ノート:反証可能性

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「反証可能⇒科学」に対する反論[編集]

また反証可能性を科学の必要条件ととらえる事には異論もある。反証可能性が満たされる為にはまず再現可能性が保証されなければならない (そうでなければ再実験できないのでそもそも反証しようがない)が、にもかかわらず歴史的事実という再現不可能なものが科学の一部になっている事がある。例えば関東大震災時のデータは地震研究に生されているが、関東大震災は歴史的事実であり、再現できない。よって「関東大震災は実際に起こった出来事である」とか「関東大震災の震度は7である」といった命題は今となっては証明する事もできなければ反証する事もできない。つまり反証可能性を満たさない。 (もちろん当時の文献を探るという歴史学的アプローチを取れば証明や反証が可能だが、それは「テスト」ではないのでポパーのいう「厳しいテストを絶えぬいた」という要件を満たさない。第一、歴史学的アプローチを認めるのであれば歴史学は科学だという事になってしまう)。

これを書いたものです。 この意見は学生時分に科学哲学の授業で聞きました。誰だったか有名人(物理学者?)の意見だったと思うですが、名前を失念しました。どなたか知ってる方追記をお願いします。

219.35.138.24 2005年12月26日 (月) 13:55 (UTC)[返信]


~科学と非科学の違い~[編集]

Q.進化は実験で再現できないから科学ではないのでは?
A.いいえ、科学です。実験で再現できないものを科学ではないとすれば、進化論のみならず天文学や地質学などの歴史を扱う分野はみな科学ではなくなってしまいます。実験室で地球が太陽の周りを回っていることを示す実験はありませんが、地動説は確からしい科学的仮説とみなされています。なぜでしょうか。それは地動説はニュートン力学と結びつき、検証可能な予測ができるからです。例えば、日食のおこる時間を正確に予測できれば地動説は確からしいと認めることができるでしょう。地動説と同様に進化論は検証可能な予測をします。地球の年齢について、ある地層に発見される化石について、ある生物と生物のDNAがどのくらい似ているかについて、検証可能な予測ができますし、実際に検証されてきたので進化が起こったという仮説は科学的に正しいとされているのです。


Q.進化論は反証不可能なので科学ではないのでは?
A.例えば先カンブリア紀の地層から大量の石器が発見されれば進化論に対する強力な反証になります。進化論が科学ではないと思いたいために「進化論は反証不可能である」と主張する創造論者もいますが、原理的に反証不可能であることと、反証の証拠が見つからないことを混同すべきではありません。進化論は原理的に反証可能ですが、現在のところ反証されていません。[2000.4.11]
進化論と創造論 ~科学と疑似科学の違い~から引用)


ウィキペディアは百科事典サイトであり、「反証可能性」に関する貴殿の質問は教えてgooYahoo!知恵袋などの質問サイトをお薦めします。--ウンチマン肯定論者 2005年12月27日 (火) 16:21 (UTC)[返信]


「これは「デュエム-クワイン・テーゼ」とも相即する。クワインによれば、全体論的な構造では、修正は全体のどこにでも等しくなされうる。観察とその背景理論を検討してもよい」の後にあった

>「必要ならば論理と数学を刷新してもよい(実際に、量子力学が台頭するため、論理学と数学が大きく変わった)」

をコメント・アウトしました。論理学にしろ数学にしろ未来永劫不変なわけですから、変えたり刷新したりできないはずなので。「進歩させ」たり、「パラダイム・シフトをおこ」したり「別の公理系を作ったり」したというなら分かるのですが。あと量子力学の台頭により論理学が何らかの変化をしたというのも考えにくいです。確かに後に量子論理が産まれはしましたが、「主流派」が未だに普通の述語論理に基づいているという事実には変わりがないので。219.35.138.30 2006年6月2日 (金) 13:39 (UTC)[返信]

「反証可能性の判定の困難さ」部分に関する疑問[編集]

長いので先に要約を。

「反証可能性の判定の困難さ」には、例としてふさわしくないものが挙げられている

本文中の反証可能性の判定の困難さを要約すると以下の流れになると思われます。

霊の実験に失敗した。なので、反証したと思ったが、そこに反証可能な補助仮説が追加された。つまり反証したということにならない。

上を整理すると、補助仮説は反証可能である必要があり、その内容は「霊の存在を疑う者が降霊会場に立ち入らず、遠隔のビデオカメラによって撮影するならば、降霊は成功する」となる。

また、アドホックな仮説には、「その反証を否定するためにその理論に後から付け加えられる補助仮説のことである。」と記されています。

以下は以上が正しいときの意見です。 さて、いいたいことですが、まず、アドホックな仮説と矛盾の関係にあるのでは?「後付されたもの」なのか、「後付でかつ、論理的なものでないもの」なのか。この疑問は非常に弱い気がしますが、矛盾しているように見えなくはないと思います。 次に、命題自体の疑問。これは比較的小さな問題ですが…。「少なくとも今回用いた方法(条件)によって」という文が本文中にもありますね。これはこの霊問題に対しても、悪魔の証明などに見られる証明に関する問題が取り上げられていることがわかります。科学的には再現可能性も取り上げられますが、命題論理かな?一部証明においては、あることの証明は一度で覆すことが可能であり、これはしばし、反証可能性としても取り上げられます。よって、本来であれば「(未来永劫)~ない」という証明は(現在の科学力では)不可能で「一度の失敗をみて反証したと思う」ことは疑問視すべきだと思います。 三番目に、「霊の存在を~」と今回加えられた補助仮説が反証可能なのか否か。こちらもアドホックな仮説内の例と比較してみてください。「霊の存在を疑う者」はどう定義されるのでしょうか。すなわち、「霊の存在を疑う者~成功する」の命題は反証可能ではなく文の意に反する例が挙げられていると思います。反論として「技術の進歩により心の中を知る技術ができる」があげられるかもしれませんが、これは確かアメリカが心霊ブームだったころ(時代的にニュートンが活躍していた時代の近く)にも使われていた言い回し(出展は忘れましたが本に載っていたことですので、文献として記述の可能かもしれません)ですので、時代の流れ考慮して不適切だと結論付けます。

代わりの例の提案ですが、私の知る限りですと、ニュートン力学と相対性理論等の話はいかがでしょうか。確か関連ページで紹介されていたきがするのですけど、どこだったか…。詳しく書けるほど調べてないので今すぐ私が加筆するわけにはいきませんが、「ニュートン力学は観測により否定され、かつ、今現在基礎的な(?)力学として未だに教えられている」という流れがありますが、これは、「ニュートン力学は否定された後に、矛盾しないような仮説をつけた。」ということを示します。しかし、ニュートン力学およびその仮説はあまたの検証によって保障されているから、その仮説は反証可能だったに違いありません。

  • ニュートン力学はこの例として正しいか
  • 正しいならば実際にどういう制約を、ニュートン力学が受けたのか
  • これ以上簡単な例はないのか

などをこれから検討する必要がありますが、いかがでしょうか。

--星屑の知識 2007年11月2日 (金) 02:01 (UTC)[返信]

星屑の知識さん、こんにちは。理論というのは単一の命題からなっているわけではありません。それため、反証というのは実は簡単にはできません。こうした反証という行為が持つ全体論的性格は、デュエム-クワイン・テーゼなどといわれます。つまりハードコア(例えば「霊がいる」という主張)を守るために、アドホックな仮説を付け加えまくるならば、実はいくらでもハードコアに対する反証のがれは可能だということです。しかしそうしたアドホックな仮説を付け足し続ける行為というのは、そのうちに主張全体を「馬鹿げているとしか思えないような」状態へと追い込んでいきます。そのため仮に「理屈の上で」命題が反証されていなかったとしても、科学理論としての競争からは完全に脱落していくことになります。
こういった話題について更に詳しく学ばれる場合は、科学哲学関連の書籍をご参照ください。私としては、伊勢田哲治『疑似科学と科学の哲学』 名古屋大学出版会 ISBN 4-81-580453-2 がお薦めです。--Was a bee 2008年6月18日 (水) 00:34 (UTC)[返信]

ちなみにニュートン力学は位置づけとしては、近似理論という形になります。つまり「絶対的に正しい」理論としてでなく「簡単だけど大体正しい結果を教えてくれる」理論、として学生に教えられます。--Was a bee 2008年6月18日 (水) 01:01 (UTC)[返信]

Wikipedia:独自研究は載せない 3 資料 3.1 信頼できる資料 3.2 一次資料と二次資料

を読んでください。

持論と関係しない理論を持論の根拠にすることは出典の明記にはなりません。検証可能性を満たしたことにはなりません。60.37.114.196 2008年6月19日 (木) 03:21 (UTC)[返信]

ちなみに野家啓一がデュエム-クワイン・テーゼで反証可能性批判を繰り広げたことに関しては、小河原誠編集の「批判と挑戦―ポパー哲学の継承と発展にむけて」に明記されております。60.37.114.196 2008年6月19日 (木) 03:50 (UTC)[返信]

ではその文献を引けばいいんではないですか?節を削るのは何故でしょうか?--Was a bee 2008年6月19日 (木) 09:54 (UTC)[返信]

なぜに記述を希望するあなたが「いいんではないですか?」として出典の明記を行わずに記述を復帰させるのですか?検証可能性は読みましたか?記述を希望する側にその義務があり削る側にはないと明記されていますが。すでに「批判と挑戦―ポパー哲学の継承と発展にむけて」においてあなたが記載されるような理屈(デュエム-クワイン・テーゼ)は論破されており反証可能性の否定になりません。もう一度言いますがあなたが記述されるたとえはどなたがなされましたか?たとえばクワインが書いた本からの引用であえばまだしも、そうではないあなたの例えはなんら出典のない独自の研究です。Wikipediaでは身勝手な要するに方針に根拠を持たない持論を展開することは禁止されています。かならず公式な方針を守ってください。これはすべてのユーザーに通ずる義務です。愚民一号 2008年7月11日 (金) 13:54 (UTC)[返信]

当然ご存知だとは思っていましたが、最初からずっと下にデュエムとクワインの本が記されてます。--Was a bee 2008年7月11日 (金) 23:59 (UTC)[返信]

警告。検証可能性を満たさない持論を他の論者の主張に求めて記述することは明確な方針違反である。また、「批判と挑戦―ポパー哲学の継承と発展にむけて」にあるデュエム-クワイン・テーゼによるこの類の主張は反証されており辞書において記述するべきレベルにない。合意形成をも拒否している。愚民一号 2008年7月27日 (日) 07:08 (UTC)[返信]

Wikipedia:中立的な観点を鑑みて両論併記にしました。また、論争になった際は記述を強行せずにWikipedia:合意形成を行ってください。愚民一号 2008年7月27日 (日) 07:31 (UTC)[返信]

(適者生存によって)生物は進化するという記述について[編集]

脚注では、

この論によれば、すでに不適者はすべて生存競争に敗れ死滅していることになるが、理論によれば不適者は現在ただひとつも生存していないことになるため、本当に不適者が死滅し適者のみが生存しているのかどうか検証できない。また、ある種が死滅すれば「不適者だったからだ」生存していれば「適者だったからだ」と無謬の論証が可能となっている。

とありますが、

「すべての不適者が死滅している」や「死滅したのは不適者だったからだ」等が導かれるのは「生物は進化する」の部分ではなくて括弧でくくられた「適者生存によって」の部分です。

したがって反証不能なのは「生物は進化する」という言明についてではなくて、「適者生存によって」という部分です。

以上の理由から題名の記述を、脚注に合うように「生物の進化は(すべて)適者生存によるものである」と変更しました。 もし脚注のほうがおかしいと言う場合は脚注を直した上で編集してください。

なお、適者生存が脚注の論法で反証不能となるのは適者を「生き残ったもの」と定義した場合です。実際の生物学においては適者は「生き残って残す子の数の期待値の高いもの」と定義されているので、その期待値の高さを交配チャンスや大規模災害などの偶発的現象が上回れば適者が生存しないことがありえ、反証は可能となります。この点を追記すると分かりにくくなってしまうと思われるのでページのほうはそのままにしておきます。

--124.210.24.120 2013年3月2日 (土) 01:01 (UTC)[返信]