005年11月26日 (土) 06:50 (UTC)[返信]

ロロをロベール1世として数えるか否かの違いですよね。これについては、双方あることを確認しました。どちらが多いかと言われれば、ロロではなく、ウィリアム1世の父親をロベール1世とする方だと思いますが、もう少ししっかりと裏付け調査をした方がよいでしょうか。--oxhop 2005年12月7日 (水) 15:34 (UTC)[返信]

とりあえずウィキペディア上だけでも統一したほうがいいのではないかと思います。上で書いたように一つの記事ですら統一されていないのでは読者に混乱を招くでしょうし。フェデリーコ3世みたいな説明を入れるほうがいいのでしょうか。それとも英語版のように渾名で記事にしますか? エドワード長兄王みたいな記事もありますが…(ただこれは渾名の定訳があるかという別の問題が生じるかもしれません)。―霧木諒二 2005年12月9日 (金) 18:24 (UTC)[返信]
ウィキペディアの全言語版で統一ということですか? 説明は、ノルマンディー公の記事だけに入れるのでは不親切でしょうか? 渾名はちょっと難しいかも…。--oxhop 2005年12月11日 (日) 08:12 (UTC)[返信]
いえ、全言語版はさすがにちょっと手に余るので日本語版内でです。ウィリアム1世でのように二通りの表記が混在するのはまずい気がするので。数え方に関する説明は一覧ですれば十分かもしれませんが、ロベール1世・2世の記事内にもあったほうが親切ではないかとは思います。―霧木諒二 2005年12月14日 (水) 18:35 (UTC)[返信]
そうですね。それでは、ウィリアム1世の父をロベール1世で統一し、ノルマンディー公に少し詳し目に説明を入れ、ロロロベール1世ロベール2世に略説と「ノルマンディー公の説明を参照」でどうでしょうか?--oxhop 2005年12月15日 (木) 13:58 (UTC)[返信]
それでよろしいのではないかと思います。厚かましいですが説明文をお願いしてもよろしいでしょうか?―霧木諒二 2005年12月18日 (日) 03:59 (UTC)[返信]

脚注について[編集]

これは個人の見解なんでしょうか、それとも「なんと呼ぶべきか論争」の一つの意見を紹介されているんでしょうか。元の文脈というか、原文にそうのであればドイツ語で書かれた文献を翻訳する場合にはヴィルヘルムと呼ぶべき、と主張されているようにも解釈できます。しかしそれでは混乱するだけではないかなぁと思います。逆にドイツ皇帝ヴィルヘルムも英語の文献を訳した場合にはジャーマン皇帝ウィリアムにすべきだし、「Japan is...」という文章であれば「ジャパンは...」と訳すべきだと言えてしまわないでしょうか。それに元の文献に沿うべき、と言う意見は項目名および文中表記の解決には寄与しないですよね。あらゆる言語での呼び方を併記するわけにもいきませんから。--219.108.90.86 2007年4月13日 (金) 15:57 (UTC)[返信]