ノート:ラクス・クライン

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「各種ゲームにおけるラクス・クライン」について[編集]

これは必要なのでしょうか?散々書き込まれているので皆さんの意見お願いします。因みに私は必要ないと思います。まあ、余談程度に書くのはいいと思いますが。121.116.107.2 2007年4月21日 (土) 07:13 (UTC)[返信]

個人的には私もゲーム関連は「ゲームにおける経歴」で載せるほどの必要性はないと思いますので、省略してみました。CMB 2007年4月22日 (日) 07:26 (UTC)[返信]

必要ないというのは、どのような理由で必要ないのか書いていただけると幸いです。 当該ゲームの記事に項目を作るには明らかに不自然(他のキャラも載せるなら別ですが)。別ページをつくるにはテキスト不足ですので、このページに纏めるのが一番適切かと。--Kaizaru 2007年4月22日 (日) 15:01 (UTC)[返信]

「アニメにおける経歴」、「各種ゲームにおけるラクス・クライン」といった限定した表現にしない方がいいと思います(特に前者)また、後者は「余談」等に簡単に書く程度がよろしいかと121.116.1.166 2007年4月23日 (月) 11:55 (UTC)[返信]

物語上での繋がりがない別の作品なのですから、項目を分けるのは仕方がないのでは?--Derutora 2007年4月23日 (月) 12:06 (UTC)[返信]

ゲームとアニメは繋がりがないからこそ、辞典に載せるほどの重要性と必要性を得ないと思われます。現に他の項目でも同様の理由でゲームの記事は極端に簡略化されていますね。ゲームの記事まで大きく載せると肥大化してしまいかねません。上にも書いている人がいるとおり、余談程度に書くのが辞典として適切だと思われます。今井が行く 2007年4月30日 (月) 07:59 (UTC)[返信]

アニメの内容だけが事典に載せるべきものであるかのように考える方が多いようですが、ウィキペディアは世の事柄全てが記事の対照となる百科事典です。メディアの違いや製作会社の違いなどによって、記述の価値に優劣が発生することはありません。詳しくはWikipedia:基本方針とガイドラインをどうぞ。--125.215.79.129 2007年4月30日 (月) 12:19 (UTC)[返信]

指導者としてのラクス・クラインについて[編集]

全く中立的ではなく批判目的で追記したのだと思われるので削除するのが良いかと。 全てが悪いわけではないですが、書かれ方等考慮しても削除後、 にまたどなたかが「中立的」に書かれた方が良いです。

「目の前の現実すら『見ない・考慮しない』」に関しては振り上げた拳は元に戻らないという「現実」をわかっているからこそ「悪しき選択・・・」の言葉へ繋がるのだと判断出来ます。 天使湯にてカガリへ言った「まず決める・・・(だったかな?)」台詞からも行動しなければ何も変わる事はありえないという「現実」がわかっているからこそ言える台詞です。


「監視カメラの前でフリーダムをキラに渡したり・・・」に関しては意図的にカメラを見ている描写もある事から今までのただ歌を歌うだけの自分との決別との捉え方が出来ますので、「浮世離れした非現実的」との記述も当て嵌まりません。


「政治的なアプローチは『あまりにもずさん』」に関しましては、現実的にキラ達は連邦・ザフト両国から見てテロリストでしかないわけで、デュランダル自身テロリストと交渉する気はない、連邦も当然ないのが全体を見ても明らかに読み取れる事から、政治的にアプローチを取る事は現実的に不可能ではないかと。 「交渉の席」がない事には政治的アプローチを取れないですね。

上記、また前述の事からしても中立でなくただの批判となっている追記・変更された部分は価値がない為削除された方が良いと思います。


指導者としてのラクス・クラインについて[編集]

「ラクスの思考は・・・」以降の記述については修正されるべきではないでしょうか。作中で起こった客観的事実を中心とする記述に改められることを期待します。  主観的な表現の例として、たとえば「耳触りのいい」という表現があげられます。この表現には、聞き手を欺罔し自らの目的に適うように行動させる(induceする)意図をもって、聞き手にとって都合の良い(多くの場合、語り手の真意と一致しない)言葉が使われるという趣旨が含まれます。しかし、作中でかかる表現が該当するのは、聞き手を自分の思う方向に動かす目的で意図的に自分の真意と合致しない美辞麗句を用いていたギルバート・デュランダルか(シン・アスカに対する)レイ・ザ・バレルくらいのもので、ラクス・クラインに限らず他の登場人物の言動については、かかる表現は適切ではないと考えられます。  また、「目の前の現実すら『見ない・考慮しない』」「他人の意見を汲み取る姿勢が『全くない』」「政治的なアプローチは『あまりにもずさん』」といった断定的でバッファを持たせていない表現も記述の主観的な色合いを濃くしています。(たとえば最初の例でいえば、現実を見ていないのか、考慮していないのか、見て、考慮した上でなお現実を見ていない、考慮していないと受け取られるような行動を取っているのかは、製作者かラクス・クライン本人でなければわからないはずです。)これは一面的に捉えた場合の記述であり、そう考えない視聴者やファンが存在する以上、逆の立場からの記述を併記する、あるいはかかる記述を削除して、客観的な事実としてのラクス・クラインの行動を列挙する形に改められるべきでしょう。  たとえば「民主的な話し合いをもって事を進めるタイプではなく、その類稀なカリスマ性によって周囲を引っ張るタイプの指導者である。その直感的でしかし状況を広い視野で見据えて下す冷静な判断は、ときにアンドリュー・バルトフェルド等歴戦の将をも唸らせ納得させるものがある。一方で、浮世離れした非現実的な面もあり、監視カメラの前でフリーダムをキラに渡したり(SEED)、自らの命を狙う罠とわかっていながらミーア・キャンベルの待つ劇場を訪れたりして(DESTINY)、周囲が事態の収拾に追われる結果を招くこともある。」といった記述で足り、それ以降の段落については、たとえば「これまでのラクス・クラインの主な活動」等と別項目を立て、これまで作中で起こった「事実」を羅列するにとどめた方が客観性が保たれるように思います。(他人の行動を「咎めない」という不作為では、ラクス・クラインに非現実的な面があることを示す例としては弱いのではないでしょうか。)

ちょっと否定的と言うか明らかに悪意があると思われる文がありますね。削除しても投稿されています。ノートで議論するよう忠告しても無視しているので、今後も続くようだと報告したほうがいいかもしれません。--マルボロカラー 2007年4月21日 (土) 05:03 (UTC)[返信]

指導者としてのラクス・クラインについて[編集]

この節の内容が中立的観点に即していないと思います。むしろラクス・クライン批判文のような内容のように見えます。この文の削除かラクス・クラインを擁護する内容の文を付け加えて訂正したほうがいいと思います。125.204.129.33 2007年2月27日 (火) 03:03 (UTC)[返信]

身長158cm 体重53kg 年齢16歳 生年月日2月5日 星座水瓶座 血液型B型

わざわざ強調文字にする必要性がないと思われる文章を強調したり、中立的観点ではなく、主観的または悪意のある投稿と思われるものが何度も掲載されていますので、何らかの対策を考えた方が良いかと思われます。125.1.87.157 2007年4月20日 (金) 05:45 (UTC)[返信]

機種依存文字[編集]

体重のkg表記がWindowsのみ表示される依存文字が利用されていたので修正しました~ 次回から注意してください --Picklock 2005年7月7日 (木) 09:19 (UTC)[返信]

記事を削除し続けているIPユーザー(219.32.24.94)へ[編集]

重ね重ね申し上げますが、もし記事を削除するのであれば、その当該箇所が削除されるべき 理由をノートにお書きください。ウィキペディアは百科事典であり、あなた個人のアニメファンサイトではありません。 黙殺し、ただ削除を繰り返すという現状が続けば編集合戦として記事の保護も考えなければなりません。 参考:Wikipedia:ウィキペディアは何でないか Wikipedia:中立的な観点 |219.107.61.192 2005年12月17日 (土) 00:54 (UTC)[返信]

誰か個人のものでないことはもちろんですが、そもそもWikipediaはいかなる意味でもアニメファンサイトではなく、ガンダムSeedの研究サイトでもなく、批評サイトでもありません。現状の記事は量的に大き過ぎるだけでなく、不必要な内容を多く含んでいるように感じられます。はっきり言って、現状を無理に維持するだけの正当性は無いと思いますよ。 -- NiKe 2005年12月17日 (土) 01:06 (UTC)[返信]
私がここで問題定義したのは、特定のユーザーが理由を示さずに一部記事を削除し続けていることであって、必ずしも当該記事は現状を維持すべきだと主張しているわけではありません。もちろん、Nike様のおっしゃるような理由を示した上で記事の編集を行い、異論を唱えらればノートなりで返答、論議するというのであれば大幅な記事の削除も問題ではないと思います。しかしIP 219.32.24.94の方が行った記事の削除が正当なものであるかどうかは別問題であるし削除の理由に対する問いを黙殺し、依然として当該箇所の削除を続ける姿勢は問題であると思います。またIP 219.32.24.94の方は過去の履歴を見る限り、項ラクス・クラインの編集に際しては、ラクスというキャラクターに対して否定的な記述を削除する傾向が見られ中立性を欠いているのではないかと感じます。それらを鑑みIP 219.32.24.94の方による大幅な記事の削除が、記事の編集として適当な行為であるかは疑問だと感じ問題定義した次第です。133.205.84.57 2005年12月17日 (土) 03:06 (UTC)[返信]
まず、私が今まで理由を示さずにいたことは、お詫び申し上げます。理由に付いては、「ラクス・クライン」への否定的な記述があまりにも多く、切り替えました。もちろん、否定意見があるというのは書いて良いかと思いますが、約20行に及んで書くことにはどうかと思いますもう少しコンパクトにすべきだと思いましたので、削除、編集致しました。この度は、多大なるご迷惑をおかけまして、申し訳ありませんでした。219.32.24.942005年12月17日 (土) 14:00(UTC)
ご返答ありがとうございます、確かにあなたのおっしゃるとおり「指導者としてのラクス・クライン」の項は度重なる加筆により記事が肥大化しており、不必要な部分を排除しよりコンパクトにする必要性があると思います。ただそれは「ラクス・クラインへの否定的な記述が多すぎるから」といったアニメファンの観点から行われるのではなく、記事の中立性、信憑性、必要性の欠如など「ウィキペディアの記事としてふさわしくない」という観点から行われるべきです。そうでなければ記事に対する中立性を欠いてしまいますし、実際私はあなたの編集を見てそう感じてしまいました。私個人の意見を言えばあなたが削除された部分にも要約して残すべき部分があると思うし、またあなたが残された部分にも必要性が薄い部分があると思います。どちらにせよこの一件はこれで終わりしましょう。また編集に際して異論などが生じればノートを活用し議論していきましょう。こちらこそ不愉快な思いをさせて申し訳ありませんでした。210.147.131.22 2005年12月17日 (土) 09:57 (UTC)[返信]

失礼します。そちらの新たな記事の編集について、不服はございません。ありがとうございます。ただ、「中立性」を欠いているというのは、の以前の何十行にも及ぶ批判意見の存在提示の方が欠いているかと思います。要するに、そちらが推測しておられる「アニメ(ここでいうラクス)ファンだから」というのも一理ありますが、それ以上に「中立性」に関しての疑問で編集したと言う気持ちが大きかったです。ただ、私も編集の理由をあまり深く発言しなかったので、誤解を招き、申し訳ありません。また、「要約して残すべきところがあった」ということについてはMSの保持、戦闘介入などで法律違反を臭わせたとするなど、3-5行程度ながら、要約しております。ただ、そちらの中立性に沿った新しい編集については、異議はありません。記事の編集、お疲れ様でした。

219.32.24.942005年12月17日 (土) 22:09(UTC)

「評価」に関して[編集]

現在、ラクス・クラインの評価の節が徐々に肥大していますが、この評価は誰が下したものでしょうか。Wikipediaは事典ですので、事実でない若しくは事実と確認できない事柄を記載することや、個人的な研究成果を記載することは認められていません。ソースを明示した事実と確認できる事項の記載をお願いします。 Schwarz (/) 2006年3月14日 (火) 05:49 (UTC)[返信]

ご足労をおかけして申し訳ありません 記事を作成するに当たり 「アニメ雑誌の購読層に若年層が多い」 「本作のキャラクターに対して熱を入れるファンには若年代の女性が多い」 という認識はアニメファンとしての常識的な知識として当方の頭の隅にあり、この大前提の上で記事を執筆しました。しかし確かにご指摘を受けて見ると「常識」として認識していたこれらの事柄も、私が正式に調査をしたものでもないし、そういった類の統計的な資料を示すことも出来ませんので、それが出来ない限りこれらの事柄はwikiに書くに足る信頼性のあるものではないかもしれないということに気づきました。 ただアニメ雑誌の読者層に比較的若年層が多いことについては、あくまでwikiの記事であるのでソースとなるかわかりませんが項アニメ雑誌にもアニメ雑誌の購読層が10代のローティーン中心であることが明記されています。 またこれは私の主観的な意見ですが、これらの認識がアニメファンの間で一種の通説となっているように思いますし、私のアニメファとしての経験から見てもこれらの認識は間違っているようには思えません。少なくとも事実を歪曲した、また突飛な認識ではないと思います。

どちらにしろご指摘のとおり当方が正式に調査を行い統計を取ったわけではありませんので、Schwarz氏の仰ると通り「事実と確認できない事柄」に当たるかも知れず、当方に記事を編集する際の配慮に欠けた点があったと思います。その点に関して謹んでお詫び申し上げます。 ただ少なくとも年代性別を問わず幅広いファン層を持つ本作品における登場キャラクター人気バロメーターとして、一部アニメ雑誌による人気投票が統計的に信頼性のおけるものではないということは事実であると考えます。 また人気投票の項目以外の点では編集前の記事と比較して文章の内容そのものは変更していないつもりですが、問題箇所がありましたら是非ご指摘ください。220.144.146.157 2006年3月14日 (火) 20:57 (UTC)[返信]

早速のコメントありがとうございます。今回私の方で中立的観点にそぐわないと感じて記述を削った箇所は差分を見ていただければ分かると思うのですが、「性別、年代のを問わず幅広いファン層を持つ本作~」以下の箇所になります。220.144.146.157さんが挙げていますアニメ雑誌の購買層、及びファン投票への参加層に関してはアニメ雑誌の記事などで充分事実と確認できる内容と考えています。除去した文の「統計的にはあまり意味をなさないのが実情」が私としては「論拠不明」であり、「性別、年代のを(←誤記でしょう)問わず」の箇所はむしろSEEDシリーズファン≒アニメ雑誌の購買層(概ねファースト~Ζ世代はSEEDシリーズに対し批判的)と感じています。恐らく編集に編集を重ねた為、当初の意図とは徐々に記事内容がずれてきたのだと思いますが、今回は記載事項に偏りが見受けられた点、実情と異なると感じた点がありましたので、手を加えさせて頂きました。
あと、程度にもよるのですがアニメのキャラクターに対する「評価」をあまり長々と書き連ねるのも私としては疑問に感じています。顕著だったのがユウナ・ロマ・セイランで、現在の記事こそ文量が落ち着いていますが、カガリやラクスより長い記事になるほどの人物ではないと思っています。ファン投票など実際の結果がある面の評価と言うのは記載は妥当なのでしょうが、作品を見たインプレッションによる書き込みは「主観」であり辞典的ではないと考えています。
長々と記載してしまいましたが、私もWikipediaで数多くのアニメキャラの事を調べたりしましたので、記事として信頼できるものであって欲しいと思っています(自分が書いたものが信頼できないと思われるのは歓迎せざることですよね)。今後も精力的な編集を期待しております。 Schwarz (/) 2006年3月15日 (水) 00:41 (UTC)[返信]
返信ありがとうございます。つまるところSchwarsさんと私の間にはSEEDシリーズファン層に関する認識に違いあるようですね。私はschwarsさんとは違い「SEEDシリーズファン≒アニメ雑誌の購買層」ではなくあくまでアニメ雑誌購読層はSEEDファンのごく一部に過ぎないのではないかという認識を持っています。まず「性別、年代を問わず」の項ですがschwarsさんは1st~Z世代の方を挙げられていますが、私はどちらかというと現在30代40代の1st、Z世代の方よりもSEED世代よりひとまわり上の現在20代前半~後半を中心としたのSD~平成ガンダム世代の方々を想定して年代を問わずと記述しました。流石に1st、Z世代となるとSEED以前の平成ガンダムの衝撃を経験していますし、また高齢でもあるので、SEEDについて話題ではそれほど表に出てこないように感じます、現在のSEEDの話題に関して「旧世代」として参加しているのは平成ガンダム世代の方々が大半であると思います。また批判的であるとということは必ずしもファンではないという事を意味することではない思います、これは知らない方にはちょっとご理解頂きにくいことかもしれませんが、アニメファンの中には非常に批評的な目で作品を鑑賞する層がおり、特に理屈っぽい作品であるガンダムにはそういった層の方々が非常に多い傾向にあるのです。こういった層の方々はあくまでガンダムを批評の対象とみなし真っ向から理屈っぽく批判も辞さない態度で論じるわけでして、そういったこともごくあたりまえなファンとしての活動なんです。ただそういった姿勢はSEEDからファンになった新規層の一部の方々からして見れば非常に特異でありいくつかの衝突を招くこととなりました。
ガンダムファンと人くくりに言ってもガンダムという作品が非常に長期に渡ってさまざまな形で市場に露出してきたため、そのファンの層は一つの研究対象となりえるほどに複雑です。先ほど平成ガンダム世代を20代前半~後半と位置付けましたが、これは比較的この年代に多いというだけの話であり、実際には年齢で世代を区切るということも出来ないのです。20代でSEEDで初めてガンダムに触れた方は平成ガンダム世代とは呼べないし、また現在十代の方でも比較的幼少からガンダムに触れ、SEED放映以前にガンダムを知っていた方は若年層であっても平成ガンダム世代と呼べるかもしれません、またSEED以前からのガンダムファンにしろSEEDからの新規層にしろ一概に一まとめては扱えません。SEED以前からのガンダムファンにもあまり批評的ではなくどちらかというとライトアニメファン的な立場の方もいらっしゃいますし、SEEDから新規に入ったファンの中にも批評的な典型的なガンダムファンとなられるかたも多くいらっしゃいます。つまるところガンダムファンひいてSEEDファンの中で多種多様な価値観が渦巻いているのです。:そう混沌としたSEEDファン層の中でアニメ雑誌を購読しかつキャラクター投票などに参加するほど熱心な方々はどれほどの割合をしめるでしょうか?私にはとても大部分を占めるとは思えません。批評的なガンダムファンの中には記事内容等を理由にアニメ雑誌に冷笑的な態度を取る方も多くいらっしゃいますし、またガンダムファンには「自分はガンダムファンであってアニメファンではない」として他アニメから距離を起きたがるという偏屈な方も多くいらっしゃいます。そういった方はもちろんアニメ雑誌などは忌避しますし、またそれほどではないにしてもガンダムのメカ的な部分や戦争を舞台としてストーリーに関してガンダムに多くの興味を寄せている方にはキャラを前面に押し出したアニメ雑誌の雰囲気をあまり快く思わないをという傾向も見受けられます。また単純にアニメ雑誌等と言う細かい部分に関しては無関心というファンの方は大勢いるでしょう。実際問題アニメ雑誌を購入しキャラクターの人気投票に参加するというのは中々オタク度?の高い行動でありガンダムファンの中でも抵抗を感じる人間が多いのも事実です。
なおこれもあくまで私のガンダムファンとしての経験に基づいた見解であり、無論ちゃんと統計をとって調査したわけではありませんので断言することは出来ません。しかし少なくとも「SEEDシリーズファン≒アニメ雑誌の購買層」ということも断言できないことだと思いますし、そのことから特定層を中心とした人気投票がファン全体からのキャラクターへの支持を計測するという観点からみれば非常に信頼性が低く果たして統計的に意味があるものであるか非常に疑問の余地があることも事実であると思います。評価の点に関してのご忠告は肝に銘じておきます、これからも問題があれば是非ご指摘ください。
長々と記載してしまし申し訳ありません、帰宅してからへとへとになって非常に難解なガンダムファンについての解説を書き込んだので文章におかしなところが見受けられるかもしませんがどうかご容赦ください。ノートと言っても内容がラクス・クラインとはかなりかけ離れているので、もし削除が必要であればschwarsさんとの話が終わり次第実行いたします。220.144.146.157 2006年3月15日 (水) 13:25 (UTC)[返信]
丁寧な説明ありがとうございます。ちょっと論点が拡散しかけていますのでなるべく簡単に集約してみようと思っています。
  1. 220.144.146.157さんと私ではSEEDに対する批判層の認識にずれがある感じは否定しません。別段認識のずれは良し悪しで判断することではなく、そうだと言うだけです。「ファースト~Ζ世代」と記載したのが正しくなかったようで、「ファーストからアナザー3部作までの世代」と言うべきだったところでしょう。これは多分にアナザー3部作(=平成ガンダムと同義)に対する福田監督の扱いが喧伝されていることから、特にアナザーファンの中には「福田憎し」の感情も持つ人もいるのだと思います。
  2. 「SEEDシリーズファン≒アニメ雑誌の購買層」の表現もちょっとわかりづらかったかと思います。あくまでも「年齢層」としての考えであり、「購買層」としての類似性ではな買ったのですが、この表現では正しく伝わらないのも当然ですね。申し訳ないです。
  3. 220.144.146.157さんの「高齢でもあるので、SEEDについて話題ではそれほど表に出てこない~」ですが…私がその高齢の人の一人だったりします(笑)。意外とこの世代でもSEEDシリーズは注目度高いですよ、と言うのは体感的でそれこそ統計取ったわけではありませんが。
220.144.146.157さんのご意見はまだ2回ほど通して読んだ程度で全ての事項に対し熟考しきれてはおりませんが、貴重なご意見として受け取っております。ただ、本筋の「記事:ラクス・クラインをどうするか」と言う話とはかなりずれた方向になっていると思いますので、この場では一旦収束させて頂けますでしょうか。このノートは1週間ほどの期間を置いた後、移動でサブページ化しておきたいと思います。もし上記私の返答でご意見がありましたら、私のノートにご記載ください。お疲れのところご返答ありがとうございました。 Schwarz (/) 2006年3月16日 (木) 00:49 (UTC)[返信]
一部訂正。「移動でサブページ化」ではなく「過去ログ化」の方が望ましいようですね。 Schwarz (/) 2006年3月16日 (木) 01:02 (UTC)[返信]

ラクス・クラインというキャラクターが一部ファンからの人気が高い一方で、また一部のファンからの批判が多いことは事実であり、また「ぴあMOOK 愛と戦いのロボット 完全保存版」における投票の結果も純然たる事実です。事実は記すべきですし、少なくともまるまる削除する必要性はないと思いますが。現にキラ・ヤマトやシン・アスカなど支持者と批判者を抱える他キャラクターの項目においては、人気がある一方、批判も多い、と表記されています。125.193.58.83 2006年11月17日 (金) 01:14 (UTC)[返信]

「ぴあMOOK~」に関しては販売物である以上、正確性はあると思っていましたが読んでみると同じアンケートに同一項目が複数あったり、放映局や年月が間違えてあるものがかなりあります。正確な事実が求められる百科事典には相応しくないかと思いますし、またインターネット投票によるこういったものは数多く存在し(「ぴあ~」もネット投票)掲載するとキリが無いと考えます。それにカミーユ・ビダンやヒイロ・ユイといった他のキャラクターも人気はありますが批判も多いというのが、インターネット投票などによると事実です。というよりも人気しかなく批判がないキャラクターなど存在しないのではないでしょうか。そういった当然のことまで掲載するのは、この項目に限らず内容を無駄に肥大化させるだけだと思います。Colt Government 2006年11月17日 (金) 02:04 (UTC)[返信]
返答ありがとうございます。「ぴあMOOK」に関しては確かに資料としての正確さについて問題があるかもしれません。それに関しては議論の余地があるかと思います。しかし、それを問題視するならば、記事においてラクス・クラインの人気の根拠として挙げられている「アニメ誌での人気投票」についても資料としての正確さについても問題があるかと思いますし、以前の記事の内容においてもアニメ誌の読者層の偏りからアニメファン全体の人気を反映するものとは必ずしも言えないということが記述されていましたが、現在の記事では編集により意味が変質してしまっています。また「人気があるのも批判があるのもあたりまえである」とのご意見ですが、無論、アニメのキャラにしろ実在の人物にしろ批判を全く受けない者は存在いたしません。しかし、ラクス・クラインというキャラクターに対する視聴者の見解がそれぞれ「極端に異なっている」ということは純然たる事実であり、それは一般的に考えまして「当たり前の事」ではなく、特殊な事例かと思います。またそもそも「人気があるのも批判があるのも当たり前のことで掲載すべきではない」のならば、「批判も多い」に限らず「人気が高い」などの記述も同時に排除すべきではないでしょうか。資料の正確性に疑問がある、記事の肥大化を防ぐ、などいった観点からの記事削除はよろしいかと思いますが、現時点での編集は「ラクス・クラインというキャラクターに対する否定的な意見」をただ単に排除しているようにしか見えません。もし肥大化を防ぐという観点において、「批判も多い」などという部分を削るならば同時に「人気も高い」などというような部分も排除しないことには記事の中立性を損なうかと思いますが。
また「もともと絶対の正義など存在せず、正義の定義も人によって様々であり人の価値観によって大きく左右されるので答えは出ないであろう。」という文章に関しても、その部分に対応する文章は「シナリオ上における矛盾点と、それに関する製作側の発言」であって「絶対の正義は存在しないので答えは出ない」などという話とはニュアンスが異なるため、不適当かと思います。125.193.58.83 2006年11月17日 (金) 05:40 (UTC)[返信]
そうですね。私的には「人気も高い」という文章を削除しても構わないと思います。そうすれば記事の肥大化を防ぎ、中立性を保ち、正確な事実のみを残せるでしょう。「ラクス・クラインというキャラクターに対する視聴者の見解がそれぞれ「極端に異なっている」ということは純然たる事実であり、それは一般的に考えまして「当たり前の事」ではなく、特殊な事例かと思います」に対しては「純然たる事実」をどう証明するのかが問題だと思います。証明することができない以上は純然たる事実ではなく、事典に掲載するのはいかがなものかと考えます。
あと「もともと絶対の正義~」ですが、私の主観で申し訳ありませんが、製作者の「キラ、ラクス側が必ずしも絶対的な正義と呼べる存在ではないという旨の発言を行っている」というのに対してのものであり、削除するほど不適当とは思いません。事実、絶対的正義と言えるものはないと思いますし、記事も中立でありますので、それほど問題ではないかと。Colt Government 2006年11月17日 (金) 08:03 (UTC)[返信]
ご返信ありがとうございます。おっしゃるとおり、ファンの見解が大きく異なっているということが、「純然たる事実」であるかどうかを「証明できるかどうか」という点に尽きましては、完全な統計データを取る事自体、個人には不可能であるので、その点から言えば「証明は不可能」ということになります。しかし、ラクス・クラインというキャラクターが一部のファンから支持される反面、また一部から批判されている、という事態については、ネット上のブログや掲示板などにおける各ファンの意見、またアニメ雑誌の読者投稿に掲載される意見から、容易に判断の付くものであるとも思います。ただ百科事典に載せる情報である以上こういった判断によるものではなく、きちんとした統計があって始めて記すべきものということであるのなら、記すべきものではないかもしれません。どちらにせよ、人気や批判について言及する部分をすべて削除するのであれば問題ないと思いますので、その点につきましては同意いたします。
また「もともとの絶対の正義~」の部分ですが、もともと、「シナリオ上の問題」と「それに関する製作側の発言」という事実を示す部分であり、また製作側の発言がどのような意図の下に行われたのかも不明であるのに、「もともと絶対の正義など存在せず、正義の定義も人によって様々であり人の価値観によって大きく左右されるので答えは出ないであろう。」と、「ファンの間で議論されている」ことに対しての「答えは出ないであろう」との結論を出している為、非常に不自然であり、百科事典に記すべき内容ではないと判断いたしました。125.193.58.83 2006年11月17日 (金) 09:24 (UTC)[返信]
はい。ネット上などの掲示板で見解が異なっていることは解ります。しかし、仰っているとおり、それがどれほど信憑性のあるものなのかということに疑問があるため事典に載せるべきではないと判断しました。批評についての点を削除するということで私も同意いたします。
もうひとつの件ですが「答えはでないであろう」との結論を出しているために不自然であり、事典に掲載すべきではないとのことなら結論付けず、文末表現を変えて締めれば不自然ではなくなると思いますが。Colt Government 2006年11月17日 (金) 09:54 (UTC)[返信]
結論を出していること以前に当該箇所はあくまで「製作側がこういう発言をした」という事実のみを記すべきであり、製作側がどのような意図の下、発言したか不明である限り、それに関するなんらかの個人的な見解は記載すべきではないかと思いますし、少なくとも記載する必要性はないかと思います。125.193.58.83 2006年11月17日 (金) 10:50 (UTC)[返信]
「ラクス本人も劇中で~」と追加された部分は、当該箇所に表記されている「キャラクターに関する矛盾点」とは、また無関係の話ですので記すのは適切ではありません。125.193.58.83 2006年11月18日 (土) 12:23 (UTC)[返信]
横から失礼します。あなたの指す当該箇所とは「製作側がこういう発言をした」ということを指すようですが、製作者の発言の文章は後から付け加えられたものであり、製作者の発言を記す箇所ではありません。この議論の前の「もともと絶対の正義(以下省略)」についても、今、議論されている分も百科事典における原則(中立性・客観性・事実)を満たしており適切だと言って良いと思われます。--Jonathanb022 2006年11月18日 (土) 14:38 (UTC)[返信]
私も当該箇所が「製作側がこういう発言をした」ということのみを記す部分ではなく、あくまで「視聴者のラクスに対する評価」について記す部分であり、また話題に関する一部分として記事中に「製作側の発言」がある、と認識しております。また「もともと絶対の正義~」の点に関しては、製作側がどういった意図(創作物においては「絶対的な正義」というものが存在致しますので)の下、劇中における描写を行ったのかがわからない限り「もともと絶対の正義~」などという見解を加えることは不適切であると思い削除致しました。もちろん「本作において2元的な正義や悪はないと製作側は発言している」と記すならば事実であるのでよいかと思いますが。125.193.58.83 2006年11月18日 (土) 14:55 (UTC)[返信]
その部分は無関係どころか、むしろ大いに関係ある部分でしょう。『当該箇所に表記されている「キャラクターに関する矛盾点」』とはどの部分を言っているのか理解しかねますが、本人の自身の矛盾点についての描写なので問題は無いでしょう。
当該記事はSEED DEATINY作中における「戦前からのクライン派武装組織の編成とユニウス条約違反の核動力MSを初めとした武装の保持、連合、ザフト両陣営に対する数々の武力行使」といった本編での描写が矛盾点としてファンの間で論争になったという内容かと思いますが、それについて「平和を叫びながら銃を取ることは悪しき選択なのかもしれない」というSEEDでのラクスの台詞は上記の矛盾点(決して戦うことそのものを矛盾点として挙げているわけではない)に対する回答、もしくはそれを補足するものになりえませんし、「キラがフリーダムに再搭乗する際やストライクフリーダムを受け取る際などに葛藤している心情描写がなされている」点も、上記の矛盾点に関する葛藤ではない、少なくともそう断言するには事は出来ないので、なんら関係ありません。であるので記事中に当該部分を追加した場合、非常に不自然です。125.193.58.83 2006年11月18日 (土) 14:31 (UTC)[返信]
投稿がほぼ同時に行われてしまったようですね。記事中に追加した場合についても削除するほど不自然だとは思いませんが。しかし、これでは編集合戦になってしまうので、評価の最後に改行をを付け加えて追記する、または経歴の箇所に追記すれば不自然さは無くなりますね。その台詞と描写は百科事典にとってなかなか大事なものだと思いますので削除は不適当でしょう--Jonathanb022 2006年11月18日 (土) 14:49 (UTC)[返信]
どうやら「記事中」という言葉を使った為、誤解が生じてしまっているようです。あくまで、「ラクス・クラインの評価」という箇所に現在の形のまま、表記することが不自然なのであって、記事中すべてにおいて記すべきではないと主張しているわけではありません。劇中でそういった発言があったことは事実ですし、それらの台詞は作中における彼女の心情について重要な意味を持っているかと思いますので、自然な形で記す分にはまったく問題はないかと思います。ただ、現在の形で当該箇所に追加するのは不自然であるということは確かであるかと思います。また編集合戦は控えるべきかと思いますので、ノートでの議論がひと段落するまで編集は控える事に致します。125.193.58.83 2006年11月18日 (土) 15:04 (UTC)[返信]

「各種ゲームにおけるラクス・クライン」について 2[編集]

編集合戦回避のため表に告知を貼っておきました。除去と復帰、繰り返していると保護されてしまいますので回避願います。

個人的な所感としては、本編だから、その派生作品だから、というのは掲載するか否かには関係しないはずであるし、アニメとは別な設定である旨が見出しのすぐ下に置かれていて悪くないんじゃないかなという思っておりますが。--Tommy6素性会話素行2008年5月3日 (土) 11:52 (UTC)[返信]

現在の記事はかなり大きすぎるのではないかなと思います。一応、参考までに他の項目の「ゲーム」についての扱い方を軽くですが、先ほど見て回ってきましたが、上記の「1」(というのでしょうか)のほうにも書いている方がいらっしゃるように、余談程度に書かれているのが多い。理由として、ゲームはプレイヤー側が主役であるため、大きく載せるほどの必要性、重要性がないというのもありました。ただ、全面的に削除ではなくてもいいかと思います。見出しは「ゲーム」にして後は箇条書きで一言程度(例えば、○○ではパイロットとして扱える、とか、○○は選択肢次第でエンディングが複数ある、など)に抑えるなどして。--りんだ 2008年5月4日 (日) 03:21 (UTC)[返信]

特に問題ありません。記事の肥大化は無駄な記述である場合にのみ考慮すべき事柄です。この場合は、はっきりゲームについての記述であることが明記されておりますし重複項目でもありません。他の記事でゲームの記述が参考程度に書かれているのは単に詳しく書く人がいないだけであり、参考程度に抑えなくてはならないというルールがあるわけではありません。そもそもウィキペディアではメディアの違いによって記述に制限などは発生しませんし、アニメが主体であるべきというのは個人的嗜好でしかありません。極端な例えですが、仮にゲームや小説などの記述がアニメの記述を大幅に上回ったとしても何の問題もありはしません。--125.215.70.248 2008年5月10日 (土) 03:51 (UTC)[返信]

ノートなので主観的なことを書くのは問題ありませんが、「他の記事でゲームの記述が参考程度に書かれているのは単に詳しく書く人がいないだけであり」というのは記述者や削除者に確認を取ったうえでの発言でしょうか?そうでなければWikipediaの方針に反するだけでなく事実を捏造する可能性のある主観的な発言になり問題がありますのでご理解ください。--124.26.185.203 2008年5月11日 (日) 14:41 (UTC)[返信]
「ノートなので主観的なことを書くのは問題ない」と始まっていながら「主観的な発言になり問題があります」と後半続いているのは失礼ながら矛盾しているように見受けられるのですがいかがでしょうか?--Tommy6素性会話素行2008年5月12日 (月) 11:36 (UTC)[返信]
ゲームの記述が参考程度に、の件はゲーム方面の編集を行っていないため判断しかねますが、その作品のストーリなり設定なりへの理解を深める手助けとなるのであればメディアのいかんにかかわらず掲載されるべきでしょうし、その根拠となるのはあくまで各種方針であり「他がそうだから」というだけでは理由として弱いのではないかと。--Tommy6素性会話素行2008年5月12日 (月) 11:36 (UTC)[返信]

議論開始から2週間が経過し新たな意見もありませんので記述を存続させる形で対処いたします。--123.254.13.241 2008年5月17日 (土) 04:55 (UTC)[返信]

一端差し戻します。私の発言に対する返答なりをもうちょっと待ちたいのと、この先同じような問答を繰り返さないようにもう少し詰めておきたいと思っておりますので。--Tommy6素性会話素行2008年5月18日 (日) 11:31 (UTC)[返信]
他の方が整理してくださったことや、追加コメントがないまま1ヶ月近く経過していることからテンプレを再除去しました。今後同様の案件が起こりましたらこれを踏まえた上でまた議論することにしましょう。--Tommy6素性会話素行2008年6月16日 (月) 12:16 (UTC)[返信]

SEED保持者か否か[編集]

ガンダムSEEDに関する各種ページでは、ラクスがSEED保持者で有る前提で記述されていますが出典は有るのでしょうか?目の描画が僅かなシーンで薄かった・・だけでは余りに根拠として弱く、単なる作画ミスで有る可能性も排除出来ませんが、その様な可能性が一切記述されていません。種割れ演出も無く、状況的必然性も薄いシーンでの薄い瞳で有る事から、全般的にこの断定された前提は排除するのが妥当であり、また記述するとするならば、有るシーンに於いて瞳の色が薄く描画されてるシーンが有る事実のみを記述し、その上で、SEED保持者で有る可能性が有る・・程度の記述に抑える事を提案します。相当期間を置いて異論が無ければ合意形成と見なします。 --Toshi999 2011年9月24日 (土) 15:25 (UTC)[返信]

検証の必要性[編集]

  • 『SEED』『DESTINY』の音楽を担当した佐橋俊彦は、『交響組曲 機動戦士ガンダムSEED』で、映画『スター・ウォーズ・シリーズ』のレイア姫をイメージした人物と語っている。
  • 『SEED』にてアスランとの婚約は破棄されたはずだが、実は支持率低下を恐れたパトリック・ザラは公式な公表や手続きはしなかった(口頭のみ)らしく、『DESTINY』でも2人は表向きは婚約者のままであるようで、少なくともプラントの国民はそう認識していた。

上述の2点は出典の出所があやふやなので、より明確な出典の明記を求めたいと思います。--一騎当千会話2023年10月1日 (日) 22:47 (UTC)[返信]


コメント-一定期間様子見ましたが、異論が無いようなので該当する文章を削除しました。--一騎当千会話2024年2月2日 (金) 23:24 (UTC)[返信]