ノート:ジョン・マギー

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

極東軍事裁判証言[編集]

マギー証言を否定しようとする方向に偏った表現になっていると思いましたので、若干の修正・補記を行いました。依拠したデータについては、こちらに掲載してあります。[1]--ゆう(matunami) 2007年9月9日 (日) 02:42 (UTC)[返信]

Category:反日感情[編集]

Category:反日感情がつけられているのですが、何故ついているのかさっぱり分かりません。一週間ほど様子を見てから、削除したいと思います。... Kanoe 2007年12月12日 (水) 14:28 (UTC)[返信]

伝聞の検証について[編集]

未検証の伝聞をもとにした証言は証拠とはなりえないと思われますが。それとも、検証されて事実と判明している伝聞が一件でもあるのでしょうか?あるなら御提示下さい。渡辺昇一氏らが問題にしているのは貴方が主張される「一件だけを強調して」だけではなく、未検証の伝聞をもとに多くの証言を行ったからであり、これは明記されなければなりません。また、誰何され逃走した不審者を射殺することは、国際法上合憲であり、マギー牧師が唯一目撃した事案については、虐殺ではなかったのです。これは重要なテーマであると思いますが、削除される理由を教えて下さい。

編集理由[編集]

そもそもマギーの膨大な証言のうちたった一件だけになぜここまでこだわるのかよくわかりませんが、一応、問題の一件がどんな事件だったのか、説明しておきます。

其の次の日の出来事でありますが、私は他の三人の外国人、其の外国人の二人は「ロシヤ」人、一人は私の同僚の「フォスター」さんでありましたが、私共是れだけの外国人の家の「バルコニー」から外を見まして、実際中国人が一人殺されるのを目撃したのであります。
それは中国人が私の家の前を歩いて居つたのでありますが、それは何れも絹の着物を着て居りました。それを日本の軍人が後ろから誰何したのであります。さうしますると此の中国人は非常に驚きまして、歩行を早めて逃げ去らうとして、丁度其の先の所にありました角の所を曲らうと致しました所が、其処には丁度竹垣がありまして行詰りになつた為に、逃げることが出来なかつたのであります。
それを日本の兵隊が追掛けまして、さうして殺したのであります。
[宮本モニター 一寸訂正します。「一人の支那人が私の家の前を歩いて」と訳しましたが、「一人の支那人が通りを歩いて居る」と云ふやうに訳します。あとの方で、日本人の兵隊が此の支那人の顔に向けて発砲して殺したのであります〕
まるで彼等は何事も起こらなかつたやうに、さり気なく煙草を吹かしながら歩き続けて行つてしまひました。恰もそれは野鴨狩りでもして居つたやうな平気な態度でありました。

これがどうして「国際法上合法」ということになるのか、理解に苦しみます。「戦闘行為」を行っていない民間人を殺すことは、単なる虐殺です。もし「戦時犯罪」の疑いがあるのであれば(そうは思われませんが)、「軍律裁判」を行うべく上位機関に連行すべきであり、現場判断で殺してしまったらやはり「国際法違反」です。これでは極端な話、「米兵に声をかけられてあわてて逃げ出した女性」を射殺しても「合法」ということになってしまいかねません。

あと「要出典」を貼った方がいらっしゃいましたが、このノートをご覧になっていなかったのでしょうか? 私はわざわざ、「依拠したデータについては、こちらに掲載してあります」とお断りしているのですが。この程度のことでしたら、ちょっと検索すれば、すぐに「出典」が見つかるはずです。

というわけで、とりあえず私の以前のバージョンに戻しておきます。今後編集を行う方は、以上の点を十分に踏まえてお願いします。当然ながら、peace系の編集は投稿ブロックの方針3.3.5に基づき差戻しを受けることになります。

なお、実際に証言内容を見ると、マギーは、「情報」を得た状況、「情報」の具体的内容について、かなり詳細な証言を行っており、その内容にも特段の無理は見当たりません。マギー証言の信頼性は高いものであると考えられます。ゆう(matunami) 2008年2月22日 (金) 13:54 (UTC)[返信]

出典情報は手抜きせずにWikipedia上に載せるようにしてください。個人サイトを経由するよりも、こちらに記述があるほうが参照性や保存性が高いです。 --Yhiroyuki 2008年2月22日 (金) 14:15 (UTC)[返信]
私が「要出典」を貼るとしたら、少なくとも手元の資料で調べられることはすべて調べた上で行います。ましてや、リンク先まで示されてここに書いてある、と言われたら、まずはそこを見て、必要と思うのであれば自分で「出典」を貼ります。
・・・と言いたいところですが、ルール上は出典を求められた側に責任があるようですので、アドバイスを素直に受け止めることにします。ごだごたするので記事には明記しませんでしたが、必要と考えるのであれば、記事に追記していただいて結構です。
  • 洞富雄『南京大虐殺の証明』P23
  • 立花隆「ロッキード裁判を斬る」(13)(『朝日ジャーナル』一九八五年一月四・十一日合併号)
では、「要出典」を削除しておきます。ゆう(matunami) 2008年2月23日 (土) 08:34 (UTC)[返信]
本文中に記述されないと意味がありません。さて、『南京大虐殺の証明』は異なる版があるようです。Amazon で検索すると補訂版というのが出てきましたが、書誌情報は【洞富雄『南京大虐殺の証明』、朝日新聞社、補訂版、1986年。 ISBN 9784022554512。】であっているでしょうか。 --Yhiroyuki 2008年2月23日 (土) 12:54 (UTC)[返信]
記述内容を尊重しつつ、文章の体裁を中立的・百科事典的なものに少しでも近づけるために、修正を行いました。--花蝶風月雪月花警部 2008年2月22日 (金) 15:09 (UTC)[返信]
>これでは極端な話、「米兵に声をかけられてあわてて逃げ出した女性」を射殺しても「合法」ということになってしまいかねません。
危害射撃を行うに足るとの認識を米兵が合理的に持てる状況なら合法になりえます。そうでないなら違法でしょう。アメリカだと、警告に従わない不振人物を警察官が射殺することはままあるそうです。なので、現場判断で殺したから違法と断言するのは短絡的な物の見方です。 --Yhiroyuki 2008年2月22日 (金) 17:10 (UTC)[返信]


もうあえて「この事例は合法である」という無茶な編集を行おうとする方はいなくなっているようですが、一応「まとめ」の意味で説明しておきます。

現在問題になっているのは、「国際法上合法か」ということですね。まず、民間人を殺害することは、一般論としては議論するまでもなく「違法」です(ハーグ陸戦条約第46条)。民間人の殺害が正当化されるとすれば、その民間人が「敵対行為」などの「戦時重罪」を犯した場合のみです。

ただしその場合でも、「凡そ戦時重罪人は、軍事裁判所又は其他交戦国の任意に定むる裁判所に於て審問すべきものである。全然審問を行はずして処罰を為すことは、現時の国際慣習法規上禁ぜらるる所と認めねばならぬ」(立作太郎「戦時国際法」P49)とあるように、裁判抜きで処罰を行うことは違法と考えられていました。

もし例外があるとしたら(「もし」、です。念のため。)、容疑者が武器を持って立ち向かってきたなど、やむえない、緊急避難的な事情がある場合のみでしょう。


本ケースを見てみましょう。そもそもこの中国人は、「敵対行為」を行っておりません。さらに言えば、日本兵が万一「戦時重罪」の疑惑を持っていたとしても、立氏が書く通り、その場で処罰することなく、まずは逮捕拘束して「裁判所」へ連行する必要があります。

(念のためですが、例え「便衣兵容疑者」であったとしても、「裁判」が必要になる事情は同じです)

例えば、この中国人が武器を持って立ち向かってきたので反撃した、ということであれば、話はわからないではありません。しかし本ケースは、そんな状況にはありませんでした。日本兵は二人がかりで「竹垣がありまして行詰りになつた」ところに中国人を追い詰めたのですから、普通に連行すればよかっただけの話です。

だいたい、逃走を阻止したいのであれば、まずは警告発砲を行う、あるいは(せいぜい)「足」を狙う、という方法が当然に考えられます。しかしこの日本兵は、中国人を追い詰めた挙句、いきなり「支那人の顔に向けて発砲して殺した」のですから、弁解の余地はありません。

なお"EYEWITNESS TO MASSACRE"所収のJohn・Magee"Letters to Wife"によれば、「中国人の多くはおびえており、(日本兵に)challenge(訳語は「誰何」でいいのかなあ)されると愚かにも走り出そうとする」(P171。拙訳)状況だったそうです。日本軍による乱暴な「安全区掃討」が行われた直後ですので、「逃げ出した」責を中国人の側ばかりに負わせるわけにはいかないでしょう。

万一、どうしてもこのケースを合法であると主張する方がいらっしゃるのであれば、「このケースは、容疑者に戦時重罪の疑いがあり、かつ「連行しての裁判実施」が不可能であり、かつ「殺害」以外の選択肢がなく緊急避難的に「殺害」を認められる「例外ケース」であった」ということを説明しなければなりません。これはちょっと無理でしょうね。

では、この議論はここまでということで。ゆう(matunami) 2008年2月23日 (土) 08:34 (UTC)[返信]

個人的な研究による証明はいりません。「ちゃんとした出典が示されていない」の一言ですむ話です。「米兵に声をかけられてあわてて逃げ出した女性」などというなんの論拠にもなっていないたとえ話を持ち出したり、自説を披露したりする必要はありません。 --Yhiroyuki 2008年2月23日 (土) 12:54 (UTC)[返信]


1.「出典」については考え直しました。「脚注」というスマートな方法がありますので、利用してみました。

2.私の会話ページが保護されているのは、peace系アラシへの対策です。過去ログを見れば、一目瞭然でしょう。現実問題として私はメールアドレスを公開しておりますので、私に御用の方に不便はないはずです。

なお、peace系は「自身では違法な残虐行為は一件も目撃していない事」という文を加えたようですが、田中も渡部もそのような表現は使用しておりません。Peace系の編集を戻すのに本来説明は不要ですが、第三者向けに説明しておきます。そろそろ「おつきあい」も面倒になりましたので、peace系の編集については、「投稿ブロックの方針」3.3.5に基づき、今後は黙って差戻しを行います。もしpeace系の編集が正当であるとお考えの方がいらっしゃいましたら、「差戻し」の後で再編集をかけていただくようにお願いします。

3.私が「合法論批判」を書いたのは、「この事例は合法である」という奇妙な編集を行った方にご納得いただくためです。「出典が存在しない」だけでは、おそらくこの方は納得しないでしょうから。とりあえずは「合法」論は掲載しない、という点に異議を述べる方はいらっしゃらないようですので、このへんで終了しましょう。ゆう(matunami) 2008年2月23日 (土) 21:32 (UTC)[返信]

出展の情報追加ありがとうございます。お手数をおかけして申し訳ないです。 --Yhiroyuki 2008年2月24日 (日) 11:48 (UTC)[返信]

南京安全区国際委員会会長の肩書きについて[編集]

これは南京安全区国際委員会の記事、en:John Magee (missionary)を確認したが会長ではない。国際赤十字南京委員会のチェアマンであったことの混乱と判断して修正する。--Sweeper tamonten 2009年5月7日 (木) 11:45 (UTC)[返信]

国会議事録を出典元とすることの有効性について[編集]

ロンドルさんは国会議事録を出典とすることはふさわしくないとして編集を行いました。国会議事録は「検証可能性」を十分満たすものであり、その社会的な意味は小さなものではありません。Wikipediaの規定からしてなぜふさわしくないのかの理由を求めます。--Sweeper tamonten 2009年5月9日 (土) 23:40 (UTC)[返信]

検証可能性」の問題ではありません。ジョン・マギー証言の位置づけや、マギーフィルムの評価といった学術的な問題については、一般的な書物などに基づいて記述されるべきだということです。国会においてそのような発言をした議員も、おそらくは書物などに基づいて発言をしたはずでしょうから、その元となった記述がされている本などがあるはずです。そのような情報源を出典として記述してください。--ロンドル 2009年5月10日 (日) 04:37 (UTC)[返信]
ロンドルさん、コメントありがとうございます。しかし、最初に述べさせていただいたとおり、Wikipediaの規定のどの点によって国会議事録を出典することが問題なのでしょうか?国会議事録は公文書として扱うべきものと考えます。この議事録はWikipediaでは認められるものではないが他の一般的な書籍は認められるということはWikipediaの規定によるものではないと考えています。貴方の判断にはWikipediaの方針が入っていないのではないですか?--Sweeper tamonten 2009年5月10日 (日) 05:48 (UTC)[返信]
(追記)Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」には「広く信頼されている発行元からすでに公開されている事実、表明、学説、見解、主張、意見、および議論についてのみ言及すべきです。」とあります。また「この文脈における「検証可能性」とは、編集者が、例えばニューヨーク・タイムズの記事の中身が真実かどうか検証する責任があるという意味ではありません。実際のところ、編集者はその種の調査をしないよう強く求められます。なぜならウィキペディアでは独自研究(オリジナル・リサーチ)を発表してはならないからです。」とありますのでロンドルさんの意見はこの「中身が真実かどうか検証する」という方向に抵触するものではないでしょうか?特に異論がない場合は納得したものと判断し、一週間待ってから記事を修正します。--Sweeper tamonten 2009年5月11日 (月) 00:00 (UTC)[返信]
議事録は「木暮山人がほにゃららと発言した」出典になっても南京虐殺に関する直接の出典にはならんでしょう。信頼できる情報源などをよく読み直して頂いた方がいいのでは。発言があったことが事実でも発言内容が事実であることにはならんでしょう。記述するならば発言内容と趣旨を明確にすることと、参議院の議論がこの記事に記載する特筆性があるかどうか検討する必要があるでしょう。ハマコーの「ミヤザワケンジ云々」と同じです。johncapistrano 2009年5月11日 (月) 00:16 (UTC)[返信]
上記、johncapistranoさんのご意見のとおりですが、それに加えて、Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源Wikipedia:検証可能性#但し書きも根拠となります。--ロンドル 2009年5月11日 (月) 00:42 (UTC)[返信]
johncapistranoさん、「発言があったことが事実」が重要で「発言内容が事実」かどうかではないことはWikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」にあります。これはウィキペディア日本語版の公式な方針です。また、ここでは出典元の有効性について述べていますので特筆姓について論じるならば別に節を用意してください。ロンドルさん、Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源には今回の問題に関係することはありませんでした。貴方のこれまでのコメントでは国会議事録は信頼性に乏しい情報源とは認められません。またWikipedia:検証可能性#但し書きにもWikipedia:独自研究は載せないとあります。--Sweeper tamonten 2009年5月11日 (月) 00:54 (UTC)[返信]
何を仰っているかさっぱり分かりませんが、http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/128/1410/12811081410003a.html この議論の抜き書きでしょう。発言を発言であると分かるように記載しなければ検証不能ですし、発言は細川政権時に決算委員会で自らの歴史認識を披瀝したというだけの話誤引用分に関するコメントなので打ち消す。johncapistrano 2009年5月11日 (月) 01:40 (UTC)でしょう。この記事と何の関係もないようです。コメント依頼にかけた方が宜しいでしょうかね。johncapistrano 2009年5月11日 (月) 01:09 (UTC)[返信]
johncapistranoさん、「さっぱり分かりません」とはWikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」の内容が分からないということでしょうか?お分かりにならない点をもっと具体的に示してください。「発言を発言であると分かるように記載しなければ検証不能です」とありますが私は(木暮山人、1994年10月27日, 参議院文教委員会における発言より)としていました。これで検証可能です。そして「発言は細川政権時に決算委員会で自らの歴史認識を披瀝したというだけの話でしょう。」うんぬんは「国会議事録を出典元とすることの有効性について」というこの節で話し合われることから逸脱しています。--Sweeper tamonten 2009年5月11日 (月) 01:30 (UTC)[返信]
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/131/1170/13110271170002a.html こっちでしたね。発言内容と地の文が区別されないような「伝えられている」とすべきでなく、発言内容を括って「」と発言した。とすべきでしょう。議事録の扱いについては上で述べられていますので、同じ主張の繰り返しは要りません。コメント依頼にかけましょう。johncapistrano 2009年5月11日 (月) 01:42 (UTC)[返信]
"発言内容を括って「」と発言した。とすべきでしょう。"とありますが賛成です。見掛けが悪くなるかと躊躇しましたが今後の参考にさせていただきます。ところで「さっぱり分かりません」の状態は解消したのでしょうか?その状態で次の段階に進むべきではないのである程度は理解していただく必要があると考えています。--Sweeper tamonten 2009年5月11日 (月) 01:48 (UTC)[返信]
(追記)コメント依頼を確認しました。妥当な依頼と考えます。ありがとうございました。--Sweeper tamonten 2009年5月11日 (月) 01:52 (UTC)[返信]
あなたの 00:54 (UTC) の文章(とその元になる方針の理解)が分かりませんね。繰り返しですが、この記事に関しては木暮山人発言が歴史学者の論争より信頼できるということにはならんでしょう。johncapistrano 2009年5月11日 (月) 01:56 (UTC)[返信]
同じことの繰り返しになってしまうのですが、ジョン・マギー証言の位置づけや、マギーフィルムの評価といった学術的な問題については、一般的な書物などに基づいて記述されるべきです。なお、この場合は特筆性も問題となりますので、同じこの節で話題としても問題はないでしょう。--ロンドル 2009年5月11日 (月) 02:11 (UTC)[返信]
johncapistranoさん、Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」には「検証可能かどうか」がWikipediaに書き込める判断基準としています。「真実かどうか」ではありません。木暮山人発言を歴史学者の論争より信頼する必要はなく、Wikipediaの「あらゆる観点からの記述を認める」という方針に沿いたいと考えています。この方針を認めるためには信頼される出典元を選ばなくてはならないと考えていますので国会議事録がそれに相当するかどうかを問題としています。Wikipediaが求めている事実は争いようのない事実、つまりここでは木暮山人発言があったことは事実であるということが国会議事録の信頼性によって保証されるということが必要でしょう。そのようなあらゆる観点からの事実を記事の上で整然とまとめていくことが求められることと考えています。木暮山人発言の内容が真実であること、あるいはその信頼性を確認しなければならないということはWikipediaが求めていることではありません。Wikipedia:中立的な観点#はじめに:中立性の基本的な概念と、なぜウィキペディアが中立的であるべきかについてには「今の時点では、偏りのない記事を書くことは論争に参加することではなく論争を説明することだ、と言っておくことにします。」とありますので論争に関する記事ならばその論争を説明するために必要な資料をWikipediaの記事に反映させるべきでしょう。
ロンドルさん、「ジョン・マギー証言の位置づけや、マギーフィルムの評価といった学術的な問題については、一般的な書物などに基づいて記述されるべきです。」とはWikipediaのきまりのどこから来るものでしょうか?またWikipedia:特筆性#記事内容の特筆性が話し合われるべき内容と考えますが具体的にどの点でしょうか?貴方はこのような点について話し合われたことがありますか?もしあればそれを参考にさせていただきますのでご提示下さい。--Sweeper tamonten 2009年5月11日 (月) 02:35 (UTC)[返信]

johncapistranoさんが挙げているとおり、Wikipedia:信頼できる情報源が根拠となりますが、特にWikipedia:信頼できる情報源#用語の定義Wikipedia:信頼できる情報源#情報源の評価Wikipedia:信頼できる情報源#歴史あたりを参照してください。「国会議事録」は議員の発言をすべて記載するものであって、内容の精査がされていないので信頼できる出典とはなりえないと考えます。「木暮山人がジョン・マギーについて○○と発言したという事実」の範囲においてのみ出典にはなりえますが。Wikipedia:特筆性#記事内容の特筆性については、「百科事典の記事は、その主題に関する一般的な知識の概要であるということを心に留めておいてください。 可能な限り全ての詳細なものを完璧に説明するものではありません。」という部分が問題になると考えます。特筆性について過去に話し合ったことがあるか?というご質問ですが、あったかなかったかちょっと今すぐには思い出せません。--ロンドル 2009年5月12日 (火) 15:31 (UTC)[返信]

ロンドルさん、Wikipedia:信頼できる情報源はそこに示されているように「公式な方針あるいはガイドラインではなく、拘束力はありません。」というもので、Wikipediaの決まりではないので根拠とすることはできません。貴方の根拠は他にはありませんか?またこの節が対象とする「国会議事録を出典元とすることの有効性」に直接関係することではありませんがWikipedia:特筆性#記事内容の特筆性について言及されているので取りあえずこの節で話を進めさせていただきます。「百科事典の記事は、その主題に関する一般的な知識の概要であるということを心に留めておいてください。 可能な限り全ての詳細なものを完璧に説明するものではありません。」ということですがこれに抵触するということはどのように説明できるのでしょうか?--Sweeper tamonten 2009年5月13日 (水) 00:26 (UTC)[返信]
Sweeper tamontenさんの挙げているWikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」にも、「X理論は査読審査を経て学術誌に掲載されており、したがってウィキペディアの記事として適しています」「それは、査読を受けるのと同様の過程を経ることになります」などという記述があります。これは、査読がなされていないものは出典になりえないということを言っていると考えます。Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源にも「一般に、信頼性に乏しい情報源とは、(中略)編集上の監督を欠く情報源です」とあります。Wikipedia:検証可能性#但し書きには、「ある事柄が単に「検証可能」だからといって、それをウィキペディアに書いてよいとは限りません。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかをご覧ください」とあります。Wikipedia:特筆性#記事内容の特筆性については以下のように読み替えてください。「ジョン・マギーに関する一般的な知識の概要であるということを心に留めておいてください。ジョン・マギーに関する可能な限り全ての詳細なものを完璧に説明するものではありません」。--ロンドル 2009年5月13日 (水) 06:15 (UTC)[返信]
Wikipedia‐ノート:検証可能性#国会議事録の出典能力についてにおいて国会議事録の出典能力が肯定されていますね。この節の求めるものは既にありましたので残余の問題については別に節を設けたいと考えています。取りあえずWikipedia:特筆性#記事内容の特筆性ですね。他にありますか?--Sweeper tamonten 2009年5月13日 (水) 14:24 (UTC)[返信]
ノートを確認し、了解しました。特筆性についても、同じ「国会議事録」についての話題ですので同じ節で問題ないと思います。このまま続けましょう。--ロンドル 2009年5月14日 (木) 14:47 (UTC)[返信]
国会議事録からの出典が認められることは確認できました。一つの結論を得ましたので節を変えさせていただきます。特筆性はWikipedia‐ノート:検証可能性#国会議事録の出典能力についてにおいても言及されておりません。加えてこの節も長くなりました。別の方が読み返すことも考えて別の節にします。そして記事に貼ってあるタグは外します。今のタグでここに来られても私には対応できません。--Sweeper tamonten 2009年5月14日 (木) 15:50 (UTC)[返信]

木暮山人議員発言の特筆性[編集]

新たな節を用意しました。ロンドルさんの主張も議論を経て調整されるなどしたかもしれませんね。あらためて主張するところの説明をお願いします。なお、Wikipedia:特筆性#記事内容の特筆性については内容は一読していますので、それとこの記事で問題となった編集とがどのように関連するのかの説明に力点をおいてください。--Sweeper tamonten 2009年5月14日 (木) 15:50 (UTC)[返信]

上記検証可能性の結論から言えば、“木暮山人議員が参議院文教委員会でジョン・マギーについて「○○」と発言した”という形での記述は可能、ということになると思いますが、私が疑問に感じるのは、「ジョン・マギー」の記事でその程度の記述をする必要はあるのか?ということです。逆にお聞きしたいのですが、Sweeper tamontenさんがそれを記述するべきだとする理由をお聞かせください。--ロンドル 2009年5月16日 (土) 05:12 (UTC)[返信]

ここに来られた方のためにどんな文章がこの議論の対象となっているかご説明いたします。対象は以下の木暮山人参議院議員の発言です。

それともう一つ、これはぜひ皆さんもひとつ考えておいていただきたいんですけれども、時間がもうあれですからちょっと読んでみましょう。南京の虐殺はなかったとおっしゃっている方なんですが、こう言っているんです。「私は南京攻撃の第一線の大隊長で参加した。」と。森王琢という者です。  私は福知山連隊で日中戦争に参加、南京攻略戦は昭和十二年十二月十日開始され、占きょしたのが十三日。私の大隊は南京城の東正門の中山門を攻撃した。激戦したが、十三日の午前三時十分、砲撃で城壁を崩し、その勢いではい上がり、軍旗を立てました。  私はその時は城外の丘の上におり、城内には師団長と共に十五日に入場した。宿営地について陸軍省の先輩に会い、その日の午後、二人で戦場の視察に出かけた。山陵、紫金山など見て歩いた。  そうして翌年の一月十九日に命令で転進したが、それまでは南京とその周辺の警備に当たつていた。したがって南京の大虐殺が行われたという時期、あったかないか、私は確信をもってお話しできるただ一人の人間だと思っています。  例えば火事があったという人、なかったという人がいる。あったという場合には焼け跡を示すことが出来るが、なかった場合というのは、明かしは立てにくい。それと同じで、南京で虐殺があった、婦人が乱暴された、家が焼かれたと盛んに言われているが、それがほとんどウソであることを申し上げる。  南京の虐殺が東京裁判に源を発しているのはご承知と思う。その裁判がいかにでたらめであったかということも、世界の常識である。裁判の統括者であるマッカーサーが、トルーマン大統領に対して東京裁判はあやまりだったと報告しているくらいだ。  また主席検事であったキーナンも間違っていたと白状している。その裁判で南京虐殺が報告された。それを誠に情けない事に日本人の多くが信じている。あるいは信じさせられている。なぜかというと盛んに当時のマスコミがあおったからだ。  そのウソをかいつまんで申しますと、検事側の証人として当時南京にいたマギーという牧師が、二日間にわたってどこそこでなにがあったとしゃべり回る。ブルックという弁護士が反対質問で問いつめると、二日にわたってしゃべったことは全部ウソで、結局窃盗と婦女暴行が各一件だけで、法廷で笑い物になった。  次には中国人のKという町のボスが、どこそこで五百人が射殺された、四万三千人を埋葬した、四千軒の家が焼かれたと言う。四万一二千人をどうやって埋めれるか。四千軒の家を焼いたというが、私は十二月十五日に城内に入り、次の年の一月十九日までの南京で、火災は一件も起きていない。  そういう証言を東京裁判は全部認めているのです。最終弁論では町に死体が散乱していたことも認められた。冗談ではない。戦いの直後私は城内に入ったが、私は死体の一つも見ていない。  次に当時の従軍記者の虚言を申し上げる。  A社のI記者は、南京城内の大量殺人というのを書いた。ある者が君はとんでもない記事を書いたなと、なじると、あれは自分が興味本意に書いたと白状した。その同僚の記者が、Iは後方ばかりにいて記事をでっち上げる男だと言っていたそうだ。  次にB紙のS記者は、大激戦中の十二月十二日に中山門から入った。城壁にたどりついた兵が次々に万歳を叫ぶ。門の上では虐殺が行われていた、と書いている。  十二日に私は門から二キロ離れた丘の上から双眼鏡で見ている。中山門の城壁には敵がいっぱいつめている。記者などが近寄れるわけがない。これ程明りょうなウソはない。   もう一人B紙のA記者。この記者が皆さんご存知と思うが「百人斬り」というのを書いた。  これは京都の連隊のNとMと少尉同士でやったというが、これが全くのウソ。  第一に上官が、早く百人斬った方にほうびをやろうと言う。いつ死ぬかわからぬのに、こんな馬鹿げた軍隊があるはずない。(この他、兵士、記者、従軍看護婦などから数々の根拠のない流言を抽出してみせ否定した)

 ごく一部の例でしたけれども納得していただけたと思います。ということを大隊長が言っています。 — 木暮山人参議院議員の1994年10月27日, 参議院文教委員会における発言より

森王琢さんの言葉を木暮山人参議院議員が読み上げています。その中にマギー牧師について語られている部分があるという構造です。 さてジョン・マギー#極東国際軍事裁判での証言における表現は「極東国際軍事裁判(東京裁判、1946年 – 1948年)では南京大虐殺の証人として証言台に立ち、日本軍による殺人、強姦、略奪事件について、被害者からの直接聴取、自ら行った被害調査などを基礎に膨大な証言を行った。例えばその中の夏淑琴事件の場合、マギーは現場で死体を確認し、関係者から事情聴取を行った上で証言を行っている。」となっています。ここで膨大な証言とは具体的にどのくらいの量でしょうか時間にしてどのくらいとか、頁数にしてどのくらいとかの表現がありません(必要性①)。これはWikipedia:言葉を濁さない#中立性を損なう危険性以外の問題点の「いくらかの・多くの・大部分の・すべての・わずか」の項目に抵触する問題です。これを解決する手段は具体的な量を表現することです。木暮山人議員が発言した中で太字で示す箇所はこの問題の解決に役立ちます。それはWikipedia:言葉を濁さない#基本的ガイドラインにある「特定の人々がそう言っているならば、代表的な人物を具体的に挙げてください。」と「可能な限り具体的にしてください。」という解決手段になりうるものです。そしてブルックス弁護人もいくつかの尋問をしているようですが記事では「不法行為若しくは殺人行為と云ふものの現行犯を、あなた御自身幾ら位御覧になりましたか」との一件のみです。このことのみを記載して理解を求めることを妥当とは考えません(必要性②)。表現の違いも重要な点です。つまり現在の記事では「被害者からの直接聴取、自ら行った被害調査などを基礎に」としっかりした根拠をもって証言したというふうに記されていますが議員の説明では「そのウソをかいつまんで申しますと、」と始まり、証言内容があやふやであったという意見が示されています。Wikipedia:中立的な観点#中立的な観点とは何か? 「偏りのない」「中立的な」というのはここでどのような意味で使われているのか?では「全ての観点を提示する」ことが求められています。そして「様々な異なる観点の中間に位置する観点からの意見を(中間=中立であるかのように)正しいものとして提示するものでもありません。」とありますので両方を記載すべきと考えています(必要性③)。--Sweeper tamonten 2009年5月16日 (土) 15:53 (UTC)[返信]

この位置にあった書き込みを流れからわかりやすい位置に移動。--ロンドル 2009年5月19日 (火) 14:26 (UTC)[返信]

すいませんが更に以下の部分についても説明しなくてはなりません。こちらを記述してから仰ることについて回答を用意いたします。

日本軍は占領翌日の十四日から、市内の掃討戦に入るのですが、松井軍司令官の命により、安全区の街路に歩哨を立てて、無用の者の出入りを禁じて、ここを保護しました。同時にここに潜入した便衣兵約二千人と多数の隠匿兵器を摘発し、便衣兵はこれを処刑しています。御存知の通りゲリラ兵や便衣兵の処刑は戦時国際法の認めるところであります。  さて、この安全区に集まっている全市民の数は、松井大将の陣中日記に「約十二万人」と記録されており、ドイツの新聞記者や捕虜の証書によると「十五万人」といっていますが、安全区国際委員会の公式記録は「二十万人」となっています。つまり実数十二万から十五万で、公称は二十万人であります。この安全区には一発の砲弾も爆弾も撃ち込まれず、一件の火災もありませんでした。平穏無事だったのです。  これを喜んだ国際委員会のラーべ委員長は委員会を代表して、日本軍に対して感謝の書簡を認めているのです。  更に金陵大学病院のマッカラム医師はその日記の中で次のように述べています。因みにこれ。は東京裁判でも朗読されています。「日本軍は礼儀正しく、しかも、敬意を以て私共を処遇してくれた」「日本兵が支那人を助けたり、支那人の赤子を抱きあげているのを見た」「日本軍の手によって難民達に米が分配された」「七~八名の大変立派な日本兵が病院を訪れ、病人に与える食べ物や、私達が一か月も食べてない若十の牛肉と百斤の豆を持って来てくれた」と述べているのです。

 国際委員会の書記長であるスマイス博士も調査報告で「難民。区内は火災も無く平穏であった」「住民の殆どは、ここに集まっていた」と述べており、例の幻のフイルムで有名になったマギー牧師でさえ「安全区は難民達の天国たつたかも知れない」と述べているのです。 — 木暮山人参議院議員の1994年11月1日, 参議院文教委員会における発言より

マギー牧師の発言は記事「ジョン・マギー」の中には「唯僅か一人の事件だけは自分で目撃致しました」という回答のみです。これについても記事の充実の為に上記の記録を根拠として書き込みを加えるべきと考えています。--Sweeper tamonten 2009年5月17日 (日) 01:21 (UTC)[返信]

私がお聞きしたいのは、なぜ歴史学者でも研究家でもない一国会議員の発言を記述しなければならないのか?ということです。前節の最初にも書いたことですが、木暮議員もおそらくは何らかの書物や研究に基づいて発言をしたのでしょうから、そのような情報源を探し、それを出典として記述すればよいことです。また、もし万が一そのような専門家の意見に基づかない木暮議員の個人的意見であるのなら、記述する必要はありません。--ロンドル 2009年5月17日 (日) 00:48 (UTC)前記箇所より移動。--ロンドル 2009年5月19日 (火) 14:26 (UTC)[返信]
ロンドルさん、議員からの引用部分が二箇所あったことに気付かずに投稿していたため、急ぎ補足を書き込みました。失礼致しました。
さてWikipedia:特筆性はまだ「公式な方針あるいはガイドラインの草案です。現時点ではまだ拘束力はありません。」の状態です。しかし、ロンドルさんの主張はこれとは異なる視点から議論を進めていると考えています。そのように判断してこのまま議論を続けたいと思います。
「なぜ歴史学者でも研究家でもない一国会議員の発言を記述しなければならないのか?」とあります。つまりできるだけ何らかの書物や研究によるべきだという主張ですが、それがないからといってこの時点で書き込めないということではないでしょう。貴方がそれを求めるなら探してみることができます。Wikipedia:編集方針#完璧でなくてもよいのです。編集を楽しんでください。の方針に沿えば私にはそのような責任はないと考えています。記事の内容を前進させるためにはこういった作業が必要であろうとして行った編集です。Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」にも「編集者が、例えばニューヨーク・タイムズの記事の中身が真実かどうか検証する責任があるという意味ではありません。実際のところ、編集者はその種の調査をしないよう強く求められます。」とあります。貴方が私に「そのような情報源を探し、それを出典として記述」することを要求することはできないと考えています。
また「専門家の意見に基づかない木暮議員の個人的意見であるのなら、記述する必要はありません。」とありますがこれはウィキペディアにはない制限ではないでしょうか?Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」には「百科事典を編纂する際、良い記事を執筆するためには、広く信頼されている発行元からすでに公開されている事実、表明、学説見解主張意見、および議論についてのみ言及すべきです。」と学説のほか、見解主張意見議論に言及すべきことになっています。--Sweeper tamonten 2009年5月17日 (日) 03:24 (UTC)[返信]
Sweeper tamonten氏によるこのような編集([2])には特定の観点に誘導するかのような文章表現が見られます。発言の掲載には同意しますが、掲載場所や書き方には注意してください。文章表現は中立的にお願いします。--花蝶風月雪月花警部 2009年5月18日 (月) 15:51 (UTC)[返信]

Sweeper tamontenさんの仰っているのは、いずれも「記述してもよい理由(←→記述してはいけない理由)」ですが、私が聞いているのは「記述したほうがよい理由(←→記述しないほうがよい理由)」です。「歴史学者でも研究家でもない一国会議員の発言を記述したほうがよい理由」をお教えください。--ロンドル 2009年5月19日 (火) 14:26 (UTC)[返信]

「いずれも記述してもよい理由」として私の説明の中にある必要性ということを否定していますがまずそこからのはずと考えます。なぜ上記の必要性が認められないのでしょうか?Wikipediaで記事を成長させる為に決めてあることなので、これを変えることはすぐには認められないと考えています。--Sweeper tamonten 2009年5月19日 (火) 15:57 (UTC)[返信]
ある物事に関する記述というものはそれこそ世の中に無数にあるわけです。それらをすべて記述することはできないし、むしろ記述したらその記事はあまりにも雑多な内容の多い完成度の低い記事にしかなりません。たとえば新聞の読者投稿にジョン・マギーに関する記述があったとして、それを本記事に記述することが記事の完成度に寄与すると思いますか? あなたのなさろうとしていることはそういうことです。ガイドラインを盾に取らず、常識的に考えてお答えください。--ロンドル 2009年5月20日 (水) 13:19 (UTC)[返信]
(横槍失礼)必要か必要でないかなどという感覚で語られても解決しないのでは?方針上、出典ある記述は残す事が基本ですよね?それを除去しようとするならば、感覚ではなく方針に則った除去理由が必要なのでは?感覚で個人的に「必要なし」との判断で消されてしまっては編集者も困ってしまいますからね。こちらにわざわざ書かれてるじゃないですか。Wikipedia:編集方針#他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてください。そうしたしっかりとした除去理由が述べられないのであれば、記載すべきでしょ。そもそも「すべて記述することはできない」と仰っていますが、それほど文量のある記事でも今のところないのですから、広い意見を載せておくことは読者にとっても良いことですよ。--PSIA 2009年5月20日 (水) 15:38 (UTC)[返信]

わかりました。それではどうぞ記述してください。ただし花蝶風月雪月花警部さんが仰るように、文章表現をくれぐれも中立的にするようにお願いします。できれば本文ではなく脚注に、“木暮山人議員は参議院文教委員会で「○○」と発言した”という形で記述されることが望ましいであろうと考えます。--ロンドル 2009年5月24日 (日) 17:01 (UTC)[返信]

上記のロンドルさんの発言をもって一連の議論が終結したと判断しました。議論に参加していただいたロンドルさん、Johncapistranoさん、花蝶風月雪月花警部さん、PSIAさん(登場順)に感謝申し上げます。--Sweeper tamonten 2009年5月26日 (火) 01:12 (UTC)[返信]

「目撃者の南京事件 発見されたマギー牧師の日記」の信憑性[編集]

出典とされているこの本は信ぴょう性あるんですか? もしジョンマギーの日記があるなら英語で書かれているはずで、 その英語の原文から引用できるはずです。 しかし英語版wikipediaのジョンマギーの記事には日記という言葉は出てきません。 誰か英語の原文を発見できますか?