ノート:大正デモクラシー

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「政治的には政党内閣制の慣例化や普通選挙法の成立を生むなど、日本が民主的な国家に移行する起点となった。」

の一文ですが、私自身は違和感を感じます。特に「移行する起点となった」の部分。一般的に日本が民主的な国家になったのは第二次大戦後と考えられるのではないでしょうか。だとすると、大正デモクラシーの時代とは戦争や新憲法といった断絶があり、「移行」とは言えない気がします。大正デモクラシーと日本の民主化とを結びつけるのなら、政党制内閣の慣例化や普選法といった制度的な面よりも、思想そのもので論じた方がいいのではないかと思うのですが…。--くにゃこ 2006年6月11日 (日) 01:57 (UTC)[返信]

現在の日本のみを基準にして、大正デモクラシー当時の日本が民主的な国家でなかった、と断じるのは問題があるでしょう。当時は当時のやり方で民本主義との試みが成された訳です。それはくにゃこさんが仰有るような制度面以外にも、当時の思想面にも影響を及ぼしています。言わば大正デモクラシーは、戦後の日本に至る「地盤」となったのです。その「地盤」面については、当項目でもっと語られる必要があるのは言うまでもありません。
昭和期に軍勢力の台頭を受け、民本主義は「断絶」ではなく「後退」しただけと言えないでしょうか。国家総動員法大政翼賛会までに宮脇長吉斎藤隆夫等の抵抗があったのは、例外なのでしょうか。
ただ、戦後の諸制度が殆どアメリカから直輸入されたという意味で、大正デモクラシーと戦後は「断絶」していると言えなくもありません。しかしそれは結果論であって、大正デモクラシーが多少なりとも思想的な「受け皿」とはなった、と私は考えます。 Bakkai 2006年6月22日 (木) 13:00 (UTC)[返信]
反応ありがとうございます。確かに戦後社会のみを民主的なものと捉えていたという点では、見方が狭かったと反省しています。ご指摘ありがとうございます。特に、思想的に日本の民主化の地盤となったという点についてはその通りだと思います。
そこで教えて頂きたいのですが、一般的に、もしくは研究者の間では、例えば、この時期成立した男子普通選挙制度が、戦後に男女普通選挙制度に発展したと考えられているものなのでしょうか。私の素人考えでは、両者にはやはり断絶があるように思えます。(政党制内閣は、確かに大正デモクラシーに源流があるのかも知れないと考えるようになりましたが。)
その上で、私が気になったのは、最初に私が引用した記述が制度について述べているように思えるという点です。「政治的には」で始まる文章なので、「日本が民主的な国家に移行する起点となった。」の文の主語が、大正デモクラシーの総体というよりも、結果として生み出され政治制度のように受け取れてしまうのです。(少なくとも私には。)
こうなると言葉尻の問題なのかも知れませんが、“移行”と“起点”という言葉に引っかかります。「日本の民主主義の基盤となった。」であれば、それ程の引っかかりを感じません。つまり、今の文章だと、制度的連続性があるように思えるけれど、それは果たして妥当性があるのだろうかということです。
すいません、自分の疑問を解消するための問いかけのようになってしまいましたが、私の考えはこのような感じです。--くにゃこ 2006年6月23日 (金) 15:07 (UTC)[返信]
確かに「政治的には…」は、「制度的には…」と読み替えても、さほど違和感がありませんね。制度的連続性については、難しいところでしょう。
これは想像ですが、この箇所を加筆された方(あくまで私の推測ですので、ここでは投稿者名をリンクしません)は「政治的」という言葉を、「文化的」の対義語と設定して書かれたのではないでしょうか。つまり阪神間モダニズムや当時で言う「モボ」「モガ」などを「文化的/思想的な大正デモクラシー」とし、一方で社会制度面での変革を「政治的(な大正デモクラシー)」と表現されたのでは?
くにゃこさんの解釈される「政治的」とで齟齬があるとすれば、そういったことではないか、と感じました。
男子普通選挙制度については、不勉強ながら私が学んだ見解を。当時の世界では、選挙権が民主主義における国民の政治的権利の頂点にある一方、兵役が国民の政治的義務の頂点に位置付けられていました。現在は二度の世界大戦や冷戦を経て、必ずしも兵役が国民最高の義務とはされなくなっていますが、当時は「投票させてもらえるからには、国防の一端を担わなくてはならない」との考えが、各国では一般的だったのです(現代への風潮の変化は、ヴェトナム戦争のようにゲリラ戦に対応できないこと、また大量破壊兵器が著しく進化し、歩兵の数だけでは戦争がどうにもならなくなったことも背景にあるでしょう)。
そこで兵役ですが、男女皆兵のイスラエル等を除き、通常女性は徴兵されません。「国防を担わない者には、対極の権利である選挙権を与えられない」との考えから、女性への選挙権付与は遅れました。「民主的」と言われるスイスで女性の政治参加が1971年まで認められなかったのも、武装中立国たる同国において女性が「国民の義務を果たしていない」とされたからです。
日本に話を戻しますと、戦前(普選制前後)と戦後の選挙制度を比較する場合、「財産の多寡によって選挙権を左右されない」という点では、私はやはり戦後にも戦前の選挙制度の影響は多少なりともあった、と考えます。ただ戦後の選挙制度制定は、終戦直後の進駐軍統制下で成されたこともあり、先に述べた「兵役の義務」とのしがらみから自由であったからこそ男女選挙権が実現した、とも言えます。スイスの例のように、先進国でも第二次大戦後に至るも男子に限って選挙権を認めた国は少なくなく、戦前の日本が特に閉鎖的だった訳ではないのです。
断片的な知識で申し訳ありませんが、私の見聞きした範囲では以上のような背景がある、とのことです。くにゃこさんの疑問点を晴らすには、当該箇所の投稿者に直接お聞きになるのが早道かも知れません。 Bakkai 2006年6月26日 (月) 16:39 (UTC)/2006年6月27日一部修正[返信]

議論となっている部分を執筆した十詩子です。概ねBakkaiさんの意見に同意します。たしかに日本で普通選挙が実現した後に一時民主主義は後退しましたが、その間も議会は存在し続け、また普通選挙という制度には変化がなかったことから大正デモクラシーが日本の民主主義の基点であったと考えます(ただしそれ以前の自由民権運動を重視する意見もあります)--十詩子 2006年6月27日 (火) 08:51 (UTC)[返信]

Bakkaiさん、ご丁寧なお返事有りがとうございます。十詩子さん、突然のお願いにもかかわらず素早いお返事ありがとうございます。
お2人のご意見を読ませて頂き、Bakkaiさんは制度的連続性については「難しい」、十詩子さんは議会の存続や普通選挙の継続から、制度的連続性もあったとお考えだということでよろしいでしょうか。
私自身はやはり、制度に連続性があると考えるのは難しいと考えます。
制度を支えたり、受け入れたりする基盤である所の(政治)思想についての連続性は、勿論あると思いますが。
ただ、これ以上「大正デモクラシーとは何ものであったのか」について議論を重ねる前に、自分で少し勉強する必要があるかと思いますし、何よりもこの場はあくまでも百科事典の項目の内容について検討する場なので(自分に言い聞かせています)、私の考えを述べるのは止めることにします。
その代わり、本文の書き換えの案を示しますので、ご検討いただければありがたく思います。
政治的には政党内閣制の慣例化や普通選挙法の成立を生んだ。(中略)
しかし、大正デモクラシーは、戦後民主主義を形成する遺産として大きな意味を持った、と指摘する論者もE.O.ライシャワーをはじめ数多い。昭和期にはいると軍部の台頭により日本の民主主義は後退するが、大正デモクラシーの思想は受け継がれ、日本が民主的な国家に移行する起点となった。
それから、私が6月23日(金)に述べた中で、戦前の普選制と戦後の普選制には断絶があるように思う、という部分については、誤解を招く書き方であったかなと思いますので、意図する所を書かせて頂きます。
私がズバリ疑問に思ったのは、極端なことを言えば、「戦前に普選制が敷かれていなかったとしたら、戦後の普選制もなかったのかどうか?」ということです。“納税額15円以上の男子”に始まり、“25歳以上の男子全員”に至る戦前の選挙権の拡大は、階段を1段ずつ上るような、あるいは1個ずつ積み木を積み上げていくような、前段階を踏まえて次の段階があるという連続性を持つと思います。では、1945年施行の“20歳以上の男女”という要件は、“25歳以上の男子全員”と同じ階段上の次の段なのか。上に積んだ次の積み木なのか。私はそうではないのではないかと思ったわけですが…。
女性の参政権については軒並み第二次大戦後のものであるということは知っていたのですが、その背景にある兵役の話は恥ずかしながら初めて知りました。勉強になりました!--くにゃこ 2006年6月27日 (火) 16:19 (UTC)[返信]

議論は決着したと判断してよろしいでしょうか?--十詩子 2006年7月14日 (金) 04:53 (UTC)[返信]

十詩子さんはどうお考えですか?私が上で上げた文案にご意見があるのでしたら、お聞きしたいと思うのですが…。もしよろしいようでしたら、上記の通り編集したく思います。--くにゃこ 2006年7月14日 (金) 13:53 (UTC)[返信]

内容について大きく加筆しました[編集]

記事内容が薄い気がしましたので加筆と共に構成を見直しました。ご確認くださればと思います。--赤井彗星/2007年8月29日 (水) 12:28 (UTC)[返信]

提案[編集]

「概要」部分における「外交面においては侵略戦争や植民地支配の停止を求める運動」
というのは当時の社会情勢とその後の歴史的事実から考えると非常に違和感がありますが、
いかがでしょうか。
「シベリア出兵を見越した商人らの米買占めによる生活困窮を発端に民衆らが海外派兵等の停止を求めた」
または
「外交面においては、生活に困窮した国民への負担が大きい海外派兵等の停止を求めた運動」
などの表現がいいのではないでしょうか(識者の加筆、修正歓迎)。

そもそも侵略の停止や植民地支配の停止を求めたということが当時の国民の間で一般的な認識であれば、
その後の対欧米植民地・対米戦争の開始も継続も不可能であり、正確な表現ではないと考えます。

編集合戦は時間の無駄ですので、まずこちらで皆さんのご意見を伺いたいと思い、書きました。
--Shuaiman 2008年11月21日 (金) 11:53 (UTC)[返信]

特に反対がありませんでしたので表現を修正しました。--Shuaiman 2009年5月1日 (金) 10:09 (UTC)[返信]

アメリカ、イギリスを見てもわかるように、民主主義はそもそも帝国主義・植民地主義を肯定する思想ですよ。--侍情報員 2010年7月9日 (金) 13:49 (UTC)[返信]