ノート:大彦命

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中立性のもとに消去される方へ[編集]

大彦と崇神の関係については、古事記の記載からすでに議論となっていることであり、特に新しい問題ではない。武埴安彦の乱と狭穂彦の乱の共通性も同様である。記紀の記述、とりわけ「欠史八代」に造作が多数含まれていることは周知の事実である。そのようななか、記紀の記載をそのまま記載するのではなく、その疑問あるいは真実への糸口を記載し、造作の可能性を示すことは、研究者としての義務であるだけでなく、Wikipedeiaのような客観性と真の意味で中立性を必要とする辞典類には必要である。 わが国においては、旧石器捏造事件で明らかになったように、考古学(歴史学も含め)における閉鎖性、非国際性が問題となっている。客観的、科学的議論が何ひとつ行われていないのである。貴兄の「中立性」というのは、わが国の考古学、歴史学の「中立性」であり、本来の「中立性」とは無縁のものとしか思えない。 にもかかわらず、今回記載した大彦への疑問()従来から出されていたものである)を「中立性」の名のもとで削除することは、旧石器捏造の加担と等しい行為と判断するものである。もし、やましい気持ちがなく、自らの主張が正しいというのであれば、別途議論させていただきたい。貴兄のE-mailを記載いただければ幸いである。(2006-08-11T14:46:48 125.14.135.3 さん)

125.14.135.3さんへ。ウィキペディアは新規学説を投稿する場ではありません。新しい説は学会など他の場へお願いします。また「新しい問題ではない」場合は、それが記載されている資料の提示をお願いします。ウィキペディアは百科事典ですので、基本方針に基づき、論文雑誌や一般著書などの「確かな、信頼できる客観的情報源」が提示できない情報は除去されても仕方が無いことになっております。どうかご理解ください。--miya 2006年8月11日 (金) 14:54 (UTC)[返信]

UTC様、コメントありがとうございます。ウィキペディアが百科事典であることは理解しています。しかし、ウィキペヂアのわが国の古代史の記載は、多くが記紀のままであり、それがあたかも事実であるかのような印象を与えています。記事によっては、意図的にそうしていると思われるものも幾つかあります(特にLaw soma様の意見にはそれを強く感じます)。ウィキペヂアの場合、通常の百科事典よりもより詳しい分、そのあたりは十分な配慮が必要と考えます(少なくとも紀年まで記すのは止めるべきです)。記紀の記載を事実と見なすのは、学会でも少数派のはずです。 ただ、問題は記紀の記載を誤りとするのは正しいとして、その全面否定、あるいは記紀の記載に一切もとづかない飛躍した論理は是正すべきと考えます。 このような全面否定や論理の飛躍は、あたかも実証主義のような衣をまといつつ、さまざまな事象から真実を形成していくという本来の科学的思考を放棄したものです。その科学的思考の放棄の一例は、わが国の古代は母系性であり、王統も母系的に考えるべきであるのに、考古学者あるいは大部分の歴史学者がその問題に触れることのないことです。ウィキペヂアにも、そのヒメ・ヒコ制の項目すらありません。それどころか、一部の考古学者は、例えば河内大塚山古墳を雄略陵、見瀬丸山古墳を欽明陵にしようというような、旧石器捏造と同様な非科学的なことが公然と行われているのです。 なぜそうなのか、歴史を正業にしている方に何度か聞いたことがあるのですが、そのような真実に迫るようなことは危険で述べられないと言います。ただ、それで良いと思っているわけではなく、学問としてもう少し自由に公表できるようになるべきだとの意見も耳にします。ITCさんも、恐らくそのことは十分承知されていると考えます。 さて、大彦と崇神の関係については、古事記崇神の条にある「個は山代の国なる我が庶兄、建波邇安の王の、邪き心を起せる表ならむ。伯父、軍を興して行かさね」の部分に記載されています。この部分、建波邇安は別の系譜記事から大彦の庶兄と読めますから、それを優先して考えれば、大彦が伯父の崇神に軍を興すように言ったことになります。該当部分については、古事記の解説書(例えば『新訂古事記』角川書店)のほとんどが、「我が庶兄」は「汝が庶兄」の書き間違いであるとしています。これまでの記紀優先(皇国史観)からすればそうなるのでしょう。この問題については、幾つかの書籍にも触れられており、またインターネットでも論じている人がいます。 大彦と崇神の関係のいずれが正しいか、という問題は、他の記紀その他の史料と比較して判断すべきでしょう。例えば、日本書紀の景行53年に、大彦の孫となる磐鹿六雁が出てきます。景行53年というのは、景行の晩年のときですから、常識的にみて磐鹿六雁の祖父大彦は、垂仁と同世代で、崇神の一代前というのは無理があります。埼玉稲荷山古墳出土の鉄剣銘文の大彦までの世代数も、それを裏付けます。大彦関係のほかの系図を見ても、このことは容易にわかります。 御真津姫が大彦の娘出ないことは、古事記に御真津姫を崇神の姉妹としていることからもうかがえます。これは、古代の母系的な王統を父系的に改めたことからくる矛盾というか、ほころびです。この時代の王統については、高群逸枝の『日本婚姻史』に母系的な2族婚であったことが記されています。垂仁と大彦の関係については、『記紀に邪馬台国を読む』(三一書房)に詳述されていま酢。一度ご覧になられるのがよいと思います。 平成18年8月13日7:00 hIRONAGA以上のコメントは、IP:125.14.135.3(会話/履歴/whois)氏が[2006年8月12日 (土) 22:10(UTC)]に投稿したものです(Law somaによる付記)

誤解を解いておいた方が良いと思いますので、HIRONAGAさんのご意見に対する私の考えとスタンスを明記しておきます。
まず、IP:133.188.5.31(会話/履歴/whois)氏とHIRONAGAさんは、同一人物ではないかと思っておりました。(理由はほぼ同じ項目に同様の趣旨の意見に基づく編集をしているから)ですので133.188.5.31氏のノートに書いた以下の文はお読みになっていると思っておりました。
「面白い見解で本当に惜しいんですが、特定の見解を事実のように記載しているのはWikipedia:中立的な観点の「意見は書くな」に違反します。申し訳ないのですが、表現について客観性を担保したうえで「そういう見解がある」という文章で投稿してください。」
一方、私の個人的な見解を述べさせて頂きますと、私は民俗学でいうところの「ヒメヒコ制」は、その行われた期間については慎重に考える必要があるとは思いますが、総論としては正しいと思っております。(考古学上からも母系制やヒメヒコ制が伺えるようです)また、記紀系譜が引き延ばし、男系化等の操作を受けているだろうとこも当然あり得ることだと考えております。私は自分の利用者ページにも書いてありますが、国家神道を必ずしも信奉するものではありません。同様に皇国史観にも盲従するものでもありません。なので記紀伝承全てを事実とは考えておりません。
但し、miyaさんも書いておりますように、「ウィキペディアは新規学説を投稿する場ではありません」。以前注意した方と同一人物と考えておりましたので、同様の編集について基本方針に基づき、「一旦」rvと明記した上で即削除してしまいました。133.188.5.31氏と別人でしたなら私の勇み足です。ここに陳謝いたします。
ところで、あなたは「貴兄の『中立性』というのは、わが国の考古学、歴史学の『中立性』であり、本来の『中立性』とは無縁のものとしか思えない。」と主張していますが、そのご意見の正当性とwikiの方針にいう中立性は抵触しません。要は書き方の問題です。例えば、「想定される実際の系譜」なり「近年の学説」なりの見出しをつけた上で、
「○○氏等の近時の学説では、記紀系譜には~~という問題点があることが指摘されており、その説に従えば、~~という結論になる。」
なり、
「歴史学界では~~が通説とされているが、民俗学上からは○○氏等により~~という問題点が指摘されており、その説では~~としている。」
という文章で投稿されるならば、wikiの中立性は担保されます。そうであったならば私も削除はしませんでした。疑問があっても「ノート」で議論しました。
HIRONAGAさんは少なくとも3ヶ月、もしかしたら9ヶ月(133.188.5.31氏と同一人物の場合)のwiki歴ですので、ご自分でwikiのルールをご理解頂けると考えて、基本方針に従っていない投稿について削除しておりましたが、先日私の利用者ページを勝手に編集されているのを発見し(私のノートに移動しておきました)wikiのルールを知らないまま投稿されている方だということが分かりました。老婆心ながら申し上げますと、どんな集団・社会でも、それなりのルールというものがありますので、いきなり人(私)を「記紀事実論者」のように見なして喧嘩を売るようなことをされても困ります(苦笑)。また、あなたがどのような方か知り得ないネット上では、メールアドレスの公表は控えさせて頂きます。二者間での議論をするつもりはありません。そのような議論をするために、wikiには、ここのような議論の場があるのですから。
なお、ご呈示の参考文献を拝見する限りでは、当該説は基本方針の「学術的な主題については、なるべくピアレビュー(査読)を経た情報源を用いるべきです。また、主張する内容に応じて適切な情報源を選ぶべきです(珍奇な主張には強固な情報源が必要です)。」に照らして多少問題があるように思いますので、先述しました見出しについては「異説」程度が妥当なのかなという気がいたしております。
いずれにいたしましても、記紀神話を歴史上の事実と考えるような非科学的な議論にも、反対に全部ねつ造とする極端な意見にも賛同できないという点では私もHIRONAGAさんも同様と思われますので、様々な文献をご自分で渉猟されて中立的な表現で投稿されることを期待しております。--ろう(Law soma) 2006年8月15日 (火) 01:34 (UTC)--ろう(Law soma) 2006年8月21日 (月) 01:55 (UTC)一部追記[返信]
10日近くなりますけど、IP:125.14.135.3(会話/履歴/whois)氏=HIRONAGA氏からもIP:133.188.5.31(会話/履歴/whois)氏からもご返事がありませんね。履歴を拝見すると編集はしているみたいですが、やはりwpの基本ルールや使用法をよく存じ上げない方なのでしょう。--ろう(Law soma) 2006年8月24日 (木) 08:17 (UTC)[返信]