ノート:慈明寺順国

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生没年の出典は何なのでしょうか?[編集]

ざっと調べたところ、「信長の野望武将ファイル」の設定くらいしか見当たりませんでした。ちなみに多聞院日記だったと思うのですが、1582年の本能寺の変に際して筒井順慶が軍議を開いた際の家臣の中に彼の名前が見え、1582年当時には存命だったと思われます。--ポテンシャル0 2009年7月21日 (火) 06:53 (UTC)[返信]

出典の追記が無いようなので、一度生没年は不詳に変更します。もし、生没年を考証できるような資料があるのなら補記をお願いします。--ポテンシャル0 2009年11月24日 (火) 11:18 (UTC)[返信]

改名提案[編集]

現在の記事名「筒井順国」から「慈明寺順国」への改名を提案します。比較的当時に近い江戸時代の文献には「慈明寺順国」の名で現れ「筒井順国」と書かれることがないことや、現代の文献においても「慈明寺順国」が基本であることが理由です。

  • 江戸期の文献の例としては、『和州諸将軍伝』〈筑波大学附属図書館所蔵、54コマ〉に「慈明寺左門藤原順國」、『寛政重修諸家譜』筒井定次の項に「慈明寺左門順國」とあります。
  • 現代のものでは、金松誠『筒井順慶』(戎光祥出版、2019年、84頁)や朝倉弘『奈良県史11 大和武士』(名著出版、1995年、429頁)、籔景三『筒井順慶とその一族』(新人物往来社、1985年、71頁ほか)に「慈明寺順国」とだけあり、阿部猛・西村圭子編『戦国人名事典コンパクト版』(新人物往来社、1990年)筒井定次の項に「実父慈明寺(筒井)順国」と、慈明寺が主となる形で記載されています。--YasuminB会話2022年4月3日 (日) 09:09 (UTC)[返信]

報告 改名しました。--YasuminB会話2022年4月11日 (月) 04:12 (UTC)[返信]