ノート:山内一豊

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一豊婦人について[編集]

来年度大河の主人公ですが、見性院に併記されていたのがいつの間にか千代に分離されているようですね。「千代」はちょっと不適切な項目名だと思うのですがどうでしょう?--でここ 2005年12月10日 (土) 15:40 (UTC)[返信]

表の記事に関する備忘録[編集]

  • 前野長康の居城・「尾張」松倉城⇒でも現在は「岐阜県」各務原市・・・当時の尾張と美濃の国境と現在の愛知県と岐阜県の県境はいずれも木曽川で区切られているが、木曽川の流路が変更してしまい、当時尾張だった地域がそれによって美濃に編入されてしまったため(時期未確認)Aboshi 2006年2月14日 (火) 10:27 (UTC)[返信]

一豊が登場するドラマ作品[編集]

>織田信長や羽柴秀吉をメインキャストに据えたドラマは多数存在するが、一豊が登場する作品は上記以外では殆ど無い。 小山評定に絡んで、むしろ徳川家康がメインの作品に登場しているのではないでしょうか。(「葵徳川三代」など)--以上の署名のないコメントは、203.138.99.231会話投稿記録)さんが 2006年7月16日 (日) 11:41 (UTC) に投稿したものです。[返信]

「かずとよ」と「かつとよ」について[編集]

記事本文に、「一豊」の読み方として、「かつとよ」が正しい訓みである云々の記述がありますが、歴史的仮名遣では名前の「一」とか「和」を「かず」と読む場合は「かづ」と書いていたはず。また、濁点も必ずしも付されなかった(省略された)ことを考えれば、とどのつまり一豊当時の古文書等に「かつとよ」と書いていてもそれは結局「かづとよ」すなわち現代の「かずとよ」と同価ではないのか、という疑問が湧くのですが。当該部分を執筆された方はそこまで確認されて、つまり当該歴史文献に登場する「かつとよ」の「つ」は絶対に「づ」の濁点省略でなく静音の「つ」(TsuもしくはTu)である、ということを何らかの形で確認した上で加筆されたのでしょうか。--無言雀師 2007年4月28日 (土) 19:36 (UTC)[返信]

こんにちは。書いた者です。
さて、無言雀師さんのおっしゃったような検証は一切行っておりません。ただし、参考書籍とした渡部氏の『検証・山内一豊伝説』中に「かつとよ」が正しいであろうと見解を示していること、また相応の根拠を挙げていることから本説を採用し、ルビをふりました。参考に同書の言うところをここに箇条書きにしておきますね。
  • 山内家の重臣・林一吉は一豊から偏諱を賜ったが、息子は相続に当たり、偏諱を返上して勝久と名乗った。「一」から「勝」の変更は「かつ」と読ませていたことを想像させる。
  • 寛政重修諸家譜』において「かつとよ」となっている。『寛政重修諸家譜』には「諱の読みの疑わしいものは書かない」となっており、作成者が相応の自信を持ってつけたものであろう。『武鑑』などでは「かずとよ」の読みも散見されるが、官選のものを否定する根拠にはならない。
以上です。実は小和田氏の本では「かずとよ」になっているのですが、その根拠が一切挙げられていないことから外しました。
さて、無言雀師さんのおっしゃっていることは、こと日本の人名を考える際には考慮から外していいことかと思います。現在でも歴史上においても、本来の読みから考えるとへんてこりんな名前になっていることはいくらでもありますしね。以上、つたないながらお答えしました。Aboshi 2007年5月1日 (火) 12:18 (UTC)[返信]
ご回答ありがとうございます。偏諱の話はいわゆる傍証ではあるでしょうが、一応の説得力はありますね。また、そもそもが日本人の名前が当て字だらけで理屈は結構あてにならん(あまりギチギチ考えてもしょうがない)というのもそのとおりだと思います。まぁ、当方としては、昔の濁点省略のことを頭の片隅にでも覚えておいていただければ、それで十分であります。--無言雀師 2007年5月2日 (水) 09:29 (UTC)[返信]

「土佐一国の領主として」の記述(カツオのたたき)[編集]

「土佐一国の領主として」で記述されているカツオのたたきの起源は、ぼくが聞いたのは「カツオを食して食中毒になるのを心配した一豊がカツオをあぶって(焼いて?)食べさせた」という話ですが…。でも「一豊が領民の食中毒を心配した」という点は一致しています。問題は禁止したのか奨励したのかです。用件のみで失礼しました--Fromaymjh3237 2011年4月21日 (木) 13:29 (UTC)[返信]

作家の書いた書籍は・・・云々という削除荒しをするIPユーザーへ[編集]

IPユーザー(アドレスはしばしば変わる)で「作家の書いた書籍はあくまでも読み物であり、参考書籍としては相応しくないと思います。たとえ出典付の記述であったとしても得体のしれない書籍は臨機応変に削除しないとウィキペディアの真正性を著しく低下させることにつながると思います。」というコメントを書いて、出典付き記述を方々で削除する人がいるのですが、一言でいって、そんなルールはありません。むしろ、IPユーザーの削除行為がまさに荒し行為になります

医療・科学分野以外では、(自費出版等を之ぞじた除いた)公刊された書籍に記述があれば、検証可能性を満たします。それがルールです。結局、ウィキペディアの記事というのは、出典元にこれこれと書いてあるよ、というだけで、真正性は無関係です。医療・科学分野以外というのがミソです。科学的事実(実験等で確認された事実)である必要性まであるのは医療・科学分野だけです。それ以外の分野では高い品質は必要ありません。つうか、検証手段なんてないわけなので、そんなことまで求めると、記述は不可能になります。

そのことは三大方針にはっきり明記されてあります。「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」で、検証可能かどうかとは、出典が明示されているかです。Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないWikipedia:中立的な観点を熟読してください。

実際、IPユーザーが勝手に自分の尺度で「得体の知れない書籍」と断じてるだけで、それも独自研究でしかない。独自研究ではないというには、削除する理由も出典が必要です。特定の逸話の史実性が低いならば、その旨を出典付きで明記して、こういう話があるがこれこれによるとこういう理由でこの話は信憑性がないと加筆記述するのが、百科事典というものであって、削除すれば何の説明にもなりません。仮に善意の行動としても、やってることは、ただの荒しと変わらないということです。--Quark Logo会話) 2018年10月31日 (水) 12:53 (UTC), 一部訂正--Quark Logo会話2018年10月31日 (水) 13:26 (UTC)[返信]

歴史も「歴史学」という学術の対象の一つなので、ウィキペディアの方針に沿って、「作家の書いた書籍」などの学術的権威のない出典については原則として除去すべきだと思います。ウィキペディアの方針で言えば、WP:SOURCES「学術的な主題については、なるべくピアレビュー(査読)を経た情報源を用いるべきです。また、主張する内容に応じて適切な情報源を選ぶべきです(珍奇な主張には強固な情報源が必要です)。」、「とくに歴史・医学・科学分野のときは、学術的で査読を経た出版物が存在する場合、それが最も信頼できる情報源です。しかしこれらの分野でも、それだけが信頼できる情報源ではありません。学術的でない情報源であっても、それが特に主流の権威的出版物だと信頼されている場合は使用することができます。」とありますから、ウィキペディアの方針の観点からも(医学・科学分野と同じく)歴史分野についても査読を受けた学術的な出典・あるいは「特に主流の権威的出版物」(専門家の書いた新書や、専門の研究者からも言及されるような書籍など)のみが出典に使用することが許容されると考えられます。特に日本の戦国時代なら専門家の書いた書籍・論文が多数あるので、作家の書いた書籍を使用しなくても困らないのではないでしょうか(WP:RS#情報源の評価WP:RS#歴史Wikipedia:コメント依頼/おいしい豚肉も参照)。--伊佐坂安物会話/履歴2018年10月31日 (水) 14:15 (UTC)[返信]
そういった言い方は「作家の書いた書籍」が一律にダメという風な誤解を与えるのでないでしょうか。ここで題材になっているのは人物の伝記です。「学術的な主題」ではないのです。歴史学としてテーマになっているようなもの、例えば、封建制の成立とか、領国の形成とか、一向一揆の政治過程とか、などなどを論じる記事ならば、学術的主題であるといえますが、伝記というものは、人物の事績、逸話を列挙したものなのです。だから、そういった話があるという出典だけで十分なのです。そこから一席ぶって、〇〇学説なり、展開するというとなると話は少し変わってきますが、それでもよっぽど突飛で、従来の常識を覆すようなものでなければ、公刊された出典があれば載せても問題はないし、仮に、その出典付き記述が問題がある、残すべきではないと思う場合も、ノートページで議論して、理由を説明してから、削除するというのが慣例だと思います。出典付き記述の議論無き削除は荒しとされている。
専門家、研究者の出典が基本的に必要なのは、解釈や主張があるときでしょう。作家が書くにしても、ほとんどは元ネタがあるので、削除してしまうと、元ネタに到達できません。古い文書類や軍記物とか、元ネタまで発見したとき、より正確な出典に置き換えるという作業が実際的ではないでしょうか。無碍に削除する必要は無く、排他的姿勢は、基本的に自由参加であるウィキペディア的ではないのでは。
追記ですが、かのIPユーザーは小和田哲男の著作の出典も作家が書いたものとのたまって削除してます。学者の善し悪しまで勝手に等級してるのでしょうか。基本的に残すべきという考えの裏には、作家の知識よりも、ウィキペディア編集者(可変のIPユーザーなどは特に)の知識の方が、はるかに怪しいからです。たかが作家、されど作家。所詮、ほとんど編集者はただのど素人ですから、彼ら彼女らの判断力をそのまま信用できません。作家の方がはるかにましです。よって出典があれば取りあえず残す、問題のあるものは個別にノートで議論、が基本姿勢とするべきだと思います。--Quark Logo会話2018年11月1日 (木) 10:09 (UTC)[返信]
人物の伝記も、社会経済史のような分野と比べれば学術的な研究の対象とはなりにくいとは言えますが、歴史学の範疇であることに変わりないと思います(吉川弘文館の人物叢書は専門の研究者が執筆していますし、日本古代史の分野では『古代の人物』のようなシリーズもあります)。仮に学術的な主題でないにしても、「歴史」であることは確かでしょうし、WP:RS#歴史の範囲内ではないでしょうか(WP:RS#歴史より「一般的な公開物は、歴史を小説や映画、テレビ番組、さまざまな場所のツアーガイドから得ています。こうした情報源は噂やゴシップに満ちており、嘘だったり大げさだったりします。彼らは、著名な名前が英雄的な役割を演じるバラ色の歴史を表そうとしがちです」)。「一般的な公開物」、すなわち作家の書いた書籍は原則不可であると見るべきでしょう。学術的主題に限らず、また解釈や学説でなくても、「百科事典の場合では事実とは、その主題についての学者や専門家の共通認識によって同意された記述のことです」(WP:RS)という原則は当てはまるものだと思います。
もちろん「作家の書いた書籍」も例外的に使用可能な場合もあると思います。桐野作人氏のように専門の研究者からも肯定的に評価され、史学雑誌の「回顧と展望」でも言及されるような作家は、「事実確認や正確さに定評のある情報源」(WP:RS)である裏付けがあるものとして、出典として使用可能だとは思います。
しかし、作家のなかには『名将言行録』のような信頼性の怪しいものを元ネタとして書いたり、(無名のライターのような場合)まったくの空想を書いたりする人もいるわけです。あるいは信憑性の高い一次史料に基づいていても、作家は専門家でないので史料を誤読したりするかもしれません。おっしゃる通り「ただのど素人」であることがほとんどのウィキペディアンの判断力は信用できませんから、「この作家は信用できる史料を用いて的確に事実を述べている」逆に「この作家は嘘を書いている」という判断を行うことは不可能です。ですので、方針であるWP:SOURCESやガイドラインのWP:RSに則って、作家の書いた怪しげな出典は一律に排除して、専門家の手による文献を出典にすることで記事の信用性を担保する(「ウィキペディアの記事は、事実確認と正確さについて定評のある、信用できる第三者情報源に基いて書くべき」(WP:SOURCES))ことが必要になります。WP:RS冒頭には「不適切な情報源に基づいた編集を行うと、異議を申し立てられたり除去されたりすることがあ」るとも書かれています。
とはいえ、少なくとも小和田哲男氏の著作を「作家」の書いたものという理由で除去するのは妥当ではないでしょうね(PHP新書という媒体を考慮すると、WP:SOURCESWP:RSの観点から最も望ましいものとは言えないとは思いますが)。その点はQuark Logoさんのおっしゃる通りだと思います。また、元ネタを辿れるようにしておくべきという観点にはたしかに配慮すべきだとは思いますし、コメントアウトで記述を残しておく、あるいは{{信頼性要検証}}を貼っておくという手もありますから、いきなりの除去が最適な手段とは限らないとも思います。論争になりそうな場合にはノートページで議論した上で除去した方が無難であるという点もQuark Logoさんに同意します。--伊佐坂安物会話/履歴) 2018年11月1日 (木) 14:30 (UTC)修正--伊佐坂安物会話/履歴2018年11月1日 (木) 23:14 (UTC)[返信]

出典のある記事の削除を提案します[編集]

榎本秋の書籍から引用された記事と山本大の書籍から引用された記事の内容は重複しており、いずれかを削除するべきだと思います。 榎本秋は多くの歴史に関する書籍がありますが、管見の限り歴史の研究者による研究書や論文で榎本の書籍が参考文献にあがったことは皆無のように思えます。 つまりあくまでも私の独自研究ではなく、歴史の研究者からは全く評価をされていないということの証左になるかと思います。 以上の観点から、榎本秋の書籍から引用された部分の削除を提案します。

小和田哲男の書籍から引用された記事と山本大の書籍から引用された記事の内容は重複しており、いずれかを削除するべきだと思います。 小和田は歴史学者であり、作家と表現してしまった事は深くお詫びする次第です。 小和田は今川氏や浅井氏に関する研究が主で、これに対して山本は高知県史に関する研究を専門的に行っており、山内や長宗我部に関する書籍や論文も多い。 以上の観点から、小和田の書籍から引用された部分の削除を提案します。--2400:402E:8883:3300:DDF5:D696:7FAB:F969 2018年11月2日 (金) 00:25 (UTC)[返信]

まず、あなたの場合はマルチアカウント状態を辞めて、利用者登録をしてください。あなたは署名による識別もできず、説明責任を果たすことが出来ない状態(他の利用者から質問も受けられない)なので、可変のIPユーザーとは議論の継続も、利用者間合意も不可能です。ユーザー登録が終わってから、具体的な話を始めましょう。無論、ユーザー登録をしない理由が過去に無期限ブロックを喰らったとかソックパペットとかなら、論外なのですが。(Help:ログインWikipedia:説明責任Wikipedia:多重アカウントWikipedia:合意形成Wikipedia:方針とガイドライン
あと、一つの同じネタに複数の出典を付けても何の問題もないです。むしろ単一出典の方が嫌われる傾向にあるので、出典は増えた方がいいです。そして、一読したところ、同じ内容の部分は見当たらないように思います。ユーザー登録をして、重複したという部分をもっとわかりやすく書いてください。--Quark Logo会話2018年11月3日 (土) 01:09 (UTC)[返信]

山内一豊の人物に関する記事で、「自分の居城を明け渡した」という山本大の書籍から引用した内容と「掛川城と領地を自ら差し出す」という榎本秋の書籍から引用した内容が重複しており、榎本秋の書籍から引用した記事は削除するべきだと思います。理由は上記で述べたので改めて書きません。73人を磔にしたという小和田と山本の記事も内容が重複しています。出典が増えるのは良いことだと思いますが、どのような書籍でも良いというこにはならないと思います。 あと私が利用者登録をしないのは、もし私が利用者登録をしたらQuark Logoさんのような方が私のことをブロックしようとするのではないかと思うので、今のところ利用者登録をするつもりはありません。--2400:402E:8883:3300:211F:95C0:E45C:B8E8 2018年11月3日 (土) 07:12 (UTC)[返信]

まず、私からもWikipedia:説明責任の観点から利用者登録してくださるようにお願いします。ログインした方が、IPさんご自身にとっても、意見の説得力が高まるなど多くのメリットがあると思います。その上で、「領地を自ら差し出す」「73人を磔」という話は箇条書きでたしかに重複して書かれていますし、記述はどちらか片方で十分でしょうね。榎本秋さんは歴史学の分野では完全に素人であって、WP:SOURCESWP:RSを満たすようなものでなく記述の信頼性を高めることはできないですし、より正確な出典に置き換えるという意味で、方針・ガイドラインに照らして榎本秋さんの出典は除去・山本大氏の書籍のみを出典とする形で良いと思います。他方で小和田哲男氏は今川氏を研究対象とするとはいえ、戦国期の研究者ですし、「WP:RS#偽の権威に注意」を考慮するにしても、積極的に除去する必要は感じません。刊行が新しい(=最新の知見が取り入れられているかもしれない)・入手が容易であるという点では小和田哲男氏の著作にも利点がありますから、内容に深刻な矛盾があるということでもなければ、これは小和田哲男氏と山本大氏の出典を併記する形で良いと思います。--伊佐坂安物会話/履歴) 2018年11月3日 (土) 07:38 (UTC)補足--伊佐坂安物会話/履歴2018年11月3日 (土) 07:52 (UTC)[返信]
コメント コメント依頼から参りました。2400:402E:8883:3300:211F:95C0:E45C:B8E8様にはアカウント登録を私からも御願いします(出典の質を判断できるような良き編集者には是非アカウントを登録して頂いて、Wikipediaで末永く活動して頂きたく思います)。そして貴方に不適切なところがなければ、ブロックはされません。小和田哲男氏の出典の除去は「重複」という事で理解しました(実際に重複なのかどうかは門外漢なので賛否はありませんが、伊佐坂安物様のコメントを見るに、少なくともブロック相当であるとは判断できません)。もし貴方がアカウントを取得して、過去にIPV6が変わったから多重アカウント違反だとして投稿ブロック依頼が出たとしても、私は必ず反対票を入れます。また、作家やゲーム攻略本の除去を理由とする おかしなブロック依頼であれば、反対票を入れるのは勿論(これには伊佐坂安物様も同意頂けますよね?)、その依頼者を方針不理解としてブロック依頼とする事を約束します(私が提出してきたブロック依頼がどうなったか、履歴より御覧下さい)。勿論、それ以外の理由でのブロック依頼には是々非々で対応しますので、必ずしも貴方を利するとは約束しませんが。--JapaneseA会話2018年11月12日 (月) 10:22 (UTC)[返信]
コメント JapaneseAさんのご意見に賛同いたします。IPV6が変わったから多重アカウント違反だという理由による、または作家やゲーム攻略本の除去を理由とする、2400:402E:8883:3300:211F:95C0:E45C:B8E8さんに対するブロック依頼が出たとすれば、私は反対票を入れると思います。--伊佐坂安物会話/履歴2018年11月12日 (月) 11:30 (UTC)[返信]