ノート:セララン兵営事件

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処刑について[編集]

1946年4月27日、チャンギーの4人がかつて銃殺された場所で、福栄少将の銃殺刑が執行され、福栄は天皇陛下万歳を叫んだ後、死亡した。と初版投稿者宇井木辺出夫さんによって記述されていますが、心臓または頭部を貫くと考えられる銃殺刑がなされた後に天皇陛下万歳なんて叫ぶとは考えられません。出典に書いてあるのかもしれませんが、なんか無理に戦犯の処刑と天皇陛下万歳を結びつけているようで、違和感があります。新着記事に選ばれたようなので、なおさら胡散臭い記述はどうなのかなと感じます。天皇陛下万歳と叫んだなる部分を除去させていただきたいと思います。--Old jacket会話2015年10月22日 (木) 14:34 (UTC)[返信]

  • 記事に注記したとおり、ブラッドリー(2001)に記載があり(なぜ未検証テンプレ、しかも記事全体にかかるテンプレを使われるのか、わからないのですが)、信憑性に関しては問題ないと私は思っています。
    • 銃殺された。叫んで、死亡した。という順に書いてあるので私も少し違和感があったのですが、常識的に考えて「叫んだ後に銃撃を受けた」と分かるかなと思って原文に忠実に書きましたが、そうでもないようなので、少し文言を足しておきます。
    • 無理に処刑と万歳を結びつけたわけではなく、チャンギーで処刑された戦犯の中には万歳を叫んだ人が多かったようです。これは、お国のためを思ってやったことで、悪いことをしようと思ってやったわけではない(から遺族は悪びれずに暮らせ)という意味で叫んでいるということが篠崎護『シンガポール占領秘録』(原書房、1976)の戦犯裁判の章に書いてあると思います。今日的な感覚では「本当なの?」と思われるかもしれませんが、関連書籍を数冊読めば、「違和感」や「胡散臭い」という感覚は感じなくなると思います。
    • ブラッドリー(2001)の著者は元連合軍の軍人なので、被害状況を誇張する傾向がなきにしもあらずですが、比較的正確に書いてあると思いますし、万歳を言った言わないを誇張する理由はないと思います。--宇井木辺出夫会話2015年10月24日 (土) 09:10 (UTC)[返信]

日本語版よりもはるかに記述してある英語版には当該事項について記載されてないようです。--Old jacket会話2015年10月22日 (木) 14:42 (UTC)[返信]

  • 英語版は詳しくないと思います。戦犯裁判全体に関して"During the Singapore War Crimes Trial in 1946, General Fukuye was sentenced to death and executed by firing squad at the spot where the four POWs had been shot three years earlier. "という1つの文しか記述していませんよね?万歳を言った言わない、だけでなく、処刑の日付の記述もありません。
  • 英語版の戦犯裁判に関する記述が出典にしているLee, Geok Boi (2005)は私が日本語版を作成する際に参考文献としたリー・ギョク・ボイ(2007)の原語版ですが、その本でもこの事件の戦犯裁判に関しては1行しか記載されていません。ブラッドリー(2001)の記述は、起訴状、嘆願書、確認の内容にも触れているし、処刑についてももう少し詳しく書いてあって、信頼性の点でもリー・ギョク・ボイ(2007)よりはるかに上です。
  • あとで英語版を修正しておきます。--宇井木辺出夫会話2015年10月24日 (土) 09:10 (UTC)[返信]