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ノート:フィラレート・デヌィセンコ

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指摘[編集]

今回のこのフィラレートの関する記述は、結果として明らかにある事ない事を書き立てられたこととなっているように思います。記述にフィラレートに対する悪戯を感じるのは私だけでしょうか。Klimentさんはウクライナ正教会モスクワ総主教庁のページも書かれていますが、そちらの主教に関する記述はなされず、またその総主教にあたるモスクワ総主教アレクシー二世に関するページも空白のままです。アレクシー二世が日本正教会の総主教でもあることを思えば、また正教会に詳しい方とあれば、そちらのほうに手をつけないことも疑問です。当ページの記載内容の他、こうしたことからも、もしかしたら意図的ではないにせよ、記述が偏っていると思われても仕方がないように思います。

記述にある女性との同居、またKGBとの関係性は、とても残念なことですが、現モスクワ総主教アレクシー二世も含め、確かにその当時のソ連の正教会聖職者の殆どすべてに当てはまります。モスクワ総主教のアレクシー二世は同居のみならず結婚もしていました。それはKlimentさんもご存知のことと拝察いたします。フィラレートがしたことも含めこれらは決して良い事ではなく、悪いことであり、あってはならないことです。KGBはそういった環境を持たせることにより、聖職者たちの弱みをにぎりました。しかし、だからと言って、繰り返しになりますがそれはやはり良くないことであり、あってはいけないことです。またその当時には、抵抗した純粋な聖職者たちは、亡命した者を除いてほぼすべてが抹殺されているのも事実です。 

フィラレートはウクライナ独立後3代目にあたる総主教ですが、こうした事柄をも信者たちが理解した上で、信者たちによって選ばれた総主教です。それに昔のことを悔い改めていないはずはありません。このフィレラートに対する記述こそ、穿った見解に過ぎないのではないでしょうか。ウクライナがキエフ派とモスクワ派とその他とに分裂していることは、当国に複雑な政治的、歴史的背景があること、そしてその問題が今日までに続いていることを反映しており、それに対する誤解や偏見は多方面において生まれやすい状況にあると思われます。

私はフィラレートに対して何の思い入れもなく、むしろソ連時代を過ごしてきた正教会の聖職者(神品)とよばれる人たちのことが、個人的にですが好きではありませんでした。中傷や批判の種はウクライナに限らずロシアの正教会においても然りで(私はロシア正教の濁っているところのほうが気になりますが)、叩けばほこりが出る、という印象を持ち、聖職者ならぬ感じを受けていたからだと思います。しかし、その「ほこり」が他にもっとたくさん出るであろう人たちがいる中で、フィラレートだけは、自分のことで何を言われても、どう個人攻撃されても、攻撃仕返さないことに気付き、そこに今現在の彼のキリスト教信徒としての姿勢を感じました。キリスト教徒としてあるべき姿を今の彼に感じるのです。そしてそのことが何よりも信徒数が増えていることに反映しているのではないでしょうか。そして、自分も含めあの恐怖政治と呼ばれる中で暮らしたことのない者たちが、彼らを裁くようなものの見方をして良いものか、またその中で実際に暮らしていた信徒たちが自分たちで下した決断にケチをつけるようなことは、それこそ部外者の憶測によるものなのかもしれないと思われるに至ります。事実に基ずく真実の記載ならば、良い事も悪い事も知らされることは正しいと思いますが。

キエフ派の正教会は、少なからずウクライナ東方カトリック教会との関係が改善されるようにも努め、互いの教派を尊重し合うようになってきています。これは喜ばしい前進であるように思います。

反対に、政治との関係を強いられたソ連時代の正教会を相変わらず今日まで引きずらざるを得ないモスクワ総主教アレクシー二世を、憐れに思います。KGBとの関係性も、そしてKGBの後進となって今に存在するFSBとの関係性も、彼に対し問われる要素です。

Klimentさんはたくさんのページを立ち上げられ、書き込みをされ、博識でいらっしゃることと拝察いたしますし、今回私が文頭で「ある事ない事」という表現をしましたが、それはもしかしたらご本人の意図ではないのかもしれないとも拝察いたします。記述に際しその引用文献の提示が要求されますが、とくに新聞や雑誌の記事には同じく政治的圧力によって書かれたもの、偏見やプロパガンダなどが多くあることは周知の通りでしょう。的確な、信憑性の高い文献の提示、またより正確な見解によるウィキペディアへの書き込み、修正を切に願います。ウィキペディアに求められるのは事実や真実であり、中傷による記述ではないはずです。

当方は、十数年前より思いがけずウクライナに関心を持つようになったものでして、また敬愛する恩師の一人がロシア人であったりと、ウクライナとロシアの両国関係がどうにか改善されないものか、時折思っている者です。両国の関係は、日中韓関係と重ねて思われることもあり、本当に何とかならないものかと思うのです。____ M. Linn --以上の署名のないコメントは、M. Linn会話投稿記録)さんが 2008年2月21日 (木) 12:18 (UTC) に投稿したものです(Kliment A.K.による付記)。[返信]

お答え(小生は英語版から翻訳したのみ)[編集]

最初の履歴をご参照頂ければお分かりになるかと思いますが、小生は英語版から翻訳したのみで、小生の個人的見解は(誤訳等の小生の語学力に起因する問題を除けば)一切投影されておりません。また、他の首座主教についての記述がなされていないとの御指摘ですが、日本正教会の首座主教ダニイル主代郁夫については既に立ち上げており、歴史上の人物としてはキリル・ルカリスについても着手致しました。記述が偏っているとのご指摘は全く当たらず、小生はこうした指摘を遺憾に思うものであります。
アレクシイ2世en:Patriarch Alexius II)についてまだ書かない理由は簡単でして、「翻訳を行いたいが、英語版で中立観点のテンプレが貼られて議論中だから」です。なお、彼の結婚歴は夙に知られている事ですが、結婚暦のある主教というのは正教会では別に珍しくありません(英語版で議論されているのも結婚式を挙げた時期が教会法違反であるかどうかであって、結婚の有無ではありません…そもそも許されていない結婚であれば、「時期による教会法違反」云々の議論が成り立ちません)。妻帯司祭が妻とともに修道院に入って修道司祭となったり(ニコライ小野主教のケースが該当)、妻帯司祭が妻と死別してから暫くしてから修道司祭になったり(ダニイル主代府主教のケースが該当)するのは全く珍しい事ではなく、「アレクシイ2世に結婚歴がある事」そのものはスキャンダルでも何でもありません
ただし「」「内縁の妻」が「秘密裏に」「修道誓願に反する形(妻の修道院入りを伴っていなかったり死別の事情がなかった場合)」で行われていたらスキャンダルです。フィラレートの場合はまさしくスキャンダルに該当いたします。またスキャンダルであるゆえにこそ、英語版ウィキペディアでも全てそうした類の記事は出典つきで記載されているのでしょう。
急いで付言しておきますが、何でもスキャンダルならば書けばいいと思うものでは勿論ありません。小生も露悪趣味は持ち合わせておりませんし、ウィキペディアは週刊誌ではありません。ですが逆にこうした「公然のスキャンダル」について出典があるにも関わらず訳出しない事は、キエフ総主教庁POVの虞に帰結します。また、キエフ総主教庁がなぜ全国民の3割強しか集めるに至っていないのかの理由は、成立過程とトップの性格に起因する部分が多いと目される以上、最低限必要な記述というのは御座います。
>ウィキペディアに求められるのは事実や真実であり
仰る通りで、基本的にウィキペディアは当該人物に関する評価を行ったり議論するページではありません。ただ淡々と事実を積み重ねていくだけであります。ここに書かれている事も全て事実そのものであります。もしそうした評価について活発な議論をなさりたいのであれば、各種掲示板ならびにSNSを活用される事をお奨め致します。友好関係は大事だと小生も思いますが、公然のスキャンダルまで隠す事で友好関係が増進されるとは思いません。また、どちらかと言えばロシアとウクライナの断絶を生んだのはフィラレートの側であって他者ではありえないのです(そもそもフィラレート自身がロシアから離れた事を主張して破門の無効性を訴えているのです)。仮にウクライナとロシアの友好の為という目的が文章に反映される事が認められるとしましても(それはウィキペディアが百科事典である以上有り得ませんが)、フィラレートに対する記述を改める事がそれに資するとは到底思えません。
--Kliment A.K. 2008年2月21日 (木) 12:47 (UTC)[返信]

お答えをまとめます[編集]

  • 小生は英語版(en:Patriarch Filaret (Mykhailo Denysenko))から翻訳したのみであり、小生の個人的見解が本日本語版に投影されているということは(誤訳等の言語上の問題を除けば)有り得ません。
  • 過剰な週刊誌的記述は必要ないと考えますが、英語版ウィキペディアに記載されている程度の「公然のスキャンダル」まで記載しない事は、逆にキエフ総主教庁ならびにフィラレートPOVの疑義を生みます。
  • 誤解されている方が多いようですが、主教の結婚歴そのものはスキャンダルではありません。--Kliment A.K. 2008年2月21日 (木) 12:56 (UTC)[返信]
追記
  • フィラレートの場合のような隠し子問題はあまり類例の多くない(というより現代では殆どみられないスキャンダル)ですが、KGB、FSBとの関わりについて多くの高位聖職者が抱える過去の問題(人物によっては現在の問題)についてはこれまた公然のスキャンダルであり、アレクシイ2世もその点例外ではないことは、重々小生も承知しております。その上で申しております。--Kliment A.K. 2008年2月21日 (木) 13:03 (UTC)[返信]
  • イラリオン・アルフェエフ主代郁夫といった現役の正教会聖職者に関する記事も既に暫く前に小生は作成しており、「フィラレート・デヌィセンコに対する含む所があるのでは」との疑義は当たりません。ただキエフ総主教庁の成立経緯が豊富に記載されていた英文であったために、関連記事として作成したところで御座います。--Kliment A.K. 2008年2月21日 (木) 13:31 (UTC)[返信]

そうでしたか、Kliment A.K.さんは英語版のほうを訳されたのですね。原文が気になり、私も英語版のほうも見てみました。フィラレートのページもですが、名前があがったアレクセイ二世のほうも両方見てみました。

まずは先にアレクセイ二世のページですが、これは議論が進んでいくうちに良いページになってきていると思います。現時点でも、事実関係など醜い部分も含め、文章として全体的にバランスよく書かれていると思いますし。論議の当事者にしてみれば大変な労力と気力を要することでしょうが、論争の末、このようにページがより良く仕上がっていくことは、ウィキペディアにとって喜ばしいことでしょう。

それに対しフィラレートのほうですが、まるで論争を一方が諦めてしまったような、疲れ果てて途中でやめてしまったのか、何ともタブロイト的な状態で落ち着いてしまっているのには残念です。内容に悪戯が感じられるのはここからでしたか。英文としても読みにくく、きれいとは言い難いですよね。

Kliment A.K.さんが翻訳に費やされた労力を思うと、こう申し上げるのは大変恐縮ですが、もしも日本語版のこのページにどうしても悪戯が感じられてしまうのが、単に「英語版を翻訳しただけ」ということであっても、やはりこの日本語版の、日本語で書かれたその文章に対する責任は、Kliment A.K.さんにかかってくるものなのではないでしょうか。

最後に私事ですが、先の投稿の際、投稿寸前で誤操作してしまい、署名を然るべき所に記載せずに出してしまいましたところ、Kliment A.K.さんが付け加えてくださったのですね。文末にて恐縮ですがお礼申し上げます。--M. Linn 2008年2月22日 (金) 18:04 (UTC)[返信]

M. Linnさん
まず小生が本記事を作成した動機に悪意を疑われた事に対し、第三者(PRUSAKYNさん)から擁護があり、さらに小生自身による説明があったにも関わらず、謝罪も何も行われなかった事は大変遺憾であり強く抗議致します。
また、小生の見るところ、アレクシイ2世の英語版記事もフィラレート・デヌィセンコの英語版記事もそれほど質において大差があるようには全く見えず、アレクシイ2世の英語版記事に対する高めの評価はM. Linnさんの個人的かつ主観的な判断に過ぎません。場合によってはUOC-KP POVを疑われても仕方無いでしょう。
しかも「英語版記事から悪戯が感じられる」という判断は極めて主観的であることもさることながら
>日本語版のこのページにどうしても悪戯が感じられてしまうのが、単に「英語版を翻訳しただけ」ということであっても、やはりこの日本語版の、日本語で書かれたその文章に対する責任は、Kliment A.K.さんにかかってくるものなのではないでしょうか。
などと全く根拠の無い主観的な中傷を加えられた事、意味不明な「責任」を問われた事に対しても強く抗議致します。
--Kliment A.K. 2008年2月22日 (金) 18:22 (UTC)[返信]
M. Linnさんはウクライナのことにお詳しいようですから、ここは是非ウクライナ語版の翻訳を行い、英語版翻訳記事である現在の日本語版ページとの擦り合わせを行うことをお勧めします。ウクライナ語版が英語版より特に優れた内容・優れたページ構成であるとも、また日本語版ウィキペディアのすすめに照らして特に優れているとも思えませんが(特に出典が明記されていないのは最大の欠陥)、それは英語版が特に整っているからでありウクライナ語版が絶対的に劣っているわけではありませんし、少なくとも英語版よりはスキャンダル部分の表現は緩やかなようです。
もしくは、英語版に出典付きで書かれている事柄について、しかるべき出典付きでそれを否定し得る情報を加筆する(現在ある記述は消去する必要はありません。ただ、それに対する正当な反論を書くのは自由です)というのも有効な手かと思います。そのような加筆についてはむしろ歓迎されるでしょう。
ところで、M. Linnさんは記事執筆のご経験がおありでないようなので「たかが翻訳記事」と思われるのかもしれませんが、「たかが翻訳記事」であってもこのページ程度の完成度で作成するのは容易いことではないのですよ。そのような労力を惜しまずページを作成してくれた初版執筆者には多少なりとも敬意を持つべきですし、大抵のウィキペディア・ユーザーはそうしています(中には幼稚な例外もありますが)。あまり根拠のない批判を浴びせるのはよした方がよいですよ。そのような暇があるのならば、あなたもひとつこのページ程度の完成度のページを作成してみることをお勧めします。大いにウィキペディアのためになりますし、あなたのページ作成者への見方も変わるでしょう。
その上で、もし時間があれば何がどう「悪戯が感じられてしまう」のかご説明願えると助かります。文脈上、何をもってして「悪戯」と表現しているのか理解致しかねます。「悪戯」とは、辞書的な意味では「いたずら」のことですが、Kliment A.K.さんは真面目に書いているわけであり「いたずら」はしていません。あなたの発言が「いたずら」にKliment A.K.さんを煽るために行われているようにすら感じられます。また、このようにあまり意味の不明確な文章を書かれると、あなたが日本語を正しく理解して用いることができるユーザーなのか不安を感じます(つまり、関連する問題で日本語がわからないことを前提に英語話者ユーザーと対話する必要があったので、今回もそのような可能性を考慮しています。日本語が万全でないのなら、その前提でなるべく親切に話すよう心掛けます。母語話者であれば、中堅大学の試験に通るくらいの読解力・会話力はあるものと看做して普通に話します)。
いささか失礼な物言いになったことはお詫びしますが、どうぞ初版執筆者に協力的な方向で問題点の指摘をして下さるようお願い致します。今まで行っているような挑発的な発言をしてもノートにおいて意見の対立が延々と続くだけで、(あなたの望むような)ページ内容の「改善」には繋がりません。逆に協力的に改善点を示して下されば、Kliment A.K.さんもページの改変にやぶさかではないでしょう。よろしくご検討お願い致します。--PRUSAKYN (ПРУСАКИНが読みにくいのでローマ字化中) 2008年2月23日 (土) 16:31 (UTC)[返信]

一つだけ記事に追加しておきます[編集]

結婚歴そのものがスキャンダルと捉える方がいらっしゃるようなので、それについては脚注としてこれから補足しておきます。正教会関係者にとっては

  • 正教会では、聖職者も含め、夫が男子修道院に入り、その妻が女子修道院に入り、夫婦そろって修道士になる事は珍しく無い
  • 妻と死別した聖職者が修道院に入る事は珍しく無い
  • 上記のような経緯を辿った聖職者が「結婚歴のある主教」となるケースも珍しく無い

事は常識なのですが、日本人の多くにとっては常識ではないでしょう。これらについて記述を加える事は問題無いでしょうし、幾許かはフィラレートに対するスキャンダル記事的色彩に対する懸念に対する緩和材料ともなるかと思います。--Kliment A.K. 2008年2月21日 (木) 13:20 (UTC)[返信]

加筆おことわり撤回[編集]

上記の加筆のお断りを撤回いたします。理由は以下の通りです。

正教会において、結婚歴そのものは問題視されない。夫婦がそれぞれ男子修道院・女子修道院に入り、同時に修道士・修道女になる事は正教会では珍しく無い事例であり、そうした経緯を経た修道士が「結婚歴のある主教」となることも珍しく無い。また、妻と死別した聖職者が修道院に入る事例も珍しくなく、これも「結婚歴のある主教」に珍しく無い。フィラレートに関して問題とされているのは結婚歴ではなく、「内縁の妻」と「隠し子」の存在を巡る疑惑である。

以上のような脚注文を加えようと思ったのですが、却ってフィラレート氏に対して厳しい内容になるようにも感じましたためです。もしこの文案で賛成意見を頂きましたら上記文章を挿入致しますが、あまり小生も乗り気では御座いません。--Kliment A.K. 2008年2月21日 (木) 13:29 (UTC)[返信]

消去線追加、撤回宣言を撤回--Kliment A.K. 2008年2月22日 (金) 16:51 (UTC)[返信]
追加した方がよいと思います。でないと、結婚が問題なのか子供を作ったのが問題なのかなにが問題なのか不明確な部分が残ると思います。明確化することにより誤解を避け、正教会できちんと妻帯しているような人に対する偏見の助長を防ぐことができます。追加することによる不利益より、閲覧者の理解を助けるという利益の方が大きいでしょう。また、上記文章の表現が特にフィラレート氏に対して厳しいものであるとは感じません。飽くまで事実の羅列、事実関係・前提条件の注釈に留まっていると思います(特に批判的な文章であるとは感じません)。--PRUSAKYN (ПРУСАКИНが読みにくいのでローマ字化中) 2008年2月22日 (金) 13:20 (UTC)[返信]
若干文案に修正を加えた上で、加筆致します。もし加筆内容につき、御異議がありましたらこちらへお願いします。--Kliment A.K. 2008年2月22日 (金) 16:51 (UTC)[返信]

コメント[編集]

追加しておきますが、Kliment A.K.さんがこの記事を作成されたのは私がページ作成を依頼したからです。従って、Kliment A.K.さんに何らかの政治的野心があったというわけではありません。さらにいうと、アレクシイ2世等他の聖職者については私も誰も彼に翻訳を依頼しておりませんので、Kliment A.K.さんがアレクシイ2世等を作らずこのページだけ作ったとしても、形式上まったくおかしなことはないということも申し添えておきます。

なお、一応フォローしておきますが、私がこのページだけ作成を依頼してアレクシイ2世を依頼していないのは、私がロシアよりウクライナに興味があるという、単純に私個人の興味対象の問題に起因します。これについては、実際私の編集履歴を見れば主にロシアよりはウクライナ関係に力を入れていることは明らかにわかると思いますから、何らかの政治的意図を疑われることはないでしょう。まあ、ロシア関係も結構作っていますが、それはウクライナ関係作成の箸休め(リフレッシュ)みたいなものです(難しいウクライナ語を読むのはしんどいので)。

これまでのいろいろな問題に関連してこのページの作成を提案したわけですが、そもそも特に興味がなければウクライナ関係に拘る日本語版ユーザーなんてまずいませんので。政治的主張を行いたくて日本語版でウクライナ関係の編集に携わる人は極めて特殊な例でしょう(私はその例に当たらず)。--PRUSAKYN (ПРУСАКИНが読みにくいのでローマ字化中) 2008年2月22日 (金) 13:20 (UTC)訂正、一部発言撤回。言葉のあやです。真面目に作っています。--PRUSAKYN (ПРУСАКИНが読みにくいのでローマ字化中) 2008年2月22日 (金) 14:24 (UTC)[返信]

PRUSAKYN (ПРУСАКИНが読みにくいのでローマ字化中)さん
お名前を出してよいか迷っておりました所、コメントを頂きありがとうございます。--Kliment A.K. 2008年2月22日 (金) 16:59 (UTC)[返信]

固有名詞の日本語表記について[編集]

上の指摘の件とはまったく別件で、私のノートへのコメントに関連して固有名詞の表記についてですが、姓「Denysenko」をデニセンコではなくデヌィセンコにされたので、俗名「Mykhailo」もミハイロではなくムィハイロの方が表記法の一貫性という点でよいかもしれません。ミハイロ・デニセンコムィハイロ・デヌィセンコはどちらもウクライナ語の日本語表記としておかしくない(許容範囲)ですが、片方を「イ」、他方を「ウィ」で表すのは混乱の元かと。なお、正式な出典、あるいは優れた出典付きの片仮名表記があればそちらに従います。--PRUSAKYN (ПРУСАКИНが読みにくいのでローマ字化中) 2008年2月22日 (金) 13:20 (UTC)[返信]

ПРУСАКИНさん
了解しました。御教示をありがとうございます。いつでしたか「ムィシュキン公爵」の話でその表現がでていましたね(記事ムィコラーイウでしたでしょうか)。仰る通りだと思いましたので、関連の表記を直して置こうと思います。ウクライナ語表記には非常に弱いので(というより得意な言語が無いのですが^^;)これからもお気付きの点があれば御指摘頂ければ幸甚です。--Kliment A.K. 2008年2月22日 (金) 17:03 (UTC)[返信]

俗名ですが、ウクライナ語版ではМихаїл Антонович Денисенко、ロシア語版ではМихаил Антонович Денисенкоとあります。ロシア語名はよいのですが、ウクライナ語名もМихайлоではなくМихаїлなのでしょうか。(英語版と仏語版は「Mykhailo」ですね。)

読みも自信が持てないところで、「ムィハイィール」(簡単に書けば「ムィハイール」)なのか「ミハイィール」(「ミハイール」)なのか判然としません。普通に考えれば前者ですが、何となく世俗時代(=ロシア語主流のソ連時代)に使っていたロシア語名のウクライナ語転写であるような気もするので後者の可能性が気になるところです。何かご存知ではありませんでしょうか。--PRUSAKYN (ПРУСАКИНが読みにくいのでローマ字化中) 2008年2月23日 (土) 16:00 (UTC)[返信]

uk:Архангел Михаїлにあるように、大天使については「ムィハイール」なのですが、普通の(世俗の)人名にも使用されるのでしょうか。用例が思いつかないので確認できないのですが……。--PRUSAKYN (ПРУСАКИНが読みにくいのでローマ字化中) 2008年3月5日 (水) 12:43 (UTC)[返信]

再翻訳について[編集]

こんにちは。meta:OTRSの末席に連なるものですが、ウィキメディアの連絡先(英語)である「Info-en」に"Libel on Japanese Wikipedia"という件名でen:Wikipedia:Biographies of living persons#Remove unsourced or poorly sourced contentious materialに基づいて、"unsourced and negative in tone"な版しかないので即時削除を、と求める英語のメールがUOC-KP関係者から届いています([Ticket#2009082510043421])。

「論争」の部分はともかくそれ以外の部分は中立的だから即時削除対象ではない、Wikipedia:存命人物の伝記はつい最近に正式化されたので、Wikipedia:存命人物の伝記#出典無き批判は除去をこの記事に当てはめて即時削除するのは難しいと説明を試みたのですが、"officially His Holiness, the Patriarch of Kyiv and All Rus’ - Ukraine Filaret; "を「公式名:キエフ及び全ルーシの総主教」 と訳しているが、彼自身も彼の教会も「全ルーシの総主教」と称した事実はない、この冒頭からしてスキャンダラスで事実に反し、名誉棄損である、ほかにも多々出典なしにネガティブな記述がたくさんある、とのこと(たしかに翻訳初版からすべて「キエフ及び全ルーシの総主教」となっております)。

つきましては、英語版のen:Patriarch Filaret (Denysenko)の最近の版ならば去年の版よりは中立的になっている模様なので、あらためて翻訳しなおしていただけないでしょうか。もし再翻訳する時間が取れないとのことでしたら、及ばずながら私のほうで再翻訳させていただきます。--miya 2009年9月27日 (日) 02:46 (UTC)[返信]

項目名について[編集]

上の再翻訳提案に関連して、現在の「フィラレート・デヌィセンコ」の変更をご検討ください。

公式名では キエフおよび全ルーシ・ウクライナ総主教フィラレート、俗名はミハイロ・アントーノヴィチ・デヌィセンコ、であり、「フィラレート (モスクワ総主教)(1553年 - 1633年10月1日)」と同じく「フィラレート (キエフ総主教)」「フィラレート (キエフ及び全ルーシ・ウクライナ総主教)」「フィラレート (UOC-KP)」もしくは英語版にならって「フィラレート(デヌィセンコ)」としたほうがよいのではないでしょうか。--miya 2009年9月27日 (日) 02:46 (UTC)[返信]

お返事[編集]

miyaさん、私が作成しました記事につき、お手数をお掛けし申し訳ありません。以下、お返事とさせて頂きます。

  • 全面的に賛成する内容ではないものの、修正もしくは再翻訳について反対しません。理由は以下二つになります。
    • 英語版記事を元にしたものであった以上、英語版で多々問題が発生しているのであれば、日本語版が影響を蒙るのは至当です。
    • 現在の英語版内容について細かい反論がある蓋然性はありますが、それでも再翻訳に反対しません。当方に議論に参画するリソースもモチベーションも、現在、御座いません。
  • 再翻訳の体裁(全文翻訳にするか一部翻訳にするか等)については、miyaさんもしくは他の利用者の方にお任せします。正教の用語修正程度には伺うかもしれませんが…

活動縮小中に完全に他人任せになってしまっておりますこと、何卒御赦し下さい…。--Kliment A.K. 2009年9月28日 (月) 04:05 (UTC)[返信]

早速のお返事ありがとうございます。
それでは、僭越ながらフィラレート (キエフ総主教)としていったん全翻訳させていただき、そのうえでKliment.A.K.さんの翻訳を要約欄にお名前明記の上でマージさせていただこうと思います。なお、大見出しを「再翻訳について」に変更させていただきました。--miya 2009年9月30日 (水) 12:29 (UTC)[返信]
翻訳の上で統合させていただきました。ありがとうございました。のちほど『ロシア正教の千年-聖と俗のはざまで』にも目を通して、可能なら脚注を追加したいと思っています。--miya 2009年10月2日 (金) 08:53 (UTC)[返信]
すみません、『ロシア正教の千年』はたいへん参考になったのですが、解任劇についてはモスコフスキエ・ノーヴォスチのみを元に書かれている様子でNOPVにならないため、加筆は保留して、ウクライナ側の出典にできる資料を探してみます。--miya 2009年10月3日 (土) 17:45 (UTC)[返信]