ノート:張良

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「だが、結局項羽は韓王成を韓へは返そうとせず、最後には殺してしまった。張良は逃亡して劉邦の元へ行って仕えるようになり、劉邦は韓信を成信侯とした。張良はこれ以前は劉邦にとって客将であり、これ以後が正式に劉邦に仕えるようになったといえる。」という文中の「韓信」は「張良」の間違いかと思います。詳しい人の指摘お願いします。

利用者:122.133.172.42さんによる一連の編集を全て差し戻させていただきました。それに対する説明です。

黄石公が張良に兵書を授けたところの原文は「読此則為王者師矣」。これをどういじっても王佐の才が云々などとはなりません。また黄石公は名前とは言いがたいでしょう。
景駒と殷通。「景駒を殺した」という表現には問題がありましたが、ここの文脈で殷通はまったく関係がありません。
武関の守将の名前に付いて。韓栄という名前は『史記』・『漢書』には見えないようです。軍談物には出てくるそうですが、いずれにせよこの項目には必要ない情報です。
英布に付いて、張良が助言をしたなどとはどこにもありません。英布はこの時期に劉邦のために他方面に経略に出ており要請したけど来なかったなどとは書いてません。

以上ですらりた 2007年12月28日 (金) 11:59 (UTC)[返信]