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ノート:岡田克也/過去ログ2

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不足している情報源について

どの記述が該当するか特定しませんか? 記事を見た所、ほとんど公式HPやブログに掲載されている情報ですが、それらもひとつひとつソースを追う必要があるのでしょうか?--レイレナード 2009年5月18日 (月) 06:00 (UTC)

政策・主張、人物像の所が顕著な様に見受けられます。このあたりを中心に、出典の明記のないものについて項単位で一括して要出典としたらどうでしょうか?

220.216.111.115 2009年5月18日 (月) 10:13 (UTC)

特定版以降の恣意的編集について

特定版以降、ある観点からみて不都合な情報の削除、事実誤認に基づく虚偽情報が記載されています。具体的には、国家公務員法違反問題の全面削除、大部分の発言の削除、現在、政府地球温暖化対策推進本部(本部長:麻生総理大臣)による排出量取引の国内統合市場の試行的実施等が進行中であるにもかかわらず、「二酸化炭素の国内排出権取引や、企業が出す二酸化炭素に課税する環境税の導入を提案しており、これらに否定的な自民党や日本経団連を批判している。」などと明らかに事実と異なる虚偽情報などです。

これらがもっとも顕著な2009年5月16日 (土) 18:24時点における版以前に一端戻してはどうでしょうか。

220.216.111.115 2009年5月18日 (月) 09:53 (UTC)

上記に挙げた問題版の当該IPユーザーにより、議論に全く応じることなく、虚偽に虚偽を重ねる編集などが行われています。議論に応じるつもりが無いようですので、個別対応に切り替えます。

220.216.111.115 2009年5月19日 (火) 09:45 (UTC)


220.216.111.115さん

見たところ、当初ご指摘の「二酸化炭素の国内排出権取引」の記述は削除されているようです。環境税の導入は自民党、経団連共に消極的なようですので、ここに関しては現時点での記述に虚偽はないと思われます。また、情報源も大幅に追加され、国家公務員法違反問題の記述も戻っているため、第三者から見ている限りは恣意的な編集には映らないのですがどうでしょうか?「虚偽に虚偽を重ねる編集」「明らかに事実と異なる虚偽情報」が具体的にどの部分を指してらっしゃるのか、個別具体的にご指摘いただいて、然る後に検討していきましょう。


221.19.194.35さん

上記の意見が出ております。こうしたケースでは、何らかの回答をされてからの編集が望ましいのではないでしょうか?議論をしないことで感情的な対立に発展することはなるべく避けるべきです。--レイレナード 2009年5月19日 (火) 10:44 (UTC)

レイレナードさん

残念ながら、当該IPユーザーによる再記述によって、返って虚偽が広がっているのです。

なぜなら、岡田氏が「二酸化炭素の国内排出権取引や、企業が出す二酸化炭素に課税する環境税の導入を提案しており、これらに否定的な自民党や日本経団連を批判している。」のは事実であったにもかかわらず、この記述を分割してしまったため、岡田氏の発言を勝手に変更してしまっているからです。また、自民党および経団連批判については、自民党は消して積極的といえるものではありませんが、環境税に関する議論は進めており、否定的とする記述は虚偽にあたるものと考えられます。また、経団連についても、当初より、「環境税」の導入に反対する(2003年11月18日 社)日本経済団体連合会)等にあるように、エネルギー課税は既に過重であるとの立場から、岡田氏が主張するような新規の環境税の導入に反対しているのであって、既存エネルギー課税を環境対策に当てる事は早い段階で肯定しており、昨年には経団連、環境税容認へ 道路財源衣替えで、新税は反対など一般財源化された道路特定財源を加える形での環境税を容認しており、こちらも否定的とする記述は虚偽にあたるものと考えられます。

220.216.111.115 2009年5月19日 (火) 11:18 (UTC)

レイレナードさん

レイレナードさんが取り消した版については、「虚偽に虚偽を重ねる編集」「明らかに事実と異なる虚偽情報」の部分は反映させていません。この版は、基本的に、当該IPユーザーによる根拠の明らかでない多くの削除部分を復活させたものですので、取り消しは解除していただけないでしょうか?あるいは、当該IPユーザーによる編集以前の版に差し戻していただきたいのですが、どうでしょうか?

220.216.111.115 2009年5月19日 (火) 11:26 (UTC)


220.216.111.115さん

「環境税についての記述」これは私の認識不足でした。お詫び申し上げます。であるならば、環境税についても全面削除とするか、自民党と経団連への批判部分を取り除くかという処置がよいと思われます。

先ほど私が取り消しを行わせていただいた部分についてです。 まず、「国家公務員法違反問題」が、政策や人物に先んじて一つの項目として取り扱うだけの強いテーマであるか?という点が気になりました(私は無党派の人間ですので、政治問題でどちらに思い入れがあるということはありませんので、その点はご理解下さい)。色々と調べてみる限り、発覚時にトップニュースなどの大きな問題として報道された形跡もなく、法律違反としても軽微な部類に入ると思われます。もちろん、政治家に転身する前とは言え、モラルの問題はありますが、社会に与えた影響のボリュームからするに、扱いが大きすぎるのではないかというのが正直な私の意見です。ただ、これを「エピソード」の項目に入れるのは私もどうかと思います。人物像の「政治家として」の項に記述するのがよいのではないでしょうか。

また、「~という批判を受けている」もその批判を行った著名な人物を情報源を示して記述する必要があります。

また発言の部分についてですが、全て事実という点は理解しております。ただ、韓国問題、中国問題についてのものに偏りすぎていませんか?更に、中立的に見た場合でも、やはりこれらの発言の取り上げ方は「あら探し」という印象が拭えず、百科事典として適切なのか、今一度お考えいただきたいと思います。 例えば任意加入の部分について、議員年金と国民年金の任意加入というのでは意味合いが異なり、一概に岡田氏と小泉氏を同列に比較するのは違うかと思いました。

社会へ影響を与えた発言、話題を呼んだ発言という観点からは、個人的には一番下の発言以外は岡田氏を賞賛する、或いは非難するための道具として使われているに過ぎないという気がし、削除すべきだと思います。

あくまで私個人の考えですので、お気を悪くされないで下さい。いったん待っていただいて、それから編集をしましょうという意味で、暫定的に取り消しをさせていただいたまでです。申し訳ありません。--レイレナード 2009年5月19日 (火) 12:19 (UTC)

レイレナードさん

そういった議論も無いままに、当該IPユーザーが削除してしまった事を問題視しています。

あくまで、当該IPユーザーによる編集以前の版への差し戻しについては了解しかねると言うことでしょうか?

また、発言が事実であれば、記載してかまわないと思います。

発言の取り上げ方が「あら探し」という印象が拭えない、といわれますが、他の政治家の項目で取り上げられている発言の項目と比較して、格別逸脱していると思われる内容ではなく、現状のままでは、他の政治家でのソレに比べて著しく公平性を欠いていると言わざるを得ません。

特に、当該IPユーザーは、他のノートにおいて、自分が抱いた印象を「一般的な読み手の印象」と称して編集に反映させるべきという、印象操作を肯定するコメントをしており、このような観点からなされたであろう編集に対して、他版より優先する理由を、私は全く見いだすことが出来ません。

220.216.111.115 2009年5月19日 (火) 13:07 (UTC)


まず一つ。比較検証は他の政治家の記事とではなく、Wikipediaの基本方針に照らし合わせて述べるべきである。よって他の政治家でのソレに比べて~というのは何の説得力も持たない。

二つ。私の過去の編集がどうだったからという理由で、今回の記事についても「このような観点からなされたであろう」と先入観を持つのでは反論にもなっていないし、議論にならない。

三つ。「しかし、父岡田卓也、長兄岡田元也は共に早稲田大学を卒業している。」これも意味不明な記述。子供の頃に通っていた学校の話と全く関係ないし、そもそも岡田本人の話ですらない。こういうのを悪意ある編集という。

そしてあなたが記述に加えようとしているものは明らかにネガティブキャンペーンでしかない。国家公務員法違反に際して事実を認め、会見まで開いて謝罪した事実を書かず、あたかも抗弁して開き直ったかのような記述。そしてそれをあたかも重大犯罪だったかのように大々的に取り上げる姿勢。これはレイレナード氏も指摘している。

発言として取り上げている内容も記事として偏っている。少なくと存命中の伝記として、悪意ある編集に該当する。http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E5%AD%98%E5%91%BD%E4%BA%BA%E7%89%A9%E3%81%AE%E4%BC%9D%E8%A8%98#.E6.89.B9.E5.88.A4.E3.80.81.E3.81.82.E3.82.89.E6.8E.A2.E3.81.97 少なくとも私はそう思うし、レイレナード氏も同意見のようだ。--221.19.194.35 2009年5月19日 (火) 14:31 (UTC)

ようやく議論に参加したようですね。

しかし見当外れのようです。

まず一つ。比較検証は他の政治家の記事とではなく、Wikipediaの基本方針に照らし合わせて述べるべきである。

理解できないんですが、他の政治家の記事はWikipediaの基本方針に照らし合わせて述べられていないんでしょうか。 私は、Wikipediaの基本方針に照らし合わせて述べられているであろう、他の政治家の記事と比較して、この記事での記述が特に逸脱しているとは感じられませんと述べているだけです。

二つ。私の過去の編集がどうだったからという理由で、今回の記事についても「このような観点からなされたであろ
う」と先入観を持つのでは反論にもなっていないし、議論にならない。

私は、先入観だけで述べているわけではありません。あなたの今回の編集結果から、過去の編集同様の観点から述べられているであろう、と推定しているだけです。違うというのなら、どう違うのか、きちんと説明してください。

三つ。「しかし、父岡田卓也、長兄岡田元也は共に早稲田大学を卒業している。」これも意味不明な記述。

そんなに意味不明でしょうか? 岡田氏は、父の教えから、幼少時から長じるまで公立校で通した旨の発言をしています。しかし、実際には、その父親自身公立校で通していませんし、自身の長兄も同じです。とてもそのままには受け取れませんので、事実関係を付与したまでです。

国家公務員法違反に際して事実を認め、会見まで開いて謝罪した事実を書かず、あたかも抗弁して開き直ったかのよう
な記述。

抗弁したのも、開き直ったかのような発言をしたのも「事実」です。その事実を書かず、国家公務員法違反に際して事実を認め、会見まで開いて謝罪したからといって、事実を削除するのは公正であるといえるでしょうか。レイレナード氏の指摘は扱いの大小であって、あなたのように、事実を削除することまで肯定的にはとらえておられません。

そしてそれをあたかも重大犯罪だったかのように大々的に取り上げる姿勢。

そもそも、あなたは、国家公務員法違反に関する記述自体を削除していたわけですが、その点に関する説明をしてください。 「重大犯罪だったかのように大々的に取り上げる姿勢」というのは、あなたの印象であって、あたしはそのような姿勢で編集しておりません。私がこの部分でやっているのは、国家公務員法違反に際して事実を認め、会見まで開いて謝罪したからといって、事実を削除してしまったあなたの編集から、削除された部分を復旧しただけです。


所で、肝心な所に何の回答もありません。

国内排出権取引や環境税に関する、岡田氏の事実に基づかない虚偽発言と、その虚偽発言をあなたが恣意的に編集したことより、さらに虚偽の記事にしてしまった点です。 この点について、説明してください。

尚、あなたの編集以前の事実として、岡田氏は、あなたの編集による「否定「的」な自民党」ではなく、あなたの引用元としている記事においては「自民党はそういうことは否定している」と断言しているという事実を改めて提示しておきます。

220.216.111.115 2009年5月19日 (火) 15:39 (UTC)


Wikipediaの基本方針に照らし合わせて述べられているであろう、他の政治家の記事と比較して、

私は他の政治家の記事のほとんどがガイドラインに沿っていないと考えている。見解の相違だ。

あなたの今回の編集結果から、過去の編集同様の観点から述べられているであろう、と推定しているだけです。違うというのなら、どう違うのか、きちんと説明してください。

過去も現在も、事実を客観的に記述している。角度をつけた記述をしているのはあなたの方だと私は思っているが、これは恐らく平行線で分かり合うことはないだろう。

岡田氏は、父の教えから、幼少時から長じるまで公立校で通した旨の発言をしています。

していない。「子供の頃から特別な学校に行ったことはありません」これは「子供の頃から(大学までずっと)特別な学校に通うことはなかった」という意味か、「子供の頃から(早い時期から)特別な学校に通っていたというわけではない」この両方の意味にとれる。安倍と麻生(二人とも小学校から私立)を引き合いに出していることから、普通に考えれば後者の解釈になる。大学が私立の国会議員なら他にいくらでもいるのに、わざわざこの二人なのだから。言ってる意味伝わっているだろうか。

抗弁したのも、開き直ったかのような発言をしたのも「事実」です。その事実を書かず、国家公務員法違反に際して事実を認め、会見まで開いて謝罪したからといって、事実を削除するのは公正であるといえるでしょうか。

抗弁や開き直りの“客観的な”事実があるなら情報を提示すべきだ。首相の批判をしたことと開き直ったことは別次元の問題。自分の罪については全面的に認めていて、その罪を犯した理由が兼職規定を知らなかったということ。それは弁解ではなく罪を犯した原因であり、だからといって許されるべきだなんてことは岡田は一言も言ってない。開き直りというのは自分の罪を認めずに他者を批判する行為であり、岡田は自分の罪を100%認めて、その上で首相を批判したのだから。そして、私は直近の編集でこの公務員法違反の記述を加えている。これはやはり記述されるべきことだと考え直したからだ。よく確認もせずに変な批判はやめていただきたい。

そもそも、あなたは、国家公務員法違反に関する記述自体を削除していたわけですが、その点に関する説明をしてください。

だから、復帰させることに賛成するし、既に復帰させている。ただし扱いの大小、箇所については先のレイレナード氏の提案にあなたも賛同するべき。

国内排出権取引や環境税に関する、岡田氏の事実に基づかない虚偽発言と、その虚偽発言をあなたが恣意的に編集したことより、さらに虚偽の記事にしてしまった点です。この点について、説明してください。

勘違いも甚だしい。発言は2007年11月13日時点のものであり、その当時としては自民党も経団連も国内排出権取引と環境税に後ろ向き、少なくとも積極的ではなかった。岡田氏の発言に虚偽はない。現在の自民党が取り組みを始めたのであれば、この点も先のレイレナード氏の提案に賛同する。

尚、あなたの編集以前の事実として、岡田氏は、あなたの編集による「否定「的」な自民党」ではなく、あなたの引用元としている記事においては「自民党はそういうことは否定している」と断言しているという事実を改めて提示しておきます。

同様。2007年11月13日時点では自民党は否定的だった。それのどこに間違いがあるのか。--221.19.194.35 2009年5月19日 (火) 16:50 (UTC)


解決に向けての提案

まず、公務員法違反についてですが、「記述する」方向で合意が取れました。扱いの大きさですが、暫定的に「人物像」の「政治家として」に追加することにしたいと思います。「エピソード」とするにはあまりに軽すぎ、かといって一つの項目を設置するのはオーバーリアクションだと考えられるためです。

記述文については「2004年、通産省勤務時代に岡田家の資産管理会社の取締役を務めていたことが週刊誌の指摘で明らかになった。無給ではあったものの、これが公務員の兼職禁止規定違反にあたるものだったとして陳謝している。」こちらを採用すべきかと思います。

「2004年6月、通産官僚時代に無給ではあるものの届出もせずに岡田家の資産管理会社の取締役を務めていたことが明らかになった。これは国家公務員法の兼職禁止規定違反となるが、「国家公務員法を知らなかった」と釈明した。しかし、「法学部出身のうえ、公務員研修で真っ先に教わる事項なのに国家公務員法を知らないはずは無い」という批判を受けている。なおこの件については発覚時にはすでに公訴時効が成立している。」 こちらの記述には批判をした人物の著名性が確保されておらず、謝罪した事実が記載されていないためです。


国内排出量取引と環境税についてですが、

「企業が出す二酸化炭素に課税する環境税の導入を提案している」

異論の出ようがない、事実を単に記述した表現に変更したいと思います。


「発言」についてはあら探しが感じ取れる(あくまで私の個人的な判断になりますが)部分は政治的主張とは関係がないため、いったん削除したいと思います。--レイレナード 2009年5月20日 (水) 01:24 (UTC)

レイレナードさん

もしかして、レイレナードさんは、公務員法違反問題当時のことをご存じないのでしょうか?

批判をした人物の著名性が確保されておらず、と述べておられますが、この批判の出典は、実はレイナードさんの文案の中にも出ています。 つまり、週刊誌の指摘で明らかになった、の週刊誌がその出典です。

どういう編集過程で、当該IPユーザーの編集前の状態になったのか、定かではないので、確かなことは言えませんが、最初に記述された頃は、周知のことでもあり、当該IPユーザー風の論法でいえば、「普通に考えれば」当然の批判でもあったので、敢えて書かれなかったのか。

その出典は、具体的には、2004/06/10発売の週刊文春06/17日号の記事「〈スクープ〉岡田民主党代表「違法兼職」の決定的証拠」です。

岡田氏の会見(2004/06/08)は自発的に行ったのではなく、この記事掲載に当たっての取材から、機先を制する形で行われたもの(これは私の感想ではなく、この記事でも述べられていることです)なのです。 曰く

だが、「全体の奉仕者」(憲法十五条)たるべき公務員の身でありながら、一私
企業の役員を兼職するというのは、法で明確に禁じられている行為である。
東京大学法学部を卒業し、法律に詳しいはずの岡田氏が、このような「初歩の
初歩」ともいうべき法律を知らなかったとは、俄かに信じがたい。

文章が完全に一致するものではありませんが、文意は同じです。 人物でこそありませんが、これでも、批判をした人物の著名性が確保されていないことになりうるのではないでしょうか。 原本は国会図書館にでも行かないと閲覧できないでしょうが、この記事を元にした人物の著名性(田村重信氏による)が確保された論評岡田克也研究「クリーンとは」(その1) がありますので、ご参考までに。

ちなみに、当時の批判をした人物の著名性が確保された批判だと、次のようなものもあります。

岡田民主代表の兼職「看過できない」=安倍自民幹事長 
 自民党の安倍晋三幹事長は8日夕、民主党の岡田克也代表が通産省時代に 
ファミリー企業の役員を兼務していたことについて「岡田氏は年金(未加入) 
問題で小泉純一郎首相の予備校時代のことまでさかのぼって批判していたので、 
ご自身が明確に法令に反していたなら大きな責任問題だ」と指摘した。 
 その上で「当時の通産省は(岡田氏の実父が創業したスーパーなどの) 
大型店舗を管轄する官庁でもあり、それに関する役員を兼務していたのは 
看過できない」と批判した。党本部で記者団に語った。 (了)(時事通信) 
[2004年6月8日] 

この問題は、単に兼職違反というだけでなく、岡田氏の生来の立場に関するもっと大きな問題が指摘されていたのです。 当該IPユーザーは、微罪だから、罪を認めたんだからと主張していますが、岡田氏は確かに兼職違反については認め、謝罪していますが、こちらの問題については、なんら説明責任を果たしていないし、もちろん、認めてもいなければ、謝罪もしていません。会見において、兼職禁止に気がついたのは1986年4月で、そのために退職したことを明言しており、以降、公訴時効をこえる、件の会見までの間、結果的に隠し続けたことなるのも客観的な事実です。

だからといって、この批判を記述せよと言っているわけではありません。

なぜなら、状況証拠はあるが、安倍氏の批判は適切ではないと考えるからです。 というのも、件の記事でも述べられていることですが、岡田氏の兼職違反の対象となった企業というのは、登記簿上は、確かに不動産の売買、管理および賃貸業、有価証券の所有および投資などと記されているため、そのような批判が出たのですが、実態としては、ペーパーカンパニーであり、庶民には窺い知れない莫大な岡田家の資産管理をしている会社の名義会社だったからです。(なぜ、一族の資産管理会社を別名義にしているのかは不明) ペーパーカンパニーですから、岡田氏が会見で述べたとおり、勤務実態など全くありません。

このあたりに関する議論は、当該IPユーザーが、本文と一緒に削除したまま、あえて復帰させていない、コメントアウト部分に記載されていて、公務員法違反を編集しようとするユーザーに対するアナウンスにもなっていたんですが、何を考えて削除したのやら。

「的」問題については、当該IPユーザーがなにが虚偽なのか全く理解するつもりが無い以上、レイレナードさんの文案にせざるを得ないでしょう。 なにしろ、岡田氏が、引用元において、

「自民党はそういうことは否定している」と断言している(岡田氏自身の自民党に対する虚偽)

ものを、当該IPユーザーが

否定「的」な自民党(当該IPユーザーの岡田氏の発言に対する虚偽)

と虚偽に虚偽を重ねている事を指摘しているにもかかわらず、どこに間違いがあるのか、と疑問すら感じないんですから。

ただ、同じく「的」問題である、

中台問題では独立に否定的な立場を取っている。 

という記述については、岡田氏は明確に「台湾の独立を支持しない」と述べており、否定「的」ではなく、反対している、あるいは、支持しないと明言しているのほうが、より的確かと思います。またこの発言により、台湾側から批判されたのも事実台湾を苛めて中国の機嫌を取る岡田代表:時局コメンタリー2004年9月28日林建良ですので、

中台問題では訪台や台湾当局者の会談の際に独立反対を明言し、台湾側から批判された。

のほうが前者よりはまだしも、事実に近いと思います。

「発言」について、政治的主張とは関係がないため削除と述べておられますが、政策の部分で挙げられている靖国は関する発言は復活させてはどうかと考えます。

あと、せっかくノートで議論が提起されているのですから、出典の明記、観点のテンプレートを追加されたらいかがでしょうか。

私が追加しようかとも考えましたが、議論の経緯もふまえて、私自身による編集は、当面差し控えようと思いますので。

尚、以前の議論については、別途、該当部分に追記する予定です。

220.216.111.115 2009年5月20日 (水) 14:25 (UTC)


ようやく議論が収斂してきたようだ。「的」をそんなに重視されているとは思わなかったので、そこは任せる。こっちとしては全然こだわっていない。的、でも反対している、どちらでもいい。そんなに目くじら立てるような違いでもないだろう。

中台問題では訪台や台湾当局者の会談の際に独立反対を明言し、台湾側から批判された。

これで問題ない。


2004年、通産省勤務時代に岡田家の資産管理会社の取締役を務めていたことが明らかになった。無給ではあったものの、これが公務員の兼職禁止規定違反にあたるものだったとして陳謝している。法学部出身の岡田が国家公務員法を知らなかった点を「俄かに信じがたい」と週刊文春が批判している。

これで事実と異ならず、両者にとってフェアな記述になっているはず。「しかし」というつなぎ言葉はあえて使用しなかった。その理由は基本方針の「避けたい言葉」を参照されたし。 コメントアウト部分の記載の復活も特にこだわりはないので復活に賛成する。 あと関係ないが、この田村重信という人物は岡田の兼職法違反を取り上げて、親族会社への便宜供与などをした疑惑があると言って、岡田に訴えられている。もちろん、高裁判決で全面的に岡田が勝利している。http://www.katsuya.net/comment090205.pdf なんならこの事実も追加してもいいが、あまりに下らない話なのでその気も起きない。

靖国に関する発言だが、復活させる理由はない。「A級戦犯の祀られた靖国に行くべきではない、私が総理ならば行きません」これのどこがいちいち取り上げる価値のある発言なのか。総理大臣に靖国神社に行くなと要求しているだけで、それは「主張」のところで同じことを既に紹介済みだ。例えば独特の言い回しだったとか、特に話題になった発言だったとか、既に内容としては紹介済だけれど、何かあえてこのセリフを紹介する意義があるなら重複内容もありだが。

テンプレートは不要と考える。最後に残ったあなたの主張は靖国を除いて私は合意したし、レイレナード氏も中立性に疑問を抱いていない。出典の明記も大幅に増やしたはずで、まだ足りないというのか?なお中立性に疑問があるとすればどこの箇所なのか、抽象的な話ではなく、個別具体的に言ってもらおう。

以上の点を編集に反映させる。--221.19.194.35 2009年5月20日 (水) 15:57 (UTC)

ちなみに、環境税の部分が修正されていなかったたので、以前レイレナード氏が提案した文面「企業が出す二酸化炭素に課税する環境税の導入を提案している」に修正しておいた。--221.19.194.35 2009年5月20日 (水) 16:14 (UTC)


もしかして、レイレナードさんは、公務員法違反問題当時のことをご存じないのでしょうか?

すみません。認識不足の点があったようです。つまり指摘の主は週刊文春ということで、理解しました。先ほどの版でこの点の修正が反映されたようですので、解決したと考えていいでしょうか?


断定しているか、「的」と表現しているかについては、221.19.194.35さん側が委任する姿勢を見せており、修正されていますので、これも解決としましょう。


出典の明記ですが、今現在足りていないと思うものはありますでしょうか?あるようでしたらもう一度ここで各自出し合い、その上で出典が出てこないようでしたら、テンプレートを貼る事にしませんか?

観点のテンプレートですが、だいぶ修正が進み、私個人の感想としては今のところ大きなところでは中立の記事に仕上がっていると思います。両者とも、まだ偏った観点と思われる部分が残っていましたら、この際議論して合意させてしまいましょう。


靖国の発言についてですが、221.19.194.35さんの反論と重なってしまうようで恐縮ですが、発言と言うよりは政策、主張に近い扱われ方をするべき内容と思いましたので、政策の項目に移動させました。よって、発言の方は不要かと思い、削除させていただいた次第です。発言の方にも載せて悪いということはありませんが、記事全体のバランスを考えるとこの問題だけ二重に伝えるのは少し違和感があるように感じます。


221.19.194.35さん

環境税の記述、私の修正漏れでした。すみません、ありがとうございました。--レイレナード 2009年5月21日 (木) 11:12 (UTC)

人一倍こだわって、何が虚偽だ、どこが間違いだ、とか喚いていたのに、突然、こだわりはないと方針転換。 あきれるばかりの変わり身の早さです。 平行線で議論するつもりが全くない当該IPユーザが、こちらの章に書き込むとは思わなかったので、別個対応しようと思っていましたが、こちらで論じます。

安倍と麻生(二人とも小学校から私立)を引き合いに出していることから、普通に考えれば後者の解釈になる。

まるで見当外れ。

文章の流れを追わず、一部に反応して解釈するからそのようになる。

引用元を見れば明らかだが、この発言は、

創業から50年で業界2位にのぼりつめた小売大手イオン(Aeon)の創業者を父に持つ岡田氏だが、裕福である
ことを否定する。「私が5歳のころには、(父の会社は)1店舗しかありませんでした。(学生の頃は)普通の
生活でした。お客さんは、一般の庶民ですから、庶民の生活からかけ離れてはいけないことは(父から)教え
られました。麻生さんや安部さんのように、子供の頃から(私立の)特別な学校に行ったことはありません」
その原則は忠実に守られている。

という、流れで発言されている。

つまり、岡田氏が、自分が裕福ではなく、庶民的だった、と言うことを述べる流れで発言されているわけで、安倍、麻生両氏を引き合いに出したのは、単なる皮肉。 (私立の)特別な学校に通わないから庶民的、などという発想は、陳腐に過ぎる発想で、高校、大学と公立で通したからと言って鳩山兄弟を庶民的というぐらい、愚かな論法。しかも、家族をも引き合いに出しておきながら、その家族は(私立の)特別な学校に通っていたのだから、バランスを欠く。

次に

開き直りというのは自分の罪を認めずに他者を批判する行為であり、岡田は自分の罪を100%認めて、その上で首相を批判したのだから。

それはあなたの「開き直り」と言う言葉の独自解釈。 開き直りといのは

[動ラ五(四)]態度を改め、まじめに応対する。また、観念してふてぶてしい態度に出る。居直る。「―・っ
て謝ってはどうか」「―・って言いたいことを言う」大辞泉

言うまでもないが、観念するというのは、この場合、事実は事実として認めると言うこと。用例にもある、「開き直って言いたいことを言う」と言うのは、事実は事実として認めて、言いたいことを言う、ということであって

岡田は自分の罪を100%認めて、その上で首相を批判した

そのもの。辞書的な意味で、まさに開き直りです。

抗弁の実例としては、件の会見で、 プロフィールへの兼職記載がない事について「隠していたわけではない」と抗弁している。

しかも、兼務規定違反に該当する期間についての質疑であるにもかかわらず、当該期間については一言も触れず、兼務規定違反に該当しない期間について、地元の青年会議所の経歴で公開されているのだから、と述べるだけで、プロフィールへの兼務規定違反を記載せず、隠していたかどうかは全く認めていない。その上、「経歴のなかでどこまで書くかということは基本的にその人に委ねられている、ましてやホームページということであればそういうことだと思っています。」とまで開き直っている。

こういった事情をも踏まえて、当該IPユーザーの記載

2004年、通産省勤務時代に岡田家の資産管理会社の取締役を務めていたことが明らかになった。無給ではあった
ものの、これが公務員の兼職禁止規定違反にあたるものだったとして陳謝している。法学部出身の岡田が国家公
務員法を知らなかった点を「俄かに信じがたい」と週刊文春が批判している。

は認められない。

その理由は、レイレナードさんの文案

2004年、通産省勤務時代に岡田家の資産管理会社の取締役を務めていたことが週刊誌の指摘で明らかになった。
無給ではあったものの、これが公務員の兼職禁止規定違反にあたるものだったとして陳謝している。

と比較しても

  • 兼務規定違反が明らかになった理由と釈明に至る経緯の説明がなされていない

点が劣る事に加え

  • 岡田氏自身の釈明内容の記載がない
  • 上記により、批判者の週刊新潮の批判が唐突に過ぎる
  • 犯罪事実は認定しているが、質疑のあった犯罪隠蔽の有無については認めず、釈明していないこと、に関する記載がない
  • 批判の出典が詳細さを欠く

をその理由とします。

よって

2004年、通産省勤務時代に岡田家の資産管理会社の取締役を務めていたことが週刊文春(本文時レファレンス)
「〈スクープ〉岡田民主党代表「違法兼職」の決定的証拠 週刊文春06/17日号(同年06/10発売)(本文時レファレンス)
の取材過程で明らかになった。
当該誌の発売直前の同年06/08の定例会見において、この問題に関して、これが公務員の兼職禁止規定違反にあた
るものだったとして釈明・陳謝している。

この釈明において
*名義だけで、勤務の実態がなく、無給でもあった
*1986年4月に兼職禁止規定を知り辞任した
*辞任するまでの間、国家公務員法の兼職禁止規定は知らなかった
事を明らかにしたが、質疑応答において、勤務の実態が無いことと合わせて兼職禁止規定の認識から釈明に至るま
での間、プロフィールなどで事実を公表してこなかった事について問われた際には、当時岡田自身と民主党が批判
していた、小泉総理(当時)の勤務実態のない不動産会社に関するプロフィールへの記載の問題と比較して「開き
直っている小泉さんと一緒くたに議論されることは、極めて私は不本意です。隠しているわけではありません。こ
うやって説明をしています。」と強く主張した。一方で、自身の釈明までに時間がかかったこと、自身のプロフィ
ール記載のないことに関しては、「隠しているわけではありません」「経歴のなかでどこまで書くかということは
基本的にその人に委ねられている」と答えるにとどめた。

また、法学部出身の岡田が国家公務員法を知らなかったとした点について、週刊文春は「俄かに信じがたい」と同
記事中にて批判していた。

を 提案します。

また、位置については、「政治家として」との提案であるが、本件は、陳謝したのが政治家だった時というだけであり、犯罪そのものは公務員時代のものであるため、不適切と判断します。

当然ながら、「エピソード」とするにはあまりに軽すぎる、とのレイレナードさんの意見には100%賛同します。

だからといって、「人物」「個人として」は論外、この件だけで「人物」「官僚として」と追加するかということにでもなれば、一つの項目を設置するのはオーバーリアクションだとするレイレナードさんの意見と整合性がとれないと想定される。あまり適切とも思えませんが、「官僚時代」への追加とでもしましょうかね?

私の意向としては、結局消去法で、一項目たてざるを得ない、ということです。なにせ、問題発生から釈明までの期間が長すぎますし、その間の経緯の説明も煩雑で、他項目へ追加するには長文過ぎます。

コメントでも議論がされていることもありますが、コメントはコメントであり、今回のように、なんの配慮もなく削除する輩が出ないとも限りません。

発言については、記事全体のバランスを考えるとこの問題だけ二重に伝えるのは少し違和感がある、とのことですが、削除された発言群と、残された発言群とのベクトルバランスが欠如するため、早晩追記となるのは必至と考えます。その点、配慮願いたい。

220.216.111.115 2009年5月21日 (木) 13:41 (UTC)


ここは岡田氏に対する批判を述べる場ではないはず。そうした姿勢はあなたが中立性のある記事を書くつもりがないことの証左であると思う。

また、個人攻撃と化してきた議論には付き合えないため、以降はコミュニティの判断に任せることとする。以上。--221.19.194.35 2009年5月21日 (木) 15:44 (UTC)

ここは岡田氏に対する批判、も、述べてよい場です。岡田氏に対する批判は述べるな、というあなたの姿勢こそ中立性のある記事を書くつもりがない意志の現れであろう。 個人攻撃云々はどこを指すのか具体性に欠けるためお答えしかねる。

220.216.111.115 2009年5月21日 (木) 22:29 (UTC)


岡田氏の私学の件についてですが、私も前後の流れからこれは子供時代のことを指していると読むのが普通では?と思います。よって、申し訳ありませんが、岡田氏の親族が私立大卒であることの記述は支持できません。


公務員法違反について、220.216.111.115さんのご提案の趣旨は理解しました。ただ、私個人の意見としてはそこまで細部にわたる記述を「記事本文に追加するのは」オーバーリアクションだと思っております。

ただ、 >*兼務規定違反が明らかになった理由と釈明に至る経緯の説明がなされていない

これは私も同意です。現状の記述ですと、岡田氏が自ら進んで公表したかのようになっていますが(形上は実際そうかもしれませんが)、直接の引き金となったのは週刊誌の指摘です。

2004年、通産省勤務時代に岡田家の資産管理会社の取締役を務めていたことを週刊誌が報じた。
無給ではあったものの、これが公務員の兼職禁止規定違反にあたるものだったとして定例会見で陳謝している。

までを記事とし(これで周囲とのボリュームの調和が取れます)、純粋に国家公務員法違反についてのみの事実関係の内容に絞るという案を提案します。

その上で、以下の「周辺部分」を注釈で記載してはどうでしょうか?※私の判断で、言い回しのですます調などは新聞記事などの書き方と同様に変えています。

同会見で、岡田と民主党が当時批判していた小泉総理(当時)の勤務実態のない不動産会社に
関するプロフィールへの記載の問題と比較した質問に対し、説明の場を設けていることを理由に
「開き直っている小泉さんと一緒くたに議論されることは、極めて不本意」
と主張した。一方で、自身の釈明までに時間がかかったこと、自身のプロフィールに記載のないことに関しては、
HPで経歴をどこまで書くかは本人に委ねられていることを挙げ、隠していたわけではないと強調した。
一連の経緯について、当時国家公務員法を知らなかったことが原因とした説明に対し、
岡田が法学部出身であることなどから「俄かに信じがたい」と週刊文春が批判している。

記事としての核心部分と、それを補う周辺情報を分けるべきだと思います。


岡田氏への批判については、ノートでは控えるべきでは・・・と私も思います。同時に、彼を賞賛することもです。なぜなら、ここは記事の編集内容について議論し、合意を目指す場だからです。お気を悪くされないで下さい。


問題の記載箇所です。全員の折衷案として、「その他」という新たな項目を作るのはどうでしょう?現状、人物像でも、政策・主張でも、略歴でもない事項を扱う項目がありません(関連団体などは別としても)。今後、これらのどの項目にもカテゴリされないものを扱っていく意味でも、良いかと私は考えます。どうでしょうか?


靖国については、やはり私は二重の記載を避けることを優先すべきだと思います。


また、別の提案ですが、「発言」を人物像のカテゴリに含めるのは変ではないでしょうか?「主な発言」と変えて新たな項目を作るのはどうでしょうか。


以上、検討してみましょう。--レイレナード 2009年5月22日 (金) 09:37 (UTC)

レイレナードさま

親族の件ですが、そのような解釈をされるのであれば、直接関係のない安倍と麻生両氏のくだりは、削除するのが妥当ではないでしょうか。

地元の青年会議所の経歴には記載していたこと、

のことですが、記載していたのは、公務員法違反の時期のことではありません。又細かくなってしまうのですが、岡田氏が、当該企業に勤めていた時期は、二回あり、前者は、設立時から公務員法違反に気づいて辞職するまでの期間(取締役として)、後者は、公務員を退職してから、議員当選直後までの期間(代表取締役として)です。そして、地元の青年会議所の経歴に記載していたのは、後者であり、会見での公務員法違反の時期に関する質疑応答であるにもかかわらず、後者しか挙げていないのです。 ですから、この文案は、間違いということになります。

また、文章を分ける場合、いずれの場合でも、週刊誌が何であるかということと、いずれか一方においては何時のどのような記事タイトルであったか、という点は明記しておいた方がよいと考えます。

口調について、ですが、会見時の質疑応答から起こした文章そのままを用いていたので、ああなっています。口調を変えるというのは、実際の発言とは、その大小はあれ異なってしまうわけで、今後の編集において、伝言ゲーム的に「発言」がかわってしまう可能性があるので、口調を変えた場合には、「」はつけない方向か、あるいは、「という趣旨」との一言が必要かと。

カテゴリについては、今後の使い回しも期待出来ますので「その他」を立ち上げるのも良いかと思います。ただ、結局は一つの項目を立ち上げることになるので、レイレナードさんのご意向とは整合しなくなるのですが。

靖国発言については、単に岡田氏の発言だけであれば、重複をさける点で同意するのにやぶさかではないですが、従来の記述にあるとおり、岡田氏が、小泉氏が、靖国問題を、国際問題と位置づけるか、国内問題と位置づけるかという趣旨の中であくまで主張を貫いているとの点で、特筆に値すると考えます。

あと、言い忘れていましたが、出典については、レイレナードさんの提案されたことでもありますので、ご本人に異存がなければ、特にテンプレートに関して、当方の意見を勘案される必要は全くありません。

220.216.111.115 2009年5月22日 (金) 11:06 (UTC)


レスポンスが遅くなりすみません。 親族の件で、安倍氏と麻生氏への言及については・・・というより、発言全体を引用することが必要か、という議論ではないでしょうか?発言を引用するのであれば両氏のところだけを削るのは不自然ですし、引用ではなく趣旨の抜粋であればわざわざ引き合いに出す必要はないと思います。私は後者を支持します。

「本人曰く子供時代はそれほど裕福でもなかったようで、5歳のころは父親の会社は1店舗しかなかったという。一般の庶民を客とした事業のため、庶民の生活からかけ離れてはいけないという父の教えから、学生時代も普通の生活を送っており、幼少時から私立の学校に通うようなこともなかったと語っている。」

このような感じの文章でどうでしょうか。

地元の青年会議所の経歴に記載していたのは、後者であり

これは私は知りませんでした。念の為ソースをお伺いしてよろしいでしょうか?事実であればもちろん全面同意ですので、その場合は

同会見で、岡田と民主党が当時批判していた小泉総理(当時)の勤務実態のない不動産会社に
関するプロフィールへの記載の問題と比較した質問に対し、説明の場を設けていることを理由に
「開き直っている小泉さんと一緒くたに議論されることは、極めて不本意」という旨の
反論を行った。一方で、自身の釈明までに時間がかかったこと、自身のプロフィールに記載のないことに関しては、
HPで経歴をどこまで書くかは本人に委ねられていることを挙げ、隠していたわけではないと強調した。
一連の経緯について、当時国家公務員法を知らなかったことが原因とした説明に対し、
岡田が法学部出身であることなどから「俄かに信じがたい」と週刊文春が批判している。

という文面ではいかがでしょう。「という旨の反論を行った」という部分も変えています。「」がないと読みにくいと思いましたので、こちらの方向で修正しました。

指摘した週刊誌名は記載してもいいと思いますが、記事名までは本文に入れるには少し細かすぎる気がしますので、情報源の部分に添える程度の扱いが妥当ではないでしょうか?いずれにしろ、この議論の合意の範囲内での文案をお願い致します。

「その他」で項目を一つ作るのは、この公務員法違反の問題だけで一つ項目作るというわけではないので、そういう意味から私側としては問題と捉えておりません。

靖国について、確かにそういう側面があっての岡田氏の発言が重要である、という点に私も同意します。では、その国際問題であるか国内問題であるかの認識の中で主張を貫いている旨がわかるような記述になるよう、「政策・主張」の現在の文面に加筆するのはどうでしょうか?これはいい解決策だと思います。こちらも文案をお願い致します。 --レイレナード 2009年5月26日 (火) 11:41

署名が抜けているようなので、追加させていただきました。 不具合があれば、修正してください。

岡田氏の庶民自慢?発言については、その文面で良いかと思います。出典はそのままなんですよね?

 地元の青年会議所の経歴に記載していたのは、後者であり
これは私は知りませんでした。念の為ソースをお伺いしてよろしいでしょうか?事実であればもちろん全面同意ですので、その場合は

ソースというと、どのソースでしょうか?

「地元の青年会議所の経歴に記載していた」ことのソースは2004年06月08日の定例会見における岡田氏自身の発言で、それ以外のソースもすべてこの会見でのものなのは、既に明示してあるはずですが。

この会見内容の一次資料ということなら、かっては民主党のサイトにビデオ、および書面で配信されていましたが、現在は配信されていないようです。どうしても一次資料が必要と言うことであれば、民主党に直接交渉していただくことになるかと思います。

民主党衆議院議員松本大輔のサイトに同内容のコピー国会事務所より: 岡田代表定例会見がありますので、こちらを参照することもできます。

問題部分を引用します。

■プロフィールへの記載

【記者】ホームページのプロフィールに、岡田興産にいらっしゃったことの記載がないということは、三福不動産に小泉首相がいたこ
との記載がないの同じようなケースだと思われるんですが、どういう意図があったのか、また、この件を隠されていたというのであれ
ば、政治責任についてどうお考えになっているのかお聞きかせください。

【代表】隠しているわけではありません。例えば、地元の青年会議所の経歴のなかには岡田興産の代表取締役と当時書かれていますし
、そういう資格で青年会議所に、無職では入れませんので、入っています。
 ですから、そのことを隠しているわけではありませんが、しかし経歴のなかでどこまで書くかということは基本的にその人に委ねら
れている、ましてやホームページということであればそういうことだと思っています。 
 開き直っている小泉さんと一緒くたに議論されることは、極めて私は不本意です。隠しているわけではありません。こうやって説明
をしています。

以上より

HPで経歴をどこまで書くかは本人に委ねられていることを挙げ、隠していたわけではないと強調した。

HPで、というくだりは必要ないでしょう。

また、本来、この会見は、岡田氏が、開き直って相打ち覚悟で行った会見であったにもかかわらず、脱法行為である自らの経歴を公表していなかったその理由を問われて、脱法行為ではない公務員退職後の話にすり替えて回答を避けたばかりか、追求してきた小泉総理(当時)の経歴記載について、自ら「経歴のなかでどこまで書くかということは基本的にその人に委ねられている」とお墨付きを与える結果となった、大失敗の会見です。

同会見で、岡田と民主党が当時批判していた小泉総理(当時)の勤務実態のない不動産会社に
関するプロフィールへの記載の問題と比較した質問に対し、説明の場を設けていることを理由に
「開き直っている小泉さんと一緒くたに議論されることは、極めて不本意」という旨の
反論を行った。一方で、自身の釈明までに時間がかかったこと、自身のプロフィールに記載のないことに関しては、
経歴をどこまで書くかは本人に委ねられていることを挙げ、隠していたわけではないと強調した。
 一連の経緯について、当時国家公務員法を知らなかったことが原因とした説明に対し、
岡田が法学部出身であることなどから「俄かに信じがたい」と週刊文春が批判している。
また、党をあげて問題視してきた小泉のプロフィールへの記載の問題に関して、「経歴をどこまで書くかは本人に委
ねられている」として、自らお墨付きを与えることになり、この問題は立ち消えになった。

あたりが妥当でしょうか。結局釈明にすらならない会見ではあったんですが、そのものずばりを指摘すると、またぞろどなたかが怒りだしそうです。

靖国については

靖国問題では、これを外交問題であると位置づけ、中国などからの批判に対して説明不足であることを理由に当時の小泉首相に重ねて参
拝中止を要求、中国などを説得出来ないのなら参拝すべきではないとした。

あたりになるんでしょうか。

--220.216.111.115 2009年5月31日 (日) 03:34 (UTC)


うっかり署名を忘れていたようです。すみません。

よく読むと代表取締役に就任、と言っていますね。ということは通産省退職後の二度目のことを言っているのは明らかですので、この件は了解致しました。

靖国の件も了解です。

では、以上の合意に則って編集したいと思います。 ちょっと長い期間のノートになってしまったので、抜けやミスがありましたらお知らせ下さい。--レイレナード 2009年6月4日 (木) 07:10 (UTC)

04年の会見に対する認識

花蝶風月雪月花警部氏により既に然るべき修正があったものの、一応この件について整理したい。

岡田克也が04年に自身の兼職規定違反について謝罪、釈明した会見について「岡田は謝罪だったと認識していない」とする説には裏付けがない。

岡田が当時会見で謝罪の言葉を述べたことは過去の報道から事実であるが、「謝罪したという認識を岡田が持っていない」とする独自の説の根拠として、220.216.111.115氏は昨今の鳩山代表の謝罪会見について岡田が述べた、「自ら非を認めて謝罪をしたのは鳩山氏だけだ」という発言を引用している。

「謝罪をしたのは鳩山氏だけだ」という発言をもって「じゃあ04年の岡田の会見は謝罪ではなかったという認識なのか」という理屈はおかしい。なぜなら、これは

「明言されていない期間」(220.216.111.115氏の編集要約より)

と、投稿者自身が認めているように、「いつからの期間を指して、謝罪をしたのが鳩山代表だけだ、と岡田が言っているのか」不明だからだ。岡田が5年前の自身の謝罪会見を含めてこれを言ったというのは、投稿者の憶測の域を出ない。よって、これを根拠にするのは独自の研究にあたるだけでなく、その内容すらも正しくない。

岡田が言っている期間が西松問題が発生して以降なのか、04年以降なのか、戦後なのか、帝国議会が出来てからなのか、投稿者のさじ加減一つでいかようにも操れてしまうのは明らかに誤っている。この理屈で言えば、過去をいくらでも遡ってあらゆる「謝罪」は「謝罪ではなかったと岡田は認識している」というロジックが成り立ってしまうことになる。

投稿者は私が「特定時以降と規定している」と反論しているものの、私は一言もそのようなことは言っていない。岡田がいつの期間を指して言っているのか、このソースからは明確なことを言えない、だから少なくとも04年の件と直結させる解釈には合理性がない、としたまでだ。合理性がないばかりでなく、「岡田は謝罪だったと認識していない」という説自体が、信頼される媒体から発表されたものではなく、Wikipediaの基本方針に規定される独自の研究の典型的な例にあたる。独自の研究は速やかに削除の対象とされるため、「特定時点以降と規定することを前提とした独自研究による削除(220.216.111.115氏の編集要約より)」という反論は反論として成立していない。

ウィキペディアで公開されるいかなる事実、意見、解釈、定義、論証も、信頼できる媒体において、
その記事の主題に関連する形で、既に発表されていなければなりません。(Wikipedia:独自の研究は載せない、より)

期間ばかりか、「対象が誰か」という点もこの独自の説では無視している。最近政治献金問題が取りざたされた小沢、二階、森、鳩山らを指して言っているのか、政治とカネ絡みで問題になった大昔の政治家も含めて言っているのか、政治とカネ以外にもあらゆる案件で問題になった政治家も全て含めて言ってるのか、はたまた政治家の枠を超えて全ての業界の全ての案件について言っているのか、これもまた投稿者のさじ加減一つで好きに書けてしまうということになってしまう。

この件に関する同様の記述が繰り返される場合、見つけ次第速やかな削除を推奨したい。

以上--221.19.194.35 2009年7月13日 (月) 15:42 (UTC)

またか。

岡田が言っている期間が西松問題が発生して以降なのか、04年以降なのか、戦後なのか、帝国議会が出来てからなのか、投
稿者のさじ加減一つでいかようにも操れてしまうのは明らかに誤っている。この理屈で言えば、過去をいくらでも遡ってあ
らゆる「謝罪」は「謝罪ではなかったと岡田は認識している」というロジックが成り立ってしまうことになる。

自覚がないようですが、その手法でもって、期間を「西松問題が発生して以降」に限定して謝罪したと岡田は認識しているというロジック を展開しているのがあなた自身です。

岡田が明言していない以上、期間を特定しない過去全般が入るのは当たり前、それが不都合なら説明するのが政治家の説明責任というものです。

期間ばかりか、「対象が誰か」という点もこの独自の説では無視している。最近政治献金問題が取りざたされた小沢、二階、
森、鳩山らを指して言っているのか、政治とカネ絡みで問題になった大昔の政治家も含めて言っているのか、政治とカネ以外
にもあらゆる案件で問題になった政治家も全て含めて言ってるのか、はたまた政治家の枠を超えて全ての業界の全ての案件に
ついて言っているのか、これもまた投稿者のさじ加減一つで好きに書けてしまうということになってしまう。

自覚がないようですが、「投稿者のさじ加減一つで好きに書けてしまう」にそって好き勝手に削除しまくっているのはあなた自身。「対象が誰か」という点は、岡田が「鳩山だけ」と明言、比対象として自民党をあげており、明言されている限りにおいて、自民党ならびに民主党の政治家に限定されている。

岡田が明言していない以上、自民党ならびに民主党の議員全般が入るのは当たり前であり、その中に岡田自身が「鳩山だけ」と明言している以上岡田が謝罪していない方に分類されるのは当たり前、それが不都合なら説明するのが政治家の説明責任というものです。

220.216.111.115 2009年7月13日 (月) 22:34 (UTC)

◆ウィキペディアは政治家の説明責任について個人的な信念のもとで編集する場所ではありません((WP:NOT。演説の場所ではありません)。それはともかく、「謝罪」という部分をめぐって繰り返し差し戻し合戦・編集合戦が続いているようですので、保護いたしました。--はるひ 2009年7月14日 (火) 00:31 (UTC)


両サイド様とも、いったん冷静になりましょう。

発言が指す期間や対象に論点が集中しておりますが、それ以前の問題としてここで重要な点は、

岡田氏が2004年の会見を謝罪と捉えてはいない、という解釈が独自の研究にあたるか

ということだと思います。

221.19.194.35さんの主張は

信頼される媒体から発表されたものではなく、
Wikipediaの基本方針に規定される独自の研究の典型的な例にあたる

というものです。

220.216.111.115さんがこれを独自の解釈ではないと主張される場合は、岡田氏が2004年の会見を謝罪と捉えてはいない、という解釈を発表した信頼される媒体の出典を明示する必要があるかと思います。

一方で、220.216.111.115さんの主張は

岡田が明言していない以上、期間を特定しない過去全般が入るのは当たり前
岡田が明言していない以上、自民党ならびに民主党の議員全般が入るのは当たり前であり、
その中に岡田自身が「鳩山だけ」と明言している以上
岡田が謝罪していない方に分類されるのは当たり前

というものです。

なぜご自身がそうした解釈をされたか、その理由をご説明をされようとしている点は理解しました。ただ私個人としては、その解釈が正しいかどうか、あえて意見を持ちません。ここで問題なのはそういうことではないからです。

その解釈を発表した信頼される媒体の出典が提示されているかどうか、という点こそが大事なのです。ここをクリアにされない限り、220.216.111.115さんが投稿された該当記事は独自の研究として除去されることは避けられないという気がします。

220.216.111.115さんにばかり発言が集中してしまった点、ご容赦下さい。まずはこの点を明らかにすることが議論の前提になると感じましたので・・・。よろしくお願い致します。--レイレナード 2009年7月14日 (火) 04:30 (UTC)

レイレナードさま

私は、最終的に、断定も判断もしておりません。

人物を特定する一方、時期を特定していない岡田氏の発言を「普通に考えれば」示唆される認識(私の最終編集ではここまで譲歩している)を記述しているだけです。

一方、当該IP氏の姿勢は、例によって、議論もなければ妥協もない、ただひたすらの発言では述べられてもいない時期や範囲まで妄想したあげくの削除の連発。

私としては、今回の発言が、04年の会見に対する認識を含まないと断言しうる信頼される媒体の出典をこそ求めてやみません。

220.216.111.115 2009年7月14日 (火) 15:09 (UTC)


ご返答ありがとうございます。

再びの確認になりますが、「普通に考えれば示唆される認識」という主観的な理由では、独自の解釈に説明をされたことにはなりません。

また、この件の記述を主張されているのは220.216.111.115さんですので、独自の研究であるとする指摘に対して、信頼される媒体の出典を提示する責務は220.216.111.115さんにあります。その出典がされない限りはこの記述は独自の研究にあたりますので、221.19.194.35さんや花蝶風月雪月花警部さんが行った削除は正当なものだと考えられます。

どうかご理解をいただけましたら幸いです。よろしくお願い致します。--レイレナード 2009年7月15日 (水) 02:57 (UTC)

レイレナード氏に全面同意する。

220.216.111.115氏は、速やかに「岡田が04年の会見を謝罪だとは認識していない」と、あなたと同じように解釈した信頼される媒体の出典を提示する必要がある。独自の研究ではない、と主張する側はそれを正しいと証明するために出典を提示する必要があるが、独自の研究だ、と疑う側にそれが誤った解釈だとする出典を提示しなければならない事由はない。なぜなら、これは事象の正誤を争っているわけではなく、記事が独自の研究か否かを問題にしているからだ。これは私が言っていることではなくWikipediaの基本方針が言っていることだ。納得がいかないのであれば、そちらに抗議すべきである。

本方針によって規定している「独自研究」にあてはまる情報とは、信頼できる裏づけ資料が一切見つからず、
そのため投稿者の独自の考えなのではないかと考えられるような情報です。
あなたの投稿内容が独自研究ではないと証明する唯一の方法は、あなたの主張と同じ主張をしている、
あるいはあなたと同じ視点に立っている信頼の出来る公表済みの資料を示すことです。(Wikipedia:独自研究は載せない)

以上--221.19.194.35 2009年7月15日 (水) 14:06 (UTC)

221.19.194.35氏の主張はお笑いぐさである。自らの「解釈」をたれたときには、221.19.194.35氏と同じように解釈した信頼される媒体の出典の提示など全く行ってこなかったからだ。それとも、これすらも「私の過去の編集がどうだったからという理由で、今回の記事についても「このような観点からなされたであろう」と先入観を持つのでは反論にもなっていないし、議論にならない。」とでも言い逃れるつもりなのだろうか。

そもそも解釈など必要ない。岡田氏の今回の発言をそのまま読めば、現時点では、この「示唆」が導き出されるからである。

それに、220.216.111.115氏などと異なり、私は、謝罪らしき言葉があったことを削除していない。二つの「事実」を矛盾しない範囲で併記を試みているに過ぎない。

ただ、私は、220.216.111.115氏のように、「見解の相違だ。」などと議論を拒否して自閉するようなことは主義に反するし、そのような嗜好もない。

そこで、妥協案として、04年の会見と同じ「その他」カテゴリに以下の記述の追加を提案する。

*2009年7月鳩山由紀夫のいわゆる故人献金に端を発する政治資金報告書虚偽記載問題に関連して、岡田は、鳩山の対応
を「自民党にも様々な疑惑があるが、自ら非を認めて謝罪をしたのは鳩山氏だけだ」と評価した献金偽装、自民が騒ぎ立てている…民主・岡田氏
2009年7月4日 読売新聞。

この文章と、04年の会見とを併記することによって、読者が両者からいかなる解釈をするかは、読者にゆだねられるだろう。 220.216.111.115 2009年7月16日 (木) 13:28 (UTC)

220.216.111.115氏が出典の提示を断念したため、独自の研究に関する除去問題は<削除>で解決したと考える。提案された妥協案については記述に賛成する。

以上--221.19.194.35 2009年7月16日 (木) 14:46 (UTC)

「見解の相違」だ。私は出典の提示は、件の発言のみで十分だとしている。それを認めないと言うから妥協したに過ぎない。

所で、改めて現状の04年の会見に関する記述を見直すと、本文と脚注で、脚注の方が長くなるというアンバランスに加え、脚注としてみても、「周囲とのボリュームの調和」に欠けている。 本文においては、岡田氏が謝罪したことのみになっており、認めず、反論した部分は本文からはうかがい知れなくなっている。

そこで、今回の並記に加えて、04年の会見に関する記述の本文と脚注のバランスを考慮して以下のように修正することを提案する。

本文について

2004年、通産省勤務時代に岡田家の資産管理会社の取締役を務めていたことが週刊文春の取材で明らかになった。無給ではあったものの、これが公務員の兼職禁止
規定違反にあたるものだったとして代表定例会見で説明、謝罪している。一方で、自身の釈明がマスコミ取材まで行われず、結果的に公訴時効以後にまでに時間が
かかったこと、自身のプロフィールに公務員法違反時の勤務先の記載のないことに関しては、経歴をどこまで書くかは本人に委ねられていることを挙げ、隠してい
たわけではないと強調した。

脚注について

同会見で、岡田と民主党が当時批判していた小泉総理(当時)の勤務実態のない不動産会社に関するプロフィールへの記載の問題と比較した質問に対し、説明の場
を設けていることを理由に「開き直っている小泉さんと一緒くたに議論されることは、極めて不本意」という旨の反論も行っている。一連の経緯について、当時国
家公務員法を知らなかったことが原因とした説明に対し、岡田が法学部出身であることなどから「俄かに信じがたい」と週刊文春が批判している。また、党をあげ
て問題視してきた小泉のプロフィールへの記載の問題に関して、「経歴をどこまで書くかは本人に委ねられている」として、自らお墨付きを与えることになり、こ
の問題は立ち消えになった。 

これで、本文、脚注間のバランスも、ボリューム、内容共にある程度補正され、本文、脚注おのおのの「周囲とのボリュームの調和」もなんとか維持できると考える。 220.216.111.115 2009年7月16日 (木) 17:15 (UTC)

私としては問題ないと思う。--221.19.194.35 2009年7月17日 (金) 14:33 (UTC)