ノート:指輪物語

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

指輪の詩[編集]

[1]にて「指輪の詩」なるものが投稿されているのですが作品からの引用のようです。著作権上問題があると思いますので、どなたか読んだことのある方、確認をお願いします。--KZY 2004年11月4日 (木) 03:47 (UTC)[返信]

「指輪の詩」はたしかに評論社刊行瀬田貞二訳『指輪物語』の冒頭にある詩とほぼ同じです(送りがなが異なる箇所が一カ所ある)。しかし著作権法による引用の条件を満たしているため、著作権上問題はないと思います。Kusunose 2004年11月4日 (木) 15:06 (UTC)[返信]
「指輪の詩」は歌詞ではありません。引用についてはKusunoseさんと同意見です。Ligar 2004年11月4日 (木) 15:40 (UTC)[返信]
著作権上問題がある、と先に書いたのは表現として適当でなかったようです、申し訳ありません。出典と著作権者が明記されているという点では著作権法上の条件は満たしていると判断できるようですね。ただGFDLとの兼ね合いから引用は避けるべきという方向の意見があり(関連:Wikipedia:井戸端ノート:シャア・アズナブル)、現時点では掲載は避けたほうが良いのでは、と考える次第です。--KZY 2004年11月5日 (金) 03:35 (UTC)[返信]

世界三大ファンタジー[編集]

>『ナルニア国物語』『ゲド戦記』と合わせ、世界三大ファンタジーの一つと言われる。

これまで、「世界三大ファンタジー」というのは、聞いたことがないのですが、WWW頁では、「ハリー・ポッター」がはいる説もあるようです。わざわざ載せるようなことでしょうか?--赤龍館 2005年12月15日 (木) 03:11 (UTC)[返信]

赤龍館さん、『指輪物語』関係記事のメンテナンスありがとうございます。ウィキペディアでは、新しい投稿は下に足していく方式になっていますので、失礼ながら文章を再配置させていただきました。悪しからずご了承下さい。さて、本題ですが、「世界三大ファンタジー」には私も疑問を持ちます。ファンタジーの代表的な作品として『ナルニア』や『ゲド』と並び立つという書き方なら異論ありません。--みっち 2005年12月15日 (木) 03:26 (UTC)[返信]
「世界三大ファンタジー」というのは、『指輪物語』、『ゲド戦記』、『ナルニア国物語』を指すようです。「イギリスの」をつけて、『ゲド戦記』の代わりに『ハリー・ポッター』を指す説もあるようです。--流那 2007年9月25日 (火) 11:27 (UTC)[返信]

指輪物語のボードゲームに関して[編集]

クニッツアがデザインした『The Lord of the rings』というゲームは「ロード・オブ・ザ・リング ~指輪物語~」として日本語化された物だろうと考え、そのように注釈を入れたのですが拙かったでしょうか?--はしもと 2006年8月12日 (土) 02:36 (UTC)[返信]

私は問題ないと思ったのですが。赤龍館さんがコメントしていないのは、もしかして削除したことに気付かれてないのかもしれません。戻して様子を見ます。Pica 2006年8月13日 (日) 15:46 (UTC)[返信]
すみません。ぜんぜん気がつきませんでした。編集のすれ違いのせいかしら。--赤龍館 2006年8月13日 (日) 22:38 (UTC)[返信]
了解しました。問題なかったようで良かったです。--はしもと 2006年8月16日 (水) 11:45 (UTC)[返信]

人種差別性について[編集]

いきなり削除は如何なものでしょうか。「編集内容の要約」から、お考えの御主旨はわからないでもないですが、もう少し詳しくご説明いただけると勉強になるように思います。お願いできませんか。--Dr.rijin 2007年4月24日 (火) 18:05 (UTC)[返信]

要約欄でお分かりいただけるものと思っていたのと、議論の余地もない不適切な記述と思い込んでいたので失礼いたしました。ノートにコメントくらい必要だったと反省しております。2007年4月19日(木)08:55版[2]まででの記述では、

トールキンの指輪物語では「有色人種」とみなされる褐色人、東夷などが悪の側にあり、それに対して同じく「白人」とみなされるエルフやローハン人、ゴンドール人、北方人などが善の側にある。これは人種差別なのではないかという批判がある。

とあります。確かにこれに類似した「批判」を目にすることもあります。しかし実際の作品中の記述では、褐色人は「善の側」であるローハン人と長年にわたって敵対してきた存在ではあるものの、ブリー村の人間(バーリマン・バタバーなど)も褐色人系統であるように、必ずしも「褐色人=悪の側」と描写されているわけではありません。また、ゴンドール人は、執政家やイムラヒル大公などいわゆる白人的な容姿に描写されている人間もいますが、一方で国の南部から来た諸侯は小柄で色黒だと描写されているなど、「ゴンドール人=白人」ではありません。また、削除前の記述では、味方にガン=ブリ=ガン率いる野人がついたこと、敵側民族には「黒きヌメノール人」(人種的には他のヌメノール人と同じ)がいることを無視しています。このように、作品の設定を無視した単なる勘違いか、もしくは「批判のための批判」にすぎません。(2007年2月17日(土)13:24版[3]の赤龍館さんの「この議論はきちんと読んでない人々のため」というのは、このあたりの事情を指しているのだと理解していますが、正しいでしょうか?) もしどうしても「人種差別だとの批判がある」という記述を入れるのであれば、上記のような説明を加えた上で、「根拠の無いものであるが、そういう批判をする人もいる」くらいの記述にしないと、不正確な上に中立的観点に欠けてしまいます。しかし、作品の中核となる設定に対する客観的分析ならともかく、「作品の設定を無視した批判と、それに対する反証」がこの項目で説明すべき事柄とは思えないので、削除しました。--Eryniel 2007年4月25日 (水) 04:14 (UTC)[返信]
粥村の人々は善でも悪でもないと言っても良いかもしれませんが、褐色人の多くはサルマンに与していますし、南方諸侯の多くはサウロンに寝返りました。ですので、そんな簡単に覆る、「言いがかり」といった主観的表現で切って捨てられるチャチな批判ではないでしょう。しかし、例外をご自身で数え上げてこれらの議論が正しいかどうかを論じることは全く本質的ではありません。
問題はそんなことではないのです。ウィキペディアの掲載基準は、「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。この点をよく御確認下さい。該当節を削除するかどうかはリンク先の文書を吟味して頂いた上でお考え頂くべきかと思います。--書士 2007年4月25日 (水) 11:55 (UTC)[返信]
書士さんのご指摘の意図がよく理解できないのですが、「Erynielが削除した文章は、検証可能性を満たしているので、削除は間違いだ」ということでよろしいでしょうか? もし正しいのであれば、どのように検証可能なのかご指摘いただけると助かります。また本質的でないということですが、作品中にない設定は「チャチな批判ではない」とのことで記述すべきであるとする一方で、実際に作品中にある記述(私にはこちらの方が検証可能であると思えます)が「例外」となる基準がよく分かりません。この点説明いただけますでしょうか。あとついでに勉強のために、「南方諸侯の多くはサウロンに寝返りました」というのが、作品中に見つかりませんでしたので、どのあたりに出てくるかご存知なら教えてください。以上、コメントよろしくお願いします。--Eryniel 2007年4月29日 (日) 10:51 (UTC)[返信]
Eryniel氏の御疑問に順に私見を申し上げます。第一の検証可能性については、人種差別批判説が検証可能であると主張しているわけではないことをご注意ください。単に、削除するならEryniel氏が主張されたように本文からして真かどうかではなく検証可能かどうかという点から削除を主張すべきだということです。人種差別批判説自体は、出典が明示されていないので出典が補完されない限り削除すべきだと考えます。第二の本質論ですが、上記のことから納得されると思います。人種差別批判説が出典明示された場合、本文中の記述に依拠してそれに反論する記述を書くことは個人的には可能だと思います。ただし、セカイ系のノートで批判と批判の問題点論争を見ていただければわかりますが、必ずしも誰もがそう考えているわけではありません。人種差別批判説を批判する公表された出典を引かない限りそのような記述はできないという立場もあるわけです。いずれにせよ、それによって出展が明示された人種差別批判説を削除することは検証可能性のルール上できません。ちなみに、赤龍館氏の記述の主要な問題点は「この議論はきちんと読んでない人々のため」という評価そのものが独自研究にしてウィキペディアは演説場所ではないにひっかかるということかと。Eryniel氏の「言いがかり」という表現も同様に思われます。第三点ですが最盛期はゴンドールに服属していた南方の諸侯がサウロン側についたのがミナスティリス孤立をもたらした一因であるといった記述を記憶していますが今は確認が取れません。議論上、必要ということでしたら、追って本文を確認してみます。--書士 2007年4月29日 (日) 12:14 (UTC)[返信]
ご丁寧な回答ありがとうございました。<検証可能性&本質論について>「言いがかり」というのは確かにこちらの言葉が過ぎていたようです。作品中の設定に基づいていない上に出典も無いために、独自研究の類にあたるのではないかと指摘したかったという点をご理解ください(赤龍館さんの加筆も同じ意図だったのではないかと思ったのですが・・・)。私も出典がはっきりとしている場合には、「人種差別性について」という形ではなく、あくまでも議論があるという形で記述することは問題ないと思います。削除は早急で、まずは「要出典」テンプレートの方が適切だったかもしれません。<第三点の南方諸侯について>もし、上記議論の出典元が明らかとなった場合、その内容によっては必要となるかもしれませんが、現在早急に必要というわけではありません。あくまでも個人的興味のためのお願いですので、見つけられたときにでも、教えていただければうれしいです。--Eryniel 2007年4月29日 (日) 13:00 (UTC)[返信]
Erynielさま、書士さま、大変勉強になりました。ありがとうございました。--Dr.rijin 2007年5月1日 (火) 02:27 (UTC)[返信]

「映画化」の項について[編集]

提案です。指輪物語#映画化について、出典として英語版の記事への、言語間リンクかなにかを示してはいかがでしょう。

映画版について調べていて本項にたどり着いたのですが、この「映画化」の部分は、英語版の2004年11月1日版「The Lord of the Rings」の「5. The Lord of the Rings on film」あたりを翻訳したものがベースになっているようです。文章が妙に翻訳調なこと、出典情報がないことなどから、「ひょっとすると英語版の記事の翻訳?」と思いついて調べてみての判断です。全文を照合したわけではありませんが、日本版での最初の記述が2004年11月2日に投稿されていることと、ざっと各段落冒頭の表現を見合わせた感じでは、およそそんなところかと思われる、という程度です。

また「ベースになっている」と書きましたが、これは日本の最新版との差分を表示してみて、ごくごくわずかながら手が加わっているためです(英語版ではだいぶ記述が加わっているようですが、それは反映されていないようです)。

Wikipedia:翻訳のガイドラインを見てみましたが、2008年1月以降は「要約欄への記入」が必須だけれども、過去に溯って適用はしない、本文中に元記事へのリンクを推奨、とのことでした。ですから、「なにかしなければならない」ということではないのかもしれません。しかし、何らかの形で古い英語版記事からの翻訳ということが示せれば、英語版の最新記事を当たってみよう、翻訳してみようと思う方も増えるのではないかと考えました。

自分で編集すればよいのかもしれませんが、すいません、初心者で思いとどまってしまいました。英語版の、しかも特定版へのリンクの方法も、また翻訳であることを示す方法もよくわかっていません。ガイドラインを読んでも何通りもの方法があって混乱してしまいました。また、別のよりよい方法があるのかもしれないとも思い、ご意見を伺いたい気持ちもあってご提案する次第です。ご意見をいただければ幸いです。 --亀@渋研X 2008年8月14日 (木) 15:14 (UTC)[返信]

特に異論はないようなので、項目の見出しに注の形で情報を加えました。翻訳元と、より新しい情報への参照リンクを記載していますが、適切な形式かどうか、あれこれ調べても自信が持てません。よりよい形をご存知の方がおいででしたら、ご修正ください。 --亀@渋研X 2008年8月29日 (金) 12:46 (UTC)[返信]

外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

指輪物語」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年10月5日 (木) 05:19 (UTC)[返信]