ノート:上原正稔

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本人ブログに似すぎた記述削除と文章上の問題[編集]

こちらの記事ですが、2017年10月2日 (月) 15:07 UTCの版までは本人ブログからの転載が疑われる文章がありました。出典となっている本人ブログには「1980年代初期に初めてアメリカの国立公文書館を訪れ、ペリー時代から沖縄戦までの沖縄の地図70枚を入手し、それを新聞社に持っていき、大きく紹介された。 そして、その地図を那覇市立図書館に寄贈し、外間政彰館長と親しくなった」という記述がありますが、記事のほうには「1980年に初めてアメリカ合衆国の国立公文書館を訪れ、ペリー時代から沖縄戦までの沖縄県の地図70枚を入手し、地元新聞社に持って行き、大きく紹介された事で、その地図を那覇市立図書館に寄贈してからの付合いで」という記述があり、パラフレーズにしては似すぎています。

また、「運動の創設者とされてる」(「されている」の誤字)、「袂を別れる事となる」(「袂を分かつ」の間違い)、「反戦平和運動の道具にさせること」(「道具にされる」)など多数の誤字脱字や、「当時:報道部ディレクターだった、山里孫存」のように文中でのコロンや句読点の使い方が若干おかしい箇所、冗長でよくわからない文章などが散見されましたので削除・整理いたしました。それがこちらの編集で元に戻されたようですが、原文に似すぎた記述は著作権侵害の疑いがあるので除去せねばならず、誤字脱字の修正やパンクチュエーションがおかしい箇所も整理の必要がありますので、元に戻しました。

「1フィート運動の欺瞞と団体乗っ取り」の前半部分及び「慶良間諸島における集団自決の軍命について」は出典がほぼ本人ブログか(Wikipedia:独自研究は載せない)、あるいは出典なしのところも多いため、テンプレートを貼付しました。なお、「沖縄戦メモリアル(平和の礎)構想の剽窃」など存命人物の中傷になる可能性もあったり、段落分けがなく長文が続くところなどはまだまだ修正の必要があるかと思います。

転載箇所が短く、Wikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針の「編集による修正」で対応できると考えますので、今のところは版指定削除依頼は提出しません。--さえぼー会話2017年10月11日 (水) 10:58 (UTC)[返信]

「沖縄戦メモリアル(平和の礎)構想の剽窃」節について、中立的になるよう節タイトルを少し修正し、意味がよくわからなかったり、反対の意味にとれる文章を直し、段落分け、誤字修正も少し行いました。たとえば元の版では「ベトナム戦争で戦没した兵士を弔うために、ワシントンD.C.に所在するベトナム戦争戦没者慰霊碑の存在を知っており、これには亡くなったベトナム人の名前が全く刻まれてなかったので、この案を参考に米軍海軍歴史家のロジャー・ピノー、川平朝申、照屋善彦、米須清一等と提唱した」となっており、これでは平和の礎にもワシントンD.C.同様敵軍使者の名前が記載されていないと誤解される可能性がありますが、そうではないので修正しました。平和の礎のほうにもほぼ同じ文章があったので直しましたが、おそらく同じ人物による加筆なので転載にはならないのではと考えます。しかしながらまだ細かいことがずらずらと書かれているので、修正テンプレートは貼付しておきます。--さえぼー会話2017年10月12日 (木) 00:27 (UTC)[返信]