ノート:パーミャチ・アゾーヴァ (装甲巡洋艦)

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「パーミャチ」の訳語について[編集]

Kinno Angel さん、サポートありがとうございます。たしかに、ご説明のとおり「パーミャチ・○○」という名称の翻訳は「○○の記憶」の方がよいと思います。(そもそもこの名称は「武功を立てた艦」の名を память するものですから、個人的には「思い出」ってのもなんだかなあ!、と思っていました。「武功」を「思い出」にするって、ちょっと日本語的に感覚が変な気が。)

ただ、ウィキペディアの特長というかネックというか、出典主義がありまして、本文に示されているとおり、「アゾーフの思い出」という翻訳はサルキソフ、2009年、 7 頁に書かれているものの直接引用です(なお、「艦名は、」以下の文は、基本的に出典元に文章表現の「特徴」を含め、準拠しています)。

「アゾーフの記憶」と書く場合、現在示してある直接的な出典は合致しなくなるため、外さなければならなくなります。以下の三つの対策が考えられます。

  1. 本文・脚注説明は現在のままで、単純に出典を外す。(メリット→簡潔。デメリット→現在直接的な出典付きの記述なのが、出典なしの記述になってしまう。)
  2. 本文には「アゾーフの思い出」と書き、従って出典記載もそのまま。脚注で、でもほんとは「記憶」の方がいいよね的な雰囲気で説明をする。(メリット→出典に忠実。デメリット→本文から<ほんとはこっちの方がいい>「記憶」という訳語が落ちてしまう。脚注でいわば「自説」的なものを展開するのは NG かと。)
  3. 本文には「アゾーフの記憶」と書き、脚注説明に<出典○○では「思い出」と記載しているが、「パーミャチ」は正教会では「記憶」と訳され、〜中略〜、従ってここでは「記憶」という翻訳を採用する。>などと書く。(メリット→本文から「記憶」が消えない。デメリット→出典が完全に消えるわけではないが、やはり直接的な出典で「アゾーフの思い出」と翻訳しているのを、出典から逸脱して「アゾーフの記憶」と書くことになる。 2. と同様、直接的な出典があるにも拘らずそれから逸脱した「自説」の展開に相当する懸念はある。)

で、その本にそう明記してあったので、ほかの「パーミャチ・○○」の翻訳も全部「思い出」にしてしまいました。それらには直接的な出典がありませんので、こちらに合わせて修正したいと思います。

アドバイスいただければ、幸いに存じます。--PRUSAKiN 2011年2月26日 (土) 10:47 (UTC)[返信]