ノート:大日本言論報国会

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理事の「斉藤劉」という人物について[編集]

保阪正康の著書で、清沢洌 『暗黒日記』(1944年7月19日)が引用されている部分に、「例によって『誓い』や『決意』を語るのは徳富蘇峰、斎藤瀏、尾崎士郎といった連中である」という記述があります[1]。言論人として戦意高揚に参加した人物であれば、この「斉藤劉」は斎藤瀏の誤りではないかと考えますが、いかがでしょうか。--Alexander Poskrebyshev会話2015年10月19日 (月) 18:24 (UTC)[返信]

追記ですが、『暗黒日記』におけるページ数も提示しておきます[2][3]。「斉藤劉」部分の出典は新聞記事ということですが、元の記事が誤っているか引用の際に誤記を行ったと判断するべきかと思います。項目については他に加筆することもあり、現時点では自分は手をつけません。もし他に編集する方がおられましたら、このノートの出典を流用してくださってかまいません。--Alexander Poskrebyshev会話2016年2月18日 (木) 16:49 (UTC)[返信]
別出典(「一枚の紙は一個の弾 言論報国会、力強く発足」『大阪毎日新聞』1942年12月24日付夕刊1面、『新聞集成 昭和編年史 十七年度版IV』新聞資料出版、1994年、714-715頁、所収)で確認しましたが、斎藤瀏を引用時に誤写したものと見なして差し支えないと思います。修正しました。--Sorafumi会話2016年10月30日 (日) 15:53 (UTC)[返信]
よく見直したら「斉藤尚」も間違いですね(正しくは斎藤晌)。--Sorafumi会話2016年10月30日 (日) 16:04 (UTC)[返信]
あらためて『読売新聞』1942年12月24日付夕刊1面を確認しましたが、やはり原文は「齋藤瀏」「齋藤晌」でした。--Sorafumi会話2016年11月5日 (土) 10:24 (UTC)[返信]

  1. ^ 保阪正康 『大本営発表という権力』 講談社文庫 [ほ-10-14] ISBN 978-4062761345、134p
  2. ^ 清沢洌 橋川文三編 『暗黒日記 2』 ちくま学芸文庫 [キ-11-2] ISBN 4480087125、293p
  3. ^ 清沢洌 山本義彦編 『暗黒日記 1942-1945岩波文庫 青178-1 ISBN 4003317815、209p