ノート:大津敏男

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大津敏男は樺太庁長官にいつまで在任していたか[編集]

利用者:Fasoさんによる記事「樺太庁」のこの編集によると、大津敏男は樺太庁長官に1943年7月1日から1947年11月17日まで在任したことになっていますが、法的根拠はあるのでしょうか?

ネットで検索しましたが

  • 1945年12月30日 - ソビエト連邦軍政下が樺太庁に解散を命令
  • 1946年1月29日 - 樺太に対する行政権停止を規定したSCAPIN第677号を発令
  • 1949年6月1日 - 国家行政組織法の施行による樺太庁廃止

とありますが、明白な論拠は見つけることができませんでした。まあ、樺太庁は1945年8月のソ連軍侵攻によって、(日本の行政機関が名目上は存続していたとはいえ)かつての樺太庁ではなくなったというのが現実だとは思いますが、法的にいつまで樺太庁に在任していたのか、また最後の樺太庁長官である大津敏男がいつまで在任していたのか明白な論拠が知りたいです。--TempuraDON会話2017年4月30日 (日) 13:02 (UTC)[返信]

外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

大津敏男」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

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ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月30日 (土) 12:24 (UTC)[返信]