ノート:オーストリアの村つばめ

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作曲年について[編集]

私の手持ちの日本語文献では、大半が1864年の作曲と書かれていますが、中には1865年としているものも在るようです。

  • 1864年
    • ピーター・ケンプ 『シュトラウス・ファミリー――ある音楽王朝の肖像』(1987) p.100 「六四年のコンサート・シーズンには……ヨゼフとエドゥアルトはウィーンの舞踏会の世界に……九月六日彼はフォルクスガルテンのコンサートで、自作のワルツ『オーストリアの村つばめ』作品一六四と、ポルカ・マズルカ『女心』作品一六六を披露した」
    • 志鳥栄八郎 『クラシック一日一曲――作曲家・作品・演奏家で綴る三六六日』(1996) p.267 「一八六四年 ヨゼフ・シュトラウス:ワルツ《オーストリアの村つばめ》初演」
    • 加藤雅彦『ウィンナ・ワルツ ハプスブルク帝国の遺産』(2003) p.158 「一八六四年には、ヨーゼフもワルツ『オーストリアの村つばめ』……」
    • 増田芳雄「ヨーゼフ・シュトラウス――ワルツのシューベルト」(2003) p.151 「1864年10月、プロイセンの……同年9月、名曲を2つ作曲した。それらは次の2曲であった:”オーストリアの村燕”(Dorfschwalben aus Österreich, Op.164)とポルカマズルカ”女心”(Frauenherz, Op.166)」
    • 井上和男『クラシック音楽作品名辞典<第3版>』(2009) p.285 「【初演】1864年 ウィーン」
    • CD『ヨーゼフ・シュトラウス・ワルツ集/ボスコフスキー指揮』解説書より「オーストリアの村つばめ」(解説:保柳健)「初演:1864年9月6日」
    • 若宮由美「ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート 2015 シュトラウス家の「第三の矢」、末弟エドゥアルトのポルカ! 曲目解説」(日本ヨハン・シュトラウス協会公認)より「オーストリアの村つばめ」「1864年9月6日にフォルクスガルテンで初演……」
  • 1865年
  • 1906年
    • 『名曲解説全集 第三巻 管弦楽曲(上)』(1959) p.348 「この「オーストリアの村つばめ」もウィーン情緒を豊かにたたえた、シューベルト風の旋律を五種用いたワルツで、一九〇六年の作である……」おまけで記したが、ヨーゼフは1870年に死んでいるので論外。

明らかに1864年のほうが多いし解説もしっかりしているので、とりあえず1864年の作曲ということにしておきます。--松茸取りの翁会話2016年9月21日 (水) 12:30 (UTC)[返信]