ノート:守山口駅

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役場前駅との関係[編集]

役場前駅は、大正10年以前の瀬戸線の単線時代には、すれ違い待避設備があった駅です。
守山町役場(現在の守山図書館)からまっすぐ南に下りる道と線路が交差するあたりにあったようです。駅があった当時からある質屋がいまでも存在しています。
今尾恵介監修『日本鉄道旅行地図帳 7号 東海』では、開業日、廃止日とも不明、守山口駅 - 守山自衛隊前駅間(起点からの距離不明)に記載となっています。これに従えば、守山口駅が開業した大正10年以降も存在していたことになります。『守山市史』には、開業当時からあったと記載されています。『大正10年 愛知県統計書』(1921年度)には記載がありません。ただし、昭和初期まで存在していたという話しもあります。大正期に、守山口駅と改名し、1932-1938年頃に役場近くから西の矢田川近くへ(当時の地形図による)移転したという可能性もあります。--Ateo 2009年11月4日 (水) 04:17 (UTC)[返信]

黎明期の路線図に存在した「守山駅」がこの役場前駅の可能性があります(役場前駅が別名)。伊東重光「瀬戸線あれこれ(5)」(『もりやま』第33巻、守山郷土史研究会)で考察されている路線図によれば衛門前(後の守山自衛隊前駅)と矢田駅の間に会ったことになりますが、守山口駅の開業時期からして同駅とは別の駅でしょう。--ButuCC+Mtp 2019年4月28日 (日) 13:55 (UTC)[返信]


木ヶ崎駅との関係[編集]

木ヶ崎駅は、今尾恵介監修『日本鉄道旅行地図帳 7号 東海』では、1905年4月2日開業、1924年以前廃止、矢田駅 - 守山口駅間(起点からの距離不明)にあったとして、記載されています。『守山市史』や『大正10年 愛知県統計書』(1921年度)には記載がありません。比較的新しい文献では、『瀬戸線の90年』には記載があります。
ただし、現在の矢田駅と、守山口駅と思しき遺構はそれぞれ矢田川鉄橋の両端にあるので、矢田駅 - 守山口駅間にあったとすると、矢田川の河道上にあったことになってしまいます。
また、木ヶ崎という地名は、古くから矢田駅周辺の地域を指すものですので(現在も木ヶ崎公園として名が残る。)、木ヶ崎駅は矢田駅の別称であった可能性もあります。
なお、役場前駅との関係は不明です。--Ateo 2009年11月4日 (水) 04:17 (UTC)[返信]

大正期の古地図には、木ヶ崎駅は現在の矢田駅の位置に書かれているものがあります。『日本鉄道旅行地図帳 7号 東海』は、『瀬戸線の90年』の記載に基づいているのかもしれませんが、そもそも『瀬戸線の90年』の記載が誤りである可能性があります。--Ateo 2011年4月21日 (木) 00:47 (UTC)[返信]
コメント - 名鉄百年史では守山口駅 - 聯隊前駅間となっています。開業日は明治38年4月2日(路線開業日)。廃止日は昭和17年(1942年)4月1日以前です。同資料には役場前駅の記載がはないためこちらと混同している可能性もありますが…。--ButuCC+Mtp 2016年1月4日 (月) 12:17 (UTC)[返信]
伊東重光「瀬戸線あれこれ(5)」(『もりやま』第33巻、守山郷土史研究会)では路線図記載の変遷から矢田駅の別称としています。--ButuCC+Mtp 2019年4月28日 (日) 13:55 (UTC)[返信]