ノート:屯田兵

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屯田憲兵の資料[編集]

屯田憲兵の資料がアジア資料センターのデジタルデーターにあり、サイトから検索できますので、どなたかご利用になられたらいかがでしょう。検索に永山盛弘と入力すると、設置を上申したときの上申書やその他の公文書が見られます。くずし字を読めないかたでも目録を見ると現代字になおしているのがありますので、それほど困らないでしょう。黒田清隆などと入力するのも良い方法かも。検索に工夫したら誰も知らない新発見の資料を見つけ、専門書や一般書の誤りを訂正することもできますよ。木村秀海 2005年8月20日 (土) 11:58 (UTC)[返信]

東北士族中心での西南戦争[編集]

2010年3月31日 (水) 22:45 (UTC)の版[1]で、西南戦争の屯田兵が東北士族中心だというのは誤りで、歴史の捏造だという加筆がありました。「屯田兵全7337名中、東北出身者は(中略)20%弱」というのがその理由です。しかし、7337というのは文字通り屯田兵の歴史を通じての全戸数です。はじまって間もない明治10年には2個中隊440戸でした。屯田兵の募集は、道南・東北3県からしだいに地域を拡大し、平民も採用した、と山川出版社の『北海道の百年』(1999年)にも書かれています。西南戦争の官軍の参加兵力はウィキペディアの記事で7万。 もっと少ない他の数字もあります。ともかく屯田兵からでも西南戦争からでも、このような数で論証しようとする書籍・論文があるとは考えがたく、投稿者の独自の説なのだろうとおもわれます。差し戻させていただきました。--Kinori 2010年5月14日 (金) 14:07 (UTC)[返信]

坂本竜馬と屯田兵[編集]

坂本竜馬が屯田兵の案をあたためていたという一文がありますが、これはもう少し一般的な北海道開拓の話であって、屯田兵とは違うように思われます。民間の集団植民は、その人たちが武装していても、屯田兵ではありません。明治時代に諸藩の旧士族が開拓に従事したのは、屯田兵とは言いませんよね。その集団が同時に軍隊の編成をとることで屯田兵となります。竜馬の計画は旧士族の開拓に近いようです。この記事から除くことを提案します。--Kinori会話2016年11月13日 (日) 02:56 (UTC)[返信]

反対がありませんでしたので、除去しました。--Kinori会話2016年11月25日 (金) 04:28 (UTC)[返信]
一領具足の事と思われます。関連項目としての加筆を考えていますが、wiki構文や配置に迷っているため、お手隙がありましたら参考になるページを教えて頂けると幸いです。--温厚知新会話2021年10月20日 (水) 04:04 (UTC)[返信]
除去をされた編集を取り消し、関連項目に「一領具足」を追加しました。間違いなどがあれば訂正していただきたく思います。--温厚知新会話2021年10月23日 (土) 07:54 (UTC)[返信]

屯田兵の装備と生活基盤に関する記述[編集]

現状の本文では、屯田兵は暴力装置(当初は防衛と治安維持)であるのに、装備に関する記述が少ないように思います。郷土史家のネット上の記述によれば、ライフル(射程距離が長い小銃。当初は輸入ものでのちに国産)を支給されたと書かれていますが、同様に暴力装置である警察(射程距離が短い拳銃を装備の主とする)との間で、まばらに散在する屯田兵との間でどのように屯田兵は防衛、より集住する警察は治安維持というような純化がなされていったのか、現在の本文ではよく分かりません。現状の抽象的な記述を改変して、広大な北海道(東北より広く、九州の2倍の面積)における軍事・警察の職業分離によって屯田兵の存在意義がどう変化していったのか記述するべきかと思います。それはすなわち、屯田兵の廃止に至る歴史の一面を明らかにすると思います。
また、郷土史家のネット上の記述によると、屯田兵は当初、米の生産を禁じられたため、生活を畑作と国からの給与に頼っていたらしいのです。しかし、稲作がイニシャルコストの数十倍の収量があるのに畑作は数倍の収量しかなく、豊作・不作の差が稲作では±5%程度なのに、畑作では数十%になってしまうという不安定さ。これでは給与打ち切り後に困窮するのは必至であり、実際、殺傷能力の高い武器を持ったならず者になりかねない状況になっていました。史実では、稲作の解禁で屯田兵のならず者化を抑えたわけですが、一部は本当に盗賊になって米国の西部開拓時代のようになってしまっていたかも知れません。このような武力と経済(家計)に関わる記述も本文にあるべきなのかなと思います。
自分は北海道居住ではないため、どうしてもまともな本に巡り合えないので、郷土史家が書いたネット情報での情報収集になってしまい、確かな典拠を以て本文に書き込めないのですが、北海道の方々には上述のような視点での加筆をお願いしたいです。よろしくお願い致します。--ChampagneFight会話2016年12月31日 (土) 16:16 (UTC)[返信]

ハマダラカ[編集]

本文には、マラリアを媒介するハマダラカが兵屋のなかで数十匹つかまえられた、という記述があります。が、密閉性が低いのは当時の日本家屋の特徴で、特に屯田兵の家が劣るわけではありません。北海道にマラリア原虫はいませんから、それに対する言及は誤解を招くと思います。除去を提案します。--Kinori会話2023年6月4日 (日) 00:47 (UTC)[返信]