ノート:ロシア帝国

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記事について[編集]

ロシア帝国の始まりが記載されていません。Trek011 2004年8月13日 (金) 06:24 (UTC)[返信]

略史ですが入れておきました。ただ記憶があいまいなので間違っている箇所があるかもしれませんが。足りないと思ったら、加筆出来ましたら御願いします。11月24日、一利用者 以上のコメントは、60.236.66.193(会話/履歴/Whois IPv4IPv6)さんが[2004年11月24日 (水) 05:31‎ (UTC)]に投稿したものです(Æskja会話)による付記)。[返信]

見出しを追加し、署名の不足情報を補完しました。--Æskja会話2016年3月10日 (木) 12:27 (UTC)[返信]

「ロシア皇帝」[編集]

ロマノフ朝のツァーリがロシア皇帝かモスクワ大公が統一されていません。

ミハイル・ロマノフ (ロシア皇帝)」の記事では『ロマノフ朝初代皇帝』とありますが、記事「エカチェリーナ1世 (ロシア皇帝)」では『第2代ロシア皇帝』とあり、「ミハイル・ロマノフ (ロシア皇帝)」の次代以降、「アレクセイ・ロマノフ (ロシア皇帝)」、「フョードル3世 (ロシア皇帝)」、「イヴァン5世 (ロシア皇帝)」の記事ではモスクワ大公扱いであり。ロシア皇帝扱いされていません。また「ピョートル1世 (ロシア皇帝)」は皇帝扱いになってますが、何代目のロシア皇帝なのかが不明です。
そして「エカチェリーナ1世 (ロシア皇帝)」以降「ニコライ2世 (ロシア皇帝)」の記事は2代目~14代目扱いで、記事「ロマノフ朝」の記事の歴代皇帝と統一されていません。
誰か、つじつまを合わせた意見をお願いします。 経済準学士 2005年6月15日 (水) 14:27(UTC)

ロマノフ朝の最初のほうはツァーリ(英語のtsar、日本語訳の定訳は「皇帝」)とのみ言っていたのが、ピョートル1世以降はインペラトール(英語のemperor)が正式な称号として加わったために起こる混同ですね。まぎらわしいので、定義の「初代皇帝」などと言った言い方をなにか適切な言い換えに改め、後ろの「(ロシア皇帝)」を外す、という措置が必要と思います。特に後者はピョートル1世以降は西欧の諸君主としての兼ね合いで残したほうがよいという考え方もあるでしょうが、ピョートル1世より前はまぎらわしさが増すだけなので、全く不要であると考えます。
また、ロシア史の時代区分では、ロシア帝国というのは厳密にはツァーリの称号がインペラトールに変わったあとを指し、それ以前のモスクワ国家と呼ばれている政権は君主の尾称号がツァーリであってもロシア帝国とは別として扱っています。この区別もきちんと整理して記述を改める必要があると思います。Safkan 2005年12月13日 (火) 13:18 (UTC)[返信]

確かにペルシャのシャーやロシア帝国のツァーリとインペラトルなどの国王と皇帝の称号はあいまいであり、 歴史においては厳密さを考えるとわかりにくくなることが多いです。 分類はしっかりしておく必要があるので、皇帝と呼べる称号を地域的に区別すると良いと思います。 皇帝は宗教的、称号的、地位的、地域的独立性の高い国の支配者と考えるのが妥当で、世襲君主の国家で周辺国家の長も意味することが多いですから、 ツァーリは東ローマ的皇帝、インペラトルは西ローマ的皇帝、シャーはペルシャ的皇帝、パーディシャーはトルコ的皇帝、 マハーラージャディラージャはインド的皇帝などと分ければ区別できるのではないでしょうか。 --Pikapika 2008年7月5日 (土) 11:47 (UTC)[返信]

執拗に「ツァーリ」は「皇帝」ではないと書き換えされる一連の編集につき[編集]

執拗に「ツァーリ」は「皇帝」ではないと書き換えされる一連の編集の当記事における事例の一つについてですが、そもそもです、「皇帝」は中国ないし東アジアにおける冊封体制の最高位としての言葉がオリジナルなのであり、プリンケプスに対してもインペラトールに対してもエンペラーに対してもツァーリに対しても、訳語としては宿命的に不完全であります。「○○=皇帝ではない」とやり出したら、海外の君主につき全て「皇帝」と訳す事が誤りとなります。もしどうしても「ツァーリ」の日本語訳に問題があるというのなら、学会でもどこでも結構です、そうした話を通説として通してから記事編集に参加して下さい。--Kinno Angel 2009年11月27日 (金) 23:28 (UTC)[返信]

要出典箇所につき;
  • (王、君主)と「皇帝」 - はい、異なった単語です。日本語で「王」、「君主」、「皇帝」がそれぞれ異なった単語であるのと同様です。ロシア語ではそれぞれ КорольМонархИмператор の単語をあてています。そのほかに Государь という単語がしばしば使用されていますが、これは皇帝に対しても王に対しても使用される、君主一般に対する称号だと考えられます(呼びかけとして使用される場合は、「陛下」に相当するでしょう)。これらについては出典は要らないと思います(なくてもいいくらい明らかなこと)。要出典テンプレートは削除してよいと思います。
  • 間違った翻訳である - 仰るとおり、そう書いている出典が最低でも必要です。しかし、そう書いてある出典があったからといって実際問題として多くの場合「皇帝」という訳が(意訳にせよ誤訳にせよ)使用されているので、ウィキペディアにおいてそれが「間違った翻訳である」と書くのは適切ではないでしょう(そういう主張を展開することになるため)。ロシア語では「ツァーリ」と「皇帝 (インペラートル)」は異なる称号である と書けば済む話であり、そこに敢えて 間違った翻訳である と評価を付け加える必要はありません。
問題は「ツァーリ」の翻訳ですが、一概に言えません(それについては原則としてツァーリで書けばよいでしょう)。問題は中国との兼ね合いではなく、ロシアにおいて「ツァーリ」と「インペラートル」が別の称号なのに、両方に「皇帝」をあててしまうと何かと不都合、ということです。そのため、日本語文献でも「ツァーリ」と片仮名書きされることは珍しくありません。「○○=皇帝ではない」とやり出したら、海外の君主につき全て「皇帝」と訳す事が誤りとなります とのことですが、それは違います。外交上の礼式として、「皇帝」位に対する礼式というのがありますから、それに相当する人は「皇帝」です。しかし、17世紀頃のロシアの君主に対する国際礼儀は日本に定まっていませんでしたから、今回については参考になりません。
一概に言えないというのはまた、タタールのツァーリは「汗」、ブルガリアのツァーリは「王」と翻訳される(従ってブルガリア王国)ことがあるからであり、またロシアのスカースカ(昔話、民話)では私の知る限りは「王」と訳していると思うからです。歴史上のロシアのツァーリだけなぜか「皇帝」と訳したりしているのですが、ただ、そう訳している専門家も勿論ツァーリがインペラートルと別の称号だとわかった上で書いているでしょう。
それを誤訳だと個人的に主張するのは構わないと思いますが、しかしそれをウィキペディアでやるともうウィキペディアの権限を越えてしまいますし、なんであれ「皇帝」と訳されていることがあるのは事実ですから、その旨説明した文章を削除するのは妥当ではありません。もし誤りだと主張したければ、削除するのではなく「誤りだ」と説明している出典文献を例示するのがよいでしょう。
そのような出典を知りませんので、現時点では元々(2009年11月12日 (木) 06:34の版まで)書いてあった「ただし、的確な訳語がないという日本語の用語上の問題から、君主がツァーリを名乗ったそれ以前のモスクワ国家(ツァールストヴォ・ルースコエ)についても便宜上「ロシア帝国」と翻訳されることがある。この時期の国家体制は帝国の定義には当てはまらないため、厳密には適訳ではない。」という説明が必要十分であると思います。露和辞書の出典が追加されたのはたいへん結構ですが、しかし、辞書と言うのは専門的に最適な翻訳以外に実際使用されている翻訳ならばすべて羅列されているものなので、それを列挙することに何か意味があるのかといえば、疑問があります(ほら使われていますよという例示にはなりますが、例示しなくてもわかるくらい有名な話だし)。
なお、ロシア語の辞書の出典が追加されましたが、確認したところ特に「王」、「皇帝」との違いを説明したものではなく、日本語の辞書同様、載せるのは結構ですがどう意義が見出せるのか疑問を感じました。
なお、関連する「ツァールストヴォ」についてノート:ロシア・ツァーリ国に合意事項があるのでそちらもご覧下さい。--PRUSAKiN 2009年11月28日 (土) 07:03 (UTC)[返信]
コメントをありがとうございます。
  • 最初の「はい、異なった単語です。」についてですが、さすがに私もそこまでの初歩的な内容を否定してはいません。そうではなくて「ツァーリ=王・君主」「インペラートル=皇帝」としている、括弧内の日本語について申しております。
  • 辞書の出典を加えましたのは、必ず出典を求められるだろうことが予想されたからです。日本語ではこう訳される事がありますよ、との意味位しかなく、深い意味合いはありません。
  • ただ、元々(2009年11月12日 (木) 06:34の版まで)書いてあった形に戻す、という結論には基本的に賛成ですし(辞書の出典は残した方がいいかと)、これ以上の詳しい返事は敢えて必要無いかと存じます。議論がこれ以上起きれば話は別ですが。--Kinno Angel 2009年11月28日 (土) 07:11 (UTC)[返信]
たいへん素早いご返答、ありがとうございます。
  • すみません。「ツァーリ=王・君主」「インペラートル=皇帝」はよいと思うのですが、問題は「ツァーリ≠皇帝」の部分ですね。「ツァーリ≠インペラートル」だからと言って「ツァーリ≠皇帝」とまで言い切れるかどうか……。これだけでは、Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に該当する可能性が高いので、「ツァーリ≠皇帝」と書いている出典を(なるべく日本語。そうだとわかるのであれば日本語でなくてもいいので)示していただきたいと思います。
  • 私の思い違いかもしれませんが、ツァーリが実際に「皇帝」と訳されていることがあるというのは(この分野に興味のある人なら)誰でも知っている事実ですので(「はい、異なった単語です。」並みの情報かと)、敢えて辞書等の出典を示さなくてもよいかと思った次第です。勿論、示してあってもなんら不都合はありません。
  • 私は戻した方がよいと思います。もし戻すことに不都合があれば、お気づきの方ご指摘下さい。--PRUSAKiN 2009年11月28日 (土) 07:23 (UTC)[返信]
  • ロシア語で「ツァーリ」(王・君主)と「インペラートル」(皇帝)は異なる単語です。ロシア語の辞典はそれを証明しています。「ライオン」と「とら」は同義語ではないと同様に、「ツァーリ」(王・君主)と「インペラートル」(皇帝)は同義語ではありません。「同義語」ではない言葉を「同義語」として扱うことが明らかに間違いです。その間違いは間違いであることを証明するために「出典をよこせ」といって、おかしいと思います。すでに「出典」はついております。--Alex K 2009年11月28日 (土) 08:21 (UTC)[返信]
早速のコメント、ありがとうございます!
Alex Kさん!私と同じ誤解をしています(汗)出典が求められているのは「ツァーリ」と「インペラートル」が違う語だということではなくて、「ツァーリの翻訳が皇帝ではなく王・君主である」ということ、つまり「ツァーリを皇帝と訳すのが誤訳だ」ということについてだそうです。
私はツァーリに「皇帝」の訳をあてない方式に賛成なのですが、生憎「ツァーリを皇帝と訳すのは誤り」と解説している文献を把握していません。ご存知でしたらこの点、出典明記していただけるとそれで問題は解決するかと思います。--PRUSAKiN 2009年11月28日 (土) 08:29 (UTC)[返信]
  • Царь は皇帝でなく、王であることについては、ロシア君主の称号が物語ります「Божиею поспешествующею милостию, Мы, ΝΝ, Император и Самодержец Всероссийский, Московский, Киевский, Владимирский, Новгородский; Царь Казанский, Царь Астраханский, Царь Польский, Царь Сибирский, Царь Херсониса Таврического, Царь Грузинский; Государь Псковский и Великий Князь Смоленский, Литовский, Волынский, Подольский и Финляндский; Князь Эстляндский, Лифляндский, Курляндский и Семигальский, Самогитский, Белостокский, Корельский, Тверский, Югорский, Пермский, Вятский, Болгарский и иных; Государь и Великий Князь Новагорода низовския земли, Черниговский, Рязанский, Полотский, Ростовский, Ярославский, Белозерский, Удорский, Обдорский, Кондийский, Витебский, Мстиславский и всея северныя страны Повелитель; и Государь Иверския, Карталинския и Касардинския земли и области Арменския; Черкасских и Горских Князей и иных Наследный Государь и Обладатель; Государь Туркестанский; Наследник Норвежский, Герцог Шлезвиг-Голстинский, Стормарнский, Дитмарсенский и Ольденбургский и прочая, и прочая, и прочая.」つまり、「ツァーリ」は「ツァーリ国」(ポーランド王国、シベーリア汗国、フルジア王国、クリミア汗国)を支配する小さな君主です。(インペラトル)「皇帝」は諸「ツァーリ国」を含む「帝国」を支配する大きな君主です(「ツァーリ」より下は「大公」がある)。「ツァーリ」を「皇帝」に訳すれば、「ツァーリ国」は「帝国」に変わり、ポーランド王国、シベーリア汗国、フルジア王国、クリミア汗国などの諸王・汗国は帝国であったということになります。言語学者は歴史と不仲だといわれていますが、「ツァーリ」を「皇帝」に訳すれば、歴史上の概念の混雑を避けられません。--Alex K 2009年11月28日 (土) 09:08 (UTC)[返信]
  • ロシアに支配された時代のポーランドは、確かに「ツァールストヴォ」でしたので、従って、その君主の称号は「ツァーリ」だったでしょう(そういえば、ロシア時代のポーランドの君主号についてあまり考えたことがなかった)。
  • ご提示のように、「ツァーリ」に対しては「王」や「汗」があてられており、一概に言えません。ご提示の情報だけでは「ツァールストヴォ・ルースコエ」の君主について「王」と訳すのが妥当と言う直接的典拠になりません。(恐らくは)歴史的経緯に従いЦарь Польскийについては「王」、Царь Сибирскийについては「汗」という訳が当てられているのならば、同じく歴史的経緯を考慮すると(?私は不同意)ロシアについて「皇帝」を当てるのに限って誤りとは言い切れないでしょう。
いやはや、私は「ツァーリ」を「皇帝」、「ツァーリ国」を「帝国」と訳すことに反対ですので、こう取り繕ったように「客観的に」反論を続けるのはどうにも苦痛ですな……。--PRUSAKiN 2009年11月28日 (土) 09:21 (UTC)[返信]
(補足) Король が「王」相当なのは明白なので、 ЦарьКороль 相当であるとわかる出典が客観的に最適かもしれません。例えば、国際儀礼上とかの文書/取り決めで。--PRUSAKiN 2009年11月28日 (土) 09:22 (UTC)[返信]
  • 「ツァーリ」と「王」との同権についてはご覧ください。[1]Царская власть в XVII веке: титулование и положение. Предисловие, подготовка текстов, комментарии Г.В. Талиной]より:Фактически в международной практике того периода термин "царь" = "король" = "пресветлейшество"; термин же "император" = "величество". (当時(17世紀)の国際関係においては「ツァーリ=王=閣下」であるのに対し、「皇帝=陛下」となっている)
  • 「ツァーリ」と「汗」について([2]):
  • 1594年:Се язъ Царь и Великiй Князь Федоръ Ивaнoвичъ всеа Русiи Самодержецъ, Владимирскiй, Московскiй, Ноугородскiй; Царь Казанскiй, Царь Астраханскiй, Государь Псковскiй и Великiй Князь Смоленскiй, Тверскiй, Югорскiй, Пермскiй, Вятскiй, Болгарскiй и иныхъ Государь и Великiй Князь Новогорода Низовскiя земли, Черниговскiй; Рязанскiй, Полотцкiй, Ростовскiй, Ярославскiй, Белозерскiй, Лифляндскiй, Удорскiй, Обдорскiй, Кондинскiй, и всея Сибирскiй земли и Северные страны Повелитель и Государь Иверскiе земли, Грузинскихъ Царей, и Кабардинскiя земли, Черкаскихъ и Горскихъ Князей и иныхъ многихъ Великихь Государствъ Государь и Обладатель

あるいは

  • 1604年:Божiею милостiю Великого Государя Цара и Великого Князя Бориса Федоровича всеа Русии Самодержцы,Владымерского, Московъского, Новогородского, Цара Казанъского, Цара Астараханьского, Цара Сибирского,Государа Псковъскаго и Великого Князя Смоленьского, Тверьского, Югоръского, Пермъского, Вятъского, Болгарского и иныхъ, Государя и Великого Князя Новагорода Низовское земли, Черниговъского, Резанского, Ростовъского, Ярославъского, Белоозерского, Удорского, Обдоръского, Конденъского, и всея Северъные стороны Повелителя, и Государя Иверское земъли, Грузинскихъ царей, и Кабардинскiе земъли, Черкасскихъ и Горъскихъ князей и иныхъ многихъ Государствъ Государа и Обовладетеля

これを見れば、わかるように、ロシアに滅ぼされた旧モンゴル帝国の諸国、カザン・ハン国アストラハン・ハン国シビル・ハン国の君主の称号であった「ハーン」は、ロシアにおいて「ツァーリ」という称号に置き換えられているいます。つまり、「ツァーリ」と「ハーン」は同じの重さの持つ称号です。「ハーン」より上位には、モンゴル帝国のチンギスハーンの称号である「カハーン」あるいは「カアン」(大ハーン、ハーンのハーン)があります。後者の称号は皇帝に相当します。--Alex K 2009年11月28日 (土) 10:09 (UTC)[返信]

1つ目のリンクがおかしくなっていますが、そういうことであれば、「ツァーリ」は「王」相当と考えるのが妥当でしょう。そのような出典を知りませんでした。ありがとうございます。もしこの出典がWP:RSおよびWP:NORで言うところの「信頼できる情報源」であるのならば(すみませんが、私にそれは判断がつきません。できれば、複数の出典に典拠を求めるのが望ましいでしょう)、これを根拠に「ツァーリを皇帝と訳すのは誤り」と書いても差し支えないでしょう。
「ツァーリ」と「ハーン」が同位に捉えられるというのは、日本語文献にもそう書かれているので特に問題はないと思います。
いずれにせよ、誤訳であれ日本語文献でしばしば「帝国」と意訳されているのは事実ですので、その記述は残し、2009年11月12日 (木) 06:34の版の記述に戻したいと思います。ツァーリという人物/位についてはツァーリに詳述することとし、ここでは「国の体制が帝国(インペーリヤ)に該当しない」ということ、およびご提示の「ツァーリは王相当」ということを根拠に「ロシア帝国」は適訳ではない、ということでよかろうと思います。元より、2009年11月12日 (木) 06:34の版ではしばしば書かれてる「ロシア帝国」という訳は適訳でないよと解説していたので、除去しなくてよかったんじゃないかと思います……。
ところで、「ハーン」(大ハーンでない)もやはり「王」相当とみなしてよいのでしょうか?--PRUSAKiN 2009年11月28日 (土) 10:52 (UTC)[返信]
修正ありがとうございます。リンク先確認しますので、一旦意見を保留します。--PRUSAKiN 2009年11月28日 (土) 11:02 (UTC)[返信]
いちおう読みました。 Юрий Крижанич の意見が面白いですね。内容をすべて咀嚼し切れてはいませんが、取り急ぎコメントのみ致します。
私には文章自体は信頼性があるように思えたのですが、Alex Kさんから見てこの情報源の信頼性はどうでしょうか?私のような中くらいの知識を持った人間が見ると「なるほど」などと思ってしまうのですが、もっと詳しい人から見た場合、どう評価されるのか気になります。
私の方から問題を指摘するとすれば、18世紀のことがわからないということです。ツァーリ・ピョートル1世の頃の状況(つまり、インペラートルに移行する直前の状況)について気にならないでもありません。
すでにご指摘のように、称号にいくつも「ツァーリ」を列挙していることから、これは唯一無二の称号である「皇帝」に相当するものではないとみなすのが当然で、また外交関係を考慮すると「王」相当のものであると考えるのが妥当でしょう。文書における称号の書き方すると、「全ロシア(場合によっては全ルーシ)のツァーリ」の部分だけがほかの「○○のツァーリ」の部分と分かれているとは思えず、単純列挙に見えますので、すでにご指摘があったように、すべてを「皇帝」と訳すのはあまりに非常識ですから、「全ロシアのツァーリ」についても「皇帝」とは訳すべきではないでしょう。--PRUSAKiN 2009年11月28日 (土) 16:24 (UTC)[返信]
私が提出した論文の作者は、ハルィーナ・ターリナ(Галина Валерьевна Талина)です。彼女はロシア歴史学博士で、17世紀のツァーリ政権の専門家だそうです(博士論文はТалина Г.В. Государственная власть и системы регулирования социально-служебного положения представителей высшего общества в начальный период становления абсолютизма в России (1645–1682 гг.). – М.: Прометей, 2001., [3])。ターリナ氏はモスクワのМПГУ教授, 社会・経済・法律学部の副学部長であるので、彼女の論文はWP:RSの基準に合っていると思います。
ロシア・ツァーリ国の君主のことを「全ルーシのツァーリ」と書いてもいいが、そうすると、ポーランド・リトアニア共和国の王も単に「ポーランドの王」ではなく、「ルーシの大公」と書かなければなりません(rex Poloniae, magnus dux Lithuaniae, Russiae, Prussiae, Masoviae, Samogitiae)。当時の国際関係からみれば「ルーシの大公」はポーランド王兼リトアニア大公が所有する14世紀以来の称号で、「全ルーシのツァーリ」より古い称号です。【ロシア・ツァーリは「ルーシ」、ポーランド・リトアニア共和国は「ポーランド」である】というロシア帝国史学が形成させた単純な歴史観は歴史事実を歪曲するので、危ないものです。--Alex K 2009年11月29日 (日) 08:41 (UTC)[返信]
  • 信頼性については諒解。詳しい説明をありがとうございます。よくわかりました。
  • 次に気になるのは、これと異なる見解の論文がどれほどあるか(異なる見解の学説がどれほど主張されているか)、です。ターリナ女史の論文が、大方の学者が凡そ一致する見解であると考えて大丈夫でしょうか?私が知る限りでは、日本語文献で読んだ知識と比べなんら違和感がなかったので(日本語文献に書いてあったことが、もっと専門的に詳しく書いてある感じ)、恐らく日本国内ではこの論文はそのまま通用すると思いますが、本場のロシアやウクライナではどう捉えられるでしょうか?勿論いかなる論文にも異論は出るものでしょうから、それはいいのですが、大方が納得できる内容と言えるでしょうか?
  • 称号は厄介ですね。もし万全を期すのであれば、長い称号を最初から最後まで全部書かなければならなくなるでしょう。確かに、ロシアのツァーリだけ「全ルーシ」と書くと、そこだけ見れば別に問題ないと思いますがポーランドと比較すると、仰るようなPOVが明白に生じるため適切ではありませんね。望むらくは各君主個人のページにそれぞれその人がどんな称号を用いていたか、節を設けて記載すれば万全だと思いますが、そうでない場合には、より通俗的な(簡略な)称号を記載するのでよいでしょう(つまり、「ロシアのツァーリ」で)。諒解です。--PRUSAKiN 2009年11月29日 (日) 10:56 (UTC)[返信]
  • すみませんが、質問がわかりませんでした。異なる見解といっても、具体的にどのような見解のことでしょうか?「ツァーリ=皇帝」という見解ですか?--Alex K 2009年11月29日 (日) 14:43 (UTC)[返信]

このページはAlexKさんのページだそうなので([4][5])、私は手を引きます。そこまで情熱を持っていないページなのに、費用対効果が悪過ぎます。後は皆さんにお任せします。--Kinno Angel 2009年11月30日 (月) 03:45 (UTC)[返信]

  • つまり、その出典は信頼性があるように見えるが、いかんせん私は素人判断になるのでそれに全幅の自信を持つことができません。また、ウィキペディアでは(信頼性とは別の問題として)ひとつの情報源だけで書かれていることは出典として採用するのを慎重にするようにとされています。質問は、これへの配慮です。しかし、現実的に私はロシアで出ている論文全般に目を通せません。ですので、この論文とほかの論文も大筋で共通したことを書いているというのであれば、そう言っていただきたいのです。そうでないと、ウィキペディアのその規則が気になって採用に躊躇します。
  • 質問を言い換えれば、「その出典で書かれていることは、本場ロシアやウクライナの歴史学会において広く受け入れられるような説明ですか?」ということです。私個人はそれを受け入れますが、私が本場の学者のあいだでの共通認識を知らないため、このような質問、というよりは「確認」、「念押し」をしています。
  • もう一点気になるのは、そこに書かれていない18世紀の初頭20年間(つまり、5分の1世紀間)についてです。「ツァーリ」という称号は時代によって(また人物によって)その解釈や意味合いが変化してきた様子がその論文からわかりますが、18世紀初頭20年間の「ツァーリ」という称号の変遷はどうなっているのでしょうか。それまでの200年間、いろいろに解釈されてきた称号が、最後の20年間だけ何も変化しなかったということは自明のことではありません(そうならそうと言っていただかないと、そう確信できません)。最も有名なツァーリのひとりであるピョートルの時代について何も言及がないままだと、さすがに不安になります。--PRUSAKiN 2009年11月30日 (月) 13:51 (UTC)[返信]

Greater Coat of Arms of the Russian Empire 1882-1917 (mass replacement)[編集]

On these two pages, published a letter from the Chief Heraldry Master of Russia. It is dated 2006. http://www.rus-deco.com/vp/JS-Lib/CustomerSites/Common/view_larger.htm?src=http%3A%2F%2Fwww.rus-deco.com%2F510_500_csupload_20087015.jpg%3Fu%3D553230982

http://www.rus-deco.com/vp/JS-Lib/CustomerSites/Common/view_larger.htm?src=http%3A%2F%2Fwww.rus-deco.com%2F514_500_csupload_20087025.jpg%3Fu%3D3016084680

At the present moment is initiated his replacement to this picture without a single mistake and the author's portrayal: http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Greater_Coat_of_Arms_of_the_Russian_Empire_1700x1767_pix_Igor_Barbe_2006.jpg Earlier, the authors insisted on the presence of yellow in the figure dies with his name. For VIKI author has made an exception. However, the file with a yellow bg can remain - it has more resolution. References to it are optional for connoisseurs. http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Greater_coat_of_arms_of_the_Russian_empire_IGOR_BARBE_1500x1650jpg.jpg All files are located here: http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Greater_Coat_of_Arms_of_the_Russian_Empire

THNKS!

Barbe Igor (talk) 09:45, 24 March 2011 (UTC)


Errors are very much ... The work was conducted 1.5 years. Important task of work - fixing bugs and improving the drawing. Let's start ... 1. How many roses in the arms of Finland (official Blason)? Should be eight, but in the old figure of seven. 2. Where directed Halberd in the arms of Yaroslavl? (Must be directed upward, and at the old figure, it is directed downward). ........... 30. What color is the lining of the Astrakhan crown? (should be green, and figure on the old lining is red.)

Thank you!

In any case, thank you for your sincere attention to matters of heraldry. Read more references to a letter from the Chief Heraldry Master of Russia.

Best regards!

Igor Barbe Barbe Igor 2011年3月26日 (土) 14:42 (UTC)[返信]

古儀式派の人数等について[編集]

教派別の信徒数についてです。 http://www.archive.org/stream/encyclopaediabri23chisrich#page/885/mode/1up

このソースを確認しましたが、古儀式派から司祭派を抜き、諸セクトが含める理由が判りませんでした。


http://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%A1%D1%82%D0%B0%D1%80%D0%BE%D0%BE%D0%B1%D1%80%D1%8F%D0%B4%D1%87%D0%B5%D1%81%D1%82%D0%B2%D0%BE ここでは、2,204,596人は古儀式派の人数とされています。 また、ソース146には1881年に司祭派が公認されたと確かにありますが、事実に反するように思えます。 「狂信」という表現も同じソースに確かにあるのですが、問題が有る表現かと思います。 書き換えてみてもよろしいでしょうか。 --3fa6yf3m345236会話2012年4月12日 (木) 05:38 (UTC)[返信]

古儀式派の人数等について[編集]

教派別の信徒数についてです。 http://www.archive.org/stream/encyclopaediabri23chisrich#page/885/mode/1up

このソースを確認しましたが、古儀式派から司祭派を抜き、諸セクトが含める理由が判りませんでした。


http://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%A1%D1%82%D0%B0%D1%80%D0%BE%D0%BE%D0%B1%D1%80%D1%8F%D0%B4%D1%87%D0%B5%D1%81%D1%82%D0%B2%D0%BE ここでは、2,204,596人は古儀式派の人数とされています。 また、ソース146には1881年に司祭派が公認されたと確かにありますが、事実に反するように思えます。 「狂信」という表現も同じソースに確かにあるのですが、問題が有る表現かと思います。 書き換えてみてもよろしいでしょうか。 --3fa6yf3m345236会話2012年4月12日 (木) 05:38 (UTC)[返信]

その箇所の古儀式派の人数の件は少し頭を悩ませまして、英語版ではOld Believers古儀式派)なので、単純に古儀式派の人数だと思ったのですが、執筆を進め資料を読んでいるうちに220万人では人数が少なすぎると思いました。具体的には『ロシア史』 (岩間徹、山川出版社〈世界各国史 (4)〉、1979年)のp.339に1897年の国勢調査時の古儀式派の人口が総人口の15%を占める1750万人と言及されています。英語版の元になっているソースのブリタニカ11版(英語版は歴史節以外はほとんどがブリタニカ11版をそのまま使っています)にはDissenters(辞書では非国教徒)とあります。岩間氏と数字が食い違うのでDissentersとは古儀式派のことではないのではないか、悩んだのですが(英語版を鵜呑みにはできまでん)、その後に入手した『ロシア史〈2〉18~19世紀』( 田中陽児, 倉持俊一、和田春樹(編集)、山川出版社〈世界歴史大系〉、1994年。)のp.304に該当するものと同じ表があり、ここでは「古儀式派とセクト」とあるのとDissentersは古儀式派で良いと分かりました。問題は『ロシア史』 (岩間徹、山川出版社〈世界各国史 (4)〉、1979年)の数字とまったく異なることと、やはり人数が少なすぎる事でした。『ロシア・ソ連を知る事典』 の【ラスコーリニキ】の項目に司祭派は1881年に公認を受けたとあったので、それなら岩間氏の数値は1897年国勢調査の詳しい補足にでも書いてある公認を受けた司祭派の数値で正教会の中に含まれているのではないかと判断して、表の「古儀式派とセクト」とは無司祭派と扱ったものと考えました。ただ、資料の表には「古儀式派とセクト」と書いてあるので、自己判断を交えず単純にこう書くのが筋だったと反省しております。この箇所は研究者の訳語そのままに但しを付けずに「古儀式派とセクト」とするのに同意します。ただ、岩間氏の具体的な数値と食い違いを起こしてしまうのですが、わたしには1897年国勢調査の詳細なデータが入手できませんでした。1897年国勢調査はこんな簡単なリストではなく、かなり大部で詳細なものらくし、Webを検索したらCDで販売されていました。
1881年の司祭派の公認の件についてはわたしは研究者(森安達也)の記述を信じるだけです。修正する場合は、より有力なソースで出典脚注を付けていただければよいかと。「狂信」という表現についてはソースにあったので使ったものですから、表現自体には拘りは持ちません。--野島崎沖会話2012年4月12日 (木) 10:04 (UTC)[返信]
具体的な処置は表の該当箇所の表記に付いては「古儀式派とセクト」とし『ロシア史〈2〉18~19世紀』( 田中陽児, 倉持俊一、和田春樹(編集)、山川出版社〈世界歴史大系〉、1994年。)のp.304で脚注出典をつける。現状、ソースを欠いているので(無司祭派)とは付けない。1881年の司祭派の公認の件については、これを否定するより有力なソースがあれば修正してください。「狂信」の表現に付いてはお任せします。--野島崎沖会話2012年4月12日 (木) 10:26 (UTC)[返信]
人口2,204,596人の欄の宗派名を訂正して出典を付けておきました。--野島崎沖会話2012年4月13日 (金) 08:14 (UTC)[返信]

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