ノート:天皇制ファシズム

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当記事について[編集]

「天皇制ファシズム」という連結した用法は左翼からかもしれないがファッショ批判はそれ以前からあるはずですが。日本のファシズムについて記述するのか、裕仁の人格について記述してファシズムはなかったなどとするのか(非常に疑問)、ヒトラーの人格について描いた映画が話題のようですが。左翼にも裕仁人気にあやかろうという方も多いようですが、明治憲法とその運用に伴ったファシズムについて論じるのが本稿として適切と思います。裕仁の人格は裕仁の頁でコミンテルン批判はコミンテルンの頁でするのが適切でしょう。johncapistrano 2005年6月4日 (土) 22:51 (UTC)[返信]

別に天皇がいい人だとか、人格がどうのこうのということを言いたいのではなく、そうした天皇個人とは別個の問題として天皇制ファシズムを論ずる予定なのですが、力不足で進んでいません。最初だけ読んでそういう誤解をされるとは残念です。 --忠太 2005年6月5日 (日) 13:29 (UTC)[返信]
別にChutaさん個人に宛てたつもりではなかったのですがそういう方向に改変が進んでいたので。johncapistrano 2005年6月5日 (日) 13:33 (UTC)[返信]

これは、20世紀初頭の日本の国家体制を検証する一理論の解説ということでしょうか? 当時の日本の国家制度一般の解説とは別物でしょうか? であれば、当時の日本の国家体制一般について解説する項目の方は、過去の国家体制を列記している「日本の官制」とか大日本帝国憲法の項目ということでいいんでしょうかね。まぁいずれにしろ、その辺の性格を明確にしておくと良いと思われます。Hermeneus 2005年6月16日 (木) 02:31 (UTC)[返信]

先ほど、「議会制度の否定」に修正を加えたものですが、途中で理由が途切れてしまっているので、もう少し簡単に説明すれば、「議会制度」自体を否定したのではなく(議会閉鎖をしたわけではないですし)、「政党政治」や「議会の自律性」の否定だと思われるのですが…。

「天皇制ファシズムに関する意見」セクション[編集]

Iosif記→Chuta 様:コメントアウトしたうえで指摘されていた箇所、おっしゃるとおりだと思うのですが、「戦前の日本は全体主義でもなければファシズムでもない」という立場を取る人の意見を最も好意的に聞くと、ああいう内容だと理解して書いた次第です。ただ、これはもっぱら「全体主義体制として政治体制を規定するなら日本は該当しない」という議論であって「天皇制ファシズム」規定に対するものではなかったはずなのですが、これを援用して「用語を否定する」(記事本文ママ)人が急増したと認識しているのと、同時に「ファシズム」規定に対する反論としても同じように機能しているので加筆しました。▼疑義があった点について以下に述べます。すべて「日本を全体主義と呼ぶのは不適切で、せいぜい『軍国主義』だ」という意見を私なりに理解したものです。あちこちで聞くあまり、代表的論者(=最初に言いはじめた人)はわかりません。少なくとも彼らが依拠していると思わしき「全体主義体制」規定をしているホアン・リンスは以下のとおりの立場をとっていたはずです。

  1. >ユートピアイデオロギーも見られず(←大東亜共栄圏はどうか?):「大東亜共栄圏」は後付けであって、日本の総動員はユートピアイデオロギーによって作られた体制が推進したわけではない…という点を捉えてこのように表現されていると認識しています。だからこそ、当初から「日本ファシズム」≒「上からのファシズム」と言われていたのではなかったかと思います。
  2. >私的組織(党)による政府・軍への攻撃も見られず(←右翼勢力はどうか?):これも、政府や軍をハイジャックするほどの攻撃ではなかった点を捉えて(ドイツ・ソ連とは大きく違う)言われているはずです。
  3. >一元的な支配も実現していない(←国家総動員法は?):「一元的支配」とは総動員体制のことを指さないと思います。支配の多元性についての話だと理解しています。日本の場合はナチ・ドイツやスターリン期・ソ連に比べると政治的多元性があり、質的に違っていたという意味です。「多元性を絶え間なく除去していく自己運動」として全体主義を捉え、それを引き起こすものとしてファシズムを捉えている議論だと理解しています。
  4. >全体主義的な動員も熱狂も生んでおらず、それに付随した大量虐殺等も見られないから(←イタリアには見られるの?):まったくおっしゃるとおりで、見られないと思います。ところが、「それゆえに、ファシスト・イタリアは『ファシズム』『全体主義』を自称したにもかかわらず、全体主義体制を完成したといえるのかどうか疑問が残る(または不完全な全体主義である)」…という結論に至るようです。異論はありましょうが、リンスや、すっとばして遡ってブレジンスキーの仕事や、さらに先行して共産圏を何が何でも「全体主義」「ファシズムと同類」と把握しようとしたアメリカ人たちの議論でして(…とIosifは思う)、しかし、それらの仕事や議論の積み重ねがずいぶんあるせいでIosifには異議を唱える能力がないです。

▼上記の議論(体制分類のための全体主義論とでも言いましょうか)に対する反論も多くあるはずです。私が知っている範囲では塩川伸明氏が強い議論を展開していました。もはや「天皇制ファシズム」と何の関係もありませんが。あと上記のような「分類のための議論」そのものへの批判があったはずです。個人的には「ドイツとは違うとかソ連とは違うとか言っても、そもそも最初から『日本ファシズム』っつってんじゃん!」という思いがあります。ちなみに「天皇制ファシズム」という語がどこから出たのかは知らないのですが「日本ファシズム」と同義なんだろうという程度に捉えています。

▼「天皇制ファシズム」に関する説明がまだ不十分なのに「天皇制ファシズムという用語を否定する意見」だけがふくらむのでは記事のバランスを欠くということでしたら、異議はありません。記事が充実するまでコメントアウトしておくべきだと、もしお考えでしたら同意します。しかし、おいておいても記事への加筆を誘う要因になるんじゃないかという期待があります。いかが思われますでしょうか?--Iosif 2006年5月5日 (金) 20:15 (UTC)[返信]

訂正します。ファシズムと全体主義は違うというのはおいておいて、それ以前に、全体主義の規定でも大量虐殺等を定義にした議論などというのはないのでした(よく見られる特徴だとはしていても)。「イタリアには見られるの?」というのはそこについてだったとしたら、訂正してお詫びします。本文は先に当該部分だけ削除……しようと思いましたが、Chutaさんがコメントアウトした部分だけ残しておくと「全体主義的な動員も熱狂も生んでおらず」という部分へのコメントに見えてしまいますし、勝手に意図を察するわけにもいかないので、両方を<!-- -->で囲んでおきます。とりあえずそうしてあるだけということで、ご了解ください。--Iosif 2006年5月6日 (土) 10:28 (UTC)その点についておっしゃっていてコメントアウトなさっていたのでした。訂正のうえ、一人合点をお詫びします。当該部分、異議いただいた証拠としてまだおいておきますが、削除いただいても異議ありません。または、しばらくおいたうえでIosifが削除しておきます。--Iosif 2006年5月6日 (土) 10:34 (UTC)[返信]

記事名について[編集]

天皇制ファシズムとは一般的な用語ではなく執筆者の考案によるものですので、暫定記事名としました。—以上の署名の無いコメントは、Heat59会話履歴)さんが[2007年11月13日 (火) 20:58 (UTC)]に投稿したものです。[返信]

下記のような文献があり、執筆者が勝手に考案したわけではないでしょう。ただし、天皇制ファシズムの項目が別にありますので、ここでそれほど詳しい説明をしなくてよいかも、という気になってきました。 --忠太 2007年11月13日 (火) 14:38 (UTC)[返信]
  • 神島二郎「天皇制ファシズムと庶民意識の問題」(岩波書店『近代日本の精神構造』所収、1961年)
  • 勝部元「天皇制ファシズム論」(岩波講座日本歴史21所収、1963年)
  • 中村菊男『天皇制ファシズム論』(原書房、1967年)
  • 野見譲『天皇制ファシズム論』(連帯社、1992年)
  • 川島高峰「敗戦前後における秩序意識の変容と形成 天皇制ファシズムから天皇制デモクラシーへ」(学位論文、1997

年)

忠太さんがあげるまでもなく、天皇制ファシズムは正真正銘の学術用語で、通常の国語辞典にも載っています。戦前の日本の体制がファシズムであることは、ごく一部の右翼論談誌に出てくるマスコミ露出度の高い人をのぞいて、きちんとした学術論文を書く学者の間ではほぼ常識に近い。にもかかわらず、wikipedia上で、いかなる形でもファシズムと認めない勢力が、戦前の日本を広義のファシズムであるという考え方を紹介する書き込みをことごとく抹消する反知性的な策謀がみられますので、そのような言論弾圧に抗するためにも、この項目は必要でしょう。以上の署名の無いコメントは、123.198.68.220会話/whois)さんが[2007年11月22日 (木) 20:35 (UTC)]に投稿したものです。[返信]

Wikipedia:ウィキペディアは何でないかによると、「いかなる種類の宣伝(プロパガンダ)も擁護もする場所ではありません。あなたが支持する人物や団体、思想や信条を宣伝するためにウィキペディアを利用してはなりません」とあるので、「言論弾圧に抗するためにも、この項目は必要」と考えているのであれば、ウィキペディアの方針に反している可能性があります。また、Wikipedia:ノートのページでは投稿に署名をするを参照されて、ログインし末尾に署名するようにして下さい。--Harunosaiten 2007年11月29日 (木) 15:04 (UTC)[返信]
追記:「肯定する側の見解」よりも「否定する側の見解」の方が多い項目というのは存続が難しいのではないかと思います。Wikipedia:独自研究は載せないによると、「もしある観点が極めて小さな(あるいは極めて限定された)少数派に支持されているのであれば、それが正しいかどうかに拘らず、あるいはあなたがそれを証明できるかどうかに拘らず、その内容はウィキペディアで言及するに値しない」とあります。この項目はその他の項目で説明をするか、削除することも視野に入れた検討が必要だと思います。--Harunosaiten 2007年11月30日 (金) 12:37 (UTC)[返信]
この語は学術用語として定着していますので、「宣伝」ではないかたちで執筆すれば何の問題もないと考えます。従いまして、「暫定記事名」のタグを外します。根拠は上に挙げられている勝部元「天皇制ファシズム論」(岩波講座日本歴史21所収、1963年)だけで充分でしょう。他にも挙げられていますし。--Memosa 2007年12月1日 (土) 16:22 (UTC)[返信]
「天皇制ファシズム」の語は『社会学小辞典』(有斐閣・1982年・増補版)の見出し語にありました。上記の告知をしましたが、告知期間を要しない、と判断し、「暫定記事名」のタグを外します。異論の有る方は理由を示して「暫定記事名」のタグを再掲なさって下さい。或いは手続きに問題があればリバートして下さい。--Memosa 2007年12月2日 (日) 16:54 (UTC)[返信]

ファシズムと認めない理由で列挙されている根拠が、内容的に天皇の政治責任の問題と混同しているものがあるのは、いかがなものか。論理的な記述を求めたい。Ssssss 2007年12月9日 (日) 01:36 (UTC)[返信]

賛成。制度ではなく個人の人格について述べた記述は削除すべきと思います。具体的には以下の冒頭を持つ項目。「天皇個人は」「明治時代以降の明治天皇・大正天皇・昭和天皇は」「昭和天皇に限れば」の4項目です。--Memosa 2007年12月9日 (日) 02:12 (UTC)[返信]

「天皇制ファシズム」という言葉は戦後に出てきた左翼造語でしょうけども、誰が最初に使われたのでしょうか?Highhappy 2007年12月10日 (月) 18:13 (UTC)[返信]

貴君の記述のうち、出典不明のもので、疑義の強いものをコメントアウトさせていただきました。ご確認下さい。なお、推定なので本文には反映させませんが、おそらくこの語は戦前からのものでしょう。「天皇制ファシズム」の語はおそらく書いただけで発禁処分でしょうから、伏字などで「××制×××××」などと原形をとどめずに処理され、最初の用例を探すことは困難でしょう。「天皇制」の語も同様の事態です。--Memosa 2007年12月10日 (月) 22:12 (UTC)[返信]

出典が必要な部分はテンプレートで指摘し、コメントアウトしないで見えるようにしておいてください。現代日本は自由ですから、「天皇制ファシズム」の語について戦前にそういった事実があるなら史実として出典があるはずです。「××制×××××」では使われたことになりません。Highhappy 2007年12月11日 (火) 20:29 (UTC)[返信]
当方の出典要請を認識していただき、ありがとうございます。上記の当方の独自研究は本文に反映させる意図は前述の通りございません。記述をした貴君から出典の提示が無い場合には、失礼ながら削除させていただきます。--Memosa 2007年12月11日 (火) 23:05 (UTC)[返信]
戦中戦前に「天皇制ファシズム」という言葉の使用があったのならその出典を提示してください。著書名に使用されたのも戦後です。Highhappy 2007年12月12日 (水) 16:46 (UTC)[返信]
上記の当方の独自研究は本文に反映させる意図は前述の通りございません。貴君の本文記述の根拠が、「著書名に使用されたのも戦後」ということのみであるなら、現在の「戦後になって共産主義者による革命用語としての造語」という貴君による本文は独自研究となります。--Memosa 2007年12月13日 (木) 00:41 (UTC)[返信]
1933年2月4日の「反帝新聞」を「戦争と飢餓とテロ天皇制ファシズムに反対せよ」という記事によって発禁にしている例が小田切秀雄・他『昭和書籍雑誌新聞発禁年表(中巻)』(明治文献資料刊行会、1981年、485頁)にありましたのでHighhappy氏の
日本は天皇制によって特徴付けられたファシズム体制であった」とする見方から、戦後になって共産主義者による革命用語としての造語
というご主張は間違いでした。既に他の方によって直されていますが、同様の誤りが無いよう、記録しておきます。--Memosa 2007年12月17日 (月) 00:56 (UTC)[返信]
出典を採用させていただきました。ありがとうございます。Highhappy 2007年12月17日 (月) 19:13 (UTC)[返信]
僕の示した文献からは用例の初例がそれであることは読み取れません。したがって誰の造語かは未だ当方には不明です。またその語が言葉狩り的に発禁対象であったことは読み取れません。安易な曲解と存じますが、出典がありましたらお示し下さい。--Memosa 2007年12月17日 (月) 23:33 (UTC)[返信]
「天皇制ファシズム」という言葉を使用し発禁対象になった「反帝新聞」より以前の文献がありましたら出典をお示しください。またあなたは「天皇制ファシズム」=「日本は天皇制によって特徴付けられたファシズム体制とする見方」を肯定しながらも、大日本帝国憲法の下で「戦争と飢餓とテロ天皇制ファシズムに反対せよ」が発禁対象になった理由を読み取れませんか?Highhappy 2007年12月18日 (火) 20:00 (UTC)[返信]
出典として「小田切秀雄・他『昭和書籍雑誌新聞発禁年表(中巻)』(明治文献資料刊行会、1981年、485頁)」に加えて日本反帝同盟の研究-共産主義運動と平和運動『1930年代日本共産党史論』の第2章 田中真人も示しておきます。Highhappy 2007年12月19日 (水) 16:42 (UTC)[返信]

天皇制打倒を標榜する共産主義運動を行っていた「反帝新聞」の「戦争と飢餓とテロ天皇制ファシズムに反対せよ」が大日本帝国憲法の下で発禁対象となった理由が「「日本は天皇制によって特徴付けられたファシズム体制とする見方」=「天皇制ファシズム」という造語にあることは読み取っていただけたと思います。無造作に貼りつけられた各テンプレート後日除去したいと思います。Highhappy 2007年12月21日 (金) 20:56 (UTC)[返信]

出典の範囲では初めて「天皇制ファシズム」という言葉を使用し発禁対象になった「反帝新聞」は共産主義運動を展開していたことを確認しました。Jaller 2008年1月20日 (日) 19:18 (UTC)[返信]

節「日本のファシズム(ファッショ)の諸相」は著作権上の問題が危惧されることと、記述するにしても赤リンクが多すぎて項目も立ち上げられる気配もないので一旦除去しました。Jaller 2008年1月20日 (日) 19:29 (UTC)[返信]

落とし書き[編集]

個人的には記事自体が不敬だなんだと、思うところありますが、横においておいて。

まず、陛下は「ファッショは不可」とおっしゃっていることに触れていない。先帝陛下は「綸言汗の如し」と云って、皇帝(天子)たる自分の発言には責任を持っていらっしゃいました。「ファッショは不可」とおっしゃったことは、すなわち私はファッショに迎合する事は絶対にないと宣言したに等しいでしょう。

また、御聖断を見ればわかるように、「天皇陛下に意見(判断)を仰ぐ」ことは諸刃であり、天子の言葉は必ず実行せねばならなかったのが戦前の体制です。御聖断は内閣に最早統治能力が無いことを露呈したものでありますが(通常ならば案を上奏し、裁可を頂く。陛下はただ求められる儘に裁可を下すだけである)、この発言は昭和天皇の「ファシズム」という体制への危惧の現れであったのではないでしょうか。暗殺された犬養の後任選定の御希望には、「ファッショに近き者は絶対に不可なり」と西園寺公望に述べたそう。陛下が当時の政局を君主として見、そして肌で感じていたあろうファッショへの警戒が、これらの出来事に現れているような気がしてならない。

まあようするに、陛下はファシズムには奔るべからずとおっしゃったわけです。あったとすれば、天皇機関説のようなものではないでしょうか。「そういう見方もできる」程度の。学者は、あやふやな事にたいしては「そういう可能性もあります」と言い、「そうだった」などと言い切ることなどありませぬ。故に、恣意的に言えば、「学説は常識」とも言えるでしょうし、「そういう学説もある」なども言えるわけです。たとえば、物理学のエーテル・理論だって、学術用語ですよ(アインシュタインによれば、間違っていたけれど)。学術用語だからといって、その内容が絶対に正しいとは限らない

あくまで「可能性」として論じ、講じ、記述すべきではないかなと思ふ。何にせよ、本文が短い。どうとらえるかは、学者のあやふやな考えを右か左かどちらで捉えるかで変わるでしょう。そもそも歴史なんてものは数十年でわかるものではないですよ。--Qoo 2008年3月11日 (火) 11:54 (UTC)[返信]

独自研究の削除[編集]

報告当記事は2007年11月に独自研究タグが貼られた後、3年半以上もほとんど改善が見られず、逆に個々の立場の人が都合の良い「出典」により断定調の記述を加えて全体の構成も意味不明になっていたため、全体を「概要、評価(肯定論、否定論、その他)」にまとめ、原則的には出典のある記述の併記とし、編集者の論評的な記述はなるべく削除しました[1]。まだ個々の記述は問題が多いとは思いますが、とりあえず報告します。--Rabit gti会話2012年7月14日 (土) 13:13 (UTC)[返信]