ノート:平頂山事件

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

犠牲者は「全住民」か?[編集]

peace系との「議論」など、消耗するだけで時間の無駄なのですが、一応犠牲者は平頂山部落の「全住民が否か」という問題について書いておきましょうか。

以下、当時撫順炭鉱に居た、あるいはそのような方から直接話を聞いた方々の「認識」を紹介します。

  • 「老若男女、部落民の全てを約千メートルほど離れた崖下に導き、全員を崖にそって横に並べ、部下に命じて機関銃掃射によりこれを皆殺にし、土砂に埋めて引揚げたというのである」(平野一城「最後の引揚牧師の手記」=撫順で「戦犯」救援運動を行った牧師)
  • 「以上のようにして老若男女を問わず部落民全部を崖下に導き横隊に並べ、部下に命じて機銃掃射により皆殺しにしてしまった」(久米庚子・元撫順電力事務所=「戦犯」として裁判を受けたが無罪。「撫順炭砿終戦の記」より)
  • 「守備隊の井上中尉の率いた一隊が、・・・居住の老若男女一名も残さず追い立て、この部落の近くの谷合い所謂平頂山の麓に集結し、山上より重機関銃の一セイ射撃による殺戮を強行した。(久野健太郎「朔風挑戦三十年」=満鉄社員。当時撫順住在)

いずれも「事件」に関心を持つ方でしたら誰でも知っている有名な資料ですので、もちろんご存知ですよね。(と、意地悪する私(^^;))

概説書の記述も、これに準じます。

  • 「いわゆる平頂山事件は、撫順守備隊の井上小隊(四十数人)が平頂山集落の全住民を一ヵ所に集めて、機関銃掃射により殺害した虐殺事件である。」(秦郁彦氏ら『世界戦争犯罪史事典』)
  • 「日本軍の撫順守備隊、ゲリラが出撃した楊柏堡村近くの平頂山部落を包囲し抗日ゲリラをかくまったとして全住民を集め機関銃で掃射殺害」(毎日新聞社「昭和全記録」=石上正夫氏「平頂山事件」より孫引き)

世間一般では、「全住民」という認識が、一般的なものであるようです。Wikipediaは「独自の見解」を発表する場ではありませんので、「世間一般の見解」に従うことで、何の問題もないと思います。

これに対し、「全員ではない」という主張を明確に行っているのは、私の知る限りでは、川上清一大尉の女婿、田辺敏雄氏ぐらいです。ただしそれは、「男たちは炭鉱に働きに出ていたはずだから全住民ではない」(見方によっては、女子供を中心に殺害したわけで、もっとひどいかもしれません)という「推理」であり、必ずしも広く認められた見解ではありません。

こんな状況で、私はどのような編集を行うべきか、迷いました。「ほぼ全員」と記述しても、別に問題はありません。しかし私は、あえて「少数説」(それも、どうも説得力に乏しいが)に配慮したわけです。

まあ、私も手元の全部の資料を隅から隅まで読み切ったわけではありませんので、今後、見解が変わるかもしれません。とりあえずは、現時点での見方であることを、念押ししておきます。

さて、田辺氏にしても、「その時部落にいたほぼ全住民」が殺害されたことまで否定しているわけではありません。従って、ここまでは「完全なコンセンサス」であると考えます。この部分、私はもう放置しておくつもりだったのですが、peace系があまりにしつこいので、あえて「コンセンサス」に沿った編集をしておきましょう。

さて、こんな消耗する議論をいちいちやっておれませんので、以降、「投稿ブロックの方針」に従い、peace系の編集・発言は、黙って差戻し・除去しておくことにします。どうせたいした発言もしそうにありませんし。ゆう(matunami) 2006年11月2日 (木) 13:41 (UTC)[返信]

それらのそもそものソース元が本多勝一系じゃあ意味が無いんですよmatunamiさん。「当時の資料では、人口約1400人、犠牲者数600人前後」、「ジュネーヴでの国際連盟理事会に中国が公表した被害者は死者700、重傷6~70、軽傷者約130名となっている。」これが中共のプロパガンダをそのまま宣伝する本多にかかって人口3,000人に増加、今、全住民皆殺しなどと唱えているわけでそんな手品のような説を「定説」にされても困りますよ。「私も手元の全部の資料を隅から隅まで読み切ったわけではありませんので、今後、見解が変わるかもしれません。」とmatunamiさん自身自覚しておられることだけは幸いで、ご自身が「全住民を虐殺」などと断定した編集を繰り返して「歴史捏造」を働いたことは素直に認めるべきでしょう。断定できない事柄ですから既存の版の表現が妥当であるのは言うまでもありません。Kintisansya 2006年11月2日 (木) 19:00 (UTC)[返信]

peace系との議論は結局こうなります。何を言っているのか、自分でもわかっていないのでは? こんな消耗する議論、馬鹿馬鹿しいので黙って削除しようかと思ったのですが、一応答えておきますね。
1.まず、上の「ソース元」に、「本多勝一系」はひとつもありませんよね。勘違いでは?
2.「3000人」が「皆殺し」にされた、なんて断定する記述は、記事のどこにもありません。勘違いでは?
3.「3000人説」は、いくつかの見解のうちの一つとしての取り扱いです。勘違いでは?
4.「その時部落にいたほぼ全住民」という表現で、全然問題ないですよね。どうして削除するのでしょう?
5.「全住民を虐殺」というのが世間一般の見解と見られることは、上で説明しました。どうしてこれが「私の捏造」ということになるのでしょうか?
・・・書いていて、馬鹿馬鹿しくなりました。やっぱり次回は、黙って削除した方がよさそうです。ゆう(matunami) 2006年11月2日 (木) 20:48 (UTC)[返信]

peace系が相変わらず頓珍漢な書き込みを繰返しておりますので、ここでは第三者向けに、「peace系の勘違い」(あるいは、わかっていてわざと「強弁」を続けているのかもしれませんが)を説明しておきましょう。

問題になっているのは、「犠牲者」が「部落民のほぼ全員」であったかどうか、です。peace系は明らかに勘違いしているようですが、論点は「ほぼ全員」かどうかという「比率」の問題であり、「犠牲者なり部落の人口なりが何人であったか」という「分母」の問題ではありません。

「人口」は、600人かもしれません。1400人かもしれません。2700人かもしれません。3000人かもしれません。もともと人口の流動性が高いところですし、資料の確実性も判然としませんので、確定的な数字を得ることは困難でしょう。そしてこの点については、当記事の過去のすべての編集は「犠牲者数併記」であり、何の断定も行なっておりません。

(余談。peace系は「当時の資料」という言葉を連発しますが、なぜか「当時の資料」が何であるか、という具体的なことには一切触れません。きっとご存知ないんでしょう。もしご存知でしたら、この資料が「使えない」ものであることにすぐに気がつくはずですので(^^))

しかし、その「人口」のほぼ全員が殺害された、ということは、当時の満鉄社員たちの共通認識であり、また田辺氏を除く今日の研究者の大勢でもあります。何と言っても、この「事件」の結果として、部落は完全に「消滅」してしまったのですから。まさか、「世界戦争犯罪史事典」が「左翼系」だ、なんて主張するつもりじゃあ、ありませんよね? (先に述べたとおり、唯一の「反対派」田辺氏の論は、具体的事実に基づかない「推論」の域を出ません)。

この状況で、peace系は、「人口のほぼ全員が殺害された」ことは「捏造」である、ととんでもないことを言い出しました。そのような主張を行なうのであれば、peace系は、この「満鉄関係者」らの見解が「一見明白に虚偽」であることを証明しなければなりません。できなければ、peace系は、「満鉄関係者」や「世界戦争犯罪史辞典」の編集者を根拠もなく「捏造」呼ばわりし、「中傷」していることになります。

この状況で、一体どうやって「一見明白に虚偽」である、と言えるのか。私にはとてもそんな「証明」をする自信はありませんが、ま、お手並み拝見です。(くれぐれも、Wikipediaで「お手並み」を見せないように。無期限ブロックユーザーのソックパペットでの発言は、ただの「ルール違反」です。こちらは黙って削除するのみ。)ゆう(matunami) 2006年11月8日 (水) 11:23 (UTC)[返信]


そもそもの話、こんな議論をやる意味は全くないのですね。現時点の編集は、「その時部落にいたほぼ全住民」になっておりますし、peace系もこの文言には異議はないようですので。「過去に行われた編集」を問題にしても、何の意味もありません。

ま、この議論、peace系の「いつものパターン」です。

もともとの編集の目的は私に「いやがらせ」をしてやろうという不純なものですし、「事件」についてたいした知識を持つわけでもありませんので、右翼のアジビラもどきの編集しかできない。「全体」が見えませんから、どうでもいい細かいところを取り上げて、必死にこれにしがみつくしかない。

明らかに自分の議論が不利になると、相手を「根負け」させるべく、ひたすら「議論を続ける」ことだけを目的とした無内容な書き込みを何十回でも続ける。その合い間に、「自虐」「反日」「捏造」などの暴言を挟み込んで相手をうんざりさせる。

本議論は、その恰好の「モデル」でした。

さて、(馬鹿馬鹿しいけど)お答えすべきことはお答えしました。以降は、「投稿ブロックの方針」に基づき、peace系のアラシ・中傷発言は、黙って削除します。ゆう(matunami) 2006年11月8日 (水) 11:23 (UTC)[返信]


そもそも「ノート」というのは、「どうやったらよりよい編集ができるか」を皆で話し合う場であったはずです。不幸にして保護されてしまったら、「保護解除」へ向けた合意形成を図る場、ということになります。
従って、何を言っているんだかさっぱりわからない「議論」を仕掛けたり、相手に対する誹謗中傷を行なうことは、「ノート」の本来の使い方ではありません。「議論」をしたいのであればどこぞの掲示板へどうぞ。相手を批判したいのであれば、私をブロック依頼に出して、そこで批判すればよろしいでしょう。
既に「保護」を受けてしまった記事のノートページで、本来Wikipediaに存在する資格のない幽霊さんとの、「引き延ばし」だけが目的のわけのわからん「いやがらせ」におつきあいするのも面倒です。今後とも、「投稿ブロックの方針」3.3.5に従い、黙って「削除」することにします。
もし万一、第三者の方で「疑問」を持つ方がいらっしゃいましたら、どうぞ、お尋ねください。「丁寧に」お答えしますので。念のためですが、新参アカウントがpeace系ソックパペットさんのアラシ発言を復活するような真似をしたら、これはもう、誰が見ても「第三者」ではありえません。
「peace系」の無茶苦茶さをご存知ない方はまずいないと思いますが、念のため、第三者向けの解説。この御仁が、昨晩作成した「アカウント」群です。
  • 2006年11月9日 (木) 02:54 歯科大生って嘘だろ?
  • 2006年11月9日 (木) 02:48 ほんと暇な歯科医大生だことプッ
  • 2006年11月9日 (木) 02:41 道理で管理者の成り損ない荒くれの錬金術士
  • 2006年11月9日 (木) 02:24 一億総入れ歯を企む歯科医
  • 2006年11月9日 (木) 02:19 偉大なる朝鮮
  • 2006年11月9日 (木) 02:18 大国韓国成功物語
  • 2006年11月9日 (木) 02:12 不正発覚を恐れて無差別ブロックを装う愚か者
  • 2006年11月9日 (木) 02:09 きちがい歯科医は日本に不要
  • 2006年11月9日 (木) 02:02 歯科医になれない中年男ウィキで虚勢
どういう方なのか、大変よくわかると思います。ゆう(matunami) 2006年11月9日 (木) 12:20 (UTC)[返信]

初めて、書き込みします。よろしく。yeschan1です。 「満鉄撫順炭鉱と平頂山事件」新人物文庫667 2010-09-11を参照しています。新人物往来社発行。 (これは、改題本でして、元本は、2000年7月「芒なり満鉄ー追憶の満鉄撫順炭鉱長久保孚」です。 久保孚の中国での裁判の弁明書が載っているので、紹介して頂きたく。これは信頼に足ります。 「(虐殺数は)700ないし800と伝えられた」と書いています。 また、「主犯の井上中尉の精神の異常さ」についても、記述してください。出征前日に妻が自害し、マスコミで美談とされ、自暴自棄になっていた異常さを。 更に、戦後の生き方にも問題があり、この井上中尉が、戦後戦犯追及で逃げており、死ぬまで真相を話さず、久保などの冤罪の責任をとらずに、 昭和44年8月に、パーキンソン氏病で亡くなり、軍人として卑怯な生き方であったことも、重要と考えます。 せめて、死ぬまでに自分の犯した事実をきちんと述べて、久保の冤罪を晴らして上げる責任があったと考えます。 パーキンソン氏病という不治の病なので、時間的に十分に罪の償いはできた筈です。また、昭和40年代ならば、もはや戦犯の追及はなかったはずですので。