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ノート:ネコパンチ/過去版

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ネコパンチ
品種 サラブレッド
性別
毛色 黒鹿毛
生誕 2006年3月28日(18歳)
ニューイングランド
パシェンテ
母の父 ダンシングブレーヴ
生国 日本の旗日本北海道浦河町
生産牧場 大道牧場
馬主 桐谷茂
調教師 小林常泰美浦)→星野忍美浦
競走成績
生涯成績 45戦4勝(2012年1月5日現在)
獲得賞金 1億343万6000円
勝ち鞍 みなみ北海道ステークス(オープン)
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ネコパンチは、日本の競走馬である。おもな勝ち鞍は2011年のみなみ北海道ステークスなど。馬名は「猫パンチ」から。個性的な馬名から2ちゃんねるにもスレッドが立つなど、人気を博している。

戦績[編集]

2008年[編集]

デビュー戦は7月19日函館ダート1000mの新馬四位洋文騎乗で5頭立ての3番人気に推されるも、殿負け。その後2戦目、3戦目はどちらも函館芝1200m。そこで7着、3着と推移し、4戦目の札幌芝1200mで初勝利。このときは丸田恭介が騎乗していた。勝ち上がった後は、クローバー賞コスモス賞と徐々に距離を伸ばしたが5着、6着と今一歩の成績。初ダートとなった東京・プラタナス賞は9着と大敗した。

2009年[編集]

年明け初戦は中京のビオラ賞。芝2000mで巻き返しを図ったが7着。東京・芝2400mの500万下も7着。同じく東京・芝2000mを使った次走は12着と初めての2桁着順となった。その後は中山の水仙賞、阪神のゆきやなぎ賞、中山の山吹賞、京都のムーニーバレーRC賞、新潟の早苗賞と東西問わず芝の中距離のレースを使ったが、8着、6着、9着、6着、5着ともう一つ結果が出ず、年明けまで休養に入る。

2010年[編集]

久々となった2月28日の中山では4番人気に推され、3着と健闘。2歳時以来の馬券圏内となった。次走中京のレースでは11着と大敗したが、福島の米沢特別では6着に入り、春の新潟では2戦続けて3着に入った。距離をマイルに短縮した6月5日の東京では11着と振るわなかったものの、1800mに戻った福島のレースでは5着。その次には1200mの郡山特別に出走し5着。その後は北海道でのレースが続く。北海道初戦は5着だったが、8月15日の札幌、小樽特別で約2年ぶりの勝ち星を挙げる。鞍上は初勝利の時と同じ丸田恭介だった。 1000万下に昇級し、UHB賞5着、ライラック賞7着。東京の六社特別は1400mで4着。しかし次走の東京では12着、中山では15着と大敗した。連闘で距離を1800mに戻した12月11日の中山ではテン乗りの大庭和弥で先行し2着に粘りこんだ。このレースの後、小林常泰調教師勇退に伴い、星野忍厩舎に転厩。転厩初戦のグッドラックHでは3着に入った。

2011年[編集]

年明け初戦は中山の芝2000m、頌春賞。ここでは中団から直線、よく伸びたが先に抜け出していたヒシセンチュリーをとらえきれずハナ差2着。中1週で同じ条件の東雲賞に出走したが3コーナーで掛かるしぐさが見られ直線で失速し8着。2月27日の中山芝2500m、潮来特別では、大庭和弥騎乗で1週目のスタンド前で先頭に立ち、そのまま後続に3馬身差をつけ逃げ切った。準オープン昇級後、中1週で3月12日、中山のサンシャインステークスに出走が確定していたが、前日の3月11日東日本大震災が発生。その週の中央競馬は全面中止となったため、予定していたレースに出られなくなるという事態となった。結局次の出走は関東での開催が再開された4月24日、東京のオープン、メトロポリタンステークスまで待つことになった。江田照男騎乗で、格上挑戦だったが、ハンデ戦で、斤量52キロだったこともあってかオープン馬相手に僅差の2着と健闘した。自己条件に戻って、6月12日のジューンステークスでは大庭騎乗で5着。中山の常総ステークスでは江田照男に乗り替わり4着。新潟の日本海ステークスでは今度は西田雄一郎に乗り替わり5着と歯がゆいレースが続いた。が、その後中1週で函館のみなみ北海道ステークスに格上挑戦。ハンデ53キロを生かし中盤から徐々に先団に進出し、先頭で直線を向いた。あとはリードを広げるばかりで、2着コロンバスサークルに3馬身差をつけ快勝。オープン入りを果たした。鞍上は過去2勝を挙げている丸田恭介だった。 オープン入りして最初のレースは前走と同じ長丁場の札幌日経オープン。中団から伸びきれず4着。その1か月後、今度はGIIの京都大賞典池添謙一騎乗で果敢に挑戦。大逃げを打ったが、8頭立ての6着だった。続く東京のアルゼンチン共和国杯では江田照男騎乗で10着。さらに中山のステイヤーズステークスには田辺裕信騎乗で挑んだが、2周目の4コーナーで失速。14着と大敗した。

2012年[編集]

年明け初戦の万葉ステークスでは2番手につけたが直線で失速し11着。

エピソード[編集]

2011年有馬記念のファン投票では、重賞未勝利馬の身ながら28位にランクインした。これは重賞未勝利馬の中では断トツの記録である[1]

脚注[編集]

外部リンク[編集]