ノート:大西民子

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著者コメント[編集]

私はこの『大西民子のうたと絵画』の著者石川和幸です。 これは岩手日報社(岩手県盛岡市)の文芸誌『北の文学』弟52号 (2006年5月発行)の文芸評論部門の入選作の全文に及ぶもの にするつもりです。(原稿用紙50枚相当 現在文は約5分の一です)

私はこの評論の中で歌人大西民子の短歌のなかに西洋絵画と照応する ものが多数あることを指摘しました。これは極めて独創的な指摘です。 今までのあらゆる高名な歌人の解釈や鑑賞もこの絵画の視点に気づい ている者は皆無なのです。 また本掲載の著作権の問題にかかわると思われる、大西民子の短歌 70数首(この評論全部では資料編をつけるつもりですので全歌集 からの抄出では130数首にのぼります)の著作権者は、さいたま 市大宮図書館で既にこの『北の文学』第52号を送付済みです。

とりあえず以上を申し上げておきます。  石川和幸

歌人「大西民子」[編集]

歌人「大西民子」をロードしました。 抄出歌137首は大宮図書館の許可が 得られませんでした。  歌人経歴と短歌と絵画の照応に論究した 短文を書き添えました。   (2006.11.26. Dairou)  

削除はお待ち下さい。[編集]

「歌人大西民子」を書き込んだ著者です。 即時削除の定義未満とは何なんでしょうか。 1.2.3.4のどの項目が削除の対象に該当するのでしょうか。 具体的な削除の理由がわかりません。 本文は著作権者のさいたま市立大宮図書館と打ち合わせ,内容について 許可を得ております。現に昨日大宮図書館の千田館長さんから電話で 4首の短歌に・・・・を入れるよう指示があり昨夜それを実行しました。 即時削除など間違いではありませんか。 内容は他の歌人と比べて少し異色ですが大西民子の短歌の本質に言及した 画期的な論考であるはずです。    石川和幸   2006.12. 6 am10.40

本文の方を興味深く読ませていただきました。こういうケースはよく目にします。「削除でいいだろう、これは」と思うことの方が多いのですが、興味をもってしまっただけにお返事しないと悪いような気がしてきましたので、説明下手ですがご一読いただければ幸甚です。
さて、「定義未満」というのは、端的にいうならば「百科事典の記事としての体裁をなしていない」ということになるでしょう。「ウィキペディアは何でないか」や「独自の調査」などをお読みになればご理解いただけるかと思いますが、Wikipediaはあくまで百科事典であり、個人の研究成果や第三者には検証できない事象を発表するための場所ではないということです(どれだけ画期的な研究であっても、です)。したがってある程度記事としての体裁をなしていても、例えば自費出版で一冊二冊著書があるだけのアマチュア作家などの記事はやはり削除されます。この大西民子という人の場合には、紫綬褒章を受けるだけの実績があるのですから、記事の体裁を整えれば、つまり「4」の経歴を中心にして書き直せば削除はされずに済むのではないですか。ただ「1」から「3」に関しては少し難しいですね。百科事典の記事で「私は……に気づいた」「一読でそれらは明確に判別出来た」などの記述はありえないでしょうし、今後他の人もこの記事の編集に携わるかもしれないわけですから。文芸誌の評論部門で入選なさったのならば検証可能性も無くはないので、第三者の目にも明らかな面を中心にして書き直されればなんとかなるかもしれませんよ(ただ、Wikipedia:自著作物の持ち込みは読み返してみてください)。短歌の引用に関しては……非常に厄介だとしか申し上げられません。過去に膨大な議論がなされており、自分には把握しきれていないからです。まずはWikipedia:著作権とその関連文書を徹底的に読んでみてください。自分に答えられるのはこの程度です。あまりお役には立てませんでしたがご検討ください。
それから、Wikipediaで活動なさるのでしたらログインしてアカウントを取得するといいですよ。署名の仕方もそこに書いてあります。Wikipedia:ガイドブックも一通り読んでおいた方がいいですね(また「即時削除」とか言われないためにも)。では。--Darkmagus (talk) 2006年12月6日 (水) 15:23 (UTC)[返信]

Darkmagus様 ありがとうございました。[編集]

Darkmagus様 ありがとうございました。ご指示のマニュアルを全部ダウンロードしワープロで縮小して50頁強を速読しました。削除の前に取りあえず論理的な書式に書き変えようと努力しました。主張の要点は変わりません。私にとっては短歌と絵画の照応が核心なのです。ウィトゲンシュタインはドストエフスキーの『カラマゾフの兄弟』を暗記するほど読んだと伝えられています。(このウィキペディアの「ウィトゲンシュタイン」にあります)。変わらぬお力添えをお願い致します。Dairou

いえいえ、どういたしまして。
>ウィトゲンシュタインはドストエフスキーの『カラマゾフの兄弟』を暗記するほど読んだと伝えられています。(このウィキペディアの「ウィトゲンシュタイン」にあります)。
それを書いたのは、実は私です。
ではご健闘をお祈りします。また何かありましたら私の会話ページにでもおいでください。--Darkmagus (talk) 2006年12月7日 (木) 16:39 (UTC)[返信]

すみません、途中のようですが読みづらかったので整理してしまいました。--Calvero 2006年12月7日 (木) 17:18 (UTC)[返信]

著作権者からの件について[編集]

この編集で「著作権者から大西民子の短歌に・・・・・を入れるよう指示あり。」と要約欄に記入されているのですが、これはもしかして句の全文の掲載を許可しない、ということでしょうか。でありましたら、ウィキペディア上では編集によって問題となる箇所を除去するだけでは不十分で、削除依頼を経て管理者の手で「削除」の作業を行わなければなりません。これはウィキペディアでは全ての編集が履歴として保存されているためです。ページ上部の「履歴」タブをクリックすると、そのページの編集履歴が表示され(この項目の場合はこれです)、日時をクリックすることによって過去の版が閲覧できます。すなわち、著作権者によって掲載を許可しないとされた版は、依然として公開されたままの状態になっています。よって著作権上の問題が解決されていないと考えられます。ここは一旦執筆を中断し、先に削除依頼を行わねばならないと思いますが、いかがでしょうか。--Calvero 2006年12月7日 (木) 18:12 (UTC)[返信]

短歌への・・・・・の挿入にお答え。[編集]

12月5日午後著作権者の大宮図書館長千田氏からの指示は「短歌の一部に・・・・・を入れること、ウィキペデアの性質上短歌の全部を書いて、それをコピーで配布されることでは許可出来ない」でした。私は「1番目の「かたはらにおく幻の・・・」と、最後の氷川の杜文化館の「かたはらに置く幻の・・・」(この2首は、“おく”と“置く”が違う。)及び3首目の「一本の木と・・・」の歌は歌碑になっている歌ですがそれでも全部の歌ですか」」と訊きました。館長の返答は「全部に・・・を入れること」でした。 今朝起きたらきれいな見違えるような「大西民子」となっていて吃驚しました。お世話になりました。今日は私の40回目の結婚記念日でした。ありがとうございました。 (2006.12.08 Dairou)

そうでありましたか。しからば一旦手続きを行い、削除処理がなされたあと(これにはたいてい1週間ほど要します)、再び「…」で置き換えた状態の物を投稿し直していただく必要があります。お手元に原稿を控えていただけますでしょうか。手続きは明日行いたいと思います。--Calvero 2006年12月8日 (金) 14:15 (UTC)[返信]
Wikipedia:削除依頼/大西民子 20061210 を提出いたしました。--Calvero 2006年12月9日 (土) 19:08 (UTC)Calvero[返信]

Calvero様 12月9日以来著作権侵害のマークが付いたままで、2ヶ月余が経過しましたが、まだ解除にはならないのでしょうか。このメッセージが届くこと祈ります。ダイレクトにCalvero様にアクセスしようとしましたがダメでした。よろしくお願い致します。2007.2.17(土)23:12(Dirou)

石川様 削除依頼は投票で決まる部分があり、Calveroさん以降の2票目がなかなか入らなかったために作業が遅れていたものと思われます。遅ればせながら状況を拝見し、2票目を投じて参りましたのでもう少しご辛抱いただきたくよろしくお願いいたします。これに懲りずにまた他の項目へのご参加も検討いただければ幸いです。--スのG 2007年2月17日 (土) 14:53 (UTC)[返信]
本日削除作業が行われました。あと、他の管理者による確認作業を持ちまして、処理は全て完了します。いま少しお待ちいただけますでしょうか。--Calvero 2007年2月18日 (日) 10:50 (UTC)[返信]

『定本・大西民子のうたと絵画』に基づく記述[編集]

現状、大西民子と西洋絵画の関係が大きく取り上げられています。この記載は上記の『定本・大西民子のうたと絵画』という資料に基づくものと思われますが、この資料はどのように評価されているのでしょうか。というのは現状、この資料の信頼性を保証する証言や資料が確認されないからです。もし、この論文だけに大西の短歌作品読解の正統性を認めようとするならば、『北の文学』52号文芸評論入選というのは、確たる評価と断言するには、ちょっと慎重になってしまいます。これを支持する現代歌人、短歌研究者による相当数の論述が必要です。

特に、代表歌とされる「かたはらにおく…」とゴッホの関係など、これを唯一の解釈であるかのように記載する記事の現状には疑問があります。資料はあくまでも「そのように読むこともできる」という可能性の一つを提示してるのであり、それが文芸評論というものです。記事が中立性から逸れつつありますので、記事の修正を考えていますが、執筆者の方も含めて、ご意見を賜りたくおもいます。

改めて申し上げますが、上記の資料が間違っている、と申し上げてはおりません。この資料を否定、排除するつもりなど毛頭ありません。ただ、この資料を唯一とするのではなく、数ある解釈の一つとして掲示するのが、中立性の観点からふさわしいと考えている、ということです。--アイザール 2011年11月3日 (木) 15:52 (UTC)[返信]

アア・・・。いつまでこの大西民子にさらしマークがつくのだろうか。すでに1年半以上も放りっぱなしだ。アイザールとやら・・・。生きているのだろうか・・・。

アア・・・。いつまでこの大西民子にさらしマークがつくのだろうか。すでに1年半以上も放りっぱなしだ。アイザールとやら・・・。生きているのだろうか・・・。--Dirou会話2013年3月19日 (火) 13:24 (UTC)[返信]

アア・・・。いつまでこの大西民子にさらしマークがつくのだろうか。すでに1年半以上も放りっぱなしだ。アイザールとやら・・・。生きているやら、悪行が祟ってもしかして、アア・・・、もしかして・・・。とにかくさっさと元に戻せ・・・。--Dirou会話2013年3月20日 (水) 02:36 (UTC)[返信]

アイザール殿、大西民子のさらしマークはいつとれるのですか??[編集]

アア・・・・。アイザールとやら・・・。生きているのやら・・・。もしかして悪行祟って・・・。いつまで大西民子にさらしマークをつけておく積もりなのだ。既に1年半もたった。無責任も甚だしい。もう既に1年半も放りっぱなしだ。アイザール・・・。こういうのを制裁する方法はないのか。Calvero殿何とかならないだろうか。これではウィキペディアが信頼低下をきたすことになる・・・。さっさと返事をよこせ・・・。もとに戻せ・・。--Dirou会話2013年3月20日 (水) 02:45 (UTC)[返信]

編集の上、タグを除去しました。--アイザール会話2013年3月20日 (水) 04:10 (UTC)[返信]

ひとまず編集、資料に基づく加筆を行いました。その上で、『定本・大西民子のうたと絵画』による言及を記事中に加筆するかどうか、考えましょう。あと、Dirouこと石川民雄さまは、如何なる時も「礼儀を忘れず」にご発言下さるよう、御留意下さい。--アイザール会話2013年3月20日 (水) 05:25 (UTC)[返信]

これは大西民子ではない。恥ずかしくてこれに私の名前を冠することは拒否する。お断りだ。バイバイ。--Dirou会話2013年3月20日 (水) 07:13 (UTC)[返信]