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ノート:坂田駅 (筑波鉄道筑波線)

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改名提案[編集]

滋賀県にも坂田駅がありますが、同一地域に同名駅があったわけではありませんので、記事名をWikipedia:ウィキプロジェクト 鉄道#駅記事名に沿って「坂田駅 (茨城県)」とするべきです。1週間待って反対がなければ、移動したいと思いますが、移動先には履歴があるので移動依頼にて管理者の方に移動をお願いすることになります。--Rusk 2008年7月30日 (水) 23:04 (UTC) 補筆--Rusk 2008年7月30日 (水) 23:10 (UTC)

  • (撤回)(改名反対) Wikipedia:ウィキプロジェクト 鉄道#駅記事名では、同一地域内にない同一駅名について曖昧さ回避にせよとしているだけであって、地域名による区別は例示に過ぎません。したがって「するべきです」とまではいえません。筑波鉄道筑波線の場合、筑波という地名の知名度から茨城県であることは比較的推測しやすく、「坂田駅 (茨城県)」というより曖昧な名称を採用する必要性はないと思います。--Jms 2008年7月30日 (水) 23:20 (UTC)
(コメント)確かに改めてウィキプロジェクトのルールを読み返してみたところ、括弧内の分類名に何を用いるかは決まってないのですね。3、4年ぐらいウィキペディアの編集にかかわっていましたが今さながら気づきました。分類名には地域名(都道府県名あるいはそれで一意にならない場合は都道府県名+市町村名)を使うものだと思い込んでいました。他の駅も路線名のほうが良いのでしょうか(大宮駅などの場合は路線別に記事を立てるのでなければどの路線を選ぶか迷いそうですね)。ただ、同一地域内の同名駅の場合では(地域名では一意になりませんから)会社名(事業者名)をつけることになっていますが、これを見ると分類名に地域名を使うことを基本にしているようにも読めます。--Rusk 2008年7月31日 (木) 02:25 (UTC)
(賛成)同一地域で異なる事業者の駅ではなく、都道府県でいいと思います。--Colocolo 2008年7月31日 (木) 07:34 (UTC)
(コメント) その根拠は? 曖昧さ回避というのは、結局は曖昧さをどれだけ少なくできるかであり、「筑波鉄道筑波線」がそれこそ古事記のレヴェルで茨城県を含意するほどに著名であるならば、茨城県とかいう特定の行政体系に依存した呼称を用いる必要はないでしょう。「筑波」という呼称が「茨城」という呼称に先行して (百科事典的意味での) 十分な知名度を有するということを軽視すべきではないと思います。--Jms 2008年7月31日 (木) 11:02 (UTC)
(賛成)駅名一般の曖昧さ回避の方法としては、路線名ではなく都道府県名としたほうがよいと思います。その根拠は、括弧内の記述が統一できるからです。つまり路線名や事業社名とした場合、「坂田駅 (筑波鉄道筑波線)」のみならず「坂田駅 (筑波鉄道)」や「坂田駅 (筑鉄筑波線)」(私は生粋の関西人なので筑波鉄道をこのような略し方をするのかどうか知りませんが)など多様な記述方法があり、新たなローカルルールを設定しない限り(設定しても?)、多くの議論が捲き起こってコミュニティが疲弊してしまったり、最悪、移動合戦が誘発されかねないと考えます。だれもが何も考えることなく統一された記事名となるという点で、都道府県名は、実に有用なツールだと思います。もちろん、これは一般論としてであって、今回のように議論となった場合には、おのおのの記事の状況に応じて一件審議すべきと思います。それを踏まえて、今回の件は、一般論を覆すほどの理由が見出せないので、私としては「坂田駅 (茨城県)」への改名賛成票を投じたいと思います。あと、これは検証できないので余談になりますが、関西では「筑波」が「茨城県」にあることを知っている人のほうが少数派だとおもいます。関東の人には信じられないかもしれませんが、私の周りでは東京だと思っている人多いようです。--るなあるてみす 2008年7月31日 (木) 14:25 (UTC)
曖昧さ回避が必要な記事について、曖昧性の低さすなわちわかりやすさに対して統一性を優先させる論拠は何でしょうか。筑波は茨城県の地方である、いや正しくはつくばという地名についてそれが後日茨城県に含まれる様になった、とすべきですが、というのは百科辞典利用者に対して前提してよい程度の知識であると思います。これがたとえば「まかべわくわく鉄道」といった名称であったなら「茨城県」の方が適切ですが、「筑波」なら十分な知名度があるでしょう。関西では「筑波」が「茨城県」にあることを知っている人のほうが少数派というのはどうかと思いますが、仮にそうだとしたら、茨城県がどこにあるかというのをその関西の方は御存じなのでしょうか。茨城県を御存じないから、筑波が東京だとお考えなのではありませんか。我々が編纂しているのは百科事典であって、文部科学省検定教科書ではありません。今回の件は一般論を覆すほどの理由が見出せない、というのは、申し訳ありませんが、単に素養がないだけの話でしょう。日本語話者の殆どが日本国で教育を受けた者だという事実を仮定とすれば、ウィキペディアの前提知識としては中学程度の教養よりはむしろ高校前半程度をとるべきであって、高校の古典教科書に登場する程度の知識は適切な記事へのリンクを条件として前提としてよいでしょう。もしそれが不適切であるとするなら、我々は「こどもうぃきぺでぃあ」を編纂しているのでしょうから、用いる漢字制限から検討すべきです。--Jms 2008年7月31日 (木) 15:58 (UTC)
いやはや、単なる余談にこんなに食いつきがいいとは思いませんでした。普通に読んでいただければわかりますが、私の言いたいことは、「…投じたいと思います。」までがメインですので。一言で言えば、無駄な議論の基になるような方法をあえてとらなくてもいいのではないか、と言うことですが(「筑波」がメジャーかマイナーかとは全く関係なく)。まあ、議論を変な方向へずれさせるのが本意ではありませんので、余談は打ち消しておきます。失礼しました。--るなあるてみす 2008年7月31日 (木) 16:20 (UTC)
(賛成)記事名では概要がつかめる程度に簡潔であるほうが望ましいと思います。その先は記事本文で担うべき部分と言えます。また、「筑波」と「つくば」が必ずしもイコールではないことを認識すべきじゃないでしょうか。それと、レベル云々という話はまったくもって関係性を見出せない論拠と私には感じました。--Star-dust 2008年7月31日 (木) 16:09 (UTC)
「筑波」と「つくば」が必ずしもイコールではないことを認識すべき、というのが何をおっしゃりたいのかよくわからないので、説明していただけますか。特にわからないのは、「筑波」と「つくば」がイコールである、という議論が出ていないのに、それを認識すべきだというのがなぜ登場するか、です。議論のポイントは曖昧さ回避の粒度として何が適当かということにあります。「筑波鉄道筑波線」が冗長であるというのは確かなので、「坂田駅 (筑波鉄道)」で十分であるというのならわかります。--Jms 2008年8月1日 (金) 09:19 (UTC)
「筑波」と「つくば」を出した理由ですが、『「筑波」なら十分な知名度があるでしょう』とありますが、あくまで私の知る範囲では、地元(ここでは茨城南部ですね)以外の方の「つくば」の認識は主に筑波研究学園都市であって、自治体としてのつくば市や茨城県に所在することなどに直結していないことが多かった印象があります。そういうことがありまして申し上げてみました。それ以上に大きな理由などが含まれる訳ではありません。一例ということで認識いただければと思います。--Star-dust 2008年8月1日 (金) 10:33 (UTC)
「筑波」という地名は、筑波研究学園都市などができるより数百年前から、筑波山などでそもそも著名な地名です。Jmsさんのおっしゃりたい筑波という地名の著名性というのは、そういうことだと思います。ですから、「つくば」を持ち出してもしょうがないでしょう。
ですが、私もJmsさんの見解には同意できません。「筑波」の著名性と「筑波鉄道」の著名性は別だからです。「筑波鉄道」が著名でない以上、曖昧さ回避の括弧内は素直に「茨城県」にすべきだというのが私の見解です。もちろん、「筑波鉄道」というからにはかの有名な筑波にあるのだろう、という類推は容易にできます。しかし、だからといって、そのようにしたほうが曖昧さが少ないというのはそれは違うだろうと私は思います。--122.26.255.164 2008年8月1日 (金) 11:30 (UTC)
筑波という地名は古事記に登場しますが、これは連歌の起源として高校古文の教科書にも取り上げられており、十分な知名度でしょう。筑波から茨城県を連想できるか、ということはひとそれぞれかもしれませんが、筑波は茨城県の部分集合ですから、「坂田駅 (筑波鉄道)」 の方が「坂田駅 (茨城県)」よりも曖昧さは低いことになります。坂田駅について、「茨城県の坂田駅」という情報と「筑波鉄道の坂田駅」という情報、どちらが記事名から得られることが読者にとってより有用か、という議論になろうかと思います。--Jms 2008年8月1日 (金) 12:06 (UTC)
「筑波は茨城県の部分集合」だから「(筑波鉄道)のほうが曖昧さが低い」というのはおかしいです。「筑波」と「筑波鉄道」は、非常に強い関連性を持つものですが、別物です。「筑波鉄道」が「筑波」にあるということは、容易に類推できることではありますが、自明の理ではありません。--122.26.255.164 2008年8月1日 (金) 12:12 (UTC)
「筑波鉄道 (の路線が存在した領域) は茨城県の部分集合」としても同じことですが…。曖昧さ回避の括弧内が地域名でなければならない、という理由はないと思います。もしそうであったなら、Wikipedia:ウィキプロジェクト 鉄道#駅記事名に「地域名で曖昧さ回避」とあったことでしょう。--Jms 2008年8月1日 (金) 12:18 (UTC)
もちろんです。地域名でも鉄道事業者名でも構いません。ですが、筑波という地名は著名ですが、「筑波鉄道」という鉄道事業者はあまりに無名です。私がいいたいのはそこです。無名な鉄道事業者の名前をわざわざつける理由はありません。--122.26.255.164 2008年8月1日 (金) 12:22 (UTC)
連想に期待すべきではない、という意味ですね? 「筑波鉄道」から「筑波ではない」という連想をする人は常識の範囲では存在しないでしょうから、筑波は有名だが筑波鉄道は無名だから、という論には無理があると思います。--Jms 2008年8月1日 (金) 12:56 (UTC)
そういうことです。誰もが連想できることではありますが、しかしあくまで筑波鉄道は無名ですから、そちらにこだわる理由がありません。「茨城県」ならばそのような問題は絶対に生じえません。このままやっても水掛け論でしょうからとりあえず私は少し黙ります。--122.26.255.164 2008年8月1日 (金) 13:04 (UTC)
(インデント戻します) 水掛け論というよりは、対立点が明確になりつつある過程だと思いますが…。「茨城県の坂田駅」よりは「筑波鉄道の坂田駅」の方がより限定されている (という意味で曖昧さが少ない) が、(茨城県を識別のゴールとするなら) 筑波鉄道なら筑波なら茨城県という連想が必要になる (という意味で読者にわかりにくい)、ということですよね。そうなると茨城県を識別のゴールとする必然性があるのか、というのが主たる相異点かと思いますが、あっていますか? --Jms 2008年8月1日 (金) 13:13 (UTC)
Nzrst1jxと申します。筑波鉄道の坂田駅についてJR北陸本線の坂田駅と区別するために“筑波鉄道筑波線”とうい名称を使って筑波鉄道の坂田駅のページを作成した者です。Wikipediaの編集に参加させていただいてからまだ2週間ちょっとしか経っていないWikipedia編集の素人です。筑波鉄道の坂田駅に関しては,そのページが存在していなかったため,新規に筑波鉄道の坂田駅のページを作成しました。Wikipediaの編集上の規則を読まずに作成したために,みなさんに多大なご迷惑をおかけして申し訳無いと思っております。私はWikipediaの編集に参加する以前は単なるWikipediaの利用者でした。とても便利で,編集に携わっている方々に感謝しております。さて,利用者としての月日が長かった私にとって,Wikipediaで“坂田駅”という固有名詞を使用して検索をしたら,筑波鉄道の坂田駅のページに辿り着けば,目的は達成されたことになります。現在,北陸本線の坂田駅のページには筑波鉄道の坂田駅へのリンクが貼られています。“坂田駅”で検索すれば筑波鉄道の坂田駅のページに辿り着くこてができるのです。“筑波鉄道”という固有名詞を使用せずとも筑波鉄道の坂田駅のページに辿り着くことができ,利用していてとても便利です。利用する立場からすれば,ページ名のことよりも,検索した語句で必要な情報に辿り着ければ,それでいいのではないかと思っています。それと,Nzrst1jxに書いてありますが,私は主に鉄道模型向きの写真を撮影しています。そのため,私にとって筑波鉄道の坂田駅は「茨城県の坂田駅」ではく「筑波鉄道の坂田駅」です。そして,この小さな駅のページを見て情報を得たいと思うWikipedia利用者は鉄道ファンか鉄道模型ファン,あるいは茨城県に関心がある人だと思います。このようなWikipedia利用者にとって「筑波」という名称は既知の事柄ではないかと思われます。筑波鉄道の坂田駅は大宮駅のような大きな駅とはまったく異なる次元の駅です。何しろ,ホームは1面1線で小さな開放型の待合室しかない駅員や委託業務者が不在の無人の棒線駅ですから。私の編集の仕方については,Wikipediaの方針・編集方法に疎いため,書き方・多数の写真の掲載・多数の外部リンクの利用について,Wikipediaの編集に関わって方々から多くのご指摘を受けております。私はWikipediaを,従来の紙を媒体とした世界に存在する百科事典ではなく,デジタル化されたサイバー世界に存在する百科事典と思って今まで利用し,そして編集してきました。しかし,それらの方々からご指摘された点を考えてみると,Wikipediaによって,紙を媒体とした従来の百科事典をデジタルで実現したい,と思っていらっしゃるように見うけられます。紙を媒体とした従来の百科事典にはとても長い歴史と信頼性,権威があり,Wikipediaがそれを目指すのも当然のことだと思います。だが,Wikipediaはサイバー世界に存在しています。電気信号を媒体としています。デジタル化されたWikipediaには紙を媒体とした百科事典にはない大きな可能性があると思っています。紙の百科事典にはページ数の制約があり,また,ページ数が増えれば高価になってしまいます。専門的なことを素人がよりわかりやすい平易な言葉で説明された文献・書籍・雑誌を入手するには手間暇,あるいは費用がかかってしまいますが,デジタル化されてサイバー世界に存在するWikipediaなら,それがマウスをクリックするだけで行うことが可能です。Wikipediaより平易な言葉で説明してあるサイトに辿り着くことができる可能性もあるし,より写真が豊富なサイトに辿り着くことができ,理解の助けになるからです。また,平易な言葉で書かれた書籍・雑誌の存在を知って,入手することも可能になります。私は今年の春に腫瘍を摘出する手術をし,摘出した腫瘍の病理検査報告書を主治医からもらいましたが,たった一枚の報告書なのに,その報告書で使用されている用語や語句は医学用語と日常生活ではほとんど使用しない硬い表現の日本語だらけでした。なぜなら,その報告書は病理医が臨床医である主治医に宛てて書かれた報告書を,主治医はそのままプリントアウトして私にくれたからです。早速,それらの用語をgoogleで検索してみると,素人にわかりやすい文章で書かれているサイトの多くがWikipediaでした。これにはとも助けられました。しかし,主治医以外の臨床医にWikipediaの信頼性について尋ねてみたところ,「自分の専門診療科目については,ほぼ80%正しい。丁寧に書かれている」というものでした。すると残りの20%が気になります。私が手術をした大きな病院では多くの患者が診察の順番待ちをしており,診察までに長時間待たされているのが実情です。そのような状況下で,報告書に書かれた理解できない多くの用語について長い時間をかけて主治医に説明してもらえる雰囲気ではありません。とにかく多くの患者が長い時間診察を待っていますから。そのため,私がWikipediaの編集をした箇所には多くの外部リンクを貼っています。これは信頼性に足りない残りの20%をWikipedia利用者自身のみの時間を使って補うためには必要であると考えているからです。しかし,外部リンクの多用についても「Wikipediaはリンク集ではない」というご指摘を受けています。外部リンクは紙を媒体とした百科事典と比較して,サイバー世界に存在するWikipediaが持つ大きな優位点であると思っています。外部リンクによって知識として残りの20%が補えるだけでなく,手術による後遺症,薬による副作用など,患者自身の実体験の情報を得ることが可能だからです。書籍や医師,薬剤師の説明ではページ数や時間的な制約があり,個々の患者がかかえている後遺症や副作用について説明してもらうことが難しく,一般論としての説明しかされないのが実情です。そのようなわけで,Wikipediaがサイバー世界に存在している利点を積極的に活用すると,利用者にとって,より便利になるのではないかと思っています。現在は一般家庭でも高性能なCPUやGPU,大容量のハードディスクドライブやメモリーを搭載したパソコンが安価に容易に入手できます。高速で安価なインターネットサービスプロバイダのサービスを利用することが容易にできます。高価で,しかも大きくて,一般家庭への導入が不可能なメインフレームが主流の時代とは完全に様変りしました。Wikipediaはサイバー世界に存在し,電気信号を媒体としています。紙を媒体とした従来の百科事典とは違うと思っています。--Nzrst1jx Sun Aug 3 11:08:28 JST 2008
上記の記述をする際に,ログインするのを忘れていたので,上記の記述がNzrst1jx本人であることをここに記します。--Nzrst1jx Sun Aug 3 11:14:30 JST 2008
  • (賛成)上であれこれ言っている人がいますが茨城県に坂田駅はここしかありませんので改名に賛成します。--hyolee2/H.L.LEE 2008年8月3日 (日) 07:24 (UTC)
    • (コメント) ○○にひとつしかない、と言う論拠ならば、茨城県ではなく関東でも東日本でもよい筈です。そうしないのは、より限定的な方が曖昧さ回避としては望ましいからです。その意味で、知名度において茨城県と遜色ない筑波を連想させる筑波鉄道の方が、曖昧さ回避としてはより適切でしょう。こうした論点を抜きにして「あれこれ言っている人がいますが」と雑駁に書かれては議論になりません。--Jms 2008年8月3日 (日) 09:08 (UTC)

IP変わりましたが122.26.255.164と同一人物です。返信遅れましてすみません。
少し誤解があるようなのですが、私は「識別のゴール」に類するような考え方は持っていません。地域名だろうが事業者名だろうが、わかりやすければどちらでもいいと思っています。Jmsさんは「「筑波鉄道の坂田駅」の方がより限定されている (という意味で曖昧さが少ない) が」とおっしゃいましたが、私はそこからしてそもそも見解が違います。「だからといって、そのようにしたほうが曖昧さが少ないというのはそれは違うだろうと私は思います」と述べました。なぜならば、「茨城県」と「筑波」は地名という同じ土俵に乗りますので、「茨城県」より「筑波」のほうが曖昧さが少ないと言い切れますが、「筑波鉄道」はあくまで事業者名であり、同じ土俵には乗りません。土俵が違うのですから、どちらのほうが曖昧さが低いか、個別具体的に考えなければなりません。そして、「茨城県」と「筑波鉄道」のどちらのほうが著名かというと、圧倒的に「茨城県」に軍配が上がるでしょう。以上が私の主張です。
伝わりやすい日本語がかけないのがもどかしいのですが、「筑波」と「筑波鉄道」はまったく違うものである、というところが最大のポイントです。--118.8.159.163 2008年8月3日 (日) 11:20 (UTC)

「茨城県」や「筑波」と「筑波鉄道」がカテゴリとして違う、ということと、どちらが曖昧さ回避としてより適切か、ということは直接は結びつかないので、知名度が高いものほど曖昧さが低い、という主張になってしまっているのではないかと思いますが、それでよろしいですか? あるいは、「曖昧さ」を対象限定範囲の意味ではなく、知名度の意味でのみ用いていませんか? わたくしは「茨城県」や「筑波」と「筑波鉄道」がカテゴリとして同列に扱えるという主張はしてはおりませんし、個別具体的に粒度と知名度のバランスを論じています。--Jms 2008年8月3日 (日) 11:33 (UTC)
いえ、もちろんそれは知名度だけではかれるものではないと考えています。ですが、知名度も重要なファクターのひとつです。そして、「筑波鉄道」の知名度はあまりにも低いので、わかりにくい、と主張しているのです。Jmsさんが地名と事業者名を「カテゴリとして同列に扱える」と主張していらっしゃらないことは承知していますが、筑波鉄道の知名度を考えるのではなく筑波の知名度を考えていて、筑波鉄道の知名度を実際より高く見積もっていらっしゃるように思いましたので、筑波と筑波鉄道の違いを強調したのです。筑波と切り離して考えれば、「筑波鉄道」という鉄道事業者の知名度は、バランス云々をいえる以前の問題として低すぎます。--118.8.159.163 2008年8月3日 (日) 11:53 (UTC)
そうすると、わたくしとの前提の違いは、「筑波鉄道」から「筑波」を連想することの蓋然性をどう考えるか、ですね。--Jms 2008年8月3日 (日) 11:56 (UTC)
概ねそうだと思います。ニュアンスのレベルで少し違う気もしますが、うまく言えませんので、それでよいです。--118.8.159.163 2008年8月3日 (日) 12:02 (UTC)
  • (賛成)改名に賛成します。Jmsさんのおっしゃるとおり、筑波鉄道筑波線を使った方がより限定できるのですが、私としては他の記事が、特に他の重複がなければ都道府県名を使っているのが一般的ということを重視したいと思います。記事名が一貫性を欠くのはあまり好きではありません。これが、他が路線名で統一されているのであればそれに賛同したのですが。--Tam0031 2008年8月5日 (火) 14:53 (UTC)
個別項目の曖昧さ回避が主眼であるのですから、より曖昧さの低い方をとるべきでしょう。それを、曖昧さ回避でなく分類方法であるかの如くとらえてしまっているから、統一性を考えてしまうのではないでしょうか。統一性の先には「航空機に関する記事名には一律 (航空機)付与」といったものが待っていると思います。駅の規模や鉄道事業の様態によって、適切な曖昧さ回避子の粒度は異なるのではないでしょうか。--Jms 2008年8月5日 (火) 15:27 (UTC)
赤リンクを作っておく際に、どのような記事名で将来立項されるのかがある程度予測できないといろいろ困ります。現に赤リンクの作り方が違うために本当はそれに関する記事が存在しているのに適切にリンクされないまま放置されている記事というのは枚挙に暇がないわけです。その点、原則都道府県名に統一されていればうまくいきます。同じ都道府県の中に複数の同名駅があった場合はさらに問題は残るものの、「筑波線」「筑波鉄道」「筑波鉄道筑波線」のどれが使われるか分からない事業者名・路線名を使うよりはマシだと考えます。他も路線名で統一されているのなら記事の立てられ方は予測できるのですけど、イレギュラーに出てくると予測できません。そういう点で統一性が必要であると考えています。駅名一覧記事であらかじめ赤リンクを生成しておいて、他で赤リンクを作るならそれに合わせる、というような方針を採るなら可能ではあるのですが。分類方法であると捉えているからではなく、記事執筆上の利便性を捉えて統一性を支持します。--Tam0031 2008年8月5日 (火) 15:45 (UTC)
それは書き手の論理ですね。わたくしは読者の観点から考えています。そう対比すると、「一律 (航空機)付与」を連想してしまったのは納得できます。で、本件の場合に、書き手の論理が曖昧さ回避の目的を覆すほどのものであるとはわたくしには思えません。--Jms 2008年8月5日 (火) 16:02 (UTC)
読み手のためにわざわざ筑波線を記事名に含める必要性があるんですか? もし同名の駅がなければ、この記事は単に「坂田駅」です。これだけを見て、どこに駅があるかを想像できる人はほとんどいないでしょう。だからといって、曖昧さ回避の必要性がない記事にまで全部所在地や所属路線名を含めようなどという議論はないはずです。所在地や所属路線については本文を読めばよいことです。曖昧さ回避は、同じ名前で複数の記事を作ることができないから便宜的に分けるためのものであって、純粋にWikipediaの編集上の技術的な問題だと思います。外からGoogleなどで検索してやってくる人にとっては、どんな記事名であろうとその記事に適切なキーワードが含まれていればたどり着くでしょうし、「坂田駅」という名前だけ覚えている人は、検索ボックスに入れて表示ボタンを押せば、滋賀県の坂田駅の記事が表示されてそこでotherusesを見て飛んでくれば済むことです。読み手にとって、曖昧さ回避にどのようなキーワードが使われているかが意味がありますか? より限定した地名を付ける意味がありますか? 私はないと思います。--Tam0031 2008年8月5日 (火) 16:28 (UTC)
もし、曖昧さ回避が同名対象の識別のためだけなら、限定子は (1)、(2) などで十分です。しかし通常の事典類を見てもわかるように、我々はそうした識別以上のことを項目名に期待していますし、これは読者のために行われていることです。限定子に何らかの意味を持たせようとすることは、曖昧さを許容する概念認識の様態として、我々が対象集合の核となる部分と、対象集合の補集合の核となる部分の対を用いているということに由来します。知名度とのバランスの範囲でより限定した限定子を用いることは、数字での識別を越えた曖昧さ回避という観点からは当然だと思います。この意味で、読み手にとって、曖昧さ回避にどのようなキーワードが使われているかが意味がないということはないでしょう。
曖昧さ回避の必要性がない記事にまで云々というのは「一律 (航空機)付与」というのの「一律付与」という部分への反応だと想像しますが、わたくしが述べたかったのは航空機の種類によらず一律、という部分です。これは、鉄道プロジェクトでいえば、電車、蒸気機関車などとつけるのではなく、「 (鉄道車両)」を付与する、という様なものです。--Jms 2008年8月5日 (火) 17:24 (UTC)
(インデント戻します)横からですが、上でTam0031さんと同様の趣旨の発言をしたものとして一言。 もし、曖昧さ回避が同名対象の識別のためだけなら、限定子は (1)、(2) などで十分です。はあまりに極論ではないでしょうか。曖昧さ回避なのですから記事名である程度、内容が区別できることは必要です。しかし逆に言えばある程度内容が区別さえできれば曖昧さ回避としての役目は果たすのではないでしょうか。言い換えれば、限定子として、数字は「不合格」、(茨城県)(筑波鉄道筑波線)はともに「合格」ということです(この意味では、上で反例としてあがっていた(関東)も「合格」かもしれません)。そして同じ「合格」のなかでどれを選ぶかということが前提で、議論がなされているのではと思いますが。わたしは「曖昧さの低さ」はひとつの基準ではあるとは思いますが、上記の通りそれが一定のレベルを満たしていればその役目はすでに果たされていると考えるので、他の基準より優先されるべきものとは思えません。あと、Tam0031さんの「曖昧さ回避の必要性のない記事にまで…」は「一律付与」に反応したのではなく、「より限定する」ことは記事名ではなく本文の役割では、ということを示す例に挙げられたと読みとりましたが違いましたか?--るなあるてみす 2008年8月5日 (火) 22:04 (UTC)
適当な粒度が存在する、という主張をしているのであって、そこから極端に外れる例として数字を出しました。これは裏を返せば、識別できる、という条件だけでは粒度判定には不十分だ (粒子の重心だけで区別しても曖昧さ回避として不十分になりえる) ということです。論理を追っていただければ、適当な粒度について議論であることは読み取れるかと思います。その上で、粒度に関する議論に帰せないものを排除しようとしています。たとえば、「一定のレベルを満たしていればその役目はすでに果たされていると考える」根拠はなにか (そう考えることは限定子に何を期待して何を期待していないことになるか)、「その役目はすでに果たされていると考えるので、他の基準より優先されるべきものとは思えません」というのは何を前提としているのか、という点を明確にしようとしています。それを行わないと、「他が都道府県などだから」という消極的議論になってしまいます。そのあたりの展開がわかりにくいかもしれませんが、今一度論理を追っていただければ幸いです。--Jms 2008年8月5日 (火) 23:07 (UTC)
限定子が連番で十分という話になぜなるのか理解できません。それ以前の私の発言で、限定子の選択基準に編集上の都合を挙げていたはずです。編集上の都合であれば曖昧さ回避の方法に統一性があるのが望ましい、閲覧上の都合はあまり考慮しなくてもよい、だから従来の記事名に合わせて限定子を都道府県名にしよう、です。連番にするのは後者は問題なくても、前者に問題があるのは明らかです。連番では粒度の問題以前に、私の挙げた条件を満たしていないということをご理解いただけないでしょうか。
次に一律付与という部分への反応云々ですが、Jmsさんの航空機を例に上げたコメントへの反応ではありません。Jmsさんが粒度の細かい限定子に拘っておられるようなので、曖昧さ回避のない記事名ではそもそも無い情報なのに、何をそんなに拘っておられるのか、というだけの話です。別に限定子でそこまでの情報を与える必要は特に無いだろう、というだけのことです。
「他が都道府県などだから」というのが消極的議論とのことですが、これは最大の理由だと思いますよ。どの程度の粒度の限定子がよいかはさておき、都道府県名でも路線名でも私の前述した曖昧さ回避の役割(編集上の都合)を果たせるのは明らかです。そして、同一都道府県内に同一駅名が存在する実例(阪神尼崎駅とJR尼崎駅のように)がある一方で、同一路線に同一駅名が存在する実例はおそらくない(もしあれば教えてください)ので、機能面では路線名を使う方が優れているでしょう。粒度が細かいのも路線名でしょう。それは、私のこのノートでの最初のコメントでも「他が路線名で統一されているのであればそれに賛同した」というところでも示してあると思います。しかし、現状で都道府県名が一般的に使われている以上は、先ほどの「編集上のメリット」を発揮するためには、そちらに合わせるしかない、ということです。逆にこれを路線名にするというのであれば、ウィキプロジェクトで路線名にするという合意を取って、ガイドラインに反映させ、既存の曖昧さ回避項目を順次改称していくという手間を掛けなければならないと思います。そうでなければ編集上のメリットが損なわれるからです。路線名は都道府県名に比して、そこまでしなければならないほどのメリットがあるとは考えません。ですので、もしJmsさんが全部その手間を引き受けてくださるというのであれば、私はそれに賛同します。ですが私は自分でそのような手間を掛けるつもりは毛頭無いので、Jmsさんがやってくださらないのであれば、あくまでこの項目も都道府県名にするべきだと考えます。--Tam0031 2008年8月6日 (水) 13:13 (UTC)
なぜ「坂田駅 (茨城県)」に強い抵抗感を覚えるのか、なぜ数字による識別や関東、東日本でもよかろうと連想してしまうのか、自分なりに見えてきたので説明します。まずは理解していただくことを目的とし、同意していただくことまでを期待しているわけではありません。こんな考え方もあるよ、という話です。もちろん同意が得られればなお良いですが。
もし、茨城県の坂田駅が全国規模の鉄道網、つまり旧国鉄の駅であったなら、「坂田駅 (茨城県)」に全く抵抗を感じません。茨城県だけでは茨城県のどのあたりか全くわかりませんが、その事が問題だとは思いません。一方、筑波鉄道の様に、茨城県に収まってしまう鉄道路線の駅について「坂田駅 (茨城県)」とするのには強い抵抗を覚えます。この違いは、限定子として用いる領域と、限定対象である存在の広がりとの大小関係に由来する違和感によります。筑波鉄道自体茨城県の中にしか存在しないのですから、筑波鉄道の駅について茨城県は限定子たり得ません。これが鉄道駅ではなく、複数ある坂田という地名についての記事の識別子であるなら疑問は持たないと思います。
ここで、識別子と限定子という言葉は意図的に使い分けています。たとえば数字による曖昧さ回避を行った場合、数字は識別子ですが限定子ではありません。数字が項目の基幹名 (曖昧さ回避の括弧の前置語句) に関して何ら意味情報をもたらさないので、識別には使えているが、意味内容の限定はできてないと考えるからです。この意味で、曖昧さ回避の括弧の中身は限定子であることが期待されていると考えています。但し、必須ではありません。
さて識別したいのは滋賀県にある坂田駅と茨城県にある坂田駅ですから、識別子としては茨城県で十分です。一方、筑波鉄道の駅の限定子としては、違和感を覚えるわけです。ここで問題になるのは、記事の識別だけを目標とするのか、記事の内容がわかった後でも使える限定子としての作用も期待するのか、ということです。わたくしは後者も実現できる方が望ましいと考え、その意味で茨城県という識別子に抵抗を感じています。記事にたどりつくまでは識別子でよいが、記事を理解したあとの意識操作対象としては限定子であるべきである、その意味で曖昧さ回避の括弧の中身は限定子であることが期待されているとわたくしは考えている様です。
もちろんどの程度の粒度がよいかというのはバランスの問題であり、なんでも細かければ良いというわけではありません。それなりの知名度を期待できる筑波を用意に連想させる筑波鉄道だから使える話です。一律に路線名にできるとも、都道府県名などの地域名にできるとも思いませんし、またすべきだとも思いません。路線ないし鉄道網の広がり次第だで適切な限定子は異なると思います。複数都道府県にまたがる鉄道網の駅なら都道府県等でよいでしょう (但しここでも地域名の粒度、茨城なのか関東なのか東日本なのか、はたまた土浦市ないし新治などなのか、という問題はあるのですが)。この意味で、ガイドライン的には、同一事業者等による路線網 (単一運賃体系と考えてよい) の広がりを指標としたものとすることが可能だと思います。複数路線網にかかわる駅については最大の広がりをもつ路線網で決めればよいでしょう。たとえば土浦駅と岩瀬駅については、筑波鉄道の駅ではなく国鉄の駅と考えるわけです。ガイドラインとして判断基準を明示できれば、理路上は限定子として都道府県等と路線名を混用しても運用可能だと思います。--Jms 2008年8月6日 (水) 14:18 (UTC) インデントレベル補正--Tam0031 2008年8月6日 (水) 14:30 (UTC)

(インデント戻し)Jmsさんの考えておられることを大体理解しました。ですが、それは鉄道網を事業者別に分断して考えてしまっていると思います。私にとってみれば、筑波鉄道の駅であろうと日本の鉄道網全体を構成するうちの1つであって、都道府県名レベルで曖昧さ回避をして何ら違和感はありません。筑波鉄道の中で曖昧さ回避をしようとしているわけではないからです。

なお、筑波という言葉がどこまで知名度を期待できるかは即断できない問題だと思います。私などは当たり前だと思ってしまいますが、市の名前が今ではひらがなになってしまっていることもあり、漢字の方は「そもそも読めない」という人がかなりいるように思います。まぁ、そういうことを言い出せば、都道府県名ですら地方の県名を知らない人が結構そこかしこにいて驚かされることもあるのですが…。--Tam0031 2008年8月6日 (水) 14:30 (UTC)

御理解いただけてなによりです。「鉄道網を事業者別に分断して考えてしまっている」というのはその通りです。わたくしは、記事を読んだ時点でその分断が読者の中で起こると考えています。そう考えるのは、冒頭の定義文がしばしば「○○駅は△△にある××線の駅である」であり、そこから路線単位でのカテゴライズが優先して行われると考えるからです。もし冒頭文が「○○駅は××線の△△にある駅である」であるならば優先カテゴリは地域ですが、両方の文を比べると前者がより日本語として適切だと思います。なお、この分断は、記事を読む前にも仮定できるとはいえないと思っています。その意味で、記事にたどりつくまでは識別子でもよいが、記事を読んだあとは限定子として使える識別子であるべき、と考えています。
筑波の知名度については前述の通りですが、その一方で都道府県名すら怪しい人がいるというのも事実だと思います。が、それはちょっと別の話でもあると思います。--Jms 2008年8月6日 (水) 15:15 (UTC)
読者にとって限定子に何らかの意味がある必要はない、という考えに変わりはありません。冒頭文も'''坂田駅 (茨城県)'''は -ではなく'''坂田駅'''は -ですから。--Tam0031 2008年8月7日 (木) 13:07 (UTC)
「読者にとって限定子に何らかの意味がある必要はない」というのは、数字でも良いということを含意しますし、それは識別子でしかないと思いますが、読者おかまいなしで書き手の都合だけで決めればよろしい、という主張だと理解してよろしいですか。冒頭文で「坂田駅 (茨城県)は」とすることは想定していません。冒頭文の構造が「○○駅は…××線の駅である」となっていることを言っているのです。--Jms 2008年8月7日 (木) 13:18 (UTC)
ですから、ちゃんと私の主張のこれまでの経緯を見てください。数字で駄目な理由はちゃんと説明してあるはずです。書き手の都合だけで決めるべき、読者にとって重要なものではない、が主張です。曖昧さ回避のない記事であれば、どのような記事名が読者にとって一番分かりやすいかを検討します。それは検索ボックスに直接記入して「表示」ボタンを押す人もいるだろうからです。しかし曖昧さ回避が付いた時点で、どのような限定子が付いているかを予想して的確に入力してくる人はまずいないであろうと考えています。曖昧さ回避のついたリダイレクトを作成しない方針になっていることも考えてください。曖昧さ回避のついた記事名を入力してくる人がいると予想されているのであれば、様々な限定子に対してリダイレクトを設定してよいはずです。そうではないのは、やはり「坂田駅」とだけ入力して滋賀県の坂田駅の記事を見て、そこからotheruseで飛んでくるという流れを想定しているからのはずです。であれば、どんな限定子が付いていようと読者にとっては関係ないはずです。「読者にとって限定子に何らかの意味がある必要はない、という考えに変わりはありません」というのはそういうことです。同じことを何度も説明させないでください。--Tam0031 2008年8月7日 (木) 13:57 (UTC)
同じ事を繰り返し確認しているのは、「読者にとって限定子に何らかの意味がある必要はない」という主張が、WP:DABに合致しないものに思えるからです。その主張は、WP:DABに含まれる読者という語を含む文について書き換えるべきだという主張と等価であり、それは現在のウィキペディアのコンセンサスとはあまりにかけはなれているのではないかと思います。それゆえ、おっしゃっていることがその含意も含めて述べられているのか確認しているのです。数字が駄目なら、それは何らかの意味を求めているのであり、その意味性を書き手のみに許容し読者を排除するのはダブルスタンダードではないかと思うのです。書き手もまた読者ではないでしょうか。--Jms 2008年8月7日 (木) 14:55 (UTC)
Jmsさんの主張を容れて、読者のことをも考慮して限定子を検討するとしても、それに編集者の都合を上回るほどのメリットはないと考えます。他との不統一のデメリットの方が大きいと考えます。粒度の問題とおっしゃっておられるのですから、それがどうしても重要であるはずはないですね。そうであればよい、その程度です。であれば、現状の付け方が統一されているというメリットを捨てる必要性はありません。どうしても変えるのなら、ガイドラインを作って全部に改名処理をしていく手間をJmsさんがしていただくこと、これを要求したいと思います。--Tam0031 2008年8月7日 (木) 15:26 (UTC)
「これを要求したいと思います」といわれましても、Wikipedia:ウィキプロジェクト 鉄道#駅記事名に都道府県とあるわけではないので、ガイドラインについては対称 (都道府県などにするにしてもガイドラインにそう明記する必要がある) です。また、わたくしの主張は「個別判断すべきだ」なのですから、 全部改名の必要性もありません。全部改名せよ、というのは、個別判断するな、という主張ではありませんか。わたしが述べているのは、適当な粒度を決める基準を決めればよいでしょう、ということです。その結果がたまたまどの駅についても都道府県になるような基準のつくりかたもまた可能でしょう。--Jms 2008年8月7日 (木) 15:54 (UTC)
それでは、結局賛同者が多い都道府県名にするという以外に方法はないのでは? 私の主張は「個別判断すべきではない(統一性を重視すべき)」なのですから、結局相容れることはありません。これ以上議論しても合意に至らないでしょうから、Jmsさんが好まれない方法であることは知っていつつも、Wikipedia的な意味の投票というか、多数決のようなものにせざるをえないでしょう。それであれば、既に5人の賛同者がついて、反論しているのはJmsさんだけであるというのは客観的な事実です。--Tam0031 2008年8月7日 (木) 16:12 (UTC)

(インデント戻します)さて、提起から1週間ほど経ちまして、賛成5、反対1なっております。概ね賛意を得られたと判断してよろしいかと思います。--Star-dust 2008年8月7日 (木) 14:17 (UTC)

上のほうで改名賛成よりの立場でいたIPです。それは、ここで議論を打ち切りたいという意味ですか?でしたら反対します。確かにこういう議論の場で、他の方から見て既に明らかに破綻しているのにごねている、という人がいる場合、このようにして打ち切るのは適切だと思うのですが、Jmsさんの議論は、私とは立場が逆ですが、議論の破綻は見られません。むしろ、改名賛成側のほうが非論理的な議論に終始してしまっている気がします。私はなんとかしてJmsさんに対する説得力のある発言ができないかと考えていたのですが、なかなかうまくまとまらないので黙っていました。ここで打ち切って改名してしまうのは、いわゆる数の横暴であり、禍根を残すのではないかと思います。
ですが、そろそろ個別記事のノートではなくどっか別のところに持って行ったほうがいいかもしれません。ちょっと埒が明かない感じですね。--118.8.159.163 2008年8月7日 (木) 23:03 (UTC)
1週間を目途にと上記にありましたので書いた次第であります。個人的には当該記事の本質的な議論から外れていると思っており、PJレベルですべき話をここで延々続けるのは非常にナンセンスです。また、他に賛成者がいないというのもある意味、1つの結果として考慮すべき点ではないかとも思います。自説・自論に拘ることこそ禍根を残す大きな要因になり得るのではないでしょうか。--Star-dust 2008年8月8日 (金) 02:12 (UTC)
1 週間というのは、1 週間で異論がなければ改名してよい、ということであって、異論があった場合にまで 1 週間で改名するかどうかを決めなければならないわけではありません。もし統一性を重視するなら、この個別記事での議論ではなく、この改名提案はこのまま保留として、Wikipedia:ウィキプロジェクト 鉄道#駅記事名で統一的方針を決めてからそれに従うべきでしょう。そうせずに、この改名提案での個別議論だけで済ませるのは、統一性を重視するというスタンスとは矛盾します。他に賛成者がいない、という一種の多数決はは好みのレベルの差違ならあるいは妥当かもしれませんが、現在行われている議論はそういうレベルではないと思います。「自説・自論に拘る」ととられているとしたら、おそらくわたくしの主張している内容が理解 (同意ではなく、理解) されていないということだと思いますが、もしそうだとしたら、理解せずに「自説・自論に拘る」とされるのは甚だ遺憾です。--Jms 2008年8月8日 (金) 11:32 (UTC)
個人的には、これは好みの問題だと思います。IPさんは、「改名賛成側のほうが非論理的な議論に終始」とのことですが、それならどの点がそうなのかを具体的に指摘していただきたいです。私としては、どちらの側もきちんと論理的に議論しているが、結局のところ好みの問題に突き当たっているので議論で合意を得るのが困難である、という認識です。Jmsさんは、適度な粒度が重要であるという認識で、それに対して私は編集上の都合が重要であるという認識ですから。好みの不等号の向きが逆なのです。--Tam0031 2008年8月8日 (金) 12:34 (UTC)
なるほど、好みの問題であると考えているか、何らかの合理的基準を定められると考えているか、という、よりメタな立脚点の違いがあるわけですね。それでは議論が噛み合う筈がありません、どうしたものでしょう。好みの問題でしかないのなら、Wikipedia:ウィキプロジェクト 鉄道#駅記事名は何の役にも立ちません。なお、「何らかの合理的基準を定められる」というのは、定めた結果として、一律都道府県などとなることを排除して考えてはいません。--Jms 2008年8月8日 (金) 15:21 (UTC)
違うと思います。どのような基準を合理的とみなすかに「好みの差」があるので、双方の考える合理的基準が異なっている、ということです。合理的基準なるものが万人に普遍の統一基準として存在するわけではありません。話し合いを続けたからといって必ず基準の差が埋まるわけでもありません。何をよいものと考えるか、という根源的なところで、どうしても選好基準が人によって異なるからです。例えて言えば、数学において公準の定め方が異なるためにユークリッド幾何学とリーマン幾何学が存在するようなものです。ユークリッド幾何学とリーマン幾何学の言っている事は、お互いに異なっていますが、どちらかが正しくてどちらかが間違っているわけではありません。この差を埋めるためには、どちらかの公準が正しい、または間違っていることを証明するしかありませんが、それはできないことでしょう。議論においても、公準に相当するようなその人の価値観に帰着される問題があって、それ以上は合理的基準の差のすりあわせができない、というところが存在すると思います。そして、Jmsさんとの議論において私はそのような「公準の差」を感じたので、これ以上は議論をしても無理だろう、好みの問題、と言ったのです。これ以上詰めていくなら、粒度が重要なのか、編集上の都合が重要なのかを議論していく他ありませんが、それについてこれ以上の論点があるのでしょうか? 私は、たまたま筑波鉄道が茨城県内のみの鉄道会社であったからといって全国の鉄道網を事業者ごとに分断して考えるのはおかしいと思っていますし、Jmsさんは読者のことを考えた限定子をつけるべきと思っています。こうしたことに対して何らかの合理的な議論ですり合わせが行えるとは思いません。行えると思うのなら、そうした点に対する新たな論点を提起していただきたいです。--Tam0031 2008年8月8日 (金) 16:23 (UTC)
「好み」というのを、「茨城県が良い」「筑波鉄道が良い」どまりの主張として理解していました。判断基準の前提の取捨選択においては、百科事典構築という前提をもとに、合理的判断 (判断基準の優先順位の設定) が可能であると考えています。「公準の差」を明らかにした上で、どの基準をどういう順序で用いるとどうなるか、という検討をし、その百科事典構築における妥当性に基づいてどの判断基準系を採用するか、という議論を想定しています。ユークリッド幾何学とリーマン幾何学のたとえでいうなら、我々が対称として百科事典空間を扱うのにどちらの幾何学がより適切かを判断したうえで、適切な方の公理系を前提として採用しましょう、ということです。それを、「ユークリッド幾何学とリーマン幾何学は違うものなのだから議論しても無駄」とおっしゃっている様に思えますが、それこそ「どちらかが正しくてどちらかが間違っているわけではありません」なのに「この差を埋めるためには、どちらかの公準が正しい、または間違っていることを証明」しようとして、それができないからと好みの差だと言ってしまっているのではありませんか。そもそも「どちらかが正しくてどちらかが間違っているわけでは」ないのですから、「この差を埋めるためには」と、どちらかが正しいかを判断しようとするのがおかしいわけです。
メタな議論はさておき、「たまたま筑波鉄道が茨城県内のみの鉄道会社であったからといって全国の鉄道網を事業者ごとに分断して考えるのはおかしい」というのは、一律基準たるべしという意味だと思いますが、判断基準が一律であるだけでは不十分なのでしょうか。基準の適用に曖昧さがなければ (その判断基準の体系が運用困難なほど複雑でない限り) 統一性という観点からの問題は存在しないと考えているのですが。ここでいう判断基準とは、「○○の場合は××とし、△△の場合は□□、それ以外はしかじかとする」といった類です。--Jms 2008年8月8日 (金) 17:40 (UTC)

(インデント戻し)いえ、ユークリッド幾何学とリーマン幾何学であれば、長年数学者の方々が研究を重ねてきたことですのでいまさらどちらかが正しいとかその差がうまるといったことはないでしょう。しかし、今回のどちらが曖昧さ回避の限定子として正しいかという議論は、双方が異なる基準に立っているということ自体が当初は自明ではありませんでした。したがって、議論をすれば双方のよい点、悪い点が明らかになり、それによって双方に合意できる合理的な基準がみつかるかもしれないとの希望で議論を行ったわけです。それが、議論を進めてきてどうも双方の基準が根本的に異なっているのではないかとの感触を得るにいたり、これ以上の議論は意味がないのでは、との話になったわけです。したがって、当初どちらかが正しいかもしれないとの前提で議論を行ったのはおかしくはないと思います。

後半の部分について、限定子の決定が一律基準であればなんら問題はありません。都道府県名にこだわっていないのは、私が最初から「路線名で統一されていたらその方が望ましかった」旨表明している通りです。しかし、他の記事名は変更を要しないのに、この記事だけ「坂田駅 (筑波鉄道筑波線)」が妥当とされるような限定子決定基準でそれなりにまともなものはおそらく存在しないでしょう。Jmsさんが前に言っておられた、単一の都道府県内のみを営業する鉄道なのに、というところを捉えれば、例えば営業路線の全てが長崎県に含まれる島原鉄道の大正駅 (長崎県)なども「大正駅 (島原鉄道島原鉄道線)」になるはずなのです。であれば、基準を制定するのであればそれに基づいて該当する既存記事名の変更の手間を払っていただけますか? ということがこれまで言ってきたことです。新しく作られる記事にのみ適用、となってしまうと、それは統一されていないのと同じです。不統一の発生には強く反対しますし、わざわざ全部改名する手間も嫌だから、今までに合わせましょう、というのが私の主張なのです。

Jmsさんがどのような限定子設定基準を考えておられるのか、暫定的な案でもよいので示してみてはいかがでしょうか。--Tam0031 2008年8月9日 (土) 14:39 (UTC)

双方のよい点、悪い点が明らかになり、というのはわたくしも期待しているところですが、都道府県名の「よい点」というのは何なのでしょうか。統一性というのはたまたま他が都道府県だからであって、それは「都道府県が」ではなく「他記事と同じ方が」でしょう。その意味では、そもそも双方の得失を比較する議論になっていないのではないでしょうか。
既存記事の変更は、必要ならば徐々に行えばいずれは済むことでしょう。「それをお前がやるのか」というのは、議論のスタンスとしてはどうかと思います。「はいわたしくがやります」と言ったところで、いざ実行段階になったらわたくしが事故死することだってあるでしょう。「必要のない作業が発生するから反対」というのならまだわかりますが、「それをお前がやるのか」というのは、相手を萎縮させる論法でしょう。
限定子案については、議論するとすれば、「ウィキプロジェクト 鉄道」のノートが適当だと思います。現状での多数決案が出ていますから、多数決を通すなら場所を変えて議論しても無駄といえば無駄ですし、またわたくしについてガイドラインの制定作業には向かないという指摘もあるので、躊躇しない部分がないではありません。--Jms 2008年8月9日 (土) 15:20 (UTC)
「都道府県が」ではなく「他記事と同じ方が」であるのは何度も言及している通りです。得失というのならば、他記事と同じにする方法は改名の手間が掛かりませんし、新たな基準を制定する方式では基準は明確ですが改名の手間が掛かる、ということです。得失の比較は可能です。
記事名の変更はもちろん、徐々に行うのであっても構いません。到底一度にできるとは考えていません。相手を萎縮させる論法といいますが、そうは考えません。むしろ、Jmsさんへの妥協を示していると考えています。「必要のない作業が発生するから反対」と言えばそこでJmsさんの提案を拒否して終わってしまうからです。実際の改名の作業は多くの人の手を借りることになるでしょうし、それに多少なりとも自分も協力することにはなるでしょう。しかし、その作業が必要になる提案を出した本人が、自分は全くやる気がありませんというのでは納得できかねます。少なくとも自分ができる範囲では主体的にやるという意思を示してもらわねば、賛成しかねるのです。事故死云々のような不可抗力の話を持ち出しても仕方ないでしょう。できる範囲でやる、という意思を示すかどうかの話です。やるという意思を示さずに、この記事だけ例外のような状態にしてしまって不統一と混乱を招くようなことはやめていただきたいです。
ウィキプロジェクトでの議論についても、自分が議論を起こして適切な限定子の基準を作るのだという意思でやってもらわねば困ります。「躊躇しない部分がないではありません」などと言われても、じゃあどうしたいのかという話です。他人に「制定作業には向かない」と言われようと何しようと、この議論に関わって自分の考えている理想とする限定子の基準を作って適用したいのであればきっちりその作業を始めて進めていくべきですし、その作業の手間を払うつもりがない、もうガイドラインの制定作業に関わるつもりがないというのであれば、もうこの件からは手を引くべきです。着実に作業を進めていくつもりがないのに、この記事のノートで議論だけしていても、何も決まりません。Jmsさん、あなたは何をしたいのですか? この記事の「坂田駅 (茨城県)」への改名を認めて駅名の曖昧さ回避における都道府県名基準を認めるのですか? それともウィキプロジェクトでの議論を始めますか? それ以外では、単にぐだぐだしたWikipediaの発展に貢献しない議論が続いていくだけだと思います。--Tam0031 2008年8月9日 (土) 16:12 (UTC)
何をしたいか。適切な限定子が曖昧さ回避に用いられる様にしたい。何が適切かは可能な限り合理的基準により、その基準は「ウィキプロジェクト 鉄道」での議論を通じて確立したい。その上で、必要があれば徐々に改名をすすめ、改名の過程で合理的基準と思われた物に問題があれば都度基準の見直しを行う。「お前がやるのか」という議論は、当該議論が行われたとして、そこで適切とされる限定子が改名を伴なうものと判断された場合に限り「で、本当にこれやるわけ?」と検討すべきであって、何が適切であるかという議論をする前に「お前がやるのか」を問うのはやはり何が適切であるかの議論を萎縮させる展開であると考えます。
現状は「坂田駅 (筑波鉄道筑波線)」の改名に関するStar-dust さんの多数決判断? に関する反応待ちです。わたくしとしては「坂田駅 (筑波鉄道筑波線)」の改名は保留とし、「ウィキプロジェクト 鉄道」で議論すべきと考えているというのは 2008年8月8日 (金) 11:32 (UTC) に書いたとおりです。Tam0031 さんはこの「すべき」というのが評論家の「すべき」かもしれないとお考えなのかもしれません。--Jms 2008年8月9日 (土) 16:34 (UTC)
私の判断?なんてものはすでに申し上げた通りです。ある意見について、それが望ましいとするならば賛成する方が出てくるでしょう。現状はどうでしょうか。このまま続けていくことで解決できるとは到底思えなかったので、1週間の時点で横槍を入れています。
今の時点のやり方で改名するのは賛成している方がいらっしゃる訳ですから特に問題がないでしょう。もしそのやり方がおかしいと思うならば、それなりの場所で議論し、纏まったところで行うべきで、そのやり方が間違いなく変わるとは言い切れない状態で、それを見越して改名を中止するのは本末転倒ではないでしょうか。--Star-dust 2008年8月10日 (日) 01:52 (UTC)
それは、Wikipedia:ページの改名#改名前にすべきことや、草案ではありますがWikipedia:合意形成とは整合しない気がしますが。--Jms 2008年8月10日 (日) 02:00 (UTC)

(インデント戻します。) (コメント)思いっきり横槍ですが、「筑波鉄道」とあった場合、鉄道に詳しくない人だと、「つくばエクスプレス」を想像する可能性が結構ありそうな気がしますし、茨城県でいいように思われますが・・・--けぃ 2008年8月13日 (水) 07:30 (UTC)


こんにちは。なんだかこじれてしまっているようですね。記事名に関する議論にはあまり関わらない主義なのですが、ひとつ思うところがありますので、書いておきます。現状の駅記事における曖昧さ回避のデファクトスタンダードは、

  • 原則として都道府県名
    • 同一都道府県に同名駅がある場合は、市町村名まで
      • 同一市町村に同名駅がある場合は、事業者名

このような段階を踏んでいますよね。このデファクトスタンダードについて、私はわかりやすくて気に入っています。なぜならば、

○○駅 (○○県)
「なるほど、同じ駅名がよその県にあるんだな」
○○駅 (○○県○○市)
「市町村まで書いてあるってことは、県内に同じ駅名があるのか」
○○駅 (○○鉄道)
「ふむふむ。同じ町の違う場所に、会社が違う駅があるんだな」

これらのことが記事名で判別できるからです。これに照らして本件を考えますと「坂田駅が筑波周辺にほかにもあるのだろうか?」といった感覚を持ってしまいます。

ガイドラインこそ明確ではないものの、日本の駅記事はほぼ網羅されており、かつこのデファクトスタンダードに倣ったものが大半でしょう。わかりやすさをとって、改名賛成としておきます。--ikaxer 2008年8月10日 (日) 01:16 (UTC)

そのロジックに従えば、この議論の本質は、ある駅の記事について、同名の駅がいくつどう分布しているか、という情報と、その記事が何に関する記事であるかという情報、どちらが曖昧さ回避においてより優先されるべきか、という議論だということになります。上記体系を根底から覆すつもりはありませんが、それが「わかりやすい」というのは、その体系を前提として情報を整理しようとしているからであって、論点先取だと思います。筑波 (あるいは島原) といったある程度の知名度を有する場合に例外的に扱うというのは、上記体系と整合させつつ、その記事が何に関する記事であるかという情報を持たせようという提案です。--Jms 2008年8月10日 (日) 01:52 (UTC)
(一応コメント)コメントありがとうございます。先に申し上げたとおり、私としては記事名に関して深い議論をするつもりはありません。とりわけ曖昧さ回避については、絶対というものはないでしょう。ただ、こういう観点もある、ということをお伝えしたかっただけです。
また、論点先取とのことですが、慣例として積み重なってきたものにメリットがあれば、それをむげに扱うことはできないでしょう。たかだか曖昧さ回避の中身ですから、議論でリソースを消耗するより、長いものに巻かれてもよろしいかと思いますが。それでは失礼します。--ikaxer 2008年8月10日 (日) 06:06 (UTC)
確立しているなら明文化した方がよかろうと、まずは明文化の是非を問うてみました。--Jms 2008年8月10日 (日) 11:08 (UTC)

Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 鉄道/駅/異地域同名駅の曖昧さ回避で同名駅記事名についての規定について結論が出ました。それに従い、また下記理由により改名反対を撤回します。

  • 鉄道事業者、鉄道路線名による曖昧さ回避には地域名によるものに比べ一定の優位性があるものの、最上位は結局は国ごとの鉄道事業者等となり、地域によるものにもその意味で妥当性が認められること
  • 地域内事業者についての特例は、市営地下鉄等を考慮すれば影響範囲が広く、地方小鉄道に限定した規定は策定しづらいこと

反対撤回により即改名でも良いかと思いましたが、念のため様子をみます。--Jms 2008年9月29日 (月) 05:27 (UTC)