コンテンツにスキップ

ノート:姫路城/過去ログ1

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。
過去ログ1 過去ログ2

表現の違い

天守(天守閣)の項で「火燈窓」と「華灯窓」が混在していますが、意図的な物でしょうか? --Squirrels 2008年5月5日 (月) 07:18 (UTC)

執筆された方が違えば、表現もまた違ってくるようです。華頭、火燈、華燈、など意味としては同じものなのですが、どれを使用するか決まりがないのでどれか一つに統一させたほうがよいと思います。--ムカイ 2008年5月5日 (月) 13:46 (UTC)

読み

「白鷺城」の読みが、(「秀逸」に入った後)「はくろじょう→はくろじょう・しらさぎじょう→しらさぎじょう」と変更されています。なぜ「はくろじょう」を消したのかわからんので、ここを消した方には説明いただきたいと願います。地元民のわたしは両方ふつうに聞きますし、少なくともわたしの母校の校歌では「はくろじょう」ですね。「はくろ○○」といった社名・店名も姫路市内ではよくあるものです。「しらさぎ○○」も相当にありますけれどね。Takobou 2005年1月26日 (水) 01:35 (UTC)

お城の読み方は基本的に音読みですから「はくろ」が正しいです。 「こいじょう」「にしきじょう」「からすじょう」とは言いませんが、「しらさぎじょう」と言い出したのは、村田英雄の「しらさぎの城」というヒット曲の影響と聞きます。 城巽小学校はそれ以前からありますから、「みそらに高きはくろじょう」となっていますね。

ちなみに姫路城は平山城ですが、大天守小天守が「鷺山」「姫山」、西の丸との間に作ったのが「三国堀」(播磨・備前・淡路の三国)です。 ちなみに 墓所は「男山」にあります。 鷺山に建つ白漆喰の城なので、「白鷺城」となったのでしょう。 --らすかる 2007年9月12日 (水) 16:22 (UTC)

総重量

「天守の総重量は、およそ6200トン」は大丈夫でしょうか。検索すると「大天守の重量は5700t」となっているのですが。小天守が500t? Kazov 15:39 2004年6月11日 (UTC)

この500tの差異は、「昭和の大修理」によるものです。大修理の際に構造物の負担を軽減するため瓦を軽量化したこと、厚塗りになっていた壁を本来の厚みに戻したことなどによります。ただ現在の重量じゃないのでフォローは必要ですね。Takobou 2004年9月16日 (木) 10:16 (UTC)

キャプションについて

「江戸時代における姫路城の模型」というキャプションは、模型が江戸時代なのか、江戸時代の様子を模型化したのかが紛らわしいと思いますが、いかがでしょうか。竹麦魚 2004年12月3日 (金) 04:27 (UTC)

変えて置きましょう。--อนันต์ (あなん) 2004年12月3日 (金) 05:44 (UTC)
あらら、どうもすみません。Takobou 2004年12月5日 (日) 10:21 (UTC)

要出典

参考文献の『姫路城史』・『姫路城の話』・『歴史群像名城シリーズ 姫路城』で、同様の内容を確認できたものを挙げます。出典になりうるかどうかはわかりませんが、参考として姫路城の達人も挙げておきます。

  • 黒田重隆による築城 『歴史群像名城シリーズ 姫路城』では築城を天文から永禄ごろと考えて、重隆・職隆によるものであろうとしています。
  • 延べ人数 『姫路城の話』100石あたり2人と考えて、5千万人弱と推定していました。参考姫路城の達人 歴史(100石あたり1人とすると2千5百万人弱になります。)
  • 隠し通路 『姫路城の話』「抜け穴はあるか」と題した章があります。参考姫路城の達人 雑学

それ以外の文献等で同じような内容が確認できたものを挙げます。

  • 油壁 『日本城郭史研究叢書9 姫路城の建築と構造』(加藤得二 名著出版)で、同じ手法が使われている寺社の壁と比較して、秀吉時代であろうと推定していました。参考姫路城の達人 構造
  • 俗謡 歌自体は『民謡・猥歌の民俗学』(赤松啓介 明石書店)に収められていますが、いつから歌われているかは書かれていませんでした。『姫路城の建築と構造』で江戸時代中期と推定していましたが、根拠はわかりません。
  • 訴訟 『姫路城 永遠の天守閣』(中元孝迪 神戸新聞出版センター)や『姫路市史 第14巻 別編 姫路城』に経緯が記されています。参考姫路城の達人 雑学(少し経緯が異なっている。)
  • 空襲 『姫路市史 第14巻』や『姫路城 永遠の天守閣』で、市民は城から励まされたというような内容の文面がありました。空襲の手記・体験談集のような出版物をいくつか見たのですが、お城を中心にした話が一つ(『姫路空襲の記録』〔姫路空襲を語りつぐ会 姫路地方文化団体連合協議会〕所収 「お城は生きていた」)ありました。(数十の体験談のうちの一つなので、数としては少ないかもしれません。)

要出典をはずしてよさそうなものはありますか?-- 2007年7月29日 (日) 09:17 (UTC)

    • そこまで、出典が出せるのなら、むしろ外すべきでは? むしろ、現状は要出典の濫用の気すらします。検証可能性は重要ですが、ただ要出典を貼り付ければ検証可能性が向上するというものでは無いと思います。--水野白楓 2007年10月14日 (日) 11:13 (UTC)
    • 問題とされている部分を執筆した者です。参考文献や外部リンクに挙げたもの以外にも多くの資料で裏付けしていただき、弥さんには大変感謝しています。本来ならばわたし自身が行うべき作業ではありましたが、多忙であったこと、手当たり次第に要出典タグを張られたと感じたことに非常に嫌な気分になったことなどから手つかずになっていました(このタグを貼り付けまくった人は、同時期(2007年5月頃)に他の秀逸な記事においても同じような問題を起こしていました)。今肝心の『姫路城の話』が手元にないのでわたし自身で補足することが出来ないので、もし脚注を付記していただけたら非常にありがたいです。Takobou 2007年11月21日 (水) 11:38 (UTC)
ほったらかしで、すみませんでした。脚注を付けました。-- 2007年12月30日 (日) 14:16 (UTC)


天守の階層数表現について

きまま さんのされた「(石垣の中に)1階(石垣の上に)5層6階(=5層7階)」という表現について、その解釈の根拠が見られなかったことから、私の手元にある幾つかの文献を参照したところ、その表現について確認できませんでしたので、一応コメントアウトし、根拠となった文献を基に(出典は脚注にしています)元の表現へ戻させていただきました。--ムカイ 2008年5月29日 (木) 13:19 (UTC)

 こんにちは。(寺院などは)「五重塔」(ごじゅうのとう)のように「重」で数えるのが一般的と思いますが (天守は)「三層の天守」のように「層」で数えるのが一般的と思います。

 時代劇などでも「三層の天守閣」などというナレーションしているように思うのですが如何でしょうか?

(因みに 天守が「層」で数えるのが何故一般的なのか?を理論的に説明する事は現時点では出来ません。)

 それと編集内容・要約欄に記しましたように 地上に石垣を築く→(石垣の中に)1階。つまり「石垣の中の1階」は「地上階」であって「地下階」ではないです。 「地上階」にあるものを「地下階」と記すのは正しい記述とは言えないので宜しくお願い申し上げたいと存じます。--きまま 2008年5月30日 (金) 05:15 (UTC)きまま

こんにちは。よみ方については、各研究機関、学者などによって様々で、私が参照できる文献でよく見られるのは×層×階、×重×階、×層×重の3つの表現方法です。きままさんが表現されているもの「地上に石垣を築く→(石垣の中に)1階」つまり、石垣に囲まれていても地上にあるので地上階であるという見解に、根拠が見当たらないことから、私のほうでいくつかの文献を参照してみたところそういった見解に基づいて表現をしたものは見られませんでしたのでコメントアウトにしております。
一般的かどうかという質問をされておられますが、ここでは一般的かとか事実かどうかというより、検証可能かどうかということが問われます。あなた自身が、「この文献『××書』に頼ってその見解を示した」といった場合は検証が可能な記述であるといえます。しかし、「時代劇でそう聞いたから」ということは私は参照できませんので、検証可能であるとはいえません。今のままでは、独自の見解と見られかねませんので、その根拠となった、文献等を示していただければと思います。
私が、元の「5重6階地下1階」へ戻すため本文に出典として3つ(平井聖監修『城 6.中国編』1996年 毎日新聞社 / 財団法人日本城郭協会監修『日本100名城公式ガイドブック』2007年 学習研究社 / 三浦正幸監修『【決定版】図説・天守のすべて』2007年 学習研究社)明記しているもののほかに、日本城郭史学会などによる表記方法「×層×階」(西ヶ谷恭弘監修『復元 名城天守』1996年 学習研究社)も参考にしています。これには、層は「軒が出て吹き降ろしになっている数」、階は、「天守台上が地上階、地階の入り口施設以外の見えない階を地下階」、重は「地階を含める床の数」としており、従って、姫路城大天守については5層7重、地上6階地下1階と表現しています。
対して、三浦正幸氏(広島大学大学院文学研究科教授)は、×重×階とすることが好ましいとしており、層は、屋根の数や、内部の階の数にも使われるので、使わない方がよいとしています。加藤理文氏(織豊期城郭研究会 / 加藤理文編『城の見方・歩き方』2002年 新人物往来社)も同じような見解のようです。
そもそも、このようなことになるのは、天守の階層の表記方法について、Wikipediaにおいては、統一されていないことが原因ですので、今後、いずれかに統一して表現されるようにすべきか議論しなければならないのかもしれません。--ムカイ 2008年5月30日 (金) 14:09 (UTC)
 お返事、有難うございます。少し考えさせて下さい。宜しくお願い申し上げます。--きまま 2008年6月2日 (月) 05:15 (UTC)きまま

「あった」と書かれると強い違和感が

ムカイさんの編集で冒頭部が「兵庫県姫路市にあった城」とされましたが、姫路市民としては「姫路市に現在ある城」という感覚なので、この書き方は受け入れがたいです。鉄筋コンクリート製の復元天守なら「あった」の方が正確でしょうけれど。いかがでしょうか。--片山章魚坊(Takobou) 2009年1月21日 (水) 15:48 (UTC)

こんにちは。片山章魚坊さん初めまして、今回の冒頭の編集を行いました、ムカイです。ご指摘いただきありがとうございます。

早速ですが、姫路城では、天守や櫓などの建造物群が現存しておりますので、「ある」というほうがしっくりと感じられると思われ、ご指摘のように「あった」では「現在は建物がない」と、受け取られる可能性もあります。しかし、現在は城郭ではなく文化財(史跡、姫路城は特別史跡)として取り扱われていますので、「ある」とするのであればその城の建物が現在も防御施設、政庁として使われていると解釈される可能性もあります。

「城」という政庁と防御のための施設が現役であるかという観点で判断いたし、今回はこれに従って、過去形の表現に修正させていただきました。--ムカイ 2009年1月22日 (木) 13:37 (UTC)

ご返答ありがとうございます。「施設としては現役ではないから」という意見はよく理解できますし、おそらくそう考えられてのものだろうと思っていました。とはいえ、他所のコンクリ城のガイドさんに「えっ姫路城ってコンクリ製じゃなかったの?!」と言われて激しくがっくり来たことがあったもので、一緒にせんといて欲しいと言いたくなる気持ちもあるものですから……。なんとか折衷案というか、両方の意見を満足できる表現を模索したいです。--片山章魚坊(Takobou) 2009年1月22日 (木) 14:22 (UTC)
横から失礼いたします。ムカイさんの当ノートでの記述のような方向性で表現なさったらいかがでしょうか?
具体的には、「兵庫県姫路市に現存する城郭。現在は文化財として世界遺産・国の特別史跡に登録・指定されている」といった形ではどうでしょう?--Carbucketty 2009年1月22日 (木) 14:37 (UTC)
片山章魚坊さん、ご返事ありがとうございます。Carbuckettyさん、コメントありがとうございます。
建物が現存していて、「ある」という認識に関しては私としても否定できず、どちらも表現するという方法が望ましいと思います。私は、「兵庫県姫路市にあった城」のあとに「現在は、主郭部分に江戸時代に建てられた天守や櫓などの建造物群が現存し、文化財としてユネスコの世界遺産に登録、国の特別史跡に指定されている。(Carbuckettyさんの案文を一部拝借いたしました。)」というふうにすることを考えました。--ムカイ 2009年1月22日 (木) 15:12 (UTC)
片山章魚坊さんの発言がまだなのでコメントを自粛しておりましたが、一応リアクションをしておきます。
私の案文を一部拝借と仰っていただいておりますが、元々ムカイさんの発言から抜き出したものでもありますし、もし本文への適応を待っていただいているのでしたら、ご遠慮なくお使いください。また、ムカイさんの文案はより的確な記述になっているかと思います。--Carbucketty 2009年1月26日 (月) 16:11 (UTC)
どうもすみません、待っていてくださったとはありがたい。お二方のご意見を元に修正してみました。--片山章魚坊(Takobou) 2009年1月27日 (火) 12:41 (UTC)
編集作業お疲れ様です。少し遅れましたが、修正内容を拝見いたしました。片山章魚坊さん、Carbuckettyさんご意見いただきありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。--ムカイ 2009年1月28日 (水) 14:44 (UTC)
「あった」と過去形にするのは日本語の感覚としては変です。現在、城本来の役目をしていないというはこじつけのように思います。城とは辞書の定義に関わらず、遺構の意味もあるからです。--Deepimpact会話2013年9月9日 (月) 23:40 (UTC)
Deepimpactさんこんにちは。コメントありがとうございます。読者の方からは、よく、そのようなご指摘をいただいております。この表現となった経緯については、以上に議論のあった通りです。
物として存在が確認できるものをどう表現するかについて、特にお城というのは精神的な存在感から現在進行形の表現を使いがちであり、われわれ日本人としてお城の建物が建っている状態を「お城がある」と表現することが多いです。しかし、それは主観的な表現であって、実際の法律上や、辞書的な軍事施設としての日本の「城」という定義について、「ある」という表現が現在姫路城の立場を表現するには十分でないことから、安易に「ある」というべきではないと判断しました。その代わりに現存建築が多数残り保存されているという旨を続けて付け加えるとこで2009年1月の議論では、ご同意をいただきました。
これはとくに、「ある」という表現を忌避しているのではありません。今現在問題としてあるのは姫路城を初めとする「あるのにない」城の存在について、どう適切に表現するかです。もしよりよい改善方法を提供していただけるのでしたら、引き続き議論にご参加ください。--ムカイ会話2013年9月10日 (火) 14:58 (UTC)

特にそこまでこだわらなくても「軍事施設としての城が現存している」と取る人はいないでしょう。「取り壊した」「焼失した」などと誤解される危険性の方がはるかに大きいと思います。ただ現状で現在形にすると確かに「播磨国、、、にある」というつながりの文章になってしまいそれは違和感があるので、検討は必要だと思います。--プリズム11会話2015年11月14日 (土) 07:06 (UTC)

プリズム11さん、早速ありがとうございます。この「ある」「あった」問題については、姫路城だけに限定されず全国的な城にも関わることですので、慎重に議論を重ねていい結論に至れれば結構だと思います。
>「取り壊した」「焼失した」などと誤解される危険性の方がはるかに大きいと思います。
それについては、ただ単純に「あった」とした場合に起きやくなる誤解であり、現在のところ「江戸時代初期に建てられた天守や櫓等の主要建築物が現存し、建築物は国宝や重要文化財、城跡は国の特別史跡に指定されている。この他に、ユネスコの世界遺産に登録や、日本100名城などに選定されている」と後述してあるので、その心配にはおよばないと思います。
個人的なこだわりというより、姫路城を「ある」という表現にしてしまうことで生じるウィキペディア内の不公平感の解消です。仮に現存する建物のある城跡を「ある」とする条件を設定した場合、姫路城や松山城などは建物が多く現存するので当然見かけは「ある」でおかしいことはないのですが、この条件によれば櫓や城門1棟でも現存していれば「ある」とするので、姫路城が「姫路市にあった」城ではおかしいということと同じように、逆に天守1棟のみ現存するものの内堀を失い主郭のみとなった丸岡城で「ある」ではおかしいという人も出てくるということです。つまり、見た目だけを見て「ある」「あった」とするのは主観に判断をゆだねるものであって、安易ではないかと思うところです。では、公平に扱うためにと具体的な数字を基に振り分ける方法用いるとすると、存城期全体の何割以上の建築遺構と史跡の現存率が必要云々の小難しい割り出しをすることになり、「ある」「あった」を公平に分別するためだけに膨大なデータ収集と専門的な調査が必要となるでしょうから、私たちでは大変難しい作業になるでしょう。とはいえ、ウィキペディアは主観によらないことが方針の軸にあるものですから、ある程度の客観的観点から記述することになると思います。それが議論によって合意を形成して記述するという方法です。冒頭の記述はそうした議論を経て出された一つの答えです。しかし、この記述をすべての人が納得しているかといえば、そうではないことは私もであり、大変もどかしい思いです。
うまくまとめられず申しわけありません。
さて、妙案ですが、史跡や建築物、観光名所に限定したものとしての「姫路城 (文化財)」に分割し、そこで「ある」という表現を使用すればこの問題は軽減されるのではないかと思います。たとえば、「姫路城は、兵庫県姫路市にある日本の城郭建築遺構である。特別史跡としての名称は「姫路城跡」として登録されている。現存する建築は日本の文化財保護法の国宝、国の重要文化財に指定されている。またユネスコ世界文化遺産に「姫路城」として登録されている。」という風に。ただ、これはあまり現実的ではないかもしれません。--ムカイ会話2015年11月14日 (土) 14:08 (UTC)
分割は現実的ではないですね。個々の城跡で検討していくしかないでしょう。実際過去の軍事施設「姫路城」と現在の文化財「姫路城址」が世間で厳密に区別されているかって話ですよ。姫路城に関して言えば「あった」と書くのは無理です。「ある」です。--プリズム11会話2015年11月14日 (土) 14:30 (UTC)
分割案はたとえ話のようなものですから、お気になさらないでください。
>姫路城に関して言えば「あった」と書くのは無理です。「ある」です。
ご意見の内容は詳らかにお願いします。
さて、私の考えですが、「ある」「あった」という表現を単純に使わずに、別の表現に練りこんで表現すると言うのはいかがでしょう。
たとえば「姫路城は、播磨国飾東郡姫路(兵庫県姫路市)に築かれた中世から近世の日本の城である。江戸時代初期に建てられた天守や櫓等の主要建築物が現存し、建築物は国宝や重要文化財、城跡は国の特別史跡に指定されている。この他に、ユネスコの世界文化遺産に登録や、日本100名城などに選定されている」というようにです。--ムカイ会話2015年11月15日 (日) 14:16 (UTC)
いや過去形か現在形かこだわるのであれば、「中世から近世の日本の城である」ってのも「中世から近世の日本の城であった」でないとおかしい、というふうに引っかかるのではないですか。それが気にならないのなら「ある」を「あった」に修正し続ける理由がないのではありませんか。--プリズム11会話2015年11月15日 (日) 14:55 (UTC)
おつかれさまです。コメント依頼をしてまいりました。
>過去形か現在形かこだわるのであれば
いいえ、姫路城の過去と現在の内容を補うにはどのような表現がよいかという議論です。有効であればあらゆる選択肢はこの議論から排除すべきではありません。
>「中世から近世の日本の城であった」でないとおかしい
「播磨国飾東郡姫路(兵庫県姫路市)に築かれた中世から近世の日本の城」というのは、「姫路市にある」「播磨国にあった」、という書き方をやめて、建築年代や時期で説明するように変更しよう、ということです。つまりこれは、「姫路城は、播磨国姫路(兵庫県姫路市)に建てられた中世から近世の建築物」と記述しているのです。現在も姫路城は地表にあるものは石垣を含めて織豊時代から江戸時代初期の建築物です。--ムカイ会話2015年11月16日 (月) 14:11 (UTC)

コメントコメント依頼から来ました。とりあえず簡単に調べた範囲ですが、

  • 日本ユネスコ協会連盟
    • 「兵庫県姫路市にある姫路城は、…日本における文化遺産として最初に世界遺産リストに登録された」(日本ユネスコ協会連盟『世界遺産年報2011』p.35)
  • 世界遺産検定事務局
    • 「兵庫県姫路市にある姫路城は、現存する日本木造城郭建築の最高傑作とされる建造物である」(世界遺産アカデミー監修『くわしく学ぶ世界遺産300』p.58)
  • 古田陽久ほか
    • 「姫路城は、兵庫県姫路市内の小高い丘、姫山にある平山城」(古田ほか『世界遺産事典 - 2016年版』p.65)
  • 各種辞典類の横断検索[1]

調べている範囲では、辞書類も含めていずれも「ある」です。「辞書的な軍事施設としての日本の「城」という定義について、「ある」という表現が現在姫路城の立場を表現するには十分でないことから、安易に「ある」というべきではないと判断しました。」とのことですが、現に辞書類でも使われている表現を、何一つ信頼できる情報源を挙げておられない状況で否定なさるのは不適切です。Wikipedia:検証可能性に則れば、「自分は『あった』とするほうが正確だと信じる」ではなく、実際の文献での使用例がどの程度あるのか、が具体的に示されるべきでしょう。関連文献・サイトの中でウィキペディア(およびそれをコピーしたサイト)のみが「あった」を採るのだとすれば、それは編集方針上、許容されるべきではありません。--Sumaru会話2015年11月18日 (水) 13:00 (UTC)

Sumaruさん、ようこそ。
>現に辞書類でも使われている表現を、何一つ信頼できる情報源を挙げておられない状況で否定なさるのは不適切です。
辞書類的な軍事施設としての日本の城という定義に関してであり、「ある」の使用率に関しての指摘ではありません。
予め調査していただいた世界遺産関係の資料ですが、ユネスコ世界遺産は「姫路城」という名称での登録なので、姫路城の建造物群を有形の文化遺産として登録したユネスコの見解としては至極当然の表現です。ちなみに、日本の特別史跡(建物を含まない)としては「姫路城跡」という名称で指定されています。
いずれにしても、ウィキペディアは多数決ではなく、複数の文献を基にしていかによりよい記述とするかが求められるでしょう。
現在、「姫路城は、兵庫県姫路市にあった日本の城。・・・」というような表現にしている理由をまとめをかねてご説明します。
一般的な辞書にある城の定義は、敵を防ぐための建物であり、敵を防ぐために実用されていない姫路城の建築は、辞書に従えば城とはいえないということになります〔出典1〕〔出典3〕。もちろん、厳密な意味でのということですが、それにしても実際に姫路城の現存している部分はほんの一部のみで〔出典2〕、往時に比べれば城がある状態(城の定義として)とはとても言えません〔出典3〕。したがって「姫路城は、兵庫県姫路市にある日本の城。」というような冒頭文は、歴史上の軍事施設としての姫路城の部分の説明を欠いており、誤解を与えかねない状態にあるのです。現在の「姫路城は、兵庫県姫路市にあった日本の城。江戸時代初期に建てられた天守や櫓等の主要建築物が現存し、建築物は国宝や重要文化財、城跡は国の特別史跡に指定されている。この他に、ユネスコの世界文化遺産に登録や、日本100名城などに選定されている」という表現であれば、中世から近代までの軍事施設、政庁であった姫路城の歴史的部分の説明を補う「あった」に続いて、このノートでご提案をいただて決定した現在の様子を追記することで、弱冠長いものになっていますが併記が実現しています。しかし、現在の表記が最高のものであるかといえば、私もそうは思いませんし、然るにこうして幾度となくご指摘をいただいているのです。
〔出典1〕金田一春彦編『学研 現代国語辞典 改訂新版』2000年
“昔、敵を防ぐために築いた堅固な建物。”
〔出典2〕三浦正幸 小沢健志監修『レンズが撮らえた 幕末日本の城』山川出版社 2013年
抜粋引用(執筆は三浦正幸氏による)
 “ユネスコ世界遺産に登録された姫路城でさえ、往時の城内の建物は一割も残されてはいない。(中略)本丸内には御殿が建ち並び、そして壮大な天守がそびえていた。今日の「荒城」状態からは想像もつかない。したがって、ほとんどすべての建築物を失った現代の城は、「城跡」なのである。”
〔出典3〕中山良明著『もう一度学びたい 日本の城』西東社 2008年中山良昭編著『もう一度学びたい 日本の城』西東社 2007年
抜粋引用(執筆は中山良明中山良昭氏による)
 “現在の『広辞苑』には「敵を防ぐために築いた軍事的構造物」と記されています。”
 “姫路城のように立派な天守が残っていても、軍事的意味のない現在は、すべて城跡であって、現役の城ではないことも忘れてはいけません。”
現在形と過去形を使う表現では限界があるため、前述した「播磨国飾東郡姫路(兵庫県姫路市)に築かれた中世から近世の日本の城」という「建築された時期による所在の表現方法」への変更を提案しております。--ムカイ会話) 2015年11月19日 (木) 15:13 (UTC)Sumaruさんよりご指摘の部分を訂正。--ムカイ会話) 2015年12月3日 (木) 13:45 (UTC) 中山氏の著書の正式な出版年が判明したため、訂正しました。--ムカイ会話2015年12月7日 (月) 14:42 (UTC)
現状の記述よりも「姫路城は、播磨国飾東郡姫路(兵庫県姫路市)に築かれた中世から近世の日本の城である。」のほうが誤解を招きづらいという点には同意します。
他方で、姫路市という所在地との関連で「あった」と表記している文献はあるのでしょうか。世界遺産だったら、とおっしゃいますが、上で辞書類の横断検索結果もお示ししたように、「姫路市にある城」(大辞林第三版)、「兵庫県姫路市にある城」(デジタル大辞泉)、「兵庫県姫路市本町の姫山にある城郭」(世界大百科事典第2版)と、世界遺産限定でなくとも「ある」表記しか見当たりません。付け加えて手許の電子辞書の『ブリタニカ国際大百科事典』『百科事典マイペディア』も「ある」です。
>多数決ではなく、複数の文献を基にしていかによりよい記述とするかが求められるでしょう。
というのはその通りです。しかし、多数対ゼロのときにゼロが採用されているのだとすれば、それはWikipedia:独自研究は載せないに抵触していることです。その点、どうもお答えでは真正面から扱われていないように感じます。--Sumaru会話) 2015年11月19日 (木) 15:34 (UTC)論旨明確化のため、追記。--Sumaru会話2015年11月19日 (木) 15:48 (UTC)
コメント依頼から来ました。ムカイさん、6年間にわたっての孤軍奮闘お疲れさまです。一つ質問させてください。ムカイさんの理論によると、姫路城はいつからいつまで「ある」状態にあったんですか?--Xx kyousuke xx会話2015年11月19日 (木) 15:32 (UTC)
Xx kyousuke xxさん、ようこそ。
全国の城は法律的には1873年に発布された全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方以降の城、陣屋について従来の軍事要塞としての城の機能が廃棄、放棄、または整理されており、姫路城も存城処分となって第四軍管第十師管分営が置かれたのが同年であり、江戸時代までの現役の姫路城としては一般的にはこのころとされます。余談ですが、私個人としては1912年(大正元年)に一部の軍用地を除いて「姫路公園」として市民に開放されるようになったころからが、正確な意味で城でなくなったといえると考えています。兵営があったことを城とするのであれば1945年までともいえますが、初めて市民開放があった1912年以降と考えています。--ムカイ会話2015年11月21日 (土) 13:45 (UTC)
ムカイさん、ご回答いただきありがとうございます。1873年、1912年、1945年のいずれかで明確な回答はできないということで承知しました。いずれにしても情報の合成による独自研究であるとの印象を強めただけでした。一見出典を伴っている風に見せながら、実は独自研究をかざしているだけということに気づかれるべきだと思います。「現役の姫路城としては」「一般的には」「正確な意味で」「兵営があったことを城とするのであれば」などと肝心なところで評価・判断が入っているのがその証左です。ご一考ください。--Xx kyousuke xx会話2015年11月21日 (土) 15:06 (UTC)
Xx kyousuke xxさんおつかれさまです。ご指摘ありがとうございます。1873年以外は私論であり、修正を行う上でそれに基づいているというわけではありません。--ムカイ会話2015年11月22日 (日) 05:02 (UTC)
1873年の全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方にしても、姫路城が存城処分になったことの出典になるだけで、そのことをもってそれ以降姫路城は「ある状態にはない」というのは完全にムカイさんの独自研究ですよね?それ以前にこういう議論をしなくては姫路城があることにはならないこの事態の異常さを、私は憂慮しています。客観的に見ると全く異様な光景だと思いますよ。--Xx kyousuke xx会話2015年11月22日 (日) 06:45 (UTC)
>それ以前にこういう議論をしなくては姫路城があることにはならないこの事態の異常さを、私は憂慮しています。客観的に見ると全く異様な光景だと思いますよ。
コメント私もそのように考えておりました。一般的な表現に修正されたこと、そしてなりよりその合意が得られるための努力をされたすべての方に感謝いたします。--Nisiguti会話2015年11月27日 (金) 14:57 (UTC)
>それ以前にこういう議論をしなくては姫路城があることにはならないこの事態の異常さを、私は憂慮しています。
ご面倒をおかけいたしております。姫路城の場合、建物があることをもって「ある」という表現をすることは、日本の城の定義に則す場合「中立的な観点」を損ねているものですから、こうした議論は客観的に見れば不思議な光景ではないかと思います。
Sumaruさんと論旨を同じくするのでしたら、以下の変更点について私から合意に至っておりますので、同様の追及をなさる大義も必要もないように思われます。合意できないとおっしゃるのでしたら、理由を明確におっしゃってください。
全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方「存城処分」というのは、陸軍の郡用地として活用するために建物、樹木、土地を整理することであり、イメージされるような、城郭建築の存続を決定したものではありません。姫路城の場合は、三の丸部分について建物をすべて取壊し、兵舎を設置しています。辛うじて構(かまえ)は存続しましたが、かつての日本の城としての防衛施設の機能は廃されて、主郭部についても放置されて、1877年(明治10年)には飛鳥井雅古(陸軍少将)が、“すでに機能は失われているが、破損だらけでは体裁にもかかわり(加藤理文執筆「姫路城」学習研究社編『歴史群像特別編集 【決定版】図説 国宝の城』学習研究社 2010年より抜粋引用)”と大天守以下の建築の修理を伺いが建てられ、翌年中村重遠(陸軍大佐)のはたらきかけによって、文化財として建物を存続することになったのです。--ムカイ会話2015年11月22日 (日) 09:32 (UTC)
Sumaruさん、おつかれさまです。
>世界遺産だったら
示された調査文献がすべて世界遺産関連であったためです。
Wikipedia:独自研究は載せないに抵触とのご指摘をいただきまして、改めて調査をしてまいりました。平凡社編『世界大百科事典』平凡社 1988年(平凡社1988年)、および小学館編『大日本百科事典 ジャポニカ』小学館 1970年(小学館1970年)を参照しましたところ、「ある」の表現のみを確認いたしました。同時に、「城」についての記事を両方参照したところ、伊藤鄭爾氏(小学館1970年)は、“一般に敵の攻撃を防ぐための軍事的構造物(塁、堀、柵など)のことをいい、さらにそれらで防衛された地域もいう。(抜粋引用)”、村田修三氏(平凡社1988年)は“城という言葉は、建物だけを指す用語法もあるが、建物の設けられた一定区画の土地とその防衛施設も含めた総体をさす用語法の方が正しい。(抜粋引用)”とあり、両文献とも軍事施設として定義してありました。
このノートを参照されてご承知のとおり、「あった」はこの節で合意形成が行われて記述されるようになった表現でありますので、はっきりと「あった」と書かれてある文献はないと思われます。ご指摘の内容はともかく、「あった」などの過去形やそれに準ずる表現についての確認ができないため、したがって「検証可能性」に抵触する可能性が指摘されます。
一方で、前述における出典に示しましたように、姫路城を含む日本の城はすべて城跡であるという観点が、検証可能な二次資料によって確認できますので、そうした観点により、「現役の城ではない」「城跡」という間接的ながら姫路城を例にとって城が歴史的なものという表現はあり、十分「あった」と記述できるだけの根拠があるといえるのではないかと思います。姫路城が目の前にあることも、現役の軍事施設としての城ではなく観光名所であることも検証可能性を指摘するほどでもない事実であることは確かであり、どちらを表現しても構わないように思います。今となれば、記述表現の根拠として念のために出典を明記することを怠った私のミスでもあるかと思います。
しかしながら、今回は「ある」か「あった」かへの変更が焦点ではなく、冒頭部分の記述方法において姫路城の過去と現在の内容を補うようにするにはどのような表現がよいかという議論であり、そうした問題部分を包括して改善するためのものでもあるのですから、Sumaruさんの論旨が汲めておりませんでしたらもうしわけありませんが、今後同様の件を必要以上に追及されるのは無意味ではないかと思われます。--ムカイ会話2015年11月21日 (土) 13:45 (UTC)
>示された調査文献がすべて世界遺産関連であったためです。
一番最初のコメントに「各種辞典類の横断検索[2]」とリンク付きで明記しております。また二度目のコメントでも「上で辞書類の横断検索結果お示ししたように」と念押ししているんですが。こちらのコメントをきちんと読んでおられますか?
で、姫路城について非常に良く調べておられるムカイさんの調査によってさえ、「「あった」などの過去形やそれに準ずる表現についての確認ができない」というのであれば、その状況で「あった」と定義付けることはWikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に明白に抵触します。「姫路城を含む日本の城はすべて城跡であるという観点」を推進する形で、従来の辞書・事典類の定義を不十分と断じ、異なる表現を使っておられるわけですから(誤解のないように念押ししておきますが、そのような観点が誤っているということではありません。ウィキペディアでは事実かどうかよりも検証可能かどうかが重視されるというのは当然ご存知のことと思います)。
城は防衛あるいは政庁などの機能を有していたという定義は上で挙げた辞書類にも書かれています。にもかかわらずそれらの辞書で「姫路市にある」と定義付けられているということは、機能を失った事実は「ある」と定義づけることを妨げると認識されていないということです
同様に度々の改築を経ているということは各種の百科事典類にも書かれています。にもかかわらず、それらの事典で「姫路市にある」と定義付けられているということは、往時の姿が限定的である事実は「ある」と定義づけることを妨げると認識されていないということです
それらがたった1例しかなければ何らかの手違いということもあるでしょうが、そうでないことはムカイさんもご確認になったわけですよね。であるならば、まず本文を「ある」に戻した上で、「ある」では不十分なポイントをカバーするような表現を模索するのが筋ではないでしょうか。
なんでこんなことにこだわるかといえば、全く別の表現にするという今般の提案がすぐに合意に達する保証がどこにもないからです(私はムカイさんの提案に反対する意図はありませんが、ほかの方はどうか分かりませんし)。その間、独自研究に抵触する恐れのある表現を放置しておく必然性がどこにあるのでしょうか。辞書、事典類がおしなべて「ある」になっている、だったら、その広く用いられている表現の方にとりあえず戻しておく方が、百科事典であるウィキペディアの記事として遥かに穏当なのではないでしょうか。--Sumaru会話2015年11月21日 (土) 14:24 (UTC)
Sumaruさん、おつかれさまです。
詳しくご説明をしていただいて、論旨を理解いたしました。一定の観点に凝りすぎていたことで方針上において判断ミスをしてしまったようです。独自研究を載せないに抵触する理由につき、一旦、「ある」という表現に変更ことに同意いたします。
合意部分の修正後、懸案の冒頭部分おける表現方法の議論に移りたいと思いますがよろしいでしょうか。--ムカイ会話2015年11月22日 (日) 05:02 (UTC)
下の話題との境界をはっきりさせるため、段下げを調整させて頂きました。
さて、本文を「ある」に修正後、次の議論に移ることに同意します。なお、普通の合意形成では少なくとも1週間取ることが求められていますが、「ある」への暫定的修正は即時にしてしまっても差し支えないものと考えます。少なくともこの節の過去の議論を見ても、ムカイさん以外に「あった」を強く推進しておられた方は見当たりませんので、ムカイさんにご同意いただけたことで手続き上の問題は実質的になくなったと考えるためです。方針に抵触する(少なくともその恐れがある)表現を残すように強く要求する人が別に現れるとも思えません。また、「ある」への修正に1週間、次の文案への変更に1週間(以上)を要するというのでは、少々間延びしすぎるように思います。
その辺り、強硬に進めるつもりはありませんので、少なくとも私はムカイさんの裁量に一任します。--Sumaru会話2015年11月22日 (日) 08:58 (UTC)
字下げを一段に調整します。
Sumaruさん、おつかれさまです。一任いただきましてありがとうございます。管理者の方とのことで、方針上のことで非常に心強く思います。よろしければ、以降の議論にもご参加いただけましたら幸いです。
>「ある」への修正に1週間、次の文案への変更に1週間(以上)を要するというのでは、少々間延びしすぎるように思います。
少々簡単にお考えのようです。Sumaruさんが3日で済ませることを、いくら私であっても6年も悩みません。
ところで、わたしが「あった」を「強く推進」しているかのようにおっしゃっておりますが、その認識は誤りです。あくまでも今の状態で単に「ある」と表現することに対するものであり、中立性が保たれるのであれば「ある」でも「あった」でも一向に構いません。そこで私から質問ですが、「姫路城は兵庫県姫路市にある日本の城」という記述は、十分に中立的な観点が保たれていると思われますか。ご回答次第では、少し手を加える必要があります。よく、ご吟味ください。
ちなみに、失礼ですが、城郭に関する基礎的知識をお持ちのかたでしょうか。--ムカイ会話2015年11月22日 (日) 14:11 (UTC)
>少々簡単にお考えのようです。
意味が分かりません。独自研究に抵触する(恐れのある)表現をさらに1週間残す必然性がありますか、というのがまず1点。つぎに、「ある」に戻すのでは不十分だとお考えになるからこそ、次の文案を提示していらっしゃるのですよね。で、「ある」への再修正に1週間費やした場合、次の文案への再修正まで最速でも今から2週間以上必要なわけですが、「ある」では不十分だと判断して独自研究の恐れのある「あった」の採用にまで踏み切った方なら、一刻も早く「ある」表記を解消し、より適切な表現に修正したいとお考えなのではないか、と考えてあのように提案しただけです。言い換えれば、貴方が高い専門知識をお持ちらしいからこそ、それをできるだけ早く発揮なされるようにと申し上げただけですので、「ある」に再修正した後で、もう6年かけてじっくり吟味したいというのなら、別にそれはそれでお止めする理由はありません。少なくとも手続き期間は一任したとおり、お好きなようにどうぞ。
>そこで私から質問ですが、「姫路城は兵庫県姫路市にある日本の城」という記述は、十分に中立的な観点が保たれていると思われますか。
「十分に」の含意にもよるでしょうが、中立的な観点は保たれていると認識しています。上で述べたように、貴方が出典付きで挙げておられる事実の数々が「ある」と表現することの妨げになるという立証自体がなされていないからです。機能を失っていようが往時の姿が限定的であろうが「ある」と定義付けるのが、既存の辞書、事典類におしなべて共通する表現なのですから、それを採用することで非中立的になるとは考えられません。
>城郭に関する基礎的知識をお持ちのかたでしょうか。
いいえ、多分貴方から見れば全くのド素人でしょう。--Sumaru会話) 2015年11月22日 (日) 14:57 (UTC)自分の意図しない形で皮肉っぽく読めてしまうと気付いたので、誤解のないように若干加筆。--Sumaru会話2015年11月22日 (日) 15:26 (UTC)
お気遣いありがとうございます。どのような方でも、議論が長くなったり思うようにならないときは感情的な表現を書いてしまうこともあるでしょうから、その辺はお互い寛容に対応するということでよろしいかと思います。カッとなっていては議論にならないでしょうから、少し時間を置くなどすればよろしいかと思います。ところで、イタリックをご使用のようですが、私がchromeで編集しているせいで正しく表示できないでおります。折角、引用部分にご配慮いただいたのに、すみません。
>いいえ、多分貴方から見れば全くのド素人でしょう。
そうですか。失礼いたしました。素人や玄人の基準がないのでわかりませんが、私もまだまだ勉強中です。
>“少々簡単にお考えのようです。”
これは独自研究の件ではなく、冒頭文の表現の問題です。「6年も悩んでいる」ということでわかるはずと思っていましたが、私の言葉がたらず語弊があったようです。
一刻も早く修正を行いたいのですが、もう一つの「中立的な観点」はどうなのかということです。もし抵触するのであれば「ある」単独での修正も現時点ではできないと思い、念のための質問です。しかし、今回のご回答では詳らかなものではないように思います。当初、多数決ではないというのはそのとおりだとおっしゃいました。もうご存知のように、出典をともなって「すべて城跡である」という観点があるにもかかわらず、おしなべて共通する表現をとることが中立的表現といえるという証明がありません。中立的な観点から引用して明確な証明をしていただければ、安心して修正できます。たとえ、「中立的な観点」を犠牲としても問題ないといえるのでしたら、そのまま修正いたします。--ムカイ会話2015年11月23日 (月) 06:08 (UTC)
Wikipedia:中立的な観点をよくお読み下さい。それはあらゆる観点を平等に扱えという方針ではありません。「そのトピックについて異なる観点を記載する際には、その相対的な勢力差が適切なレベルで反映されるよう記述してください。同等であるとの誤った印象を与えたり、特定の視点を不適切に重点的に記述することを避けてください」とあります。全て城跡であるという観点があろうとも、それをもって「あった」と定義付けている文献がないというのであれば、そのような観点に過度に配慮して定義づけることのほうが不適切です。「ある」表記を採用することで「「中立的な観点」を犠牲としても」という話にはなるとは、到底考えられません。--Sumaru会話2015年11月23日 (月) 06:30 (UTC)
時下げを一段階に戻します。
Wikipedia:中立的な観点についても、事前によく読んで臨んでいるところであり、内容も想定内です(図ったわけではありません。あしからず)。
「“「ある」表記を採用することで「中立的な観点」を犠牲としても”」文頭に「たとえ」とあるように、もしもの話です。中立的観点に抵触しなければ構わないという断りの1行です。
すこし、力押しな感がありますが、詳らかにご説明いただいたので、これで安心して修正することができます。
なお、「ある」と表現を変更することで、記述に歪みが生じるのであわせて加筆、修整して調整いたします。
以後、以下の修正に移りますので、引き続きご参加をお願いいたします。--ムカイ会話2015年11月23日 (月) 07:49 (UTC)
数時間程度動きが止まっていますから、あの一度の御編集で「ある」への修正は終わった、と受け止めてよろしいのでしょうか。
正直なところ、「Wikipedia:中立的な観点についても、事前によく読んで臨んでいるところ」とのおっしゃりように、ここ数日の議論を思い返しつつ、戸惑っているところです。「中立性が保たれるのであれば「ある」でも「あった」でも一向に構いません」とのお言葉もあったわけですし、それなら、もう今回の修正でいいのではないのか、とも思えてきます(この記事は「概要」節がきちんと書けているだけになおさら)。
そうはいっても、ここで議論を打ち切ってしまったら、「ある」表記に戻すための方便として次の議論に進むことに空手形を与えたかのようになってしまい、個人的にも気分が良くないので、さらなる文面の修正への同意は取り消しませんし、議論にも参加させていただく予定ですが、今後どなたか別の方によって「『ある』表記のままでいい。これ以上の修正は必要ない」という意見表明があった場合、私があえて文面の更なる修正を推し続けるかはお約束しかねます。--Sumaru会話) 2015年11月23日 (月) 10:51 (UTC)誤って加えてしまった箇所があったので復旧しました。すみません。--ムカイ会話2015年11月23日 (月) 14:00 (UTC)
編集完了のご報告が遅れましてすみません。無事完了しました。
ご参加いただけるというだけでありがたいです。もしそうなったときは、Sumaruさんは中立的に計らっていただければ結構ではないかと思います。
歴史的建造物であるのですから、建築時期をもって表記するのであれば、これは絶対なのですから、建築史の観点からも、観光的観点からも最適な表記ではないかと思います。
現時点では、中立的な観点上では問題ないといわざるをえないというところです。私自身はまだ本当には納得してはいません。それはそれとして、冒頭文は記事の顔とも言うべきもの、最初にくる言葉が「姫路市にある日本の城」というのは、姫路城がそっくりそのままあると印象付けるのもので、また「ある」という定義文が城に対する誤解を生むことになるという認識です。それに比べれば、今回提案した歴史的建造物であることからの建築時期を冒頭に持ってくるという案のほうが、どちらも補完できているので姫路城には最適ではないかと思います。
それらも含めて推敲していき、合意形成ができない場合はそのままということです。--ムカイ会話2015年11月23日 (月) 13:37 (UTC)

今後の修正について

長くなっているので、小見出しを挿入しました。--Sumaru会話) 2015年11月22日 (日) 14:57 (UTC) 色々とお手数おかけしてすみません。--ムカイ会話2015年11月23日 (月) 06:08 (UTC)

>現状の記述よりも「姫路城は、播磨国飾東郡姫路(兵庫県姫路市)に築かれた中世から近世の日本の城である。」のほうが誤解を招きづらいという点には同意します。
ありがとうございます。よろしければ改善点のご意見をお願いいたします。
個別の城郭を掲載した城郭専門の文献では百科事典独特の冒頭に定義文を書き出すスタイルではないため「あった」どころか「ある」すらなく、内容としては、“姫路城の創建は、南北朝時代の始めとされる。”(学習研究社編『歴史群像 日本100名城 公式ガイドブック』より引用)という築城された時期を冒頭に記述するスタイルがよくみられます。ご参考までに。
  • 調査したおもな文献
    • 中城正尭・福代徹執筆 (財)日本城郭協会監修 学習研究社編『歴史群像 日本100名城 公式ガイドブック』学習研究社 2007年
    • 村田修三監修『ビジュアルワイド 日本名城百選』小学館 2008年
    • 加藤理文・平井聖ら10名執筆 学習研究社編『歴史群像特別編集 【決定版】図説 厳選 日本名城探訪ガイド』学習研究社 2009年
    • 全国城郭管理者協会編『日本の名城』碧水社 1995年
    • 平井聖監修『城 中国6 甍きらめく西国の城塞』毎日新聞社 1996年
--ムカイ会話2015年11月21日 (土) 13:45 (UTC)

行を変更します。これ以降に新しい提案をします。

今回、“姫路城(ひめじじょう)は兵庫県姫路市にある日本の城。”という冒頭文の一部を、以下に改めることを提案いたします。

姫路城(ひめじじょう)は、播磨国飾東郡姫路(兵庫県姫路市)に築かれた南北朝時代から江戸時代初期の日本の城。

修正案提示理由は、従来の表記は現在の公園にある建物遺構群としての姫路城を定義するものであり、必ずしも城郭(現役の城)を表現するものではないため、誤解が生じる可能性があり、歴史的建造物群および史跡である現在の状態を踏まえて、姫路城が築かれた年代を記述するのが適切であると考えるためです。ご意見をお願いいたします。--ムカイ会話2015年11月23日 (月) 14:00 (UTC)

  • コメント基本線として賛成しますが、細かい点で何点か(最初の一文だけでなく、冒頭部全体についてをいくつか含みます。そこにはムカイさんが携わっていない要素もあるでしょうが、ついでということで提起します)
  1. 所在地(過去、現在) + 時代を述べた上で「日本の」とあると、(辞書、事典類が主に「~にある城」と規定しているのに比べて)ちょっとくどい印象があります。この場合の「日本の」は単に所在地を指すのではなくて、「日本の城」で実質的に一つの言葉をなしているのだろうということくらいは推察できますが、その部分を [[日本の城|城]] などとするわけにはいかないのでしょうか。
  2. 白鷺城云々をもう一、二文あとに回しませんか? 誤解を招く、招かないという話になりがちなのも、最初の短い一文だけで完結させようとするのが一因の気がします。現状の場合、正確性が優先されて「詳細は名称の由来と別名を参照」といった注記まであるため、パッと読んだときにそこで情報が分断されている印象があります。最初の一文に続けて、「江戸時代初期に建てられた天守や櫓等の主要建築物が現存し」云々をつなげれば、所在地、築造年代、現存する要素が連続して読者に把握できますから、城の概要をつかみやすいと思うのです。白鷺城云々は太字になっていることですし、最初の段落にありさえすれば、埋没することはないように思います。
  3. 今回の修正と直接関連しませんが、「ユネスコの世界遺産に登録や、日本100名城などに選定されている」の「に登録や」というのは文の繋がりが不自然です。「ユネスコ世界遺産リストに登録され、日本100名城などにも選定されている」としてはどうでしょうか。
  4. 「「美しさ日本一」という人もいる」は、冒頭に必要でしょうか。仮に残すのであれば、むしろ本文に発言者である坂東三津五郎さんの名前を出して、日本の伝統文化とも縁の深い方の発言であることを明記するほうが、ぼやっとした印象を回避できるように思います。
コメント 冒頭文は今のままがいいと思います。あえて、日本語として不自然な文章にする必要性を感じません。誤解うんぬんは完全に考え過ぎですし、仮にそうでないとしても、曖昧な文章にすることによって理解の妨げになる弊害の方が大きいと思います。冒頭文の変更には明確に反対します。「現役の城」と考える読者がいるのかどうかは不明ですが、仮に「現役の城」ではないことをどうしても書かなければいけないのであれば、それは二文目以降でもよろしいでしょう。なお、Sumaruさんが提示されている修正案についてはいずれも同意します。--Xx kyousuke xx会話2015年11月24日 (火) 13:52 (UTC)
コメント みなさん、おつかれさまです。Xx kyousuke xxさんも戻って参られたことですし、よい議論ができればいいと思います。
私ごとですが、議論のペースが大変遅くなっていますので、皆さんにはご迷惑をおかけしており、申し訳ありません。
ところで、個々の自由ではあるのですが、意思表示のときは「 反対 」「 賛成 」を使ってくださると見やすいのではないかと思います。
Xx kyousuke xxさんのご意見について
>“あえて、日本語として不自然な文章にする必要性を感じません。”
お手数ですが、不自然な箇所をご指摘ください。引用していただくと助かります。
>“誤解うんぬんは完全に考え過ぎですし、仮にそうでないとしても、曖昧な文章にすることによって理解の妨げになる弊害の方が大きいと思います。冒頭文の変更には明確に反対します。「現役の城」と考える読者がいるのかどうかは不明ですが、仮に「現役の城」ではないことをどうしても書かなければいけないのであれば、それは二文目以降でもよろしいでしょう。”
現役の城ではないことを書くための議論ではなく、そうした内容も含めたわかりやすい定義文および導入部に改めようということです。言葉として含有していれば、あえて「現役の城ではない」などと芸のない書き方をする必要はなくなります。定義文の修正候補として挙げられるのが「姫路(兵庫県姫路市)に築かれた南北朝時代から江戸時代初期の城(または日本の城)。」です。この案についてXx kyousuke xxさんは曖昧とおっしゃいますが、漠然とした現在の定義文に比べれば曖昧どころか具体的になっているのではないかと思いますスタイルマニュアルによれば定義文は「姫路城は - にある城。」の部分で導入文・冒頭文は、定義文のある第1段落にあたります)。誤解云々は、現役の城と誤解する読者がいるかもしれないなどは別として、現在の導入部では、「ある城。」に続いて、現存、国宝、重要文化財、世界遺産と続くので、一般の読者(日本史や城郭についてのコアな知識がある人や記事を執筆した人以外)にとっては、まるで完璧な姫路城がそのままあるかのようなミスリードを起こす可能性があります。
さて、姫路城が姫路市にあることは周知されたことであり、あえて姫路市にある城などとわかりきったことを定義として使うことが、はたして百科事典的表現でしょうか。スタイルマニュアルには「読者が調べたいものかどうかの判断がしやすくなる―定義がなければ、調べたいものかどうかを判断するために読み進めなければなりません。これでは、使いやすい百科事典とは言えません。」とあります。導入部が文化財云々で占められているので読者が姫路城を理解するためにはまず、概要以降を読まなければならない構造となっています。冒頭文は記事全体を俯瞰できるようにコンパクトに完結した文章で記述するものであって、文化財指定を連ねるだけのスペースではないと思います。そのため、姫路城とは歴史的にはどういった城であったまたは今はどのような城であるのか、はっきりとわかる導入部とするのが望ましいかと思います。そうした方向で、Sumaruさんのご提案には私も同じ意見です。
定義後の別名は、文脈を調整できれば導入部最後尾であっても差し支えはないと思います。
「日本の城」とする理由はわかりません。姫路城に限ったものではありませんが「日本の城」に変更する理由も「城に」戻す理由もいまのところないので、黙認しています。私が「城」から「日本の城」を分割したときに、リンクを修正する(してくださった方の作業)過程でなんとなく「日本の城」で落ち着いたのだと思います。この部分の修正はどちらでもいいと思います。
「ユネスコ世界遺産リストに登録され、日本100名城などにも選定されている」については、申し分ないと思います。
「美しさ日本一」は三津五郎さんの発言としても、あくまでも個人の感想なので私は冒頭導入部にはいらないと思いますが、これの変更については加筆していただいたかたに直接、案を伺ったほうがよろしいのではないかと思います。--ムカイ会話2015年11月25日 (水) 15:42 (UTC)
>あえて姫路市にある城などとわかりきったことを定義として使うことが、はたして百科事典的表現でしょうか。
現にそう定義している既存の百科事典が複数あるのですから、さすがにこの問いかけはどうかと思います。さて、
>まるで完璧な姫路城がそのままあるかのようなミスリードを起こす可能性があります。
に関連して、疑問点があります。「南北朝時代から江戸時代初期の城」という定義は、現に『姫路城』と呼ばれている建造物が存在していることを踏まえた場合に、逆に江戸初期以降の改変が全く無いまま今に至るという錯覚を起こす恐れはないのでしょうか(この点、昨日から今日にかけてXx kyousuke xxさんのコメントも踏まえてアレコレ考えていて唐突に思いついたもので、今までは全く想定していなかったのですが)。その錯覚はまさに「まるで完璧な姫路城がそのままあるかのようなミスリード」ではないかと思えます。
江戸時代初期に建てられた天守や櫓等の主要建築物が現存し」と続けたところで、『主要』がどの範囲を指すかの見当がつかなければ、ほぼ全くそのままなんだな、という錯覚を補強する恐れもあります。
もちろん、こんなものは一つの可能性に過ぎませんが、立証できない可能性レベルということでは、ムカイさん御懸念の可能性もまた同様なわけです。そうなると、「現時点では、中立的な観点上では問題ないといわざるをえないというところ」とムカイさんご自身もお認めになっている現状でもいいのではないかとも思えます。
ただ、仮に現状維持なら、上に上げた出典(および手許で参照できるブリタニカなども加えてもいいですが)を冒頭の一文に脚注(出典)として加えるという形でもいいのかなとは思います。少なくともウィキペディアとしての勝手な定義ではないですよ、という念押しとして。
なお、賛成、反対アイコンを使わないのは、ほぼ賛成寄りであっても完全な賛成には踏み切れなかったからです(今はさらに後退しています)。--Sumaru会話2015年11月25日 (水) 16:12 (UTC)
>お手数ですが、不自然な箇所をご指摘ください。引用していただくと助かります。
提示された改正案全体として不自然です。「姫路城」が江戸初期の城であるのなら、現在姫路市にある「姫路城」と呼ばれているものは一体なんなのでしょうか?現在の「姫路城」の写真を掲示して江戸初期の城の説明ですか?私には極めて奇異に感じるのですが、もしかしたらこの感覚は共有できないのかもしれませんね。--Xx kyousuke xx会話2015年11月25日 (水) 16:50 (UTC)
お二人とも深夜まですみません。字下げを1段に戻します。
>“現に『姫路城』と呼ばれている建造物が存在していることを踏まえた場合に、逆に江戸初期以降の改変が全く無いまま今に至るという錯覚を起こす恐れはないのでしょうか”
Xx kyousuke xさんのものとご質問が被るようですので、まとめてお答えします。
たとえば、世界遺産法隆寺の西院伽藍に現存する寺院建築は飛鳥時代から奈良時代の建築です。私の提案する定義にある文句の理屈はこれと同じです。城全体については羽柴時代からの姫路城に土を盛り、石を積み接いで現在の池田氏の姫路城を築いているため、天正8年、慶長6年という書き方がよく見られます。今見られる姫路城を言うのであれば、建築の建てられた年代をとって「江戸時代の城」といいたいところですが、この記事は南北朝時代の古城を論じている節もあるため、記事内容に則して提案例文では南北朝時代からという書き方としています。また、建築年と同じように歴史的建造物の成立した時期を書くのであれば天守に関しては1601年(慶長6年)築(完成は1609年)であることが判明しているので近世姫路城が一応の完成を見た時期の「江戸時代初期」を示すのが妥当であろうという考えです。ただし、南北朝時代からの建築と受け止められる可能性もあるという小さな心配があるので、「江戸時代」や「江戸時代初期」に絞ったほうがいいようにも思います。ちなみに「江戸時代初期に建てられた天守や櫓等の主要建築物が現存し」以降は大幅に改稿する考えですので、その心配はないと思います。
ところで、現在の姫路城は一体何なのかというご質問ですが、文化遺産オンラインでは“姫路城はこの城郭建築の最盛期の遺産であり、17世紀初頭の日本の城郭を代表するものです。(文化遺産オンライン「姫路城」より抜粋引用)”とあるように現在見られる姫路城大天守以下建築はすべて江戸時代初期に建てられた城郭建築群です。
修復しても、少し改変があったとしても、元の維持されている建物は1601年から1609年に建築された建物です。一般の家が何十年かすればリフォームしたり修繕したりするのと同じで、どのような建物であっても老朽化するので、必ず間には修築改築を繰り返すのは当然のことです。出典をまた列挙してもよいですが、このような建築年や年代に昭和や平成に大改修が行われたことを逐一併記したものを、私は見たことがありません。--ムカイ会話2015年11月26日 (木) 14:46 (UTC)
>必ず間には修築改築を繰り返すのは当然のことです。
ええ、それは存じています。真正性に関する奈良文書英語版はまさにその「当然」を世界遺産登録に反映させるための国際合意でしたから、私にとってもそれは「当然」の認識でした。だからこそ、最初は何の疑問も抱かずにムカイさんの改定案を肯定的に捉えていたのです。
しかし、その「当然」は、本当に多くの読者にとって(というか、ムカイさんがご懸念になっているレベルの読者にとって)共有されているものでしょうか。逆にそれが「当然」になっているのであれば、「姫路市にある」でも、昔の「完璧な姫路城がそのままあるかのようなミスリード」は生じないのではないでしょうか。お答えはこの点の懸念に十分お答えいただけていないように感じました。
また、
>南北朝時代からの建築と受け止められる可能性もあるという小さな心配があるので、「江戸時代」や「江戸時代初期」に絞ったほうがいいようにも思います。
というご懸念には一理ありますが、そうであれば逆に、その辺りはすでに「概要」節できちんと概説されているので、冒頭部ではとりあえず触れないようにするというのも一つの手に思えます。江戸初期だけに絞ってしまうと、城テンプレート内の情報との摺り合わせなどの問題も出てきますし。
>以降は大幅に改稿する考えですので、その心配はないと思います。
お忙しいようですから、1、2日のうちにとは申しませんが、この文案を示して頂けないでしょうか。私は(ムカイさんの知識の専門性は留保無しに認めますが)現状では白紙委任はできません。冒頭の改稿に反対していらっしゃるXx kyousuke xxさんは尚更そうでしょう。何の前触れも無しに大幅改稿予定をお示しいただいても、心配なくなるどころか、合意形成の可能性が遠のくだけだと思うのですが。--Sumaru会話2015年11月26日 (木) 16:30 (UTC)
それほど突っ込んだ話をしているわけではなく、日本語として不自然なものはやめて、何の基礎知識もない一般読者が読んでスムーズに理解できるようにしたいと考えているいるだけです。「法隆寺は、奈良県生駒郡斑鳩町にある寺院」「熊本城は、現在の熊本県熊本市中央区にある日本の城である。」「姫路城は姫路市にある城である。」でいいのではないでしょうか?詳しい説明は2文目以降ということで。ところで他の日本の城の記事を見てみると「ある」と「あった」が混在しているようですね。もしかしたら場所を変えてしかるべきところで話し合うべきテーマなのかもしれませんね。--Xx kyousuke xx会話2015年11月27日 (金) 05:26 (UTC)
Xx kyousuke xxさん、おつかれさまです。
日本語として不自然という意味がなんとなくわかってきました。つまり、小難しいということでしょう。
導入部分において、いかに流動性のよい文章であっても、誤解を招く可能性があるのでしたら、修正することが望ましいという考えです。
他のお城については、建物があるとかないとかで単純に「あった」という表現となっていますが、再建建築(名古屋城や熊本城、また松山城も含む)、復興建築・模擬城郭建築(今治城や大坂城など)がある場合の「あった」は今回の姫路城理論によると、一般の読者からしてみれば、おかしな印象を与えているということになります(熊本城もほとんどが再建建築であり、城跡の状態なので、従来実は「あった」だったのですが、変えられているようです。)。単純にあったやあるといった表現方法は、城郭および城郭建築の場合そうした一般の認識と専門としているものにとっては必ずしも共有しないもので、そのあたりは、ぜひプロジェクト日本史のほうに尋ねられてはいかがかと思います。一般的なお城や日本史がご専門でない方からのご意見は滅多になく、大変貴重なのできっと歓迎されるかと思います。--ムカイ会話2015年11月27日 (金) 16:27 (UTC)
Sumaruさん、おつかれさまです。
“まさにその「当然」を世界遺産登録に反映させるための国際合意でしたから、私にとってもそれは「当然」の認識でした。だからこそ、最初は何の疑問も抱かずにムカイさんの改定案を肯定的に捉えていたのです。”
これは専門性からくる盲点ということでしょう。Xx kyousuke xxさんのご意見のような観点は、自分の考えを中立的視点に引き戻してくれる存在ではないかと思います。さて、それが一般の読者にとって共有されているものかとのことですが、一般的に自宅が新築から何年経っているかと問われれば「築○年」と答えるでしょう。このとき、訊ねられてもいないのにわざわざ、何年に子供部屋を増築した、何年に瓦を葺き替えたと逐一こたえるか、ということです。
これはあくまで勝手な私論ですが、お手持ちの百科事典にも桃山建築とか江戸時代の建築とか、何年の建築という類の書き方が多いのではないでしょうか。複数対ゼロでゼロを採るのであれば―という今までのご指摘からすれば同じようにそれらをもって一般的という言い方をするのがよろしいかと思います。とはいえ、百科事典も専門の方が執筆しているものなので、結局専門的用語を多用するので一般的認識かといわれれば私はわかりません。結局のところどれが一般的かというのは統計を取ったものを参考にしない限り、証明はできないものではないかと思います。一般的だからというのはどうも大言壮語で基準が曖昧なので参考にしづらい感があります。ご参考までに。
“逆にそれが「当然」になっているのであれば、「姫路市にある」でも、昔の「完璧な姫路城がそのままあるかのようなミスリード」は生じないのではないでしょうか。”
建築史としては当然という意味で解説しました。その点言葉がたらず語弊があったようです。当然、一般教養や一般常識ではありません。
“江戸初期だけに絞ってしまうと、城テンプレート内の情報との摺り合わせなどの問題も出てきますし。”
「姫路市に築かれた日本の城」ということですか。建築年代によって表すという最初の案からすれば少し異なってきますが、一般的な認識の「ある」と専門的な観点を補完しており、ミスリードの懸念部分がなくなるので、いい修正案だと思います。また語弊があるといけないので、一応解説します。「ある」と「築かれた」の何が違うのかといいますと、今の時点で視覚による存在だけを明記する「ある」はただあることをシンプルに表現したものですが、この「ある」には懸案の城の定義としてあるという意味にもとられる専門的な側の見解があることも指摘されます。一方「築かれた」には建設された、造られたというように、建築物が建てられたことに限定した表現となっているので、「ある」に比べれば専門的観点の側から見てもバランスが取れた表現であると思います。
“何の前触れも無しに大幅改稿予定をお示しいただいても、”
始めに、私の定義部分の修正提案からSumaruさんが第一段落の改稿をご提案された時に私が「姫路城とは歴史的にはどういった城であったまたは今はどのような城であるのか、はっきりとわかる導入部とするのが望ましいかと思います。そうした方向で、Sumaruさんのご提案には私も同じ意見です。」とお答えした時点で何をしようとしているのかわかっていただいているものと思っておりましたが、私の勘違いだったようです。それはともかく、「姫路城(ひめじじょう)は、播磨国飾東郡姫路(兵庫県姫路市)に築かれた日本の城」とするのであれば、定義文以降は大幅改稿をしなくてもよいと思います。この際、改稿したいということであれば、ご請求どおり、改稿内容案を提示させていただきます。--ムカイ会話2015年11月27日 (金) 16:27 (UTC)
>「姫路市に築かれた日本の城」ということですか。
いえ、そんな修正案を提示した覚えはまったくありません。「姫路市にある」よりも建築年代を明記して「~時代に築かれた」とやるほうが誤解が少ないかと思ったが、「ある」に対して『ミスリード』されるような読者だったら、「~時代に築かれた」だってどのみち『ミスリード』は起こりうることになるだろう、だったら、建築年代云々は「概要」節に譲って冒頭では触れず、あえて辞書・辞典類にある「姫路市にある」を変えなくたっていいのではないか、というのが私の今の疑問です。
複数対ゼロでゼロを採るのであれば―という今までのご指摘からすれば同じようにそれらをもって一般的という言い方をするのがよろしいかと思います」という論理を再び出すのであれば、辞書・事典類の定義に基づけば「姫路市にある」一択で、これがもっとも一般的な定義、で議論は終わりです。その一文だけ見て、あとに続く文章や「概要」節を全く読まずに、「完璧な姫路城がそのままあるかのよう」に受け止める人がいるのかどうか、そんなものは証明のしようがありません。そしてあらゆる可能性を想定すれば、建築年代を明記しようと、明記せずに「築かれた」としようと、どのみちミスリードが起こりうることは想定できることでしょう。
つまり、「現時点では、中立的な観点上では問題ないといわざるをえないというところ」とムカイさんもお認めになっている冒頭の一文を、あえて議論を重ねて変更すべきという必然性を適切にお示しになれていないと感じます。『勘違いされるリスク』というのは多少あるかと思ったので当初は相応に好意的に捉えていましたが、そのリスクに関する説得力自体が私の中では失われつつあります。そして、どうもその疑問に真正面からお答えいただけていないムカイさんのコメントでは、その疑問はまったく解消されていないということです。--Sumaru会話) 2015年11月27日 (金) 16:56 (UTC)追記--Sumaru会話2015年11月27日 (金) 17:19 (UTC)
おつかれさまです。字下げ戻します。たった1時間でお答えできるとはさすが管理者さんです。私は毎日3時間くらいかけて、慎重に回答文推敲とタイプです。おかげで他の作業ができないという…。
始めに、発言の訂正です。「築かれた」にすれば、第一段落の改稿は必要ないと発言しましたが、以前示した“誤解云々は、現役の城と誤解する読者がいるかもしれないなどは別として、現在の導入部では、「ある城。」に続いて、現存、国宝、重要文化財、世界遺産と続くので、…”という理由からなので、「ああそうか、だから第一段落の大幅改稿が必須と考えたんだった」と、思い出しました。「築かれた城」に変更しても大幅改稿は必須です。すみません。
“どうもその疑問に真正面からお答えいただけていない”
このように気になった部分を一つずつご返答しておりますが、意図せず見逃しているのかもしれませんのでお手数ですが、箇条書きで結構ですので改めてご質問してください。
“あえて議論を重ねて変更すべきという必然性を適切にお示しになれていないと感じます。”
揚足を取る意図はありませんが、これは「必要性」でよろしいのでしょうか。
“修正案提示理由は、従来の表記は現在の公園にある建物遺構群としての姫路城を定義するものであり、必ずしも城郭(現役の城)を表現するものではないため、誤解が生じる可能性があり、歴史的建造物群および史跡である現在の状態を踏まえて、姫路城が築かれた年代を記述するのが適切であると考えるためです。”と最初に示したとおりですが、適切ではありませんか。それとも修正の必要性とは方針に抵触していなければいけないのでしょうか。それに一度議論が行われている部分の修正なので、議論を経るのが慣例ではありませんか。
“「現時点では、中立的な観点上では問題ないといわざるをえないというところ」とムカイさんもお認めになっている冒頭の一文を、”
「現時点では、中立的な観点上では問題ないといわざるをえないというところ」につづき“私自身はまだ本当には納得してはいません。”ともしています。つまり納得はしていません。議論のために譲歩したわけであり、完全に納得して合意に至ったわけではないことを指しています。今はこれに触れるつもりはありません。
“いえ、そんな修正案を提示した覚えはまったくありません。”
私の、江戸時代に絞ったほうがいいかもしれないという意見に対して“そうであれば逆に、その辺りはすでに「概要」節できちんと概説されているので、冒頭部ではとりあえず触れないようにするというのも一つの手に思えます。”とお答えなので、つまり時代を除去した案が示されたと解釈いたしましたが、違いましたか。
“「複数対ゼロでゼロを採るのであれば―という今までのご指摘からすれば同じようにそれらをもって一般的という言い方をするのがよろしいかと思います」という論理を再び出すのであれば、辞書・事典類の定義に基づけば「姫路市にある」一択で、これがもっとも一般的な定義、で議論は終わりです。”
“とはいえ、百科事典も専門の方が執筆しているものなので、結局専門的用語を多用するので一般的認識かといわれれば私はわかりません。結局のところどれが一般的かというのは統計を取ったものを参考にしない限り、証明はできないものではないかと思います。一般的だからというのはどうも大言壮語で基準が曖昧なので参考にしづらい感があります。”私論はこの部分までです。「複数対ゼロでゼロを採るのであれば―」という考え方を「一般的という証明になっていないので参考にしづらい」という一部批判する内容なのであり、この理論を使って本気で判断を促しているわけではありません。部分的に抜き出して“論理を再び出すのであれば”とするのは、水掛け論です。私がこのような軽率な私論をコメントしたのがいけなかったのです。以後、気をつけます。
しかしながら、「あった」のときとは違い、最も平凡で一般的な表現である必要はもはやないでしょう。何が何でも変えてはいけないといえるだけの理由は「あえて変える必要はないから」だけでしょう。最も一般的な定義を決めるための議論ではなく、最も相応しい表現に変えることが焦点です。
“「ある」に対して『ミスリード』されるような読者だったら、「~時代に築かれた」だってどのみち『ミスリード』は起こりうることになるだろう、”“そしてあらゆる可能性を想定すれば、建築年代を明記しようと、明記せずに「築かれた」としようと、どのみちミスリードが起こりうることは想定できることでしょう。”
私からは「ある」のミスリードを説明してきましたが、「築かれた」のミスリードに関しては専門側としては想定なりません。では「築かれた」でSumaruさんが想定しておられるミスリードとはどのようなものでしょう。お城専門でない方からみたときは、どう感じますか。--ムカイ会話2015年11月28日 (土) 15:16 (UTC)
もう、読めば読むほど「あぁこの人は議論の能力か、意思か、その両方がない」「この人に記事を触らせてはいけない」と思いました。あれだけ「ある」を「あった」と修正し続けながら「表記にはこだわらない」という。そしてこだわらないなら何でも良いのじゃないかと思えば案を出して来て、それに根拠もなく、過去の自説との整合性もない。--プリズム11会話2015年11月28日 (土) 15:26 (UTC)
“「あぁこの人は議論の能力か、意思か、その両方がない」「この人に記事を触らせてはいけない」”
明らかな個人攻撃です。おやめください。(個人攻撃はしない)--ムカイ会話2015年11月29日 (日) 16:07 (UTC)
コメント30分だろうと1時間だろうと、限られた時間を割いているのには大差ありません。
>~と最初に示したとおりですが、適切ではありませんか。
貴方が出典付きで示したのは、「現在の城はすべて城跡である」という観点だけです。「かつて現役だった時の姫路城」と「今残る『城跡』としての姫路城」を截然と分け、その両方を同時に表さなければ姫路城の定義として不足があるというのは、出典から導いた貴方の独自解釈です。既存の辞書、辞典類の定義はその解釈を支持していませんし、(「城郭専門の文献では百科事典独特の冒頭に定義文を書き出すスタイルではない」という事情は考慮されるべきであるにせよ)ムカイさんからもその解釈を裏付ける出典はご提示いただいておりません。
>私からは「ある」のミスリードを説明してきましたが
説明はありましたが、そのようなミスリードをする読者がいるという合理的根拠について何らお示しいただいておりません。わざわざ「あとに続く文章や「概要」節を全く読まずに、「完璧な姫路城がそのままあるかのよう」に受け止める人がいるのかどうか」とアンダーライン付きで疑念を呈させて頂いたにもかかわらず、です。その状況では、改訂に反映させるべき懸念かどうか評価できない、というのが常識的な対応でしょう。
そんないるかいないか証明できない読者を想定して何になるのか、という疑問を呈したことに対して、「じゃあ、ほかのミスリードの例を挙げてみろ」というのは本筋から逸れた水掛け論に繋がる話でしょう。
ウィキペディアにはいつまでも「納得」しないという禁止事項があります(ムカイさんはそこで挙がっている例に比べれば十分に理知的にご対応いただける方と思っていただけに、この方針をあまり引き合いには出したくなかったのですけれど)。「姫路城は姫路市にある城」がWikipedia:検証可能性Wikipedia:中立的な観点を満たすということは、ムカイさんを含めて、誰からも異論がありません。それどころか、複数の利用者から「姫路市にある」でいい、という意志が示されています。その状況でご自分だけが「納得はしていません」という理由でひたすら議論を継続する姿勢(しかもそこに「たった1時間でお答えできるとはさすが管理者さんです」だの何だのという当てこすりの類を混ぜてくる姿勢。管理者かどうかなんてこの議論では何の関係もないでしょうに)は、甚だ疑問です。
次のお答え如何では、冒頭部の更なる改訂には明瞭に{{反対}}票を投じさせて頂きます。--Sumaru会話2015年11月28日 (土) 16:27 (UTC)
“その状況でご自分だけが「納得はしていません」という理由でひたすら議論を継続する姿勢(しかもそこに「たった1時間でお答えできるとはさすが管理者さんです」だの何だのという当てこすりの類を混ぜてくる姿勢。管理者かどうかなんてこの議論では何の関係もないでしょうに)は、甚だ疑問です。”
私は署名の時間を見て「すごいな~」と素直に思っただけです。私事ですがシリアスな議論が嫌いなので、なるべく前振りを入れて和まそうと努めていたのですが、裏目に出てしまったようです。大変もうしわけありません。ですが、議論は議論、自分は自分です。議論内容と関係のないコメントをした私がいけなかったのですが、それを当てこすりだのいつまでも納得しないだのと、感情的な批判をするべきではないでしょう。
「納得はしていません」ええそうです。納得するかしないかは、私事ですし、変わることはありません。しかし、方針に従うのは是非もありません。ご存知のように、反論できるだけの資料がそろわないわけですから、方針上では「独自研究を載せない」「中立的な観点」を覆すことのできる状態ではないので。そのあたりはよくご理解いただいているものと存じますので、とくに発言することはないだろうと思ったのですが。
ところで、Sumaruさんの議論スタイルは、腕ずくで解決しようとすることですか。あと少しで、議論が終盤に差し掛かろうとしているところで、議論相手がそのような姿勢と知っては、距離を置かざるを得ません。しかも怒っているのであれば、対話はもう不可能に近いでしょう。
“説明はありましたが、そのようなミスリードをする読者がいるという合理的根拠について何らお示しいただいておりません。わざわざ「あとに続く文章や「概要」節を全く読まずに、「完璧な姫路城がそのままあるかのよう」に受け止める人がいるのかどうか」とアンダーライン付きで疑念を呈させて頂いたにもかかわらず、です。その状況では、改訂に反映させるべき懸念かどうか評価できない、というのが常識的な対応でしょう。そんないるかいないか証明できない読者を想定して何になるのか、という疑問を呈したことに対して、「じゃあ、ほかのミスリードの例を挙げてみろ」というのは本筋から逸れた水掛け論に繋がる話でしょう。”
“「複数対ゼロでゼロを採るのであれば―という今までのご指摘からすれば同じようにそれらをもって一般的という言い方をするのがよろしいかと思います」という論理を再び出すのであれば、辞書・事典類の定義に基づけば「姫路市にある」一択で、これがもっとも一般的な定義、で議論は終わりです。その一文だけ見て、あとに続く文章や「概要」節を全く読まずに、「完璧な姫路城がそのままあるかのよう」に受け止める人がいるのかどうか、そんなものは証明のしようがありません。そしてあらゆる可能性を想定すれば、建築年代を明記しようと、明記せずに「築かれた」としようと、どのみちミスリードが起こりうることは想定できることでしょう。”
これが以前のご発言です。率直な文での質問をすることを望むのですが。私を馬鹿だと思って、その「馬鹿」にもわかるように質問をしてください。
“あとに続く文章や「概要」節を全く読まずに、「完璧な姫路城がそのままあるかのよう」に受け止める人がいるのかどうか”いるのではないでしょうか。お城といえば天守閣という人が一般的なのですから、天守閣が完璧に残っていれさえすれば完璧に姫路城が現存して「ある」と考える人もいるでしょう。もちろん証明できるだけのものはありません。これらはまったくもって悪魔の証明なのですから、これについてはあまり意味のある問いかけではないと思います。質問されていた時点で、認識されていたでしょう。これに答えないから、「納得しない」とおっしゃることこそどうかなさっておられる。まさしく売り言葉に買い言葉です。最初にお示ししたようにこの議論は“修正案提示理由は、従来の表記は現在の公園にある建物遺構群としての姫路城を定義するものであり、必ずしも城郭(現役の城)を表現するものではないため、誤解が生じる可能性があり、歴史的建造物群および史跡である現在の状態を踏まえて、姫路城が築かれた年代を記述するのが適切であると考えるためです。”によるものであり、逸脱しているのは、むしろSumaruさんのご指摘のほうです。しかも「現在の導入部では、「ある城。」に続いて、現存、国宝、重要文化財、世界遺産と続くので、一般の読者(日本史や城郭についてのコアな知識がある人や記事を執筆した人以外)にとっては、まるで完璧な姫路城がそのままあるかのようなミスリードを起こす可能性があります。」であり、あるに続いて、現存、国宝、重要文化財、世界遺産と続くことが問題であるという意味です。しかも、本来は記事を俯瞰できるような内容とすることが望ましい段落において、文化財についての記述を列挙するだけの状態が、改稿に反対する方はこの記事に相応しいとでもおっしゃるのでしょうか。
ところで、残念ではありますが、現提案の廃案を提案いたします。現在の状態では、お互いに意見が全くかみ合わないようですし、残念ながら個人的な批判をする方も出ましたので、このまま続けては不毛な議論をしかねないと懸念いたします。よって本案を廃案とします。異存はありませんか。--ムカイ会話2015年11月29日 (日) 16:07 (UTC)
>ところで、Sumaruさんの議論スタイルは、腕ずくで解決しようとすることですか。
そういう物言いこそが腕ずくで解決しようとするで禁じられている「印象操作」でしょうに。「姫路市にある」で何の問題もない、と複数の方が意見を寄せており、なおかつ現状の文面が各種方針に合致していることを確認いたしましたし、貴方もそれは認めておられるとおりです。方針文書とも合致する多数意見に対し、あなたは御自分の解釈が独自研究でないと裏付ける出典を挙げておられず、方針文書との整合性もつけておられなかった。この状況で、私の議論姿勢に責任をなすりつけるかような御発言は、まったくもって残念と申し上げるほかはありません。
私は基本的に知識のある人には気分よく加筆してもらった方が百科事典の発展には好ましいだろうという視点で、方針文書の曲解にならない範囲でなら、譲れるところは譲ろうという姿勢でいますし、今回、貴方の姿勢に違和感を覚えつつも、当初は賛成寄りだったのもそういう視点によるものでした。ですが、途中から貴方の論法と出典提示は譲れる限度を超えるのではという疑念を抱き、それが解消されませんでした。それだけの話です。
>これらはまったくもって悪魔の証明なのですから、これについてはあまり意味のある問いかけではないと思います。
意味のある問いかけでない、というのなら、私が「そんなものは証明のしようがありません」と述べたことに対し、貴方が「「ある」のミスリードを説明してきましたがでは「築かれた」でSumaruさんが想定しておられるミスリードとはどのようなものでしょう」と返してきたのは意味不明です。「そうだね、それは証明しようがないし、じゃあ別の観点から議論しよう」となるのが普通でしょうに。証明できないことを棚上げしてその線での議論を続けようとしたのは貴方です。
なお、冒頭の定義文に直接即した形でなくとも、本当に貴方の問題意識が専門家のそれと合致するのなら、「日本史や城郭についてのコアな知識がある人」からそうした誤解に対する発言くらいはありそうなものでしょう。たとえば、「富士山はゴミのせいで長いこと世界遺産になれなかった」という有名な主張があり、政府関係者からも出されていますが、それは制度に対するよくある誤解だ、と反論する専門家がいます(どちらが正しいかはこの際問いません)。そのように、専門家が問題視する『よくある誤解』なら、俎上に載せている文献という形で出典を見つけられる余地はあります(辞書、事典類が軒並み「姫路市にある」と定義付けているのですから、それが本当に不適切ならば、「いや、それは違うんだ」とか「それだとこういう誤解が」と言及する専門家がいたって何の不思議もありません)。貴方の場合、そうした出典を探すことを棚上げにし、ご自分の解釈は正しいはずだから、そのような誤解があるはずだ、という思い込みで突っ走ったから噛み合わなかっただけの話でしょう。
というわけですので、継続に意味を見出せないという点に同意いたしますので、廃案に 賛成 いたします。ただ、「白鷺城を後ろに回す」「世界遺産の『てにをは』を直す」は反対0でしたので、変更する予定です。一応、意見を変更する方や新しい参加者の可能性も織り込んで、もう1週間くらいは様子を見ますが。--Sumaru会話2015年11月29日 (日) 17:33 (UTC)
Sumaruさんから修正作業をしていただくのはありがたいのですが、廃案後、改稿案については定義部分を外し筋立てしなおして、改めて提案させていただく予定であり、その際にそれらも手直しするつもりでおりました。どちらでもよいとは思いますが、ご一考ください。
数々ご指摘いただきありがとうございます。すべて真摯に受け止めさせていただきます。
だからというわけではありませんが、私からのSumaruさんあなたへの言葉もきいてください。将棋の感想戦ではないですけど、互いの発言を見直すためであれば、よかろうかと思いますが、なるべく、思い込みが激しいとか頑固者とか言うのはなしにしましょう。お互いに十分心象を悪くしているのですが、だからと、ののしって分かれるのはやはり気持ちのよいものではないでしょうから、議論は議論、ユーザーはユーザーとして分けて評価されるといいのではないでしょうか。残念な議論ではありましたが、残念なユーザーではないということで。また余計なことを発言してしまいましたか。
“なお、冒頭の定義文に直接即した形でなくとも、本当に貴方の問題意識が専門家のそれと合致するのなら、「日本史や城郭についてのコアな知識がある人」からそうした誤解に対する発言くらいはありそうなものでしょう。たとえば、「富士山はゴミのせいで長いこと世界遺産になれなかった」という有名な主張があり、政府関係者からも出されていますが、それは制度に対するよくある誤解だ、と反論する専門家がいます(どちらが正しいかはこの際問いません)。そのように、専門家が問題視する『よくある誤解』なら、俎上に載せている文献という形で出典を見つけられる余地はあります(辞書、事典類が軒並み「姫路市にある」と定義付けているのですから、それが本当に不適切ならば、「いや、それは違うんだ」とか「それだとこういう誤解が」と言及する専門家がいたって何の不思議もありません)。”
例文があり、大変わかりやすいご質問だと思います。それですと、既出の中山良明中山良昭氏の著書の内容がそれにあたろうかと思います。引用文内には入っていないのですが、その前文と間には『広辞苑』と『大漢和辞典』を引用されて、そのあたりのことを指摘しておられます。今はもう必要ありませんので、お暇がありましたらご検証ください。城郭関係の専門書では、何をもって城とするかとかの基礎的な定義や「城=天守閣」論など一般論に言及することはほとんどないようなので、探すのには私も苦労しました。
このような質問であればよかったのですが、あなたのような方がまさか悪魔の証明的な質問をしてくるとは思っても見ませんでしたので、一時的な戯れだろうということにして暫くいわないでいたのですが、あとで「納得しないのであれば反対に回るぞ」という風にとられることを言われては、ほおっては置けなくなったので、一段と立腹されるだろうなと思いながらもそのあたりは指摘させていただきました。「納得しないのであれば反対に回るぞ」というこれは2015年11月28日 (土) 16:27 (UTC)の最後の2段落分のご発言を要約した解釈です。ご自身の発言の意図と異にするようでしたら、率直に謝ります。
“意味のある問いかけでない、というのなら、私が「そんなものは証明のしようがありません」と述べたことに対し、貴方が「「ある」のミスリードを説明してきましたがでは「築かれた」でSumaruさんが想定しておられるミスリードとはどのようなものでしょう」と返してきたのは意味不明です。”
私もこのやり取りは、本当に意味がわかりません。盛んに、「ある」と同じように起こるであろう「建てられた」へのミスリードをおっしゃっていらしたので、素直にご意見をいただきたかったのですが、どうやら、挑発と受け取られたようで、“「じゃあ、ほかのミスリードの例を挙げてみろ」というのは本筋から逸れた水掛け論に繋がる話でしょう。”と発言されておられます。これはあまり理性的とは思われません。理性的に対応できる状態なのでしたら、さらりとお答えになられていたでしょう。もちろん私もそうします。答えられないときは私ならちょっと意固地になっていたかもしれませんけど。どの道あまり意味のある話はしていないと思います。
“この状況で、私の議論姿勢に責任をなすりつけるかような御発言は、まったくもって残念と申し上げるほかはありません。”
私が質問になかなか答えないからといつまでも「納得」しないを指摘されたのはSumaruさんですが、それについて私も腕ずくで解決しないを使ったのはさすがに拙かったとは思います。しかし、このようなかたちで指摘するのであればルールの悪用であり、これまた禁止事項であるでしょう。間違っても意見を引き出すために使うものとは思われません。このようなことをするのではなく、上記のように質問を言い換えるべきではなかったでしょうか。
私からは、以上になります。Sumaruさんからの私への反省点のご指摘に対するものですから、上述の件は議論に無関係のため、この後のご発言へのレスは控えるつもりです。
賛成 廃案の提案から一週間に同意です。廃案に対するご意見を一応待ちましょう。--ムカイ会話) 2015年12月1日 (火) 15:59 (UTC)Sumaruさんよりご指摘の部分を訂正。--ムカイ会話2015年12月3日 (木) 13:45 (UTC)
>「納得しないのであれば反対に回るぞ」というこれは2015年11月28日 (土) 16:27 (UTC)の最後の2段落分のご発言を要約した解釈です。
私が『いつまでも納得しない』を引き合いに出したのは、その上の段落の「ムカイさんからもその解釈を裏付ける出典はご提示いただいておりません」「そのようなミスリードをする読者がいるという合理的根拠について何らお示しいただいておりません」を受けたものでした。つまり、「直接的な根拠も示さないで『納得できない』を繰り返すのは通らない。継続に値する根拠が示されなければ反対する」という意図です。
納得しないという点だけで反対するくらいなら、独自研究に片足を突っ込みかけている改定案などに付き合おうとは思わなかったでしょうし、賛成寄りの態度をとったりもしません。最初から門前払いでおしまいです。こちらの言葉が足らなかったかもしれませんし、表現の順序も悪かったかもしれませんが、さすがにそのくらいは汲み取ってほしかったところです(苦笑。と、あえて書くのは挑発しているのではなく、強く責めている訳ではないという意思表示です)。「ご自身の発言の意図と異にするようでしたら、率直に謝ります」とのことですので、この件の追加発言は不要です。
>改稿案については定義部分を外し筋立てしなおして、改めて提案させていただく予定であり、その際にそれらも手直しするつもりでおりました。
それなら触れないでおきます。なお、「中山良明」氏は「中山良昭」の誤りではありませんか。蔵書検索をかけても『もう一度学びたい 日本の城』は「良昭」氏の「2007年」のものしかヒットしないのですが。直接の返答は不要ですが、もしこちらの指摘どおりなら、上のほうの書誌を訂正しておいて頂ければ幸いです。--Sumaru会話2015年12月1日 (火) 16:38 (UTC)
字下げ戻します。誤字の件ご指摘いただきまして、ありがとうございました。発行年については現物では2008年3月15日発行となっているのでこちらのタイプミスというわけではないようですが、ISBN検索を行うと悉く2007年ですね。どっちが本当なんでしょう。[ISBN 978-4-7916-1421-9]
もう余り時間は残されていないので意味はないかもしれませんが、一応今後の流れを挙げておきます。
  1. 定義部分を含む第一段落の修正案については廃案とする。廃案が提案された2015年11月29日 (日) 16:07 (UTC)から一週間以内に反対意見がない場合は、廃案と決定する。
  2. 廃案後、定義部分は維持し第一段落の修正は、別途提案して合意形成を経る。
以上です。なお、第一段落修正案については、私から提案させていただく予定でありますが、よい案がある方は構わず提案してくださりますと助かります。--ムカイ会話2015年12月3日 (木) 13:45 (UTC)
古書ですが、件の文献を入手しました。2007年7月15日発行となっています。別にムカイさんが嘘をついているということでなく、カバーに刊行年があるタイプでは再版であってもさも初版であるかのように記載されるケースがあることは認識しています。もっとも、そういうパターンの本はいわゆるトンデモ本系でしか見たことがなかったので、こういう文献で見るのは少々戸惑いますが。
それはそれとして、その本では確かに現在残っているのは全部「城跡」という観点が示されていますが、他方、その文献においてさえも「姫路城も城下の市街は空襲で焼け野原となりますが、奇跡的に城は無傷で残ったのでした」(p.144. 強調は引用者)とあるのですから、今残っているアレを「城」とは呼べない、という論拠として持ち出すことは疑問に思えました(別にこの点が今後の改稿案に影響するものでないのなら、特段のお返事は不要です)。--Sumaru会話2015年12月6日 (日) 15:39 (UTC)
早速、ありがとうございます。本当に確認してくださる方があまりいらっしゃらないので、正直にうれしいです。
“カバーに刊行年があるタイプでは再版であってもさも初版であるかのように記載されるケースがあることは認識しています。”
そうかもしれないとは薄々思ってはいましたが、そうなんですね…。大変助かりました。2007年に訂正いたします。
現物をご覧になっているので、折角ですから1つお考えを伺いたいと存じます。
中山氏自身の考え方はあくまでも、「日本の城とは」(p.12,p.13)の章にあるものと思われ、私のこの議論における論拠というものかはわかりませんが、大部分はこのページによるものです。このページの内容について、いかが思われますでしょうか。現段階ではありませんが、今後の定義を含めた第一段落修正のためにぜひ参考にさせていただきたいです。--ムカイ会話2015年12月7日 (月) 14:42 (UTC)
>このページの内容について、いかが思われますでしょうか。
かなりご質問が漠然としているので、どういう方向で答えたものかと悩みますので、とりあえず件の本に関する雑感で代えさせていただきます。ご希望の回答が含まれていれば幸いですが、含まれていなければお詫びします。
  • 富士山を引き合いに出した私のコメントの意図は「姫路市にある」という定義に即したものでした(上できちんと明記してあります)。ですから、私が期待したのは「みんな無神経に『○○城がある』というけど、実はそれは不適切なんだ」的な記述のある典拠でした。それに対して中山氏の著書を挙げておいででしたから、自分の廃案賛成票を撤回する必要が出てきかねないと考え、その確認のために入手しました。しかし、中山氏の著書にはそのような記述はなく、この点、肩透かしに感じたのは否めません(pp.12-13の記述をその回答とするのは無理があります。この点後述)。
  • p.14には「き」も城の『音読み』だと出ています。しかし、手許の国語辞典、漢和辞典で「き」を音読みとしているものはありません。同じく、p.12-13のイラストおよびp.14の本文で、城とは「土が成る」で土構造物の意味だったとありますが、先週土曜に図書館で見た城関係の文献(書名は失念)では「土が成る」の意味ではないとありました。手許の『新漢語林』(電子辞書版)でも「音符の成は、安定するの意味。土の部分は、金文・籀文では、望楼の象形。望楼があり、土を盛りあげ、人を入れて安定させる、しろの意味を表す」とあり、「土が成る」とか単なる土構造物などという成り立ちは見られません。これらは揚げ足取りに見えるかもしれませんが、本の出だしに近い部分における語の厳密な取り扱いと信頼性という点において、少々疑問を抱かせるものでした。
  • 上で引用した姫路城や、ほかいくつかの城項目との整合性からすれば、p.12-13で示されている定義から読み取れるのは「城はある。が、本来の機能的に言えば実質的に城跡である」という程度だろうと思いました。ですから、「城はある。が実質的に城跡である」を「城はあった。が、今は無い」と解釈するのは元の文献からの飛躍(独自解釈)に思えます。もちろん、記述がかなり簡潔ですから、「城はあった。が、今は無い」を意味する可能性も全否定はしませんが、そうなると上で引用した姫路城の記述などとの不整合が生じ、結局のところ、厳密な定義を詰め切れていない文献ではないかという評価につながりかねないように思います。
以上から、(どのような改訂を想定しておられるのか不明ですが、)件の記述にこだわられる理由が私には分かりません。--Sumaru会話2015年12月7日 (月) 17:23 (UTC)
ご返答いただいたほとんどの部分が目的にはなかったのですが、思わず貴重なご意見をいただきまして本当にありがとうございます。
“引用した姫路城の記述などとの不整合が生じ、結局のところ、厳密な定義を詰め切れていない文献ではないかという評価につながりかねない”
以前、引用していただいた内容の表現に関してですが、定義ガチガチではわかりにくくなるので、この場合は臨機応変に一般向けの書き方をしたという解釈が適当ではないかと思います。
「き」についてですが、この「き」の出所については諸説あるので、今のところわからないというのが正解ではないかと思います。中山氏の調査では音読みという結論に至ったのでしょう。
城とは「土が成る」・・・この解釈は私も否定的に見ています。これらはおそらく、内容の類似性から1972年に毎日新聞社から刊行された城戸久氏の著書『城と民家』を参考にされたものではないかと思われます。参考文献を掲載していないため、それを伺えないのが残念に思います。
私から始めに指摘しておくべきでした。お手間を取らせてしまったようで、お詫びしなければならないのはこちらのほうです。申しわけありません。
おもに参照していただきたかった部分は、同書の「日本の城は天守閣のことではない」のセクションから終始です。
“なお、冒頭の定義文に直接即した形でなくとも、本当に貴方の問題意識が専門家のそれと合致するのなら、「日本史や城郭についてのコアな知識がある人」からそうした誤解に対する発言くらいはありそうなものでしょう。たとえば、「富士山はゴミのせいで長いこと世界遺産になれなかった」という有名な主張があり、政府関係者からも出されていますが、それは制度に対するよくある誤解だ、と反論する専門家がいます(どちらが正しいかはこの際問いません)。そのように、専門家が問題視する『よくある誤解』なら、俎上に載せている文献という形で出典を見つけられる余地はあります(辞書、事典類が軒並み「姫路市にある」と定義付けているのですから、それが本当に不適切ならば、「いや、それは違うんだ」とか「それだとこういう誤解が」と言及する専門家がいたって何の不思議もありません)。”
このご発言の“『よくある誤解』”の指摘に相当するものは、中山氏の著書で“日本では城というと、天守などの目立つ建物に目がいきがちです。実際、漢和辞典の最高峰とされる諸橋轍次著の『大漢和辞典』には「城」の日本での意味は「敵を防ぐために建てられた高層建築物」とあり「城=天守」という観念が、残念ながら強かったことがわかります。”(中山良昭編著『もう一度学びたい 日本の城』西東社 2007年 p.13より抜粋引用)の部分になります。明確に城に関する『よくある誤解』が解説されていますが、これがどのように姫路城に結びつくかといいますと、今の定義文では「姫路市にある城」という言い方になっていると思います。天守閣や櫓が建っており、「城=天守」という観念が強い一般の人々にはまさしくお城がある状態であるのですが、これが『よくある誤解』に基づいているのではないかという指摘になっていたわけです。
しかし、この文献が検証可能性を満たしているとしても、現在この一冊しか出典とできるものが私の手元にないため、これによって「ある」の表現が中立的な観点に抵触するかとまではいえないまでも、第一段落において「意見」として扱う程度でうまいこと練りこんで加えたいと考えているところです。--ムカイ会話2015年12月8日 (火) 16:18 (UTC)
>~の部分になります。明確に城に関する『よくある誤解』が解説されていますが
そうでしょうか。中山氏の該当部はあくまでも「天守だけが城ではない」ということを述べているのであって、「全体が残っていなければ『城』と呼べない(呼んではいけない)」という主張を直接導くことはできません。つまり、「ある・あった」という表現に直接対応したものではありません。城跡という観点はあくまでも「軍事的意味のない現在は」という機能的・時代的条件に対応させられており、現存要素に対応する定義ではありません(pp.140-141の「名城の条件」なども、全体が残っていなければ、という主張の妥当性に疑問を感じさせます)。全体が残っていなければ、という主張と整合させるために同書の他箇所の記述について
>定義ガチガチではわかりにくくなるので、この場合は臨機応変に一般向けの書き方をしたという解釈が適当ではないかと思います。
などという文献のどこにも書いていない解釈を導入しなければならないとなれば、なおさらです。
>第一段落において「意見」として扱う程度でうまいこと練りこんで加えたいと考えているところです。
この点、明確に 反対 いたします。現状のムカイさんのご意見を見ていると、文献から直接導ける『意見』を逸脱した『解釈』を追加するのではないかという強い懸念がぬぐえないからです。また、この記事は日本の城ではなく姫路城です。Wikipedia:独自研究は載せないには「ウィキペディアで公開されるいかなる事実、意見、解釈、定義、論証も、信頼できる媒体において、その記事の主題に関連する形で、既に発表されていなければなりません」と明記されています。p.13の定義をどのように解釈したとしても、それは姫路城について直接述べたものではなく(姫路城を例示した箇所はありますが、それは機能面での言及であって現存要素との対応でないというのは上述の通り)、むしろ姫路城について直接述べた箇所では前に引用したとおりの記述があるわけです。その状況で冒頭部にわざわざあなたが推進したいらしい『意見』を練りこむことは、この点からも問題があると考えます。--Sumaru会話2015年12月9日 (水) 03:27 (UTC)
Sumaruさんにあまり意味のない検証をせてしまったことには、本当に申し訳なく思います。
『よくある誤解』がある証明の件について、話の内容をまとめましょう。
“本当に貴方の問題意識が専門家のそれと合致するのなら”の私の問題意識、つまり「姫路城の天守など建物群があることから姫路城という城がまったくあるという誤解が生じる」が『よくある誤解』であると検証可能な状態で確認できるか、という当時のご質問なのですから、それに準ずるものなら「城=天守」というよくある誤解が中山氏の著書に解説されているという事で、検証していただいているところであると思います。私ムカイは「城=天守」という『よくある誤解』があって、残念ながらその観念が昔から強かったと書いてあるので『よくある誤解』の要素である「城=天守」という誤解の存在については検証可能であると言えるでしょう、というのです。他の意味はありません。
そうした誤解があることが検証可能な状態と確認できることは一旦認めるべきであると思います。しかし、Sumaruさんがおっしゃるように、残念ながらこれらの検証可能な情報は、姫路城に直接言及されていないため、合成して姫路城の本文に反映するようなことがあれば独自研究に抵触する恐れがあるでしょう。
“文献から直接導ける『意見』を逸脱した『解釈』を追加するのではないかという強い懸念がぬぐえないからです。”
Sumaruさんからのこの文献についてのご意見を参考に検討をするという意味でありますが、語弊があったようです。そのような不正をするつもりはありませんので、安心してください。もし、今後の修正案にそのような節があるようでしたら、ご指摘をお願いいたします。
余談になりますが、
“中山氏の該当部はあくまでも「天守だけが城ではない」ということを述べているのであって、「全体が残っていなければ『城』と呼べない(呼んではいけない)」という主張を直接導くことはできません。”
定義を記述した後に“軍事的意味のない現在は、すべて城跡であって、現役の城ではないということも忘れてはいけません。”(中山良昭編著『もう一度学びたい 日本の城』西東社 2007年 p.13より抜粋引用)と十分主張されています。また、第1章の題名は「日本の城とは」ですから、「日本の城は天守閣のことではない」はアプローチであって、中山氏が結びで言いたいことは「城とは構造物そのものではなく、それによって閉鎖されたある区域と定義するのが適当だ」ということです。決して、この第一部で「天守だけが城ではない」とだけ言いたいわけではありません。
また、他の部分で定義に即していないとご指摘ですが、以前2015年11月21日 (土) 13:45 (UTC)に調査した2件の百科事典では、いずれも、姫路城はあるという表記だったとご報告いたしましたが、同時に城の定義では伊藤鄭爾氏(小学館1970年)は、“一般に敵の攻撃を防ぐための軍事的構造物(塁、堀、柵など)のことをいい、さらにそれらで防衛された地域もいう。(抜粋引用)”、村田修三氏(平凡社1988年)は“城という言葉は、建物だけを指す用語法もあるが、建物の設けられた一定区画の土地とその防衛施設も含めた総体をさす用語法の方が正しい。(抜粋引用)”としており、いずれも姫路城はあるという表記と矛盾する記述となっています。一般の百科事典でも定義に則していない記述が見られるのであるのですから、このご指摘はいささか過剰ではないかと思います。
今後この件に関しては、議論からの逸脱となりますので、私からのコメントはこれで終了といたします。以上でこのお話はおしまいです。快く検証していただきご意見を下さったSumaruさんには、大変感謝いたします。--ムカイ会話2015年12月11日 (金) 17:10 (UTC)
現存要素に対応する定義ではありません」の意味するところが十分に伝わらなかったようですが、廃案となった話で長々やるほどこちらも暇ではないので、その辺は全部省きます。とりあえず最低限の事実として、百科事典の定義でも中山氏の著書でも、「今残っているアレを城と呼ぶこと」と城のあるべき定義は並存しており、殊更に問題視されていません。
「矛盾する記述」とおっしゃいますが、現状ではそこに矛盾を見出しているのはムカイさんお一人です。『本当に貴方の問題意識が専門家のそれと合致するのなら、「日本史や城郭についてのコアな知識がある人」からそうした誤解に対する発言くらいはありそうなものでしょう』。--Sumaru会話2015年12月12日 (土) 00:08 (UTC)
字下げ戻します。廃案の提案から1週間程度が経過しましたが、廃案に関する反対意見はなかったことから、本案は廃案と決定いたしました。長い間、お付き合いくださいまして、ありがとうございました。なお、日を改めて現在の定義に変更になったことでの影響による記事第一段落の修正案を提案させていただきますので、広くご意見をいただけましたら幸いです。--ムカイ会話2015年12月11日 (金) 17:10 (UTC)

通称について

「通称」とは正式ではないが世間一般で呼ばれている名称です。 確かに姫路城は「別称」(別名)白鷺城ですが、地元の人を含めて通常はみんな姫路城と呼んでいます。 よって「通称」ではなく「別称」(別名)白鷺城が正しいと思います。--Poopa 2010年4月3日 (土) 15:41 (UTC)

「通称・白鷺城<ref>[http://www.city.himeji.lg.jp/guide/castle/various.html 姫路城公式ホームページ内雑学姫路城より-2008年9月4日確認]</ref>(脚注のタグエラーが生じたため修正(nowiki)いたしました。--ムカイ 2009年1月28日 (水) 14:54 (UTC))はくろじょう)とも呼ばれる。」

についてですが、編集合戦に発展しかねない修正作業が行われておりますので、作業を中止されて、議論を行っていただきますようお願い申し上げます。--ムカイ 2009年1月28日 (水) 14:44 (UTC)

「白鷺城」について、姫路市立城内図書館で『姫路城の話』の古い版にまでさかのぼって調べてきました。この本の初版は1949年(昭和24年)1954年(昭和29年)なのですが、このp.2では
いつごろから白鷺場と呼んだかは明らかでないが、漢學者の命名で、漢學の盛んな時代であろう。それから姫路城は、和歌などには「しらさぎのしろ」と読んでもいいが、もともと漢學的に命じた名称であるから「はくろじょう」と音読するのが正しく、「しらさぎじょう」と読むべきではない。
となってまして、これが表記が当用漢字に変わったりとかの変化はありますが、1995年(平成7年)1993年(平成5年)の版(p.10)まで踏襲されています。逆に言えば戦後すぐの時点において既に「しらさぎじょう」という読み(上記の文に従えば誤読)が有ったということになります。--片山章魚坊(Takobou) 2009年2月10日 (火) 08:02 (UTC)年間違い修正--片山章魚坊(Takobou) 2009年2月10日 (火) 13:46 (UTC)
こんにちは。シロクニさんへコメントをお願いいたしました。
実際に“しらさぎ”と呼ばれているという事実が確認できるのでしたら“はくろ”とともに併記した方がよいと思われます。
西村吉一「二十三円五十銭で落札された姫路城」(平井聖監修『城 6.中国編』1996年 毎日新聞社)には“しらさぎじょう”というルビがみられます。ただし、新聞記事に書かれた見出しの読みであり、この書籍として別称(通称)欄の「白鷺城」にルビは振られていませんでした。ほかに、村田修三監修『ビジュアル・ワイド 日本名城百選』小学館 2008年には“しらさぎじょう”と振られ、加藤理文ほか執筆『よみがえる名城 白亜の巨郭 徳川の城』学習研究社 2008年には、併記されていました。このように、“しらさぎ”とも呼ばれているという事実は確認できますので、私は併記が好ましいと思います。--ムカイ 2009年2月14日 (土) 08:56 (UTC)
ムカイさん資料調査ありがとうございます。両方併記した上で読みについての解釈について述べるのが一番よいと思うのですが、問題なのは「はくろじょう」を消して「しらさぎじょう」だけにしてしまう人がいることです。2005年1月26日 (水) 07:21(JST)の版で両説並記から「しらさぎ-」だけにする編集をしたのも、2009年1月28日 (水) 20:29(JST)の版で「はくろ-」だけから「しらさぎ-」だけに書き換えてしまったのもどちらもIPユーザなんですよね。先の人はこれだけしか編集していませんし、後の人は他に野球選手の年棒をいじったりとかそういう編集しかしていないようで。--片山章魚坊(Takobou) 2009年2月14日 (土) 10:38 (UTC)

新しい写真

私は5月に新しい写真を撮りましたので、よければそれを使ってください。こちら:写真1写真2--以上の署名のないコメントは、Nubero会話投稿記録)さんが 2015年5月12日 (火) 22:16‎ に投稿したものです(So tttによる付記)。--内部リンク化--So ttt会話2015年6月7日 (日) 08:30 (UTC)