ノート:提岩里教会事件

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表記[編集]

堤「岩」里事件の方が一般的な表記ではないかと思うのですが…。堤岩里3.1運動殉国記念館--Straysheep 2006年5月8日 (月) 18:54 (UTC)[返信]

韓国において誤った史実が流布されている現状を加筆しました。

公文書のリンクを追加しました。
 公文書には、簡単に成り行きを書けば
 天道教は宗教としての価値は無く政治的野心があり、迷信に富む国民性を利用して扇動
 天道教は邪蘇教と佛教との協同連盟を行い宗教としての地位を保とうとした。
 その後外国人宣教師と費用的協定を結んだ。
 と、宗教的野心が独立運動のきっかけのような表現があります。
 この部分の加筆についてはお任せいたします。

なお、参考までに私が作成したスレッドは
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=83336
です。参考になれば幸いです。

未検証・出典のお願い[編集]

当たり前の事ですが、参考文献の発行が2005年では、2007年のソースとしては不可です。重要かつ興味を引く部分なんで、削除はしませんが、ソースをお願いします。--KJ達磨 2007年5月8日 (火) 01:28 (UTC)[返信]

概要の資料的充実を[編集]

  • 『近年発見された、当時の朝鮮軍司令官、宇都宮太郎の日記によれば、事件は日本兵が30人ほどの住民を教会に閉じこめたあと一方的に殺害、放火したもので、その「事実を事実として処分すれば尤も単簡なれども」』というと、単純に読めば「まったく無抵抗の住民を突如皆殺しにして放火した」事実隠蔽が発覚した・・・ように思ってしまいますが、前述の『小学校焼き討ちと警察官2名の殺害の容疑者として・・・取調べをしていた。そのとき、・・・襲いかかってきたのを犯人だと即断して殺害してしまった。これをきっかけに・・・暴徒化。兵卒に射撃を命じ、ほとんど全部を射殺するに至った。教会もその後近所からの失火により焼失した』とされた公式文書と絶対的な矛盾はあるでしょうか?
  • 現在の警職法でも「けん銃使用は適正であった」かどうかの発表があるように、その時においても検挙鎮圧においての過剰暴力は基本的に戒める立場が宇都宮太郎の日記から読み取れるわけで、「無抵抗の住民を虐殺」というとんでもない行為が存在しなくとも「暴徒化した容疑者に対してとはいえ、過剰防衛により殺害行為が起きてしまった」事についてであっても「事実を事実として処分すれば尤も単簡なれども」と苦悩反省したとしても、なんらおかしくないと思います。一方的に殺害、放火した・・・という文言は、日記の正確な引用と思われる「事実を事実として処分すれば尤も単簡なれども」という括弧書きの外にありますが、『一方的に殺害、放火した』と判断した記述の主は宇都宮太郎ですか?この記述を行った(事件そのものを知らない)記述者ですか?
  • 悩んだけれども結果的には事実をほぼそのまま認めて(放火を失火とした程度の隠蔽があったにせよ)公式発表としたという事であっても筋は通ると思います。もっと重大な隠蔽(無抵抗の住民を殺害)があったという証拠はどこから見出せますか?だから『公式発表に決定的な事実隠蔽はなく正確であり、暴徒への過剰暴力制圧という問題はあれども、宇都宮太郎の日記が無抵抗の住民を虐殺したと認めたというような証拠にはならない』という解釈も出来ます。
  • あくまで、この項目の記事を読んで記述の不備を指摘しただけで、しても居ない個人研究を主張したいのではないので、私は記述そのものの書き換えを行いませんが、巧妙な省略により日本の事実隠蔽があったかのように想起させるのではなく、きちんとした資料により事実隠蔽が「あったのか?なかったのか?」が明確になるような記述を求めます。
  • この事件を題材として、証拠によらないで事実以上に過熱しているらしい言いたい放題な日本批判が一人歩きしている(簡単に言えば捏造)らしいですが、その大元だからこそきちんと揺らがない真実を責任持って記述願います。NHKスペシャルを見てこちらを確認に来て思いました121.114.153.40 2010年5月16日 (日) 13:10 (UTC)[返信]

追記です

  • 「住民の抵抗は存在せず、火災は軍による放火であったことが判明した。」は、明確な記述を元にした事実でしょうか?記述者の主観的憶測でしょうか?
  • 「抵抗したるを以て殺戮したるものとして虐殺放火等は認めざることに決し」は日記に実際に存在する記述だとは思いますが、この文章だけを切り出されても読み方によっては意味が異なります。記述者は「(住民の抵抗は存在しなかったが)抵抗したるを以て殺戮したるものと“して”虐殺放火等は認めざることに決し」とカッコ内を補っているようで、つまり「抵抗があったことに“して”しまおう」という謀議を読み取っているようですが、素直にそのまま読めば「抵抗したるを以て殺戮したるもの“として”虐殺(放火等)は認めざることに決し」つまり「抵抗したから殺戮行為が起きた“のであって”これは虐殺ではない(ついでに放火もごましてしまおう)」・・・と決めましたってだけでしょう?
  • 翌日に現地に入った教会関係者、報道陣が見たのはなんだったのでしょう?住民が射殺されて教会が焼けおちた惨状であったのには間違いないでしょうが、霊能者に呼び出されて「私たちは、全く抵抗などしませんでした」と涙ながらに訴えでもしたのでしょうか?私自身「抵抗があったのだとしても、そこで起きた事はやりすぎであった」と思いますが、被害者の関係者が報告する中にさらなる事実の誇張は無かったのでしょうか?Wikipediaの理念と同じで、真実であろうと無かろうと「報道された事が正史」として一人歩きしているだけじゃないのですか?その報道を元に「報道されたんだから真実」と思っていませんかね?121.114.153.40 2010年5月17日 (月) 16:48 (UTC)[返信]

タイトルについて[編集]

関連文献にも「提岩里教会事件」とあり、また新規引用した文献にもこのようにありますので、提岩里虐殺事件を独自ネーミングと考え、引用元の明確な「提岩里教会事件」に変更しました。「提岩里虐殺事件」なる表記のある文献情報がありましたらご紹介ください。改めて編集検討しましょう。--大和屋敷 2011年11月9日 (水) 16:33 (UTC)[返信]

韓国の「提岩里3.1運動殉国記念館」のサイト(http://jeamri.hsuco.or.kr/kor/k_history/k_history_01.htm )に、「제암리사건(提岩里事件)」と記載されています。韓国政府が自ら「提岩里事件」と表記しているので、この表記が最も適切だと思います。--(日本語と韓国語を両方理解する在日韓国人より)--