ノート:外典

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「カテゴリ:外典」について[編集]

「外典」というのは、ユダヤ教・キリスト教の正統派が、正典制定において、正典として認めなかった文書のことを云うのです。従って、この記事にあるように、正典としては採用しなかった文書として、外典のリストを並べるのは構いませんが(ただし、『ナグ・ハマディ写本』などに含まれる文書なども、見境無くリストすることは問題があります)、Category:外典については、このカテゴリを削除するか、または内容を限定すべきです。ウルガータにあって、プロテスタント聖書にないものを「外典」としてカテゴリ設定するというような使用法が妥当でしょう。キリスト教の内部での常識は必ずしも一般的な中立性を持つ訳ではないのです。

何故なら、『トマス福音書』とか『マリア福音書』がそうですが、これらは「グノーシス主義文書」であって、キリスト教側からは異端の外典でも、グノーシス主義側からは、別に外典でも何でもなく、これがグノーシス主義の特定の派の「聖典」「教典」であるのです。「異端」というものは、相対的な概念だということを、かなり昔にこの記事に記しました。「外典」というのは、あくまで、ユダヤ教やキリスト教の視点からの話で、例えば、『トマス福音書』なら、記事のなかで、キリスト教では「外典」とされている、というような記述は構わないと思いますが、カテゴリ設定には問題があるということです。(実は、「外典」以外にも、「Category:福音書」というものも、内容に注意が必要です。現在の「福音書」はキリスト教のサブカテゴリに位置するので、『トマス福音書』などを分類しては問題があります)。--Maris stella 2006年10月14日 (土) 20:11 (UTC)[返信]

第二正典を外典と呼ぶのは相応しいと思えません。また、ここで必要なのはこの「用語」は自称正統キリスト教の視点に立っている、それは好むと好まざるとに関わらず聖書学の常識としてそういうものなのだ、その伝統はwikipedia内のカテゴライズにも影響せざるを得ない、と宣言してしまう事だと思います。その意味で私は記事正統教義の文末のエクスキューズは大変優れたものだと思いますし(記事名が気に入らないのは当該ノートに記したとおりですが)、ステラさんの提唱するおそらく中立を意識した相対化は過剰で不自然かつ無用の混乱を招くと思います。LR 2006年10月15日 (日) 11:53 (UTC)[返信]

要検証タグについて[編集]

本文中の「プロテスタント」の記述中に[要検証]タグを貼付しました。「…この時、外典は正典と区別されていた。新約聖書記者も外典からは引用していない。」の箇所ですが、七十人訳聖書において正典と外典は明確に区別されていたのでしょうか?また、新約聖書の『ユダの手紙』では、外典とされる『エノク書』から引用されており、この記述は正確性に疑問があるのではないかと思います。--Lorettibarrend会話2017年1月14日 (土) 13:56 (UTC)[返信]