ノート:シェンムー

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中立的な観点について[編集]

否定的評価を書くかどうかで編集合戦になってしまいましたが、私としては「肯定的評価」と「否定的評価」を双方書くことで、中立的な記事になると考えて記述しています。シェンムーが賞を受賞したり、高い評価をした人がいたのは確かに事実ですが、だからといってシェンムーが万人受けするゲームではないのも事実だと思うのですが。いわゆるクソゲー本(「超クソゲー2」、「美食倶楽部バカゲー専家2」、「3」)でもクソゲーとしてレビューが掲載されていますし、何より、「一章横須賀」が50万本売れたのに「II」が15万本だった(つまり、「一章横須賀」をプレイした人のうち続きをプレイする気になったのは30%だけだった)という点が、万人受けするゲームではないことを明確に示しているのでは?

私としては、いい評価しか書いてない項目を読んだ読者に、「シェンムーというのは誰からも評価されている素晴らしいゲームなのか」と誤解させてしまうのを危惧しています。219.102.108.24 2005年8月20日 (土) 12:29 (UTC)[返信]


事実のみを書けばいいのではないでしょうか? クソゲー本はクソゲー本を編集した方の意向が反映された「客観的でない」本でしょう? それが「中立的」とは思えません。

ここは事実のみを書くべきところで、どなたかの意見を書き並べるところではないのです。あなたがシェンムーを駄作だと思うのなら、それは思うだけにとどめておいて、ここに書くべきではないですね。

あなたの文章からは「シェンムーというのは誰からも評価されていない失敗ゲームなのか」という印象が与えられます。

一章横須賀よりIIの方が売れなかったのは事実です。しかし、万人受けするゲームが最善なのでしょうか? その理屈だと、売上げ本数が飛びぬけているポケモンがゲーム史上最高傑作で、非の打ち所がないゲームという評価になってしまいます。作品のよしあしは売上げで決めてしまっていいものでしょうか? そして、何よりも大事なのは、このフリー百科事典は個人の感想を書くところなのか?という点です。このサイトはあなたのレビューを書く場ではありません。シェンムーが売上げ的にも内容的にも失敗作だと訴えたいのなら、それはご自身のサイトで書くべきではないでしょうか?

シェンムーが色々な賞を受賞したのは「事実」です。そして、あなたの意見は「主観」の域を出ていませんよね。(履歴より署名付加:2005年8月20日 (土) 14:52 218.185.156.13)

あまりWikiのシステムに詳しくないようですが、発言の最後に半角で「~~~~」と付け加えれば署名になります。

私は「賞を取った」とか、「スピルバーグが評価した」という記述はちゃんと残した上で、「シェンムーは賛否両論の評価がされているゲームだ」と明記すべきだと書いてるんですが。「クソゲー」という評価が世間にあるのは事実ですし、中途半端なところでストーリーが打ち切られて未完なのも事実でしょう。
それにゲームが「商品」である以上、売り上げで評価が決まるのは当然ではないでしょうか(賞をもらったとかそういう評価とは別の方向で)。このゲームを制作するためにギネスブックに載るほどの制作費をつぎ込んだセガに、それに見合ったリターンがあったかどうかを書くのは必要なことだと思いますが。219.102.108.24 2005年8月20日 (土) 15:38 (UTC)[返信]

1週間様子を見ましたが反応がありませんので、8月31日までに進展が無ければ合意を形成する意思無しと見なし、編集を再開します。このまま放置するわけにも行きませんし。219.102.108.24 2005年8月28日 (日) 09:16 (UTC)[返信]


どうもあなたからは、中立な姿勢が見られないのですが。 「「クソゲー」という評価が世間にあるのは事実ですし」とおっしゃたとき、「クソゲーと書かれていないゲームを探す事は可能なのか?」と自問されましたか?

「ゲームは「商品」である以上」という点から、ご自身がゲームを作品ではなく、ただの儲ける手段としてしか評価していない事を自問されましたか? これもまた、さきほどの話と同じく「売れたゲームは素晴らしいゲーム。売れなかったゲームはクソゲー」と断定してしまう暴論ではないかと自問されませんでしたか?

前にも書きましたが、そういう見解ですと、ポケモンが最高傑作で、売れなかったゲーム、採算が取れなかったゲームは全て駄目ということになってしまいますよ。

とはいえ、評価が分かれる事は事実ですし(そもそも、全会一致で高評価のゲームがあるかどうか疑問ですが)、「クソゲー」と書いた本を限定した上で「○○は『……』と書いた」といったように書き加えるのは賛成です。私が「スピルバーグ氏が評価した」と書いたように。 (履歴より署名追加:2005年9月27日 (火) 10:08 218.231.124.206(UTC))


ちゃんと(賞をもらったとかそういう評価とは別の方向で)と明記しているのになんで無視するんでしょうか。「作品としてすばらしい」という、一方的視点だけでこのゲームを評価することのほうが中立的では無いと思いますが。多数の視点から評価してこそ、中立的になるのではないですか。
ゲームは商品である以上、売れたか売れないかが評価ポイントの一つ(あくまでも一つ)になるのは当然の話でしょう?ついでに言わせてもらえば、あなたがおっしゃるとおり「作品としてどうなのか」というのは、人によって評価が分かれてもおかしくないあやふやなものですが、「商品として売れたのか、儲かったのか」ははっきりと数字で表せる中立的な基準ですよ。
あと、記事内にあった一覧表を「ここにあった表は他サイトからの無断転載でしたので、削除しました。」と消した件ですが、他の執筆者に対してどこからの転載だったのかを明らかにせず、勝手な判断で消すのは問題かと思います。第三者にも判断できるように、転載もとのURLを明らかにしてください(過去の履歴をチェックしたところ、あの表は2004年11月29日 (月) 04:24(UTC)の版で既にあったので、無断転載が事実だとすればそれ以降の版全てを削除依頼する必要があります)。219.102.69.1 2005年10月5日 (水) 13:32 (UTC)[返信]


問題の表は、転載も何も、単なる事実の羅列ですね。似たような表は見つかりましたが、内容の取捨選択に違いがあります。 この表に創作性があるとは思えないのですが、もちろん独断で決めることではありませんし、もし転載なら転載元(書名、当該ウェブサイトのURLなど)を明らかにした上で「削除依頼」に出さなければなりません。ただ削除しただけでは履歴に残っていますので、何の解決にもなっていません。独断で「無断転載」と決め付けることは、執筆者への中傷にもつながります。 中立性についてもコメントします。現行の記述は好意的な方向で偏っているように見えます。必ずしも否定的なことを書く必要はありませんが、否定的な意見を排除することもまた問題です。「クソゲー」という意見はあまりなかったように思いますが、「謳い文句ほど斬新ではなく、フラグ立ての域を出ていない」という意見はよく見ました。また、販売本数から見て、ドリームキャストの売上増につながるキラーソフトにはならなかったというのは事実でしょう。ハイゼン 2005年10月7日 (金) 22:48 (UTC)[返信]

保護しました[編集]

編集合戦の様相を見せていましたので、保護を行いました。本ノートページにおいて合意の形成を図ってください。しるふぃおはなし|おもいで 2006年10月21日 (土) 15:08 (UTC)[返信]

クソゲーや商業的失敗など削除してください。 個人的主観がありすぎます。 シェンムーファンとして許せません! 保護を解除してください。

2006年11月3日 (土)58.91.66.183
シェンムーファンとして許せません!」て発言自体が個人的主観だと思うんですが。ウィキペディアはファンサイトではないのだから、ファンの贔屓目ではなく中立的な記述をするのがルールです。あなたは安めぐみでも編集合戦を起こして記事を保護されたようですが、少しは冷静になったらどうですか。--SINOBU 2006年11月4日 (土) 05:02 (UTC)[返信]

安めぐみさんの記載で、私は編集合戦なんてしていませんよ。

ルールと言って記事を削除した人間に反発を書いているだけで、変な言いがかりやめてくださいね。

あなたこそ関係ないのに人に喧嘩売ってきて何様ですか?

「クソゲーや商業的失敗」のどこが、中立意見なのでしょうか? 安めぐみさんの項でも、ファンでもない人間が文句を書き込んで困ったものです。

ウィキペディアは問題ですね。 問題が起きれば、すぐに保護して編集できなくなる。 シェンムーに限ってはとくにヒドイ!

クソゲーだの商業的失敗だのと「お前は何様なの?」 一般素人が評価するなんて傲慢極まりないね。

2006年11月4日 (土)58.91.66.183

>ウィキペディアは問題ですね。
素人が評価するなんて傲慢ですね。60.38.32.247 2006年11月5日 (日) 03:46 (UTC)[返信]


ノートの履歴を見ますと過去にも似たような問題でシェンムーの項目では議論がされていたようです。ウィキペディアは万人向けの百科事典ですので、記載される内容も万人向けでなければなりません。したがって、シェンムーに対して肯定的な意見も否定的な意見も等しく記載するのが理想であると思われます。
尚、個人的感情を発露したかのような調子の文章の書き込みは控えるべきです。
記載内容の明らかな間違いが指摘されていない以上、まだ議論を要するとおもわれるので、現状では保護解除すべき段階ではないと思われます。220.102.246.23 2006年11月5日 (日) 05:33 (UTC)[返信]

記載内容の明らかな間違いは、すでに書いてありますよ。 219.102.108.24のこの方は、ウィキペディアのルールを読んでいないのでは? 万人の百科事典とはいっても、個人の主観を書き込んでいいんでしょうか? クソゲーや商業的失敗など、219.102.108.24この人の考えだけを書いているじゃありませんか。 百科事典として間違いを記載してもいいのですか? 220.102.246.23さんは、「肯定的な意見も否定的な意見も等しく記載」っと書いてありますが、否定的な内容が多すぎでは?

書き方としては、「クソゲー雑誌で認定された」、「DCのキラータイトルとしては、売り上げ的に失敗だった」とかこれが正しい万人向けの書き方でしょう。 逆に「シェンムーは素晴らしいゲーム」等という肯定的、主観もいりません。 保護したかた早く、保護解除をしていただきたいです。 ウィキペディアのルールをもう一度ご覧になってみてください。 2006年11月6日 (月)58.91.66.183

売り上げ的に失敗と言うのは商業的失敗と同じ意味だと思います。どちらの意味する事も『あまり売れなかった』と言う意味ですから。商業的失敗と言う言葉を使われるのを嫌う意味が分かりません。 十分万人向けだと思います。現状での保護解除は無意味な編集合戦が再燃するだけですから時期尚早です。 218.42.90.20 2006年11月7日 (火) 12:25 (UTC)[返信]


ならば、売り上げ的に失敗や商業的失敗など記載する必要がないでしょう。

なぜ余計な事を書かなければならないのですか?

悪意があるようにしか感じられませんね。 百科事典なのですから、「シェンムーは凄いゲーム」「商業的失敗」などは個人が思うレベルで良いと思いますが。

シェンムーを批評したいのなら個人のサイトで、書いて欲しいです。 商業的失敗の文章など、219.102.108.24この人の勝手な意見ですから。

保護した管理人さんには、「クソゲー」・「商業的失敗」を早く削除して欲しいです。


それらを削除して保護すれば、納得がいきますけど・・・

2006年11月7日 (火)58.91.66.183


百科事典である以上、確かに個人の主観のみを語るような記述は控えるべきだと思います。しかし、百科事典であってメーカの造ったカタログではないのですから、市場における客観的評価は載せるべきだと思います。

本文の過去の書き込みを拝見しますとかなり熱心なシェンムーファンがおられ、シェンムーに対し好意的な書き込みをされているようですが、客観的事実を載せるのが百科事典の役目ですから、シェンムーに対する否定的な評価であっても事実である以上、その記載を認めるべきです。

シェンムーに対する否定的な評価を見たくないのであれば、それこそシェンムーファンだけが集まるサイトに行くべきです。否定的な評価は事実でも認められないと言う姿勢は百科事典にふさわしくありません。219.107.200.69 2006年11月9日 (木) 11:54 (UTC)[返信]


だからどこが、事実で客観的な内容なのですか?

ゲームは、売り上げ本数で最終的な評価をされてしまうのであるという勝手な意見のどこが事実で客観的な記載なのでしょうか?

FF8は、売れても評判が悪かったではありませんか?

クソゲーという記載にしても、雑誌に書かれたではなく、「『一章』の商業的失敗イメージによる、世間一般の所謂クソゲーという評価が改められたのではないかと嘆くファンもいる。」この書き込みなど、どこから調べているのですか?

このような、自己中心的な考えを許すわけにはいきません! (逆に好意的な主観も許してはいけません。)

矛盾だらけです。

219.107.200.69さんあなたが書かれたのですか?

個人的にウィキペディアは、2ちゃんねるより悪い部分があると感じました。

事実で客観的な記載とは、「シェンムーは、プロジェクトとしては売り上げ的にも失敗だった」、「クソゲー雑誌に評価された」などが事実で客観的な内容でしょう。

見ていると「シェンムー」をバカにしている連中の主観が強すぎますよ。

結論として、肯定的記載、否定的記載は必要ないと思います。

2006年11月9日 (木)58.91.66.183


FFⅧを例にされていますが、確かに自分もFFⅧはまったく好きではありません。ですからFFファンとしての評価は私個人的には「失敗」だったと思っております。しかし、販売本数はご存知の通りなので、このゲームは『商業的』には成功(短期的に見た)作だったと思います。 つまり、良いゲームとは思わないけど売れたことは事実という評価です。 『商業的』失敗・成功云々と言うのは、ゲームの内容・本質に対する評価ではありません。そこを履き違えると、いつまで待っても保護解除される事はないと思います。 『商業的失敗』とは、あくまで売り上げの数字に対する評価であり、ゲームそのものの内容に対する批判ではないのです。

シェンムーに対し高く評価されているようですが、過去にもゲームの完成度そのものは素晴らしいのに、何故か売り上げが低いゲームと言うのは存在します(たとえば『街』ですとか)。しかし、ゲーム史上に残る傑作ゲームと言うのは、もちろん販売本数のみで評価されるものではありません。

他の批判は私にはなんとも申せませんが、「商業的失敗」という評価に関しては上記の理由からそれほど不当なものとはおもえませんし、またこれによって『シェンムー』の評価が下がるとも思いません。 ただし、自分も「最終的評価が~」の部分の記述は少々?だとは思います。

そもそも今回編集保護がかかった原因は、自分の意に合わない記述に関し、論議する事なく一方的削除され、それに納得できないものが削除された文を復帰させる事が繰り返された事が原因であると思います。

双方、理論的な議論を展開させ、保護解除に至るのが望ましいのでは?。

60.236.233.236 2006年11月11日 (土) 14:34 (UTC)[返信]

たまたまの通りすがりですが[編集]

60.236.233.236 さんの意見でおおまかよさげなので賛意をひとつ。 ”クソゲー”という評価の仕方はちょっと行き過ぎで、Wikipediaに似つかわしくない気がします。 「1から2の販売本数の減少から見るに大規模な宣伝活動に見合うほどプレイヤーに受け入れなかったようである」 くらいの調子でいいのではないかなと。 ”商業的失敗”は制作費を広く告知したが為にライトなゲームファンにさえよく知られる話であり、 このゲームを語るに欠かせないとは言い過ぎにしても事実でもあり問題ないと感じました。 ただまぁそれだけ語るには余計な枝葉がついて、「売り上げ本数で最終的な評価をされてしまうのである。」 とかいうくだりはあまり客観性があるとは言い難いでしょうね。以上の署名の無いコメントは、210.136.113.172会話/whois)氏が[2006年12月20日 (水) 01:21 (UTC)]に投稿したものです。[返信]


ウィキペディアは百科事典なので、たとえば”発売までの経緯”の最初の段は、「アーケード版『バーチャファイター3』の開発が終了した直後から、開発コード名「プロジェクト・バークレイ」で開発がスタート。総監督は鈴木裕。建築設計士、ハリウッド、スタジオジブリなど多種多様な場から人材を起用。」のように、具体的事実のみを記載すべきですが、そうでない部分があまりに多いために論争になっていると見受けられます。

基本的には、誰も否定しようのない事実のみ残して、全て削除すべきです。しかし、シェンムーは事柄ではなく作品ですので、「空前の大規模プロジェクト」のような”評価”を入れたいのかもしれません。

その場合は、現在のように具体的事実と並べて書くのではなく、”評価”という項目を作って、基本的にはその欄の記載は(たとえ正反対の記述があったとしても)削除せずに追記していくようにしてはいかがでしょうか?

特に問題になっている”商業的失敗”に関しては、具体的販売本数、制作費、そして評価が必要であれば販売目標数だけを記述すれば良い事です。それが失敗なのかどうかを記述する必要はありません。商業的失敗かどうかの論争は、(あるかどうかはともかく)ウィキペディアの「商業的失敗」という項ですべき話題と思われます。

Amanja 2007年2月15日 (木) 12:50 (UTC)[返信]

「シェンムーII」についてですが、売れなかった理由を書くのであればハード側の問題ももう少し説明があるべきですね。他にもところどころひっかかるところはありますが、210.136.113.172さんには全面的に賛成です。


通りすがりものですが、”商業的失敗”の件について。書かせてください。シェンムーを越える開発費と宣伝費と、シェンムー以下の販売本数だった『ブルードラゴン』のページに「商業的失敗」が追記されましたが、すぐに削除されました。文章内容はほぼ同じものでした。あちらが駄目でシェンムーの項目にならいいというのは、二重基準ではないでしょうか。

上の編集合戦とあまり関係ないのですが、消えた2章は当時ドリームキャストマガジンで漫画になって掲載されました。1章で海に落ちたチャイが出て、船の上で決闘をする内容です。Ⅱの冒頭のシーンで出る親子との会話はここから来てます。