ノート:信濃の国

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。


これは聞いた話ですが、長野の県歌は長野県民の99%が歌えると聞いたことがありますが…You-kawasaki 2006年2月21日 (火) 09:52 (UTC)[返信]

たぶんそれほどは唄えませんよ。ぼくは長野出身ですが、最初の部分しか知りませんし、県内の学校でも唄った経験がありません。ただ、オルゴールなどで使われるのでメロディを知っている人は多いでしょうね。euske 2006年5月9日 (火) 14:51 (UTC)[返信]
可読性向上のためインデントをつけさせていただきました。本題ですが、無理だと思います、というか無理です。長野県民には県外から引っ越してきた方も大勢いらっしゃいますし。今の義務教育世代については知りませんけれども、学校で習っていた世代はよくて3番、普通は2番くらいまではまぁ歌えるとは思いますが。私も2番までしか習っていません。私の場合は好きで全部歌えますが…。確かに信濃の国を「歌える」という点では2番まででも歌えれば歌えることになるんでしょうし、かなり他県の県歌に比べ歌唱人口が多いのは確かなことでしょうけれども、99%歌える、というのは誇張表現かと思います。--tgmsito //talk// 2006年5月9日 (火) 17:14 (UTC)[返信]

質問[編集]

>地域対立が昂じ、1948年春、長野県を南北に分割しようとする案が長野県議会で可決されそうになった。その際、議場の傍聴席から突如として「信濃の国」の大合唱がわき起こり、議員たちの意思を削いで、分県を阻止することになったと言われる。

上記のエピソードですが、資料によっては後から作られたフィクションで史実ではないとしているものもあります。 県議会の議事録等、公的な記録で裏付けを取ることはできるのでしょうか? ご存知の方がおられましたらご教示くださいませ。--以上の署名のないコメントは、218.45.36.24会話投稿記録)さんが 2006年12月9日 (土) 14:44 20:00 (UTC) に投稿したものです(TTTNISによる付記)。

質問テンプレートを再設置しました。出典のご教示をお願いします。--218.45.36.24 2011年3月10日 (木) 14:57 (UTC)[返信]


提案 [編集]

「とは言うものの、冷静に考えれば姫川水系が入っていないので、大北(大町市、白馬村方面)地方は歌詞には登場しない。」とありますが、武田信玄の息子「仁科の五郎信盛」が継いだ豪族仁科氏は、現在の大北地方の仁科が本拠(仁科神明宮など)ですので、地名としてではないので少々牽強付会ですが、登場しているといってもいいのではないでしょうか。--Newport8865 2007年7月13日 (金) 02:09 (UTC)[返信]

下水内も、下高井、上高井、下伊那も出てきませんね。多分小郡はないことにされたか、 川や文化圏ということで割愛されたのでしょう。 そして、安曇は便宜的に南北安に分かれたという歴史もありますので。 一応、出てこないことに寂しさを抱いた郡の郡歌の制定を載せてみました。--以上の署名のないコメントは、210.234.27.236会話投稿記録)さんが 2007年8月12日 (日) 15:03 (UTC) に投稿したものです(TTTNISによる付記)。[返信]

下伊那は、辛うじて4番に出てきます。 「尋ねまほしき園原や」の「園原」は、下伊那郡阿智村(中央道園原IC近辺)です。

外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

信濃の国」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月26日 (火) 02:45 (UTC)[返信]