ノート:守谷藩

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「守谷城」節の分割提案[編集]

「守谷城」節を独立記事として分割することを提案します。現況「守谷城」は本記事守谷城節へのリダイレクトになっているため、「リダイレクト起こし」をすることになります。独立記事化に際しては記述の調整を行います。

「守谷藩」は、徳川家康が関東に入部してから江戸時代前期まで存在した藩ですが、「守谷城」は守谷藩が領国支配のために新たに築いた城ではなく、(築城者は諸説あるものの)中世、少なくとも戦国期からの歴史があります。下総相馬家の動向であるとか、北条氏による改修であるとか、はたまた平将門伝説の検討であるとかを「守谷藩」の記事内で詳述することには違和感があります。

なお、この城跡の一部(中核部分にあたる「城山地区」)を中心に整備した「守谷城址公園」の記事はすでに存在しています。こちらに歴史節を設けて記述を移すことも考え得るのですが、歴史節がそれなりに重くなってアンバランスになるかと思われます。城址公園はかつての「城山地区」に加え、守谷沼や獺弁天といった城の周辺も含めて整備しているようであり、また守谷城は現在市街地化した「城内地区」「城下地区」を含めた広がりを持っていたわけですから、「守谷藩」内に「守谷城」の節があることと同様の、記事で扱う主題が重なっていない違和感が生じるように思われます。「小田原城」と「小田原城址公園」のように、過去の城に関する記事と現代の公園に関する記事の両方がある例もありますので(城址公園参照)、守谷城についても独立記事にしてよいと考えます。

提案は以上です。--桂鷺淵会話2023年5月8日 (月) 02:41 (UTC)[返信]

コメント 統合・改名 守谷城の記述を除去することには賛成いたします。一方で、「守谷城址公園」の記述量は小さな節に収まる程度であり、「守谷城」節を「守谷城址公園」に統合したうえで「守谷城」に改名することが適当だと考えます。
城の範囲が時代によって変化するものであることを踏まえれば、城内になかった区域を含む公園が城の記事で取り扱われることは許容範囲の内だと感じます。--YTRK会話2023年5月13日 (土) 02:39 (UTC)[返信]
コメント ご意見ありがとうございます。「守谷城址公園」は独立記事としては物足りない感があり、率直に言ってスタブ感は否めません。ただ、ネットで検索する限りは河津桜の名所として知られた存在であるらしく(現在の記事には言及がありませんが)、「史跡保護の予算を拠出しやすい名目を確保するために公園に指定している」という、ままありがちな「史跡公園」以上に、都市計画の中で重要な公園と位置づけられて整備しているようではありますので、公園としての記事充実の余地はありそうだ、と考えています。
私は守谷市の住民でもなければ土地勘もなく、単に歴史への興味の延長として守谷城やら将門伝説やらを一か所にまとめたいだけではあり、公園について詳しく調べるのは他の方にしていただきたいというのが正直なところですが、公園記事もいくらかの拡充を図ります。とりあえずは「守谷城」の記事を立ててそちらの加筆を行った上で、改めて統合するかどうかを検討していただければと思います。
公園記事の方に、関連する議論を行っている本ノートページに誘導する告知を出しておきます。本来はこの提案を行った際にしておくべきでした。--桂鷺淵会話2023年5月13日 (土) 07:43 (UTC)[返信]
守谷城址公園の加筆、ありがとうございます。統合を行わず守谷城を別個に立項することに異議ありません。改めてお礼申し上げます。--YTRK会話2023年5月14日 (日) 13:46 (UTC)[返信]
こちらこそありがとうございます。ネット上の公開情報頼りではありますが、「守谷城址公園」にもう少し加筆ができそうではあります。あとは地元の方など、地域の情報(市の広報や郷土資料など)にアクセスしやすい方にしっかり加筆していただけたら幸いなのですけれども。「守谷城」のほうも週末を目途に実施したいです。--桂鷺淵会話2023年5月18日 (木) 02:23 (UTC)[返信]

報告 分割を実施しました。「守谷藩」記事内の叙述はもう少し整理ができるかもしれません。--桂鷺淵会話2023年5月20日 (土) 14:29 (UTC)[返信]