ノート:山梨交通電車線

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表題でいきなり「ボロ電」と書かれて、こちらとしてもちょっと困ってしまいました。即時削除を貼った理由も「走るんです」の様な卑語に見えたためで、ましてや廃線記事ですので、にわかに信じられませんでした。しかし、「ボロ電」と呼ばれた理由がやはり欲しいですね。伊予電の「マッチ箱の汽車」のように文学作品から来たものであればともかく、地元で単に古い電車を使用していたため呼ばれていた程度であればPOVにかかるおそれがあり、下手をすると木造電車がこう呼ばれる危険性もありますので十分な対応が必要ではないでしょうか。Sat.K 2004年7月11日 (日) 17:36 (UTC)[返信]

すいません。幼児体験もあったのでつい救ってしまいました(^^; 実際の理由はちょっと覚えていないのですが、追加したリンク(市・町の公式のもの)にもわざわざ書かれているとおりで、この名前で呼ぶ年配者がかなりいました。「ゲタ電」との違いを言えといわれるとちょっとわからないのですが。数年前に単行本が出たのを覚えていますので、書泉にいけばまだ残っているかもしれません(が、しばらく秋葉原にいく予定が無くて)。sphl 2004年7月11日 (日) 17:53 (UTC)[返信]
外部リンクの梨大鉄研を御覧になるといいのですが、山交電車線=「ボロ電」は地元ではごく普通に使っていたものです。多分ボロいからボロ電だったんです。貧乏鉄道でしたから。昔はその程度の用語はPOVではなかったということでもあります。広く使われていた用語であるのに「ボロ電」が不愉快な言葉だからPOVという意見でしたら、それ自体がPOVだと思います。「走るンです」だってどこが卑語なのか。 NekoJaNekoJa 2005年8月19日 (金) 03:37 (UTC)[返信]
電車線現役時代に刊行された鉄道雑誌を数点持ってますが、それらにも「ボロ電」という呼称が載っています。知らない人がいきなり「ボロ電」と聞くと嫌悪感を抱くこともあるかと思いますが、地元で浸透していたことは間違いないです。昭和30年代、バスは本格的に発展して新車が次々と走り出したのに比べて、電車は戦前製の(一部戦後製もあったけど)ボロい電車、ということだったのではないでしょうか。ちなみにGoogleにおける「ボロ電」「山梨交通」のAND検索ヒット数36。--Muyo master 2005年8月19日 (金) 12:00 (UTC)[返信]

最終運行日について[編集]

最終運行日が1962年6月3日となっていますが、これはおそらく[1]の説明文を参考にしたものと思います。しかしながら、『鉄道ピクトリアル』1962年9月号(通巻136号)の記事では廃止日前日の1962年6月30日まで運行した旨の記述があり、廃止の挨拶文が書かれた幕を掲げて走行中の写真も掲載されています。これについて他に裏付けとなる資料をお持ちの方、事実をご存知の方がおられましたらご助言・ご加筆いただけませんでしょうか。よろしくお願いします。--Muyo master 2007年12月14日 (金) 04:24 (UTC)[返信]

山梨交通の社史である「山梨交通60年史」には、6月30日をもって営業を停止とされています。さすがに社史であれば日付は確かだと思いますので、修正しようかと思います。Cassiopeia-Sweet 2007年12月14日 (金) 14:21 (UTC)[返信]